2017年10月18日

野瀬泰申「食は『県民性』では語れない」

お好み焼きのルーツが大阪だと思っている人は多いが、じっさいの故郷は違うそうだ。
日本ほど北や南、東や西で食の多様性がある国はないのではないだろうか?
ともすれば私たちはその差を「県民性」で片付けてしまいがちだが、同じ県内であっても同じ料理のレシピはかなり異なる。
その検証をこの本ではしているのだが、やはり「東(関東)」と西(関西)」の比較が多いのは、誰もが実感しているからだろう。」たまり

著者は新聞記者時代、大阪で奇妙なことに気付いた。
大阪では天ぷらにジャブジャブとウスターソースをかけていたからだ。
天ぷらにウスターソース!天ぷらには天つゆか塩のはずだ。
でも私はあまり驚かない。両輪は西の人間だし私自身もずっと瀬戸内海沿岸で育ったからだ。
大阪ではソースは昔、「洋式醤油」と呼ばれた。そのため何の料理にも醤油のようにかけて食べるようになったのだとか。
東京では中農や豚カツソースはあっても、あまりウスターソースは家庭に常備していない。でも私はあのサラサラのウスターソースが好き。日本のもいいけど、リーベンのスパイスの効いたのも時々食べたくなる。

西の人はカレーライスの黄色いルーの上にウスターソースをかけて、ぐじゃぐじゃに混ぜて食べることがある。
あれは見るだにオソロシくて私は一度もしたことがない。なんだか取り返しのつかないことになるような気がする。
著者はカレーライスのトッピングの卵の差についても言及していて、生卵と茹で卵の使う地域を挙げている。
西は生卵ですね。大阪に住んでいた頃、「自由軒」の生卵混ぜぐちゃぐちゃカレーライスって、怖かったなぁ、「インディアン」のカレーも生卵は乗っけずに辛いのを我慢してそのまま食べていた。
どうやら食は、糸魚川から東海地方のあのフォッサマグナの線で分かれるようだ。

醤油だって西と東ではかなり違うのは今では誰もが知っていることで、西は薄口醤油を使う。
でもこれは東の人が誤解していることだが、ここにも書かれているように、薄口醤油は煮炊きにしか使わない。かけ醤油は濃口を使う。いつもいつも薄い醤油というわけではない。刺身などはむしろ西の方が濃い「たまり醤油」をつけて食べる。こってり濃くて甘い醤油で、私は苦手だ。
うどんの汁が濃いのはどうも。。という西の人間が多いのだが、広島出身の私の友人は大学受験の時に東京で初めて食べた甘じょっぱい鍋焼きうどんがとても美味しくて代のお気に入りになったとか。確かに冬の寒いときにはあの味は温まりそうだ。

ここにもかなりのスペースを割いて書かれているのが、東の豚肉と西の牛肉のこと。
私が幼い頃「カツ」と言えば「ビフカツ」のことだった。豚カツを食べたのは大人になってからで、初めてカツ丼を食べた時は、世の中にこんな美味しいものがあるかと思った。
でもこの牛と豚の文化、同じ県内いでも異なる場合がある。
それは山形県の「芋煮」。
庄内地方では豚肉の味噌仕立て、米沢では牛肉の醤油仕立て。
まぁ、米沢は牛肉で有名sだし、庄内ではあの平田牧場の豚肉が人気ですよね。
私はどちらも好きで、時と気分に応じてどちらも作っている。

しかし食の多様性を最も表しているのは、なんと言っても「雑煮」だろう。
これはもう言いつくされたことで雑煮に関しては、「どうぞ、お宅の流儀でお好きなように」と言うしかない。
雑煮も同じ県内であってもかなり違う。とくに東西や南北に長い県にはその違いが多いようだ。
(長野県なんて北と南ではまるきり文化圏が違いますよね)。

いろんな食材が流通するようになった現在でも、まだまだその土地に行けば「!?」ということがあるが、いつまでもそうした差異を守ってもらいたいと思う。
楽しい一冊でした。
お好み焼きの故郷がどこかは、どうぞ一読のほど。
posted by 北杜の星 at 08:18| 山梨 ☁| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月17日

内田洋子「12章のイタリア」

台湾に出発する時は夏服だったのに、帰るとまるで冬。衣替えをしたけど、この雨。。
紅葉も始まって、ちょっと浦島太郎気分です。

内田洋子の新作エッセイ。
彼女のイタリアに関するエッセイはイタリア事情がよくわかるものだが、どれもエッセイの域を超えて、短編小説のように人間模様が描かれている。
在イタリア40年以上の間に出会ったさまざまな人たちの、その土地に住む幸福も不幸も鮮やかに切り取りとるその文章は過剰な思い入れがなく淡々としている。
自身の体験でありながら黒子のように自分を前に押し出さない書き方はどこか日本的ですらある。

けれどこの新刊には、彼女自身のことがかなり書かれている。
高校生の将来の進路が決まらない頃、テレビで放映された映画「ブラザーサン・シスタームーン」を観た。
見知らぬ外国の景色を目の前にして唐突に「海の向こうに行ってみよう」と思ったという。
その映画は聖フランチェスコの青年時代を描くもので、舞台はイタリア中部のウンブリアだったと後に知る。
東京外語大学のイタリア語科に入学するが、当時イタリア語はまだマイナー言語。完全な伊和辞典すらなかった。
イタリアに接したいと思ってもチャンスは多くない。デパートで催される「イタリア展」に出かけてイタリアの食べものや工芸品からイタリアの匂いを嗅いだ。

大学生の時にナポリ大学に1年間の留学。
しかし前年にナポリは大地震に見舞われていて、街は混乱。大学の授業もなかった。
日本に戻り大学を卒業。やっとちゃんとした伊和辞典が出て一心不乱に勉強するが、イタリア語での仕事はほとんどなし。
そんな彼女を救ったのが、またまた映画だった。
今度の映画はタヴィアーニ兄弟監督の「カオス・シチリア物語」。
100年前のしちりを舞台にした暗く重いテーマのオムニバス映画。彼女は俳優が話すイタリア語が全然わからなかったそうだ。
(私はこの映画が大好きで映画館で3回か4回観た)。
この映画の最後の編に、それまでとは打ってかわって、青い空と海、白い砂浜がきらきら太陽に輝くシーンがあるのだが、それを観て彼女は「海が待っている。海の向こうに行かなくては」と思ったのだ。

映画の力ってスゴイですね。
もともと「洋子」という名前は彼女のお祖父さんが、大海原に出て行く人間になるようにと名付けてくれた名前。
日本を出る運命を持つ人だった。

イタリアに行っても仕事はない。でも彼女はへこたれなかった。仕事がないなら自分で仕事をつくればいい。
そうしてミラノで通信社を立ち上げて、イタリアのニュースを日本に伝えるようになった。
・・そしてエッセイストとして活躍をするようになった。

それにしても、いろんなところに住む人だ。
ミラノはもちろん、リグーリアの船を買って船上生活をしたこともあるし、同じリグーリアの寒村にも住んでみた。フランスとの国境の丘の上にも住んだ。
そして今、ヴェネツィアの離島に家を借りて住んでいるらしい。
そのヴェネツィアの街の古本屋のショーウィンドーにある朝、ウンベルト・エコーの等身大の写真がかけてあるのを見つける。
近くのバールに入ると、そこでエコーが亡くなったことを知った。
エコーとはかつて知人から招かれて食事を共にしたこともある。物静かで博識の大学教授だった彼はしばらくして「薔薇の名前」の作者として世界に名を知られる作家となった。
小説を読まないイタリア人でさえ、イタリアの誇りと、エコーを敬っているそうだ。

このエッセイ集には「本」に関する記述がたくさんある。。
古書店、古書市、作家や評論家たちのこと・・
読書をしないという印象のあるイタリア人だけど、どこの国にも本好きはいるんですね。
そういえば、街や村で時々い「本市」が開催されて、地元の人たちがたくさん集まって見ているのを思い出した。
子どもから老人までずいぶん熱心に見ていた。古本や古い地図などの掘り出しものもあるのかもしれない。
もしイタリアに行くことがあれば覗いてみよう。

この内田洋子もとても素敵な一冊でした。

posted by 北杜の星 at 08:06| 山梨 ☔| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月09日

桐野夏生「デンジャラス」とお知らせ

seesaaブログのシステム障害で記事のアップができませんでしたが、やとと解決。

まずお知らせから。
明日から台湾旅行のため、1週間ブログをお休みします。
若い友人夫婦が誘ってくれて、思いがけず夫も参加。彼にとっては初めてのアジア旅行です。
イタリア以外に渡航することはないと思われた彼ですが、楽しんでもらいたいです。
とくに予定を決めず、足と舌に任せて、ぶらぶら街歩きをしながら、美味しいものを食べてくるつもりです。
今日のブログは食べることがなによりも好きだった谷崎潤一郎と周辺の女性たちを描いた、桐野夏生作品です。


これ、面白かった。
桐野夏生のミステリーを読むと、いつまでも黒い淀んだ悪意の空気に包まれて、読後感が良くないため好きではないのだが、この谷崎潤一郎の晩年の生活を、松子夫人の妹重子を軸に描く「デンジャラス」は、とても読み応えがあった。
もともと私は谷崎ファンで、彼の小説世界は志賀直哉や川端のよな文芸作品にくらげると俗っぽいのだけど、小説らしい小説として独特のものがあり、「読物」として読者を飽きさせない。
そのエロティシズムもいい。(川端にもすごいエロティシズムはあるんですけど)。
ここには谷崎が松子夫人、重子、重子の嫁の千萬子という三人のミューズたちと、いかに「家庭王国」を築き、そのなかに君臨したかが描かれれている。

「君臨」と言っても、当時の男性とは、女性のシュミが谷崎は違っていた。
それは「痴人の愛」や「春琴抄」などでわかるように、いかにも良妻賢母的女性は好みではなく、どちらかと言えばマゾヒステックで女性に振り回され尽くすことで性的充足を覚えるというタイプ。
だから三番目の妻の松子は彼にとって理想の女性であった。
大阪船場の大金持ちの次女として生まれ、これまた大金持ちの息子と結婚したものの、夫の放蕩で全財産を失うと離婚、谷崎と二人の子連れで再婚した。
春は花見、秋は紅葉狩り、歌舞伎見物など遊興三昧、衣食住はもちろん豪華絢爛。
谷崎はそんな育ちの松子から関西の文化的な吸収を大いにすることができた。
彼の家庭王国には彼以外の男は不要だった。
松子の息子は体よく追放され、娘だけを養女としたし、常時数名の女中を置いて、彼女たちを観察していて。その様子は「台所太平記」に結実している。

谷崎の代表作の「細雪」の主人公は「雪子」。
そして雪子のモデルとなったのが松子の妹の重子である。
重子は実生活ではいつも松子が太陽なら月となって、谷崎家の家政を支えた。
遅い結婚までは谷崎家で暮らしたし、寡婦となってからはずっと谷崎と松子のそばにいた。
自己主張をしない性格の重子を「デンジャラス」の主人公に桐野がしたのはなぜなのか?
そこらあたりが、この本のもっとも興味深い点だと私は考える。
谷崎をして「あなたは怖いひとだ」と言わしめる重子。重子を見ていると「役割を知る人間の強さ」を感じてしまう。それは松子とはまた違う役割だ。

それにしても重子の養子(松子の息子)の嫁の千萬子は、ちょっと気の毒なくらいの扱いをここでは受けている。
文豪と呼ばれる身となってはいても、だんだん老いの迫りくる谷崎の新しいミューズとして愛されるのをいいことに、金銭的な無心をしたり、松子や重子にとって
けっこうな悪者となっているのだ。
けれど作家の眼には、松子、重子、千萬子の3人の女性の心理などすっかりお見通しで、それさえも楽しみ、小説のネタにしていたのではないかと思われるのだが、そんな谷崎でも本当の女の怖さには敵わなかったのか。。

もっとも、こfれはノンフィクションではない。
あくまでも桐野夏生が書く小説だ。
自ら書くこともせず、書かれることもあまりなかった重子の立ち場からのフィクションである。
谷崎を知るにはやはり、谷崎作品を読むのが一番。
posted by 北杜の星 at 16:36| 山梨 ☀| Comment(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月07日

ハッチの週間身辺雑記

カズオ・イシグロ、ノーベル文学賞受賞 おめでとうございます!!
一昨夜、夕食の後ボーっとしていたら、友人よりTELで知らされました。
彼女もカズオ・イシグロの大ファン。二人して大喜びしました!
若い頃から完成度の高い作品を書き続ける彼の受賞は当然といえば当然。いつかは、、と思っていましたが、本当にうれしいです。
その興奮も冷めやらぬ週末土曜日の朝です。

先日の朝、夫と集落を散歩していると、知り合いの農家の人から呼び止められました。
「無花果が生ってるから採っていかんかね?」と。
うれしい!無花果大好きな私は大喜び。夫が枝からもいでくれました。容れものを持っていなかったのでその人が家からビニール袋を持って来てくれました。
畑の柔らかな大根葉ももらっての帰りがけ、「朝の散歩はするものですね」と私が笑ったら、「袋を持って散歩しなさい」と返されました。
ホント、ここは良いところです。
でも16軒の家々はみんな高齢者。米を作る農家も少ないのですが、作っている農家も人手がなくてJAに稲刈りを依頼すのだとか。限界集落の大変さが身に沁みます。

我が庭にときおりタヌキが出没します。
他の近所の人は何匹か一緒に来ると言いますが、我が家に来るのはいつも一匹だけ。
居間に居る私と目が合うと、じっと見つめてきます。丸いタヌキ顔の私を同類と思うのかな?
キツネもときおり見かけるけど、キツネはあまりフレンドリーではなく、すぐに逃げます。美人顔のキツネは気位が高いのかも。
害獣と嫌われる動物ですが、元は彼らの居住地。彼らの方がここでの先輩なので、敬意を払って接しています。
ただウンコを庭に残して行くのは止めてほしいなぁ。

鳥が窓ガラスにぶつかるのも止めてほしい。これは鳥のせいではないだけになんとも胸がつぶれるできごとなのです。
我が家には2メートル幅の窓ガラスが4枚、他の窓を合わせると計19メートルものガラスがあります。そこに時々鳥がぶつかるんです。、
コゲラやシジュウカラなど小鳥がいつもなのですが、つい数日前、居間で本を読んでいたら突然ものすごい大きな音が背後にし、一瞬それが鳥とは思えなく、いったい何が起きたのかと窓の外を見て見ると、鳩が転がっていました。
鳩がぶつかるのは初めて。さすがにその大きさに驚きました。
1時間しても全然動かず、血も流しているようだったので、これは脳しんとうではなく死んじゃったんだと、でも怖くて触れなく、夫の帰りを待とうと思いました。
しばらくしてもう一度見ると、前とはほんのちょっと違う場所に倒れています。動けたのです。
死んでいないと安心し、鳩を覗きこんだら、気配を感じたのか、フラフラと飛び去って行きました。
どうなったのか?どこかで無事にいるのか?それとも。。
窓掃除をしなくてはと思いながらも、鳩がぶつかって毛のついた跡が怖くて、そのままになっています。
私は、酉年で名前に鷹のつく夫を持ちながら、実は鳥がすごく怖くて、遠くで飛ぶ鳥を眺めるのは平気なのですが、触ったりはできないのです。
鳥の祖先は恐竜だといいますよね。私の前世は恐竜に食べられていた何かではないでしょうか。とにかく鳥、怖いです。まだトカゲやヘビの方がいいかも。。

冬支度が整いました。
夫は暖炉の煙突掃除をすませました。
この煙突掃除、屋根に登るので危険なので、「もうトシなのだから、業者に頼めばいいじゃない」と言うのですが、彼は頑固に自分でするのです。
いつまでできるか?あまり無理はしてほしくないですが。。
暖炉前も、新しく購入した電気カーペットを敷き、その上にクリーニングから戻ったギャベを置きました。
居間の雰囲気がアットホームな感じになりました。でもつくづく、ここにハッチがいればなぁと思います。
私にとって猫のいない冬の居間はパーフェクトな空間とはいえません。

何週間か前に友人を招いてギョーザ・パーティをしたのですが、それが好評だったので今回もすることに。
以前は能がなく、すべて同じ味のギョーザでしたが、今回はバリエーションをつけて焼いてみました。
今回も大好評。豚ミンチは平田牧場のものだし、皮は生活クラブのだし、不味いわけはないですよね。
久しぶりにやってきた友人も「こうして焼くのって美味しいし、楽しいね」と言って喜んでくれました。
ワイワイお喋りして気がつくと11時半過ぎ。翌朝は9時近くまで寝ちゃいました。
夫が鍋奉行ならぬホットプレートでの焼き係りをしてくれ、ラストは高菜チャーハンで締めくくり。
特別なものがなくても、みんなで食べればハッピーという秋の一夕でした。

秋になり南アルプスがよく見えるようになりました。
3千メートル級の山々の連なりを毎日見るのは、気分が壮大になると同時に、自然への畏敬も感じるこのごろです。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月05日

中島京子「ゴースト」

7編のゴースト物語。
といってもオドロオドロしく怖ーい幽霊が出てくるわけではない。幽霊なんて現れないものもある。
どこか切なく、くすりとおかしく、懐かしく、こんなゴーストなら遭遇してもいいなと思わせる、そんな彼岸からつかの間舞い戻った人たち。

此の世に無念が残るからゴーストは戻って来るのか?
誰かに話しを聞いてもらいたくて、また、忘れ去られるのがイヤで。
だからゴーストが現れるのは、優しい人間の前なのかもしれない。

進駐軍に使われていた原宿の裏通りの古い洋館。そこで幼い少女、若い女性、老婆と出会った青年。
彼女たちは誰なのか?もし彼女たちが同一人物ならば、ゴーストもあの世で歳をとるものなのか?
戦争の時代を経て1世紀を生き抜いたミシンの運命。
認知症の曽祖父が毎日のように会うと話す人物とは誰なのか?
廃墟を見るために日本にやってきた台湾女性。、その廃墟は昔、台湾からの留学せのための寮だった・・

などなどの物語なのだけれど、中島京子ってこうした古い建物や品物、2世代前くらいの人たち、昔のできごとを書かせると本当に巧みな作家さん。
雰囲気がふうわりと伝わって来る。
その文章は決して声高でなく、品が良い。
そしていつも作品に安定感がある。
茶目っけがあるのもいいですね。

それが表れているのがラストの「ゴーストライター」。
ゴーストライターとはもちろん代作をする書き手のこと。
ここでは誰もが知っている作家さんたちが実名ではないものの、見れば誰とわかる名で、有名になる前にはゴーストライターとして活躍していたことが書かれている。
無名時代にゴーストとして書いたり少女小説を書いて生計を立てていた作家って多いんですよね。
でもあえて書かないけれ、この「ゴーストライター」にはオチがあるんです。これこそがゴーストライターという。。

軽く楽しい一冊。
posted by 北杜の星 at 08:50| 山梨 ☁| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月03日

大山ちこ「エンディングノート」

第25回やまな文学賞受賞作品。

やまなし文学賞といってもご存知ない方が多いかもしれないが、小説と評論の2部門に分かれていて、私は評論の方は一度も読んだことはないのだが、受賞小説は毎年、山梨日日新聞社から発刊され、地元だからここ北杜市のライブラリーの所蔵書物となっている。
忘れてしまうこともあるが、できるだけ読むようにしている。
三浦哲郎も津島佑子も亡くなって、現在の選者は坂上弘、佐伯一麦、そして新しく加わった長野まゆみの3名。
選者の顔ぶれを見てわかるように、純文学系の作品が多いようだ。
「やまなし文学賞」と銘打っているが受賞者は山梨県人とは限らず、全国からの応募がある。

正直を言うと、この「エンディングノート」、最初はどうも気が乗らなかった。
テーマにどうも腰が引けたからだ。
二人の兄弟は両親の離婚を経験し、後に父の突然の孤独死にも遭う。
家族がいなくなっても自分が存在する。しかしその存在は無意味ではないのか?
自分が何の約にも立たないと気付き、もっと楽しく生きられるなら別だが、そうでなければと、弟は25歳に自ら死ぬことを決意していた。
それを知らされていた兄は、弟の25歳の誕生日に弟と母の住む町に帰省する。

兄はなぜ弟の自死を止めようとしないのか?
どこかで本気にしていないのか?いや、そうではないのだと思う。彼は知っていた。弟が死を決行するであろうことを。
生きることを見守るのと同じ気持ちで、兄は弟の死を見守ろうとしたのか?
「これから僕の明日はどんな明日になるのだろうか」。残された兄は何を抱えて生きるのか。。

淡々とした文体。熱さのない兄と弟の会話がイマドキといえばイマドキだ。
でも虚無ではない。ここにあるのはやはり絶望感なのだろうか。
それにしては重く塞ぐ気分ではなく、うまく言えないのだけど、ホッとする感じも私にはあった。
家族に対する無力感しか、弟にはなかったのだろう。それに対し為す術のない兄はただ弟を見ているしかなかった。
(弟をラクにしてやるのは、この方法しかないと傍観したのだろうか)。

主人くである兄の大学時代の友人のエピソードは、巧い挿入部だと思う。
その友人は、あいさつをするのが嫌いだと言う。なぜなら「あれって、次の会話に繋ぐクッションみたいなものだろ?あいさつをしちゃうと、その瞬間に俺は自動的に相手を受け入れてしまうんだ」。
それが会話の苦手な友人にとってはすごいストレスになるのだと言う。
けれど弟と最後に別れた兄は、何年かぶりに友人の携帯に電話をかける。
そして彼が今は結婚し子どももいることを知らされる。いまだにあいさつは嫌いのようだが、「このくらい踏ん張らないと」と自分に言い聞かせていると聞いて、電話を切ったあと、兄は「声を殺して泣いた」のだった。

踏ん張って生き延びられる人間もいる。
踏ん張ることをはなから拒絶した人間もいる。
読了後、深い想いに沈む一冊だったが、作者の文章の見事さもあって、満足度はとても高かったです。
posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☔| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月02日

平松洋子「ステーキを下町で」

これは「サンドイッチは銀座で」の続編。
相手は変わったが今回も編集者青年を同行し、北は北海道から南は沖縄まで、ガッツリと食べつくす。
懐石料理やフレンチではない。
帯広の豚丼、根室のサンマ、大震災から復興した三陸のうに弁当、京都のうどん、鹿児島の黒豚豚カツ、沖縄の沖縄そば、タイトルにある東京下町のステーキや大将の餃子などなど。
平松さんは食そのものへの情熱もさることながら、それを作り供する人たちへの敬意を忘れない。
彼らから聞くさまざまな話しの中から珠玉のひと言をすくい取り、胸の底にそっと収める。
私はその彼女の食に対する優しさが大好きだ。
その優しさがあるからこそ、潔くガッツリと食べられるのだろう。

食べものが誕生するには、その土地の歴史や事情が陰にある。
平松さんのエッセイが興味深いのは、彼女が店主から丹念に話しを聞いて書くからだ。
食べたものをただ評価するのではない。
きちんと同行の編集者青年にも気を使っている。
そのことは京都のうどんの章に表れている。
車谷長吉ファンの彼が失恋して赤目四十八滝に行き、再び今度は平松さんと極寒の滝巡りをするのだが、寒さがこちらまで伝わってきそうな滝の様子が描かれている。
そして京都に戻って食べる熱々のあんかけうどん。

そう、京都では冬はあんかけうどん、なんですね。
京都の人は少々の風邪はあんかけじゅどんで治すらしい。
葛でとじるあんかけは、最後まで冷めない。
今は讃岐うどんが日本中を席巻しているが、出汁のきいた汁にはあの硬さではダメ。
柔らかでしんなりしたうどんでなくては、だし汁がからまないのだ。
むくつけき男があんかけうどんを舌を焦がしながらするのはちょっと似合わない気がするが、かわいくもある。
(どういうわけか、あんかけうどんは女性の食べものという印象が私にはあるんです)。

タイトルのステーキにはただただ感嘆するばかり。
だって平松さん、ナント520gのステーキを注文。(店でもjっとも大きなもの)。
まるで煉瓦の塊のようなそのステーキをぜーんぶ、食べちゃったのだ。
さすがの編集者青年もタジタジだったというのに。
すごいなぁ。

この本で知ったのだが、彼女は約束の時間や列車の時間にいつもギリギリで家を出る悪癖があるそうで、東京駅の新幹線ホームの眼の前で、列車のドアが閉まったことが一度や二度ではないという。
同行する人は気が気じゃなかったでしょうね。
これまで彼女のエッセイを読むと、どうやら西荻周辺にお住まいみたいなのだが、西荻から東京駅までは乗り換えないしの中央線一本、30分で着けるはず。
もう少し早く家を出て下さいね。

この本には谷口ジロー氏の絵があるのだが、私が読んだのは印字本ではなくて点字本。
点字本には残念ながら絵がないのです。平松さんの書く文章にどんな絵が添えられていたか。。こういう時に点字はつまんない。

何が食べたい?と聞くときまって「ステーキ」と即答する我が夫。
平松さんの520gはさぞ羨ましいことでしょう。
posted by 北杜の星 at 07:47| 山梨 | Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

ハッチの週間身辺雑記

稲刈りをすませた田とこれからの田が半々くらいのここ八ヶ岳南麓です。
この周辺の米は知る人ぞ知るの「武川米」など、かなり良質な米がとれるんです。
武川米は収穫量は少ないものの、江戸時代から将軍への献上米でした。
気温が低いために農薬散布が少ないことも人気のようです。
我が家でもほぼ1年を通して地元の米を食べています。毎年自家栽培米を持って来て下さる友人もいて本当にありがたいことです。

夏布団から冬布団に替えて、布団の重さになんだか安心してぐっすり眠れています。
夏布団のあの薄さと軽さはどこか落ち着かない不安さがありました。
冬布団でお腹が冷えなくなったのか、夜中のトイレに起きることもあまりなくなったのも安眠の理由かも。
これからの1カ月半、私の大好きな秋です。
でも秋って短いんですよね。あっという間に厳しい寒さになってしまうんです。
暗くなるのも早くなったし。

この1週間の出来事・・楽しいことが多い1週間でした。
まず毎月第4週目には私たちが「鮨デー」と呼ぶ週末があります。
これは、普段はお魚をメインに食べさせる定食屋さんが催すもので、元は千葉の柏で鮨屋をしていたご主人が月に2日間だけ鮨を握ってくれるとうもので、これがとても美味しく、山暮らしの私たちは楽しみにしているのです。
よく言われる江戸前の「仕事をしている」という凝った鮨ではなく、ごくシンプルな、でも新鮮でとびきり旨い鮨なのです。
鯵や小肌や穴子は絶品。
フルメンバーは8人なのですが、用があって参加できない人は不運です。次は1カ月先まで待たなければなりません。
時には10人くらいでお願いしたいこともあるのですが、「1テーブル8人でも握るのが大変、6人にしてもらいたいくらいだ」というご主人にそう強くは望めなくて、一緒したいという人は残念ながらお断りせざるをえません。
鮨を食べながら1カ月の近況報告をし合い、無事を確かめ合うのです。今月もつつがなく過ごせた幸せに乾杯です、

日曜日には友人夫婦が夕食にやって来てくれました。
彼らは下諏訪の「みなとや」さんに前日宿泊。帰り途中に寄ってくれたのでした。
彼の方がカレー大好きということがわかっていたので、チキンカレーとキーマカレーを作り、あとは簡単な三色サラダというメニューでしたが、気持ち良いほどたくさん食べてくれて本当にうれしかった。
あれこれ話して気がつくと10時半過ぎ。それから東京に着くと12時を回ったことでしょうから申し訳なかったけれど、楽しい時間はあっという間に過ぎるのですね。
彼らは現在ちょっと親の介護で大変で、つかの間の息抜きの旅行だったのです。
何もしてあげることのできない私なので、せめて美味しいカレーを作ろうと、普段は込めない想いを少しだけ込めて作りました。
(私は他人に何をするにも、あまり気持ちを込めないのを旨としています。それはあまりに一生懸命に尽くすと、狭量な私はいつか「あんなに、してあげたのに」と思うかもしれないからです。他人のためにはせいぜいいい加減に、あまり心を込めないでいる方が気がラクなのです。このことは曽野綾子のエッセイから学びました。あのスゴイことを時々言ってみんなの顰蹙を買うキリスト作家は、でも時々ホントのことを言うんです。)

下諏訪の「みなとや」さんという旅館、私たち夫婦も大好きなところです。
白州正子夫妻や大勢の作家たちから愛された、いわゆる文人宿ですが、なんといっても風呂がいい。
もう数十年前ですがライフ誌に「日本でもっとも美しい風呂」と紹介されたこともありました。
一部屋ごとに入浴し、その都度の掃除をかかしません。宿に着いたとき、寝る前、そして翌朝と3度、きれいな湯の露天風呂に入れるのです。
食事はこれは好みが分かれます。何にも食べられないという人もいるかもしれない。
諏訪湖の小魚や昆虫食をする信州の蜂の子、イナゴ、ざざ虫(これは食べるのに勇気が要ります)、メインは馬刺しとさくら鍋。
ここの馬肉を食べると他では食べられないというくらいの逸品の馬肉です。
普通の旅館の食事はこれでもかという品数や量が出ますが、「みなとや」は大食いには物足らないでしょう。ここの夕食が終わった後でラーメン屋に行ったという人がいるくらい。
泊った友人夫婦も夜中に目覚めて「お腹が空いたかな」と思ったそうです。
まぁ、私年代の人間には十分なのですが、まだ50代の彼らはもうちょっと量があっても良かったかもですね。
毎回毎回メニューは同じだけど、「みなとや」の「あれ」が食べたいと思う人はたくさんいて、今となっては部屋にトイレもない質素な部屋の宿となったけど、いまだに人気は衰えません。
90歳を過ぎた大女将もご健在で、さくら鍋の世話をしてくださったそう。
話しを聞いているとすぐにでも行きたくなりました。

能登半島珠洲の「さか本」、松本美ヶ原の「金宇館」、大鹿村「右馬允」、下諏訪「みなとや」・・
どこも一人一泊2万円しない宿で、普通の値段設定。豪華でもないし、特別サービスが良いわけでもない。「さか本」にいたってはサービスはほとんど無いといっても過言ではないくらい、ほったらかし。
だけどどこも食事の美味しさは抜群で、「ほどがいい」のです。
この「ほどのよさ」って大切だと思います。それが心地よさn通じ「また、行きたい」になるのです。
どんなに良くてもあまりに宿泊料が高いと、「また行きたい」とは私の経済ではならない。記念日とか一生に一度なら行けるけれど、どうもそういうところに行く気がしないのは私だけでなく、夫も同様みたいです。つまりは何度もリピートできる宿を選びたいと考えているのです。
それと歳をとると、疲れる遠出より、ちょっとドライブがてらという距離が「ほどがいい。
そういう意味ではここはほぼ日本の真ん中。東海、伊豆、関西、北陸・・どこに行くにも便利です。

そうそう、先週、沖縄の幼稚園に送った栗の実やドングリやくるみ、子どもたちはとってもとっても喜んだそうで、栗のイガは格別好評だったらしいです。
よかったです。

風邪っぽかった体調は元に戻って、今週は体操教室にも参加できました。
ユルキツのこの体操教室は最近若い参加者が増えて、ますますキツさが強くなったような。。
でも体を動かし、呼吸法で心肺機能が高まった体は軽いです。
正確に動けているかは別として、一応まだできない動きはないので、身体的にはそう老化はしていないと思いたいです。
老化といえばなにより健康に大切なのが「歯」ですが、半年に一度の健診に行ってきました。、こfれも二人とも異常なし。
歯周病にも虫歯にもなっていないとのことで安心しました。
「磨き残しがあります」と毎回言われるので、歯科衛生士さんに「パーフェクトに磨けている人っているんですか?」と訊ねると、「いません」と苦笑しながら答えていました。
私はかなりちゃんと歯磨きするので「磨き残し」を言われると神経質になっていたのだけど、それを知って「なーんだ」と思いました。
そのために半年に一度お掃除してもらうのだもの、いいんですよね。

韮崎のぶどう農家の知り合いが「シャインマスカット」を引き売りで持って来てくれました。
昨年は虫がついて全滅だったとか。今年は大丈夫とのことで何箱か頼んでいたのです。
2年前に初めてシャインマスカットを食べた時には感動しました。その大きさ、その瑞々しい上品な甘さ。
でも今年のはそれより小粒だし、味も薄い感じ。これなら普通のマスカットと同じみたい。
生りものは毎年違うし、ブドウ栽培は手がかかって大変なのを知っているので苦情は言えません、
もしかしたら小粒なのはホルモン剤を少なくしているためかもしれません。それならそれで安全安心です。
今は果物屋やスーパーでは高いですが、あと数年すると値下がりするでしょう。シャインを植え付けている農家がぐっと増えていますから。
でもそうなるとまた次の新しい品種が登場するのでしょうね。

白い器に入れたシャイン・マスカットは美しく、どんな絵画より部屋の飾りとして完璧です。
実りの秋に感謝です。

posted by 北杜の星 at 08:13| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月28日

満留邦子「焼きそば」

焼きそばが大好き!
ソース焼きそば、上海焼きそば、揚げ焼きそば、あんかけ焼きそば・・
どんな焼きそばでも時折むしょうに食べたくなる。
なかでも五目あんかけ焼きそばには目がない。

高級ホテルの中華料理の五目あんかけ焼きそばはどこのもかなり美味しいけれど、税・サービス料を入れると3千円近くする。
焼きそば一皿にそんなの(向田邦子ふうに言うなら)冥利が悪い。
そんな贅沢は言わないから、せめて吉祥寺の翆蘭の五目焼きそばを食べたいと願う日々。というのも私の住むここ八ヶ岳は中華不毛の土地だからだ。

考えてみると焼きそばに特化した料理本というのは、あまり見たことがない気がする。
著者の満留さんは管理栄養士であり料理研究家。これまでに「そうめん」の本も出しているようだ。(麺類がお好きなのかな?)
この本、当然焼きそばだけが載っているのだが、どの写真もとても美しい。
焼きそばってこんなにきれいな食べものだったのか。
どれもレシピ付きなので、作ろうと思えば作れる。ほとんどが豚肉にキャベツなどの野菜と一緒に炒めるだけなので簡単なのがありがたい。

それらの焼きそばの味付けに使用するソースの類も紹介されている。
ウスターソース、中濃ソース、お好みソース(広島の人間にとってはもちろん「おたふく」)、オイスターソース、鶏ガラスープの素、豆板醤、醤油、麺つゆ、味噌、ナンプラー、それから私が知らなかったシーズニングソース(中華醤油をベースにした白だしのようなものらしい)。
確かに、ソースを何にするかで味が大きく異なる。
家で焼きそばを作る時にほんの少し鶏ガラスープを加えると、ぐっと味に深みが出て、技無しで助かる。

この本には日本全国のご当地焼きそばが北は北海道の北見の塩焼きそばから南は沖縄焼きそばまでずらりと紹介さrている。
知らない未経験の焼きそばの多いこと。
日本蕎麦は旅行に行くたびに土地の評判の店を訪れているが、焼きそば行脚はしたことがないなぁ。
我が家でここ10年以上のお気に入りが、あの富士宮焼きそば。
味はソースだが、特徴はそばが固いこと。作りかたを読めば炒めるときに水で麺をほぐすと書かれているが、私は水は加えずに野菜から出る水分だけで作る。
炒めるときに豚の肉かすを、出来上がりに魚粉をかける(夫は魚粉はかけないが)。
いろんなメーカーがあるが、ひたすら「マルモ」と決めている。

この本には長野の「ローメン」についても書かれている。伊那に行くと「ローメン」の看板を見かけることが多いが、食べた人の話によると評価が分かれる。
なのでわざわざ行ってまで食べようとしたことはない。
なんでも大陸から帰った人がレシピを持ちかえったとか。

ここには出ていないし、焼きそばのそばとしては邪道なのだが、茶そばを使った焼きそばがある。
山口県は下関に近い日本海に面した川棚温泉の「瓦そば」だ。
私はもう20年近く前に一度食べただけの、いわば「幻の」焼きそばなのだが、もう一度食べたい。
瓦に乗って供されるのだが、多分焼きのは鉄板か鍋だろう。
パリパリ焦げ目のついた香たかい茶そばを、出汁つゆで食べる。
薬味はネギ(白いのではなく青ネギです)、レモン、もみじおろしなどだったかな?
あれはとっても記憶に残る和風で上品な味だったが、川棚は遠くてなかなか再見できないでいる。
川棚温泉は全国的に有名ではないが、下関の奥座敷として、冬は河豚がいいんですよ。温泉に入って河豚を食べて。。そのうえ瓦そばまである。

焼きそばというと焼きそば用の蒸し麺を家庭では使うことが多いけど、面倒がらずに生麺を茹でると、断然味は素晴らしくなります!
広島のお好み焼き屋さんの焼きそばも、生麺を使うのが正道です。

焼きそば党にはたまらない一冊。著者の満留さんに感謝です。

posted by 北杜の星 at 07:19| 山梨 ☁| Comment(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月26日

温又柔 温又柔「真ん中の子どもたち」

第157回芥川賞候補作品。
選者である宮本輝のこの作品に対する選評が物議をかもしてていたので、興味を持ち、読んでみなくてはと借り出した。
宮本氏は「日本人の読み手にとっては対岸の火事で、同調しにくい。(略)他人事を延々と読まされて退屈」というのがその選評だ。

これはあんまりの良い方ではないかと思った。
小説うとはパーソナルなことを書くもの。それが日本人であっても他国の人であっても、それを「対岸の火事」とはどういうことか?
それならすべての文学は「対岸の火事」である。
いくぶん作者に同情しながら読み始めた。

台湾人の母と日本人の父のあいだに生れた主人公が、母語を何にするかを模索しながら、自分のアイデンティティを確立するというのがストーリー。
19歳から20歳までを上海に語学留学した彼女の友人たちとの交流を通してのあれこれが綴られ、やがて彼女が中国語教師となった時点で終わっている。
うーん、他人事とは思わないし、他人事であってもかまわないのだけれど、「同調しにくい」のも「退屈」ななのも、宮本輝の言うとおりではあった。
小説中にでる中国語と( )の中に訳された日本語があまりに多すぎてうっとうしいし、そのあたりに作者の独りよがりを感じてしまう。
それになりより、構成、文章、人物描写、すべてが稚拙。
母親も父親も描けていない。
宮本輝に100%賛成してはいないが、「対岸の火事」としか思えないのは、この作者の責任だと思う。

もしこれがもっときちんと書かれていると、もっと感情移入させられたと思う。
それをさせてくれないのはこの小説の大きな問題点ではないだろうか。
これを読んで、「この本、良かった」と思う一gあいるとは私は考えられない。
これを読まされた選者たちが気の毒になるくらいだ。
前段階でもっと、作品をふるいにかけるべき。

・・と、酷評となってしまって申し訳ありません。
私がこの作品の良さを読みとれなかっただけかもしれないので、どうぞご自分で読んでみてください。
posted by 北杜の星 at 08:00| 山梨 ☀| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする