2016年09月29日

加門七海「たてもの怪談」

夏は過ぎたけれど、タイトルに惹かれて怪談小説を読んだ。私、ホラー好きなんです。
日本では幽霊がでる場所は、墓場とか寂しい道やトンネルとかいろいろあるが、「家」というのも多い。
怖いですねぇ。もし引っ越した家に「出る」としたら、どうすればいいのか?ましてや借家ではなく購入した家だとしたら。

加門さんは実家住まいだったのだが、かねてより自分家が欲しいと考えていた。
最初は古い一軒家が希望だったが一生住むとしたら築年数が不安材料となるので、あきらめた。
次はマンションだ。物件を探すが急いでいるわけではないので、決定までに時間を数年かけた。
というのは、彼女は風水を香港に行ってまで勉強した人。どうしもそうした条件に合うところを見つけたかったからだ。
そのうえ、建物だけではなくその土地も問題になる。

加門さんはこれまでもいろんな「モノ」が「見える」人だった。それを書くのが彼女の仕事でもある。
「見える」だけではない。「呼ぶ」人でもあるのだから、私などは「怖ーい」こと甚だしいのだが、そこは「見る」のにも「呼ぶ」のにも慣れている加門さん、引っ越したマンションの部屋にたくさんの「見える」人が現れて宴会状態になっても動じない。どころか面白がっているのだから腹が座っている。
「いい気になるんじゃない」などと彼らに言う余裕。

加門さんはマンションに引っ越して、家財道具を運び込む前に、氏神様になる神社に部屋のお祓いをしてもらった。(この神社が実は彼女にとって曰くつきだったのだけど)。
それでも、「出た」のは、彼女が「呼ぶ」人だったからなんでしょうね。
私たちもj今の家を新築して入居する前に、神主さんに来ていただいてお祓いを受けた。
地鎮祭ときお願いしたその神主さんの目がとても澄んでいたのが強く印象に残っていて、ぜひ家が出来上がった時には・・と思っていたのだ。
お願いして正解だった。その神主さんはこう仰ったのだ。「今からこの家には神様がおられます。神様を汚すことのないように」とたった一言。
私が「どうしたら神様を汚すことになるのですか?」とお尋ねしたら、これもただ一言、「悪い想念をもつことです」。
もう完全にノックアウトされてしまった。
それから当分はその言葉を旨として暮らしていたが、いつの間にか忘れてしまって、いまでは悪い想念がウジャウジャしているのではないかな?
他人の悪口は言うし、悲観的になることもあるし。。

こういうのを読むと、「霊」ってそう怖いものじゃないのかもと思う。
中には邪悪なのもいるかもしれないが、他愛ないのもいるんみたい。
(でもやっぱり怖いというか気味悪さはあるのだけど)。
彼女が平然としていられるのは慣れだけでなく、知識もあるのかもしれない。
風水や気学など、半端じゃなく勉強してきている。

さて、加門さんのマンションがどうなったか・・それは読んでのお楽しみ。

この本は小説というよりも長いエッセイのよう。
後ろのページには東京都庁の建物の風水について書かれている。
うーん、都庁を設計したのは日本を代表する建築家の故丹下健三氏だ。数社による設計コンペで勝った建物。
それがあんまり風水では、良くないようなんですね。。
都知事たちの不祥事や今回の豊洲市場の件をみると、そうかもと納得できる気もするが。。

イギリスびいきの井形慶子さんが話していたが、イギリスでは幽霊の出る家(haunted )は高い値段で売買されるらしい。
つまり幽霊が出るほどその家には歴史があるということで、それが評価の対象となるそう。
幽霊が投資になるなんて、所変われば、ですよね。
posted by 北杜の星 at 07:53| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月27日

ハッチの身辺雑記

月に一度のハッチの身辺雑記です。

今年の夏はおかしな夏でした。
ここ八ヶ岳南麓は昼間の暑さはあっても、いつもなら高原の風が爽やかなのですが、その風が湿っぽかった。
それもそのはず、10日間ずっと曇りと雨続き。朝起きてびっくりするほど暗いんです。
夏の初めは日照りのため、農家は野菜がダメ、今は日照不足でお米の収穫が心配。
そのうえ猪や猿の被害が広がっているようで、弱り目に祟り目です。
知人がシャイン・マスカットを栽培していて、「出来たら友人たちを呼んでおくから、引き売りに来て」と頼んでいたら、ナント、長雨でぶどうが病気にかかって全滅したそう。
お気の毒で慰めようがありませんでした。
こちらも大きくて美味なるシャイン・マスカットはまだ珍しいので、友人たちに宅配便で送ろうと思っていたのに残念でした。

それでも今年の夏もたくさんのお野菜を頂きました。
朝の遅い私たちが起きて玄関ポーチを見ると、トマト、きゅうり、いんげん、ピーマン、トウモロコシ・・
夏にもサンタさんがいるんですよ、このあたりには。
夏前に頂いた玉ねぎとジャガイモは冬の初めまでもちそうだし、その頃には白菜と大根とネギが到来します。
今はちょっと野菜は端境期かな。その代わりに果物が続々・・

今月のビッグ・イベントは、友人夫妻たちと計6人で岐阜の長良川に行ったこと。
往復が同じ路なのは面白くないと夫が言いだし、往路は松本経由で上高地の脇の安房トンネルを抜けて飛騨高山へ。
東京に住んでいた頃は、飛騨高山と聞くととっても遠いところという印象でしたが、ここからは2時間ちょっと。
朝8時に出発して10時過ぎには高山でコーヒー・タイム。
そこから郡上八幡へ。
郡上八幡は一度ぜひ行ってみたかった町です。夫は以前に行ったことがあって「いつか連れて行ってあげよう」といつも言っていたのに、今までなかなか行けなくて。。
郡上踊りが終わった後で、町には提灯がまだ残っていました。祭りの後の静けさと言いたいところですが、結構観光客がいました。
想像通りの美しい水辺を散策できて、幸せでした。
美味しい鰻も食べました。ここの鰻は関西風で蒸さないんですね。

そして宿泊は長良川のほとりの、普段私たちがあまり泊らない大きなホテル。
大きいからなぁ、どうかなぁと懸念していた通り、食事は熱々の鮎の塩焼き以外はイマイチでした。「ゆこゆ子、ネット」での高評価は今回始めて食事に関してはハズレ。
だけど夜、きれいな鵜飼の船を遠くから見られて、風情を楽しみました。
鵜飼船が出る間は川の両側のホテルやマンションでは電気を消すのですね。だから暗い川に篝火というか漁火のたいまつが本当にきれいでした。
さすが源氏物語にも書かれた鵜飼です。

岐阜っていいところです。交通の便があまり良くないのが幸いして、古き佳きものが残っている感じ。(東海道新幹線の駅のほとんどには乗り降りしているけど、岐阜羽島駅には縁がありません)。
ホテルから徒歩5分の川原町の古い町並みが素敵でした。
今回は行かなかったけれど、美濃や多治見や関なども訪れたいものです。

復路は土岐ジャンクションを経由して中央高速で帰ったのですが、途中土岐プレミアムアウトレットに寄りました。
6人みんな田舎暮らし。お店に飢えているので久しぶりのショッピング。
といっても「これが欲しい!」というものは私にはなく、カットソーとパンツを買ったくらい。他お人は靴や食器などいろいろ買っていましたけど。
口惜しかったのは、swatchのお店があったこと。というのは現在swatchでは、切れた電池を無料で交換してくれるそうなんです。
我が家には電池切れで止まったswatchが数個あります。まるでアラブの王様のように、電池が切れたらついそのままで新しいのを買ってしまう。(アラブの王様はガソリンがなくなったら、車を買い替える、なんて言われますよね)。
イタリアに行くと必ずswatchを買います。イタリア人はみんなswatch大好き!老いも若きも腕にしています。日本では売ってないデザインも多いんです。
「アウトレットに行くんならswatchのお店あるかもよ。持って行こう」と話していたのに、忘れてしまったのです。。
ま、新宿高島屋にでも行くことにしましょう。

岐阜旅行の前後に過食したせいで免疫が落ちていたのか、ウィルス性胃腸炎になってしまったのも今月のトピックです。
まだ暑い季節だとういうのにウィルス性胃腸炎?と訝っていたら、いま流行っているのかな?「私も」とか「私の友人が」とか聞くんです。
私のウィルスは強いものではなかったようで、吐き気だけで吐くまでにはいたらない、お腹がシクシクするけど痛くて下すまでではない。。そんな状態がでも、2週間くらい続きました。
現在もまだ本調子ではないみたい。
玄米をしっかり噛んで噛んで食べるのが一番効くようで、それとお白湯と梅肉エキスがいいですね。
ちなみにウィルス性胃腸炎でも私は病院には行きません。だってウィルスでは対症療法しかしてもらえないし、その対症療法もしない方がいいくらいのものです。
悪いものは体から出し切ることが大切。
微熱が出ましたが、熱というのはウィルスを退治するために白血球が頑張っているといいうこと。熱をむやみに下げるなんてもったいない。自然治癒力がなくなるだけです。
脱水症状にならないように気をつけながら、普通に暮らしていました。
ある友人は自己免疫疾患系の病気で治療中なので、ウィルス性の胃腸炎によく罹るのですが、昨年秋に罹って2カ月くらい治りきらなかったと言っていました。
でも、私は8割方は回復しつつあるようで、朝食の時にしばらく食べていなかったナッツ類を食べたいと思えるほどになりました。

先週の土曜日に東京から友人が甲府まで来てくれて一緒にランチしたのが、日本橋たいめい軒で修業したという料理人の洋食フレンチ店。
前菜にスープにメインはスズキ、それにデザート。ちゃんと食べてもお腹は平気でした。
甲府には美味しい店がないのか、私が知らないだけなのか。。でもそのお店はかなり美味しかったです。アラカルトは夜しかないそうなので、今度は夜に行ってみたいです。
だけどそのお店がある甲府の繁華街、土曜日だというのにシャッターの閉まった店舗の多いこと。駐車場のない市内を避けて、みんな郊外のショッピング・モールに行くんでしょうね。
なんだか薄寒い光景でした。

食後は山梨の伝統工芸である鹿皮をうるし型染めした「印伝」のお店に。
最近はデザインが若向きになっているのか客層に若い人が増え、その日もかなり若いカップルたちが財布やバッグやメガネケースなどを見ていました。
なんでもあのティファニーともコラボするのだとか。
着物用に大きめの合切袋が欲しいのだけど、印伝って高くてなかなか手が出ません。
ちなみになぜ「合切袋」というのかご存じですか?持っている一切合財のものを入れるから、なのだそうです。(小さな合切袋もあるんですけど)。

夏の間は暑くムシムシしたところへ行く気がしないのですが、やっと明日、2か月ぶりの東京です。
最近はお上りさん気分でキョロキョロ、ウロウロ。目まぐるしく変化し続ける東京がだんだん遠くなる。
でも行くと、やはり美味しいものがたくさんあるので楽しみ。
明日は週に3日だけお昼に「バラ散らし」を出す四谷の鮨屋へ。7月に行ってあまりの美味に今一度と出かけます。予約が大変なこともある店のようです。
ウィルス性胃腸炎、生もの食べても大丈夫ですよね?

夫は超元気。仕事がそこそこ忙しい中、ゴルフはお誘いがあれば断ることなく行ってます。
「まるで、それって小学生ね」と私は笑ってしまうのだけど、プレイのお誘いだけでなく「練習、これから行くんだけど」とのお誘いもあって、「じゃぁ、僕もこれから行くよ」と。
これってまるで「●●君、遊びましょぅ」の世界ですよね。

ハッチ君は最近、時々(一日に2回くらい)、大声で「ゥウオーン、ゥウオーン」と鳴くようになりました。調べてみると、高齢の猫に多い「甲状腺機能亢進症」みたいです。
たくさん食べて排出もしっかりして、時折無意味に走り回る「元気だね」と思っていたのに、病名のつくものだったようです。
でももう20歳、獣医さん二連れて行く気はありません。
麻酔をしての手術はもってのほかですし、薬もすでに経年拾うしている腎臓などに悪いに決まっていますから。第一、病院に行くだけですごいストレスだと思います。
好きなものを食べさせ、自由に機嫌よく暮らさせてあげたいですy。

。。というのが今月のできごと。

10月は秋晴れになりますように!
posted by 北杜の星 at 07:39| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月26日

室井佑月「息子ってヤツは」

室井佑月の本を読むのはこれが初めて。
でも彼女がテレビのコメンテイターとして出演しているのを見る限りでは、ストレートに意見を述べ、それが私とほぼ同意見なこともあって、わりと好きな女性である。
彼女が作家の高橋源一郎と結婚してて子どもを産み、すぐに離婚というのは知っていたのだが、その息子さん、今はすでに高校生だとか。
シングルマザーとして仕事をしつつ子育てをしてきた彼女の、これは子育てエッセイである。
それも「お受験」エッセイ。

私に子どもがいないせいか、「お受験」にはなんとなく反発を覚えるところがあって、なにも小さな時から塾へ行かせなくてもと考えるのだが、室井さんには室井さんの考えがあったようだ。
それは、親として子に残せるものは教育だけ。前を向いて「自分は何のために生れてきたのか」を問い生きていける人間になってほしいと願ったからだ。
それで小学3年生のときから学習塾へ通わせ、お尻をたたき、中学受験に挑んだ。

でもやみくもなお受験ママではないんですね、彼女。
一人息子を盲愛してはいるが、盲信しているわけではない。自分のこともちゃんとわかっている。
息子は自分という母親といつも一緒ではよくないと、地方の中・高一貫校にターゲットを絞ったのである。
こういう理性は本当にリッパ。

とはいえ、息子は勉強嫌い。ゲームをしたり、ダラダラしてなかなか勉強に熱が入らない。(まぁ、これが普通だと思うのだけど)。
だけど、ここが彼女のユニークな点。
「勉強しろ」とは言わない。(最初は言ったようだが)。
「あんたって、勉強すきだから」という言葉を繰り返し言い聞かせたのだ。
学校から帰ってふてくされながら宿題をしているときには、[宿題をするのは当たり前と思っていても)、「へぇ学校から帰ってきたのに、また勉強しているの?ほんと、勉強が好きなんだから」とつぶやいて見せる。
するとあらあら、「オレって、勉強好きなのかも」と言うようになった!

この洗脳戦略は室井さんが銀座の高級クラブのホステスをしていたのきに学習したのだそうだ。
男って、洗脳されやすいらしい。
息子にもこれは成功したようだ。
(でも、母息子のバトルはこれからもおおいに続く。。)

巧いなぁ、室井さん。
私も夫にこの戦法をつかってみようかな。「あなたって本当はすごーく料理が上手なのね」とか毎日言っちゃって。。

中学合格、地方から休みに帰って来てもあの年齢の男の子が母親にやさしい言葉をかけてくるはずがない。
返事すらしないもの。内心「うるさいなぁ」「面倒だなぁ」と思っているのが、ときおり言葉や態度に表れる。
それでもやはり、そこは母と息子。絶対に切っても切れない「ナニカ」は横たわっているような気がして、息子っていいじゃん!と思う。
現在彼女の息子はソフトボールとギターに夢中な高校一年生。
これから大学受験が控えているが、もう母親の言う通りにはならないでしょう。自分で自分の道を考え見つけるしかない。
そのための「道」をつけてあげるのが親の役割。そしてその役割をしっかり果たした室井さんだと私は思います。

エライし、巧い。人間操縦法に長けているひとですね、室井さんは。
でもそれ以上に、息子を愛し、そして信じているのだと思う。なんやかや言っても、二人の信頼がつたわってくるエッセイでした。
子育中の方にはお勧めです。
posted by 北杜の星 at 07:45| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月23日

岸本葉子「週末介護」

穏やかではあるが認知症の父の介護を家族とともにすること5年間。
父が逝き1年して書かれたこのエッセイには、父の老いの変化とそれへの覚悟、日常生活の支援の方法、家族との連携などたくさんの経験が書かれている。
物書きという自由業の時間の遣い方は自由業だからこそのやり繰りが必要となるのだが、岸本さんは自分の住まいの近くにローンでマンションを買うことでそれを解決。
歩いて10分という距離でできる介護生活を始めることとなった。

恵まれている方だと思う。
介護要員がしっかりローテーションしながら担当できている。
兄、姉、姉の高校生の息子二人、そして岸本さん。誰かが必ず夜、泊まっていた。
この本で初めて知ったのだが、お兄さんという人は地の繋がりのない人で、岸本さんが成人して家を出てから養子になり、ずっと数十年お父さんと暮らしてきたそうだ。
それゆえの気兼ねが最初はあったものの、このお兄さん、じつに良い人でお父さんのことを第一に考えケアしている。
これはなかなかできることではない。他人が他人にできる優しさの良いお手本だ。

ここに書かれているのだが、年寄りは転ぶ。
段差や物につまづいて転ぶのではない。何にもないところで突然ドタッと転ぶのだそうだ。
だから一人では置けくて、いつも誰かが傍に居る必要がある。
その時に「こうしてほしい」と柔らかい言葉で言っても、普段は穏やかな父が断固、拒否する。それはおそらく、介護する人間の「強制」を感じるからで、強制されることがイヤなんだろうな。
どんなに言葉が柔らかくても、介護される側は敏感に察知してしまうのだ。

歳を取ると、あれはどういうわけか風呂嫌いになるんですね。そして着替えをしなくなる。
岸本さんはある日お父さんの来ている服を見てギョッとした。食べこぼしなどで汚れたカーディガンを着ていたからだ。
以来、散歩に出かける時などのためにできるだけこぎれいな格好をさせることに。
けれど介護する方はだんだんと、濡れてもいい服、汚れてもいい服を着るようになったとか。。

不思議だったのは介護保険を使うのがずいぶん遅かったこと。
兄や甥っ子二人の男手があったとしても、もっと早い段階から介護保険を使ってもよかったと思う。
じっさいに岸本さんも、ケアマネージャーから教えてもらう介護用品とか介護の仕方など、大いに役立つことを知り驚いている。
ケアマネはプロだもの。介護の知恵の宝庫だ。
認定を受けたところ、「要介護3」が出た。
もっとも介護する側とされる側には相性があるし、そもそも他人が家の中に入り込むのを嫌がる人だっているから難しい。
私の経験からいうと、優秀なケアマネさんは本当にスゴイし、なにがスゴイってその知識もだが、本当に本当に親身になって行動してくれたことだった。それがどんなに心強かったことか。
介護は先が見えないことが多い。誰かが「終身刑になったみたい」と書いていたけれど、そういう感じはわかる。
希望が見えないのがなによりつらいし、寄り添ってくれる人間がいないとなおつらい。
仕事とはいえ、ケアマネさんの寄り添いに私は今でも大いに感謝している。

介護中、漂白剤ワイドハイターにどれだけ助けられたかという文章に、介護の現実をわかる。
洗うだけでは「シモ」の匂いは取れない。漂白剤が環境に悪いと罪悪感を抱えながらも使うしかない。
曽野綾子だったか、彼女も母親介護の時に、部屋がタイルかアルミかなにかで出来ていて部屋中をホースの水できれいにできるなら。。と書いていたけど、切実な問題だ。

在宅での介護をしようという人にこの本、お勧めです。
これほど恵まれている条件は参考にならないかもしれないけれど、日常生活のあれこれには教えられるものが多かったですよ。
posted by 北杜の星 at 07:57| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月22日

木村紅美さんのコメントへ

作家さんご本人よりコメントを頂くことが稀にあります。
驚きつつ恐縮しますし、緊張します。
とくに辛口を書いたものへのコメントは気が重く、申し訳なさでいっぱいになります。

私は木村紅美さんの愛読者と自認しています。単行本になった作品はデビュー作からすべて読んでいます。
半分は自費で買ったもの、半分は図書館で借りています。今回の「まっぷたつの先生」は図書館のネットの新刊案内で見たので、これはラッキーと借り出したのでした。
木村さんの小説はいつもテーマが異なっていて、シリアスなものから軽い印象のものもあり、そのなかに「音楽」があって「今度はどんな曲が挟んであるのかな?」を探すのが楽しいのです。

全部読まないで批評するのは確かに、フェアでないかもしれないなと自分でも思いながら記事を書きました。
ときたまですが、年に一冊くらいはこういう形になりますが、その場合も書くことにしているのです。
それは、「読めきれなかった」というのも感想のひとつの表現だと思うからです。

本は作家が書きます。
作家との相性は当然ありますし、好きjな作家の作品が全部気にいるわけではありません。
それはお気に入りのレストランと同じではないでしょうか。
どんなによく通うレストランでも嫌いな一皿はあります。
新メニューに首を傾げることもあります。素材や味付けが好みでない時も、こちらの体調ということもあるかもしれません。
残念だけどそれは仕方ないこと。
好きな作家さんの新作が好みでないのは私の問題だと思います。単に私と相性が良くなかったのです。

その感想を正直に書いてはいけないのか?
作家への批評ではなく作品への批評なのです。それは私の感性から出るパーソナルなものです。
誰からも依頼されたわけではなく、報酬も受けていません。
提灯記事を書く必要はないのです。
(最近の作家による書評や書評家の書評には提灯記事が多いですよね。帯文ならともかく、あれはとっても気持ち悪いです。批評になっていない。パーフェクトな小説がそう存在するはずはないのに、狭い業界の住人が軋轢なしに生きていくために書いているとしか思えません。。そんな書評が多いです。
たまにはっきり物申す人がいて、それは作品というよりも「純文学」に対する批判だったりして、それには笙野頼子が徹底抗戦していて、それはそれで胸がすき応援したくなります)。

でも私のようなシロウトが書いたものが、作家さんにはそれほど気になるものなのでしょうか?
作家さんはそんなにナイーブなのですか?
私が書いたことが木村さんを傷つけたのなら、本当に申し訳ないです。
ましてやそれが本の売上に関わるとしたら。。

私が読み切れなかった理由の一つに、字が小さかったことがありますが、木村さんのコメントにあるようにそれは出版のさいの経費削減なのですね。
字が大きければページ数も多くなり単価が高くなる。。
本が売れない昨今の事情がこういうところにも反映されているのですね。
作家さんの生活が大変なのは柳美里さんが書いているし、あのイトヤマさんのブログを読んでもその大変さにつくづく身につまされます。
初版本が5千冊とか3千冊とか聞くと、作家さんの生活とともに本の存在が消滅してしまうのではないかと心配になります。

私は本が好きです。60年以上ずっと本を読んで生きてきました。
本と同じくらい、本を書くひとも好きです。自分を違う世界に運んでくれるひとを敬愛しています。
だから本が売れない、作家さんが苦しいという現実は悲しいし口惜しいです。
もっと本を読んでもらいたい。、願わくばkindleではなく、活字の紙の本で読んでもらいたい、そう思っています。
だって電子図書には「佇まい」がないでしょ。佇まいというのは大切です。良い本には美しい佇まいが感じられます。
(だけどそれさえも、経費節減が関わってくるのですね。)

木村さん、先生だけでなく本の好みも「まっぷたつ」です。
全部読まなくてごめんなさい。
4年待って待って、待ち焦がれていたんです。
木村さんに書く必然性があったのでしょうが、読む私には理解できなかったのす。
どうか次はせめて1年後くらいには出してください。それくらいなら、まだ、私の目はもつと思うので。
楽しみにしています!

そうそう、私はほとんどの本は図書館で借りて読みますが(これまで本にはすごく投資しているんですけど、素敵な本は親しい友人にプレゼントしたくなって購入します。
木村さんの「春待ち海岸カルナヴァル」も大好きで、若い友人に買ってプレゼントしました。
とても喜んでもらえて、私もうれしくて鼻が高かったです。
図書館はいわば、本の広報のようなところだと思います。そこから広がる「何か」があります。
だから木村さんのコメントにあるように、買ったのなら謝るが図書館で借りたのなら謝らないというのはちょっと変。
第一、上にも記したように、本の評価は読者によって「まっぷたつ」なんです。作家さんが謝るべきものではありません。

嗚呼、疲れました。。
コメント欄で返信することも考えたのですが、みなさんのお考えも伺ってみたかったので、記事にしました。
posted by 北杜の星 at 15:26| 山梨 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月21日

新保泰英「1日300歩ウォーキング」

この辺り、ウォーキングするシニアをよく見かける。
寿命が長くなり、なんとか死ぬまで健康でいたいという願いが「ウォーキング」に繋がっているのだろう。
じっさいに歩くことは体に良いばかりではなく精神にも良い。最近では歩くことが認知症予防にもなると言われる。

でも問題がある。
良い姿勢で歩くことが肝心。そうでなければ、歩けば歩くほど体のバランスが壊れてしまう。
健康のために歩いているのに、足首や膝、股関節や腰を痛めてしまうのだ。
私の友人にも歩いている人は多いが、長く歩いている人ほど関節が悪くなっているようだ。
ましてやここ八ヶ岳南麓はアップ&ダウンの道ばかり。平坦な道はほとんどない。(なにせ町の名が「長坂」だ)。

それでは良い姿勢とはどういう姿勢か?どうすれば良い姿勢で歩けるのか?
最近の私の課題は「正しく歩くこと」、だからこの本、読んでみた。
まず、歩き方のチェックを。

・膝が曲がっている。(ほとんどの日本人の歩き方です)
・左右に体が揺れている。(太った女性に多い)
・足首を使って歩いている感覚がない。(私もないです)
・猫背になっている。
・全体が力んでしまっている。(歩こうという意識が強すぎる?)
・歩くとき脚の付け根が伸びている感覚がない。(股関節をちゃんと使うということ)。

この本の著者は「足首」の重要性を説いている。
足首が歪んでいると正しい姿勢で歩けないのだそうだ。そしてそれが諸悪の根源。
たしかに足首はあの細い部分で、全体重を支えているものなぁ。
私のように外反母趾だと足首に悪い影響を与えているにちがいない。
足首の歪みを矯正するためには、1日300歩(たった5分)の「新保式ボールウォーキング」をすればいいという。
ボールといってもボールを使うわけではない。ボールが坂を自然に転がるように歩くことが目的。
どうすればいいかは、この本を読んでみてください。
でもまずは、「階段の上り下りはしない」「筋肉トレーニング禁止」を守ることみたいですね。

長い時間歩くと、ただでさえ正しい姿勢でないのが、だんだんもっと悪い姿勢になってしまう。
前かがみになって膝が曲がり、大股で歩けなくなる。
そうするといろいろな故障が発生する。
整形外科系の病気だけでなく、頭痛や胃痛など様々な内科系の不調も誘発するのだそうだ。

私は「インターバル・ウォーキング」で20〜30分を目安にしている。それ以上は歩かない。これはある友人に教えられたのだが、心肺機能も上がるし短い時間だが消費エネルギーは多いし、速足大股で歩けるのがいい。ノルディック・ウォーキングは大股でしっかり歩けるのでいいのだが、まだマスターしていないんですよね。
なにごとにも無理をしないのが旨の私は、今はちょっと歩くのはお休み。家の中でストレッチ。でも涼しくなったのでそろそろまた始めます。
でも掃除や窓ふきなどの家事はしっかりしているので、運動量はまずまずではないかと自己判断していますが。
posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月20日

木村紅美「まっぷたつの先生」

あのぅ、すみません。
これ、半分ほども読めませんでした。
読めないものについてこうして取り上げていいのかどうかわかりませんが、とにかく何が読めて読めなかったのかは私なりにはっきりしておきたい。
これまで大好きな木村紅美だっただけに残念。

正社員と派遣社員の女性二人の小学生の頃と、彼女たちの担任だった女性教師二人が主人公となっている連作短編集。
まったく面白くなくはない。幼いときの言動への悔いもわかるし、教師といっても一人の人間、それなりのそっれぞれの感じ方がある。
でも、なんというんだろ?なんかリアリティがちっとも感じられない。
主人公たちがどうしてもそうしなければならない理由がわからない。

小学生の時のできごとをこんなに引き摺って生きるものなのかというのが、まず疑問。
その時の担任だった先生と今も親交のある人って、そんなにいるもの?
高校生ならわかる。でも小学生ってまだ小さな子ども。生徒である子どもと先生である大人の境界ってあって当たり前だと思う。

・・だんだん退屈になってきて、でも普段めったに本を途中で止めない私が止めたのは、放り投げるほどの駄作だからではないんです。
文字が小さいんですよね。この本の文字が。
なぜふつうの本の大きさにしなかったの?
私の目にはこの字の小ささは苦しすぎた。

だけど本音を言うと、もっともっと面白かったら、字の小さいのを我慢しても読んだと思う。。
木村さん、ごめんなさい。
前作の「夜の隅のアトリエ」から4年、待ちに待っていたのに、本当に悲しいです。
posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月19日

山田詠美「珠玉の短編」

タイトルを見てぎょっとした。
自分の本に「珠玉」ってつけるか?
私が読んでいる時にたまたまこれを見た夫も「スゴイ題だな」と言った。
まさか、いかに奔放な山田さんでもそれはないでしょ。

はい。なかったのです。
このタイトルには深い(深くもないか)意味があったのです。
夏耳漱子という小説家は文豪の格調高さをあえて避け美文などもってのほか、エログロ小説を書いている。
ほとんどの人は眉をひそめるのだがカルト的な存在として、熱狂的なファンもいる。
そんな彼女が文芸誌に短編を載せたのだが、その目次の彼女の短編タイトルの横に、あろうことか編集者が「珠玉の短編」と添え文を付けていたのだ。
自分の小説が「珠玉」!?
驚き腹立たしい彼女は編集者をののしるが、しだいに「珠玉」に絡め捕られていき、文章文体が変化する・・
(作家にとっての「言葉」というものがどんなものか、「あとがきにかえて」を読むとよりわかりますが)。

滑稽なのだが作家という職業の苦労も垣間見れて、笑い飛ばせない気の毒さがひしひしと。。
でもやっぱり笑っちゃえるところが、山田詠美のスゴイとこ。
私のまわりで山田詠美を読まないひとってずいぶんいる。
多分彼女のあのイメージで作品を判断しているのだと思う。
だけど彼女の小説は本当に繊細で、性を描いてもそこには人間の根っこがあるため、決して薄汚くないのだ。
大好きな大好きな作家だ。

その山田詠美が第42回川端康成文学賞を受賞した。
川端賞は優れた短編に贈られる賞で、日本の文学賞のなかで私がもっとも評価している賞。(あの西村賢太がこの賞を欲しくて欲しくてしょうがないと聞く)、
その受賞作の「新鮮てるてる坊主」もこの本のなかに収録されている。

たしかに「新鮮てるてる坊主」はオチといい、物語といい心理描写といい緻密で、その緻密さがラストの怖さに繋がっているのだが、面白い短編だった。
これを受賞作にした選考委員のセンスに脱帽します。

11の短編は概して「奇妙な小説」というジャンルになるのでしょうね。
こういうのが好きな私は思う存分堪能しました。
posted by 北杜の星 at 08:05| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月16日

長尾和宏「認知症は歩くだけで良くなる」

「病気の9割は歩くだけで治る!」の著者のネクスト・ヴァージョン。
今回は「認知症」に特化している。

認知症予防そして認知症と診断されてから、もっとも効果があるのが歩くことなのだそうだ。
65歳以上の4人に1人が認知症とその予備軍と言われる現在、歩くだけでそれが防げるのならこんなに安上がりのことはない。
しかしなぜこんなにも認知症が増えているのだろうか?
原因は高齢化だと言われているが、著者はそうではなく、糖尿病患者が増えているからだと言う。
糖尿病は体のあらゆる部位に合併症を起こす怖い病気だが、痛くも痒くもないのでなかなか病気に配慮できない。まさしく生活習慣病。
糖尿病には運動と食事が大切だから、単純に考えても歩くことはいい。
けれどそれだけではない。歩くと脳内から良いホルモンが出てくるのだ。
糖尿病だけではなく、メタボリック・シンドロームも認知症のリスクが4倍高いというから驚きだ。
男性の内臓脂肪、女性の皮下脂肪。どちらもよくないが、歩くことで内臓脂肪は取りやすいと言う。皮下脂肪はなかなかとれないみたいだが。

認知症はでも、20代のころから始まっているというから、私のような年齢なって気をつけてもムダなのかと絶望しかかるが、認知症になってからでもできることはあるようだ。
そもそも認知症になりやすい人の特徴がここに書かれているので、参考にしてほしい。
・足幅が狭い・
・歩く速度が遅い。
・重心が揺れるように歩く。
こういう歩き方の人は要注意。
また、片足でソックスが履けなくなったり、片足立ちを1分続けられないのも不安材料。

悪い姿勢で長時間歩くのもよくないそうだ。よく1日1万歩と言われるが、そんなに歩く必要はなく、5000〜8000歩で充分。しかも家の中とかでも歩いているのだから、それを差し引いて歩けばいいのだ。歩くな時間の中で、中速足をするともっといい。
肘を後ろに引きながら歩くと、肩関節や肩甲骨がストレッチされて柔らかくなる。(腕を前に降るのはたやすいけど、後ろに引くのはけっこう大変)、
しっかり歩くためには、ノルディックやポール・ウォーキングも良い姿勢が保てるそうだ。
著者は「ながらウォーキング」を薦めている。
川柳をつくりながら歩く(つくった句を家に帰るまで覚えておくのは脳トレになる)、計算をしながら歩く・・とか。

認知症になってからは、認知症の種類によって、歩き方の違いがある。
アルツハイマー型、レピー小体型、前頭葉側頭型(ピック病)、脳血管性ではそれぞれ認知症の表れ方が違うし対処も異なる。
認知症と一つにかんがるのではなく、どのタイプかを考慮しつつ介護することが必要らしい。
けれどどの認知症にとっても、認知症の本質には「不安」が潜んでいるので、安心させてあげるのが一番のようだ。
安心させてあげながら一緒に歩くと、安心感と疲労で夜よく眠れるようになるとか。

そうそう、性格が認知症の誘因となる場合もあるそうだ。
楽天的な人よりも、心配性の人のほうが認知症に何倍もなるリスクが高くなるという。
「起きていないことはまだ起きていない。起きてしまったことはもう起きてしまったこと」。。30数年前に村上春樹の本を読んで以来の私の「座右の銘」です。

もう一つ、これは歩きとは違うのだが、やはり認知症を防ぐ上で大切なことが著者によって記されている。
それは「噛む」こと。
咀嚼することは脳への刺激ににとてもよいのだ。現代人は江戸時代の人に較べて、噛む回数が半分に減っているという。
美味しいものを表現するときに「柔らかい」と言うアレは良くないんですね。
我が家は玄米を食べていて、しっかり噛む。30回とか50回噛めと言うけれど私は80回くらい噛んで食べている。だって噛めば噛むほど美味しいのだもの。
白米は「マイルド・ドラッグ」と呼ばれるようにある種の中毒性があるし量も多くなるけど、玄米は少しで満足できる。
50歳過ぎたら炭水化物を控えるほうが認知症予防となると最近聞くようになったが、玄米なら大丈夫。

それとこれは自画自賛なのだが、我が家ではきちんと毎日出汁をひく。
昆布とかつお節の出汁は、骨や筋肉や髄などにとても言い作用があるし、血液サラサラになる。それに精神を落ち着かせてリラックスさせるのだそうだ。
カツオ節だけなら「陽」が強すぎるが、「陰」の昆布で中和している出汁は、日本の先人たちの素晴らしい知恵だと思う。
でもどんなに体に良いからと言っても、美味しくなければ続かない。玄米も出汁もとっても美味しいんです。
歩くのだってそう。義務感で歩くのではストレスになるだけ。
なにごとも楽しむのが一番!
認知症になった人にはとにかく、その不安を取り除いて、明るい気持ちにしてあげること。そうすれば不安行動が少なくなる。
記憶がなくなっても、人間の感情はずっと残っているんですものね。



posted by 北杜の星 at 07:03| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月14日

長嶋有「三号室の隣は五号室」

ひさかたぶりの長嶋有。
じつは私、長嶋作品はほとんどすべて読んでいるものの、彼をしっかり理解把握できていないような気がしている。
なんということのない時間が流れ、意味のない会話が交わされ、時として退屈。
「なぜこれを書いたのか?」の疑問を抱きつつ読み進むうちに「まぁ、人生ってこういうもんだよね」と私なりに納得してしまう。
そしてそれは悪い感じではないので、ついつい次の作品も読むことになるのだ。
今回のこの「三号室の隣は五号室」はちょっと面白い設定となっている。

第一藤岡荘の五号室に1966年から2014年までの間に住んだ歴代住人の物語。
13組が入居してきた。
一平、二瓶、三輪、四元、五十嵐・・歴代住人たちの順番はその名前でわかるようになっている。
11番目は霜月さん、12番目はイラン人のダウアーズダさん(イラン語で12の意味)というのが洒落ている。
2組を除いて彼らのほとんどが学生や単身赴任や勤めの女性などの独り暮らし。
同じ部屋に住んだといってもお互いに交流があるわけではない。

この五号室、変わった間取りなのが特徴で、ほとんどの住人が「なんか、変」と感じながら暮らしている。(そうは思っていない人もいるけれど)。
間取りが言葉で説明してあるのだが、よくわからない。不動産屋の契約以外の部屋があったりもする。
でも心配は不要。ちゃんと間取り図が載っているので住人たちの暮らしが想像できる。
おかしな間取りの部屋にしては彼らの暮らしは平凡で概ね平穏。
(引っ越しして去った後で殺される者がいて、びっくり)。

住んだ13人、それぞれの時代の出来事が書かれていて、「あぁ、この人が五号室に住んだいたのはあの頃なのか」とわかるので、彼らに親しみがわく。
この物語の主人公はやはりこの五号室という部屋なんだろう。
同じ舞台でも人それぞれ、生き方の違う人生。でも所詮は人間の人生。違うようで同じ、同じようで違う。
その事実がこの五号室の個性に集約されているような気がする。

長嶋有の小説にはキーワードがあって、軽井沢、父親などがそうなのだが、麻雀もそう。
これにも麻雀が登場する。
長嶋さん、麻雀好きなのかな?
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする