2017年11月18日

ハッチの週間身辺雑記

八ヶ岳南麓は現在、秋まっさかり。木々の葉ぽが美しいです。
我が家の庭の山もみじも赤の部分と緑の部分が入り混じり(日当たりのよいところが先に赤くなる)、それが徐々に全体に赤が多くなってきています。
桜の葉は色を変えて落ちつつあって、あと1週間で落ちきるでしょう。
落葉の問題は北側にある数本の水ナラ。
これは夫が掃いても掃いてもキリがなく、まぁ、12月半ばまでは仕方ないでしょう。

今週初めから鳥のエサ箱にひまわりの種を入れてやるようになりました。
最初はおっかなびkっくり、「これ、食べてもいいのかな?」という具合に見てましたが、勇気のあるヤツが思い切ってついばんだら、それからは後から後から・・
これは小鳥にもうれしいでしょうが、私たちにとっても朝食の時に窓の外を見る楽しみをくれるものです。
今のところはコゲラしか来なくて、シジュウカラはまだのようっです。
ただいいことばかりではなくて、駐車場に置いてある車のミラーやガラスの光に反応するのか、ヒヨドリが糞を落とし、それがこびりついてなかなか落ちない。
先日、夫が3千キロに一度のオイル交換に行った際に、車の掃除をしてもらって、やっときれいになりました。
(ヒヨドリは大きくて、あまり綺麗な色もしてなくて、エサ場で他の小鳥を脅すので、あんまり好きじゃない鳥です)。

最近困っていること。
それは歳をとるごとにカフェインの弱くなってきたこと。
これまでは午後3時以降を気をつけると大丈夫だったのが、今ではどうかすると午後一でもうダメ。
ランチが遅く食後のコーヒーが2時ごろになると、その夜はてきめんに眠れなくなるのです。
自宅ではドリップもエスプレッソもどちらもカフェインレスを常備しているので問題はないのですが、カフェやレストラン、友人宅に行くと困ります。
カフェインレスが健康にとっても良いと、都会のレストランなどではかなり置くようになっていると言いますが、まだまだ、アメリカなどのようにはいかないみたい。
たとえカフェインレスであっても、完全にカフェインを除去していないものも多くあるようです。
梨木香歩さんもお昼を過ぎるともうカフェインは摂らないとエッセイに書いていましたが、そういう人、多いのかもしれませんね。
周囲の友人たちに聞いても、かなりの人が「夕方からは飲まない」と言っていますから。
いろいろ鈍くなるなるのに、どうしてこういうことには敏感になるのでしょうか?

友人夫婦と久しぶりに「肉:」を食べに行こうと約束していたのですが、来たのは夫の方だけ。
聞いてみると奥さんは膝がとても痛くて、歩きたくないとのこと。
1カ月前くらいから「車の乗り降りの時に、膝が痛むの」と聞いていたのすが、そんなにひどくなっているとは思っても観なくてびっくり。
彼女はかなり我慢強い女性で、日常生活において「痛い」とか「辛い」とか言わない人です。
その間所が「とても痛い」と言うのだから相当なのだと思います。
整形外科で注射を何本か打ってもらったけど、効果がないそう。違う病院に行ってみると言っています。
こうした整形外関係の膝や腰、股関節、脊柱狭窄などの疾患は他人事ではありません。
今のところ私たち夫婦には、こうした痛みはなくて住んでいますが、それがこの先もずっと続くとは絶対に思えません。
こうした故障はいわば経年疲労、歳をとると誰にも起こりうることです。
彼女は「夫に思いやりがない」と嘆いていますが、そんなことはなく、経験のない人はその痛みがわからなくて、どうしてあげていいのか困っているのだと思います。、
とにかく一日の緒早く治ればいいです、少なくとも痛みが軽減するといいです。
(ちなみにそのランチ、山形産牛赤身肉のステーキが目的だったのですが、それは無くてローストビーフでした。残念ならがソースがイマイチだた。ローストビーフならソースなしのホース・ラディッシュが添えてあるか、ソース付きならグレービー・ソースの方が良かった。あのソースはウスターソースが入っていたみたい。)

悲しい知らせもありました。
友人のYちゃんの飼っている猫のしんちゃんが死んでしまったのです。
長い間音沙汰なしのYちゃんを心配して電話してみたら、「しんちゃんが危篤状態」と言うではありませんか。
でも電話口でしんちゃんの鳴き声が力強かったし、その後「持ち直した」と言うので、安心していました。
Yちゃんっは昨年、他の2匹の猫を相次いで失っていて、しんちゃんは家に残る唯匹の猫。
元気になって良かったと思っていた矢先い、やっぱりダメだったと。。
これで彼女の家には猫が誰もいなくなってしまいました。

Yちゃんは35年くらい前までは、猫を飼ったことがありませんでした。
彼女にとっての最初の猫は、私の夫が飼っていたビリーでした。
私と夫が一緒に暮らすようになって困ったの尾は、夫にはビリーが私にも猫がいたこと。
しかもその猫同志の折り合いがすこぶる悪い。それで夫はYちゃんにビリーを託したのです。
優しいYちゃんは猫未経験でしたが、身体の弱いビリーの世話を熱心にしてくれていました。
ビリーが死んでからも、縁あって頼まれた猫たちを3匹も一緒に、そう広くない公団住宅で飼ってきました。
それが昨年、ごんちゃん、そのごんちゃんを追うようにふうちゃbんが逝ってしまい、Yちゃんはとても気落ちしていたのでした。
けれどしんちゃんの最期は幸せだったと私は思います。
だってYちゃんは弱ったしんちゃんのそばにずっといてあげられたからです。
今頃は空の上で、ふうちゃん、ごんちゃん、しんちゃんは一緒に遊んだり眠ったりしていることでしょう。
彼らはこれからもずっとYちゃんを見守ってくれると思います。
猫を失うのは本当につらいことだけど、彼らのくれた思い出はたくさんあります。思い出すのはつらくても、やはりその思い出は無いよりはある方が断然素敵です。

富士山はもちろん南アルプス、北岳や駒ケ岳の山頂はもう真っ白。最低気温はまだ零下にはならないものの、日一日と冷えこんでいます。
寒さを厭いがちだけど、青い空やきれいな山々、風景が美しくなるのはじつはこれからの季節。
せいぜい楽しみたいと思っています。


posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月16日

やまぐちせいこ「ミニマリスト、親の家を片づける」

最近、私の友人がご母堂を老人ホームに入所させるため、住んでいたマンションにあるものを処分し売却するこにした。
家具などは業者に引き取ってもらい、お洒落なお母さんの多量の衣類のほとんどがブランド品だったのが幸いし、これも業者が買い取ってくれたそうだ。
その片付けの奮闘ぶりは傍で聞くだけで、大変だとつくづく思った。
私の場合は、実家を畳むときにはすべてを一括で業者に任せたので、エネルギーは使わなくて済んだが、お金がかかった。
でも遠隔地に住む子や、仕事の忙しい子の場合、それは仕方ないことだ。

でもこの本の著者のやまぐちさんは、上記とは条件が異なる。
彼女たち一家4人は、夫の両親と同居するために、その家の片づけをすることになったのである。
つまり、一切合財を処分するわけではない。必要なものは当然残さなければならないし、処分するにしても親の了解を得なければならない。
この了解を得る、ということがじつは最も難しそうなのだが、強い抵抗に遭うことなく片づけられたのは読んでいてホット下部分。
汚部屋となっていた家全体にはいったいどれだけのモノがあふれていたのだろうか?
親世代は捨てられないという人が多いはず。溜めこんだモノの山、そして時の経過でこびりついた家中の汚れ。。考えただけで気が遠くなりそうだけど、ミニマリストのやまぐちさんはへこたれなかった。
じっくり時間をかけ、部屋ごと、部分ごとに計画を立てて頑張った。

強い抵抗がなかったと書いたが、もちろんなかったわけではない。
人間が暮らしてきた空間には、それぞれの愛着があるはずだからだ。(愛着かあって捨てられないのなら理解できるが、ごわごわの古いタオルなどが捨てられないというのはこれはもう、週間のなせるところとしか言いようがない)。
そんなとき、「人」を変えようとしても変わらないと彼女は言う。
まず「一緒に部屋を片付けることから始めることが大切。そうするうちに親とのコミュニケーションがうまくいくようになり、片付けもはかどるようになっていくそうだ。

家が変わっただけではない。家がきれいになるとそこに住む人間にも変化が起きた。
家がモノにあふれて別居状態だったお義父さんが家に戻って来て、夫婦仲が円満になった。
トイレが汚くて孫が遊びに来てくれなかったのが、来るようになった。
ガレージがすっきりしたら、やまぐちさんの夫はかねてより念願だった移動式カフェを始めることになった。
・・モノを捨て、家がすっきりしたら、ライフ・スタイルまで変化するんですね。
お義母さんが使っていたピンクのコタツ布団、今ではお義母さん自らグレーのモノトーンの布団を選ぶようになったという。

ちなみに、親の家を片付けて出たゴミの総量は約10トンだとか!
それでも、それでも、片付けた後も、義両親の住み続ける部屋にはまた徐々に家具などが増加中らしい
それを辛抱強く見守るやまぐちさん。
けれど、「捨てられる体質」に変わったことはスゴイ変化なのだそうだ。

この家が片付くのなら、我が家だって。。と掲載されている写真を見ると誰もが希望を持つことだろう。
私も力づけられました。ともかく毎日、一日一部屋を重点的に片付けながら掃除しようと、決意を固くしました。
ちなみに今回の衣替えでも、かなり服を捨てましたよ。
本当に似合う服の組み合わせはそんなに何種類もないのだから、いつもその似合う服を着ていればいいのだ。
目標はあのスティーヴン・ジョブ氏です。ジーンズに黒のセーター。いつもそれ。そういうふうになりたいものです。
posted by 北杜の星 at 07:47| 山梨 ☀| Comment(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月14日

並木美砂子「どうぶつたちの給食時間」

動物園に最後に行ったのはいつだったろうか?
子どもも孫もいない私は動物園に行く機会がなかなかない。
というか、正直なことを言えば動物園があまり得意ではない。
故郷を離れ家族とも別れ、気象条件の違う遠い土地に連れて来られ、檻の中で生きる動物を見るとせつなくなる。
もう死んでしまったけれど、小田原城の象のウメ子は本当に気の毒で、あの哀しそうな目を直視することができなかった。
でもウメ子もそうだったが動物園の動物たちは自然界に生息するよりも長生きなのだ。
それは食餌の不安がなく、健康管理もきちんとしてもらい、大切にされているからだろう。
それがせめてもの救いだ。
彼らは彼らなりに新し環境に順応して、ハッピーなのかもしれない。

著者は「保全心理学」「博物館教育学」(こういう分野があるのですね)の博士号をもち、千葉の動物園に30年間勤務ご、現在は大学教員。
動物園で保全教育をすすめる団体の代表でもある。
動物園の保全教育を進めたくても、現状は厳しい。
動物への食餌だけで予算はいっぱいなのだそうだ。
この本にはそんな動物への「給食」がどんなふうに行われているかが書かれているが、動物の生態を知る上でもとても興味深い。
どの動物がどんな食べものを好むか?どういうふうに与えて、彼らがどういうふうに食べているか?
菜食主義もいれば生きた魚が鉱物のものもいる。「給食時間」も動物に寄って異なる。
Q&Aを含めて、この本からたくさんのことがわかります。
キーパー(飼育係)さんたちの努力も知ることができる。

ゴリラ、ハシビロコウ(この大型鳥が人気らしい)、フンボルトペンギン、テンジクネズミ、アヒル(こんな身近なのもいるんですね)、ナマケモノ、アルタブラゾウガメ・・
どの動物がお気に入り?
私はペンギンが大好きなのでその章はとりわけ楽しかったけど、フツウによくいるアヒルも面白かった。
動物による違いはあるけれど、著者は動物園を訪れるなら、午前中を薦める。
動物だもの、やっぱり動いている姿を見学したいですよね。それには午後より午前中らしい。
夜行性が多いので、シンガポールの動物園のように夜間見学できる動物園があってもいいと思う。

動物園の動物が幸せでいれるのは、今が平和だから。
戦時下にはたくたんの動物が餓死したり、薬殺されたと聞く。
人間の都合で動物園にいる動物への責任を含めて、戦争になどならない国でいてほしいものです。
posted by 北杜の星 at 07:57| 山梨 | Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月13日

森絵都「出会いなおし」

この森絵都、とても素晴らしい。
森絵都といえば長編というイメージが私にはあって、これまでいろいろ読んではきたが、どうもどこかしっくりこないところがあって、「悪くはないんだけど、単に私との相性の問題かも」と諦めていたのだ。
でもこれ、短編小説が大好きな私は大満足。
6つの短編に共通するものは、タイトルのように「出会いなおし」。ストーリーはさまざまだが、過去に出会った人と別れて、また時を経てで会う、というお話し。
これまでの森作品とはかなり違う雰囲気を持っていて、落ち着きが感じられる。

長い人生には、人との別れが必ずある。
いっとき仲良く密な付き合いがあったのに、少しずつ齟齬が生まれて関係が途絶えてしまったり、何も特別なことなどなかったのに、いつのまにか消えてしまったり。。
誰にもそんな知り合いがいることだろう。
私にももちろんいる。
ときおり昔日のそんな友人たちのことを思い出すのは、私がそういう年齢になったからか?
熱心に辿れば、彼らの消息はわかるのだけれど、それほどの熱意はなく、ただぼんやりと思い浮かべているだけ。
だけど心のどこかで、「出会うべき人には必ずまた出会える」と信じている。

長い時間の後で出会いなおすと、驚くことがある。
「この人、こんなに良い人だったかな?」と。なんかすごく大きくなっていて、自分の上を通りすぎた時間とその人を通り過ぎた時間を較べてしまう。
そして「あぁ、いろんなことがあったんだなぁ」と、そこから新たな付き合いが再開することもある。
人と人とのつながりの深さ、面白さです。

この短編集には、「出会いなおすべき人たちが出てくる。
過去のいやな時間を共有したクラスメートもいれば、出会いなおして結婚した人もいる。
どれも素敵な物語なのだけど、「青空」が印象的だった。出会いなおしは生きている人だけじゃなく、亡父や妻という場合だってある。
30代半ばの妻を亡くし、小学3年生の息子を妻の実家に預けて育ててもらうことになった男性。
その息子と車に乗っていて、前のトラックが大きなベニヤ板を落とす事故にあう。その瞬間のほんの2秒くらいの間に、亡父の言葉、妻のことが頭をよぎるのだが、説明をするところはしっかりしていて、説明のない部分でも心情が表現されているところは見事だと思った。

父とドライブしながら、父からのどんな問いかけにも「うん」としか言わない息子。
父と息子のコミュニケーションがうまくいうっているとは思えない。
でも最後、事故で助かって彼が息子に言う。
「大丈夫か}
「うん」
「まいったな」
「うん」
「ママが守ってくれたんだ」
「うん」
あたりまえのように恭介はうなずき・・

「うん」としか応えない息子の最後の「うん」に、母を亡くした喪失感、母を恋う気もちがあふれているし、父だけでなく息子の方も父とどう向き合っていいのか戸惑っていたのだとわかる。
とにかくこの森絵都には感激でした。
短編としての完成度が高く、それでいてサラリとべとつきがなく、変な作為が感じられない。
秋の読書として、大いに楽しみました。
posted by 北杜の星 at 07:33| 山梨 ☀| Comment(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月09日

伊藤まさこ「おいしいってなんだろう?」

伊藤まさこさんはライフ・スタイリストというのか?アラ・フォー女性たちから大きな人気と信頼を得ている女性で、子育て中のあれこれや料理、生活用品などについて、彼女をお手本としてきた人たは多い。
彼女、数年前までは信州松本で、ある木工作家と暮らして、すっかり松本暮らしを満喫していたみたいだったけど、現在はどうなったのか?
松本を離れたという話も聞くのだけれど。。

でも例え松本を離れて住むようになったとしても、都会ではなく地方都市、それも文化の香高い松で暮らした経験は、きっと彼女のなかにいつまでもとどまることと思う。
水、空気、食材、人々・・すべてがそれまで彼女の暮らした東京とは異なるものがあったはずである。

この本には彼女なりの「おいしい」が、数人の人たちとの対談を通して、浮き彫りにされている。。
料理上手の実家のお母さんに育てられたことが、なによりも彼女の「おいしい」の原点になっている。
そのお母さんは、じつに丁寧に料理を作っていらしたそうだ。
そう、料理って丁寧さが大切なんですよね。
もちろん素材によってはパッパと思いきり良さが必要だけど、素材の下ごしらえなどを丁寧にするのは本当に大事なことだと思う。
お母さんはその食材を、普通の調味料で、普通に作っていたという。
普段のご飯のおいしさって、まさにそういうこと。特別でない普通のものが、毎日の食べものとして身体に沁み込むのだ。

そんな彼女も20代のころは毎日のようにフレンチ・レストランに行っていたそうだ。おりしもバブルの絶頂期。
けれどそんな時期であっても彼女はグルメ本で紹介される新しい店を開発するよりも、気に入ったシェフの料理を食べ込む方向性が強かったそうだ。
そういうのって、わかるような気がするなぁ。季節ごとにどんなものを食べさせてくれるのか?
私にもTというフレンチのそんな存在のシェフがいた。

でも伊藤まさこさん、現在は新橋の定食屋さんに月に一度は通うという。
定食親さんがおいしいというのは、けっこう難しんですよ。普通に美味しいものを普通に美味しく食べさる店といのは、あるようでないんです。
米、味噌、ちょっとした付け合わせ・・そういうことすべてに気を使うのはすごい労力だから。
最近は私たち夫婦も、小洒落た店より、こんんな定食屋さんが貴重になりました。

彼女、断食もここで経験しているんですね。
3日間だけの断食だけど、きっと身体の変化を自覚できたはず。
私も高熱で寝込んで、まるまる4日間、水しか飲めなかったけど、心身が浄化された実感があるもの。
それにしても彼女、とても良い鍼灸の先生にかかっているようで、10日間肉食が続いた後に治療に訪れると、その先生、「蛋白質の多い食べものを食べた顔してますね。」と言い、とうぶん野菜だけにしなさいと言い渡されたそうだ。
そういう先生がついていてくれるなら安心だ。
顔を見たり、脈を見たりで、わかるんですよね。
血液を採取して数値を見なければわからないのは、上医ではありませんよね。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☁| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月07日

アナスタシャ・マークス・デ・サルド「戦争がつくった現代の食卓」

この本の原題は、COMBAT=READY KITCHEN。
アメリカ陸軍の研究機関であるネイティック研究所が開発した戦争での食品が、いかなる需要で生れたか、またそれらの食品が企業によって民間に浸透したかの経緯が様々なエピソードとともに書かれている。
とても興味深い一冊。

どうも人間は平和時よりも戦争の時の方が、創造力が高まるようだ。
それは食べものに限らない。
古くはワテルローの戦いのウェリントン・ブーツ。これは将軍ウェリントンが作ったとされるゴム長靴のこと。
またトレンチコートは第一次世界大戦の時に、塹壕で闘うう戦士を寒さや汚れから守るためのコート。今では男性は冬になるとスーツの上に来ているし、女性は春コートとしてお洒落に着ている。アクアスキュータムはトレンチ・コートで有名。(すごく値段が高い)。
そして今ではあるのが普通になったコンピューターだって、元は軍事目的で作られたものだ。

戦場での戦士たちのための食事はどんなものか?
まず運送しやすい形状でなくてはならないし、気象条件を満たすものでなくてはならない。
火が使えないことも多いし、腐りやすいものは敬遠される。すぐに食べる必要だって起きる。

だから缶詰、レトルト、パウチに入ったもの、シリアル、パン、粉チーズやプロセスチーズが開発されたという。
これらの食品、どこのスーパーにも並んでいる食品だ。
まぁ、健康には良くないとされる食品がほとんど。

この本の著者はフード・ライター。常に安全な食べものを家庭の食卓にのぼらせたいと考える主婦でもある。
子どもが学校のカフェテリアで食べるのを拒否し、自らお弁当を持たせることにしたのだが、自分では自信たっぷりで使っていた食品が、じつは、カフェテリアでの食品とそう変わり内ことに気付いた。
弁当に使っていた加工食品に疑問や不信感を持った彼女は、それらの食品の由来を調査し始めた。
そしてわかったのが、「ネイティック研究所」のことだった。

膨大な参考文献に支えれて書かれたこの本、たくさんのことを私たちに考えさせてくれる。
これはアメリカだけではもちろんなく、日本の食卓事情にも大きく関わることなのだ。
開発された経緯を知ると、「うーん、なるほど」と感心しつつも、これが日常となっていることにちょっと唖然としていまう。
便利さって、所詮、こういうことなのね、と。
もともとが食品の全性より利便性で開発されているのだから、健康に良くないのは当然かもしれないのだが。。

でもこれを読んで、日本の自衛隊の食事のことを考えた。
3・11の救援活動の際の彼らの食事の貧しさを何かで読んで、「せめてもっと、なんとか美味しいものを食べさせてあげたい」と一生懸命に働く彼らが気の毒だった。
食べることは活力の最大の基本。
被災者が苦しんでいるのだからというのはわかるけど、それにしてもかわいそうだった。
先の太平洋戦争においても、日本軍と米軍の物資の隔たりはあまりにも大きく、「これじゃぁ、負けるのは当たり前」と思えたそうだ。

かなりの力作。読むのに1週間近くかかりました。読んでよかった。

posted by 北杜の星 at 07:50| 山梨 | Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月06日

乙川優三郎「生きる」

点字でいろんなジャンルの本を読んでみようと、今回は初めて時代小説を試みてみた。点字本というのは言うならばカタカナ表記のようなものだから、時代小説の情緒がどこまで伝わってくるかが問題だった。
例えばこの主人公の「又右衛門」という名が「マタエモン」ではなんか調子がでないので、それがどうなのかを体験してみたかったのだ。

でも読み始めて高熱が出た。
39度5分を超えたら、目すら開けていられなくなった。とても本を読むどころではない。
次の日、1度下がったが、印字はまだまだ読む気にもなれない。でもこの点字の本、指でそろそろ触ってみると、読めるではないか!
2ページほど読んで止めたのだけど、そうか、目より疲れないんだとうれしくなった。
このところ点字を読むスピードが速くなって、一冊3巻のこれが10日ちょっとで完読できた。この速さならたいていの長編は貸し出し期限の20日以内に読める。ということは日本どこの点字図書館からでも借り受けられることになるので、新刊本だってるから、とってもうれしい。

熱があってもこれが読めたのは、でも乙川優三郎の流れるような文章のおかげだと思う。
ひっかかりがどこにもなくて簡潔な文章。それでいて雰囲気に満ちている、
じつは乙川作品はこれが初読みだった。選んだのは直木賞受賞の時代小説という条件だけだった。
大正解。すっかりファンになりました。

江戸の時代、「追腹を切る」行為は亡き藩主への忠誠を示すもので、藩主に恩義があればあるほど求められるものだった。
又右衛門の父は浪人の身から藩主に引き立てられ禄を得るようになったため、彼自身も周囲も殉死するものと見られていた。
しかし家老から殉死を禁じられ、念書を書かされたため、追腹が切れなくなった。
周りからは臆病者と冷たい目で見られ四面楚歌、嫁に行った娘からは義絶され、一人息子は自死してしまう。
ただ一人、彼を理解する妻は病弱で山深い湯の里で療養に行っているが、そこを訪れた又右衛門はそのときだけ、ほのぼのとした時間を妻と過ごすのだが。。

書くと、ストーリーはこれだけなのだが、とってもいいんです。
さまざまなしがらみや括りの時代だからこそある人間のあれこれが、とても切なくて、これぞ時代小説という感じ。
しかも「あざとい」ところがないし、時代小説の臭さも感じれr内。
他に2編の中編が収録されているが、どれも同じような印象でもの悲しい。
身分違いの女中を出世のために捨てた男の悲哀と追想など、思わずジーンとくる。
時代小説って主人公の男性よりも、脇の凛とした女性の強さがなんとも言えないんですね。
時代小説をあまり読まない私だけど、つい、はまりそうな乙川優三郎でした。
posted by 北杜の星 at 08:03| 山梨 ☀| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月04日

ハッチの週間身辺雑記

もしかすると夫も私も生れて初めてインフルエンザにかかたのかも、治ったこのごろに
ただの風邪ではなかったような気がします。
(それでも私はインフルエンザ予防接種は受けません、あれは毒です。)

月曜日にやっとパジャマから普通の室内着に着替えて、日常に戻る努力をすることに。
体はまだまだしっかりしないけれど、自分で作った食事を量は少なくてもしっかり摂ろうと、料理を再開。
フラフラする体でお出汁を引いてあさりの吸い物を作って一口飲んだ時、体の隅々まで滋味が広がるのを実感しました。
火曜日には夫の車仲間がやって来て、私たちは昼食をすませたばかりだったけど、どうも彼らはまだの様子なので、「簡単なトマトソースのパスタ」ならできるよと言うと、「食べたい」とのこと。
本当に何もなく、缶詰のトマトでソースを作り、、パルミジャーノをおろしただけのものだけ、それでもお替わりまでしてくれてました。
じつは1週間前の土・日には、恒例のフレンチク車の祭典「フレンチブルー・ミーティング」が台風のなか車山で開催されました。
夫は風邪の直後だったので参加は見送っていました。そもそもここ1年半ほど我が家にはフランス車がない状態。それでもキャトル・クラブだけは脱退することなく続けています。
仲間が忘れずに時折こうして遊びに来てくれて、ありがたいことです。
今度は体力気力を充実させて、前菜くらい作るので、また来て下さい!

そうそう、沖縄の名護市の保育園の子どもたちに、こちらの山の木の実を送ったのはお知らせしましたね。
拾った木の実が、ナント、300個のギョーザに変身。
といおうのは、理事をしている友人が木の実のお礼として、彼の友人が名護で作っている冷凍ギョーザをどっさり宅配便で届けてくれたのです。
ギョーザ300個というのはすごい数量ですよ。別に冷凍庫を持っているので収納できたものの、正直、ビビりました。
半分ほど友人夫婦にもらってもらい、イガつきの栗を採って来てくれたSさんんにもお裾分け。
とても美味しギョーザで、台湾にも輸出しているとか。冷凍で2年間保存できるそうですが、2年間冷蔵庫にギョーザが鎮座しているのも怖いので、早目に食べきります。
その保育園の子どもたちと、信州中山道の宿場町の海野にある保育園とが、どなたかの仲介で交流を始めることになったそう。
早速名護の子どもたちは海岸で貝がらを集めているそう。きっとお友達がたくさんできることでしょう。
理事をしている友人が貝殻を携えて、やって来ると言っているので、ギョーザのお礼を直接言えるかも、です。

寝込んでいた間に、クリーニング屋さんには夫が行ってくれていました。
そのクリーニング屋のおばさんから電話がありました。
「奥さん、どうかね?病気かね?旦那さんばかりが来てるけど、元気になったかね?」と。
これを聞いて、なんだかとってもうれしかった。
こちらに移住して8年が経ちますが、あぁ私はこっちの人間として認められたんだなと。
こうして心配してくれる人が地元にいる。

このおばさんとはちょっとしたいきさつがあったのです。
もう数年前になりますが、春の衣替えの時に出したブルゾンが戻ってきてないと、夫が言うのです。
そう言われれば私も気付かなかったような。
こういう時に夫の実家の人たちは、かなり強い口調になるのを知っている私は、「とにかく、こっちの間違いかもしれないのだから、次の秋もののときに確かめるまで、待ってましょうよ」と、なだめました。
すると、やはり私たちの勘違いで、ブルゾンは衣装箱から出て来たのです。
チョコレートボックスを持って、おばさんに「ごめんなさいね、不愉快な思いをさせてしまって」と詫びに行きました。おばさんは「あぁ、よかった」と気持ちよく許してくれました。
それ以来、そのおばさんとは店先でいろんな話をするようになったのです。
療育手帳を持つ40歳の息子のいるおばさんは、どうしても運転免許を取得できない息子を仕事場に車で送迎したり、病院に連れていったりと、店をよく休んだり開店時間が遅れたりします。
だけど地元の人たちは「まぁ、そういうもんだ」ととても寛大。
都会では考えられないくらいのおおらかさに、こちらまで気分が爽やかになります。
おばさん、ありがとう。元気になったからお店に行きますね。

このところ「猫がいるけど飼わない?」といろんな知人から声をかけられます。
「猫のことは私に言わないで。絶対に見ないからね」というのが私の答え。
でも寒い季節になると、ハッチというか猫の不在いが心身にこたえます。
あの柔らかで温かな身身体を撫でたい、ぎゅっと抱きしめたい。
どういうわけか野良猫もあまり来なくなって、さみしいです。
暖炉、電気カーペット、ポカポカの陽だまり・・猫のお気に入りがたくさんの我が家に、猫がいない。。つまんない暮らしです。

でも何にでも終わりはある。
猫の不在はこれからはじまるいろんな不在予行の演習の一つにすぎないのかもしれません。
せいぜい夫と仲良くして、毎日を楽しく暮らすしかないか。。。

posted by 北杜の星 at 07:47| 山梨 | Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月02日

青来有一「小指が燃える」

青来有一は信仰と原爆を書き続ける作家だ。
長崎に生れ育ち、ずっと爆心地からほど近い場所で過ごしてきたし、長崎市市職員として仕事をし、現在は原爆資料館館長である。
生れは戦後とはいえ、これなら原爆を無視して小説を書くわけにはいかないだろう。
また隠れキリシタンの地としての長崎において、信仰を持つ意思と意味を小説のテーマとするのも理解できる。

しかし原爆を書くということは難しいことだと思う。
作家にとってのの必然性がどれほどあっても、いや、あればある程に、作品が「錦の御旗」になりかねないからだ。
プロパガンダ小説を読みたい人はそうはいないだろう。それは「文学」とは違うものになりかねないリスクをはらんでいる。
青来有一自身もその苦悩があるのだと、これを読むとわかる。
作家としての苦悩を表現したのがこの「小指が燃える」である。

ちょっと笑ってしまった。
元政治家作家(これは誰がみてもあの元T知事のI氏ですね)が長崎を訪問し、主人くの地方作家に「まだここで、ちまちまと書いていたのか、誰も読まない小説を書いてもしょうがないだろう。ならばベストセラーをめざせよ」と言われたのだ。
元政治家作家はあげくのはてに「ひどい目に遭うまえに我が国もきちんと核武装しないといかんなぁ」と、ぶっそうなこともつぶやいた。
この俗丸出しの作家も登場するが、今年初めに亡くなった女性原爆作家のH氏も登場する。

Hとも書いてないが、これは林京子のことで、彼女と作者は親交があったようだ。
彼女はまごうことなき「原爆作家」だと思う。文学としては賛否両論あったが、でも彼女の作品を読むと彼女が書かないではおれない想いの重さが感じられた。
原爆を体験した人間が書かねばならないという確固たる信念があった。
彼女の登場させることで青来有一は自らが書くという行為を見つめ直そうとしているようだ。

これにはもう一編「沈黙の中の沈黙」が収められている。
これを読み、数年来の疑問んが解けた。数年前にあるカトリック信者から「今も長崎には隠れキリシタンがいるのよ」と言われ、何のことかわからず、また自分で調べようともせずに、その言葉がずっと気になっていたのだ。
禁教でなくなったキリスト教がなぜ今も隠れ」の必要があるのか?
この短編の主人公は市職員の同僚の婚家の葬儀に参列する。昼間の葬儀が終わってその同僚に、疲れただろうからゆっくり休むようにと声をかけると、彼女は声を潜めて、今夜またもう一つの近親者だけの葬式があるのだと言う。
それがつまり、「カクレキリシタン」の葬儀だった。

「カクレキリシタン」として信仰している間に、彼らのキリスト教はしだいに変質してしまい、土着的なものになった。
それは本来のキリスト教の教義とは大きく異なるものになり、教会に属することもできない信者たちの集まりとなっていった、
彼らは彼らだけで「カクレキリシタン」として現在も存在し続ける(しかない)。
こっちの作品には遠藤周作とおぼしき作家が出てくる。
つまりはこの「小指が燃える」という作品集は物故した作家たちの祈りを引き継ぎ、書き続けるための青来有一の決意のようなものではないか。読んでよかった本だった。

彼は決して原爆やカクレキリシタン信仰を売り物にするひとではなく、独自の作品世界を持っている。
それは時としてシュールで、時としてそこはかとないユーモアを感じさせる。
残念なのは彼が寡作だということ。定年になればもっと書いてもらえるかな。。
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2017年10月31日

森下典子「こいしいたべもの」

誰にも懐かしい味がある。
昔、母が作ってくれた食べもの、いけないと言われながら友達と買い食いした祭りの屋台の味、我が家とは違う形態で驚いた一皿・・
あれは本当に美味しかったのか?今となってはわからない。
私の小さな頃はまだ戦後の混乱が残る時代、食料難からは脱していたもののまだまだ食卓は貧しかった。
そんな頃の食べものが美味しいはずはないと言われれば、そうかもしれない。
でもあれらの味は、幼い自分が絶対的に両親に守られ、何の苦悩も心配もなく、ノホホンと暮らした幸せの味だったように思う。
森下典子さんにもそのような味があった。それを過度な感情移入なしに静かな筆致で書いているのがこの本。
文章だけでなくイラストも彼女の作で、これがとっても素敵。
写真よりもイラストの方がより伝わるもものが多い場合があるが、この本はまさしくそうで、文章とイラストの合体が大成功。
森下さん、絵がお上手なんですね。雰囲気、すごくいいです。

「こいしい」「懐かしい」のは、それがもう戻ってこないから。
家族で食べたあの料理は、兄弟姉妹が結婚して家を出たり、親が亡くなったり、時代の変化などで、作られなくなってしまう。
典型的な中流家庭の森下家でも、その移り変わりは否めない。
(この「中流」という表現は難しいモノがあって、欧米の「中流」ではなく、あくまでも日本の「中流」です。)

ずいぶん料理好きなお母さんだったのだなと思う。
何かあるとお父さんは「うんまいものが食べたいな」と言ったという。うまいものではなく、うんまいもの。
そんなときお母さんはいそいそと台所に立ち、散らし寿司などを作ったそうだ。(散らし寿司がさっとできるなんてスゴイです。私なんて「さぁ、来週は散らし寿司を作るぞ」と大決心しないとつくれないけど)。

家族の食べものには歴史がある。
父の焼きビーフンには、海軍だった父が南方の戦場に行く途中、アメリカの魚雷攻撃を受け海に漂流後、助けられ九死に一生を得た経験に繋がっていた。
焼きビーフン、つい最近友人と焼きビーフンの話しをしたばかりだったので、ついこの文章を読みこんでしまった。
ビーフンがどのように作られるかもここで初めて知った。

どれほど心がこもり手の込んだお弁当であっても、前の席の男の子が毎日パン屋で買ってくる「コロッケパン」が羨ましい。
その男の子は彼女の色とりどりの手作りお弁当が羨ましいのだけど。。
だからお母さんが風邪でお弁当が作られない時に、お金を持たされて買った「コロッケパン」のなんて美味しかったこと!

「こいしい」は「せつない」のですね。これを読んでいるとなんだか涙ぐみそうになってくる。
失ったものへの愛惜。。
でもそれが確かにあったという幸福感はずっとずっと消えないはず。
心がほんわりの一冊でした。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☀| Comment(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする