2015年09月27日

ハッチの身辺雑記

月に一度のハッチの身辺雑記です。

今月はなんといっても、「安保法」が強行採決されたことです。
あれほどたくさんの人々が反対表明をしていたのに、なにも心を動かされない自民党政治家の傲慢さがやりきれない。
武器をつくり武器を売る国になった日本ですがから、戦争もしなくてはと考えるのは当然です。経済界は自分たちの企業に利益になることなら、戦争だって辞さないのでしょう。
戦争は多大なる消費です。これほど消費する行為はありません。
アメリカが絶えず戦争をすることで経済が回っているように、日本もそうなってしまうのです。
私には子どもも孫もいないけれど、平和を強く望む人間として、成立後も、これが憲法違反だと訴え続けたいです。
そのうち徴兵制も始まるかもしれません。
すでに、奨学金を返済できない若者を自衛隊に取り込もうという案もあるそうですが、これは経済的徴兵ですよね。
私の友人たちは国会前デモを続けています。外国のメディアの取材はあるけれど、日本のメディアのものはほとんどないと言っています。
日本のメディアは、前の戦争が教訓にはなっていないのです。これが腹立たしい。
ジャーナリズムの本質は体制を批判することではないでしょうか。それを忘れた日本の新聞テレビはあまりにも情けない。。

・・と書いていると、終わりそうもないので、閑話休題。

台風被害で大変だった地域の方々にお見舞い申し上げます。
私の住む八ヶ岳もすごい雨量でしたが、被害はなにもなく過ごしました。でも近くの街に洪水警報が発令されてびっくり。
そういえばこのあたりを流れる釜無川って、洪水が起こって鍋や釜も流されて無くなるという意味。昔は大雨が降ると氾濫していたのでしょう。

その雨で、予定していた一泊旅行をキャンセルしました。
信州大町の一番黒部ダムに近いホテルに泊まって、黒部ダムを見学しようという計画だったのです。
私、一度も黒部ダムに行ったことがないのです。
立山黒部アルペンルートというのが頭にあって、北陸からのアクセスとばかり思い込んでいたのですが、大町からほんの30分くらいで行けることに気づき、これは見なくっちゃと思い立ったのです。
いまから50年前、10年かけて建設された黒部ダム。別称黒よんダム。
日本の経済発展の黎明期、まだまだ貧しい人々がでも、明日への希望にあふれていた頃、あのダムは建設されたのですね。無邪気に社会の発展を信じていた時代でした。
あのスケールは一度は見るべきよ、と何度か言われていました。だから今回のキャンセルが本当に残念です。
紅葉の季節はすごい混雑、その後は冬になってしまうので、来春以降に再計画します。

大町はキャンセルしましたが、明日から3泊4日で友人のYちゃんと二人、奈良へ行ってきます。
奈良は昔から私の大好きなところ。あのおおらかな空気感がなんとも素敵なのです。大昔に万葉集のサークルに参加していたこともあって、奈良にはよく通ったものです。(当時私は関西に住んでいました。斑鳩へは1時間足らずの距離)。
だけど奈良に3泊すると言うと、誰もが驚きます。
どうやら奈良は通過するだけの町のようなのです。つまり京都に行ったツイデに奈良へ、大阪に行くからちょっと寄るとか、地味な観光地のようですね。
まぁ、がむしゃらに観光すれば3泊も必要ないのです。
でも私もYちゃんも、がむしゃら気質ではなく、一日に一か所見学すればそれで満足、後はカフェで町を眺めながらボーっとお茶していたいという怠け者。
幸い、私とYちゃんは最強の晴れ女コンビ。これまで一緒の旅行で雨が降ったことは一度もありません。今回も予報は晴れのようです。

予定では、長谷寺(これはYちゃんのたっての希望)、浄瑠璃寺へ行くほかは、散歩をぶらぶらするだけ。
本当は彼女を当麻寺に連れて行ってあげたいのです。
当麻寺まで行けば奈良盆地が見えるし、お庭も美しい。中将姫が蓮の糸で織ったという曼荼羅もある。
折口信夫の「死者の書」の主人公がこの中将姫です。(何度か読んだのだけど、いまだに理解できずにいる本です。でも日本語がきれいで心に残っています)。
青丹よしの奈良の都から見ると、当麻寺は西の方角。(大阪との境です)。
古の信心深い人たちにとっては「西方浄土」だった当麻寺。
だけど、当麻寺って行くのに不便なんですよ。車ナシで電車と徒歩で動くので、今回は諦めです。
でも浄瑠璃寺もとっても好きなお寺。住所でいえば浄瑠璃寺は京都府だけど、いいえ、あそこは当野(とうの)という奈良だと私は思っています。)
Yちゃんが浄瑠璃寺を気に入ってくれるといいです。
この旅行では念願の「玄」に行きます。「玄」は蕎麦好きの私にとっては絶対に行きたいお店なのですが、3年前に行った時にはあいにくお休みで悔しい思いをしました。
今回はもう予約を済ませ、食べる蕎麦の種類も注文してあります。
「玄」はなんでもあのユーミンが、死ぬ前に食べたいものとして挙げているお店だそうです。
世の中でなによりも蕎麦好きの私には、「玄」の水蕎麦と蕎麦掻きがとっても楽しみです。

留守の4日間、夫にはローストビーフの作り方を教えてあるので、レシピどおりに作るかな?
骨付きチキンのローストもするつもりでいるようで、彼はひたすらロースト路線です。
オーブンに入れれば、あとは何にもしなくていいから簡単。面倒くさがり屋の彼にぴったり。
サラダはできるし、パスタもできるので、大丈夫でしょう。
最近伊賀焼きのご飯を炊く「かまどさん」を買ったのだから、それでご飯を炊けばいいと思うのだけど、和食はお昼によく行くお店で食べるつもりでいるので、土鍋の出番はなさそう。

留守の間してもらいたいことは、ハッチ君の面倒をみること(これはYちゃんも同じで、彼女の家には猫が3匹いるので、ダンナのことは心配しなくても猫のことは気になるようです)、風呂場のタイルにカビを生やさないように毎日掃除をすること・・だけ。
そうだ、料理をする時には必ず「タイマー」をかけること!火をつけたまま外に出ないこと!
旅行から帰ったら家が焼けてたなんて、いやですからね。

というわけで、「ハッチのライブラリー」は旅行中、お休みします。
再開は金曜日になると思いますので、どうぞよろしくお願いします。
posted by 北杜の星 at 08:26| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月25日

堀江敏幸「仰向けの言葉」

堀江敏幸による初の「芸術論」集。
27人の画家、版画家、彫刻家、写真家について書かれているもの。
お断りしなければいけないのは、私はすべて読んではいないこと。
まったく知らないアーティストもたくさんいて、その作品を一度も見たことのない人については、あえて読まなかったからだ。

駒井哲郎、菊池怜司、エルヴぇ・ギベール(彼のことは作品で知っているのではなく彼に関する文章を読んだことがあるだけ)、大竹昭子、松本竣介、内藤礼、ジョルジョ・モランディ、ベルナール・ビュッフェ、瀧口修造(私にとって瀧口は画家ではなくシュルレアリズム詩人という位置づけなのだが)。

どの作家の作品も、「ワーッ、色がきれい」とか「構図がスゴイ」というものではない。
作家である堀江敏幸ならではの、内省的で物語性のある作品をつくるアーティストが並んでいる。
彼の書く「論」をそのまま全部が受け入れられるものではないけれど、感受性としてはよくわかる部分は多い。
もともと美術論はとても難しいものだ。
言葉と真逆な表現方法である絵画や版画を、言葉で論ずるという行為がどこか無理があるのではないかと、おそらく誰もがもつ疑問を私も持ってしまう。
たとえそれを論ずる作家なり批評家が自分と同じ感性をもっていようと、いや、だからこそ危険なのだ。
「亭主の好きな赤烏帽子」とかチェホフの「かわいい女」になりかねないからだ。
私はへそ曲がりなので文学論を含めて「論」に対して、斜めに構えるところがある。
堀江敏幸はお気に入りの作家だが、だからと言って彼の「美術論」をそのまま私のものにはしたくない。

ベルナール・ビュッフェに関する文章は、そのままには受け止められない。
堀江敏幸も書いているが、ビュッフェは多作乱作がひどく、とくに晩年のポスター画としか思えない車の絵は本当につまらなく腹立たしかった。だから彼の自死を知った時も意外ではなかった。あんなもの描いてたんじゃ、死ぬしかないだろという感じだった。
私はフランソワーズ・サガンが自動車事故後の麻薬中毒療養中の文章に、ビュッフェが画を描いている「毒物」という45年くらい前の画文集を持っているが、その頃のビュッフェの線は鋭くて、彼のひりひり痛い神経そのものだった。サガンとビュッフェはともに若いころから成功した人だが、そうした人間の孤独がよく表れていた。

瀧口修造については、何年か前に世田谷美術館で「夢の漂流物」という展覧会があったのだが、私の感想は「瀧口でさえ、時代を越えることはできないのだな」というものだった。
そこに並んだシュルレアリストたちはなんだかみんな古箪笥から出てきたみたいに、黴臭かった。
アンドレ・ブルトンでさえ古式然としていてショックだった。
ただ一人、武満徹だけが古くなっていなかった。会場には武満の音楽が流れていたのだがまったく古びていなかった。音楽には時代の壁がないのかと、文学至上主義の私は傷ついてしまったのだけれど。

私がこの本の中で興味深かったのは、菊池怜司と内藤礼。
菊池は早世した私世代の画家で、一度しか彼の作品を見たことがないのだが、堀江の文章ではじめて菊池のことを知ることができた。
それと内藤礼。
彼女の作品に接したのは広島現代美術館においてだった。彼女は広島出身のようだ。個展ではなく他の人たちの作品とともに並んでいた。
よく言えば繊細。悪い言い方をするとチマチマしていたのだが、でも記憶にずっと残っている。あれは何なのだろう?
何年か前に行った直島の「家プロジェクト」に彼女の作品はあったのだが、見学予約をしていなかった私は見ることができなかった。
豊島に行けば彼女の作品が見られるそうなので、いつか行きたい。
そうおいえば、内藤礼を撮ったドキュメンタリー映画が今現在、上映中らしい。

ジョルジョ・、モランディィは大好きな画家なので、彼に関する文章はうれしかった。
モランディの静物、とくに瓶を見ていると、精神が海の底にひきずられて沈んでしまいそうな感覚がある。
日本ではイタリア人アーティストの作品を見る機会が少ないが、広島の福山美術館では日本の美術館にはめずらしく、イタリア人画家の所蔵作品が多いので有名。
いつか行こう、行こうと思っていて、昨年すぐそばの鞆の浦までは行ったのだけど、市内歩きはしなかったので、見ることがかなわず残念だった。

駒井哲郎といえば思い出すことがある。
私の夫がどういう風の吹きまわしか、版画をやってみたいと言い始めたことがある。
その時私の友人が、駒井哲郎の版画を刷っていたS氏の版画教室を紹介しましょうかと、言ってくれた。
かなり心動かされたようだが、しょせんは素人、S氏なんて超有名な刷り師とは恐れ多い。
それで結局夫は、他の場所で何回か習ったのだけれど、版画を作るのは機会が必要で家で簡単にできるものではなく、何枚かを作って止めてしまった。
S氏の教室を紹介してもらっていたら、迷惑をおかけするところだった。

堀江さん、「美術論」もいいけれど、やはり小説を書いてほしいです。
文章を書くという意味ではどんなものも同じと彼は言うかもしれないけれど、エッセイや評論と小説はまったく別の回路で生れるものだと私は信じている。
批評は明確な言葉で書き連ねるもの。明確でなければ読む人に理解してもらえない。
けれど小説は、混沌たる渦の中から言葉を探して拾いあげ、一つ一つをつなげてゆくしんどい作業である。
その作業には時間がかかる。(書く作業に時間がかからなくても、そこにたどりつく時間は必要だと思う)。
大学で教えたり、各種イベントに顔を出したり、評論やエッセイを書いていると、小説を考える時間が無くなってしまうのではないか。
そんなものでお茶を濁さず、小説を書いてください!
「なずな」ではなく「河岸忘日抄」のような小説なら、なおうれしい。
posted by 北杜の星 at 07:40| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月24日

宮本顕二・礼子「欧米に寝たきり老人はいない」

認知症に関わる医師、宮本礼子氏は2007年にスウェーデンの老人医療を見学に行き、そこで驚くべき高齢者医療を知ることになった。
それは「高齢者が食べなくなっても、点滴や軽管栄養を行わない」ということだった。
そのほうが穏やかな最期を迎えることができるという。

これはスウェーデンだけではなく、フランスの老人医療でもそうだと、ある本で読んだことがある。
「食べられなくなったら、人生終わり」。
しかし日本では80パーセントの人が延命治療を望んでいないにもかかわらず、体中に管を結ばれる。
意識がなくなっても、胃ろうをつくられて栄養を摂り込まされるのだ。

昔、年寄りは「枯れる」ものだった。それが自然だった。
枯れようとする体に点滴や管から栄養を与えるから、苦しむのだと思う。自然の摂理に反しているからだ。
じっさいに、無理に食べさせようとするために、誤嚥が起こって肺炎が起きる。
意識のない高齢患者に水分を与え過ぎるから、痰がたまり、その除去で患者を苦しめることになる。

そのような延命治療を避けるためにリヴィング・ウィルを書いて用意していても、私の友人の母上には無益無駄な治療が続けられた。医師によって黙殺されたからである。
リヴィング・ウィルは日本では法的効力を持たないのだ。

しかし延命治療がおこなわれるのは、患者の家族側の理由もあれば、医師側の理由もある。
どちらも「できるだけのことはしたい」「できるだけのことはしてもらいたい」と考える場合。
家族が高齢者の年金をアテにしているということもあるそうだ。
医師としては、点滴や軽管栄養などの医療行為をしなければ、医療点数が稼げない。
医療行為をしない患者さんには家か老人施設に戻ってもらいたいと病院側は思うが、施設の方では胃ろうをしていなければ介護の手がかかるので引き受けてくれない・・

ここには欧米豪6カ国の終末医療の実情が述べられている。
これを読んで思ったのは、もちろん医療や社会のシステムの問題もあるけれど、つまりは人生観や死生観の問題ではないだろうかということ
残念だが私たち日本人はまだまだ「人生をこう生きたい」「人生はこう終わりたい」というコンセプトを明確に持っていないのだと思う。
欧米の人間は形而上的なことを話題にすることが多いが、日本の家庭でどれだけそのようなことが話し合われているだろう。家族間で死について話すことがあるだろうか。
恒例の親や義両親に死について話すのは、なんとなく「悪い」という気持ちが先立って話せないと言う友人がいる。
しかしそういう話題は常日頃から話し合うべき事柄だと、私は思っている。

「人生は楽しむためにある」のだから、食べられなくなり意識がなくなったら、終わりにしてもいい。
少なくとも、日本の病院がしているような、点滴の管をはずさないための拘束など、してほしくないものだ。
管を嫌がって外したいと暴れるのは、あれは「枯れて死にたい」という本能ではないだろうか。

いまの日本人って、人間は死なないと誤解しているんじゃない?
宮本夫妻のような医師がこれからたくさん出てきて、真の終末医療を考えてもらいたい。
患者とその家族も、もっと賢くなりますので。

癌になったら鳥取の「野の花診療所」のホスピス、認知症になったら岡山の「きのこエスポアール病院」が理想みたいですね。
野の花ときのこ・・自然でいいです。
どちらも中国地方。私の終の棲家はあのあたりかな。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月22日

東山彰良「流」

このところライブラリーから届く本に文芸本があまりなくて、「小説を読みたーい」熱が高まっていた。
やっと手に入ったのがこの本。
先だっての直木賞受賞作品だ。
受賞する前、候補となったときにすぐに予約をしていたのが、ようやく届いたという次第。

ぶっ飛びました!
評価が高いのは知っていたけれど、さすが、全選考委員満場一致だけありますね。
とにかくスゴイ小説です。
作品にも作者にも前知識がなかったので、先入観ゼロで読み始めたのだが、うわぉ!でした。
ここには小説のすべての要素がある。
青春、冒険、ミステリー、歴史、家族、恋愛、友情・・それらがまったく破綻なく構成されてぎっしり詰まっている。
この力強さ、このスピーディさ。それでいてどこかもの悲しさもあるのだ。
ぐんぐん読まされて、気がつけば本のページの残りはなくなって、ボーっとしていた。

ストーリーを書いても、この面白さは伝わらないと思う。どう説明いしてもこの興奮は届かない。
そう、私、興奮してます。
でも内容がわからないものをアレコレ書いても、それも伝わらないので。。

1970年代半ばの台北の広州街という、ちょっとアンタッチャブル的な一画が舞台。
葉秋生は17歳。外省人3世である。(台湾に内省人、外省人という言葉があるのも知らなかった)。
その年、偉大なる総統、蒋介石が死んだ。
そしてそのすぐ後、秋生の祖父が何者かに殺された。
秋生には優しい祖父だったが、中国にいた頃には国民党として50人以上の共産党員や村人を殺したという。祖父を憎む人間がいるのも当然のはず。
秋生は祖父を殺した犯人を突き止めたいと思う。
けれど彼には様々なことが起きるのだ。
成績優秀な彼は金のために大学の替え玉入試をしたことで高校を退学させられ、喧嘩にあけくれる荒れた生活となる。
幼馴染との恋、兵役、日本語の習得と就職・・
台湾〜日本へ、中国へ。
そして謎が解き明かされる。。

とにかくこの作家の文章の饒舌さったらない。たたみかける言葉の洪水。そのなかにあるユーモア。
ときどき挟まれる人生への悲しいまでのアフォリズム。
それに加えて「狐火」のような超常現象まで盛り込まれているのだから、たまらない。

だけど心配になる。
こんなにもすごい小説を書いちゃったら、次回作はどうするの?
燃え尽きていないのかな、東山さん。

中国にもよく行き台湾にも行く友人のYさんにこの本を読むようにお勧めしたら、さっそくAMAZONで注文したそう。
この本を楽しむ条件があるとしたら、それは「一気呵成」に読むこと。
だってこの筆力に負けないためには、読む速さが必要だと思うから。

今年ナンバーワンの小説でした。
純文学、エンターテイメント、そんな枠など小説にはないということを、「流」は立証してくれました。
どんな本も、「面白い」ことが大切です。
posted by 北杜の星 at 08:06| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月21日

松井孝嘉「首は絶対にもんではいけない」

私の夫は過去にムチ打ち症を経験したことがあるせいか、pcワークが長くなると必ずと言っていいくらい首こりになる。
そのまま放っておくと肩こり、頭痛、眼痛が起きる。
そんな時は、タオルをレンジでチンして首の後ろを温めたり、頸椎以外のところを抑えてあげる。
三週間に一度の鍼灸治療は、この首こり解消のために行っているようだ。
私も3年前に突然、首が回らなくなって、3ヶ月くらい難儀をした。後ろをふり向けないのは不自由だったなぁ。体ごとふり向いていたが、ロボットのような動きだった。
腰も体の要だけど、首もとっても大切な部位なんですよね。
首がいかに大切か、その首を守るためにどうすればよいかが書かれているのが、この本。
ライブラリーの新刊コーナーで見つけて、すぐに借り出しました。

首の後ろの頸椎は自律神経のセンサー。つまり首は脳の一部といっても過言ではない。
自律神経は交感神経と副交感神経からなり、体のあらゆるところに作用している。
だから自律神経が乱れると、さまざまな症状が発生し、不定愁訴として苦しむことになる。
めまい、頭痛、動悸、汗、しびれ、眼精疲労、睡眠障害、食欲不振・・

その原因が「首」にあるとは知らなかった。
首は細い筋肉で、ボーリングのボールほどの重さの頭を支えているのだから、大変だ。
首の細い人、長い人、猫背の人などはなおさら負荷が大きい。
しかも首の筋肉は疲れやすいだけでなく、疲れが取れにくいという。

首の疲れを取ろうとして首をもんだり、引っ張ったり、固定させてはいけないそうだ。
(押すのもいけないのかな?私、もみはしないのだけど、押していたんです。でも絶対に脳幹から続く頸椎の周辺は怖くて押しません)
この本には首の筋肉をほぐしリラックスさせる体操が紹介されている。
そう難しいものではなく、時間もかからない。
デスクワークで下を向くときは、30分に一度のこのリラクゼーションをするといい。
椅子に深く腰をかけ、上体をまっすぐにし、両手を首の後ろで組んで、そっと首を後ろに傾け30秒キープ。そのまま頭を基に戻す。

他にも松井先生考案の555体操というのもある。
これは上記のものよりもう少し複雑で、首のまわりの筋肉すべてをゆるめる効果があるもの。
私、イラストを見ながらこの555体操を試してみました。
驚くことに、即効ありでしたね。すごーく首がラクになった。
(そのときに気をつけた方が良いのは、肩を前に倒さないこと。肩は前から大きく後ろに回しておく。)

首こり、肩こりの人が随分多い。
パソコンやスマホやゲームで下向きの時間が長いせいだ。
首こりと侮ってはいけない。
最近よく言われる「新型うつ」は自律神経うつ、頸筋性うつとも呼ばれるくらい、首と深い関係があるのだ。
首こりがウツの原因だなんて!

この本を読んだ夫はさっそく、レンジでチンしたタオルで首の後ろを温めた。
これまでもそれはしていたのだけれど、レンジに温めたものは食べものもそうだが、すぐに冷めて困っていた。
ここに紹介してある方法は、ラップに濡れタオルを包んでチンし、それを乾いた別のタオルでまた包んでから当てるというもの。
これならいつまでも温かいまま。
寝る前にすると本当にラクになったらしい。
それと仕事で使う方のPCを、下に向かなくてもいいように、位置を高くしたところ、首の凝りが全然減ったそうだ。どうしてもっと早く気付かなかったのだろうと言っている。
これで3週間に一度の鍼灸治療が一カ月に一度の頻度になれば、節約できるかも。

posted by 北杜の星 at 08:00| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月18日

文藝別冊生誕85年総特集「開高健」

開高健が生きていれば85歳か。
1989年、58歳は若すぎる死だった。
文学が好きな人間としては、巨星墜つという落胆の気持ちでいっぱいだった。

生誕85年を記念しての河出書房刊のこのムック本は、開高本人の文章、作家や評論家のエッセイ、対談インタビューなどで構成されている。
なかには読んだ文章もあるが、どれもとても興味深い。
しっかり読んだので(中には飛ばした人のもあります)、1週間、堪能できた。
重松清と角田光代の対談は、重松がインタビューするかたちで行われているが、この組み合わせは私にはちょっと意外だったけれど、アジアの国々を旅した経験のある角田光代だから、意外ではなにのかな。

開高の文体は読むとがんじがらめにされて、当分他の物書きのものが読めなくなる。
私はほとんどの作品を読んでいるが、時々その饒舌さに辟易しないでもなかった。
知識量の多さを認めても、そのペダンティックさがTOO MUCHなこともあった。
それでも彼の文章には戦場を書いていても、ジャーナリストとは歴然と異なる小説家の普遍的な視線があった。
そこらあたりが、作家たちのリスペクトを生むのだと思う。

この特集の中で面白かったのが、写真家の島尾伸三の文章だった。
島尾伸三は島尾敏雄の息子で、開高と初めて会ったのは当時住んでいた奄美大島。それから島尾一家が茅ヶ崎の開高家とわりと近いところに住んでからの交流が書かれた文章なのだが、島尾伸三は手垢のついていない文章をいつも書く人で、私はファンなのだが、ここでもゆったりふうわりしながらも鋭い感性で開高健や妻の羊子を視ている。
どうも開高一家との付き合いは楽しいものではなかったみたいだ。

それとこれは読んだことのあるエッセイだが、武田百合子が泰淳や埴谷雄高や平野謙らとともに開高家の夕食に招かれたときの様子が、なんとも凄まじい。
その晩餐は開高家ではなく近所の知人の邸宅で行われたもので、中華料理だった。
開高の妻で詩人の羊子は料理名人でつとに有名。この晩餐にも台湾だか香港に出かけて仕入れたものもあったようだ。
大皿が出て、次の皿が出るまでの時間の長いこと。開高健はお得意の小噺を一つならず二つ。
そして出た料理と羊子の蒼ざめた顔。また長い時間。小噺。
大皿が出るたびに羊子の顔は蒼ざめ、消耗しているのが誰の目にもわかった。
全員が満腹になったときは日付が変わるころだったが、羊子の用意した料理をすべて供そうとすると夜が開けるそうだ。
客の一人が「どんどん憔悴されているようです。どうぞお座りください。もう充分頂きました」と告げるまで、晩餐は続いたという。
これって、恐ろしい小説の題材になりそうな話ではないだろうか。おぉ、こわっ。

開高健はアジア、ヨーロッパ、アラスカ、その他、地球を飛び回った作家だ。
でも彼の生涯の友であった矢沢永一が書いたものを読んだことがあるのだが、それは妻の羊子の束縛から逃れるためだったと。
ごく若いころに結婚した開高は羊子の強力な支配を受けていたという。
この本の中に父親と対談している一人娘の道子さんは開高亡き後、茅ヶ崎の踏切に飛び込み自殺しているが、痛ましいことだった。

関東の人は開高の押しの強い饒舌さを嫌う人が結構いるのを知っている。
話し合ったことはないが、私の夫も多分苦手なのではないか。
でも開高の饒舌さは彼の含羞の表れなのだと思う。
沈黙がいたたまれない。だから立て板に水となる。
人の気の遣い方は様々で、東と西の人間ではその表現方法が違うのだ。
私は関東、関西、どちらにも住んだので、理解できる気がする。
再び開高健をじっくり読みたいとは思わないけれど、ときに思い出す彼の短編には今も変わらぬ輝きがある。

posted by 北杜の星 at 07:56| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月17日

勝俣範之「医療否定本の嘘」

数日前、友人から電話があった。
40歳の姪御さんが乳がんになり、都内J病院で治療を受けているのだが、手術前に抗がん剤を1クール投与することになったのだが、投与された後で強い吐き気と倦怠感に苦しんでいる。どうしてすぐに手術をしないでそんな苦しい目に合わせるのだろうかと、言っていた。
私は、抗がん剤で癌を小さくして手術をする方が、温存が可能になるし体の負担もすくないから。それは標準治療なのだと思う、と答えた。
しかし友人は抗がん剤に否定的で、そんな治療は受けさせたくないので、セカンド・オピニオンを受けさせたいと憤っていた。

癌の治療法は大きく三つある。
手術、放射線治療、そして抗がん剤。
どの治療も体へのダメージはあるが、それぞれに技術が日進月歩していて、患者さんの負担は少なくなっている。
それでも、誰もが抗がん剤の毒性を知っていて、抗がん剤への恐怖感を持っている。
無理な手術と苦しい抗がん剤によって寿命を縮めるケースを考えると、癌は治療しないほうが延命できるという医師がいて、その代表が近藤誠医師だ。
この本の著者はそんな近藤医師を否定するためにこれを書いている。

人は自分が聴きたい意見にしか耳を傾けない傾向がある。私もそうで、それは反省すべき性格だと思っている。
これまで数冊の近藤本を読んできて、なるほどその通りと思う点はかなりある。
それは25年前に義母を胃がんで亡くした時に、家族全員が医療と医療関係者に感じた不信感が基となっている。
無駄に苦しませてしまったという思いが強いからだ。
手術をする前は吐き気や胃痛はあるものの元気で普通に生活できていたのに、術後からすっかり弱り切り何もできなくなった。そんなことなら手術なんかせずに残りの日々を楽しく過ごさせてあげたかった。。
痩せてきているのに気付きながら病院へ行くことを勧めなかったこと、手術をさせてしまったこと・・今でも後悔の念が強い。
だから近藤医師の意見や、統合医療をしてくれる帯津先生の本を読み、こういうこともできるんだと目からうろこだった。
確かに近藤医師の言う「がんもどき」は治療の必要がないというのはわかるけれど、「がん」と「がんもどき」の見分けはどうつけるのかといううことが疑問だった。
その見分けは不可能というのがこれでわかった。
見分けがつかないのなら、やはり治療するしかない。そうでなければ助かるものも助からない。
ただ本を書く人間がどちFらの側に立っているかで、治療の方法はかなり違うのではないかと思う。
外科医は手術を、放射線専門医師は放射線を、そして腫瘍内科医の著者は抗がん剤の効果を、我田引水的に勧めている印象がないでもない。

しかしこの著者が信頼できるのは、例えば、「進行すい臓がんに対して使われるエルロチニブという抗がん剤があります。この薬は、ある比較試験で、プラセボ(偽薬)と比べて生存期間中央値のデータで10日間の延命効果が示されました。エルロチニブを使った群の生存期間中央値は6・2カ月だったのに対し、プラセボ群では5・9カ月だったのです。」という結果に対して、下痢、湿疹、だるさ、感染の副作用があることを考えると、抗がん剤を決してむやみに勧められないと言っていることである。
少しの延命のために、QOLを犠牲にすることはない。

抗がん剤には副作用がある。
しかしその原因のほとんどが、いわゆる腫瘍内科医という抗がん剤の専門医が処方していないためだそうだ。
いわゆる「さじ加減」の困難な抗がん剤の使い方を知らないからだと。
今や抗がん剤治療は入院ではなく通院でできる。
日常生活をしながら抗がん剤治療を受けられるのだ。
そのためにも抗がん剤治療は腫瘍内科医にということ。

しかしそれでも末期になっての過剰医療は避けるべきだとこの著者は言う。この点も信頼できる。
最期を見極め、早期の緩和ケアを在宅やホスピスで受けるほうが良いそうだ。
それは私もまったく賛成だ。
無駄に苦しむのはイヤだ。苦しみながら10日延命してもそんなの意味はない。

すべて納得というわけではないものの、この本、読んで良かったです。
少なくとも抗がん剤への意識は変わりました。
(まったく効果のないものならば、現在まで何十年も存在していないですよね。効く人、効く癌、効く時期というのはあるんです)。

癌は菌やウィルスのように外部から攻撃されるのではなく、自分自身の細胞が変異するもの。
ということは癌はとてもパーソナルな病気だと思う。
進行具合や治療効果には個人差がかなりあるのではないだろうか。これが癌という病気の不思議さなのだ。

posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月15日

R・J・パラシオ「ワンダー」

このブログにコメントを下さったkonakaさんが教えて下さった本。
児童書です。
じつは私は大人が絵本などの児童書を読むのはあまり好きでなく、「大人は大人の本を読みましょう」「絵本は子どものためのもの」と言いたい人間。
私自身が子どもの頃、はやく大人の読む本を読みたいと思っていたからだ。
幼いころの「小公女」や「長靴をはいた猫」「イソップ童話」や宮沢賢治などは別として、子ども用にリメイクされた偉人伝とか、やたら啓蒙的な児童文学が好きじゃなかった。
それでも友人に薦められ、大人になって読んだ児童書で素晴らしいものは幾冊かあった。
「星の王子様」「不思議の国のアリス」、とくにフィリッパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」は今でも時々読みたくなる大切な本となっている。

そして、これ、「ワンダー」。
確かに児童書といえば児童書。難しい感じにはルビがふってある。
でもこれは児童書の枠を超える素晴らしい本だった。

「オーガスト・プルマンはふつうの男の子。ただし顔以外は」
そう、オーガストの顔を見ると誰もが驚愕し怖がる。
そのため彼は学校へは通わず、家で母親に教えてもらっていた。
けれど中学に通うことを決意。
「ワンダー」は中学に通い始めたオーガストの1年間の物語である。

他人がオーガストの顔を見て驚き、驚かないふりをする何十分の一秒を、オーガストも両親と姉も見逃さない。
驚くことも驚かないふりをするのも、とても難しいことなのだ。
しかもオーガストはずっとその「目」に晒され傷ついてきたのだから。
でも、残酷だけど、驚くのは仕方ないことだ。それは自然の反応だと思う。
問題は、その後。そしてその後、たくさんのことがオーガストに起こる。

友達になる何人かの同級生。友達と思った子からの裏切り、はっきり彼を無視する子、陰湿な意地悪をする子、彼を理解し見守ろ教師・・
誰よりも強い味方はオーガストの両親だ。
親となって、これだけ子どもの心に寄り添える人間がいるだろうかと、まずそのことに感動した。
しかもきちんと公平に気遣いできる人たちなのだ。
絶対的に自分を守ってくれ、帰る場所のあるオーガストは本当に幸せだ。
だけど中学生ともなるとそうした居心地のよい家族から独立し始める時期でもある。

仲の良くなった同級生がオーガストの顔を見て言う。
オーガストはこれまで何度も何度も顔の手術を受けているのだが、それでもまだまだふつうにはなっていない。
『「オーガスト、ずっとこの顔のままなの?整形手術とかはうけないの?」
ぼくはにっこりして自分の顔を指さした。「あのさ、この顔は整形手術後の顔なんだよ」
ジャックはおでこをぽんとたたき、大声で笑いはじめた。
「そりゃ、おまえ医者を訴えろよ!」』

私は小心者なのでとてもジャックのようなことは言えないが、こういう屈託のなさは心が真っ直ぐだからなんでしょうね。
それとも子どもだからこその無邪気さなのか。
どちらにしても、私の大好きな個所だった。

感動のラストはいかにも児童書といえばいえるけれど、でもあざとさはまったくなくて、心が爽やかさでいっぱいになる。
ここには人間への全肯定があるからだ。
悪意は世の中にたくさんある。でもそれを上回る優しさだってある。人はその優しさを他人に与えることができるではないか。
その優しさがによりも強いことを、オーガストは学校の1年間で知りえたのだ。

先生がいいですね。日本の学校にもトゥシュマン先生がいるといい。
「必要とされる以上に親切にしよう。。」
そうすれば、いつか、どこかで、誰かがきみたちのなかに、神様の顔を見るかもしれない・・

私はヨーロッパに行くといつも意外に感じることがある。
それは人々が「お節介い」とも思えるほどに親切なこと。
日本人だって、ほんの数十年前までは、みんな「お節介」に他人の面倒を見ていたし、干渉もしていた。
でも個人主義の風潮が広がり、「あまり立ち入ると悪いわね」みたいになって、お節介を焼かなくなった。
それから少しずつ、人と人とのつながりが薄くなっていった。
トゥシュマム先生の言うように、「必要とされる以上に親切にする」ということは、大切なのかもしれない。
「お節介」と言われることを恐れるあまり私たちが失った世界を取り戻したいと思う。
この本には、そうした人と人とのつながりの素敵さがある。

この本を教えて下さったkonakaさんに「ありがとう!」
posted by 北杜の星 at 08:23| 山梨 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月14日

澤地久枝「14歳(フォーティーン)」

戦後70年。
敗戦時、澤地久枝は14歳。満鉄に勤める父、母、妹、弟と5人で満州に暮らしていた。

加藤周一、鶴見俊輔、小田実らともに9人の「9条の会」の呼びかけ人の一人である澤地久枝だが、戦時下ではリッパな軍国少女だった。
優秀な生徒で真面目なだけに、彼女の軍国少女ぶりはしっかりしたものだった。
やがて8月15日の終戦がやってきた。
ソ連軍侵攻、国防軍と共産軍の戦い、韓国人や中国人からの仕打ち・・

「満州開拓村からの帰還」と副題にあるように、終戦から収容所での難民生活を経て日本に帰還するまでの1年が主として記述されている。
戦争までの満州の空気、澤地家の歴史などについても書かれている。
他の満州からの引き上げ体験記を何冊も読んだが、それらにくらべると澤地家はまだ少し恵まれていたように思う。
終戦後も社宅に住むことができたし、善き人々にも恵まれた。なにより1年で帰国できたのは幸運だった。
(引き上げ船が決まって、港に移送される列車は劣悪で地獄のようだったが。)

日本の政府は満州開拓を国を挙げて勧め、敗戦直前までえ開拓団を募っていた。
しかし敗戦後、満州や朝鮮半島にいた国民を何一つ守ってくれはしなかった。
あのナチス・ドイツでは、ある海軍司令官がドイツ所有の艦船全部を、敗戦前にドイツ国民を侵攻地から脱出させるために出したという。
日本軍にこういう人はいなかった。
南方の戦地での兵隊たちのほとんどが餓死や病死。すなわち見殺しされたように、満州の人たちも日本政府によって苦しめられたのだ。
国民を守ろうとしない国。それが日本。
そしてそれは今も同じ体質で続いている。(福島の原発事故なんてまさしくそうですよね。)

私が知りたいのは、あの軍国少女から平和を熱望するオピニオン・リーダーとして、どのような経緯があったのかだ。
いつも思うのだが、私のような戦争を知らない世代が反戦を唱えるのとは違って、戦争を知る世代のそれは、性根が入っている。
私たちが机上の論理の言葉だけなのとは、訳が違う。それが経験と言うものの強さなのだろう。
9条の会の呼びかけ人のほとんどが鬼籍に入ってしまった現在、澤地久枝は戦争の語り部として、平和の大切さを伝え続けてもらいたい。

それにしても、澤地久枝、瀬戸内寂聴・・すごいですよね。安保法反対デモでの彼女たちには本当に勇気づけられます。
今週17日に「戦争法案」が強行成立されるかもしれないというが、成立後もずっとずっと反対運動は消えないと思う。
今回ばかりは、長いものには巻かれない。
posted by 北杜の星 at 06:56| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月11日

大矢麻里「イタリアの小さな工房めぐり」

手縫いの靴、ハープ、レース、聖像、ビーズ玉、麦藁帽子、彫金レリーフ、テラコッタ、手作り自転車・・
イタリアは職人の国。どこの町や村でもちょっと歩けばどこかからトントン音が聞こえてくる。
フィレンツェのアルノ川の向こう、カルミネ教会の方への途中にはじつにさまざまな工房があって、フィレンツェは職人の街なのかと気付くだろう。
この本の著者はイタリアに魅せられ、中部のシエナに20年暮らすコラムニスト。
彼女が紹介してくれるイタリアのもの作りがいかに素晴らしいか。文章と写真でとくとご覧になってもらいたい。

このなかで一番心ひかれたのが麦藁帽子だ。
麦藁帽子といえば昔は誰もが夏になると買って被っていた。粗雑なつくりで夏が終われば捨てて惜しいものではなかった。
けれどこの麦藁帽子は大事に何年も使いたい美しいもの。デザインもたくさんある。
イタリア人はどんなに灼熱の太陽が照りつけようとも、帽子をかぶらない人たちだけれど(私のイタリア人の友人は「帽子を被るのは中国人と日本人だ」と言う)、こんなに素敵な麦藁帽子なら、ここ八ヶ岳の高原リゾートでも被っていたい。

それともう一つ驚いたのは、オカリナがイタリアの楽器だということ。これは著者もご存知なかったらしい。
オカリナってケーナのようにマヤだとかインカとかのものだと思い込んでいた。
ボローニャの近くで作られる木製のオカリナは見るからに柔らかそうな形をしている。
よくあるっプラスティックのオカリナとは雲泥の差だ。音色もきっと大きな差があるのだろう。

フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州のポルトノーネでイコン画工房があるのも意外だった。
イコンといえば東方正教会のものだ。カトリックの国であるイタリアでイコン画が描かれていようとは。。
でもあのあたりはギリシャに近いから文化の交流があったのだろう。
ポルトノーネは私たちの友人の住むサン・ヴィート・アル・タリアメントからほんの15分のところ。チャンスがあれば行ってみたい。
フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州の州都はトリエステ。トリエステは旧ユーゴとの国境の街だ。
ちなみにあの水の都のヴェネツィアはヴェネト州の州都です。

著者の大矢さんお住まいのシエナからは隣の州のウンブリアのオルヴィエトのレースも精緻で美しい。
ウンブリアはオルヴィエトの他にも湖のほとりの小さな村パニカーレでもレースは有名で、時々ワークショップが開かれているので、観光客でも学ぶことができる。
30年くらい前までパニカーレなんて寒村だったが、いまではイギリス人などがたくさん住む土地になっていてびっくりしてしまう。

イタリアの小さな工房で黙々と仕事をする職人さんを見ていると、「日本もほんのちょっと前まではこんな職人さんの国だったのにな」と思う。
ここにも書かれているが、親から子に、師から弟子へと継承される技が、イタリアにはまだたくさんいる。
でも日本では職人という言葉すらなくなってしまった。
工芸をする人はいても彼らは職人さんではなく「作家」と呼ばれたいのか、作るものをアートだととらえている人が多い。
そういう意識の変化が日本のものづくりをダメにしたのだと思うのだけど、ちがうかな?
名もなき、名も知れぬ・・というのは存在しないことではなく、貴いことなんだけどね。

靴フェチの私としてはぜひマルケ州の手縫いの靴工房を紹介したい。
戦後、馬の皮から作る部屋履きから靴へと移行し、アメリカのデパートやフランスのブランドに卸したりしていたのが、独自のブランドを立ち上げるようになったのだそうだ。
私の好きなサントーニもここマルケのブランドで、サントーニは今でもエルメスに製品を卸していると聞いたことがある。
(大切に履いているサントーニなのに、夫は「そんなに履く機会がないのだから、普段に履かないとかえってもったいない」と言う)。

手縫いの靴というと思いだすのが、イギリス人俳優のダニエル・ディ・ルイスだ。
アカデミー主演男優賞を3回受賞している名優だが、私は彼がハリウッドに進出する前の「マイ・ビューティフル・ランドレット」と「存在の耐えられない軽さ」の彼のセクシーさにクラクラっときて大ファンになった。
そのディ・ルイスは最初のアカデミー賞受賞後に突然「靴職人になる」と決意。フィレンツェの有名な靴職人に弟子入りをしたのだ。
親方からもその熱心さが認められたごろ、スコセッシ監督に説得されて俳優に戻ったそうだ。
まぁ、奇人変人の類でしょうが、こういうことも含めて、ディ・ルイス、いいですよね。
彼が修業した工房の靴は日本でも手に入れることができます。
(神戸連続殺人事件の犯人少年Aが最近開設したHPが「存在の耐えられない透明さ」というタイトルだと言うが、ミラン・クンデラが汚された気持ちで「やめてよ」と言いたい。)

イタリアは過去の遺産で食べている・・と言う人がよくいます。
たしかにローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアなどイタリアの多くの土地には歴史的にすごいものがたくさんあって、世界中から観光客が訪れます。
観光収入は多い。
でもイタリア人にとっての「過去の遺産」とは、そうした建造物や絵画彫刻そのものではなくて、生れた時から自然と身近に触れて育つ「美」なのではないでしょうか。
その「美」が何十世代にもわたって彼らの血肉となりDNAになっているのだと思います。
だから彼らの作るものは美しい一級品なのです。
あんなにチャランポランに見える彼らが、じつに粘り強く一所懸命にもの作りをしている。
この本はそれを私たちに教えてくれます。
posted by 北杜の星 at 07:46| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月10日

乾ルカ「奇縁七景」

乾ルカは北海道在住作家。
彼女の作品にはいつもどこかに北海道の気配がある。
「夏光」を読んで以来のファンの私としては、直木賞候補、芥川賞候補に一度ずつなりながら、どうもその後に完全納得できなくて、モヤモヤしていた。
だけどこの「奇縁七景」は彼女の持ち味である、「奇妙な味」が生きている作品集となっている。
こういう乾ルカが読みたかったんですよね。

普段私たちがよく口にする慣用句がタイトルになっている七つの短編。
「虫が好かない」「目に入れても」「報いの一矢」「夜の鶴」「只よりも高いもの」「黒い瞳の内」「岡目八目」。
ミステリーっぽいもの、ホラー的なもの、命と向かいもの・・バラエティに富んだ物語だ。
最後の「岡目八目」ではそれまでの登場人物たちがわらわらと出てきて繋がりをみせているのが見事だ。

そう、これが乾ルカの真骨頂なんですよね。
不可思議な人間の繋がり。時として超常現象だって起きる。
とてもリアルなものもあれば、ファンタジーもある。甘く辛いそれぞれの物語は読者の心をざわつかせる。

楽しめました。次作も待ってます、乾さん。
posted by 北杜の星 at 07:30| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月08日

群ようこ「衣にちにち」

明日はちょっと外出、というとき「さて、何を着て行こう」と迷ってしまう。
私が住むのは八ヶ岳。夏はいいとして冬に東京に行く時には気温差が大きいので、まるで山の熊さんになってしまう。
それに加えて、服に悩むのは年齢の問題もある。
これまで似合っていた服の色、型、素材などがまったく似合わなくなってくるのだ。
これに気付いたのはもうかなり以前で、私が50歳になったころだった。
若いころと同じ恰好だと「若作り」になってしまって気持ち悪い。かといってあまり地味な格好だとよけい婆くさい。
それで私のとった戦略は、ボトムはスリム的なパンツ、トップスはカットソー(普段はファストファッションの品だが、外出時にはブランドもの)かセーター、それに春や秋はカジュアルなブルゾンかジャケット、冬はコートというシンプルというと響きがいいが、愛想のないかわいさとは程遠いスタイル。
多分、人から見るといつも同じ恰好に見えると思う。
でもこれでいい、と決めたので、もう迷わなくなった。

群さんは作家という仕事なので居職で家にいることが多い。猫を飼っているので家で上等なものは着られないそうだ。
だからこそ、外出の時にはいろいろ悩む。
会食、インタビュー、撮影・・なんでもいいというわけにはいかない。
自分のワードローブを眺めまわして、着てゆく服を前もって決めても、天候気温などの条件が問題だ。
動きやすいもの、冷えを防止するもの・・いろいろ考えれば考えるほど、悩んでしまう。
(だけど群さん、ちゃんとTPOにあわせて、素敵な服をきているんです。マーク・ジェイコブスなんてのも着てる)。

ここにも書いてあるが、トシをとったら「好きな色ではなく、似合う色を着るべし」と。
それは私も賛成だ。
体型も悪くなるが、何にもまして悪くなるのが肌の色。若いころに着ていた「地味」な色だと年齢が際立って見えてしまう。
とくに難しいのが、ベージュやグレーだ。
彩度や明度が肌の色に合っていないと最悪なことになる。
(そういうときは、サシ色としてマフラーやスカーフを使うのも手。でも間違ってもCAのようなスカーフにはしないね)。
それと型も大切。
体型をカバーしようと考えるのはいいとしても、上も下もダボダボだと、やはりこれもお婆さんスタイルだ。
全部を「今」にするとそれはそれで痛々しく見えてしまうけど、やはりどこかには「今」はほしいもの。

群さんは和の習い事をしているので着物を着る人だ。
着物は約束事が多くて大変という人がいるが、反対に考えると、約束通りにしていればいいのだから、楽といえば楽。
ここに書いてあるように歌舞伎座で、三十代半ばの女性が、紬の着物に袋帯をふくら雀に結んでいるの見たとあるけれど、それはない、ない。
紬はどんなに高価でも普段着、もしくはお洒落着だ。正装の袋帯はありえないでしょ。
最近では結城紬に絵を描いたものを訪問着として着る人が増えてきたが、私に言わせると、あれは野暮ですね。

でも着物の着方に変化もあらわれている。
昨今の温暖化で春や秋に気温が高くなって、従来なら6月と9月にしか着なかった単衣を、4・5・10月にも着るようになっているそうだ。
たしかに5月って暑くなったもの。袷なんて着てられない。
私の知り合いに、盛夏以外はいつも着物で通していらした女性がいた。その方は一年中、単衣だった。
どうして?と尋ねると、だって袷は重いんですものと言われた。
そう、チンと座っているだけでなく、くるくると働く日常着としての着物なら、軽い単衣のほうが動きやすいはずだ。
いつも紬の単衣にこれも紬の長い前掛け・・これが彼女のスタイルだった。
寒さは温かい肌着で調整されていたようだ。私の憧れの美しい女性でした。

だけど群さんのこの本を読んで、思ったことがある。
それは、たくさん服を所有しているから「悩み」「迷う」のではないだろうかということ。
現在、若い人たちの間では「ミニマリズム」という生き方が注目されているが、そうした生き方をするのなら、モノは極力少なくできるはず。
そのほうが風通しがいいし、風通しがいいということは、精神にもいいのではないだろうか?
ウツになる人の部屋はモノであふれ、整理整頓されていないことが多いと聞くが、それって物理的にも風邪通しが悪いよね。

群さん、服を減らしましょう!
posted by 北杜の星 at 08:34| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月07日

神矢丈児「腸が寿命を決める」

みんなにぜひとも読んでもらいたい本。
ここには腸がいかに人間にとっていかに大切な器官であるかが、とてもわかりやすく説明してある。

そう、腸は大切なんです。
成城学園前にある「あなたと健康社」でびわの葉温灸を教えて下さった鍼灸の先生は、一週間に一度、おへその周りだけ2時間、びわの葉温灸をするとおっしゃっていた。
「腸がなによりも大切なんです」と。
ある医師は、血液は骨髄ではなく腸で作られると言う。
人それぞれに表現方法は違っているが、確かに腸の重要性はみんなもっと知るべきではないだろうか。

口、食道、胃・・これらは消化器官ではあるが、ただ食べものを砕き細かくして、体内に吸収しやすくするのが役割。
栄養素を吸収するのは腸なのである。
しかし腸はそれだけではなく、「免疫システム」の80パーセントを担っているのだ。
だから腸が汚れていると免疫システムがうまく働かなくて、糖尿病などの生活習慣病を引き起こす。

腸は栄養素と水分を吸収しているが、油脂糖質過多だったり過食だとうまく分解しきれない。
それが腸を汚し、体の免疫力を下げることになる。
それを防ぐためにはまず便秘を解消すること。(良い便の状態も書かれているのだけれど、何かを食べながらこれを読んでいる人に悪いので書きません)。
そのために食物繊維や発酵食品を摂取すること。(味噌、納豆、ぬか漬けなど。ヨーグルトとも書いてあるけれど、私の体験からいうとどうもヨーグルトは日本人の体質に合っていないような気がするし、最近そう言われ始めている。なので、大さじ2杯程度で十分だと思う。)
その他に、調味済み食品を控えるのは添加物が多いためだ。
薬、とくに抗生物質は腸を汚す原因となるのでできるだけ避ける。

現在の栄養学では「朝食をしっかり食べなさい」と言っている。
でもね、朝は栄養摂取の時間ではなく、排泄の時間なのだ。排泄の時間にたくさん食べると、胃は弱り腸が汚れる。
管理栄養士さんはそういうことがわかっていない。
だから朝は消化器官に負担をかけない果物や野菜のジュース(繊維のないもの)を飲んだり、水分をちゃんと摂ればそれでOK。
(この本には排泄の重要性は書いてあるが、その時間帯には触れていないので、蛇足ながら私が書いてます)。

先週、私たち夫婦と親しい友人夫婦の奥さんが、急性肝障害で緊急入院した。
さいわい点滴で数値は下がったのだけれど、ずっと体がだるくて病院の診察を受けにいたところ、肝機能の数値が正常の20倍もに上がっていて、即入院となったという。
「沈黙の臓器」と呼ばれる肝臓が、長い時を経ての生活習慣でパンク寸前となったのだと思う。美味しいもの大好きな人だから。
肝臓も腸と大いに関係しているそうだ。
腸がきれいだったら、肝臓もうまく機能するみたい。
彼女が退院したら、梅肉エキスをプレゼントしてあげよう。梅肉エキスは腸を守り、肝臓の働きを助けるもの。サプリメントのような剛性化合物ではなくて自然食品なのがいい。
梅肉エキスは内臓だけでなく、強い殺菌力があるので、風邪をひいたときには薄めてうがいをしたり、湿疹や虫刺されなどにも塗布すれば効果がある。
一家に一個。梅肉エキスを常備しておくと、なにかと助けられます。もちろん食あたりには最適です。

大食の人は案外風邪をひきやすいですよね。
あれは腸が汚れて、免疫力が下がっているから。
これからの季節、風邪の予防のためにも、腸をきれいにしましょう!
posted by 北杜の星 at 07:43| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月04日

桐野夏生「抱く女」

1972年、吉祥寺。
ジャズ喫茶、雀荘、底の厚い靴、ベルボトムのジーパン、アフガン・コート、高橋和巳、ジッポのライター、内ゲバ、ドストエフスキー、ウーマン・リブ・・
あの時代に青春だった人間にとっては胸が痛い道具立てだ。
懐かし人もいるだろうし、思い出したくもないと思う人もいるかもしれない。

直子は20歳のS大学3年生。
いつも吉祥寺で遊んでいる。
実家は荻窪の酒屋で、両親と祖母との四人暮らし。兄は二人いるがどちらも家を離れている。
直子は大学にはほとんど通わず、男友達と麻雀したりャズ喫茶で時間を過ごすことが多い。
しかし彼女はそうした男友達に不信感を持っている。
彼らは女性に対して古い体質そのまま、女は男に従うべきと上から目線で扱ってはばからない。
女性に従順さや可愛さを求める男たちに、直子はいつも反発している。
世の中は「抱かれる女」から「抱く女」へと言われ始めているのだが。。
(そうなんです。この世代の男たちは古い親に育てられているので、外面はリベラル、家では保守というのが多いんですよね。でも案外、今の世代もそうなのかもしれませんが)。

直子はウーマン・リブにも失望する。
大学、雀荘、ジャズ喫茶、バイト、家庭・・どこにも自分の居場所が見つからない。
男たちから「公衆便所」と蔑まれていると知りショックを受けるが、虚無に生きているだけの自分をもてあましてもいる。
直子が心を添わせられるのは、女友達の泉だけ。
その泉も元恋人に自殺され動揺している。

この時代の雰囲気がよく出ている。
1960年代は学生はまだ熱くなれた。
けれど1970年代になると学生運動はセクト化が激しくなり、普通の学生たちの気持ちは離れて行った。
浅間山荘、山岳アジト事件は世間を震撼させ、新左翼は退潮する。
直子の兄の和樹は早稲田の学生でセクトによる攻撃を受け重傷を負うのだが、これは核マル派が早稲田の学生を中核派のシンパと疑い虐殺した川口大三郎事件のことではないだろうか。
(状況がよく似ている)。

どこにも風穴のあかない重苦しさ。
直子はジャズバンドのボーヤをしている男と初めての「恋愛」をし、家を出ようとしているのだが、読者はこれが直子の行き着く場所だとは誰も思わないだろう。
本当の恋愛で傷ついたら、直子はどこに行くのか?どこに還るのか?

この本で「オヤッ」と感じたのが、高橋和巳の妻の高橋たか子に言及しているところ。
たか子はジェンダーをいつも感じながら生きてきた作家で、女性蔑視の京都を嫌った人だった。
「抱かれる女」ではなく「抱く女」を書こうとした桐野には、たか子は和巳よりも大きな存在だったのだろう。

桐野夏生のミステリーは露悪的で読後黒い気持ちになるので好きではないのだけれど、「抱く女」はほぼ同時代人間として感情移入できる点が多かった。
でも若い人からすると、直子の甘さはどう受け止められるだろう。それを知りたい。
posted by 北杜の星 at 07:43| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月03日

徳永進「老いるもよし」

徳永進氏は鳥取市で19床のホスピスケア入院施設を持つ小さな診療所を経営する医師。
私の大好きな先生だ。
願わくば、私の最期の日々を先生と喧嘩したり冗談言い合ったりして送りたいものだと常々思っている。
でも先生と私はほぼ同年齢なので、どっちが先にくたばるかは、神のみぞ知るでだが、まぁ、先生のような人のためになる人間には神の御加護があるだろうから、ひょっとするとお世話になれるかもしれない。

私が徳永先生を好きなのには理由があって、彼の医師としての診療姿勢に心打たれるだけでなく、何と言ったらいいのか、彼はにゃんにゃんにゃんと優しいだけではなく、死にゆく患者さんに「死ぬのはそんなに怖い?」と言える人だからなのだ。
病気、それも癌などシリアスな病気になれば、人は必死で直したいとおもうもの。でも人間は生老病死。誰もが病み、そして死ぬ運命にある。
ましてや高齢になればなおのこと、そんなに生に執着するのがいいことなのか・・

徳永先生は書く。
昔は65歳になれば、手術は勧めないものだったと。
そう、65歳は一つのラインだった。
けれど今では90歳でも手術をする。外科的な手術だけでなく、内臓の手術だってする。
宇野千代は「私、死なない気がする」と言ったそうだが、誰もがいまは同じように思っているのではないだろうか。怖いことだ。

野の花診療所に来る患者さんたちも、ほとんどがお年寄りだ。
彼らと徳永先生のやり取りはまさに、地域医療そのもの。家族構成や患者さんの性格まで先生は把握している。
時に意地悪とも思える質問を先生はする。患者も負けてはいない。そこにはユーモアが介在していて、思わず笑ってしまう。

野の花診療所は在宅ケアも行っているので、先生や看護師さんはとても忙しい。午前の診療を終え午後からの診療の始まる前に、患者さんの家を訪問しているからだ。(田舎では家が遠くに点在しているから大変。番地なども明記されていないので探し当てるのに時間がかかることがある。)
時には医師としての役割だけでなく、民生委員のようなことまでしている。
徳永先生の体のほうが心配になるくらいだ。
それでも、日本海の美味しい魚、人々のあたたかな助け合いは疲れた心身を癒してくれる。

でもね先生、私は心配。
だってホスピスの個室病室の値段がこんなに安くていいものなの?
個室料金ゼロの部屋が10室もある。
経営は大丈夫ですか?

普通の風邪や腹痛でも、もちろん診療可。ホスピスも癌患者だけでなく他の末期病気だって入院できる。
精神的なケアや相談もできる。
徳永先生は死にゆく人たちの強い味方なのだ。そしてそれは患者の家族にとっても味方ということ。どれほど安心感のあることか。

タイトルの「老いるもよし」ですが、個人的には、老いていいこと、何にもないです。
よく「歳をとるといろんなことがわかる」というけれど、そんなことはない。
精神的な進化はないなぁ。ただ体が衰えるだけ。
これは私の不徳の致すところ、、なんでしょうけど。

どうぞ野の花診療所のHPをのぞいてみてください。
徳永先生のエッセイが掲載されているので、読めますよ。
徳永進という医師を知らない人には、ぜひ知ってもらいたいです。
posted by 北杜の星 at 08:14| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月01日

エットハミ・ムライ・アメドバ゙/寺田なほ「モロッコの台所」

エットハミさんと寺田さんはご夫婦なのだろうか。
二人がかわいいお子さんを抱いて一緒に写った写真がある。
エットハミさんはカサブランカ生れ。モロッコとフランスで製菓と料理の勉強をし、モロッコにおいてシェフに料理指導をしていた人。
寺田さんはスパイス研究家として、インド料理やセネガル料理の教室を開いている。

モロッコ!
いいなぁ。ぜひとも行ってみたい国の一つだ。
モロッコとトルコは憧れの国で、そのトルコには数年前に友人と行ったので、残るはモロッコ。
モロッコがなぜ憧れの地かというと、アメリカ文学をほとんど読んでこなかった私だが、ポール・ボウルズ、ジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズには夢中になった時期があって、彼らが過ごしたモロッコのタンジェ(タンジール)という港町には強い思い入れがあるのだ。
アメリカ人だけでなく、ジャン・ジュネもタンジェに長く滞在し、彼の墓はタンジェにあるのです。
タンジェはヨーロッパ大陸からフェリーでほんの1時間足らずの港町。
港町特有の雰囲気があって、場所によっては魔窟のような危険なところもあるらしいが、文化文明の交叉する地点として面白そうな街だ。
作家たちが通ったというホテルもまだある。

文化が交叉するといえば、モロッコという国がまさしくそうで、歴史や宗教、そしてこの本に載っているように、料理もまたたくさんの入り混じる文化の影響を受けている。
この本が素晴らしいのはたんに料理だけでなく、モロッコ紹介本としてもいろいろ勉強できること。
モロッコに最初にたどりついたと誇りを持っているのが、バルバル民族という遊牧民だそうだ。
日本でも使っている人が多くなったタジン鍋や、セモリナ粉で作られる極小パスタのクスクスなどは、元はバルバル民族の文化だったそうだ。
(クスクスはシチリアや南フランスなどでも、ずいぶんと食べられている。)

写真ん料理のなんと美味しそうなこと!
肉、魚、野菜がじつに生き生きと輝いている。
どちらかというと煮込み料理が多い(タジン鍋でつくっている)のだが、シンプルななかに、スパイスやハーブが匂い立つようだ。
写真を見るだけで料理にパワーがあるのがわかる。

このパワーというのは、私はとても大事なことだと考えている。
食べるというのは、肉や野菜などの命を頂くということ。
だから命のエネルギーが感じられない料理は、ちっとも美味しそうには思えない。
最近友人と、我が家の近くに最近できた、有名美術家がプロデュースし東京のこれまた有名レストランで修業したシェフという触れ込みの「S」というレストランに食べに行った。
とても美しく飾られた料理は味も悪くない。最初から最後まで和と洋が組み合わされてどこと言って文句のつけようはないのだが、あの料理には全然エネルギーが感じられなかった。
食べものを食べて、元気になるという印象がないのは、どこか何かがまちがっているとしかいいようがない。
料理は食材を料ずるのだから、繊細さは必要。でも繊細さだけDなく、どんなに細やかな料理にも豪快さがなくてはつまらないと思う。その豪快さがパワーなのだから。
あの「S」というレストランにはそれがなかった。

でもこの本のモロッコの料理からは輝くエネルギーが伝わってくる。
こういうご飯を毎日食べていると、ハッピーになれるにちがいない。
料理のレシピがあるので、作りたい人はモロッコロ料理を試すことができる。
さいわい、材料は日本でも手に入るものばかり。

モロッコ、行きたい。
本の中に石釜焼きのパンがあるのだが、これを見れば、パン大好きのわが夫もモロッコに興味を示すかも。。
posted by 北杜の星 at 07:46| 山梨 ☁| Comment(7) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする