2017年02月23日

養老孟司・近藤誠「ねこバカ いぬバカ」

養老先生と近藤先生の犬・猫対談集。
さて、どちらが「ねこバカ」でどちらが「いぬバカ」なのでしょう?
それはこれを読んで写真を見ると一目瞭然。
知性の巨人養老先生も、先進医療や標準医療に対しての反論が戦闘的な近藤先生も、メロメロな顔をしている。

養老先生の猫「まる」の大物ぶりがスゴイ!
近藤先生の犬の「ボビー」の愛らしいこと!
お二人は「まる」「ボビー」の前にも数匹の犬や猫と一緒の生活をしてきている。
ということは、私がハッチを亡くしたように、これまでペットとの別れを経験しているということ。
その辛さから誰もが「もう飼いたくない」と思うのだけど、犬や猫を失ったさみしさって、猫や犬でしか補うことはできないんですよね。
先生たちもそれがわかっているようで、ボビーもまるもそうやって彼らの家にやって来ている。

現在、日本で飼われているペットの総数は2000万頭。
この数は15歳未満の人間の子どもより多いのだそうだ。
人間が長寿になったようにペットも長生きするようになっている。ハッチが20歳と半年だったように。
なかには人間と同じような介護が必要になることもある。
生老病死は犬猫も同じなのだ。

飼い犬や猫が病気になったらどうする?
二人の先生の考え方はほぼ同じ。
動物病院へは連れて行かない。(養老夫人は連れて行く派みたいだけど)。
とくに近藤先生はこれまで数匹の犬を一度も動物病院へ連れて行ったことはないと言う。
若い頃に乳がんになった犬がいたが、、そのままにしておいてやったら老衰で死んだそうだ。
つまり、近藤先生がいつも言っているように、癌は治療しないということを、犬にも実践しているということ。
彼らに言わせると、犬や猫には「現在」しかないために「病院に行ったら元気になれる」などということは理解しない。
だから動物病院に連れて行くのは、虐待以外のなにものでもないと言うのだ。
しかも病院で治療すればするほど、犬や猫は苦しみ、その苦しみは長くなって苦しむのだと。
近藤先生はワクチンも打たない意とか、(狂犬病ワクチンは法で決められているからしかたないものの、今の日本には必要ないのではと)。

それは人間も同じだと思う。
枯れて死のうとして食べられなくなるのに、点滴で栄養を与えたり、胃ろうにしたりの医療を施されると、かえって苦しむ。
犬や猫は人間よりもっと野生に近いのだから、もっと苦しむと私は考えている。
私がハッチを動物病院に連れて行くならそれは「オシッコがでなくなったとき」と「大けがをしたとき」と決めていた。
おかげさまでハッチは具合が4日間悪くなっただけで、穏やかな最期を迎えることができた。

猫を失うと猫でしか喪失感を埋められないと書いたけれど、数日前に夫が「これ、見て」とPC上で23頭の猫の写真を見ろと言う。
なんでも山梨県庁跡地に野良猫が23頭いて、すべての不妊去勢手術が終わり、引き取り手を探しているのだが、まだ数頭しか引き取り手がないらしい。
「見てごらん」と言われるが、私は「絶対、見ない。絶対いやだ」と突っぱねている。
見たら終わりだもん。見たら。。
絶対に見ないもんね。だってこれから飼う猫に対して、責任が持てないもの。

ちょっと残念なのは養老先生も近藤先生もブランド犬猫をお飼いになっていること。
好みはそれぞれだけど、ペットショップで買う前に、不幸な犬猫が殺処分にされることを考えてみてほしい。。

posted by 北杜の星 at 07:48| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月22日

中島たい子「がっかり行進曲」

実花は小学5年生。
練習はたくさんしていたのに、やっぱり今年も運動会には出られなかった。
ママの作った美味しそうな鶏の唐揚げや玉子焼きやおいなりさんは無駄になった。
どうしていつも楽しいことの前になると発作が起こるのだろうか?
運動会、遠足、合唱祭、学芸会・・
休んだ後に学校に行くと、なんだか違和感がある。だから美花は学校が苦手。
こんなんでちゃんと大人になれるのか?
不安を抱えて毎日を送っている。
(だけど彼女はいじめられているわけではない。芯せうtにしてくれるう男子だっている)。

これを読んだ時、「これは私だ」と思った。
小さい頃は病気ばかりしていた私だと。
元気なみんなが輝いて見えた。楽しそうに見えた。
どうして私はあんなふうになれないのかと、すごく悩んでさみしかった。

中島たい子の初期作品には「漢方小説」があるし、それからも「そろそろくる」や「院内カフェ」など、病気とか体に関する小説を書いている。
(建築事務所でアルバイトをしていた経歴から、建築を題材にしたものもあるけど)。
どうなのだろう?彼女自身が体が弱かったことがあるのかな?

彼女の小説にはユーモアがあって、ともすると重いテーマであってもクスリと笑えて、さらりと読める。
これもそう。
笑いながらも「そうなのよね」と思ったのが、以下の部分。
「なんで健康な人は、病気の人に「苦しい?」「痛い?」「ぐあい悪い?」ってわざわざ聞くのかな。おぼれている人に「おぼれてる?」って聞くのと同じだと思うんだけど。」

元気な人には身体の弱い人の気持ちはわからない。
弱い人には元気な人にも悩みがあることはわからない。
それぞれの現実を受け止めるしかないし、ちょっとだけ想像力をもって相手を慮る。。それしかないのだ。

美花が自分の身体を受け入れて向き合えるようになったのは、ビートルズの「Let it be」を聴いたときからだった。
「Let it be」の意味を知って、「そのままで」いいんだとラクになった。
人との出会いがきっかけになることもあるし、たったひとつの歌が救いになることもある。
それがなんであれ、人を成長させるんですね。

大丈夫よ、美花ちゃん。
ぜんそくはそのうち治る。
弱かった私だけど35歳を過ぎた頃からぐんぐん健康になって、現在ではまわりの友人から「あなたは本当にいつも元気ねぇ」と言われるほどになった。
ジストロフィーの目はどうしようもないけれど、整形外科系も内科系もどこも悪いところはないのがありがたい。
(だけどまぁ、健康自慢はこの年齢ではあまりしないほうがいい。いつなんどきどうなるかは神のみぞ知るですからね)。

学校嫌いの中高生を持つお母さん、これを娘や息子にプレゼントしてはいかがでしょうか?
「Let it be」でラクに明るい彼らの顔が見られるようになるかもしれません。

posted by 北杜の星 at 07:35| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月21日

真山英二「優良老人ホーム入居計画」

ちょっと前まで老人ホームyは親の問題だったが、いまや自分たち夫婦にとって切実となる日が近くなってきた。
贅沢なケアが受けられるお金があれば心配する必要はないかもしれないが、そんなに恵まれた人はそうはいないだろう。
普通のサラリーマンの預貯金はせいぜい、2〜3千万円だとか。
それを取り崩しながら老後を暮らし、さて、老人ホームに入居するためにいったい、いくら使えるのか?
この本では、そんな普通の人のための老人介護施設入居について書いてある。

老人ホームには公的な施設である特別養護老人ホームや老健など、または民間の介護施設がある。
特養は費用が五万円からと安いが(所得によって差がある)、待機が数十万人もいて、何年も待たなければならない。
民間の施設に入居しようと思うと、一カ月25万円くらいかかるそうだ。

私たちの知人のご両親が愛知県にある民間の介護施設に夫婦二人で入居された。
そこは町のわりと中心部にあり施設の設備は良かったのだが、食事がどうしても合わなくて、とうとう退去し家に戻られた。
入居時費用がいくらかは訊かなかったのだが、一カ月一人30万円だったそうだ。
夫婦で60万円支払っても満足できないなんて!
(もっとも、高いお金を払うのだからこそ、受けるサービスの理想も高くなるのかもしれない)。

しかし老老介護は大変だ。共倒れになってしまう。
子どもには子どもの生活があるので、介護を頼むわけにもいかない。
それじゃぁ、やはり、老人ホームしかないではないか。

だがこの本は介護施設紹介目的とするものではない。
そういう施設に入るためのフィナンシャル的サジェスチョンをしてくれているのだ。
この本の副題は「貯金ゼロ、知識ゼロから」と書いてある。
貯金ゼロの年金だけでも、民間有料老人ホームに入ることができる・・

老人が介護施設に入ると、それまで住んでいた家やマンションは必要なくなる。
その住宅を売ったり貸したりすることで、費用を捻出しようというのだ。
確かに、子どもに家を残さないのならば、売ってもかまわないだろう。
けれど、都会と地方、それも田舎では家やマンションの資産価値には大きな差があると思う。
著者は都会の家をスタンダード・モデルとしているのではないかと、疑問に感じてしまう。

私は介護施設に入るのは、やぶさかでない。
子どものいない夫婦の私たちなのだから、いつかはお世話にならなろうと考えている。
でも根っから、フィナンシャルのことに疎いので、「マネー・プラン」などと聞いただけで、興味の埒外になってしまう。
(だから、まともな貯蓄ができていないんですけどね)。

まぁ、入れるところに入るしかないでしょと、腹を括ること、それが私の老人ホーム計画。
せっかくこの本を読んだというのに、ごめんなさい。私にはお役立ちではなかったようで。。
posted by 北杜の星 at 07:27| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月20日

吉村昭「見えない橋」

これまで4冊の点字本を読んできたのだが、もう少し硬質な文章を読んでみようと、どの作家にするか迷ったのだが、まだ私の点字読みのスピードは遅くて、ホームグラウンドの山梨ライトハウスでしか借り出せない。
そのため新刊本は読めない。だったら古い作品でも構わないかと、この吉村昭を選んだ。
スカスカしていなくて上質な日本語であるという条件にはぴったりの作家だ。

私は柔らかい文体が好きではない。だから漱石よりは鴎外のほうが好み。
たぶん、私には洒脱なところがないためだと思う。
また、私が好ましいと感じる作家たちのほとんども、漱石が好きではないらしいのは、まぁ、私の作家の好き嫌いに一本の筋が通っているということかもしれない。
吉村昭も以前、城山三郎との対談において、漱石びいきではないと話していた記憶がある。

ストーリーで選ばず文体で選んだこの短編集、でもストーり−もなかなかだった。
表題の「見えない橋」は、出所者を世話する男性の視点から語られる。
なんと前科36犯という60代の男が出所し、身柄を預かってくれる施設を探すのだが、どこもその前科の多さに引き受けるところがない。
しかいその男の犯したのはいわゆる微罪で、無銭乗車や無銭飲食の類。
出所後数日の犯罪が多かった。つまり彼は刑務所での生活こそが日常となって「シャバ」の暮らしは不安だったのだ。
そんな彼を引き受け、生活保護を申請し安アパートを斡旋し、その男に「普通」の暮らしをさせようとする。。

北海道の極寒の地に繰り広げられる底辺の人たちと、救助の手を差し伸べようとする人たち。
わびしさのなかに灯る小さなあたたかさ。
しかしいつもそこにあるのは「死」。

吉村昭だけでなく、若い頃に大病をして死と直面した人間にとって、「死」はは遠くにあるものではなく絶えず身近なのだろう。
それが深く感じられる作品集だ。

こうしたしっかりした文章、「指」が喜ぶんです!
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月18日

ハッチの週間身辺雑記

かなり暖かくなった八ヶ岳南麓です。
最低・最高気温が5℃上がれば、体感温度はずいぶん違います。
水仙がずいぶん伸びているし、梅の花芽も大きくなりました。

今週は月曜日に東京へ。
本当なら先月会う予定だった友人とやっと会えてランチできました。
赤いきれいなコートで新宿駅のホームまで迎えに来てくれていて、感謝です。
八ヶ岳はリゾート地なのでたくさんのレストランはあるのっですが、どういうわけか中華の美味しい店がないのです。
なので東京に出ると、私はランチに中華を所望することが多い。
今回もハイアット・リージェンシーの「翡翠宮」で。あそこは薄味なので好きなのです。
ランチコースは前回と同じく、「パクチー」づくし。すべての料理にこれでもかとパクチーが入っていて、パクチー嫌いの夫なら逃げ出すでしょうが、私と彼女は大満足でした。
最近はパクチーが流行しているそうですね。
庭に種をまくと、雑草のようにたくましく成長するので、今年は植えようかなと思っていますが、夫が草刈り機で切っちゃいそうです。

食事処といえば、今年末か来年初めには、スゴイ和食の店がこちらにできるそうです。
外苑前にあるミシュラン三ツ星の和食「えさき」が移転してくるらしく、今みんなの話題になっています。
ミシュラン三ツ星でも滅茶苦茶高い値段ではないし、ランチはより手軽みたいなので、開店が待ち遠しいです。
これで美味しい中華ができると、もう言うことはない。東京へ行く理由がなくなるほどで、東京のみんなにはこちらに来てもらうほがいいかも。

昨日も持って来て下さったのですが、今日はまた、ゴルフ場のコース管理の人が、伐採したナラの木をトラックで運びこんでくださるそうです。
すごーく、ありがたいです。
今度のは2週間前より細めなので、玉にするのがラクだと思います。
でもようやく前の時の筋肉痛が消えたというのに、またまた腕が痛くなるのかな?
ふだん重い物を持つことがなくなったので、腕の筋肉まったく無しの私。頑張ります!

私にとっては貴重な地元の友達がいます。
彼女は後期高齢者になったのよ、という年齢。すごーく行動力のある前向きな方なのです。
来月から2か月、泳ぎと英会話スクールを兼ねて、フィジーにホームステイするそうです。
ご主人は80歳で、一人で家でお留守番。
世の中には「行けない理由」「できない理由」を数え立てて、行動できない人が多いけど、彼女はまず「したい」「行きたい」が最優先。
これまでも、幼い3人の子ども連れでアメリカの大学院に留学したり、ラトビアで3年間日本語教師をしたり、ウズベキスタンでボランティアをしたり。。
専門職をもてずっと仕事をしながら、しっかりと優秀なおこさんたちの子育てをし、お姑さんと暮らし、それだけで私など息が切れてしまいそうなのに、本当にスゴイ女性なのです。
我が家に遊びに来て下さる際にはいつもお手製のクッキーやアアップルパイ、それに夕食のお惣菜まで用意してくださり、それがまた美味しいこと。
怠け者の私にとっては信じられないほどのスーパー・レディ。
こんな年齢になってなお、目標とできる方に出会えたことが、本当にうれしいです。

ところで、英語の勉強にフィジー?と思う向きもあるかもしれませんが、フィジーは安くて穴場なのだそうですよ。
フィジー以外では、地中海のマルタ島も穴場。
マルタ島は国語を英語にするかイタリア語にするかを国民投票して英語と決めた国。
だからイタリア語も通じるし、テレビやラジオではイタリアの放送が流れています。
たぶん食べものもイタリア料理っぽいのでしょうね。案外マルタ島へ英語の勉強というのも悪くないかも。
ただその彼女は、フィジーの方が安く近いという理由で、フィジーに決めたそうです。
なにしろ2か月のホームステイは24万円。往復飛行機は帰りがフリーで十万円。
これで思う存分海で泳いで、勉強ができるなんて、超特価料金ですよね。
彼女にとっては「新しい経験」というのも大きな魅力なのでしょう。

いつも彼女から元気をもらっています。(この「元気をもらう」という表現はわまり好きではないのですが、本当に彼女からは元気をもらっているのです)、
さぁ、私もやるぞ!という気になって、点字の「書く」方をもっと頑張らなくっちゃね。

そうそう、ハッチのことを書いたこのブログを読んで、私の従妹が(正確には従姉の子どもなんですが)電話をして来てくれました。
私はあんまり血縁を大切にしないところがあるのですが、どういう経緯からか彼女が私のブログを読んでくれているようなのです。
久しぶりに声を聞いて、他の親戚の近況を知ることもできて、うれしかったです。
これからもう少し、血縁のあるひとを大切にしなくてはと反省しました。
幼い時間を共有した間柄ならではの親密は、こういう歳になるとやはり懐かしいものです。

そんなこんなの一週間でした。
posted by 北杜の星 at 08:32| 山梨 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月17日

大工道具研究会「大工道具鍛冶大全」

「しばしも休まず槌うつ響き・・」

唱歌「村の鍛冶屋」を聞いて育った世代だ。
でもこの歌が「今は鍛冶屋がなくなったので」という理由で、教科書から外されたのはもうかなり前のこと。
びっくりしつつ、腹がたってならなかった。
「なくなって」などいない!都会で見かけなくなっただけなのだ。

私は職人さんの仕事話を聞くのが大好きで、時々我が家に工事に来てくれる大工さんなどの傍であれこれ聞き出し、夫から「キミ、邪魔になるよ」と叱られる。
昔に比べると、家を建てる材そのものが工場製品が多くなっているが、それでも現場での仕事は残っている。(電動工具も増えているけど)。
夫が建築設計をしているので、建築現場の仕事に触れることが少しはあるので、そうした機会があればなるだけ話を聞くようにしている。

大工さんがどんなに頑張っても、彼らが使う道具がなければ仕事にならない。
そのなかで「刃」で切ったり削ったり打ったりする道具は鍛冶で作る。
この本にはそうした鍛冶職人さんたちを紹介するもので、写真が本当に美しい。
その美しさは道具本来の持つ機能美であり、作る鍛冶の名工たちの美しさでもある。
ひとつのことに励んで、それを長く続けている人の顔って、どうしてあんなに美しくなるのだろうか?

鍛冶といっても扱う道具はそれぞれ専門がある。
ここでは鉋鍛冶が多く取り上げられている。
他に、鑿(ノミ)、釿(チョウナ) 、玄龍(金づちのこと)、鋸(ノコギリ)、切り出し小刀などなど。
こうした道具の字が「金ヘン」なのが当然だが面白い。
鑿なんて読めなくて、夫に訊ねました。

これらの名品を普通の家に備えることはまずないだろうが、ちょっとっと凝る人ならば、金づちの良いのを持っていたいと考える向きもあるかもしれない。
道具というものは一生ものだ。同じ買うならずっと使えて使いやすく、しかも美しい道具を持ちたいいものだ。
けれどそうした名品は使った後の手入れも大切。それがしっかりできる人ならば、持つ資格があるのかもし是具れないが。
本の後ろには工房や大工道具専門店が紹介されているので、参考にされてはいかがでしょうか。

これらの技がいつまでも継承されますように。
posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月15日

飯塚雅俊「闘うもやし」

タイトルに思わず手に取ったこの本のおかげで、元気になりました。
世の中と敢然と闘いながら、誠実に仕事をしている人がいるというのは、まだまだ捨てたもんじゃないですね。

埼玉県深谷市のもやし製造会社の二代目の著者はある日突然、大手スーパーから取引中止を申し渡された。
なんでも他のもやし会社では新しい設備で最近人気のもやしを作っているので、そちらに鞍替えすると言うのである。
そのスーパーは売り上げの40%(月額約500万円)のシェアだったので、大きな打撃だった。
以来、著者はこれまで考えることのなかったさまざまな問題について考えるようになった。

この会社は日米大戦の激戦地から生還した雅俊の父親が裸一貫から始めた会社だった。
父なりの美味しいもやしの定義があって、深谷という地域とも密着した生産者として、これまで頑張って来ていた。
この父親は最近主流となっている太いもやしには懐疑的であったし、このもやしを作るには新たな設備投資も必要だった。
こういう太いもやしを作るにはエチレンという成長ホルモンを多量に使うのだが、父親はそのことにも反対あった。

もやしって廉価食品ですよね。
昔からあまり値段が変わらないような気がするけど、昔は10円くらいだった?それが現在では50円はするかも。
ということは5倍の値上げ。。うーん、変わらないわけではないようだ。

日本で作られるもやしは主に3種類。
中国産の緑豆もやし、ミャンマーやタイ産のブラックマッペ、それとアメリカや中国産の大豆もやしが主流となっている。
その他に「地もやし」と呼ばれるものもあるようで、青森の大鰐温泉もやし、山形の小野川豆もやし、熊本の水前寺もやしなどなど、伝統野菜といってもいいほどのもやしだそうだあ。
著者が見学した九州の生産者のもやしはまったくの自然栽培で、温度調整はしないで冬でも常温で育成している。エチレンもまったく使わない。このもやしは正月雑煮に入れるそうで、美味しい出汁がもやしから出ると言う細いものだったらしい。
この幻のもやしに出会ったことが著者にとっては転機の一つとなったようだ。

もやしについては詳しくないのだが、私は今スーパーで売っているあの太くてひげ根がなく豆もないもやしが好きではない。
ひげ根がないのはありがたいのだけれど、あの太いもやしってあんまり味がないような気がする。
シャキシャキではなく単に固いって感じもある。豆がないというのは栄養もないということではないのか?
東京にも広島風お好み焼き屋があるが、お好み焼きに使うもやしが太すぎて、本場とは違っているのが残念。
広島ではかなり細いもやしを使って作るので、水っぽくなく出来上がって、ももやしがシャキシャキしているのだ。
あのもやしは東京では手に入らないのだろう。
2月頃の木や花の芽がふくらむ時期には、スプラウト系の食べものを食べるのが健康に良いと聞いたことがある。
もやし、ブロッコリーの芽、芽キャベツ・・そのなかでもやしはっ手っ取り早いし安い。

バブルがはじけ、リーマンショックが起こり、著者はいやでも世界情勢と向かい合わなければならなくなる。
経済の仕組みや流通の仕組みなどの勉強を始めると、世の中の矛盾や壁につきあたある。
順風満帆な人生ならば気がつかなかったこと、勉強しなくて済んだことが、著者を大きく成長させた。
新婚半年で窮地に見舞われた奥さんとともに、闘いが始まったのだ。

頑固であっても誠実ならいい。それを続けるならきっとわかってくれる人たちがいる。
雅俊さん、もやしっ子ではないんですね。信念の人です。
この本の帯文を完全無農薬自然栽培でりんごを育てている青森の木村秋則さんが寄せているが、お二人に共通しているものが確かにあるようです。
posted by 北杜の星 at 07:46| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月14日

富士見高原病院「90周年記念誌」

ローカルな話で申し訳ないが、私の住む隣町に富士見高原病院という総合病院がある。
隣とはいってもここ山梨県ではなくて長野県になる。
正式名称は、JA長野厚生連 富士見高原医療福祉センター 富士見高原病院と言う長い名前だ。

富士見町とか茅野市には全国的に名の通った病院があって、あの鎌田實先生の諏訪中央病院もある。
この富士見高原病院は過去には結核のサナトリウムだった。
そのためこれまで映画の舞台として撮影に使われたこともある。
「月よりの使者」「愛染かつら」「風邪立ちぬ」などがそうだ。

じつは私の夫はもう20年前に生るが、オートバイのもらい事故でこの病院に3週間入院したことがある。
その時、週末になるとカメラを携えた観光客が、病院を見学によく来ていた。そんな観光名所でもあった。
素朴な看護婦(その当時は看護師さんではなかった)が元気いっぱいで(病室に入って来る時には、大声で「元気ですかぁ」と訊いていたが、元気じゃないから入院してるんだよと言いたくなるくらいだった)、ごく普通のご飯が美味しかった。
朝昼晩の食事が美味しい病院っていいですよね。だって患者はそれしか楽しみがないのだもの。
しかもその食事が、深海魚のムニエルとか、わけのわからないソースの罹ったような変てこな料理ではなく、鯖の味噌煮とか肉じゃがとかだったのが素晴らしかった。
毎日見舞いに行く私も、頼んで同じ昼食を提供してもらっていた。
今はどうか知らないが、あんなご飯が食べられるなら、入院の条件としては上々だと思う。

山梨県と長野県ではテリトリーが違うのだが、隣同士ということで、私の町から救急車で搬送される場合、希望すれば富士見高原病院に連れて行ってもらえる。
ここと富士見町ではそういう医療の連携がきちんとできているみたいだ。
残念ながら、私の住む町にある市民病院よりは富士見高原病院の評価のほうが高い。
ただ人によっては地理的に困るのが、富士見では信州大学からの医師が多いので、難しい手術が必要な場合はそちらの紹介状となる。
こちらは山梨医大の管轄なのでそこの紹介状となる。
どちらの大学病院がいいかの判断をするかが問題で、これは迷うところだ。

この病院が素敵なのは地域に密着していることだ。
田舎なので高齢者の一人暮らしも多い。
リハビリや訪問看護が充実しているし、老健やグループホーム、特別養護施設も完備されている。
また「情報連携室」という部署では、関連する医療機関や福祉施設、行政などとの連携で、患者の相互紹介が円滑に行われるので、患者が安心できるシステムとなっている。

富士見高原病院のこれまでの90年mの歴史。
けれどこの先ずっと続くこの病院をもっと発展させるべく、院長はじめスタッフの意気込みがこの小冊子にはある。
病院はある意味では「企業」ではあるのだろうが、やはり、そこで働く医療関係者の志が高いほうが患者にとっては理想的だ。
私の友人は週3回、人工透析に富士見高原病院に通っているし、親しい友人は一昨年胆のう摘出手術を受けた。彼らは「良い病院よ」と言っている。
隣の町の病院だけど車で20分ほどの距離。何かの時にはお世話になりたいと思います。
posted by 北杜の星 at 07:31| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月13日

日和聡子・長嶋有「十年後のこと」

10年後というのはどうなんだろう?
すごく先のことなのか、それともすぐ近くのことなのか?
年月の単位はその人の年齢によっても、印象がずいぶん変わる。
私自身の10年後を考えるとそれこそ靄がかかって、はたして此の世に居るかしらん?と思ってしまう。

35人の作家たちがそんな「10年後のこと」を書いたのが、この掌編小説集。短いものは円白塔のように3ページほど。
申し訳ないのだが、この本、全部読んではいないのです。
35人のなかにはずいぶんと読んだことない作家さん、名前を知らない作家さんがいて、私の読書域の狭さを反省してしまった。
いまちょっと、そういう知らない作家さんのものは、たとえ超短編であっても、読む気力が出て来ないので、知っている作家さんたちだけを抜粋して読んだので、まぁ半分というところかな。

この記事の作家名を日和聡子にしたのにはそう意味はないのだが、このなかの文章がよかったのと、彼女があまりメジャーではなく、もっと読んでほしい作家さんだからでもある。
長嶋有には意味はありません。
小説ってどうかすると「また、同じような内容で。。」と思わぬでもないし、文章の特徴も感じられないことがあるのだけれど、いやいや、どうしてどうして。
作家さんたちがこう並ぶアンソロジーでは、みんなそれぞれの個性があるんですね。
当たり前だけど、ホント、個性的。

ただこういう掌編小説は読みやすいために、エッセンスだけを取り込もうとしがちだけど、やはり短編ならでは文章・文体が大きく作用していると思う。
戌井昭人って、ちょっと面白い内容にぴったりの文体だったし、イトヤマさんは「小松とうさちゃん」から取り出したものだが、やはりなかなかの文章力だ。
檀蜜、横尾忠則、蛭子能収など文芸作家ではない人の文章も味がある。(蛭子さんって賭けごとが好きなんですねぇs)

今回は心の余裕がなかったので、半分くらしか読めていないけれど、これ、電車の中などで読むのに最適です。
posted by 北杜の星 at 07:37| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

ハッチの週間身辺雑記

木曜日の夜中から降った雪は10センチ積もったくらいで、どうということはなかったけれど、今年は西日本がずいぶんと大雪のようですね。
広島でも山間部ではかなりの雪。
八ヶ岳南麓に引っ越すまでは、雪はきれいでうれしいものでしたが(今でも美しいことは美しいのですが)、被害も出るので、そうは喜べなくなりました。
まず、下の道から我が家に通じる結構急な坂道が大変。
30センチまでなら四駆のジムニーでなんとかなるけれどそれ以上だと、雪かきに苦労です。
私道なので役所の除雪の管轄外。自力で雪かきするか業者さんに頼むかですが、業者さんはどこも大忙し。なかなか順番が回って来ません。
夫は「融けるま出なければいんだよ」と気楽なことを言いますが、3年前の大雪を、融けるまで待っていたら春になったことでしょう。
災害用の食品があるので、食べものや飲み水には困らないにしても、「孤立」するのはやはりご免蒙りたいものです。

そんな雪の日にはOMソーラー暖房が効かないので、一日中暖炉を焚きます。
ハッチが居なくなったのでこれまでのような薪の消費はなくなると思います。だって朝起きるとハッチは夫に「暖炉、点けてよ」目線を送って、火を点けてもらうまでじっと見つめていたんです。
「今朝は暖かいでしょ」と言っても要求貫徹まで頑張るハッチに根負けしていた夫。
そのハッチがいないので、晴天のときには暖炉を燃やす必要がなくなったのです。

一年の消費量の薪を買うとしたら、ずいぶんの金額になります。
週末使いをしていた頃と違ってずっと住んでいるのだから当然です。
約5万円くらいになるかな?
でも幸運なことに、誰かから安く買ったりもらったり。焚きつけはいつも薪屋さんからもらいます。
1週間前にも、ゴルフ場の整備の方がトラックに2杯分の水ナラの丸太を運び込んでくれました。
枝をはらってあるその木を夫が40センチ乃玉にチェーンソーで伐って、それを私が薪置き場に一輪車の「ネこ」で運んで積むんです。
かなり疲れる作業です。普段使わない筋肉を使うのでクタクタ。肘や腰が痛くなります。
でも1年分以上あるのでありがたく助かります。
これをそのうちに夫が薪割り機で薪にしていくのです。
ゴルフ場の年会費が3万円、薪としたらそれ以上になります。ということはゴルフ年会費がチャラでお釣りが来るということですよね。
だけどこの作業、あと数年でリミットかな?キツイもの。。

私はけっこうこういう単純作業が好きです。
難しい頭脳労働や複雑な手仕事よりは、向いているような気がします。(なにせ不器用でアタマも悪いので)。
一生懸命やると、やるだけの成果が目の前に出るのがなによりシンプルでいい。
疲れて汗をかき、シャワーを浴びるのも爽快。
おかげでご飯は美味しいし、夜はぐっすり眠れます。
普段、いかにこういう労働をしていないか、ですね。

木を玉に伐るチェーンソー、今回は「Do it yorself」の店の1日3千円のリースを利用しました。
我が家にチェーンソーはあるのですが、使おうと思ったらどこかが故障していたらしく修理に出しているからです。
リースを利用して思ったのですが、チェーンソーなど年に何回かしか使わない工具はリースで充分だということ。
だって故障ならお店が修理するし、チェーンソーの刃を研ぎに出すとその都度千円かかるんですよ。それも不要だし。
(自分で研いでもそうはうまく研げないみたい)。
これからはリースでいいものはリースにしようということになりました。

そういう意味では「カー・シェアリング」なども同じでしょう。
マンションの住人組合で車を所有しておけば、必要な人が乗れます。税金や車検や修理費を折半できるし、第一、車の使用頻度を考えると所有する必要のない家庭って案外多いのではないでしょうか。
とくにシニアだと週末に動く必要はないのですから。
ヨーロッパなどではこれがうまく機能しているようで、日本でももっと取り入れていいシステムだと思います。
とくに乗りたいと思う絶対的な車がないのなら、構わないと思います。
(薪割り機や除雪などのシェアもできそうですが、重いのでそのたびに運ぶのが大変で、これは車のように足がないからちょっと無理なのだとか)。

こうした田舎暮らしには軽トラックや四駆のボロ車がなによりのお役立ちとなります。別にボロでなくてもいいのですが、ボロのほうが汚れを気にせずに乗れます。
この冬用に買ったジムニーはジムニーとしては4代目。
夫はジムニー大好き人間で、それも古いジムニーがお気に入り。
これまでも2ストのXJ10が2台、30が2台です。
ジムニーファンというのが世の中にはいるようで、見かけるとジムニー談義がもちあがることもあるみたい。
私など「こんなボロ」「こんなうるさい車」としか思えないのだけれど。。
ただ冬用に買ったのはいいけれど困るのは、凍結防止で塩カルを道路に撒かfれる事です。
塩カルが古いジムニーの床を腐食させるのです。いまの車の床材はそういうことはないのですが、なにしろ「鉄板」ですから穴があいてしまう。
そういう被害のためのいろんな部品がジムニーにはあることはあって、その話でも盛り上がるみたいで「同好の士」というのはそれはそれで楽しいんでしょう。
読書しか趣味と言える趣味がない私には「ふーん」の世界です。
posted by 北杜の星 at 07:50| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする