2016年08月24日

サラーム海上「メイハネで中東料理パーティ」

NHKFMに「音楽世界遊覧飛行」という番組がある。
数人のパーソナリティが交代でそれぞれ得意の分野を語り、音楽を紹介するものだ。
そのなかで私たち夫婦が一番楽しみにしているのが、このサラーム海上さん。
落ち着いた静かな彼の語りとエキゾティックな食べものと音楽に、「これはどんな食べものなのかしらね?」「一言も言葉がわからないけど、なんかこの歌いいよね」と言い合いながら聴いている。
そのサラーム海上さんの本をライブラリーで見つけた!

タイトルにある「メイハネ」とはトルコ語で居酒屋のことだそうだ。
サラーム海上さんが初めての海外旅行で訪れたのがモロッコ。次がトルコだった。
人って最初に行った外国に強い印象をもつものだけどサラームさんもきっとそうだったのだろう。
他にもいろんな国々を訪れているが中東にすっかり魅せられ、その味や音楽が彼の日常となった。
音楽評論家、DJ、中東料理研究家として活躍。
彼はレストランやイベントにおいて30人程度の出張料理もひきうけているそうだ。

この本に並ぶ料理のカラフルなこと!
トマト、茄子、インゲン豆、じゃがいも、玉ねぎ、アボカド、ぶどう・・
日本でもたやすく入手できる材料。オリーブオイルを多用するがそれだっていまの日本では普通となっている。
ただハーブやスパイスがちょっと違って、ミントやイタリアンパセリや青唐辛子などがキリリと味を引き締めている。
スパイシーなものもあるがほとんどイタリア料理というか地中海料理っぽい。
私がこの本の料理で気にいったところは、なんといっても料理にパワーが感じられることだ。
チマチマしていない。こねくりまわしてない。変に飾り立ててない。食材が食材としてお皿から香がたちこめているのがわかる。
料理とは野菜や肉の生命を頂くということ。だからパワーがもっとも大切だと私は考えるのだが、サラームさんの料理にはその生命があるんですね。
いいなぁ、こんな料理を食べるときっと元気になれる!

中東を知らない私。
トルコにしか行ったことがない。それも初めてのツアー旅行での10日間。トルコは広大な国だしトルコ語がわからないからツアーにしたのだけど、若かったら個人旅行してたと思う。
決められた食事は不味くはなかったものの、世界三大料理の一つとされるトルコ料理がこんなものではないはずと、食べながら思っていた。
この本を参考に一つずつ作ってみよう。日本流じゃない中東料理が食べられそうだ。
東京でトルコ料理のレストランにも何回か行ったがやはり「こんなもんじゃないんじゃないか」という抑えきれない気持ちがずっとあったのだ。
サラームさんお勧めのCDを手に入れるまで、料理を食べながらアルジェリアの歌手のシェブ・マミの歌を聴くことにしよう。
この本、ライブラリーに返却したら、購入します!

ムスリムではハラルした食材を使う。ハラルとはムスリムの教えに従って処理(修治と日本語ではいうのかな?)すること。
本の後ろにはハラルされた食品やハーブ類が購入できる店が紹介されている。(現在ではネットでも入手可能)。
イタリアンやネパールカレーの他にも、中東料理が我が家の定番お客様料理になる日も近いかも。
ホントにホントに、美味しそうなんですよ、中東料理!

ところで少し意外だったのが本に載っているサラーム海上さんの写真のお顔。
ラジオのソフトなお声から想像するのと違って、すごーくタフそう。
でもまぁ、そりゃそうですよね。中東やアジアなどをメインに旅する人だもの、ヤワなわけないですよね。
これからそのお顔を思い浮かべながら、番組を楽しみましょう。
posted by 北杜の星 at 07:29| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月23日

吉田篤弘「台所のラジオ」

12の短編をゆるやかにつなぐものがあるとすればそれは、台所のラジオ。
人生で足踏み状態の人たちの肩をそっと押してくれるこの短編集には、いつもの吉田篤弘らしいあたたかさがみちている。
台所のラジオというなんだかレトロっぽい雰囲気にぴったりの文章が、とても素敵だ。

でも、でも、私はあえて吉田さん二苦言を呈したいのです。
決して嫌いな作家さんではない。むしろ彼の小説がへこんだ心に作用して元気になったことだってある。
だけど、なんといえばいいんだろ?
私には、吉田篤弘という人はもっともっと骨の太いものが書けるのじゃないかと、ずっと思っているんです。

本職の装丁家としてのセンス、小説家としての文章・・どちらも本当に素晴らしい。
それでも、小説に関してはどこか食い足らない。吉田篤弘の力量はこんなもんじゃないでしょ、と思うからだ。
彼の小説、悪くないんですよ。全然悪くない。
だけど表層的というか、上っ面をさらりと撫ぜただけって印象があって、読後感はいいんだけど、後から思いだすと何も思いだせない。
空気感が伝わってくるだけ。
もったいないなぁ。

・・これはけっして悪口ではないのです。期待しているんです。
この「台所のラジオ」はタイトルどおりの雰囲気がどの小説にも流れていて、好きだった。

要はもうちょっと、「ガツン」が欲しいだけ。
もっともあまり「ガツン」だと吉田篤弘じゃなくなるというファンもいるでしょうけどね。

posted by 北杜の星 at 07:35| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月22日

篠原悠希「狩猟家族」

就職浪人の遼平はニュージーランドの山中で迷っていたろころに、ライフルを持つ少女とその父親に出会った。
彼は彼らの家に泊めてもらい、翌日は彼とともにうさぎ狩りに出かけた。
ライフルの撃ち方を教わり、始末の仕方を習った。彼らは隣のグレタの牧場を手伝うことで家を安く借りているらしい。そ家には少女の姉もいたが、彼女はオタクで狩りはしない。
彼女たちの母親は日本人のようだが、彼らと一緒にはいなかった。
遼平はグレタの家にホームステイすることになった。。

ニュージーランドでの「狩猟」について、細かく取材している。
その狩猟は「趣味」のハンティングではなく、「食べるため」または農作物を守るためである。
もし作者が「狩猟」だけを書きたいのだったら、ノンフィクションでよかったと思うが、これは小説仕立てとなっている。
小説にしたのには作者の書きたいことがニュージーランドの「狩猟」のみに限らなかったからだろう。

作者は生きるために狩りをすることを頭では理解しても、やはりそこは日本人。
無宗教であっても日本人のDNAに組みこまれている仏教の「不殺生」に、どこか縛られているのかもしれない。
父娘のようにスッパリとは割り切れない気持ちを抱いている。

生きものを殺すということ、野生の動物はペットとどこが違うのか・・
遼平は彼らと暮らすことで、自分との違いを少しずつ埋めようとする。
彼自身の家庭の問題もからまって、彼はだんだん「世界」を知り、大人になってゆく。

冒険小説でもあり、青春小説でもあり、成長小説でもあるこの本、なかなか読ませます。
そして読む間、こちらもいろんなことを考えさせられます。
作者はニュージーランド在住とか。
ニュージーfランドを一度も訪れたことのない私には、本のなかの自然に驚いた。ニュージーランドってそんなに自然の土地なのか。
これはニュージーランドでも南島が舞台だそうだ。
ずっと前のことになるが私の友人と一緒に車山高原をドライブした時に、時々ニュージーランドに遊びに行っている彼女が、「ここってニュージーランドみたい」と言った。
「えー、そうなの?!」と意外だったのはニュージーランドは平坦な島というイメージがあったため、車山のような山とか高原というのが腑に落ちなかったのだ。
でもこれを読んでわかった。しっかりした山もあるんですね。
そこには別の私の友人が毎年冬を過ごすクィーンズタウンのゴルフ場とはまったく違う顔があって、ワイルドな生活がある。
ほんの数十年前の日本もそうだったように。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月19日

池澤夏樹「沖縄への短い帰還」

池澤夏樹は1994年から2004年まで沖縄に住んだ。
最初は那覇、それから知念村に移住。二人の娘は沖縄で生れている。
この本は「沖縄に入れあげ」た彼が沖縄について沖縄から発信した文章(単行本のなかに収録sれていない)を集めたもの。
読んだ文章もところどころにあったがあらためてこれを読むと、池澤夏樹の沖縄への強い愛情が感じられる。
彼は自分のことを「帰りそびれた観光客」と呼び、半分は県民、半分は特派員として、沖縄を本土に紹介してきた。
沖縄の自然、言葉、音楽、人々、食べもの・・すべてが池澤夏樹を惹きつけていたようだ。

あの当時、沖縄に住むことはちょっとしたブームだったと思う。
いろんな有名人が沖縄に移住していた。(いまはどうなのだろう?本土に戻った人もいれば今も沖縄に住み続けている人もいるのだろうけれど)。
ただご存じのように沖縄には米軍基地がある。辺野古問題は揺れに揺れている。いいことばかりではない。
沖縄に住むということはこの問題を抜きにしては何も語らないのと同じこと。
池澤夏樹もこれに関してはいろいろ発言してきている。

これは私も東京を離れて山梨に住むようになり強く感じているのだが、日本って本当に中央集権なんですよね。
なにもかもが東京中心。日本の他の場所はすべてある意味東京の犠牲になっているところがある。(福島第一原発の事故がいい例)。
池澤夏樹も沖縄という「僻地」に住んでそのことを痛感している。
沖縄の歴史に深いシンパシーを持つとなおさらだ。

池澤夏樹の文章もだが、沖縄について書かれた書籍の彼の書評も興味深い。
彼は書評家としてもとてもすぐれているので読み応えがあるだけでなく、「この本、読んでみたい」と思わせる説得力がある。

もともと池澤夏樹は「旅するひと」だ。
若いころは南太平洋に通いつめたし、30歳からはギリシャに住んだ。(テオ・アンゲロプロス監督の映画は池澤の訳だ)。
作家という職業はどこでもできる。ましてや現在のようにネットの繋がりがあれば、世界のどこであっても仕事はたやすい。
そうして「旅するひと」は「入れあげ」た沖縄に住むことにしたのだ。
それは東京での暮らし、レストランの世界中からの贅沢な食材を使った料理や、浮かれた喧騒に飽き飽きしたからでもある。
知念村にはそういうレストランはないが、日常的に普段やお客様のときに料理をする彼には地元の野菜も魚も豚肉も素晴らしいものだったようだ。
ちなみにタコライスを本土に周知させたのは彼の貢献が大きかったよう。

その池澤夏樹が沖縄を離れ、フランスに移住。5年間をパリ郊外のフォンテーヌブローで過ごすこととなったのはやはり彼が「旅するひと」だからかもしれない。
沖縄での特派員としての役目は終わったと感じたこともあるだろうが、二人の娘の教育を日本で受けさせたくはなかったという理由もあるという。
幼稚園の頃はまだしも小学校での教育は上意下達、みんな右に倣え・・そういうふうに画一的な人間に育てたくなかったのだろう。
彼の現在の奥さんはパリに長く住んでいたのでフランス語ができることも強みだったはず。(もっとも池澤夏樹は語学の習得が素晴らしく速いひとなのだけど)。

「沖縄への短い帰還」
沖縄の人たちはきっと池澤夏樹に戻ってきて、また自分たちと泡盛を飲みながら一緒に語りあいたいと願っている。
沖縄とは真反対の北海道住まいなのかな?いまは。。
「旅をするひと」はいろんな場所に「還るひと」でもありえる。それはうらやましいことだ。
posted by 北杜の星 at 07:01| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月17日

多田俊哉「そのオリーブオイルは偽物です」

オリーブオイルの消費が日本でずいぶん増えているが、これは日本だけでなくアメリカや韓国それに中国などでも需要が伸びているそうだ。
オリーブオイルにはエキストラ・ヴァージンとそうでないオイルがある。
エキストラ・ヴァージンの方に偽装が多いとは、ここ数年知られるようになった。
なぜなのか?
イタリアの南部プーリア州に旅行した時、見渡す限りずーっとずーっとオリーブ畑だった。
あんなにオリーブの樹があっても足りないのか?と不思議に感じるのだけれど、世界中で消費されれば、そりゃぁ足りなくなるのかも。

値段の高い、「有機」とラベルに書いてあっても、信用ならない。
この本の副題は「値段が高くても本物はごくわずか」とあるのだ。
トルコあたりから安価なひまわり油を輸入して混ぜる手口。
緑色で香がいいのが「本物」とは言えない。色も香も科学的に添加できるのだから。
偽装のための技術はどんどん進んでいて、そんな開発努力をするくらいなら、本物を売る努力をするほうがラクなように思えるが、儲けのためには悪い人間はどんなことでもするのでしょうね。
値段を高くして売るエキストラ・ヴァージンに細工するほうが利益率が高いと言うから、何を信じていいのかわからなくなる。

この本の著者はこよなくオリーブオイルを愛する人だ。
日本人に本物の質の高いオリーブ・オイルを知り、使ってほしいと願って「日本オリーブオイルソムリエ協会」を立ち上げた理事長。
彼がどのように安全安心なオリーブ・オイルを選べばいいかを教えてくれるのがこの本だ。

まず、大きな工場で生産されるメーカー、例えばイタリアの「ベルトーリ」や「カラベッリ」は(どちらもスーパーの棚でよく見かけますよね)名指しで「偽装」と書かれている。
まぁ、こうした安いものには手を出さないとしても、JAS規格と書かれていても信用してはいけないそうだ。
なぜならJASにはオリーブオイルに関する基準がまったくないから。
ますます消費者泣かせですよね。
イタリアでは偽物を取り締まる役人が業者と結託していることもあるというから絶望的だ。

もっとも信頼できるのは「生産者の顔が見える」ものを選ぶこと。
つまりワインと同じで「銘柄」に注意して買うとよいらしい。
ちなみに私があるイタリア食材専門店から買っているのは、その店の店長が自らイタリアに行ってオリーブ畑を視察し、栽培と生産を行う畑主から輸入しているものだ。
値段は500mlで2700円。
安くはないが最高級品の値段ではない。(ラウデミオなどは6000円するし、ラウデミオ以外にも素晴らしいオイルはそれくらいするのがたくさんある)。
(イタリアでも本物のエキストラ・ヴァージンは高いです)。
消費量の多い我が家で選べる最上のものを選んでいるつもりなのだが、これはもう、そのイタリア食材店を信頼するしかない。

イタリアン・レストランでも本物のオイルを知らないシェフやサービスの人が多いそうで、レストランのテーブルに置いてあるオイルのほとんどがヒドイものだと著者は書いている。
オイルについて勉強していないのだ。
この本の終わりには「日本オリーブオイルソムリエ協会」主催の「OLIVE JAPAN」で賞をとったオイルとそれを売っている店が紹介されているので、確かなオイルを求めたい人は参考にしてください。

イタリアに居た頃に、夫が働いていた設計事務所のボスの庭には古いオリーブの樹がまるでジャングルのようにたくさんあった。
秋になると地方から渡り職人がやって来て実を収穫していたそうだ。実はすぐに近所の圧搾所に運ばれてエキストラ・ヴァージン・オイルとなっていた。
濾す場合も濾さない場合もあるけれど、あれぞまさしく「本物」だったのだ。
そのボスの家ではオイルだけでなくワインも自分の庭で採れたぶどうから作っていた。
ああいう暮らしがまだあるのがイタリアだと思いたい。

オイル・ソムリエ協会で賞を獲得しているのは、スペインのものも多いです。
今度試してみたいです。
posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月16日

原田ひ香「虫たちの家」

原田ひ香は「はじまらないティータイム」が大好きで、以来ずっと気になって読んできた。
でも本当に気になるのはその「ひ香」という名前かもしれない。
駄洒落じゃないけど、なーんか、ひっかかるんですよね。

ネットで傷つけられ、仕事や居場所や家族さえも失った女性たちが棲む「虫たちの家」は九州の離島にある。
そこでは女性たちがお互いに本名を明かさず、テントウムシ。ミミズ。オオムラサキと呼び合って、畑仕事をしながら静かに暮らしている。
虫たちの家を創立したのはマリアという年配の女性だ。
その虫たちの家にある日本土から母娘がやって来た
高校生の娘はアゲハ、母親はミツバチと呼ばれるようになった。
アゲハはボーイフレンドにあられもない写真をネットでばらまかれたうえ、母ともども刺されて、それは刑事事件になって日本中に知られることになった。
マリアはそんな身を潜めたい彼女たちを「虫たちの家」に迎えたのだった。

しかしアゲハは奔放で、島の男たちの気をひくことになる。
「虫たちの家」が唯一の居場所であるテントウムシにとって、アゲハの行動は見過ごすわけにはいかない。。

・・というストーリーに並行して、一人の女の子の幼いころの両親との海外生活が描かれているのだが、最後のほうにきて「えーっ、この女の子はあのあの女の子だったの!」と驚く展開になる。
これってほとんど、ミステリー?
これまでの原田ひ香にはない趣です。

テントウムシやアゲハはよく描かれているのだが、アゲハの母がちょっと弱いかな。
それとマリアがもっと訳ありかと想像しながら読んだのだけど、アッサリし過ぎで終わってしまった感じで物足りない。
引っ張られたわりには肩透かし。

ネットで傷つく人は多い。
とくにネットで住所や名前を出されて中傷されると立ち直れなくなってしまう。
それは犯罪だと思う。
悪いのは傷ついた人たちではないはずなのに、家族さえも守ってくれないとしたら、なんて不幸なんだろう。
テントウムシたちの悲しみはそこにある。。
posted by 北杜の星 at 07:32| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月15日

桶野興夫「がん哲学外来へようこそ」

日本人の二人に一人がかかるといわれる癌。
それほど多い病気になっているにもかかわらず、癌を告知されると他の病気とは大いに違う反応をしてしまう。
患者本人だけでなく患者の家族も周囲の人たちも、平静ではいられない。
癌になったからこその苦しみや悩みがある。

どんなに先進医療が受けられても、「正しい選択をしているのか?」という疑問を持つ患者がいる。
セコンド・オピニオンを受けるだけではどこか不安で納得できない。そんな悩み。
会社だけでなく家族との人間関係の変化に苦しむ患者もいる。
お互い気を遣いすぎて疲れてしまったり、無理解な夫やお節介過ぎてうるさい妻などへの不満。
残り少ない時間をどう生きればよいのかという焦り。

誰にも言えないことを「がん哲学外来」でお茶を飲みながら話し、話をじっくり聴いてもらう。
来た時の暗い顔が明るくなって帰って行く。
そんな「外来」があればどんなにいいことか・・という癌患者や家族の希望をかなえたのが桶野先生の「がん哲学外来」だ。
30分から1時間、じっくり向き合う。
しかも無料なのだ。
たくさんの人たちが押し寄せるのもわかろうというもの。

桶野先生は現在、順天堂大学の病理の教授だ。
元は(現在は有明に移ったが、以前大塚にあった癌研の病理の先生だった。
桶野先生は医学部卒業後一度は臨床医を目指したが、対人関係が苦手で病理に移ったという。
(癌研の病理は日本一優秀で、今はどうか知らないが国立がんセンターで判断付けかねる組織を癌研の病理へ持って行っていたときいたことがある。)
そんな話し下手の先生がなぜ?というのはこの本でよんでもらうとして、つくづく、癌患者の悩みは人それぞれなのだと痛感する。
それはまさしく癌という病気そのものの性格のようだ。

癌は外部からのウィルスや菌ではない。自分の正常細胞がなんらかの原因で遺伝子を傷つけられて変異したもので、増殖を止めない、アポトーシスしない、とてもやっかいな細胞が癌なのである。
だから癌という病気は個性豊か。同じ胃がんであってもまったく違う経緯をたどることが多いという。
だからこそ、苦しみや悩みも人それぞれなのだろう。

桶野先生はこうした「がん哲学外来」では、なにも医師でなくてもかまわないと思うと書いているが、医師だから患者さんは安心できるのだ。
普通の服を着て、お茶を飲みながらリラックスして前に坐って話を聞いてくれるのが、癌を知りつくした医師だからこそ、何でも話す気持ちになれるのではないだろうか。
ここで桶野先生は南原繁、新渡戸稲造、内村鑑三など先人たちの言葉を伝えることもあるという。
南原繁のことは予備校生のときに予備校の先生から教えられ、またその先生自身から「将来、自分が専門とする分野以外の本を、寝る前に三十分読む習慣をみにつけなさい」と云われたのことも頭に残っているそうだ。
そうした積み重ねが「がん哲学外来」の誕生の基本となっているのだろうか。
といっても、桶野先生は全然、上から目線ではありません!

東京のみならず日本全国から「がん哲学外来」にやって来ます。
興味のある方は「がん哲学外来メディカル・カフェ」で検索してみてください。
現在「がん哲学外来」は一般社団法人で、桶野先生はその理事長です。
posted by 北杜の星 at 07:39| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月12日

安西巧「広島はすごい」

日本経済新聞広島支局長となった著者が、着任後一年で書いたこの本、広島大好き人間の私にはとてもうれしいのだが、「コソバユサ」がないでもない。
だって過大評価じゃない?と思われる個所が多々あるからだ。住んで一念で時期尚早では?と心配してしまう。
安西さんはきっと、前世かご先祖さまが広島だったのだろう。

最後に広島を訪れたのが2年前。
原爆ドームと厳島神社という二つのユネスコ世界遺産があるのが理由なのか、ものすごい外国人観光客だった。
私が泊ったホテルにはポーランドからのツアー団体が泊っていた。
そのときに感じたのは、「広島は明るくなった」ということ。
中心部は相変わらず緑は多くはないものの、美しく整備され清潔感いっぱいだった。
そして広島の人々の親切で優しい印象はなによりもうれしかった。
このやさしさはつまりは、余裕ということかもしれない。
(私の東京の友人が広島観光で宇品へ行こうと、電車の行き先を停留所で訊ねたら、その中年女性は「宇品なんか行っても何にもないよ、かわりに市美術館に行きんさい」と教えてくれたそうだ。その「おせっかいさ」こそが広島女。まるでラテンの国の人みたいに黙っていられない)。

地方再生が云われて久しいが、成功しているところがそう多くない。街の中心部がシャッター通りという地方都市も多い。私の住む山梨県甲府市もそうで、これが県庁所在地なの?というくらい悲しい光景なのだ。
けれど広島には活気がある。
その理由としては、広島の街に中心性があることだと思う。悪く云えば街に広がりがないということでもあるのだが、東京のように大きなターミナル駅ごとに繁華街があるのではなく(渋谷、新宿、池袋、東京駅に近い日本橋や銀座など)、賑わう場所が一つというのがいいのだと思う。
そう、街のサイズがちょうどいいのだ。旧市内の東から西まで徒歩で歩けるサイズ。

この本に書いてあるように、広島の人口は日本で10番目。
中四国地方でもっとも大きな街だが「都会」というイメージはなく、あくまで「地方都市」。
それがまた心地よい。

著者は広島人の特徴を「群れない、媚びない、靡かない」と書いている。
うーん、そうかな。そうかも。。
反骨心はけっこうあるようだし、成功してもどこまでも「イケイケ」になるのではなく、欲がないというのも、そう感じる。

この本で面白いことに気づかされた。
それは倒幕が長州人によって為されたのは事実だが、しかしそれら長州人は広島の毛利が関ヶ原後に山口に移藩されたのであって、彼らのメンタリティは広島人だったのだということ。
そう言われればそうだよね。
広島の人たちは今でも、浅野のお殿様よりも毛利の方が好きみたいだ。

これは知らない人が多いのだが、パンの「アンデルセン」は広島の企業。
かっぱエビセンのカルビーもそう。
それと家電量販店の「EDEON」も本店は広島だそう。
「アンデルセン」は私が幼いころは「高木のパン屋さん」だった。現在のようにトレイにトングでセルフサービスでパンを買うシステムを日本で最初に考えたのが「アンデルセン」だ。
パンん冷凍技術の特許を持ちながらも、ライバルの同業他社に惜しげもなく解放したのは、パンの市場を広げるためだったそう。
広島に行くことがあったら是非、本通り商店街にある「アンデルセン」に行ってみてほしい。
爆心地から400メートルくらいなのに、旧帝国銀行だった石造りの建物は残ったのだ。それを買い取りバンケットホールやイートインが併設されたショップとなっているものだが、被災地ヒロシマにとってはとても大切な建物なのである。

もちろん広島でもっとも大きな企業は、マツダだ。
マツダの景気が悪いと広島全体の士気が上がらない。その意味で最近のマツダは好調で、広島が明るいのはそのいい影響なのだろう。
それと今年の広島カープ!
いつもは5月の鯉幟りの季節が終わるとポシャるのに、今年はスゴイですねぇ。ぶっちぎりの首位ですよ!
なんとかこのまま走りきってほしいものです。

「広島はすごい」。
都会の亜流にならないように、いつまでも地方都市の良さを持ち続けてほしいです。
posted by 北杜の星 at 07:09| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月10日

柳美里「ねこのおうち」

NHKの岩合さんの世界猫歩きの番組が火をつけたのか、最近はすごい猫ブーム。
猫好きな私はそれはそれで嬉しいのだが心配もある。
ブームに乗って飼い始めたはいいが、事情が変わって飼えなくなった時には、たくさんの猫たちはどうなってしまうのだろう?と危惧するからだ。
犬を捨てるひとがいるが、猫はもっと捨てやすい生きものなんですよね。だから心配。

この「ねこのおうち」にもそうした捨てられた猫たちが描かれている。
まず、ある夫婦に飼われているチンチラが家出した一時期に野良猫と交尾し生れた雑種の猫が捨てられる。まだピンクのネズミみたいな生れたて。
でもやさしいおばあさんに拾われてミーコと名付けかわいがられる。いつもおばあさんと一緒。ミーコもおばあさんもとても幸せそうだ。
しかし蜜月は続かない。おばあさんが認知症となって子どもたちがどこかへ連れて行ってしまったのだ。
ミーコは再び公園で野良猫となり、そこで6匹の子猫を産むものの、猫嫌いの人に毒まんじゅうを仕掛けられて死んでしまう。
公園に残された子猫たち・・

登校拒否の引きこもりの女子高校生。
一人暮らしの若い男性。
離婚し夜の仕事をする母と一緒の男の子。
癌で死を告知された妻と彼女に寄りそう夫。
老人ホーム。

猫はそこにいるだけで、大きな慰めとなる。何にもしなくていい。ただそこにいてくれるだけでいい。
人間だとそうはいかない。
何もしない、役に立たないと、文句の一つも言いたくなる。
猫に話す声はだれもが甘いが、配偶者にそんな声はとうてい出せない。(出すと気持ち悪い)

猫は犬とはなにかが違う。同じペットという生きものとして見ても、猫と犬は絶対違うのだ。
犬は飼い主とその家族の「役に立とう」と健気に自分で勉めているいるところがある。自分の役割を果たそうとするように。
でも猫は猫であることが存在の全部。猫でいることが役割なのだ。
猫は猫でいるだけで完結している。
あのサイズも人間が触れるのにちょうどいいし、あの毛の柔らかさ、からだのあたたかさもいい。
癒されるという言葉はあまりに多用されすぎて好きな言葉ではないから使いたくないけれど、猫は本当に癒され慰めになる生きものだ。

それにしても柳美里がこんな胸がキュンとなる小説を書くなんて意外だった。
どこかヒリヒリ痛くて、東由多加の闘病三部作は読んでいられないほど緊張したものだ。
彼女の生活がそれなりに落ち着いてきたのだろうか。
生きにくい、生きるのが下手な彼女に、それでもいろんな人たちが手を差し伸べてなんとかやれてきたのだと思うけど、そんな彼女に猫という支えができたのならよかったと思う。

最終章にあるように、老人ホームで犬や猫と一緒にお年寄りが最期の日々を過ごせるならうれしい。
殺処分になる犬や猫も少しは救われる。
現在は捨て犬や猫の支援施設では、飼いたいという申し出があっても70歳以上だと引き渡してくれないケースが多い。
でもこれまでの人生を生きものと共に過ごした人だからこそ、晩年も一緒に暮らしたいはず。
ここらあたりの改善を社会でなんとかできないものかと思うのだけど。
だからせめて老人ホームなら世話をするスタッフもいることだし、可能なんじゃないかな?
動物嫌いの人は別棟に区分けすればいいし、食堂などの共有スペースに入れないようにすればいい。
私、そんな老人ホームに入りたいです。
posted by 北杜の星 at 07:22| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月09日

矢作直樹/稲葉耶季「こっちの世界、あっちの世界」

お盆は亡くなった人があちらの世界からこちらの世界の家族の元に帰って来ると言われている。
そのために迎え火をしたりする。
亡き人たちはどこから戻って来るのか?
この時期、ちょっと考えてみたくて、この本。


矢作直樹氏は元東京大学医学部大学院教授で東大付属病院の救急部・集中治療部部長。
稲葉耶季氏は静岡や沖縄で裁判所判事を務めた。

二人の共通項は、人には体、心、魂があって、この世とあの世の境目はないというもの。
矢作氏には「人は死なない」という医師にしてはびっくりするようなタイトルのベストセラーがあり、稲葉氏には「食べない、死なない、争わない」という著書がある。
その二人の対談集がこれ。
こういう話しが駄目な人は多いだろうし、無関心の人もいるだろう。
そういう人にこそ、ロジカルな職業を持って生きてきた二人の対談を読んでみてもらいたい。

私は体と心とそして魂を信じている。
特定の宗教ではなく「神様」がいるとも思っている。
神様も魂も見たことはないので、立証はできない。臨死体験もないのでこの世とあの世の境がどうなっているのかはわからない。
でもわからないのなら、神様や魂がある、と思ってもいいのではないか?
神様や魂が、死の恐怖と向き合うために人間が作り上げた想念だとしても、それで安らかになれるのならいいと思うのだ。
アバウトな神様・魂の肯定なので特定の宗教への信仰心は持てないけど、自分としてはこれで充分だ。

二人の対談は魂の部分についてはほとんどが同意見だが、医療に関してはかなりつっこんだ対談となっている。
というのも、稲葉氏はホメオパスになるためにホメオパシーの勉強をされていて、現代医療とくに抗がん剤には否定的な立場である。
一方矢作氏は抗がん剤の効用を認めている。癌細胞分裂の速い小児がんや血液のがんには、抗がん剤の効果が認められるからだ。
このやりとりはどちらも迎合しない意見でなかなか興味深い。
矢作氏の弟さんがいっさいの治療を拒んで、がんで安らかに亡くなったというが、医師としての立場より家族として弟さんを見守った矢作氏の気持ちに心打たれる。

稲葉氏は不食ではないが、きわめて少食だそうだ。
不食や少食はある日突然に、(何かの啓示なのか)起きるという。
食欲は本能の一部だが、「欲望」でもある。美味しい物を食べたいという欲望。
生きる上で欲望を減らすと、不食・少食に行きつくのだろう。そうした人の魂は高いところにあるのだと思う。
食べものに意地汚い私にはとうてい到達できそうもないが、それでもこの年齢になると、ご馳走を毎日食べたくはなくなる。
旅行に行って美味しい食事をするのはせいぜい二日でいい。(そうした場合でも朝食は少なくする)。それ以上続くと辟易してしまうようになった。
今年は二泊三日の断食に行ってみようと考えている。
最近、皮膚に湿疹が出ることが多くなった。多分体に毒素がたまっているための症状だと思う。
内臓疾患だけでなく、関節などにも「悪いもの」が溜まりやすいので、これからの老後を健やかに過ごすためにも、デトックスが必要だ。
稲賀氏も矢作氏も玄米菜食の食生活だという。

概ね、賛成できる対談だったが、一つだけどうしても拒絶反応があったのが、矢作氏の皇国史観だ。
日本人の変質は幕末維新から始まったというのはその通りだが、日本人の高い精神性を取り戻すために何をすべきかという部分が、私には受け入れらない。
日本人の精神性だけが世界で高いわけではないし、それを取り戻すために必要なのが高天原から繋がるものだなんて思想はいやだしコワい。
現在、だんだんとまたそういう考えが張り込ぼうとしているのは、なおさらコワイです。


posted by 北杜の星 at 07:53| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする