2016年12月07日

森絵都「みかづき」

昭和30年代半ば、世の中に公団ができ、団塊世代が受験に向かい始めた頃、千葉の小学校の用務員だった吾郎は放課後、勉強のわからない子どもたちを教えていた。
吾郎の教え方が評判になり、塾を立ち上げたい千明から、その塾への参加を請われた。
吾郎はやがて、蕗子という娘を女手一人で育てる千明と結婚、共に塾を経営することになる。
けれど二人の教育方針は異なっていた。
公教育へのアンチテーゼとしての塾を目指す千明に、吾郎は次第に違和感を覚えて袂を分かつようになる。
吾郎の塾は支校を増やし、大きくなってゆく。
と同時にさまざまな問題も起きて、それなりの苦悩も生じるのだが。。

小説の視点は吾郎から千明に移り、最後は孫の一郎へと繋がる。
これは「塾」という教育機関を時代の変遷とともに描きつつ、三代にわたる家族を描く小説でもある。
高度成長まっただ中の昭和の時代と、平成への40年余り。
この間にとっぷり浸って生きた私にはすごい臨場感で読めた。
「そう、そういう時代だったよね」とわかる部分が多かった。
私の通っていた塾はいわゆる「私塾」で、今のような大きな規模の全国展開などの塾ではなかく、むしろ最初の放課後の吾郎の教室のようなものだったけれど、当時、塾通いをする子どもはそうはいなかった。
私は幼稚園も受験を経て、3年保育を電車に一人乗って通わされていたけれど、今考えると、私の母親って教育ママだったのかもしれない。
早生まれの小さな子どもを一人で毎日電車で幼稚園に通わせるなんて、危険きわまりないと今ならほとんど虐待だよね。
もしその経験が私の人生に役に立っているとしたら、まぁ、独立心が強い人間になったかなというくらい。

でもあの頃は、みんな上昇志向が強かったし、未来が輝くものとしてあった。
頑張れば頑張るほど、結果が出た時代。
結果を出すためには、なによりも教育だったのだ。

吾郎の孫の一郎は塾の仕事に従事しながらも、吾郎や千明とは異なる塾を目指している。
経済的に塾に通う得ない子どもたちのため、何ができるかを考えているし、それを実行に移している。
現在、国立大学に進学するためには、塾通いが必須となっているらしいが、その塾へ通うにはお金がかかる。国公立大学は貧困家庭の子どもには通えない。
(国公立大学の学費の高騰も激しいし)。

この本、教育とは何か?何のためなのか?を考えるには素晴らしい一冊。
やれ、ゆとり教育は間違っていたとか、公教育の現場には紆余曲折が多い。振り回される子どもたちはどうすればいいのか。
塾だからこその自由な教育というものがあるのかもしれない。
できるなら学校や塾の先生に読んでもらいたい。

森さんの人生における価値観がこれを読むとよくわかります。
読んでよかった、森さんの力作長編。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月06日

日野原重明「僕は頑固な子どもだった」

105歳で生きている人はいるだろうが、これほど元気でなお社会のために働いているのは日野原先生くらいだろう。
先生を見ていると、まだまだ大丈夫。世のため人のために頑張ってもらいたいと思う。
このような人は絶対に神様からの使命を受け、神様からのご加護も受け、この世につかわされているのだろう。
これまでたくさんの著者がある日野原先生だが、この本の帯を見て驚いた。
これが「初の自叙伝」だというのだ。
えーっ、そうなの?という気持ちになるのは、あまりにも日野原先生についてのエピソードを知っているからだ。

牧師の家に生れ、敬虔なクリスチャンであること。
よど号ハイジャックの飛行機に乗客として遭遇したこと。
人間ドッグを日本で初めて実施したこと。
「生活習慣病」という言葉を創り広めたこと。
地下鉄サリン事件の時の聖路加病院の素晴らしい対応。
朝昼はほとんど食べず(飲み物とビスケットくらい)、夕食だけしっかり食べること。
エレベーターは使わず階段を二段跳びで上がること。
・・などなど。

でも考えてみればそれらは断片的なもので、日野原先生の一生を通しての越し方はあまり知っていないかもしれない。
この本には幼少時代の家族や友達、中学・高校・京都帝大医学部での生活、アメリカ留学などについて、当時の先生の気持ちを含めて詳細に語られている。
なによりも胸を打つのが、長年連れ添い、ずっと先生を支えてくれた奥さんの静子さんとの別れだ。
80歳ごろから認知症を発症し静子さんの最期の1年9カ月を、聖路加病院で主治医として看取った。
ずっと多忙で家庭のことは静子さんにまかせっきりだった先生にとって、その1年9カ月は静子さんとの蜜月だったに違いない。
この世では静子さんの不在で寂しくなったけれど、あの世は静子さんを迎えて賑やかになっていることだろう、と先生は自分を慰める。そしていつか自分もそこに加わることを楽しみにしている。
死は必ずしも悲しいものではなく、生と同じように意味のあること。。

日野原先生の人間としてのバックボーンにはもちろん、キリスト教がある。
しかし医師として、1950年代初頭のアメリカ留学でホリスティック医療に触れたことは大きなことだったはずだ。
医療がどんどん細分化され専門化されていくまっただ中において、人の体というものはそうではなく全体が繋がっていると考えるのは大きな意味のあることだと思う。
いつも先生はこのように「本質」を見ながら生きてこられたのだろう。

そんな先生は子どものころ結構、頑固だった。
絶対に自分を曲げなかった。
優秀で有名な中学に受かりながら、入学式に出席しただけで退学し関西学院に行ったのも、軍の影響が強いのを嫌い自由を求めてのことだった。

お顔をみてえいるだけで、幸せになれるひとがいる。
日野原先生もそうだし、瀬戸内寂聴さんもそうだ。こういうのを仏教では「顔施」というらしい。
お顔が「愛」ってすごいこと!
いつまでもお元気でいてください。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月05日

井上荒野「綴られる愛人」

小説って最初の出だしは面白くても、だんだんと退屈になるものがある。
その反対にどんどん面白っくなって、徹夜をしても読み終わりたくなる本もある。
この「綴られる愛人」は後者。
たんにストーリーの展開が面白いだけではなく、井上荒野の心理描写の巧さに引き摺られて読了した。

東京に住む35歳の柚は著名な小説家。
北陸に住む航太は大学生。
彼らは「綴り人の会」という組織を通じて文通してる。
今の時代にメールではなく手紙というのがアナクロだが、だからこの小説が成り立つのだと思う。
どういうシステムになっているのか「綴り人の会」では、文通相手から直に手紙が届くのではないようだ。
お互いの手紙はある一定期間を経たのちに、手元に届くようになっている。

文通では柚は専業主婦凛子。航太はエリートサラリーマンのクモオと身分を偽っている。
この期間が微妙な「間」で、次の手紙を待つ間に不安や猜疑心が増幅される。

嘘で固めた手紙のやりとり。
それでもそれらの手紙には次第に彼らの心の奥底が現れてくる。

文通やブログを書く場合に、柚や航太のように嘘八白を書き込む人は多いそうだ。
現実逃避なのか、それとも物語のなかの自分に酔いたいのか。
ちなみにこのブログ、私は本当のことを書いてます。だって友人知人が読んでくれているのだもの、嘘書いたらすぐにバレてしまうし、第一、現在の自分を偽らなければならない理由もさしてない。まぁ、しごく単純な生活と性格ということか。

柚と夫は「おしどり夫婦」ということになっている。
けれど夫のモラルハラスメントはかなりのもので、夫は柚を隷属させている。
航太は友人たちとうまくいっていないし、就職活動だって思うように進んでいない。
つまり彼らは二人とも日常に満足せず、「何か」を求めているのだ。

でもそれは決して不倫とかアバンチュールではないのだと思う。
凛子への想いを強めるクモオに対して、少なくとも凛子は違う。彼女は夫に「秘密」を持つことで「仕返し」をしたかったのではないだろうか。
お互いに求めるものが違いながらも、大きく膨らんでいく様子がこの小説の肝ではないか?
ちょっとサスペンスっぽい作風になっているので、結末は書かないけど、男と女、女のほうがやっぱりシタタカ。。ですね。

一つ疑問が。
それは柚のような物語をつくる「作家」が、文通でも物語をつくるものだろうか?
小説を書くという行為ではそういう部分で充足できないとしたら、なんか、つまんない作家かも。

posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月02日

辻村深月「東京會館とわたし(下)」

今週のうちに「東京會館とわたし」の下巻が読めてよかった。
連作で各章が独立しているとはいえ、あまり時間をおくと気が抜けてしまう。
上巻はタイトルに「旧館」としてあったが、下巻は「新館」となっている。
東京會館旧館は大正11年竣工。新館は昭和46年、谷口吉郎設計で建てられた。
谷口は東京會館の設計にあたり、たんに建物としての會館ではなく、宴会や社交での思い出の背景となるべく「場」としてというコンセプトで臨んだという。
旧館で使われていたマテリアルや家具なども少し残しながら、まったく新しい建物を造ったそうだ。

亡き夫と迎えるはずだった金婚式の日、一人の老婦人が東京會館にあるパーティに出席するために出かけた。
闘病中の夫は旧館を壊して新館ができることを、残念がっていた。
新館に入った婦人は以前と違う建物に初めは戸惑っていたものの、しだいにその美しさに圧倒されてゆく。
そして彼女はパーティには出ず、夫と時々食事をしていた食堂に一人で入って行く。

人見知りの新米ボーイが、あれほどの大スターである越路吹雪の緊張ぶりを目のあたりにする。
越路吹雪はコンサートの前になるとガタガタ震え、背中におまじないの「虎」という字をマネージャーの岩谷時子から書いてもらわないと、舞台に上がれなかった。
「さぁ、虎になっていらっしゃい」と背中を押してもらる越路吹雪から、ボーイは何を感じ、得たのか。

2011年3月11日、仲良し4人組の初老の女性たちは着物姿で銀座を楽しんでいた。
そこにあの大地震。電車は動かず、ホテルもレストランも喫茶店もいっぱい。
思いあぐねた彼女たちが辿りついたのが、東京會館。
彼女たちは若い頃に東京會館の料理教室に通っていた。
主人公の女性は見合いをして結婚を決めた彼から「東京會館で料理を習ってほしい」と言われたのだ。
食べることが好きで舌の肥えた彼は結婚後、家庭で美味しいものが食べたかったのだろう。
「東京會館なら」と4人はそこへ向かい、一晩を過ごす。

上巻に較べると、実名がかなり出てくる。
芥川賞直木賞受賞者にとっては候補になった時から「受賞がきまったら、東京會館へ」と言われる。
何度も何度もそう言われ続けて、落選してきた作家なら「東京會館って本当にあるのか?」という気持ちにもなる。
あの角田光代がそうだったように。
そんな作家たちにとっては、帝国ホテルでもホテル・オークラではだめで、東京會館こそ価値ある場なのだ。

けれど現在、東京會館はまたも新築中である。
完成は2019年とのことだ。
その間、芥川賞と直木賞の受賞式は帝国ホテルで行われる。
新生新館がどんな設計になるのか?これまでのようにみんあから愛される集いの建物となるのか。
旧い建物に愛着がある人にとってはどれほど素晴らしい新館であっても、必ずしも満足はできないかもしえないけれど。

それにしても100年経たないうちに、2度の建て替えとは、耐震性の問題があるのだろうが、つくづく日本という国は、スクラップ・アンド・ビルドの国なんだなぁと思ってしまう。
ホテル・オークラも建て替わるし、なんだかさみしい。
今度の新館はせめて100年は持ちこたえてほしいし、それだけの年月に耐えうる設計であってほしいものだ。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月30日

小林美希「ルポ 介護の質」

こういう本を読んで社会の実情を知り、それをしっかり受け止める方がいいのか?
そんなことは知らずに極楽とんぼを決め込む方がいいのか?
どちらが幸か不幸か?
どちらにしても現実は「病気になんかなってらんないよぉ」という厳しいもの。今でさえ医師不足、看護師不足、介護士不足が言われているのに、私のような団塊世代が後期高齢者となる7〜10年後にはいったいどうなるのか?
想像するだにオソロシイ。

病気で入院しても、すぐに退院を迫られる。ましてや老人をいつまでも置いておいてはくれない。
それは病院の方針だけでなく、国の指標だからだ。
国の医療費を抑えなければ今後の超高齢化社会では、にっちもさっちもいかなっくなるから。
75歳以上の健康保険料を値上げしようという動きもでているけれど、だからといって、医療や介護がそれで改善されるとは思えない。

仕事熱心な看護師が入院患者の世話をしようとしても、それが許されない時代である。
一人の患者に時間をかけると「仕事が遅くてできないヤツ」と評価されてしまうのだ。
人員を足らないのでナースコールが鳴っても出ないこともある。
看護師だけでなく医師だって足らないため、本来は医師のする仕事を看護師がしなくてはならない。。

病院を出て介護施設に行っても、そこもやはり同じことが起きている。
ちょっと問題のあるお年寄りはベッドや車いすに拘束され、食事介助が大変なので胃ろうにというこだって起こりうる。
そして施設は姥捨て山化する。
もちろん世の中には「これではいけない」と志の高い医療関係者はいる。救急医療や周産期医療のチーム医療に取り組む医師や看護師もいるのだ。
しかし政治と医療界の癒着がそれを阻む場合があるようだ。

医師や看護師や介護士たちは劣悪な労働条件下で働いているので、疲れきっている。これでは医療事故が起こっても不思議ではない。
彼らの環境をよくすることはできないのだろうか?
もし労働条件が改善されれば、あまりに仕事がハードで家庭と仕事の両立が出来ずに辞めた看護師たちの職場復帰が可能になると思う。
看護師だけでなく女性医師も育児のために仕事を中断する人がいる。(私の知っている女医さんもそうだ。)
医師や看護師は職場を離れるのはとても不安だと聞く。日進月歩の現場に、はたして復帰できるのかと。
中断しなくてもよい職場をつくるのは無理なのか?

外国労働者を介護の現場に引き入れようとしている。それも大いにけっこうだ。
しかしそれならば彼らに日本人と同じ条件で仕事をしてもらい、社会保障もしっかりつけてあげるべきだ。
使い捨てにしてはならない。

この本の著者はジャーナリストとして素晴らしいるボルター十を書いたと思う。
取材の苦労を想像すると、ますますこの本の重要性がわかる。
医療とはなにか?その根本を問い、これからの医療を見通すための一冊として読んでみてください。
誰もが老い、死ぬんですから。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月29日

ハッチの身辺雑記

月に一度のハッチの身辺雑記です。

何かをし忘れている気がずっとしていて、「あ、今月はまだ身辺雑記を書いてなかった」と思い出しました。
いけない、いけない。
有名人でもなんでもない私なので、こういうのを書くのは気が引けるのですが、それでも「近況がわかってうれしい」と言ってくれる友人たちがいるので、なんとなく毎月書いています。

今月はまぁ、いい一カ月でした。
まず、懸念だった我が家の車がやっと売れました。
30年くらい前のオールド・ベンツ(といってもヴィンテージのような価値のあるものではなく、ただ古いというだけ)を、夫の知人のS氏に売ってもらうよう依頼したのは、春先の3月末のこと。
売れるかしら?と尋ねると「大丈夫、絶対売れます!」と断言するのでずっと預けていたのだけど、これが売れない。
4月末には新しい車がやって来たので、ベンツは出番がない。
どうもS氏がつけた値段が高すぎたみたいで、「あれじゃぁ、売れないよ」と私は思っていました。(私たちが希望する価格の3倍!)
11月になって、業を煮やした私は「もう、ベンツの専門業者に持って行ってよ」と夫に言うと、彼は別の知人のO氏が外車中古車を扱っていることを思い出し、彼に頼むことに。
すろとO氏は車を見るなり、「僕が買います」と言ってくれたのです!即決です。
それを聞いた私は拍子抜け。でもやっと売れたのでホッとしました。
だけど前に依頼していたS氏が青空でずっと停めていたので、夏の強い日光にさらされダッシュボードの皮がひび割れていたそうで、そのために引き取り価格が10万円は安くなってしまいました。
ますますS氏に怒り心頭ではあるけれど、年内に解決して本当に良かった。
誰かに何かを頼む時には、信頼できる人に頼まなければいけないとわかっているはずなのに、魔が差すということがあるんですね。つい、「いかがわしい」と評判のS氏に頼んだのが間違いだったのでした。

今月はボージョレ・ヌーヴォー。
いつものように友人宅でパーティがありました。これまではエノテカから6本届けてもらっていたのに、今年はその半分だったそう。
病気をしたり、体調に気をつけていたりが案外多くて、いつもほどにはみんな飲まなかったかな?
それでもヌーヴォー以外のワイも空けたので、都合6人で4本。まぁ、イイトコでしょう。これくらいが健康的です。

数十年ぶりの11月の積雪。こちらは20センチ積もりました。でも気温が高かったので融けるのも早く、雪掻きの必要がなかったのは幸いでした。
でも南アルプスも八ヶ岳も真っ白。これは根雪になるのでしょうか?
寒いけれど、雪を頂いた山を見るのは、毎年のことながら美しいです。
寒くなって美味しくなる冬野菜。今年も白菜や大根など頂きました。都会では野菜の値段が高騰しているとかで、ありがたいことです。
東京からの友人にもおすそわけして喜ばれました。

これも恒例、南信州の松川に林檎を買い出しに。
昨年は天候のせいであまり味がパッとしなかたけれど、今年はどうか?
私は林檎が年々好きになります。朝一番の人参ジュースに入れる林檎、お食後の林檎、ちょっと喉が渇いた時の林檎・・
いつ食べてもしみじみと美味しい。
林檎を買った後、いつもなら大鹿村のいつもお世話になる宿で和食のランチを楽しむのですが、今年は飯田まで足を延ばして、一軒家イタリアンでのランチをみんなでしました。
鄙には稀なという感じのちょっと素敵なレストラン。若いご主人がシェフでサービスの奥さんがソムリエ。
ここによく行く友人が一緒だったので、シェフはことさら張り切ってくれたようで、値段にしては高級材料が使われていましたね。

でも食べものって、むつかしいものです。
材料が高いから素晴らしいとは必ずしもならないところがあるんです。
例えば、前菜の後にプリモとして出たサフランのリゾット。今はサフラン摘みの季節なのでサフランはOK、うれしいです。
でもそのリゾットの上に、アワビと鮭が乗かっていたのは、どうも私には納得できない。
だってサフランって味や香りもさることながら、色を楽しむもの。白い皿にリゾットの赤黄色は美しいはず。それなのにその上にあわびと鮭だなんて。。
おご馳走のつもりで奮発したのかもしれませんがtoo muchiです。料理は「プラス」すればいいものではない。「マイナス」の美学もあるはず。
その一皿がなんとも田舎っぽくて興醒めでした。
だけどこのレストラン、いいところもあります。
それはメインが終わってデザートの前に、「シンプルなトマトソースのスパゲッティをお好きなだけ」とサービスしてくれるところです。
大食いの男性だけでなく、女性陣もみんな「お願いします」と頂きました。
これは上手ですよね。
日本のコースの量は少ないですからそれに満足できないと、お客さんは不満を抱えて食事を終えることになります。
その不満を解消するのにこれはもってこい。第一、トマトソースのスパゲッティの値段などなにっほどのこともありません。

私の点字学習は、静音50音までは順調でしたが、濁音、半濁音、拗音、拗濁音、数字が追加されてから、かなりハードルが高くなって難儀をしています。
たった一文字増えただけでどうしてこうも難しくなるのか。
先生は「全然、大丈夫です。誰もがここでちょっとスローになるのです」」と言ってくださるものの、劣等生気分に陥っています。
イトヤマさんの「イッツ・オンリー・トーク」を少しずつ読もうと、点字図書館から借り出したのはいいけれど、最初の1ページに10分かかるしまつ。
こんなんで文芸本が読めるようになるのか。。
まだこれで、アルファベットは出てきていないんだから、先が思いやられます。
だけどそれでも勉強するのは楽しくて、「じゃぁ、辞めます」とはならないのが、しぶといところ。まぁ、のんびり頑張ります。

夫は2日前に誕生日を迎えました。何の感慨もないそうで、今日は昨日の続き、今年は去年の続きという人です。
ランチにちょっと近所のレストランに行ったくらいで、特別のことは何もなし。
お互い元気なのがなによりのプレゼント。
彼はいま、何度目かの小川国夫の「アポロンの島」を読み返しているところ。「アポロンの島」は私たちが大好きな本で、ほとんどの本を処分しようとしているなか、「これはとっておいて」と言っています。

ハッチはかなり酷い捻挫に苦しみました。もともと手足の関節が弱くて、子猫の頃からよく捻挫をしてびっこを引いていたのだけれど、今回はかなり痛そうで、お水とトイレには起きだして行っていたけど、ご飯は食べませんでした。口元まで運んでやると少し食べたくらい。
とにかく「放っておいて」と寝てばかりいて、今回ばかりは心配しました。
やっと回復したのは1週間後。今はたくさん食べて時折走りまわるほどに。
ハッチが19歳の時には、20歳になるのを疑いませんでしたが、いま20歳になったハッチを見ていると、はたして来年8月の21歳の誕生日が迎えられるか不安です。
それくらい毎月毎月、身体能力が衰えています。人間でいうと100歳近いのだから当然といえば当然なのですが、なんとか、ハッチが幸せな晩年をおくることができればと、いろいろネットで調べながら、彼女の改適な毎日をつくってやりたいと、良さそうなことは何でも実行しています。
一人ぼっちにされるのを心細がるので、なるべく長い留守はしないように、どちfらかが家にいるようにしています。
ハッチを見ていると「老いる」ことの大変さと、それを受け入れている動物ん偉大さが感じられ、私の良いお手本となっています。

ミズナラの葉っぱが半分落ちました。いよいよ本格的な冬です。
インフルエンザに負けずに、どうぞ、お元気で今年最後の月をお迎えください!

posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月28日

辻村深月「東京會館とわたし」

東京駅に近い丸の内にある東京會館。
それまで社交というものが貴族など特別な階級のものであったのを、庶民(といっても決して大衆ではないのだが)のための宴会や披露宴などの集まりを目的として作られた。
大正末期に建設さた直後に、関東大震災に罹災した。
昭和になってからは戦争の足音とともに、政府軍部によって使われ、戦後はアメリカに接収された。
東京會館はそうした日本の歴史のずっと見つめてきた場所である。

芥川賞直木賞の受賞記者会見や贈呈式は東京會館で行われる。
直木賞受賞の辻村さんも心躍らせて、東京會館のパーティに出席したことだろう。
そのときからなのか?東京會館を舞台にした小説を書こうと思ったのか?
東京會館に客として集まる人々、東京會館で働く人々・・
時系列に並ぶ東京會館にまつわるエピソードがなんとも素敵で、激動の時代を生きるということの大変さと、それを克服する勇気や達成感が、読む者の心を明るくしてくれる。
ライブラリーで借りて読んでいるので、まだ上巻しか読了していないけれど、一編一編が独立している連作集なので気にはならないが、下巻が待ち遠しいのは言うまでもない。

ヴァイオリニストのクライスラーのコンサートに行くために、故郷金沢からやっとの思いで出て来た文学青年。
彼は東京で文学活動をしていたものの、実家の跡を継ぐために金沢に戻ったのだが、後悔いと忸怩たる念が押し寄せるばかり。
そんなときのクライスラーだった。
聴く前と後での彼の心はどう変化したか・・
(この章には梶井基次郎についての記述もあって面白かったです)。

古いサービス係の男性は民間初の社交場の東京會館に、帝国ホテルからやって来た。ホテルマンとしての腕を買われての転職。
しかし震災後やっと復活した會館は政府の運営となってしまう。
フランス料理の「プルニエ」も閉店。結婚式場の美容室経営者はパーマネント禁止となる。
日本が暗いトンネルに入ろうとする直前の東京會館。

そんな頃にも政府や軍の関係者の結婚披露宴が開かれることがあった。
しかし披露宴で出される料理の材料は、結婚する者の両家が用意しなければ揃わなかった。
それでも東京會館を人生のスタート台とする若いカップル。彼らの未来は・・

やがて敗戦。東京會館ではアメリカ軍の高級将校たちでいっぱいとなっている。
彼らのためにバーではバーテンダーたちが苦手な英語を操りながら、将校たちに軽んじられながら頑張っている。
ある朝、一杯やりながらご機嫌な将校たちの前にあの、マッカーサーがやって来た。
朝から酒とはないごとかと怒っている。
デモバーは朝からオープンだ。なんとか朝のカクテルを楽しんでもらおうと考案したのが「モーニング・フィズ」。
以来「モーニング・フィズ」は東京會館のバーの名物となり・・

菓子職人がパティシェではなくベーカーと呼ばれた時代。
東京會館のベーカー長は経営の方からある依頼を受ける。
それはお持ち帰り用のお菓子を作ってくれとのことだった。しかしそれでは納得できるものが出来ないからと断固拒否。
最終的には作ったのだが、それが思わぬほどの好評で・・

エピソードは東京會館の歴史の長さほどたくさんあることだろう。
それらをフィクションといっても、関係者への緻密な取材を重ねて、辻村深月はこれを描いたのだと思う。
どの章を読んでも、主人公たちがいまにもあの階段を歩き、エレベーターに乗り、フランス料理を食べている場面が目に浮かぶ。

これはまた、仕事をする人間を描く小説集でもある。
下巻が届いているとのメールがあったので、明日そうそうに取に行きます。楽しみ!
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月25日

小倉崇「渋谷の農家」

タイトルに驚いた。渋谷に農地や農家があるの?!
練馬や世田谷や杉並ならいざしらず、あの渋谷に。

地べたの農地ではなかった。
ビルの屋上で野菜を作っているのだった。
「それじゃぁ、家庭菜園じゃない」と言う向きがあるかもしれないが、そうではない。
そうではないところにこの本の著者の矜持がある。

著者は出版社勤務を経て現在は、出版や広告に活躍していて、日本全国の有機野菜を取材する農業ライターでもある。
これまで取材してきた農家の人たちに触発され、かねてより関心の深かった農業を自分でも始めてみようと、渋谷の農家となったのだ。
日照などを考慮して移動できるように大きなプランターに(じっさいには重くてそうは移動できないが)に土をいれ、排水を考え、みんなで野菜を育てている。
都会の真ん中とは思えないほど、生育はよい。
けれどここでも獣害があるんですね。猿やイノシシはいないけど、カラスやネズミにごっそり作物をやられることがある。

しかしこの本のメインは著者の畑だけではなく、日本全国で頑張っている農家の人々が紹介されていることだ。
作るのは有機栽培での、米、野菜、オリーブ、麻、ニンニク、リモーネ(レモン)などなど。
面白いのは彼らの大多数が根っからの農業ではないこと。人生半ばから農業を始めた人たちなのである。
生れ育った地、移住した地・・選択はそれぞれだが、みんな有機栽培や自然農法に取り組んでいる。

でも大変だ。
成功している場合もあるが、農業だけで一家を成すのは困難なようで、なかには農業での収入は一カ月4〜5万円にしかならず、道路工事などのアルバイトや奥さんの仕事で助けられている場合もあるようだ。
それはそうだろう、と思う。
だって昔から東北などの農家の人たちは農業だけで食べていけないから、冬の間に都会に出稼ぎに行ったのだもの。

私にとって興味ある記述があった。
神奈川県の藤野という小さな町がある。、中央道に藤野ICがあるのでご存知の方もいるだろう。
西に向かって車を走らせていると、左の山にハートマークのついた封筒の看板が大きく見えてくる。
藤野はアーティストが多く住む町として有名なのだが、そもそも戦時中に、藤田嗣治や猪熊弦一郎らが疎開していて、シュタイナー学校などもあるような自由な雰囲気の町なのだ。
東日本大震災直後には、東京電力に頼らず、電気を自給自足しようという「藤野電力」を有志で立ち上げたことでも知られている。
私も当時その記事を見て、ネットで調べたことがある。ユニークな集落だなと羨ましかった。
著者の友人がここで農業を始めたのだそうだ。

最近は農業をしてみようという人たちが増えている。
私の住むここ八ヶ岳南麓にも3・11以降、若い家族が農業をするために移住してきている。
限界集落が多くて、耕されなくなった田んぼや畑を借りて、有機栽培に取り組んでいる。
私の家の下にも、今年の春から若い農業グループがそうした畑を借りて頑張っているようだ。
「どこかこの集落に、古家を貸してくれるところはありませんか?」と訊かれるが、ないんですよね。あってもなかなか地元の人は貸したがらない意。
そのグループの人たちはどこから畑をしに、やって来ているのだろう?

男性たちだけではない。最近では「農業女子」がずいぶんたくさんいて、私が毎日食べている無農薬玄米も、3人の女性が共同で作っているものだ。
彼女たちの生活が農業だけで成り立っていけるように、できるだけの応援をしてあげたいと、その玄米の美味しさを友人たちに宣伝しているが、みんな一度食べるとその美味しさに、リピーターになっている。

食べものを自分で作る人間は「強い」。
これほど強いことはないと思う。何が起こっても大丈夫の、根源の強さを持っている。
食料自給率が高い国こそが、本当の文化国家だと私は考えている。
「渋谷の農家」、いいですね!
posted by 北杜の星 at 08:02| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月23日

綿矢りさ「てのひらの京」

これまでこうも京都びっしりの綿矢りさがあっただろうか。
京都生まれの彼女にしては小説の舞台は京都ではなかったような気がする。
これはまるで離れた京都を懐かしむように、京都一色。

三姉妹の京の日常がが描かれる。
子どもがほしい、でもその前に結婚しなきゃ、の長女の綾香。
気の強い恋愛体質の次女羽依。
京都を離れて東京で就職したい大学院生の三女の凛。
彼女たちの京都の春夏秋冬。

彼女たちの母親は父親が定年になったときに、自分も「主婦定年宣言」をして、お客さまとかイベントの時など「趣味」程度でしか料理をしなくなった。
なので普段の夕食は三姉妹の当番制となった。
こういうお母さん、好きだな。
当番制ではあるけれど、羽依も凛も料理を敬遠していて、綾香の担当となることが多いようだ。

まるで京都の観光案内みたいなところがある。
祇園祭、大文字焼き、貴船、府立植物園(ここ、なかなかいいんですよ)・・
でも京都以外の人にとっては観光的かもしれないが、ここに住み、小さい時からこれが日常の人はいるのだ。
ということがしみじみ、わかる小説でもある。

京都案内でもっともおかしかったのが、「伝統芸能」である京都の「いけず」に関する記述。
「いけず」って「芸」なのか。。
「いけず」とは意地悪のことなのだが、京の「いけず」はちょっと陰湿。
聞こえるか聞こえないかくらいの底意地の悪い言葉を、相手の背中でささやきかける。
ほのめかし、あてこすり、嫌味・・
ふつうはそれらは聞かなかったふりをして耐えるのだが、気の強い羽依は真向から立ち向かう。
なんだか拍手喝さいを送りたくなるが、こういうストレートなひとは、京都では生きにくいだろうなと思う。
私の知人にも「いけず」女性がいる。
彼女のあてこすりを、でも私は、面白がって観察しているところがあるので、私の方が「ひとが悪い」のかも知らない。
それでも時にはこちらの機嫌の悪いときには、羽依のように啖呵を切ってしまうことがある。
つくづく短気で人間のできていない私なんですね。
だけど綿矢りさは「いけず」は京女の専売特許ではなく、京男の「いけず」もなかなかのものだと書いている。

こういうふうに、京都を愛しながらも、京都の欠点を揶揄気味に書いているところが面白い。
それにしても「あれ?」と感じたのは、京都弁って耳で聞くと「はんなり」「しっとり」柔らかいののだけど、文字で書くと結構コテコテ。
関西弁とひとくくりにされてもおかしくないほどのコテコテさなのだ。
どうして耳から入ると、あんなにやさしいそうに聞こえるんだろう?
私は数年関西に住んだので、京都、神戸、大阪、和歌山、滋賀と、それぞれのニュアンスの違いはわかっているつもりだったけど、話言葉ではなく、書き言葉での「近さ」には気づいていなかったのかもしれない。

大観光地の京都だけど、そこに住むひとたちにとっての自分たちだけの祇園祭も大文字焼きもあるんだなと、他所の人間んたちが邪魔しているような申し訳ない気持ちになる。
祭りとは本来、そこに住むひとのためのものなんですよね。
観光のためではなくて、祈りが込められたものなのだと思う。
綾香、羽依、凛の三姉妹の祈りと願いがどうなるのか。。
posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月22日

リタ・ポーレ「1週間でごっそり捨てる技術」

「捨てる」本をこれまで何冊読んだだろうか?
もしこれらの本を買っていたとしたらそれだけで本棚にかなりの冊数が並ぶに違いない。
でも私はライブラリーから借りているので大丈夫。モノは増えない。

これまでは日本人の主婦やミニマリストたちの「捨てる」本だったが、今回はドイツ人出インテリア・デザイナーが書いたもの。
日本と外国では「捨てる」技術の差があるのかどうか?
ドイツの家なら不要なモノはあまりないような気がするし、家の中はきちんと整理整頓され清潔だと思うのだけど、どうやらそうでもないらしい。
マテリアル・ワールドはそれこそワールドワイド。
どこの国も同じみた。

「捨てる」ためにはまず「捨てる決意」が必要だが、それだけでは捨てられないんですね。
やはりそこには捨てるための技術が必要のようだ。
・何かを家に持ち込んだら、何かを捨てる。
・毎日、何かを捨てる。
・何かを買おうとうするときには、これが本当に必要かどうか考える。
・自分とパートナーのテリトリーを明確に分けておく。(自分のモノは捨てても、ひとのモノは捨ててはいけないとあるが、うーん、でもね、ひとのモノってすごーく邪魔なんですよね。「これ本当に要るのかしらん?というものだらけで目につくんですよね。

著者はモノだけを捨てよというのではない。
「ひと」をも捨てようと提案するのだ。
たしかに、疎遠になった友人っている。そんな人にも年賀状は出したりとかするけど、そういう関係をばっさり切り捨てようと言うのだ。
これはある意味正しいと思う。
もうアドレス帳から名前や住所を消していい人って、案外たくさんいるよね。
きっと向こうだって同じようにおもっているはず。

こういう本を何冊も読んだおかげで、今年の私たち夫婦はドンドンとモノを減らすことができている。
洋書の建築やインテリア雑誌は買った時はすごく高くても、古本屋に持って行ってもたいした額にはならない。けれど一冊一冊とばらばらに友人に持って帰ってもらうのではいつまでたってもなくならない。
それで、ある建築関係の事務所に数十冊のそれらの本をすべてプレゼントしたのだ。
その事務所にとってはお洒落な「飾り」となったし、スタッフが時間のある時にパラパラと見れば、お勉強にもなる。

結婚したばかりの若い知人に、お鍋を貰ってほしいと言ったら、とても喜んでくれたので、柳宗理デザインのパスタ鍋と、amwayのステンレス5層の大鍋と小鍋を差し上げた。
台所の鍋ラックにスペースができて、他の鍋がずいぶん取り出しやすくなってうれしい。
圧力鍋も二つあって、どちらか片方処分したいのだが、一つは玄米専用、一つは豆や煮込み用と用途が分かれているので、処分はむつかしいかも。。

それから衣類も春からこの秋の衣替えで、衣装箱4つを処分した。もちろん衣装箱に入っていた4箱分の服も処分。
同じようなパンツを何本も持つ必要はないと割り切ったし、一年に一度くらいしか着ないものも捨てた。下着もそう何組もいらないので、最小限を残して捨てた。
夫もどんどん捨ててくれたので、ワードローブはかなり減って大満足。
あとは着物だが、これも数年の内には5枚と帯5本を残してて、友人にもらってもらうつもりでいる。

問題は食器だ。骨董の食器がかなりある。
捨てるには高価すぎる。かといって骨董屋に持ち込むのも面倒くさいしなぁ。欲しくて使ってくれる友人に差し上げたいと考えている。
絵画もあるなぁ。この行き先が一番悩ましい。

この本の訳者である畔上司氏もこれを読んでCDとか捨てたと、あとがきに書いてあった。
そうするとスペースがきれいになったばかりでなく、「私自身の心からも『お荷物』が減ったのだ」そうだ。
リタ・ポーレ三はインテリア・デザイナーとして外部空間(建物や部屋など)だけでなく、内部空間(精神世界)の両方を専門としている人だそうで、モノを減らすことが、「気」を良くし、その場のエネルギーを強めると書いている。
まだ完全にそれを実感できているわけではないけれど、気分は悪くないし、なんだかモノが少なくって部屋にスペースができるのは、爽やかな感じがする。

オランダのアーユルヴェーダ大学で研修をした知人が面白いことを言っていた。
アーユルヴェーダーにおいては体質をヴァータ、ピッタ、カファに三分別されるが、モノを貯め込む傾向の人は太りやすく、その体質を矯正するためには、モノを捨てさせることがあるそうだ。

うーん、まだまだ捨てるぞぉ!
posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする