2017年07月25日

石田衣良・唯川恵・佐藤江梨子「TOROI1 トロワ」

いやはや。。なんとつまんない小説を読んじゃったのか。
ここ数年で最悪の本だった。
登場人物、ストーリー、文章、そのどれもが「なんで、こんなのが出版されるの!?」という感じ。
しかも私はこれを点字本で読んだので、感覚的に耐えられなかった。
最後の四分の一を残して、放り投げました。

「トロワ」というタイトルにはいくつかの意味がある。
「3」人の人物、34歳の作詞家の響樹。
響樹と付き合っている45歳の高級エステサロン経営者の季理子。
銀座のクラブでバイトする24歳の歌手志望の若いエリカ。
彼らの微妙な三角関係の「3」。
そしてこれがこの本の企画なのだと思うのだが、それぞれを「3」人の書き手が文章を担っている。

響樹は石田衣良、季理子は唯川恵、エリカは佐藤江梨子。
佐藤江梨子って作家いたっけ?と訝しがっていたら、彼女は女優さんなんですね。
テレビ、それもドラマをまったく見ない私は今の俳優さんたちをまったく知らない。そういえば「サトエリ」という名前はなんとなく記憶にはあるけど。
彼女、小説も書く人だったのか。

と、思ったけど、小説はこれが初めてなんじゃないかな?
エリカという主人公にちなんで、江梨子さんが抜擢されたのだろう。
でもね、なんとくか、役を引き受けたその勇断にまず驚く。
はっきり言って、ものすごくヘタ、まぁ、ヘタは承知のことかもしれないのだが、気になったのは、石田や唯川の文のなかのエリカとはキャラがまるで乖離している。
とってもつまんない若い女性としか感じられない。
こういう女性を、歌手として売り出そうと努力する必然性いが何も伝わってこないし、若いというだけで魅力のない子に嫉妬する季理子にも全然同情できない。
企画倒れもはなはだしいです。もっとも若い女性の稚拙さを表現しようとしたのなら、これでいいのかもしれないけれど。
それと唯川恵の文は悪くなかったが、石田はいつものように「軽く」「さっさっと」「あざとく」書かれていて、どうも鼻白む。
私はこういう作家の『巧みさ」が嫌い。

点字本は嵩ばるんですよね。だから早々に返却しました。
私が「トロワ」と聞いて頭に浮かべるのは、ルノー「3」という車のこと。
これはルノー・キャトル(4)の廉価版として1960年代初めの2年間だけ製造された車で、もともとキャトルが大衆車なのだけど、そのまた廉価版。
でもこれがシンプルでかわいい。
もう55年くらい前のものなのだけど、これを私のもっとも若い友人のS君が持っている。
ちゃんと整備しているので、スピードは出ないけど今も現役で動く。
この「トロワ」なら大歓迎なのだけど。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

ぐるなび・こちら秘書室編集「接待の手土産」

このシーズン、帰する際の手土産に悩むひとは多いのではないだろうか?
誰かに何かを差し上げるというのは楽しみでもあるが、これが本当に喜んでもらえるかを考えると、なかなか難しいものがある。
我が家はもうほとんど隠居状態なので、以前に較べると頂きものは少なくなったが、それでもいろんな地方の友人知人たちから素敵な美味しい名産品が贈られてくるのは本当にありがたいことである。
それに対し何を贈りかえせばいいのか・・
ここ山梨は(山梨の人、ごめんなさい)名産というものがないのだ。「ほうとう」「煮貝」くらいしか思い浮かばないが、「ほうとう」は冬のものだし、アワビの煮貝は値段のわりにはちっとも美味しくない。

気持ちがこもったものを頂くのはうれしいが、困ることだってある。
二人家族には多すぎる量や数のものは、どうすればいいのかと途方にくれる。
例えば、生菓子の類だ。豆大福も塩大服も大好きなのだが、一度に6個ももらうと困るよなぁ。
その日限定はできるならやめてもらいたいと思う。

一番うれしいのは、「故郷から届いたものだけど、ちょっとお裾分け」というもの。
全国流通が増えていても、まだまだその土地の人しか知らないものがたくさん残っている。そういうのを頂くとワクワクする。
食べ方を教えてもらったりするのも、いいコミュニケーションになる。

悲しいのは、せっかく差し上げたものを一口も食べず、使わずに、他人に横流しする人がいること。
私の親しい人にいるんですよ。そこは頂き物が多いのでわからないこともないのだけれど、頂いたものということを黙って横流しするのは、人格の問題だと思う。
贈った人の気持ちを考えると申し訳ないし、もしかしたら私がプレゼントしたものもそうやって他所に回っているのかと思ってしまう。

これから多くなるのが野菜だ。
起きると玄関に置いてある野菜。軽トラで届けてくれる人もいる。
これはもう大歓迎!つくづくありがたくうれしい。

さて、この「接待の手土産」。企業の秘書さんたちの対談つき。
彼女たちがどんな接待での手土産を選んでいるか?その気の使いようはさすが秘書さん。
相手の年齢、家族構成、嗜好、、いろんな要素を考慮し選んでいる。
接待の手土産というとものすごく高価な品を想像するが(例えば「千疋屋の何万円もするメロンとか)、そんな野暮なものではなく、「いろいろ、あなたのことを考えました」というものが多く紹介されている。

和洋菓子、佃煮、酒類、茶、工芸品・・
このごろのことだからオーガニックや無添加の食品も多くなっている。
接待の手土産というものはつまりは、その家族に持ち帰るものだから、奥様が喜ぶものが選ばれるんですね。

知人に企業のトップの方がいるが、彼が接待ゴルフをする時には、お互いに手土産のやりとりがあるらしい。
その手土産をたくさん抱えて自宅に戻るのだが、彼は一人暮らし。
ハムの詰め合わせをもらっても、社員に分け与えるしかないようだ。
お酒をもらうこともあるけど、彼は下戸。
そんなのならお互い気を使うのを止めにして、手土産はなしにしましょうということにならないもの?
その方が気楽だし、会社も無駄なお金を使わなくてすむとおもうのだけど。
手土産というのはなくならないものなんでしょうね。

安倍首相がトランプ大統領への手土産、何だったか?
それは60万円もする、ゴルフのドライバーのクラブだったとか。。

でも、誰かに何かを贈ろうと思う時には、この本、お役立ちだと思います、ご参考までにどうぞ。
posted by 北杜の星 at 07:26| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月22日

ハッチの週間身辺雑記

19日に関東甲信越地方は梅雨明けしましたが、もうずいぶん以前か暑いです。
でも東京と違うのは、ここはやはり高原。朝晩は長袖を着ていますし、エアコンはまだ一度も使っていません。こう書くとこの暑さ、イヤミのようですが、でもまぁ、冬の厳しさがあるので、おあいこでしょう。

先週はいろいろ出かけたりイベントがあったりしたので、今週はおとなしく過ごしました。
夫は夏風邪をひいたようで、声がハスキーになってしまったのですが、本人は「苦しくは全然ない」とのこと。
それでゴルフは2度プレイしていました。
高原リゾート地とはいえ、夏の昼間のゴルフ場はすごく暑いと思うのだけど、おじさんたち、みんな元気です。

この季節に毎年届く果物。
一つは群馬県みどり市の友人から送られてくるブルーベリー。今年のブルーベリーはひときわ大粒で、すごく甘い!
これはいつもジャムにはせずに、フレッシュなまま食べます。ジャムにするにはもったいない。
カウンターの上に洗ったブルーベリーの籠を出しておいて、そこを通るたびにつまむのが楽しい。
もう一つは沖縄からのパイン・アプル。
これはパイナップルと呼んではいけない沖縄唯一のブランド・パインだそうで、その香の強さはすごいものがあります。もちろん甘みも強いです。
こんな甘い果物をいつも食べていたら糖尿病になるのではと怖くなるくらい。
このパイン・アップルは我が家を訪れた友人知人にお裾分け。みんな「何、この甘さ」と驚いています。

美味しいものを食べた後は体を動かさないと、ネ。
ここのところ数回続けて体操教室に通っているので3、体が軽い。
この体操教室は私がお世話になっている鍼灸の先生が催されているもので、呼吸法をメインとしています。
ここでは私がこれまで経験したいろんなボディ・ワークが取り入れられているので、慣れているせいもあり心地よいです。
東洋的な動きと呼吸法が多く、現在は「棒」を使う中国健康法を習っています。
これがなかなか、難しい。
棒を持ちながら緩やかない身体を動かし呼吸をするのですが、その棒の遣い方がいくつものパターンがあって、みんなバラバラ。
誰も性格に動けていないというか、覚えていないというか、身体だけでなく頭の体操にもなっています。
私はもともと「先端恐怖症」なので、こうした「棒」を使うのは苦手。
30人以上の人が全員「棒」を振り回すと考えただけで、背中が凍りそうですが、なるべく「棒」は見ないようにしています。
この先端恐怖症は小さい頃からで、お裁縫が大嫌いなのもそのせい。
とにかく先がとんがったものは怖いんですよね。

人間にはそれぞれ恐ろしいと感じる対象が異なっていて、あるひとは高所恐怖症とか、狭いところがダメなひと、その反対に広いところがイヤというひともいます。
海老や蟹などの甲殻類がとにかく怖いという三島由紀夫のようなひとも。
よく、奥さんがコワイという男性がいますが、あれはコワイふりをしているだけだと私は思っているのですが・・
そう言えば、いま思い出しました。作家の山口瞳の奥さんは大の飛行機嫌いで、あの飛行機の中でみんなが前を向き坐っていると想像しただけで、気持ちが悪くなると言っていたとか。

この体操教室へは夫は参加しません。彼は私を送って行ってくれるだけ。帰りは友人が家まで送ってくれます。ちょうどお昼ご飯時なので、軽く一緒に我が家で食べてもらいます。
別に特別なご飯ではなく、私たちが食べている普通のご飯。
今週はキーマカレーでした。夏はカレーですよね。デザートは甘夏ゼリー。

夏になるとこのあたりは「虫」が飛び交います。昆虫は男の子なら好きでそうが、歳をとった昔の少女には「敵以外のなにものでもありません。
飛んでいるものはなんでもイヤ。しかもそれに刺されたり喰われたりするのは耐え難いです。
この数日、私と夫は体のあちこちを数か所、何かに喰われて、大きく赤く腫れています。その痒いことったらなく、キンカンの消費がすごいです。
これはきっと絨毯かあるいはソファのマットレスとクッションが怪しいと、洗濯できるものは洗濯し、干すものは干し、大変な重労働をしました。
何が原因か分からない。ハッチは天国にいったけど、これはハッチの置き土産のダニか?
結局、絨毯はいつものところにクリーニングに出すことにしました。
そこに出すといつも電話がかかって来て「煙草の火の焼け焦げがすごいですが、できるだけ修復しておきました」と。
煙草じゃないんです。暖炉の火の粉が飛んで、焼け焦げになるんです。。
そう言えば、薪がハゼ始めたらハッチは火の前から離れたものでした。

今週テレビを見ていて、すごーく懐かしかったことがありました。
外国人が日本に住む理由とかいう番組なんですが、そのなかで広島に住む外国人男性が「がんね」という江田島にある海水浴場がさびれてしまったので、その海岸を復活させようと運動しているという話。
「がんね」という言葉に「えーっ、がんね!」と反応しちゃいました。
「がんね」は昔よく泳ぎに行ったところです。宇品という港から夏だけ海水浴のために出る船があって、それに乗って泳ぎに行ったのです。
当時は「がんね」が江田島であることすらしりませんでした。
そうか、あれは江田島だったのか。。

あの頃は夏になると、ふだんは人の住まない瀬戸内海の島に船が就航して、海水浴客を運んでいました。
海の家をありました。

でもそういう島の海水浴場はすっかり人が行かなくなったんですね。
だって水着や浮輪や着替えなどの荷物をもって、バスや電車で港まで行き、そこから船に乗る・・なんて時間がかかるし大変。
車に荷物を乗せて海辺まで行けば手軽で、もし犬を飼っているなら犬だって一緒に行けます。
広島の人たちは高速道路を使えば簡単に山陰の海にも行けるようになったそうです。
だから「がんね」のような島のところには誰も行かなくなってしまった。
だけど、だからでしょうね、海はとてもきれい。
その「がんね」、テレビを見ているとすごーく行きたくなりました。

ここ八ヶ岳南麓の子どもたちは、どこの海に泳ぎに行くのでしょうか?プールはたくさんあっても海に行きたいですよね。
山梨には海がない。
新潟かな?それとも愛知か三重?もしくは伊豆?
どこに行くにしてもちょっと長いドライブです。
瀬戸内の子どもたちはそういう意味で幸せです。
posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月20日

河出書房新社「ほかの誰も薦めなくても今のうちに読んでおくべきだと思う本を紹介します」

ずいぶん長いタイトルだがこれは「14歳の世渡り術シリーズ」のなかの一冊。
14歳で世渡り術を学ぶ必要があるかどうかは別として、この年代って子どもと大人の端境期。
悩み多き年頃であっても若さゆえの希望もあって、いろんなことを吸収するエネルギーに満ち溢れている年代だと思う。
自分のことを振り返れば、何をしていたのかは思い出せないが、本はたくさん読んでいた。
お小遣いはなかったけれど、あまり学校の図書館を利用した記憶はない。
友人たちと本の話をし、貸し借りしあっていたのだろう。
外国文学、とくにフランス文学を読み始めた頃だった。
当時は『外国」がまだ遠く、憧れが強く、文学を読むと同時にそうした外国の香りに惹かれていたのかもしれない。
スタンダールとかモーパッサンとかが主流だったが、コレットやシャルドンヌなどの小品も好きだったなぁ。
むしろい今になっても覚えているのはl、そうした小品のなかの文章だったりする。

偉人伝のような伝記を読む子が多かったが、私はそういう本は昔から大嫌いだった。
なんか自分とはかけ離れた感じがして、リアリティを感じなかった。
今でもそれは変わらないようで、小説とは「小さき者の説」だと信じている。

ここに並ぶのは30人が薦める30冊。
14歳の若い人たちに向けて、大作名作でなくとも「これを読んでみて」と紹介する本だ。(名作もあるけど)。
こういうのに必ずと言って登場する金原瑞人「神様のみなしご」、角田光代「幼年期の終わり」、吉田篤弘「フラニーとゾーイー」。
まぁ、不思議はない紹介だろう。
佐藤優「共産党宣言」、柳沢桂子「棘のないサボテン」、山崎ナオコーラ「肉体の悪魔」も、こういう本が彼らの人生の導きとなったのだろうと納得。
ちょっと意外だったのが上野千鶴子「聖書」とか木田元「宮本武蔵」(でも木田元は型破りの哲学者だから、小ムツカシイ哲学本よりこのワクワク感が良かったのかも)。

このなかでもっとも面白かったのが岡ノ谷一夫先生の「火の鳥」だった。
先生と書くのは、一度だけ講義を受けたことがあるからで、その講義は録音しておけばよかったと今でも思うほど素晴らしいものだった!
現在は東京大学教授で、理化学研究所のチームリーダーとして、動物言語学を通じて、脳と言葉と心のつながりを研究されている。(脳と言葉の関係だけでなく、心とのつながりと言うところが先生のスゴイところ)。
14歳の頃の先生はコンプレックスの塊だったそうだ。
それってよくわかる。私もそうだった。周りと比較して背が低い、胸が全然大きくならない、目ばっかり大きく鼻が低い、好きな教科だけしか成績が良くない・・
自意識のかたまり。そしてその自意識は空まわりするだけ。
先生もそうだったみたいだ。(こう言っちゃ失礼だけど、先生も女の子にもてるタイプではなかったと思う)。
そんな先生は従兄弟の家で手塚治の「火の鳥」と出会う。おそらくリアルタイムで「火の鳥」を読み始めたのだろう。
これまで何度か全集を購入sれているそうだ。
(でも「火の鳥」って、未完なんですよね。)
そのなかでも第4巻の「鳳凰編」を推薦されるのは、「輪廻転生を主題にしているようでありながら、じつは人生の一回性を謳ったもの」なのだそうだ。
先生は脳科学者であるが、もともとは文学部出身である。
科学と人文が先生の中ではうまく結びついていて、それが何より先生の魅力だと私は尊敬しているのだ。

これは私が実感することころなのだが、本は読んだほうがいい。
本からしか学べないことがあるし、人間にとって大切じゅな「思弁」は、本から生れるのだと思うからだ。
もっとも、「何かのためになるから読む」のではなく、純粋に本を読むのが楽しいから読むことが大切だけど。。
posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月19日

津村記久子「まぬけなこよみ」

一年は二十四節に分かれ、それがまた七十二候に分かれるというのは、俳句を詠むひとはよくご存知だろう。
暮らしの季語がそれぞれにあって、俳句には季節を表すそうした季語が不可欠。
私は俳句をしないのでそういうことに疎いから、これを見て初めて知る言葉が多かった。
(こんな年齢になって恥ずかしいことだが、世の中は知らないことばかりなんですね)。

津村記久子が編集者から季節のお題をもらって書いた七十二候72編のエッセイがこれ。
一年72編というとほとんど5日に一つという割合で、それでは忙しかっただろうと思っていたら、2年間にわたって連載されたものらしい。
お正月の初詣でからはじまって、除夜の鐘まで、彼女の日常、ちょっと非日常までが書かれている。
彼女は関西の人なので関西に関するあれこれが多い。
(つい最近読んだ町田康のなかに、津村記久子が「うどん玉が40円以上のところには住めない」と言っていたということが書いてあった。
大阪生まれの彼女にはうどんは常食であって、それが高いのは大いに困るのだそうだ。)

食べもの、行事、動植物、気候、四季の言葉そのもの・・
たくさんのことがらを一年の月日を追っている。
だけど、どうだろ、これ?
一度に全部読むのはちょっと退屈というか、中だるみがある。それは書く方のせいではなくて読む方の問題だと思う。
電車の中などで細かい時間の間に開いた頁を読むと、感じるものがあることだろう。
もともとが「脱力系」の読物だから、そのほうがいいと思う。

「骨正月」という言葉、初めて知った。
骨休みの正月?それなら15日の藪入りだけど。。と訝る気持ちだったが、骨とは鰤の骨のことだった。
お正月の鰤が1月20日頃には、骨だけが残る状態となっている・・ということらしい。
冷蔵庫のない昔、よく鰤が20日までもったものだと思うが、大事に大事に食べていたのだろう。
大きな鰤が骨だけになった姿が目に浮かぶ。

これを読んで再確認したのだが、津村記久子というひと、書く力量のある作家さんですね。
その書き方はとても丁寧。几帳面な性格が覗いている。
イヤ味でない巧みさはなかなかのもの。
かなり好きで期待する作家さんです。
posted by 北杜の星 at 07:18| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

江口恵子「普段使いの器は5つでじゅうぶん。」

著者はフード・インテリアスタイリスト。
仕事でたくさんの器と接してきた。
けれどある日ふと気がついた。毎日使う器は案外、いつも決まっている。。
お気に入りの小ぶりな皿は、朝はパン皿、昼はケーキ皿、夜は銘々皿として使いまわしている。
それならば思い切って、器を減らしてみたら?

そう、その通りです。
私を悩ませているのもそのこと。
他のいろんなモノは処分できつつあるのに、好きで集めた器は台所の棚にぎっしり。そのほとんどがけっこう高いお金を出して買った骨董なので、ケチな私はなかなか手放せない。
でもこの著者の言うとおりなのである。
普段使う皿はいつも決まっていて、お客様の時だけのご登場となるものが多い。
しかしそのお客様用だって、どうしても奥から出さなければならないというわけでもないのだ。

5つは無理としても、7つくらいにならないものか?と思うのだが、日本の家庭で食器が多くなるのには理由があって、日本では和食はもちろん、洋食や中華を自分の家で作る。
(こんなことは他の国ではありえないんですけどね)。
だから、多種多様の食器が必要となる。
丼だって、親子どんぶりの丼とラーメンどんぶりの丼は別となると、食器はいや増しに増す。
お椀にしても、普段のお味噌汁の椀と、お正月のお雑煮用の椀は違うしね。

なんとか食器を三分の一にしたい、せめて。。
と、この本を救世主のように手に取った。

たしかに、勉強になりました。
こういうふうに考えればいいのだと、その割り切りかたに感服。
でもどうしてもダメというか、イヤなこともあったかな。
それは、MUJIやIKEYAの食器がどんなにシンプルで使いまわしがきいても、あれらは使いたくないなぁということ。
骨董の肌触りに慣れてしまった私たち夫婦にとって、あれらはあまりに質感も情緒も無さ過ぎるような気がする。
お椀だってちゃんとした塗りのものを使いたい。

あの高峰秀子は歳をとっての台所仕事がラクになるようにと、食洗機に入れられない食器を手放したそうだ。
あんなに骨董が好きで自ら「ピッコロ・モンド」という骨董店を持っていたほどの目利きの人だというのに、さすがだなと思う。
その彼女のきっぱりさが、私にはないんですよね。

飯椀、汁椀、丼、大皿、スープ兼用のパスタ皿、中・小取り皿、小鉢、湯呑、グラス(これだって水、ワイン、ビール、シャンパンと種類があるのだけど)、あとはお客様時の大鉢と特大皿。
これくらいで収まるようにできればいい。
皿はみんなが同じお揃いでなくても、普段自分たちが楽しめるように別々のものでも構わない。

よーし、頑張ってみよう!
ある断捨離の本に「モノは7割を減らさないと、目に見えて減った感じはしない」とあったが、7割は最終目的として、まず半分。
問題はその処分する食器を、売るのか、だれかに差し上げるのか、それとも捨てるのか?
うーん、捨てるのは悲しい。。売るのは面倒。もらってくれる友人を探してみましょう。
posted by 北杜の星 at 07:59| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月17日

高橋順子「夫・車谷長吉」

私はかねがね、詩人高橋順子と作家車谷長吉の夫婦としてのアンバランスさを不思議に思っていた。
順子を聖母もしくは天使とするなら、長吉は悪魔としか考えられなかったからだ。
それほど車谷長吉にはエキセントリックで、底意地の悪い悪意の塊というイメージが強い。
その性格の暗部はやりきれなくなるほどだった。
(私の友人で長吉をよく知る人がいたが、彼女は彼のことを「本当に残忍な人間、大嫌い」と言っていた。)

私小説家というものは、まぁ、誰もが暗いし、偽悪家ぶって暗い小説を書くものだが、どこかに「しかたないよな、こんなヤツでも」と許容できるし、かわいい部分も感じられるのだが、長吉にはそれがない。
だから順子という美しい小鳥が長吉という猛禽類に捉えられてしまって気の毒に。。という気持ちがあった。
事実、長吉は結婚するまで「猫をかぶっていた」と自分で書いているらしい。

車谷長吉の代表作は「赤目四十八瀧心中未遂」だろう。これは映画化もされている。
しかし彼の名を有名にしたのは朝日新聞の人生相談「悩みのるつぼ」においてではないだろうか?
これが人生相談の解答?というくらい意表をつかれる答えは、首肯できるかできないかは別として、読み物としておおいに楽しんだ。

長吉は1歳年下の順子に40代なかば、11通の絵手紙を送った。
順子が49歳のときに結婚。二人とも初婚だった。
小説家と詩人の孤独な魂が都会の片隅で結びついたという印象だが、その後20年にわたる結婚生活が穏やかだったはずはない。
順子の友人たちに対する長吉の悪意など、順子は長吉が破壊した人間関係の修復に心を砕かねばならなかったし、長吉の強迫神経症にも長い間付き合わされた。
一緒に散歩をしていても「その服は嫌いだから、着替えて下さい」と言われる。
簡単な連れ合いでは到底なかった。
それでも両者は一度も「離婚しよう」とは言いださなかったという。一度でもそれを口にしたら、すぐにそうなってしまうことを二人は知っていたのだ。

ともかく、長吉の直木賞受賞などを経て、結婚は続いた。
驚くことに、ピースボーとで2ヶ月間におよぶ南半球世界一周にも二人で出かけているのだ。
白人嫌い、飛行機嫌い、たばこが吸えること、そして2か月も独りで留守番したくない彼にはぴったりの旅だったようだ。
2か月余りの旅は四国八十八か所お遍路の旅も一緒にしている。これも長吉が留守番をしたくなかったあkらだと言うが、後にちゃんと本にしている。

長吉は慶応義塾大学卒、順子は東京大学卒といういわばエリート。
でも二人の暮らしにはそんな匂いは皆無だ。まるで地を這う暮らしに近い。それは経済的なことだけでなく生き方がそうなのである。
それはどちらも地方出身者ということが影響しているのかもしれない。
順子は千葉のひと。(大震災の津波被害で実家が半壊している)。長吉は姫路のひと。
長吉は基本的には瀬戸内海の魚しか好きではなかったらしいが、これってよくわかる。
私も魚は北のものはダメだ。ほっけもにしんも好きではない。
魚は鯛、ひらめ、おこぜ、めばる、この季節なら鱧・・
こう書きならべるとどれも高級魚となってしまったが、私の子どもの頃は鱧なんて「また鱧なのぉ?」というくらい日常的で、照り焼きとか煮つけで食卓に出された。どんなに骨切りしてあっても子どもにはやはり骨が気になった。

どんな夫婦でも同時には交通事故でもない限り死ねない。
長吉との不意の別れは、長吉が喉にビールのつまみを詰まらせての窒息死でやってきた。
いろいろ大変だったろうが、少なくとも、退屈はしない結婚生活だったと思う。
その生活を淡々と絶妙な距離感で書いた高橋順子というひとは、見事というほかないです。

posted by 北杜の星 at 07:16| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

ハッチの週間身辺雑記

豪雨の地域があるというのに、ここ八ヶ岳南麓は空梅雨気味。天気予報で雨の日も、前日の予報では曇りに変わり、でもその日になれば快晴。
そんな日々が続いています。
田んぼは大丈夫かと、野菜一つつくってない私ですら心配になります。

1週間前、ある講演を聴きに行きました。
講演をしたのは、1968年生まれの小林幸一郎さんという視覚障害を持つ方です。
彼はフリー・クライミング、ボルダリングの世界チャンピオン。
目が見えなくて、岩登りができるの?そんなことがどうして可能なの?
それが知りたくて、小林さんの話を聞いてみようと思ったのです。

小林さんは16歳のときにフリークライミングを始めました。それまで運動は大嫌いだったとか。
けれど28歳とときに失明を告知されます。網膜色素変性症という遺伝子の病気でした。
失意でいっぱいになりながらも、彼はフリークライミングは諦めませんでした。
そしてイタリアやフランスでの競技において、世界チャンピオンとなったのです。
彼の競争相手は190センチの身長のスペイン人やイタリア人。小林さんの身長は157センチです。スゴイですよね。
彼の話しを聴いていると、出来ないことはないんだな。自分が自分で壁を作っているのだと、つくづく思いました。
「自分が何をしたいかがわかると、必ずそれを助けてくれる人がいる」という彼の言葉が印象的でした。
運動オンチの私もちょっとフリークライミングを試してみたくなりました。今度機会があれば、是非、と考えています。

月・火と一泊で、草津温泉に4組の夫婦で行ってきました。
8人のなかで草津に行ったことがある人は3人。でも誰も旅館に泊ったことはない。
東の草津、西の有馬と言われる超有名な温泉地だというのに。
もともとあまり温泉フリークではない私と夫は、大きな温泉街のある温泉地に興味がなかったのです。でもいろいろ調べていて、泊ってみたい宿が草津に見つかりました。
「さぁ、予約」と電話したら、2組までしか受け付けないと言われました。つまり騒がしい客はお断りという落ち着いた宿なんですね。どうりでネット予約をしようとすると、どの日も「2組」の空きと書いてあったはずです。
「静かにしてもダメですか?」と聞くと、大笑いされて「すみませんが。。」と断られました。
それで、その宿の本館というか親旅館に宿泊することに。ここは100年以上前のシブイ素敵な木造建築。でも設備は新しく快適で、食事もとても満足できるもので、みんな大満足。
初めて体験する草津のお湯も、こんなのに毎日入っていたら、どんなに美しいお肌になるだろう・・と思うほど。

これまで写真や映像でしか知らない「湯畑」は、宿から徒歩8分。そぞろ歩きの温泉街は思いのほかしっとりしていて、建ち並ぶ お土産屋や旅館など、けばけばしくなく品があって、さすが草津と感心しました。
「湯畑」は、もし教会でもあればまるでどこかヨーロッパの町の広場のよう。
温泉玉子や温泉まんじゅうなど、「これぞ温泉」というお土産を買い込みました。(群馬って、あまり名物がないんですよね。下仁田ネギとかうどんとかこんにゃくくらい)。

だけど、私、見つけたんです!
靴フェチの私の本性が出ちゃったのです。そう、靴の店。そてもスニーカーの店です。
ここに興味を持ったのは私だけでなく、Kさんという女性もでした。
メンズもレディスのスニーカーもあるのですが、他の人は眺めるだけ。私とKさんは俄然、買う気まんまん。
夫が「こfれが、いいんじゃないの」と見てくれたのは、なんとラッキーにもアウトレット品。ちょとワケありの商品で7000円引きとなっていました。
そのワケとは、ウィンドウに飾っていたため、太陽で少し色落ちしていたのです。
Kさんも素敵な品を購入。意気揚々と旅館に戻りました。

私が買ったそのスニーカーは、広島のブランドで、なんと私が数年前に広島に行ったときに、たまたま履いて行った靴がダメになりデパートで買ったのと同じだったのです。
「spingle move」というブランドです。
ここは以前はゴム長靴とかゴム手袋とかを製造していた会社で、何年か前から若いデザイナーたちを登用してスニーカーを作るようになったところです。
現在では伊勢丹三越や東急など、全国展開するようになったのです。
それにしても草津温泉にその専門店があるなんて、びっくり。
派手な色のスニーカーが欲しかったので、きれいな赤茶はうれしいです。一昨日Kさんに会ったら、彼女も買ったのを履いていてお互いニッコリ。

草津の帰りには、上田でルバーブのジャムや「ル・ヴァン」のカンパーニュ(私はル・ヴァンのパンが一番好きです)を買って、友人から教えてもらった山の中の自家製チーズ屋さんで、フレッシュの山羊のチーズやカチョカヴァッロも買って、帰宅。
これは本当に美味しいチーズでしたが、通販はしていないみたいで、あそこまで1時間半以上かけて行くしかないのか。。
曜日によって作るチーズが違うそうで、木曜日にはモッツァレッラがあるそうで、木曜日を目がけて出かけられればと考えていますが、これからの季節は、白樺湖方面はすごい混雑となりそうですよね。

14日はこちらのギャラリーで開催中の「エメラルド展」をのぞいて来ました。
このエメラルドのジュエリーは川添微さんという女性が、コロンビアの山奥に危険を顧みず自ら赴き買い付け、自分でデザインしたもので、この模様はテレビの「情熱大陸」で彼女が取り上げられたことで、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
こちらのギャラリーで数年に一度、展示即売をしています。
今は結婚しバリ島に住み、二人の子どもを育てていますが、以前と変わりなく、いいえ、以前にも増して素敵な女性になって、エネルギー全開で生きています。
エメラルドはスニーカーと違って「これ、下さい」という値段ではないので、とても買えません。

でもお金があっても、エメラルドは私の石ではないような気がするのです。
緑石や赤の石には昔からまったく惹かれません。私を魅了するのはラピスラズリの深い青なのです。どいういうわけか昔からあの青が好きです。
「微ちゃん、ラピスは作ってもらえる?」と聞いたら、彼女は「私は石のコレクションは、ドラム缶3つくらい持ってるから、できますよ」とのこと。
彼女はラピスのためにスリランカに行きたいと思っているとも言っていました。
よくヨーロッパの女性で、いつもいつも同じピアスやネックレスをしている人がいますが、私も「あぁ、あのラピスの人ね」と言われるようになりたいのです。
さいわいにもラピスはエメラルドのように高価な石ではありませんが、今やとてもビッグになった彼女に、こんなお願いをしていいものかと逡巡しましたが、彼女は「ううん、リフォームのデザインとかもしてるから」とのこと。ラピスのデザインは楽しみと言ってもらえたので、ホッとしました。

きっと誰にもその人の「石」があるのだと思います。
自分に合った「石」を身につけていると、守ってもらえるような気持ちになります。その感覚は、自分と地球の太古からの何かとつながる感じなのかもしれません。

そして昨夜はチキンカレー・パーティ。
夏はカレーが食べたくなる。つい10日前に友人が来たときにもカレーだったのだけど、また作りました。
いろいろ夏野菜が出て来たので、どっさりのサラダを添えて。
カレーだとみんな気兼ねなく食べてくれるのがいいですね。

そんなこんなのハッピーな1週間でした。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月14日

新郷由起「絶望老人」

若い世代に較べてシニアは優雅な老後と言われてきた。
戦後日本の経済発展を支え働いてきた人たちだから、年金も貯蓄もたっぷりあって困ることはないと。
しかしこの本を読むとその世代であってもまさに「絶望老人」の道を歩いているのがわかって恐ろしくなる。
そこには社会的要因も当然あるのだが、「老いる」ことの悲惨そのものが横たわっている。
でもそれははたして「自己責任」なのか?「自己責任」を問うだけで解決できるのか?
つくづく、老いることの難しさを感じさせ暗澹たる思いになる本だが、だからこそ、読むべき本でもある。

老人を狙う詐欺が多い。
他人が騙すならまだ「あり得ること」だが、血縁にも注意が必要なのだそうだ。
強欲な子どもたちもいるし、他にも無心を迫る親族もいる。
他人なら断れもしようが、身内であればむげにはできない。
ずるずるとしているうちに、老後破綻してしまう。。

私たち夫婦には子どもがいないから、最期は老人施設でと割り切っている。
それを「不幸」と考えるひとたちもいるのはわかっているが、子どもがいるからといって「同居」というのは都会では難しい。
二世代。産世代住宅が建てられたとしても、だからといって同居がスムーズにいくとは限らない。
むしろ「子どもがいるのに」ということにもなりかねない。
その点、最初から子どもがいないければ、それだけの覚悟が生まれる。
ここにも書いてあるが、「同居は地獄」「施設は天国」との事実があるそうだ。

じっさい老人施設に入居すると長生きするらしい。
温度調整はしっかりしてあり、食事は栄養士が考えてくれ、水分も時間がくれば補給してもらえるので熱中症の心配はない。
適度なリハビリ運動はあるし、趣味のサークルだってある。時々コンサートなども行われる。
絶えず人との交流があるので孤独ではない。
だから長生き。保証人の子どもなどの方が先に亡くなることもけっこうあるらしい。

もっと高級な老人ホームだと、これはもう至れり尽くせり。
だが入居者の顔には精気がなく、会話もないという。
長生きはしても認知症の可能性が高くなる。

(私たちは老人ホームに入ると決めているが、それをある女性に話したところ彼女は「うーん、私は食べることは一生自分でしていたいな」と言った。
その言葉は私の胸にグサリときて、「そういう考えもあるし、それが「生きる」ということかもしれないなと考えさせられた。)

男性の独居は女性と較べると悲惨だ。
居場所がなくて安居酒屋に入り浸り、果てはアル中。
独居ではないが、私の友人女性は夫婦仲が良くなくて、彼女は外出好きで毎日を楽しんでいたが、夫は退職後友達もいなくて毎日朝からお酒を飲んでいた。
それが15年以上続いて結局夫はアルコール性の認知症になってしまい、施設入居後1年で亡くなった。
せめて夫婦の仲が良ければ、一緒に旅行したり食事に行ったり、そんなことをしなくても、家のなかで豊かな会話があれば、アル中なんかにならなくてすんだのではないだろうか。

老いたら、夫婦仲が良いのがなにより一番。
もしも健康を失ったとしても、夫婦間に愛情があればなんとか通り抜けられると思う。
どちらかが逝ってしまった場合は、いかに孤独に強いかが問題となると私は考えている。
依存心をできるだけ少なくし、一人でいることを楽しめる人間でありたい。
そして少しでもいいから、他人に「してあげること」があれば幸せだ。
人間は迷惑をかける存在だ。だから「してもらう」時もある。それと同じくらいの「してあげられる」時があればいいと思う。
それが大袈裟ではなく、社会と繋がることだからだ。

詐欺事件の被害に遭う老人って、寂しいのじゃないかな?
この中で取材されている老人も「電話がかかってくるのがうれしかった」「来てくれるのが楽しかった」と言っている。
一人で誰と喋ることもなく暮らしていると、話しかけてくれる人が「天使」に見えるのかもしれない。
気をつけなくっちゃね。
posted by 北杜の星 at 07:37| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月13日

篠田節子「夜のジンファンデル」

ジンファンデルって何だ?と思っていたら、ワインのための葡萄の品種のことだそう。
これは篠田節子の短編集だが表題を除くと、全体に流れる空気は不穏でどれもホラーっぽい。
表題だけが恋愛もの。
ホラーといっても岩井志麻子のような土着的なおどろおどろしさではなく、人間の心の底に巣くう恨みなどのマイナス感情があぶり出されている。
私、ホラーが好きなんです。ミステリーはラストのつじつま合わせが「そりゃ、ないでしょ」というものがかなりあって、どうも私の性に合わない。
でもホラーにはどこか人智を超えるものに対する畏れが感じられて、いいんです。

今回のこれ、15冊目の点字本。
点字でホラーを読んだらどう感じるかの実験のつもりだったのだが、皮膚感覚って怖いです。目で読むよりもっと怖かった。
ちなみに私の点字の最終目的は町田康と笙野頼子。
町田康のあのはちゃめちゃな文章が指ではどうなるか?笙野のシュールさはどうか?
彼ら二人が難なく読めるようになったら、自信がつくと思う。それも長編がいいですね。

この本のなかでは中編の「コミュニティ」がもっとも印象的だった。
作品としての読みでもこれが一番。
この本は文庫本化されているが、その文庫本には「コミュニティ」とタイトルが変更されているらしい。

一人息子がアトピーで病院通いすることが多くなり、妻は専門職を休んだり早退することが頻繁になってリストラされてしまう。夫も業績不振で給与が減った。
そのため都心のマンションからずっと郊外の古びた賃貸公団住宅に引っ越したのだが、その団地には独特の空気が流れていた。
プライドの高いキャリアウーマンだった妻はその団地の専業主婦たちとは付き合うつもりはなかったが、以前の友人たちから見捨てられ、彼女たちと交際するようになる。
そこでは誰の子、誰の妻、誰の夫という境界がなく、まるで一つのコミューンのようだった。
心地よいのか、気味悪いのか。
迷ううちにも周囲からじわりと囲い込まれていく彼ら。。

不気味なコミュニティなのではあるが、こういうところって案外、プリミティヴな社会の結びつきがあるのかもしれないと、相互扶助の良さもあるじゃない?って感じが読むうちにしてきたりして、ここの住人がそれでいいなら、それでもいいじゃないのという気になる。
男女関係以外においては、そう悪くないかもと考える私がおかしいのか?とちょっと自分に不安になるのだけれど。。
こうしたコミューンって宗教的なものとか、一時流行ったヒッピーの集団とか、似たようなものはあったと思う。

篠田節子の文章は指がよろこびました。きちんとした私好みの硬質な文章でした。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする