2017年12月31日

ハッチのライブラリーよりお知らせ

2017年もいよいよ終わりです。

長く続けてきたこの「ハッチのライブラリー」ですが、私の目がそろそろ限界となりました。
このseesaaの前のmsnを始めた頃はまだ「ブログって何?」と言われていました。
その時から十数年。

本当に本当に、読んで頂いたこと、ありがたく思っています。
読後感想を共有できたことも、できなかったこともありますが、どちらも私にとっての励みでした。
これからも私の読書は点字で続きます。それはそれで面白体験だと楽しみにしています。

どうぞ、みなさまにとってこれからも、佳き読書人生でありますよう、お祈りしています。
ありがtごうございました。

  ハッチのライブラリー  2017年
posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☀| Comment(7) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月30日

ハッチの身辺雑記

北の地方は大荒れだったようですが、こちらは風が少々強いくらいで雪が降ることもなく穏やかな1週間でした。
クリスマス・パーティが終わって、ぼちぼちと家の掃除にとりかかっています。
いっぺんに全部はもう体力的に無理なので、例えば床磨きは3回に分けてとか、今日は水回りだけとか、レンジフードだけとか集中攻撃。
ただ目が見えないということは、汚れも見えないということ。
そこは夫に汚れ箇所を教えてもらいながらしています。

その夫、いよいよ来年3月に事務所を閉じることになりました。
今年の5月に、設立当初からお世話になっていた税理士さんがお亡くなりになり、その時点で終わりにするのかと思っていたのですが、なんとなく続けていて、でも大学の先輩である共同経営者のMさんももう74歳。そろそろいいのでは?ということになったのです。
会社をたたむに当たってはすべきことが山積していますが、それは会計士さんが教えて下さるので、その通りに動けば解決するでしょう。

事務所をしている間には「バブル」の時期もありました。
でもMさんも私の夫もお金には固執しない人間で、お金よりむしろ「時間」が欲しいと、会社の利益が上がるとお金の代わりに休暇を取っていました。
1カ月を有給で休んでヨーロッパに旅行に行くとか、夏休みを1カ月もらったり、GWや年末年始にはそれぞれ2週間ずつ休んで山荘で過ごすとか・・
だから貯金は全然できていませんが、思い出はたっぷりできました。

でも事務所は閉鎖しても、夫はここ八ヶ岳の地元の会社のデザイン・コンサルの仕事を引き受けていて、別荘建築の設計をお手伝いすることになっていて、まぁ、自分がゴルフをするお小遣いくらいは稼ぐようです。
ここらあたりはサラリーマンとは違って、「手に職」ですね。
お金もですが仕事をすることで少しでも社会と繋がるのは良いことだし、ボケ防止にもなると思います。

一応3月末で一区切りつくので、4月中旬から1カ月弱ほど、イタリアに行って来ようと思っています。
飛行機も予約しました。
今回はずっとレンタカーではなく、一つの町に10日間くらい滞在し、その間に遠出をしたかったらその時にレンタカーを借りようと考えているのですが、そのレンタカー、70歳以上だと借りる値段がぐんと上がるんですって。
海外旅行保険も70歳以上だと高くなるし、ツアー参加は別として、高齢者の個人旅行はいろいろ大変です。

来年4月なんてまだまだ先のこと、と思うのはとんでもないことで、泊りたいホテルはすでに予約が取れない状態なのです。
世界中の人間が旅行しているんでしょうか?
とくにイタリアはすごいです。ヴェネツィアなんて爆発的な観光客増加で環境が悪くなり、もし環境改善できなければユネスコから世界遺産登録を外すと勧告されているほどだそうです。
ヴェネツィアの観光スポットの写真を見ると、それはもう押し合いへし合いの混雑ぶりで、特別なイベントのある日ではなくいつもこういう状況だとか。
私たちはもうそんな人でいっぱいのところには行きたくありません。
田舎の小さな町を巡るつもりですが、それでも以前に較べるとどこも観光客が多くなっています。
以前は、ヨーロッパに旅行する時に、ホテルの事前予約をしたことはありませんでした。その町に着いてホテルの部屋を確かめて、そしてチェックインしたものです。
ドライブして疲れた夕暮れ、そこで泊ろうということでOKだったのです。そういう場合に思いがけず素敵なスペインのパラドールに泊れたり、ブルゴーニュの5室だけの素晴らしく料理の美味しいオーベルジュに泊れたりしたけど、あんな体験はもう今では不可能なのかもしれません。

この旅行、途中の10日ばかり友人夫婦が合流します。
一緒にレンタカーで、トスカーナやウンブリアの小さな町や村を歩くのを楽しみにしている二人なので、こちらもワクワクしています。
キッチンつきのアパルタメントを借りているので、夕食は軽くすますこいとができます。
お昼にしっかりコースを食べると、夜は軽く済ます方がいい。
長い旅行で何が負担かというと、毎日「ご馳走」が続くこと。
だから私たちは旅行中、ふだんは地元の人たちが行く普通の食堂。(それでもコースなのですけどね)。数日に一度、ちょっと評判のレストランへ、というパターンで過ごしています。
昔に較べつとどの国でも食事を簡便にできるようにはなっています。
サラダ一皿で出る人も多く、お店の人もそれはそれで仕方ないことと納得しているようですが、1970年代にイタリア暮らしをしていた夫にはどうしてもそれができないところがあって、お店に入るときちんとデザート、エスプレッソまでが「食事」と考えているので、スープだけサラダだけの食事はありえないのです。
(ちなみに、サラダ一皿という客は外国人観光客で、イタリア人の客はちゃんとしっかり食べていて、日本人のひょうにシェアも決してしません)、
だから夕食のためのキッチン付きのアパルタメントはありがたい。
それにアパルタメントならホテルの部屋と違って、寝室だけでなくキッチン付きの居間があるので、居住性も良いです。
タオルやシーツ交換もしてくれるし、頼めば掃除もしてくれるし、何より良いのが、洗濯機とアイロンがあること!
長い旅行だと洗濯もの、たまります。トップスやボトムなどの大物はクリーニングに出すとしても、パジャマや下着は自分で洗いたい。

とにかくこれは、夫への「ごれまでごくろうさま」のプレゼント。
これほど長い旅行は最後かもしれないので、ゆっくり楽しんでほしいと思っています。

夫に「今年1年はどうだった?良い年だった?」と訊ねると、「うーん、10月に風邪を引いた」との答え。
風邪が一番悪い出来事だったなんて、つまりは何事もなく過ごした一年ということですよね。
私にとっては、ハッチが1月末に天に召されて寂しくなったけれど、「あっぱれ、ハッチ」とほめてあげたいほどの大往生には何の悔いもなく、ただただ「20年以上一緒にいてくれてありがとう」の気持ちだけが残っていてます。
視力はぐんと落ちているけど、家の中では普通と同じくらいに暮らせているし、念願の台湾旅行も楽しんだし、平和な一年でした。
「さぁ、来年も頑張るそ」という意気込みなどはまったくなく、穏やかな日常が続くことを感謝しつつ願うだけです。


posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月29日

宮田昇「小尾俊人の戦後」

本が好きなので、本を作る出版社も大好きだ。
とくに好みの作家を扱う出版社には感謝をしつつ、敬意を払っている。
というのは私の好みの作家はどちらかというと純文学系なので、売れるとは考えにくいからからだ。
出版界の現状を考えると心細くなるが、それでも頑張る若き出版人たちはいる。
例えば吉祥寺にある「夏葉社」などは、そのちょっとレトロで静かな本のラインナップを見ると、応援せずにはいられなくなる。
売れ筋とはほど遠い本を、「とにかく好きだから」と出している印象があって、うれしくもありヒヤヒヤもしている。
(最初「夏葉社」と聞いたときは、今はもうなくなった「冬樹社」のパロディかと思った。「冬樹社」は坂口安吾や山川方夫全集(現在は他の出版社に引き継がれている)などで有名だった、)。

出版人にはどういうわけか信州出身者が多い。
教育県と言われた長野だからだろうか。
三省堂、三笠書房、理論社、光文社などもそうだが、代表的なのは岩波書店の岩波茂雄、筑摩書房の古田晃、そしてみすず書房の小尾俊人。
筑摩とかみすずというのはいかにも信濃の国らしいネーミングだが(みすずは信濃の国の枕詞)、みすず書房の名は違う出所らしい。
私はずっとみすず書房の創業者である小尾俊人のことを知りたいと思ってきた。
彼の森?外に関する書物は以前に読んだことがあるのだが、ほとんど覚えていないのが情けない。
小尾は自らも書いた詩、編にも携わった。

みすず書房は私の「先生」なのだ。
みすず書房によって私は「人文科学」とは何かを教えてもらった。
歴史、西洋思想、文芸、社会史など、もしみすず書房が存在しなかったら、私はこれほどの本好きにはなっていなかったと思う。
系統だって本を読む喜びをみすず書房は私に与えてくれた。
もっともみすず書房の本は出版数が少なく値段が高いので、若かった私にはなかなか買えなかった。でもだからこそ購入したら何度も何度も繰り返し読んだ。

小尾俊人は1945年(昭和20年)、敗戦復員のその年に出版社を立ち上げた。
資金も人脈もなにもなかった。そもそも日本には食べるものすらなかったのだ。
苦労は並大抵ではなかったはずだが、人々は食べものだけではなく、知識にも飢えていた。
けれどみすず書房は大衆路線は歩まなかった。かといってアカデミックで高邁すぎる道も選ばなかった。
学術的ではあるけれど裾野を拡げるための本を出版し続けている。
文芸本にしても小島信夫の初期作品とか、庄野潤三の初期作品とか、どう考えてもベストセラーになるとは思えない作家選びをしている。
みすず書房の名を高めたのはなんといっても、アウシュビッツ体験を書いたフランクルの「夜と霧」だろう。
おそらくみすず書房の歴史のなかでこれがもっとも売れたと思う。
私にとってはメイ・サートンの「独り居の日記」も忘れられない一冊だ。

この本の著者は翻訳をする人で、長く小尾俊人とともに仕事をしてきたという。
昨年みすず書房から発刊されたこの本、全400ページ余りを読むには私の目は限界で、三分の一をやっと拾い読みしたような状態なのは、著者には本当に失礼で申し訳ないのだけれど、手に取れて本当によかったと心から思っている。
ご高齢にもかかわらずこのような労作を成し遂げられたことに敬意を払います。
小尾俊人の墓は茅野市にあるそう。
茅野のどこなのか?
私は蓼科に通っていたので茅野の町には詳しい。墓前にまでは行かなくとも、寺の前で手くらいは合わせたいものだ。
それほど小尾俊人、みすず書房は私にとって人生の指標となってきた。
作家と出会う幸福と同じように、出版社と出会う幸福もある・・そのどちらも持てた私の読書人生、悪くないなぁと自賛しています。

posted by 北杜の星 at 07:50| 山梨 ☀| Comment(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月28日

南木佳士「家族」

つい最近、若い友人と佐久総合病院の話しをした際に、ちょっと南木佳士の話題にも及んだ。
ちょうどその時にはこの本を読んでいたのだが、そのことを言いそびれてしまった。
彼女は佐久に習い事のために通っていて、佐久周辺の出来事を知る機会があり、南木佳士のことも耳にしたようだ。
彼が精神を病んだことも、そんな彼を支えて人たちのことも知っていた。

これは点字本で再読したもので、表題の「家族」を含む中編2つと短編2つが収められている。
群馬の寒村に生まれ、母を幼くして亡くした彼は祖母に育てられるが、こんな村で人生を埋もれさせたくないと、当時東京に継母と住んでいた父の社宅に中学2年から移り住み、1年浪人の末に秋田大学医学部に入学。医師となり、佐久総合病院の内科医として勤務。
しかし肺がんの専門医として多くの患者を看取った彼は心を病むようになる。

繰り返しその経緯を描いてきた南木佳士だが「家族」では、死にゆく老父を軸としてそれぞれの家族の立場から描く構成となっていて、lこれは南木作品としてはめずらしい。
父本人、継母、姉、そして自分自身。
徹底して父を軽蔑し、継母を嫌った彼なのだけれど、そこは作家。主観だけでなく客観的にも家族を見ていたのだなと感じる。
「あんたのようなサラリーマンだけにはなりたくない」と言い放ち、野心の塊となって医師の道を選んだ彼だが、その部分には偽悪的な表現もあるような気がする。

父は確かに小心者だったがもしれないが、それは戦争体験から自ら「弱者」として生きようと決めていたからだ。
「弱者」ではなく社会の「強者」になろうとした主人公にとっては、父は大いなる反面教師だったことだろう。
(しかし、主人公自身が息子の反面教師となるのだから皮肉なものだ。息子は医師というエリートであってもウツとなり、一人で居ることもできない父を見て、医師にはなりたくないと、生物学の道を歩むことになる)。

そんな父が老いた。老いて寝たきりになり群馬の村から長野県の自宅にやって来た。
そのようになってもどうしても優しい言葉もかけられないい。
介護する妻は体重が40キロを割り疲れ切る。
そしていよいよ最期の日が近づき、彼は父を村に連れ帰る。。

家族の確執の大きさって何だろう。
彼のかたくなさを思う時、いったい父の何が許せなかったのかと、許せなかった彼の人生のしんどさを思う。

他の中編「さとうきび畑」もなかなか良かった。出会った
精神を病んでいた時期の彼が中島義道、中島の師である大森荘蔵の哲学と出会い、ある意味で救われた話しが以前読んだときにも心に残った。
私は南木佳士を読んでから、大森哲学を読むようになったのだが、その時間軸に関する考察には共感するものが多かった。
「さとうきび畑」には面白いお婆さんが登場する。
80歳を超え、皮膚のしわの奥までまで日焼けした農婦だ。
彼女が彼の元に診察を受けに来て、彼の机の上に一冊の岩波文庫を置く。
見ると、ローマの5賢帝の一人、マルクス・アウレリウスの本だった。
「あんたの本は10冊ほど読んだけど、どれも過去ばかり向いていて良くない。これを読んでみろ」と老婦は言う。
彼女はその本を、農村婦人部の読書会で読んそうで、風呂を焚くときに開いていたせいか、ところどころ焼け焦げていた。
(このれアウレリウスの「自省録」で訳者は私の敬愛する神谷美恵子です)。

私はこれに強烈に驚いた記憶があって、今も忘れらないのだが、農村婦人部の読書会でアウレリウスを読むなんて!
さすが教育県で名高い長野県のことはある。
南木佳士もエッセイでたびたび群馬県人と比べて長野県人の理屈っぽさと書いているが、本当に恐れ入る。
インフォームド・コンセントにしても、きっちりロジカルに説明しなくては満足してもらいないそうだ。

南木佳士の小説を初めて読むという人にはお勧め。
そして彼のファンにとっても、複眼的に書かれているこの本、興味深いものがある。
再読して良かったです。
posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☁| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月27日

つかだみちこ「シンボルスカの引き出し」

友人のつかだみちこさんから上梓されたばかりの本が送られてきた。
佇まいのとても美しいエッセイ集だ。

1969年から75年にかけてワルシャワ大学に留学していた彼女は、現代ポーランド文学の日本語訳者としてだけでなく、小説やエッセイも書いている。
最近、大病をされたと聞くが、こんなに素敵な本を出されたことに安心している。
つかだみちこの名はシンボルスカの詩の訳者として知られている。(高校の教科書に乗っていたことがある)。
シンボルスカはポーランドで初の女性ノーベル賞受賞者の詩人である。
静かななかに反体制の強い意思が感じられるシンボルスカの詩は、一度読むとずっと心に残るものだ。
この本の「引き出し」というのは彼女の詩の一節からのもの。

数年前に広島に旅行したときに、ポーランドからのツアー観光客たちと同じホテルだった。
エレベータの中でそのなかの数人と一緒になったので、おはようと英語で言いあったのだが、一人の男性がたどたどしい英語で「What do you know about Poland?」と訊いてきた。
その時私はどういう理由からかとっさに「シンボルスカ」と答えていた。
一瞬、エレベータには沈黙が流れた。
そしてその後でみんなが「ブラボー」と拍手をした!
彼らはみんな、とってもうれしそうだった。
その顔を見て、あらためてシンボルスカが敬愛される国民詩人であることを確認した。そしてシンボルスカを教えれくれたつかださんに感謝したのだった。

つかださんはポーランド文学の日本語約だけでなく、日本の詩、例えば茨木のり子さんの詩をポーランド語訳にもしていて、それはポーランドの有名な文芸誌に掲載されているそうだ。

この本には1969年以来ポーランドに足繁く通う彼女ならではの視点で、ポーランドの風景や親交のある人々が描かれていて、楽しいエピソードをたくさん載っている。
つくづく、私はポーランドのことを何も知らないんだなと思う。
英語圏などではポーランド人に関するエスニック・ジョークが語られることが多く、ともすれば笑いの種にされている。
でも私には、ポーランドや旧チェコスロヴァキアの人々は不屈の魂を持ち、気高く生きて来た人というイメージを持っている。

その厳しい地理的、歴史的なものを感じさせれたのが、この本のV章の「ポーランド文学と文化の話し」だった。
ギュンター・グラスのことが書いてあった部分。
ギュンター・グラスはドイツ人と思いこんでいたのだが、彼が生れた土地は現在はポーランドなのだ。複雑な国と国との間でグラスは生きてきたのだ。
グラスの文学と言っても私は2冊しか読んでいないのだが、その暗い深みがなんともいえない作家である。
大江健三郎がノーベル文学賞を獲った時のコメントで、「グラスもクンデラもまだ受賞していないのに、僕がもらうとは。。」と話していたが、グラスは後に受賞した。
チェコのミラン・クンデラはいまだ受賞しいないのが、私はすごくすごく残念に思っているだのが。。

日本ではあまり知られていないポーランドという国。
これを読めば「行ってみたいな」と思うことだろう。
ワルシャワだけでなくポーランド各地のことを知ることもできるのがいいです。

つかださん、素敵な本をありがとう!

posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☁| Comment(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月26日

中島宏章「ボクが逆さに生きる理由」

「誤解だらけのこうもり」というのが副頽だが、誤解もなにも、こうもりのことを詳しく知る人はあまりいないと思う。
知らないままにイメージだけは持っていて、しかもそのイメージは決して良いとは言えない。
不吉、不気味、吸血鬼・・ホラー映画に出てくる廃墟のような洋館にじっと逆さになっているこうもり。
とにかく、かわいそうなくらい暗いイメージだ。
私だってこうもりのことは、「あれは飛ぶけど鳥ではなく哺乳類」ということをかろうじて知っているくらいだ。

こうもりのこと、何が知りたい?
そう、まずあの逆さにぶら下がる理由。
逆さにぶら下がるのは、コウモリだけでなく、蜘蛛もそうらしい。理由はどちらも簡単だ。エサを見つけた時に上に登るより下に降りる方がラクではやいからだそう。

顔はネズミに似ているがネズミの仲間ではなく、つきつめると「ウマ」だと書いてあるのには驚いた!
こうもりがウマ?似ても似つかないじゃない・・と興味ある人はこれを読んでください。
こうもりは約1300種もいて、虫や植物を食べたりするものが多いが、吸血こうもりも確かにいるのだそうだ。
こうもりと聞くと「超音波」を思い浮かべるが、こうもりは超音波で周囲の状況を判断していて、そのエリアは約20メートル。時に40メートル先まで感知できるものもいる。
「超音波」というとなにやら特殊の「超能力」みたいな特別なことのようだが、人間には聞きとることのできない高い音域のこと。
それを聴きとれるのはこうもりだけでなく犬とか、他にもたくさん存在する。

こうもりって意外に身近にいるんですね。
都会でもたくさんいるらしい。気をつけて夜空を見れば飛んでいるのがわかるそうだ。
私たち夫婦は15年前まで蓼科の家に週末通っていたのだが、ある日、家に着いてリビングのドアを開けると、何かがさーっと飛んでいた。
その飛びかたはあきらかに鳥とは違う。鳥はバタバタと羽を動かすが、こうもりは「音も無く」という感じでスーッと動く。
飛ぶものはなんでも怖い私はギャーギャー騒いだのだが、夫が窓から逃がしてやっていた。
どうやら暖炉の煙突から入ったようだった。

私、こうもりを食べたことがあるんです。
大昔、インドネシア料理店で出て来た。覚えていないんだけど「不味くて食べられなかった」記憶はない。鶏肉に似ていたのかなぁ。
つい最近、台湾に一緒に行った友人が、とてつもなく大きな乾燥キクラゲをくれた。
とにかく大きくて、水で戻すのも時間がかかるのだが、戻したあのキクラゲ、まるでこうもりのようだった!
大きさといい、色といい、形状といい・・

知るということは理解すること。
理解すれば愛も生れる。
この本ですっかり、こうもりが好きになりました。かわいいヤツですよ。
posted by 北杜の星 at 07:54| 山梨 ☀| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月25日

梯久美子「狂うひと」

じつはこの本、かなり前に読んでいたのだが、どう書けばいいのか迷っていて結局書かないできたものなのだが、今月上旬に東京に行った時に、友人とこの本の話しが出た。
彼女は読後感想として「なんと言っていいかわからないし、これはとっても良いからと人にも勧めにくいのよね」と言った。
それには私もまったく同感だった。

もともと私は「死の棘」が出版されたとき、大きなショックを受けた人間だ。
島尾敏雄は私にとっては「純文学の極北」ともいうべき大切な大切な作家だった。
島尾は私小説家ではあるがそれまでの「出発は遂に訪れず」にしても「出孤島記」にしても「夢の中の日常」にしても、小説としての処理がしてあった。
なかでも「夢の中の日常」はシュールですらあった。
それなのに「死の棘」のあの生々しい直接さには胸苦しさだけが残った。
もちろん島尾は「死の棘」でもフィクションとして創作はしているだろうとは思う。
でも彼がどうしてこれほどまでの筆致で描かなければならなかったのかが、私には理解できなかったのだ。
大切に温めていたものを壊された気持ちだった。

島尾は自分の日記をわざと妻、ミホの目に触れるように置いていた。(これを読むと彼はこれまで下宿などでもそのようなことをしていたようだ)
ミホはその中の17文字の文章により狂ってしまった。
それが島尾一家4人の家庭の崩壊の始まりだった・・

私が「死の棘」とこの本の解説をするまでもなく、「死の棘」はそれまで島尾の名を知らなかった多くの人に読まれ、映画化もされ、またこの本はほとんどすべてと言っていいほどのメディアの書評で取り上げられている。
だからこれについて今さら私が書くまでもないのだけれど。。
私小説家というものの「業」のようなものについて、ちょっと書いてみようと思う。

特攻隊長の若い青年(帝大出の特攻隊長といえば当時はすごいエリートだ)が奄美群島加計呂島の祭事を司る島長の娘と知り合い結ばれる。
これだけでとても劇的でロマンティックな出来事だ。
やがて二人には息子と娘が生れ、慎ましく穏やかな暮らしを送るようになる。
しかし、この暮らしでは「書く」材料がない。私小説家にとってあまりにも平和すぎ、過去の体験は戦後時間が経つほどに色褪せてくる。
島尾は風穴をあけたかったのではないか?
共に暮らしてきた島尾に、妻ミホのエキセントリックさがわからなかったはずはない。
戦後作家派と第三の新人との両方に属する彼は、活躍する戦後派の大岡昇平や武田泰淳、第三の新人である吉行淳之介や安岡章太郎や阿川弘之らを横目に、心焦るものがあったと思う。
こうした穿った見方は意地悪かもしれないが、完全否定はできないような気がする。

長男の島尾伸三氏(私は彼の文章が大好き!)はこの本の著者の梯久美子に「きれいごとは書かないでください」と念を押したそうだが、それは伸三氏の書いた「小高へ」という父・島尾敏雄への旅の本の中で、島尾の家族の崩壊に対しての無力ぶりを強く非難していることでも伺える。
しかしもっとも気の毒な犠牲者は妻ミホや伸三氏ではなく、娘のマヤさんだ。
マヤさんはそのような家族のなかで心を病んでいった。

ロシアの映画監督スクーロフに「ドルチェ」という作品がある。
それは島尾ミホを撮ったドキュメンタリー映画なのだが、その中のミホは当時すでに80歳を超えていたはずだ。
けれどたっぷりした真っ黒な髪にこれまたたっぷりとした身体を着物御に包み、「女」そのものだった。
この本の中でも瀬戸内寂聴がそんなミホの様子を見ているが、正直言って、私は腰が引けたなぁ。
薄気味悪くて怖かった。
この映画の中で、マヤさんの手が階段の手すりにかかったワンシーンがあった。顔や姿は写されていない。
その手と手首の細かったことが忘れられない。
その後数年してマヤさんは亡くなった。

「死の棘」の成功(売れたという意味で)が本当に島尾にとって良かったのかどうか、私にはわからない。
以後、彼の小説は「病妻もの」を期待されるようになった。
それ以後はむしろ小説以外の彼の著書のほうが私は好きだ。南の島に関する彼の評論などはかなりすぐれたものだと思う。
島尾敏雄については「思いの丈」は書ききれないほどあるので、この本についても複雑な気持ちである。
最後まで明かされなかった「17文字の日記の文章」も、ノンフィクションとして読む方にとっては不消化気味だ。
それにしても小説家の家族は「書かれる立場」として、ずっと人生を引き摺らなければならない。しんどいことだ。

島尾敏雄は恩人です。
島尾が小川国男の私家版「アポロンの島」を絶賛したから、小川国男は世に出られたのだから。
そして小川国男の「アポロンの島」は私と私の夫にとって、永遠の「一冊」なのです。
posted by 北杜の星 at 08:37| 山梨 | Comment(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月23日

ハッチの週間身辺雑記

芥川賞、直木賞の候補作品が発表となりましたね。
とてもうれしかったのは、木村紅美さんが候補となっていたことです。
「雪子さんの足音」という群像9月号に掲載された中編です。
最近はとんと文芸誌を読まなくなっているので、残念ながら未読です。
私は10年近く前ににやはり芥川賞候補となった「月食の日」以来、ほとんど全作品を読んできました。
どの作品もそえぞれ内容が異なり、「あぁ、物語りを書く人なんだな」という印象を持っています。
小説というのは物語りです。何も起きない内省的な小説もそれはそれで好きですが、展開のある小説はやはり小説としての醍醐味があります。
でも2年くらい前かな、彼女のその当時の新刊にはどうしても感情移入できず、読み通すこともできず、途中で止めてしまったことがありました。
私も悲しかったけど、作者である木村さんはもっと悲しく腹立たしかったと思います。
このブログのコメント蘭に何回かそのことについてのやりとりが、木村さんご本人とありました。
本が売れない、出版界がうまくない現状を説明してもらい、作家さんの大変さが身にしみて理解できました。
素人がブログで心ない批評をしたと、気に病んでいたのですが、だけどずっとずっと、彼女のファンでした。
(このブログで検索してもらえれば、いかに私が彼女の本を取り上げているかがおわかりと思います)。
だから今回、候補となったのが本当に喜ばしいのです。
少しでも多くの人に木村紅美という作家さんの名前を知ってもらって、読んでもらいたいものです。

今年も群馬県みどり市の東町から冬のプレゼントが届きました。
大きなシクラメンの鉢、干し芋、それと家の庭の柚子。
会いたくてもなかなか会えない友人ですが、こうして心のこもった便りがあるのは本当にうれしい。
干し芋はその集落で作り手がだんだんと減っているそうで、今年は初めて真空パック入りのものでした。
真空パックと聞くとなんだか無味乾燥な印象ですが、その干し芋は丸のままで、しかもとっても柔らか。
しっとりの干し芋の方が断然好みなので楽しみです。

我が家に植えてある柚子は、彼女のところに通っていた十数年前に、近くの黒保根の道の駅で苗木を買って植えたモノ。
なかなか実をつけてくれなくて「伐っちゃうぞ」と脅しながら待っていたら、ここ3年くらい前から、小さい実を数個つけるようになりました。
柚子です、というのが恥ずかしいくらい小さいのですが(キンカンほどの大きさ)、柚子は柚子。
懐かしいみどり市由来の木なので、大切にしています。
でも送って頂いた柚子はとても立派、ということはそのうち我が家の柚子もそうなるのかも。。

さて、冬の我が家の大イベントが終わりました。
クリスマス・パーティを18日に催したのです。
いつもはクリスマス当日周辺なのですが、今年は早めに終わらせたい気分だったのです。
いつも総勢8人。というのはディナーなのでテーブルにきちんと坐ってサービスしたいので、8人が精一杯。
夏のテラス・ランチならもっとお招きできるのですが、それしても私たち夫婦はどちらかというとちゃんと席について食事をしたい性格なので、立食パーティは苦手なのです。
8人のうち6人、3組n夫婦は私たちを含めパーマネント・メンバー。
もう一組はその年に知り合い、他のメンバーに紹介したいというカップルを選んでいるのですが、このところ3年続きでMさん夫妻となっています。
Mさんとは10月に台湾にもご一緒したので、今年は絶対にMさんでしょと、最初からの決定事項でした


アミューズに海老のフリットとパテ・オン・トースト。
前菜は、カプレーゼ、生ハム、クスクス・タブレ、牡蠣のマリネ、ブロッコリーのマリネ。
主菜はブイヤベースと骨つきチキンのロースト。
それから順序が逆ですが、スパゲッティのトマトソース、パルミジャーノかけ。
(パスタを最後にしたのは、パスタでお腹の調整をしてもらおうと考えてのこと)。
デザートは友人のおもたせのいちごのタルト。(これ、初めてのお店のケーキでしたがとっても美味しかった!)
ラストはこれも友人からの、あまおうのいちご。
コーヒーというメニューです。

体調は万全だったのに、どうも出来栄えは完全満足というものではなかったものの、みんなでワイワイ楽しかったのがなにより。
他の友人の持って来てくれたシャンパンと、久しぶりのキャンティ・クラシコもいい感じでした。
ほとんど下戸の私は、ボディのしっかりしたボルドーのようなワインより、軽めのブルゴーニュとかイタリアも北の濃いのよりトスカーナとかウンブリアnワインの方が断然好みです。

シャンパンを持って行くよと約束していた友人Iさん、予定の時刻になっても着きません。
30分経った頃夫に電話があり「財布がどこにも見当たらない。免許証もカードも入っているのに」と言うではありませんか。
夫が「パーティは無料だから財布は要らねぇよ。免許不携帯は罰金だけだけど、こんな田舎パトなんていない」と答えると、Iさん、「それもそうだな」とやっと到着。」
(後で「財布、あった」と連絡がありましたが)。

これがお終われば、取り立てて特別な行事はもう大みそかまでりません。
気の向くままに掃除をして、お誘いがあれば食事に出かけ・・ゆっくり過ごします。
お正月に読む本もサピエ図書館(全国ネットの点字図書館)に予約したしました。
1タイトル4巻を20日間で読めるかどうか不安ですが、頑張ってみます。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月22日

徳永進「どっちであっても」

「どっちであっても 臨床は反対言葉の群生地」
というのがこの本の題と副題。

臨床医として医療の現場で40年。現在は鳥取で「野の花診療所」を経営しながら、外来・ホスピスケア・在宅の患者さんたちと毎日向き合っている。
私はこの人が大好きだ。
こうした医療に携わるのだからむろん志が高いのだが、私が彼を好きな理由はそれだけではない。
じつに正直だからである。
どれほど彼が正直かは、必ずしも「優しい」という言葉だけでは説明できない。
時には患者に「死ぬのは怖い?」などと問うのだから、ニャンニャンと優しいだけの医師ではないはずだ。

その徳永先生が、医療の現場は反対語に満ちているという。
それはそうだ。まず生と死という大きな反対語があるのが医療現場だ。
しかし生と死という真反対の言葉であっても、それらは対立するものではない。
反対語のなかにははっきり二項対立ではなくて、かなり曖昧な部分から成り立っていたり、表裏一体となっているものが多い。
それこそが、人が生きるということではないのか?医師はそのことをもっと考えるべきではないか?というのがこの本。

この中に思わず笑うエピソードがある。
入院患者が危篤に陥ったが、息子はその時ある事情から刑務所に居た。父のもとに連れて来られるのだが、徳永先生はせめて死に目に合わせてあげたいと必死でその患者さんのかわらで「生きて「生きて」と心なかで叫ぶ。
やがて息子が到着、間に合った。
けれえど患者さん、なかなか息を引き取らない。連行してきた警察官が時間だからと息子を連れ帰ろうとする。「もう少し待ってあげて」と頼むのだが規則だからと言われる。
そこで徳永先生、また必死で今度は「死んで」「死んで」と心で叫ぶ。。
(ね、正直でしょ。)

呼気と吸気という反対言葉もある。
空気は吸わなければ生きていけない。しかし吸う前にまず吐くことが大切。これは呼吸法の基本だ。

医療の現場では大きな問題と小さな問題がせめぎ合っている。
手術をするか延命治療をするかどうかは大きな問題。癌の末期になってもう治療は拒否したとしても、決めなくてはならない問題は起きる。
尿がでないの場合は導尿すればラクになるし、ちょっとケアすると穏やかな状態でいられる。
キュアしなくてもケアは必要。
他にも臨床では自動詞と他動詞も混在しているという。

反対言葉の境界を決めようにも決められない臨床。
それはつまり、人間の力だけでは及ばない何かが命にはあるということなのかもしれない。
少なくとも徳永先生はそのことをご存知なのだと思う。

この本に出ているが、先生が京都大学の医学生だった当時、ある友人に誘われて鶴見俊輔の講義を聞いたという。
鶴見の話しにはかなり触発されたみたいだ。
そうした出会いがあったとは、鶴見俊輔も大好きな私にはとてもうれしい。



posted by 北杜の星 at 07:30| 山梨 ☀| Comment(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月21日

汽水民俗研究会編・著「民俗学者が歩いて出会った人たちのことば」

汽水民俗研究会って何?
汽水と民俗学がどう結び付くの?
と、不思議な気持ちでこの本を手に取った。
説明を読んでよくわかった。
河川と海が交わる汽水域では、昔か豊かな文化が形成されてきたという。
日本全国のそれらの土地を訪ね歩き、そこに暮らす人々の話しを聞いた研究の成果がこの本。
この本は汽気文化に深い興味を抱く民俗学者たち6人の執筆によるもの。

民俗学の聞き書きと言われて思いだすのが、宮本常一だ。
柳田國男などのアカデミックな研究とは違って、彼は自分の足で歩き、地方の家々を訪れ炉端で夜を徹して話を聞いた。
「人たらし」とも言われるほどに、人の懐に飛び込むことに天才的な能力があった彼だからこそ聞けた話しはあ多かったことだろう。
この汽水民俗研究会の学者さんたちも、聞く、聞いて書くことに関してはプロフェッショナルのようである。
なんとも奥深い珠玉の人生の言葉を引き出している。

汽水域に住む人だから、漁業に従事するひとが多いが、行商の花屋のおかあさん、魚の行商人、鍛冶屋、農業、石材採掘をする人、代々カモ猟を行ってきた人・・
漁業でも普通の船を出しての漁業もあるし、潜り漁業やカツオの一本釣り漁業もある。
すべてが聞き書きではなく、30年もの長きにわたる農家の人の記録もあって、これがとてもおもしろい。
日本の高度成長時代の農家、農業がどうであったかがつぶさに理解できる。
人力で行っていた農業にだんだんと農機具が入ってきた時代の様子など、まさに民俗学的興味をそそられる。
なんであってもしっかり記録することの大切さをつくづく感じる。

「海は大きな生きもの」
「石は割れたい方にしか割れない」
「頼ってくれてありがとう」
「十億の仕事を喜ぶより、百円の仕事を喜ぶほうがいい」
「雪が消えて土が見えると、会いたかったものに会える気がする」
「雨でも行く 正月でも行く」

理屈や理論ではない生活に根ざした言葉の数々を前にすると、私なんぞが放つ薄っぺらな言葉など、恥ずかしくてただ下をうつむくだけだ。
「何もかも、全部しんどかった」と言う石川県の山中で焼畑を作って暮らした山口さんの言葉にあるように、一から作り上げる仕事の苦労は並大抵のものではなかったろう。
漁業にしても農業にしても自然との闘い。台風もあれば地震もある。
3・11のあの東北の大震災のことを話す人がいる。もっともっと昔の大地震の記録も出てくる。
でも、どんなに厳しい海や自然であっても、彼らがスゴイのはその自然を否定するのではなく、厳しい自然と共生する強さを持っていること。そして自然に対して畏怖の念を忘れないこと。
世の中には偉人や有名人の金言は多い。
しかし地を這うように生きる人の言葉の重みは、それらに決して負けない力がある。
日本全国の汽水地方に赴き、こうした話しを集めたこの研究会の民俗学者さんたちに感謝です。
posted by 北杜の星 at 07:27| 山梨 ☀| Comment(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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