2017年08月15日

藤生明「日本会議」

今日は敗戦記念日。
日本の将来を考えてみようと、この本を読みました。

日本会議。
海外メディアは日本会議を日本最大の右翼団体と位置付けている。
会員は4万人以上。全国すべての都道府県に支部を置く。
現在組閣の議員たちの大部分が会員であり、安倍政権を支えるものとして、改憲、国防、靖国神社の国有化、教育、皇室(男子直系)などについての方向付けは、日本という国をどこに運ぼうしているのか、私など団塊の世代として左派リベラルな人間は心配になってくる。
その日本会議がどんな組織なのか、その成立から詳しく記述しているのがこの本。
しかしこの著者は私見を述べることは避け、取材した事実を挙げ、その本質を考えるのは読者に任せているようだ。
はたして日本会議が「日本を裏側から支配しようとしているシンジケート」かどうかは、読者の判断しだいだ。

国会議員は約290人、地方議員は1800人。
神社庁や新興宗教団体、企業家・・
日本会議の会員はさまざまだが、私に言わせれば「保守反動」勢力としか思えない人たちである。
(もっとも現在は「リベラル」という言葉が死語となっているのだが)。
しかしどの国の政権にも、「影」の勢力はあって、政府はどこもいわゆる「傀儡」なのであるから驚くにはあたらない。
アメリカには「ヘリテージ財団」という米財閥系の組織があって、これはシンクタンクと称されているが、アメリカの国政の方向を決定するものとされている。
いつの時代も政策の中心は国民ではなく、こうした財閥や企業の論理で動かされているのだと思う。

日本会議の正式設立は1990年代とされるが、発端は1967年、長崎大学に二人の学生が入学したことによる。
彼ら二人は新興宗教「成長の家」の教えを信奉する者たちで、当時盛んだった左翼学生運動を制圧し大学を正常化させることが目的だった。
(「成長の家」は数年前から私の住む山梨県北杜市に本部を置いている。)
それがしだいに発展し、「美しい日本」「神聖な国家」を内外に認知させようとする組織となった。

まず「教育の正常化」。
正しい歴史観を教え、道徳を重んじる教育。
それから「靖国の国家護持」を掲げる、
天皇制の強化。
そして憲法を変えること。

他にも日本会議の目的はあるが、大きくまとめると以上のようだ。
これに賛同する日本人は増えているのが現状だが、当然、アジア諸国からは危険な団体として見られている。
ほんの70数年前のあの戦争を「侵略」ではなく、「解放」するためと言いくるめようとしているこの国が、他のアジアの国々から懸念されるのは無理はない。

いつも私が思うのは、人間は歴史からは学ばないということ。
歴を繰り返すだけ。
そんな愚かさがいつまで続くのか。
せめて私たちは、「疑問」に思い、「それて本当にそうなのか」と自分の頭で考えることが大切ではないだろうか。。
先日、北朝鮮がミサイル発射をした際に、東京の地下鉄が停まったが、あれが本当に必要だったのか?あれは何かを扇動しようとしているのではないか?
(あれに対しては韓国からも「過剰反応」と言われている。)

自分の頭で考えるためにもこの本、お勧めです。
posted by 北杜の星 at 07:15| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月12日

ハッチの週間身辺雑記

昨日の山の日から本格的な夏休みの方が多いのでは?
スーパーに行ったらすごい車、車・・
レジには長い列。
都会の人の買い物と地元の人の買い物、支払い方法に違いがあるんです。
別荘族や移住組はカード、地元の人は現金。このシーズンはカード支払い用のレジが長蛇の列となり、ます。

暑いです。湿気が多いのがイヤですね。でも大阪から訪れた人は「なんて爽やか、湿気がない!」と驚いていました。
水曜日などは高原とは思えない33度にまで気温上昇。
もっとも朝晩は涼しいのが都会とは違うところで、ありがたいですが。

夏はできるだけ身の周りを簡潔にするのがいいですね。
というのは、我が家は梅雨明けに暖炉の前に敷いているギャッべをクリーニングに出したのですが、フローリングがそのまま見えている床はなんとも涼しげ。
モノがないのって、こんなにすがすがしいのかと思います。
でもこのギャッべは必需品。暖炉の火の粉が飛んで床を焦がすのを防ぐのが目的で敷いているので、取るわけにはいきません。
冬の間だけ出すことにすればいいのですが、保管場所もないし、ストレッチ体操をするのに床では固すぎる。
なので夏でもまた、敷くしかないですね。
(そういえばハッチの背中に火の粉が飛んで、純毛の焦げる匂いがしていました。「もぅ、やめてよ」という顔で脇によけてましたけど)。

2週間前に漬けた梅を、天日干しています。
「もう赤紫蘇がなくて。。」と話したら、生活クラブを届けてくれる方が、「来年から私に言ってください。我が家にいやと言うほどありますから」と、うれしい言葉。
彼女は庭でたくさんの野菜を作っていて、一人暮らしなので消化しきれないのだとか。
近くの自然食品店の女性も、「自宅で採れた胡瓜、あげるよ」と言ってくれることも。でもそのお店では別の人が作って持ってきた胡瓜も売ってるんですよ。
みんな、なんて良い人なんでしょうね。
第一、その自然食品店が私に生活クラブをお願いするよう薦めてくれたのです。扱う商品に同じようなのが多いというのに、商売気がないというか、太っ腹というか、ここに住む人たちの素敵な「気」に包まれているのを感じます。

私の友人がお母様の介護問題でこのところ悩んでいたのですが、やっと良い解決方法に向かってきたようです。
老人ホーム入居資金のためのマンション売却が成立し、ホームも近くで見つかりそうだとか。
介護はある人が「終身刑になったような気持ち」と言っていましたが、行き場がない不安が一番心弱るもの。
彼女、ここ2〜3カ月は本当に心配だったことでしょう。
メールに「今日やっと、美味しいと思って夕食を食べることができました」と書いてあるのを読み、どんなに彼女が大変だったかを改めて思いました。
良かったです。

今年は例年より「ミョウガ」が生るのが早いみたいで、近所の農家の方がたんと持ってきてくださいました。
「みょうが、好きかね?こんなに迷惑かね?」
とんでもない!
私は大の大のミョウガ好き。
麺類の薬味にはもちろん、食欲がない時は、ミョウガとおかかに醤油を混ぜたモノ、それと辛味大根があれば混ぜたのを熱々ご飯に乗ってると、2杯は食べられちゃいます。
ミョウガを何度か植えたのだけど、どういうわけが我が家では生育しなくて、もう諦めました。
こちらでは頂くし、農家のおばさんの出店で買っても安いのです。
東京のスーパーなどでは、3ケ発泡スチロールのトレイに入って、150円くらいしますよね。信じられない値段です。
こんなにミョウガ好きな私なのに、弟は大嫌い。同じ家に育っても食の好みは違うもの。
夏はみょうがと香菜(パクチー)があれば、私はご機嫌です。

夏休み真っ盛り。
植木屋さんにはお盆休みがないのかな?
今日から我が家の庭に職人さんに入ってもらいます。
伸びすぎてせっかくの南アルプス駒ケ岳が見えなくなってきたねむの木などを伐ってもらったり、桜の芯止めもしてもらう予定なのでその下見とか。
芯止めをすると今以上には上に伸びず、枝を張るようになるのだとか。
上に伸びると眺望ぜ絶佳が台無しになるし、閉塞感が増しますから。
でも芯止めは秋が適しているそうで、秋まで工事はお預けです。
「桜、切るバカ」と言いますが、切り口を養生して、そこから雨が入らないようにすれば大丈夫。
我が家の隣の山荘はご主人が亡くなって売りに出されていましたが、この眺望ですぐに買い手がついたそうです。
前に電線がないのも好条件だったと聞きます。
たしかに南にも北にも山がある土地ですけど、ここほど眺望があるところは珍しいのです。
ここに来た人は「まぁ、こんなところがあるのね!」と驚きます。

この植木屋さん、本職は植木なのですが、ぶどう作りもしています。
両親のぶどう畑、高齢になってできなくなり、彼ら息子夫婦が昨年から担うようになったのです。
でも昨年はぶどうに病気が発生し、まったくというほど収穫ができなかったそう。
ぶどうは栽培が大変なのです。ずっと丹精込めて育てたというのに気の毒でした。
高級なシャイン・マスカットをここまで引き売りしに来てくれる約束になっていたのに、残念でもありました。
今年は大丈夫かな?
シャイン・マスカットは高値で取引されるので、ここのところ栽培農家が増えてます。なにしろ一房、1500円〜2500円くらいします。
スーパーでは10粒くらいで売っているほど。
確かに大きな粒なので、5粒も食べれば満足でいます。
だからどこでも作るようになってきたので、あと数年すれば値崩れすると言われています。
でもそうなると、また新品種が開発されるのでしょうね。そして農家の手間は増えるばかり。。
日本の果物のあの完成度って、本当必要なの?と疑問を持ちます。
粒のそろった見事なさくらんぼとか巨峰とか。。
あれを作るためにどれほどの努力をしているのか。さくらんぼ一粒が300円なんてのもあると聞きます。
それにあんなに甘くなくてもいいと思いませんか?

いろんなことを考え始めると、ますます暑くなるのでやめにします。
どうか皆さま、楽しい夏休みをお過ごしください!
posted by 北杜の星 at 07:19| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月10日

青山七恵「訪問者」

ちょっとイレギュラーな紹介になる、というのはこの短編は文芸誌「小説トリッパー」に掲載されたもの。
最近、文芸誌をとんと読まなくなった私がなぜこれをこのところ読んでいるかの理由は後で述べます。
文芸誌の連載物はせっかちな私の性格には向かない。1カ月も次が待てないからだ。そういう意味では新聞小説はまだいい。
ましてや「小説トリッパー」は季刊誌だ。3カ月も待てないよ。
文芸誌が役立つのは、長期の海外旅行に行く時だ。何冊かの文庫本はすぐに読み終わってしまう。単行本は重すぎる。
そこにいくと文芸誌は読み応えがあるし、自分からはすすんで手に取らない作家のものも読める。評論やエッセイもあるからバラエティに富んであきない。雑誌なので読み終わって捨てても気が咎めない。
なので2週間の旅行には1冊、1カ月のときには2冊。これで概ね賄えるのだ。

短編小説はある程度まとまらなければ本にはならない。だからこれも出版されるまでには時間がかかるはず。
だからちょっと読後感想を書いてみようと思う。
これは「女ともだち」という特集の一編で、青山七恵の他に、飛鳥井千砂「甘く、おいしく」、加藤千恵「非共有」、金原ひとみ「fishy」、綿矢りさ「岩盤浴にて」の競作?となっている。
綿矢りさの「岩盤浴にて」もよかったけど、なんといっても青山七恵の「訪問者」がいつまでも引っかかっている。

ある暑い日、地方都市の大学に行ってそのままそこで就職し家を離れている姉が、久しぶりに実家に帰って来る。
一人の女ともだちを連れて。
ランチを一緒にした後、姉と友達は散歩に出て夕食にも戻らない。みんなが寝た頃になって戻って来て、友達は主人公の部屋で寝ることに。
朝起きたときにはすでに彼女たちの姿は見えなかった・・

と、これだけの話しなのだが、姉が連れて帰った女ともだちについては何もわかならないのだ。
名前もどんな友達なのかの会話もない。とにかく説明がまったくない。
わからないからこそ、その存在感が膨れ上がってくる。
姉が以前言った「小説を書く」という唐突な言葉だけが、宙に浮いて、これは何かのキーワードなのかと思うのだが、その言葉はどこにも着地しないまま。

だからこれを読んでも「察する」しかないのだ。
多分、姉は母親とうまくいっていなかったのではないだろうか?
多分、そんな母に追従しているだけの父にも苛立っていたのではないだろうか?
主人公である妹に対してはどうだったのか?
女ともだちと一緒にいると、自分が自分らしくいられるのではないか。。
でもなぜ、実家に彼女を連れて来たのか?
なんだか不思議な短編。このもやっとして、でも確かに「そこにある空気」だけが伝わってくる。
印象的な短編だった。

「小説トリッパー」には昨年冬号から、井上荒野の「あちらにいる鬼」が連載されている。
これを私はやじ馬根性丸出しで読んでいるのだ。
井上荒野の父は作家の井上光晴。彼が女性に大モテだったのは有名な話し。
そして瀬戸内晴美(寂聴)と恋愛関係にあったのも有名な話しで、彼女が仏門に入ったのは光晴との関係を清算するためとも言われていた。
その光晴と瀬戸内晴実と、光晴の妻(荒野の母)の三者を描くのがこの「あちらにいる鬼」。
まだ寂聴さんは生きているのに、こんなの書いて大丈夫なの?と心配になるのだが、これはまったくのノンフィクションとは少し趣がことなっていて、フィクション、つまりは小説であるような気もする。(もちろん彼ら3人の関係が基になっているのだけれど)。
先日荒野の「母のこと」という私小説を読んだので、とくに今回は興味津津だった。
(私、芸能ネタにはまったく興味ないのだけど、文壇ネタにはすごくミーハーなんです)。
現在3話。あと何回続くのだろうか?
3カ月も待つのはシンドイ。

posted by 北杜の星 at 07:24| 山梨 ☀| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

今村夏子「星の子」

今村夏子はいま私がもっとも関心をよせる作家だ。
といってもまだ発刊されているのが「こちらあみ子」「あひる」そしてこの「星の子」の3冊のみ。
でもこれまで三島賞を受賞、芥川賞候補にもなっている。
私は批評家ではないいので彼女がこの先、書き続ける力量のあるひとかどうかの判断はつかないが、少なくとも現在まで書いたものを読むと、作品に流れる空気感には独特の感性があるし、文章は緩いなかにクスリと忍び笑いの要素もある。
平易だがけっして平坦でない文章に隠された、じつは深淵なテーマ。
なかなかに「クセモノ」新人作家だと思っている。
(広島出身というところも、応援したくなる一因かな?)

ちーちゃんは未熟児で生まれたせいか病弱で、酷い皮膚炎を患い、途方にくれた両親は知人からある「水」をもらい受け、ちーちゃんをその水で洗ってみた。
するとどうだろう?
それまで何をしても効果のなかったちーちゃんの肌がみるみる治ってきれいになったのだ。
以来、両親はその「水」を信奉し、頭の上に「水」を浸したタオルを乗っけるようになった。
「水」はある新興宗教が売っている水だった。

ちーちゃんの叔父(母の弟)は両親に「「目を覚ませ」「騙されている」と忠告するが、両親は聞く耳をもたない。
ある日叔父は、そっとその水をすべて公園の水道水と取り替える。それに怒った両親は叔父との付き合いを絶ってしまう。
そんな一家のなかで、ちーちゃんの姉だけは水にも宗教にも違和感を持ち続けていたのだあろう。家を出て行った。
家出間前、姉はちーちゃんに水取り替え事件がじつは自分の手引きだたことを告白する)。

価値観は人それぞれに違う。宗教に関してはとくにそうなのかもしれない。
それを信じる人には絶対でも、信じない人にすれば「怪しい」「騙されてる」と映る。
何を信じようが自由なはずなのに、ともすれば色眼鏡でみてしまう。
ちーちゃんも幼いころからそういう経験をしてきた。いじめられるほどではないけれど、友達からは距離をおいて見られることが多かった。
そうだからこそ、宗教の集会に参加すると、みんなからやさしく話しかけられるのがうれしかった。
そこなら、自分の居場所がちゃんとあるという安心感で息が大きく吸えた。

でも本当にちーちゃんは両親のようにその宗教を信じていたのだろうか?
それはちーちゃん自身にもわからないのではなかったか?
ただ確かなのは、自分の両親が限りなく自分を愛してくれていること。それは絶対揺るぎのない愛だ。
やがて高校生になろうとするちーちゃんが、これからどんな道を進むのか?
いつまでも星を見ながら、ちーちゃんは何を思う?

懐疑的になろうとするとどこまでも疑わしい宗教。
でも人は信じる。信じるって何なのか?
自分を愛し、自分が愛する人が信じるものならば、盲目的に信じられるのか?
ちーちゃんは案外に醒めた目を持ちながら、「信じよう」としているのではないだろうか?
今回も、はっきりした結論はでない今村夏子の作品だが、胸にいつまでも残るものでした。
そういえばこれが初めての長編なんですね。
次回作もおおいに期待!
賞はとってもらいたいけれど、賞レースとは違うところで頑張って書きつけてもらいたい作家さんです。

posted by 北杜の星 at 07:24| 山梨 ☁| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月07日

千早茜「ガーデン」

主人公の「僕」は30代前半の雑誌編集者。
女性たちから関心を寄せられても、深い関係は築けない。周囲からは草食系とみなされている。
「僕」はずっと違和感を持って生きている。
それは幼い頃に発展途上国で過ごした経験がある「帰国子女」だからかもしれない。

このあたりは作者の経験が投影いされているのかもしれない。(千早茜は幼少時をアフリカのザンビアで過ごしている)。
「僕」が住んでいた国は治安が悪く、家と学校の往復、それも運転手の車からの風景しか知らない。
家には門番や庭番、手伝いの現地の人が数人いて、彼らの宿舎が敷地内にあり、プールもあった。果樹園も菜園もあった。
「僕」はその敷地の緑のなかで育ったのだ。

帰国してから「僕」は閉塞感に包まれる。そして唯一、心が休まるのが、自分の部屋を埋めつくす植え木に囲まれるとき。
多忙な仕事の後で、女性たちとのあれこれの後で、「僕」は部屋の緑の世話をし対話する。
「僕」の周囲の女性たち、モデル、同期入社の女性編集者、花屋で働く女性、取材先の建築家に囲われているニューヨーク育ちの女性・・

けれど気がつくと、「僕」の周りから女性たちはいつのまにかみんな消えていた。
彼女たちにはターニング・ポイントがあったのだ。
それは病気だったり、新しい恋だったり、失恋だったりもするのかもしれないが、つまりは「僕」は見捨てられたのだろうか?
変わった彼女たちと変わらない「僕」。
「僕」はで、も、そもそも、変わることを望んでいいるのか?

この「ガーデン」、これまでの千早茜のなかでは一番好きだ。
彼女は「男ともだち」以来、ちょっと進化したとうか、「書く」ことに本腰を入れた感じがする。
千早茜のような立ち位置の作家さんが頑張って、こんな秀作を書いてくれるのはとってもうれしくて楽しみ。
書き続けているひとがいつか報われるのなら、応援したい作家さんは幾人かいる。
栗田有起、安達千夏、木村紅美、生田紗代たちにもうひと踏ん張りを期待したい。
(そういえば高瀬ちひろって書いているのかな?彼女の「踊るナマズ」はユニークだったけど)。
千早茜を含めて、誰がこれから飛び出すかを見て行きたい。
新しい作家はどんどん生まれているが、最近は息が短い。使い捨てにならないよう、時代に迎合しないでじっくり自分を保つことでしか生き残れないと思う。
彼女たち、私は大好きなんですから。
posted by 北杜の星 at 07:58| 山梨 ☀| Comment(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月05日

ハッチの週間身辺雑記

迷走台風5号、進行ルートが13と言われていて、どこに進むか不安な土地がたくさんあるようですが、とくに九州の大雨被害地に追い打ちしないよう祈るばかりです。

今年は初めて我が家にできた梅で梅干しを漬けました!
せっかく植えるのならと、白梅は南高梅を選んで7年目くらいになるかな?
花は美しく咲き、香も素晴らし士のに、実が小さく貧相で「これ、本当に南高梅?」というほど毎年ガッカリしていたのです。
ところが今年はスゴイ!
少ないものの、約1キロほど採れました。大粒で香の良い完熟の梅です。
塩漬けし、水が上がってきたので、赤紫蘇を塩もみして入れました。
この赤紫蘇が問題で、この寒冷地では梅が生るのが遅いのです。赤紫蘇がもう終わっていることも。
でも生活クラブで注文できたのはラッキー。
あと一週間したら干します。もう土用は過ぎたけれど、真夏の太陽の下で3日〜5日間、昼も夜も干すつもり。しっとりした方が好きなので、赤紫蘇梅酢にまた戻す予定です。

梅干しはN子さんが毎年作ったのを下さっていました。それが庭の梅がダメになって実があまり採れなくなったそう。
我が家にまで回って来なくなりました。
彼女の梅干しは本当に塩加減が絶妙で、それは毎回、美味し出来でした。
塩は多分13%くらいだったかな?

今回、迷ったのは、この塩加減でした。
減塩の梅干しは食べるには美味しいけれど、私はあまり焼酎を使いたくなかったのです。
昔は塩だけで梅干しをつくっていましたよね。
その昔ながらの作りかたで作ってみようと思い、塩を17%にしてみました。
これならカビの心配がないので焼酎はほとんど必要ないくらい。
塩がなれるまで、1年間は置くつもりなので、カビさせたくないのです。
我が家ではオムスビに入れるのに使うことが多いので、少しくらいしょっぱくても大丈夫。
1年後が楽しみです。
残った赤紫蘇でジュースも作って、これは夫がゴルフの時の飲み物として活躍しそうです。

土用も過ぎたけど、鰻は食べずじまい。
近々友人たちと一緒に隣町に食べに行こうと話しています。鰻は待ち時間が長いので誰か楽しい人たちと一緒に、お喋りしながら出てくるのを待つのが一番。
でもその食べに行く日程がなかなか合意にいたらない。
うぅ、もう待てない。
一緒に行くのは別として、私たちだけで鰻、食べに行こうということに。
その鰻、そこで食べるのではないのです。
ある友人から面白い話を聞いたのですが、岡谷(女工哀史の紡績工場で有名ですね)に川魚店があって、そこで鰻の蒲焼をテイクアウトできるのだとか。
そして斜め前にあるコンビニでご飯をチンして買って、どこか近くの公園で食べるといいよと。
鰻はとっても美味しいのだそう。
でもチンしたご飯はどうも。。と川魚店でお弁当にしてもらうようお願いしてみたら、それは数日前からの予約のみだそうで、結局コンビニのご飯となりました。
コンビニのご主人に買ったばかりの鰻のことを話すと、「ここの鰻は岡谷で一番」とのお墨付き。
「どこか公園ありますか?」と訊ねると、「ここで食べれば?エアコンが涼しいし」と親切に言ってもらい、店内のイートイン・コーナーで食べさせてもらいました。
これがホント、すごーく美味しい鰻!
まぁ、チンしたご飯の上に乗っけて食べるのが、わびしいと言えばわびしいし、忙しないと言えば忙しないのではありますが、鰻には大満足。
この川魚店は大当たりで、しかも学生のような面白い経験をした感じ。コンビニのご主人、御親切ありがとうございました。
これで友人たちとの鰻会が当分後になっても、我慢できるでしょう。

今年も沖縄の友人からマンゴーが届きました。
先月はパイナップル(おっといけない、これは「パイン・アップル」と呼ばなくてはいけないブランドパインなのだそう)を送ってくれた同じ友人からです。
彼に対してのお返しは実に簡単。
蓼科にある蕎麦工場の生蕎麦を御所望なのです。この蕎麦、けっして「こだわりの」蕎麦ではないのです。ごく普通の工場製品。)
「あんな蕎麦でいいの、本当に?」といつも訊ねるのですが、あれが好きなのだと言い張ります。
もう20年以上、お返しとして送り続けているのですが、いつも恐縮しながらマンゴーを頂いています。

来週あたりから、夏休みは八ヶ岳でという人たちで、ここは混雑することでしょう。
スーパーの駐車場はいっぱいで交通整理が出るし、どこのレストランも大入り満員。
その前に私たちは買い出しをすませ、1週間くらいはどこにも出かけなくてすむよう準備します。
いつ友人の来訪があっても大丈夫のような食品も揃えなくては。
でもこのところ、夏のお客様にはカレーか冷たいパスタと決めているので、気分的にはラクです。
あとはサラダとか簡単な前菜が数種類あればOK。
もうあんまり頑張らずに、気楽に迎えることにしたのです。
来てくれる方も気分が軽いですからね。
年々と踏ん張りがきかなくなって、それなりでいいやと、思えるようになりました。
その変わり、いつ来てもらっても、何度来てもらっても歓迎です。
夫も以前よりかなり手伝ってくれるようになったし。

台風、どうなるか?
地震や大雨被害の九州が心配です。


posted by 北杜の星 at 07:24| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月03日

旭屋出版MOOK「珈琲女子」

ナントカ女子という言い方が流行っていますが、珈琲の世界にも女性が次々進出しているようです。
女性バリスタが多くなっているし、彼女たちがお店を持つことも増えている。
一時珈琲店がシアトル系カフェに押されて経営困難になっていたが、最近は新たな珈琲専門店をよく見かけるようになった。
街を歩いていてそうした店でホッと一息できるのはうれしい。
考えてみれば、珈琲の仕事は女性にぴったりだと思う。
重いモノを持つ必要はないし(パティシェとかパン屋というのはけっこう大変)、ローコストでもセンスある店を持つのは女性に向いているような気がする。

我が家は朝食はミルクティだが、一仕事終えたときに楽しむのはやはりコーヒーだ。
午前の10時半ごろの習慣となっている。
本当は午後や夕食の後でも飲みたいのだが、歳をとるとカフェインの影響で夜が眠れなくなる。
いろいろカフェインレスのコーヒーを試してはみるのだが、味に大満足というわけにはいかないし、カフェインレスとうたっていても残っている場合も多いみたいでやはり眠れない。
この本に「インノセントコーヒー」というある女性が開発したカフェインレスが紹介されているが、99.9%のカフェインが除去されているそうで、是非、これを試してみたい。
日本の店にはカフェインレス・コーヒーを置いていないところがまだまだ多いが、眠れない人や妊婦さんなどが安心して飲めるコーヒーを置いて欲しいものだ。

この本には「好みの味を見つける」「好みの淹れ方を見つける」「ペアリングを楽しむ」「コーヒーカクテルを楽しむ」の項に分かれている。
そのどれもに女性が活躍。
好みで言えば、私は酸味のあるのはダメで、苦みの方がいい。
これは焙煎の問題のようで、焙煎が浅いと酸味が強くなるし、焙煎が深いと苦みが多くなるようだ。
昨年、今年と私たち夫婦は友人とともに、コーヒー教室に参加した。
本業はカメラマンという松本祥孝さんという人に、美味しいコーヒーの淹れ方を教えてもらった。
豆の選び方、焙煎のしかた、そしてハンドドリップの淹れ方。

豆はブラジルを基準とするとブレンドしやすいそうだ。
焙煎は強めが私の好み。
そして淹れ方。例えば5人分を淹れる時には、5人分の豆に4人分のお湯で抽出し、後に1人分の湯を加える。
これは決して「薄める」のではなく、最後の雑味やあ澱を出さないためとか。
これを教えてもらって以来、夫はその通りに淹れるようになったが、確かに美味しいですね。

コーヒーもだが、シアトル系カフェのおかげで、日本にエスプレッソが定着した。女性バリスタが続々誕生してもきた。
本場はもちろんイタリア。
でもそのイタリアでも北と南では微妙に味が異なる。これは湯の量の違いだ。
北は湯の量が多いし南は少ない。断然南の方が美味しい。
でもこの量は日本ではあり得ないもので、日本のイタリアン・レストランの食後のエスプレッソの量の多いこと。
イタリアから日本にやってきたレストランでも最初はイタリアの量だが、だんだんと日本向けの量になってしまうのが残念だ。
(食後にカプチーノを注文うする人がいるが、あれはイタリアでは絶対に不可。)
でもイタリアではバリスタはほんとど男性で、女性は見かけない。レジに坐っているのは女主人だけど。
でもバリスタとかバーテンダーが女性って、カッコいいよね。

我が家ではカプセルではなく粉の時代からエスプレッソ・マシーンを使っていて、今は4台目。
ものすごく進化していてカプチーノなんてとても簡単に作れるようになった。
エスプレッソ・マシーン、コーヒー・メーカー、ハンドドリップ・・3種類のコーヒーをその時々で使い分けているが、作るのは夫。
どの家に行っても、コーヒーはご主人担当ということが多いみたい。

コーヒーのお供はなんといっても焼き菓子かチョコレートたと思っているが、この本には「ペアリング」で同じことが書かれていて、「やっぱりね」と思う。
たくさんでなくて、ほんの一粒、一枚で充分。
コーヒーを飲みながら、あれこれお喋りして気分転換。

これを読むと、コーヒーが飲みたくなります。
そして珈琲女子、頑張れ!と応援したくなります。
このあたりには美味しい珈琲屋さんが多い。リゾナーレのなかには軽井沢の丸山珈琲があるし。
でも他の店で珈琲女子はあまり見かけない。
八ヶ岳、狙い目ですよ!来て下さい。そしてとびっきり美味しいコーヒーを飲ませて下さい。
posted by 北杜の星 at 07:39| 山梨 ☁| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月02日

井上荒野「赤へ」

この井上荒野の「赤へ」はあまり評判にならなかったみたいな地味な作品だが、これ、なかなかの秀作だった。
10の短編のどれにも「死」がある。
ふいに訪れる死、覚悟をしている死であっても、死はそれに直面すると平静ではいられない。
病死、事故死、自死、殺人・・
死のかたちはそれぞれ違い、死者との距離も異なる。

直接的な死が出て来ないのは最初の「虫の息」だけだ。
けれどこれにも、元左翼劇団女優の老婆の死ぬ真似がある。だから「虫の息」はこの短編集の助走的小説と言ってもいいかもしれない。

井上荒野の小説はどこか不穏な空気をいつもまとっている。
その不穏さが人々を繋げたり、離したりする。
これもそうだ。
淡々とした筆が主人公たちと周囲にある死との関係性を、客観的なものにしている。

客観的でないのが2編。これは井上荒野の私小説だが、「母のこと」はこのなかでも白眉といえるものだろう。
彼女の母ということは、作家井上光晴の妻。
光晴ほど女にモテた作家はいないと言われていて、家に帰らないこともしばしばだった。
その光晴は癌になって、「死にたくない」とあらゆる治療を受け闘病をしたが、そうした夫とは正反対の妻だったようだ。
井上荒野の母は十数年間、肺がんの治療をしていたが、他の癌も見つかった時に、「これでケリがつくわ」と言い、もう癌治療は何も受けなかったという。
その潔さは他の生活一般にも及んでいて、きっぱりとあらゆる物を整理処分した。そのなかには光晴の位牌もあって、さすがにこれはと、荒野の夫が捨てるのを止めさせたとか。
母にすれば位牌など、ただの木片にすぎなかったのだろう。

母は優しい人だったが、感傷的な人ではなかったと荒野は書く。
歳をとってもスラリと美しく、お洒落にお金を掛けているふうではなかったが、いつも綺麗にしていた。
美味しいモノが大好きで、また料理上手でもあった。
荒野の小説にはよく食べものが出てくるが、この母の料理で育った所以のことだと思う。
そんな母なのに、外食のための外出も厭うようになった。
どこにも行かず、ただ部屋で本を読んで過ごしていた。

そんな母との最期の1年間を共に暮らした荒野の想いがせつない。
一番したかったことは「母に抱きつくこと」だった。けれど母はそういうことを、うるさがる人であったし、もしそれをすると、母に死期が近づいているのを悟られるような気がしてどうしてもできなかったそうだ。
亡くなる数日前まで、弱ってはいても、変わらぬ生活をしていた母の最期の言葉が何だったのか、どうしても思い出せない。
そんな荒野を病院の医師は「だれもが、ドラマのようにはいかない。『ありがとう』なんて言って死ぬ人はいませんよ」」と慰めてくれた。

「母のこと」を読んで、なんて見事な生き方、死に方だろうと思った。
人は生きてきたようにしか死ねないものなのだ。
何事にも執着しないことの潔さが、結局は安らかな最期を導くのだろう。
こんな母を眼前にしたのだから、井上荒野は「大丈夫」という気がしている。何が大丈夫かはよくわからないのだけれど、でも大丈夫。


posted by 北杜の星 at 07:20| 山梨 ☁| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

飛田和緒「郷土汁」

こんなにいろんな食材が全国流通する世のなかになってもまだ、知らない食べものがあるし、その土地に行かなければ味わえない食べものがある。
そうしたものに旅先で出会う歓びは大きいし、そのためにだけに旅する人だっている。
この本には47都道府県の特色あるその地の汁ものが紹介されていて、その数じつに102椀。
味噌汁、吸いもの、すまし汁、すり流し・・
季節を感じる汁が並ぶ。
(ちなみにお吸いものとお澄ましの違いは、懐石料理などに出る汁はお吸いもので、肴としての汁。お澄ましはご飯のときの汁。どちらも透明度が高い汁を言うそうです。)

私はスープを含め、汁ものが大好き。食事の時にはいつも汁が欲しいし、懐石のときにもっとも楽しみなのが椀ものだ。
ところが夫は汁などなくていいという人だった。お味噌汁はむしろ嫌いで、鍋ものは大嫌いだった。
でもここ数年、変化してきた。
ご飯のときに「今日は汁ものは何?」と訊くようになったし、冬には鍋もかなり喜ぶようになってきた。
体の調子が悪いときにはスープを作ってとリクエストがあったりする。
そんな彼のためにも毎日同じ汁ものではなく、目先の変わったのを時にはと思い、これを読んでみた。
美しい写真とレシピつき。
食材調達がそんなに無理ないものが選ばれているようだ。
ご馳走というのではなく、普段の汁というのがありがたい。

汁には出汁が必要。
まずその出汁からはじまる。
昆布、かつお、あごや煮干しなど。(春の終わりに福岡出身の方から、出汁用のあごを頂いて、2ヶ月間ずっとそれを使っていた。ふだんの昆布とかつお以上に濃い出汁がとれて美味しかった)。
でも出汁は魚系からだけではないんですよ。ここには出ていないが、以前マクロビを実践していた頃には、干し椎茸や大豆や干瓢なども使っていた。

それにしても、名前を初めて聞く汁の多いこと。
けの汁(青森)、まめぶ汁(岩手)、どんから汁(山形)、こしね汁(群馬、これは群馬名産のこんにゃく、しいたけ、ねぎの頭文字をとっている)、こくしょ(岐阜)、はち汁(兵庫)、つぼん汁(熊本)、、などはこれまで知らなかった。
有名だが未経験なのはなんといっても、いちご煮(青森)だ。うにが入っているなんて贅沢だなと、いつか食べてみたいと思いながらまだ食べたことがない。

汁は入れる具によって季節感があるのがいい。旬の筍とわかめの若竹汁などはその典型だ。鮭の粕汁は冬ですよね。、夏には冷や汁をご飯にかけるのも食がするむ。
汁をご飯にかけるのは行儀が悪そうだが、ぼっかけ汁なんて本当に美味しい。
そういう時はお漬け物があれば十分。一気に食べてふぅっと息をつく。

具がほとんど同じでも、牛肉か豚肉かで、味噌味にするか醤油味にするかがあるのが、芋煮汁だ。
私の好みは牛肉の醤油仕立ての方だが、どちらも寒くなりかけの季節に大鍋いっぱい作ってみんなで楽しむものなのだろう。
旅行好きだった義父は生前よく「冬の北陸のたら汁は本当に旨かった、あれがもう一回食べたい」と言っていたが、あれも私は未経験なのが口惜しい。

どれも作ってみたいが、あんこが甘そうな汁だけは苦手だな。地方によってはそんなお雑煮もあるようだが、あれは生れた時から慣れていないと無理じゃないかしら。
味噌を使う汁も、赤味噌、白味噌と地方色が出る。
私はどちらも大丈夫な人間で、しじみ汁は赤、里芋や牛蒡には白が好き。
私の超簡単お澄ましは、とろろ汁だ。これはこの本にも載っている。
お椀に塩昆布(すっぽんエキスで炊いた「松の葉昆布」があれば最高)とおぼろを入れて、お湯を張る。それだけ。
塩昆布がなければ梅干しを入れて、出汁醤油をまわしかける。あとは三つ葉を散らせば美しくなる。
何も汁ものがないときとか、東京のデパ地下でお弁当を買って帰ったときなどは、汁はこれに決めている。

夫が「今日は味噌汁はないの?」と訊ねるようになるまで、頑張ります!
posted by 北杜の星 at 07:27| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

ハッチの身辺雑記

ハッチがいなくなってちょうど半年。
「水を変えてやらなくっちゃ」「トイレの砂を取ってやらねば」「あ、待ってるかな?」・・
そんな思いはもうなくなりました。
徐々に彼女の不在には慣れてきましたが、でも、猫のいない暮らしのさみしさはどうしようもありません。
ずっとずっと猫と暮らしてきたのですから、しかたありません。

「ハッチのライブラリー」のこのブログをどうするか?
私の目もそろそろ限界に近づいてきています。
印字本を読む時の私の視野はほんの3文字くらいなので、読むのに時間がかかる。
そうして読んでいるとすごく疲れる。
だから点字本のほうに、読む楽しみが最近では増えてきています。
だけどこちらはこちらで、一冊を読了するのに10日から2週間もかかってしまう。
そんな頻度で読書ブログとして成り立つのか?
それに読書はブログを書くのが目的ではなく、あくまで楽しみのため。追い立てられるように読書をしたくありません。

ずいぶんと考えました。
いろいろアドバイスをしてくれる友人もいます。
それで私なりの結論として、できる範囲でやってみよう。アクセス数はすごく落ちるでしょうが、もともとページヴューは500〜700くらい。
毎日書いていた以前は1000を超えることもあったけど、写真もなくイラストもなく、文章だけの地味なこのブログを、それでもよく訪問してくださるものだと、書いている自分が驚いているくらいです。

友人たちは「これで、田舎に行ったあなたの動静がわかるのよ」と言います。
久しぶりに会った友人が「ブログでいつも会ってるみたいなものだから、昨日会ったみたいよ」などと言われると、こちらとしては「えー、それってちょとフェアじゃないみたい」という気分になります。私のことだけわからないでよ、と。
でも確かに彼女たちの言うとおり。
こんな田舎暮らしのあれこれ、きっと都会に住む人にとっては珍しいのかもしれません。
これまで山口、広島、大阪、東京と住んできたので、各地に友人がいます。もしそれらの人たちがこのブログを私の挨拶がわりと受け止めてくれているのなら、それはそれです。
またこのブログが縁でお付き合いが始まった人も3人います。彼女たち、いまでは私の大切な友人です。
(そのなかの一人はこのすぐ近くに住む人で、一昨日は自家菜園で採れた新鮮野菜をどっさり届けて下さいました)
人生はなにが縁となるかわかりませんね。

これから週に2〜3回ほどしかアップできないと思いますが、それでももしよかったら、覗きに来てください。

ブログといえば私がファンの「ばーさんがじーさんに作る食卓」といのがあります。
現在70代後半の奥さんのばーさんがご主人のじーさんとの二人暮らしの食事を作り、それをじーさんが文章と写真で紹介するもの。
(ばーさんはPCが使えなくて、グラフィックデザイナーのじーさんが替わりに書いているようです)。
このブログはこれまでも大人気で本も出版されています。
彼らは小学一年生のときの同級生。京都の郊外に住み、野菜を育て、まったく外食なしの食生活をしています。
しかもその食事は和食がほとんどなくて、エスニックやイタリアンなど、よく80近くで毎日こんなの食べられるとびっくりするくらい、ハイカラなんです。
このご夫婦の人がらがそのまま伝わってくるこのブログを楽しみにしているのですが、ここ2カ月半、更新されていません。
ばーさんが(多分)脊柱手術をうけられたのしょう。術後のリハビリを含めて再起までに2か月と書かれていたのですが、そろそろ3カ月。
本当に心配しています。
一日も早い復帰をと願っています。

そのことをある友人に話すと、「あなたのブログを読んでいる人にもきっと、あなたの目を心配している人がたくさんいると思うよ」と言ってくれました。
思わず涙ぐんでしまいました。
私が一度も会ったことのないばーさんの心配をしているように、誰かがどこかで同じように私のことをほんの一瞬でも考えてくれているかもしれない。。
なんだかすごーくありがたくて、元気になれますね!

元気をもらうためにももう少し、続けてみようと思います。
でも完全に印字本が読めなくなった時には、その時には、閉じます。

八ヶ岳は例年にないほどムシムシし、湿気が多い夏となっています。
新鮮野菜をたくさん食べて、乗り切ります。
みなさまもどうぞご自分なりの暑さしのぎで、頑張ってください!!
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする