2015年12月29日

ハッチの身辺雑記

月に一度のハッチの身辺雑記です。

師走も押し詰まってきましたが、とても暖かな毎日です。
暖かいのは助かるとしても、今年は友人たちみんなが「干し柿が駄目だった」と嘆いています。
カビが生えたのです。
群馬の友人がいつもこの時期になると干し芋を送って下さるのですが、あの地方でも干し芋や干し柿がよくないようで、やはり寒さや冷たい風は季節としては必要なんですね。

大掃除に忙しいお家もあるのでは?
我が家では大掃除は特別にしないので、そのバタバタはありません。
というのも我が家では、窓ガラスと網戸は週に一度、天井や壁のすす払いは三カ月に一度くらい、台所・トイレ・風呂は毎日、台所のシンクも毎日排水口とゴミ入れまで拭いているから、特別な大掃除は必要ないのです。
つまり、いつもまぁまぁきれいということ。
別に威張るわけではないのです。私は目が悪いので、汚れたら掃除するではその汚れが見えなくて、汚れる前に掃除をして汚れの状態をつくらないということを今年の初めから実行しているのです。
労力は必要ではあるものの、清潔なところで暮らすと「場の気」が上がるようで気持ちいいです。
(一か所、つい忘れがちなのが冷蔵庫内で、いつのまにか賞味期限切れの食品が奥の方に残って・・ということに。)

でもその「場の気」も風邪には効果がなかったようで、先月に続いて私はまた風邪をひき、38度以上の熱が出てしまいました。
この風邪は夫からうつされたもので、彼はじつに数年ぶりの風邪。二人とも咽喉、咳、痰に苦しみました。完全に治ったのは2週間以上たってから。加齢とともに治りが悪くなりますね。

ここ最近、私のまわりでは病気や怪我をするひとが続出。
ある友人は胆のう摘出手術を受け、またある友人は突発性難聴に。
そしてバイク乗りの友人は鹿と衝突して、肩の脱臼と腱の切断、それと両手親指の骨折など、いわゆる大けがで命の危険があるわけではありませんが、日常生活は困難。
ましてや彼は自家製ハム・ソーセージの店を経営しているので、生産ができず店を休業しなくてはなりません。大変です。
一日もはやい回復を願っています。
もっともお気の毒なのは友人のお嬢さんで、妊娠5カ月に入った時「このままでは母体が危ない」と人工流産を受けざるをえませんでした。
昨年結婚して待ちわびた初めての赤ちゃん。。慰める言葉がないと両親である友人夫婦は言っています。

今年はじめに自家感作性皮膚炎にかかったのは大変だったけど、その後は穏やかでハッピーな暮らしだったのに、好事魔多しとはこのことかという12月でした。
我が家ではいろんなものが壊れました。
温水ボイラーの湯の出が悪くて修理に来てもらったら、温水器ではなく水栓金物の問題で、蛇口を新しいものにしたら改善されたのでこれはホッでした。
井戸の具合も悪くなって、クリスマス・パーティの食器が洗えなくなって大困り。翌朝ペットボトルをたくさん抱えてもらい水。
友人宅では洗濯をさせてもらい、お風呂まで頂き、本当に助かりました。
夫の愛車のルノー・キャトルもこれまた突然動かなくなって、レッカー車に載せられて修理工場へ。ファン・ベルトが切れて、ガソリンを送るポンプも悪かったそうで、これは3日で元気に帰って来ました。
これで終わりかと思っていたら、最後の〆が私のガラケイ。電話をかけたら誰でもいつでも話し中になるので変だなと思ったら故障でした。使用期限年数をとうに超えているので、買い換えるべきかどうか。。
私の目には画面上でのキー操作は無理です。テンキーがついていればいいのですが、でもほとんど家に居てPCが目の前にあるので、スマートフォンは必要ないんですよね。
旅行へ行ったりいするとあれば便利は便利なのですがどうしても、という感じではないのです。

・・というわけで、今月はいろいろありました。最後の月がこんなのは、一年の厄払いができたってことかな?
ともあれすべてはなんとかうまく解決したので、まだ不運というわけではないのかもしれませんね。

初詣にはポンとお賽銭をはずんで、無病息災・家内安全を祈願すべき?

夫と私が風邪でふぅふぅ言っているとき、ハッチ君は一人元気いっぱいで食欲も旺盛でした。
でも私の様子がいつもと違うのは動物の勘でわかるのか、そっとベッドに上がって来て私の顔を覗き込んでいました。
いつもほど「ごはん、ちょうだい」をしつこくせがまなかったのは、ハッチ君の思いやりでしょうか。

今年は良いこと、悪いこと、プラスマイナス・ゼロの年だったと思います。
だけど新しい出会いが何人かあったし、そのうちの一人は胸ときめく男性だったりもして、少しだけプラスに針が振れているかな?

肝心の読書に関しては、なかなかにつらいものがありました。
これは年々つらさが増すわけで、あと何年というより、あと何カ月、本を読んでいられるかなという状況となっています。
でも読める限りは読んでいたいし、読んだらそれがどんな本だったかを、私なりにみんなに伝えたいという気持ちがあります。
もし本が読めなくなったら何をするか?はまだ決まっていません。
友人たちがいろんなサジェスチョンをしてくれます。落語を聞く、楽器を習う、小説を書く・・
でもどれもまだ「これ」というものに心がとまりません。
これは、本が読めなくなってからではないと、じっさいにはわからないことなのだと思います。そうなってもすぐには見つからないかもしれない。何年もかかってようやく見つけ、手に入れれらるものなのかもしれません。
でもまぁ、歳をとるごとに楽観的になっている私だし、「失明はしない」というお墨付きを何よりもありがたく感謝して、暮らすしかないですよね。

年末年始の「ハッチのライブラリー」はゆっくり気ままに、書けるときに書くというスタンスでいくつもりです。というか、朝何時に起きるかによって決まるのですが。
どうぞみなさま、よいお年を!!
posted by 北杜の星 at 07:52| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月28日

エリザベス・オリバー「日本の犬猫は幸せか」

著者のエリザベス・オリバーさんは英国人。
1968年以来日本に定住している。
彼女は英国で過ごした幼年時代からずっと動物と親しんできた。
日本にやって来て、動物保護の必要性を感じ、アニマル・シェルター「アーク」を設立し25年になる。
この本はその活動を記したものである。

年間19万頭もの犬猫が自治体の施設に収容され、そのうち13万頭が殺処分にされている。
すごい数字だ。
迷子になった犬猫もいれば、飼い主に捨てられた犬猫もいる。
飼い主のもとに還ったり、里親に引き取られたりしているのは、3分の1にも満たない。
人間がつらい目に合うのはやりきれないが、いたいけな動物が虐待されるのはもっとたまらない。彼らは抗弁する術を持たないからだ。
信頼しすべてを委ねた飼い主から捨てられたら・・どんな気持ちだろうか?

私のまわりで犬を飼っている人のほとんどが、そうした施設から引き取っている。
殺処分にされかねない命を救っている。
ここ八ヶ岳には都会からの移住者が多いのだが、わりと高い社会意識をもっている人が多いように見受けられる。
私はペットショップが嫌いだ。
ペットショップで犬や猫を飼って飼うひとも嫌いだ。
身を縮めてケージの中にいる犬のなんとかわいそうなこと!
第一、ペットショップで売っているのは、ブリーダーが手放したいと思っている動物たちだという。
本当に健康で優秀なのは、ブリーダー自身が持って、自分が売る。

ペット後進国の日本では犬猫をペットショップで購入する人がほとんど。
でも欧米先進国ではまずアニマル・シェルターに行く。そこで成犬や成猫を引き取る。
(日本人は子犬や子猫が好きで、小さい時から飼いたいと願う。たしかに小さい犬や猫ほど愛らしいものはないのだけれど)。
日本でも、動物を飼いたかったらアニマル・シェルターに行くというのが社会の習慣になればいい。

しかしだからといって、安易に動物を飼ってはいけない。
ペットに適した環境が与えられなければ、飼うのは止めた方がいいし、離婚や破産などがもしおきたとしても、飼い続ける覚悟が持てない人は飼う資格はないと思う。

著者は日本の事情とともに英国の事情にも詳しい。これを読むと日本と英国にいかに大きな差があるかがわかる。
けれど英国だってはじめから今のように整備されていたわけではない。長い時間のなかで一歩ずつ進んできたのだ。
日本でも不可能なはずはない。
まず行政が動物福祉専門の部署を設けるべきだ。
動物より人間の優先順位の方が先だという声があるかもしれないが、動物の命を大切にすることは人間の命を大切にするのと同じレベルのことだと私は考えている。
命を粗末に扱う国の人間と行政だから、こんなたくさんの不幸な人間と動物が存在いするのである。

もうひとつ、ペットを飼うことについてのシステムができればいいと思うのは、高齢者のペット問題だ。
孤独なお年寄りにとってペットはなによりの慰めとなる。
でも「自分が先に逝ってしまったら」と、飼うのをためらう。病気や怪我で散歩に連れて行けなくなる場合もある。
もしもの時には、そうしたペットを世話したり、引き取ってくれる団体があれば、どんなに心強く心安らかな気持ちになれるだろう。友人知人に頼むといtっても限りがある。
アニマル・シェルターでも現在のところ、高齢者に引き渡すのを拒否することが多い。それはそれで無責任ではない証拠ではあるのだけれど。
なんとかもう一歩踏み込んで、この高齢者ペット問題を解決してほしい。

それにしてもエリザベスさんには、頭が下がります。
posted by 北杜の星 at 08:11| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月25日

岩澤倫彦「バリウム検査は危ない」

定期的に検診を受けている人は多い。
私たち夫婦は病院が嫌い、化学薬品はなるべく摂りたくない、検査もできるだけ避けたいという人間なので、健診を受けるとしても、血液と尿と便潜血くらいしか受けない。
肺のレントゲンも胃のバリウム検査も十年以上受けていない。
いまは血液検査でかなりのことがわかるので、これでいいと考えている。

最近、夫の仕事仲間がバリウム検査で胃の初期癌が見つかり、胃を三分の一切除した。
幸いにも元気で仕事にすぐに復帰したそうだ。
(最近の手術技術は進化して、お腹にほんの3センチの穴をあけ、そこから小さく切った胃を取りだすのだそうだ。)
これはすごい僥倖である。
というのも、バリウム検査で胃がんが発見される確率は、実はとても低いのだ。
そもそも胃がんを発見するための検査なのに、である。

でもどうして、いまだバリウム検査なのか?
この本にも詳しく解説してあるが、胃がん発見には、abc検査という、ピロリ菌の有無を調べ、血液検査で胃の状態がわかる検査方法があるというのに。
それなら体への負担が少なくて済むし、費用も軽減される。
バリウム検査でのバリウム液が飲みやすくなって(前は粘度が強く飲みにくかったのが、さらさらになった)、事故が多くなっている。
腸閉そくを起こして救急搬送されて亡くなるひともいるそうだ。
また高齢者がバリウム液を飲んだあとで下剤をかけても、腸壁にバリウムがへばりつく場合がある。

abc検診では、ピロリ菌がいなくて、胃の状態がよければ、もうなんの検査もしない。ピロリ菌は胃がんの原因要素だからだ。
ピロリ菌がいて、同じ状態なら、ピロリ菌の除菌を行う。
ピロリ菌がいて、胃の状態に疑問がある場合に初めて、内視鏡検査を受ける。
神奈川県横須賀市では胃がん検診は、従来のバリウム検査かabc検査を自由に選択できるシステムになっていて、abc検査受診者の方が断然多いそうだ。

なぜ横須賀市のように全国でならないのだろうか?
副作用があるバリウム検査がはびこっているのだろうか?
それは「検診村」がこの国には存在するからだ。
原発村があるように、この国では利益を得るためには国民のことなど二の次とする経済構造があるようだ。
だから発見率がすこぶる悪いバリウム検査がいまも大手を振ってまかり通っている。
心ある医師たちはバリウム検査の害を知っていて、内視鏡検査を薦める。(内視鏡検査の診断技術を高める必要があるのだが)。

最近では医療検査における放射線被曝の累積量がWHOでもようやく問題視されるようになってきた。
歯科医院でのレントゲン、肺や胃のレントゲン、CTでの検査など日本での検査被曝量は世界でもっとも多いという。
CTは欧米諸国の10倍あるので、検査を受ける機会がそれだけ多いということだ。
検査被曝による癌の発生率はおどろくべき高さ。
諸外国では高齢になるともう癌検診はリスクや進行具合を考慮して、しないそうである。
日本って、過剰検診、過剰医療なのだが、日本人がそれを望むからなのだろう。

健康になるために検診をうけて、それで病気になるって、なんか変じゃない?
どんな検査を受けるか?受けないか?
受ける方も勉強する必要があると思う。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月23日

絲山 秋子「薄情」

絲山 秋子、待望の新刊。
「新潮」連載第一回だけ読んで、あとはぐっと我慢。ひたすら一冊としてまとまるのを待っていた。
待っていたかいがありました。これ、私、大好きでした。
前作の「離陸」はけっして悪いものではなかったし、「物語」を作る作家のイトヤマさんらしく、すごい展開につぐ展開を十二分に楽しみはしたのだけれれど、私にはちょっとスケールが大き過ぎた。
小心者の私には、この主人公の心理の緻密な描写のほうが向いているようだ。

群馬県、または北関東に住む人にとっては、とても興味深いと思う。
群馬のさまざまな土地と道が出てくるからだ。
あれ、この道知っているよ。でも何故知っているのだろう?行ったこと、あったっけ?
と訝しく思う個所が多かったが、はたと気がついた。
そうだ、ついこの前「街道を行ぐ」を見たから知っているんだ!あの本は上毛新聞刊で群馬県のいろんなところを、イトヤマさんが愛車の黄色のフィアット・クーペで駆け回り紹介するものだった。
国道や県道を楽しそうに走っていた。
それを読んだため、すっかり群馬に土地勘があるような気になっていたんだ。
(「街道を行ぐ」は町の図書館に寄付したました。予算がないためかいつも寄贈本を募っているのです。)

さて、「薄情」をどう説明するか。。大好きな作家の作品をあれこれ言うのはとても難しいのです。
主人公は宇田川。三十代。
伯父の神社を継ぐために国学院大学を卒業し、将来は神官となるつもりだ。
現在は実家の群馬に戻って、夏は嬬恋のキャベツ畑でアルバイトし、他のお季節はなにをすることもなく過ごしている。

宇田川は熱くならない。
テンションも低い。密度が高いところは苦手。
そしていつも「境界」とは何かと、考えている。それは彼自身が「境界」に居るからなのだろう。
あちらでもこちらでもない居場所。不確かな場所が自分には適していると思っている。
それは女性に関しても同じで、元同級生の蜂須賀と会っても恋愛未満で、それ以上に発展しそうでしない。

そんな宇田川が心地よいのが、東京からやってきた木工芸家の鹿谷さんの工房だ。
なぜそこが心地よいのか。
それはそこが「境界」だからだ。他所者でありながら、地元に溶け込んでいる。それとも溶け込んでいながら、やはり他所者だからだろうか・・

イトヤマさんも東京生まれ。群馬を自分で選んで住みついた。鹿谷はクラフト作家だしイトヤマさんは小説家だ。
イトヤマさんは鹿谷に自分を投影させているのか。
またイトヤマさんのご先祖様には神官がいると言うし。

宇田川が薄い性格のように、この作品の登場人物もみんな薄い。
鹿谷さんにしても自然消滅的に消えてしまった。蜂須賀は外見に似合わず意外に熱情的ストレートさをもっているけど、彼女もどこか醒めている。
薄く淡く軽く、でも人間関係というものはそんなにたやすいものではない。それだけで終わるものではない。
時に熱く濃く重くもなる。「薄情」にはなりきれない。

最後のエピソードが、いいですね。宇田川にも誰にも「理想」がないけれど、最後のエピソードにはその「理想」が垣間見れる。
人間はちょっとだけ「理想」をもつことって大切。大段構えじゃないささやかな「理想」を。

堪能しました。絲山 秋子は応援しがいのある作家です。
(ほとんどの本をライブラリーで借りるけれど、イトヤマさんは新刊がでると絶対に買う、ほんの数人の作家の一人です!)
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月22日

宮下奈都「羊と鋼の森」

北海道の山奥の森で育った外村は高校2年生のときに一人の調律師に出会った。
学校の体育館のピアノを調律に来た人だった。
その人の仕事ぶりを見て、外村は自分も調律師になろうと決意。
それまで調律師という仕事があることを知らず、またピアノにもまったく縁のない彼だったが、その調律師の仕事には深い森が感じられたからだ。

東京の学校で2年間学び、その調律師の属する楽器店に就職することができた。
楽器店には他にも個性ある先輩たちがいた。調律を以来する客もさまざまだった。
一生懸命に頑張っても届かない。自分には何が足りないのか。どうすればいいのか。
悩み苦しみ、それでも時々得られる仕事のよろこび。

羊のハンマーと鋼の弦。ピアノという分け入っても分け入っても迷うばかりの森。
しかしその森は静かで清らかで、光り輝いている。

なんて豊かな小説なんだろう!
宮下奈津は大好きな作家だが、これは本当に素晴らしい。
これは善きこころのひとが書いた善き物語だと、てらいなく言いきれる。
上に「静かで清らか」と書いたが、これはある意味でとても「力強い」ものではないだろうか。
外村君の直感の鋭さや努力の積み重ねは、力強さを感じる。
彼はそれに気付いていないだけ。じつは周囲の人たちはみんな知っているのだ。

人間はとつぜんおおきくなるのではない。
ひとつひとつ階段を上って、なにかを積み重ねて、それで到達できる場所がある。
外村君にとっては、それが「森」。

たくさんのエピソードが挟まれているのだが、それら全部がとってもいい。
外村君と同じような北海道の山奥に一家で移住した宮下奈津だからこそ書けた一冊だと思う。
極寒の森、芽吹く森、緑あふれる森・・
彼女は森の美しさを知ったのでしょうね。

昨日の発表で、この作品が次回の直木賞候補とありました。
受賞には弱い部分があるかもしれないけれど、良い小説でした。
宮下奈都はいつも人生肯定で、そこが私は好きです。
posted by 北杜の星 at 07:59| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月21日

村上春樹「職業としての小説家」

村上春樹がどのようにして小説家になったか。
どのようにして書き続けて来たか。
また何のために書くのか。誰のために書くのか。
小説家としての自分を語った、とてもパーソナルなエッセイ集。

なんて誠実な人なんだろうと、これを読んだひとなら誰もが感じるのではないだろうか?
ひとつひとつ、とても丁寧な言葉を重ねて書いている。
なかには説明できないような事柄であっても、なんとか言葉にしようと試みているのは、小説家らしい作業だと思う。
村上春樹の愛読者で彼の小説がどのように生れるかに興味のある人が読んでも面白いし、小説家の日常を知りたい人にも面白い。
でもこうすれば小説家になれますよ、という本ではない。
これはあくまで村上春樹にしか書けない村上春樹の小説家としての生き方が書いてあるのだから。

小説家になる前に彼がジャズ・バーを経営していたのは有名な話だ。
世の中に折り合いがうまく付けられなくて、大学卒業後に就職などせず、好きな音楽を聞きながら暮らしたいとバーを始めた。
友人から借金をし体を使い大変だったけれど、それでも若かった彼は奥さんと楽しく暮らしていた。バーも軌道に乗っていた。
そんなある日、千駄ヶ谷の自宅からほど近い神宮球場に野球を観戦しに行った。(彼はヤクルトファンなんですね。)
その試合で、ヒルトンがヒットを打った瞬間、「自分にも小説が書けるかもしれない」と突然思った。
そして台所テーブルで書いたのが「風の歌を聴け」だった。
その本が文学賞候補となったとき、散歩をしていてやはり突然「自分は賞を獲るだろう。そしてそこそこ小説家として成功するだろう」と思ったそうだ。
こういうのを天啓というのでしょうね。
彼は現在でもそのときの感覚を鮮明に覚えているという。

しかし村上春樹は、小説を書くのは、書き続けるのは才能ではないと言う。
もちろんなんらかの才能は必要としても。
才能よりも、体力。持続するのに必要なの尾はなによりも体力なのだと。
だから彼は早く起きて走る、運動をする。書き続けるために。

何のため、誰のため、学校とは?文学賞とは?
たくさんの問いかけに対する彼の答えはどれも彼らしく意外性はないけれど、最初に書いたように、誠実さにあふれていて、つい読みふけってしまう。
私は「ノルウェイの森」くらいまでの村上作品はすべて読んでいる。
いまは長編作家としての村上春樹だが、私は彼の短編のセンスとキレのよさが好きで、今でも時々昔のものを読み返すときがある。
なぜ読まなくなったか?
それには私なりの理由があるし、たぶんその理由は、他の読まなくなった人たちと同じ理由だと思うのだが、今はそれに言及するつもりはない。
まぁ、私が若くなくなったから、、ということなのだろうけれど。

この中で村上春樹が河合隼雄との出会いについて書いている章はとても興味深かった。
彼は誰をも「先生」とは呼ばないそうだが、河合隼雄だけは「河合先生」と呼んでいた。
でも会うまでかれは河合の著作を一冊も読んだことがなかったそうで、そもそも心理学に興味がなかった。
でも彼の奥さんは河合ファンだったので(それすら彼は知らなかった)、「本は読まなくても、河合隼雄には絶対会った方がいい」と薦めたという・・
河合隼雄という人間も村上春樹という人間のどちらもこれを読むとよく理解できる気がする。

村上春樹を熱心に読まなくなって久しいけれど、私の座右の銘はいまも「羊をめぐる冒険」に出てくる一節の言葉なのです!
posted by 北杜の星 at 07:47| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月18日

大西連「すぐそばにある貧困」

高校生活になじめず池袋の街に出たものの、終電車を逃して始発を待つ真冬の明け方、著者は一人のホームレスから焚火にあたらないかと声をかけられた。
正直、ちょっと怖かった。でも火はとても暖かく他のホームレスの男たちはやさしかった。
高校卒業後コンビニでバイトをする彼は、ふとしたきっかけでホームレス支援団体の炊き出しを手伝うことになった。
1987年生まれの彼はそれから数年後まだ二十代でNPO「もやい」理事長となり、本格的に貧困と向き合う日々を送っている。

貧困にはさまざまなパターンがある。
子どもの貧困、若いひとの貧困、母子家庭の貧困、高齢者の貧困、職を失ったひとの貧困・・
いつから日本はこんな国になったのだろうか?
敗戦直後の国民みんなが貧しい時代とは違う。豊かな世の中の片隅で、見ようとしなければ知ろうとしなければ気付かない貧困が、じつはたくさん隠れているのだ。

なかには自業自得としか言いようのない人生を送って来たひともいるかもしれない。
けれど現在の貧困はいつのまにか足元をすくわれて、いとも簡単にホームレスになってしまう危険性をもっている。
著者が関わるホームレスのひとたちもあっという間にそんな境遇となってしまったのである。
貧困は「すぐそばにある」ものなのだ。

彼らには帰る場所がない。
DVで家には帰れなかったり、家賃が払えなくてネットカフェに泊るしかなくなったり、そのお金もなくなれば路上生活者になるしかない。
耐えがたいのは冬の寒さ。体を壊すひとが多い。
そういう彼らを著者たちボランティアは「フクシ」に連れて行き、生活保護申請の手助けをする。
東京でも区によって彼らの扱いはずいぶん異なる。
ある区の収容施設では、二段ベッドで一部屋20人、食事はカップ麺と鳥唐揚げ弁当が毎日。。
曲がりなりにも「自由」だった彼らにはとうてい耐えられず、施設から逃げ出してしまう。
この事実を知って、「あんまりだ」と思った。
そして藤原新也の有名なインドの写真を思い出した。「人間は犬に食われるほど自由だ」とあったあの写真だ。
ホームレスの彼らは「凍死する自由」を選ぶのだ。それほど「フクシ」には劣悪なところがある。血も涙も通わぬ「フクシ」だ。
彼らにも彼らなりのプライドはある。役所の冷酷さはそのプライドをずたずたにする。

生活に困っているひとに不足しているのはお金や食べものといった物質的なものだけではない。
正しい情報にアクセスする手段も持たないことが多い。
生活保護は一度だけしか受けられないと誤った知識を持っていたりする。(役所の係の人間がそう言ったそうだ)、

2006年、当時の総務大臣は「大問題としての貧困はこの国にはないと思います」と言い放った。
あれから10年弱。現在の状況を政治家はどう考えるのだろうか?
生活保護の不正受給者に対しての一般人の目は厳しい。たしかにそうした不正はある。
けれど不正受給者がいるからといって、そっちにターゲットを合わせて、生活保護申請を厳しくしたり、また受給金を減らすのは、福祉の概念として間違っているのではないだろうか。
福祉というものは低きに合わせるものではないと私は思う。
それに生活保護の支給金額が低くなるということは、最低賃金も下がるということを忘れてはならない。

貧困支援に関していま私がもっとも関心があるのは「フード・バンク」。
イタリアでは毎年11月の最終金曜日に、全国のスーパーや食品店において貧困者のための「食糧寄付」を行っている。
スーパーにはそれ用の食品が置かれ、レジで支払うと、そこにはボランティアが待っていてその食品を受け取るシステムだ。
食品はオリーブオイル、パスタ、缶詰や瓶詰など多種にわたる。
みんな千円くらいの食品を買ってボランティアに渡しているようだ。
またこれもイタリアのボローニャでのことだが、ボローニャ大学の学生たちは毎日店で売れ残った食べもの(パンや総菜など)を回収し、それをその日のうちに施設に届けるということをしていて、これはいまでは他の国からも見学に来るほど有名なシステムとなっている。

貧困、それも子どもの貧困は胸が痛む。
学校が夏休みや冬休みになって給食がなくなると、ちゃんとした食事ができない子どもがいるという。
給食が唯一の食事なのだ。
これらかクリスマスやお正月。
私ができることはないかと考え、こちらのあるスーパーの店長さんに「フードバンク山梨」の存在を知らせ、店でなんらかの活動をしたらどうかと提案している。
その店で買った食品だけを寄付するのは、店の営業行為と受け取られかねないので、誰もが家にある賞味期限内の食品を寄付できるように、大きなボックスを用意してもらえればありがたい。
どこの家にも予備の食品があると思う。レトルト食品、調味料、米、乾麺、袋菓子・・(賞味期限内に限る)。
地域の「フードバンク」のHPを見て、どんな食品が受付可能か調べてみてほしい。

先日松本市では、市JAと生協が協力して、フード寄付を募った。たぶんいろんな自治体で実施されているのだと思う。
ようやくこの11月になって、「全国フードバンク推進協議会」が設立されたそうなので、イタリアのように全国一斉に行われるようになればいいのだがと思っている。
せめてクリスマス・お正月に、食べものがないという状況から抜け出せれば。。
posted by 北杜の星 at 07:46| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月17日

橋口幸子「いちべついらい」

昨日に続いて橋口幸子さんの本。
でも出版社は異なって、これは私の大好きな「夏葉社」から発刊されている。
「夏葉社」は若い男性がたった一人、吉祥寺で頑張っている出版者で、ベストセラーには程遠いが、ちょっと気になる作家や著作をそろえている。
本を愛してやまない感じが伝わってくるのだが、じっさいに「本屋」「出版者」がこれからの世の中にいかにあるべきかを模索している姿勢には共感できるし、応援したくなる。
だけどそれだけではなく「夏葉社」の本はどれも、佇まいが美しいのが好きなのだ。

昨日のブログの「珈琲とエクレアと詩人」では北村太郎を描くものだったが、これは田村和子と橋口さんとのあれこれを描いたもの。
北村には絶対的なやさしさを見せていたが、和子にはちょっと厳しいところもあるのが、可笑しい。
でもそれは女同士の目線というよりも、和子という人のありようの問題だと思う。
なにしろ天衣無縫というか傍若無人というか、まぁなかなかのワガママぶり。
それでも見捨てておけない何かが和子にはあるのか、ときにふりまわされつつも、橋口はできる限りのことをしてあげている。
そのつきあいは痛々しくもある。

「珈琲とエクレア・・」には和子は「大家」として登場するだけだったし、その夫の田村隆一にはほとんど言及されていなかったが、ここでは三者の関係のもつれあいがよくわかる書き方がされている。
そのことがこの本の内容を重層的にしていると思う。

和子って本当に北村を愛していたのだろうかと疑問に思う。
彼女はやはり田村を一筋に愛していたのではないだろうか。
田村が自分だけを見てくれない苦しみから、北村を求めたような気がする。
ただ家を出てきてしまった北村に対する申し訳なさはあった。
そのことが著者の橋口さんには許せいないのではないか。
結局は離婚を了承した和子に橋口さんは「なぜ離婚をしたの?」と口惜しがる。
田村は和子に「とにかく独身になりたい」と言ったそうだ。それで仕方なく離婚したのだが、田村はすぐに最後となる5番目の奥さんと結婚したんだよね。ウソツキですねぇ)。

和子に関わりすぎて橋口さんは精神を病んでしまい、ドクターストップがかかって和子とのつきあいを断ってしまう。
「縁」とはいえ、壮絶なつきあいではあった。
しかも離婚をしてしまったが、橋口さんの夫と和子のあいだにはナニカがあったようなのだ。その部分は見逃しそうなほどサラリと書いてあるだけなのだが。。

人と深く関わることの、幸せと不幸せ。
そこには愛憎まじわる感情があるに違いない。
私の人生に「和子さん」がいないのは、平和でありがたいのか、それともさみしくつまんないのか?

「いちべついらい」とは「一別以来」。
ひさしぶりですね、ということ。美しい言葉です。
posted by 北杜の星 at 08:14| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月16日

橋口幸子「珈琲とエクレアと詩人」

先月の終わりの連休の中日に友人夫婦がやって来て、誕生日間近の私の夫にはチョコと手袋を、そして私には美しい本を二冊、プレゼントしてくれた。
これはそのうちの一冊。
副題に「スケッチ・北村太郎」とあるように、著者がある短い時期を同じ家で過ごした詩人の北村太郎との日々を描くもの。

北村太郎の名前は知っているけれどその詩を幾編かしか読んでいない私にとっては、はじめて知る詩人の素顔だった。
この本は「港の人」という出版社の発刊だが、私が知る数少ない北村太郎の詩集が「港の人」。
この出版者がいかに北村太郎を敬愛しているかの証左だろう。

著者、橋口さんの文章が素敵だ。
想いが溢れているのに、感情過多にならないように筆を抑えている。それとも彼女がこうした性格のひとなのだろうか。

橋口さんとパートナーは1980年、鎌倉稲村ケ崎のある家の二階に間借りすることになった。
その家は詩人の田村隆一と妻和子の家だったが、当時隆一は家を出て若い恋人と同棲していた。(なにしろ田村隆一は恋多き男としてつとに有名な人だった。)
和子にも恋人がいて、それが北村太郎だった。
常識で考えれば、(愛人のもとに行ったとはいえ)夫が留守の間に妻が恋人に部屋を貸すなんておかしな話だが、隆一も和子も常識ではかれるひとたちではない。
(北村と田村は少年時代からの親友なのだ)。
遠くに海の見える二階の部屋で、北村は翻訳をし、橋口さんは校正の仕事をしていた。

しかし北村太郎は苦しんでいた。
家庭を捨てたものの、恋人の和子の気持ちは自分だけに向いているのではない。彼女にとっては隆一はまだ大きな存在だと知っていた。
北村の苦しみを傍で見る橋口さんだが、慰めるすべをもたない。
彼らの交流は北村が亡くなるまで、濃く淡く、しかしけっして途切れることなく続いた。

北村は散歩や買い物に出た時、鎌倉小町通りの喫茶店でいつも「珈琲とエクレア」を前に置いていたという。
その姿はときにとても孤独そうだった。

この本に流れる橋口さんの北村太郎へのいとおしさ。
二人のやさしさがせつない。
手を差し伸べても差し伸べても、救うことのできないもどかしさ。
橋口さんの筆はそうした彼女の「せいいっぱい」をよく表している。

明日は同じ著者の本で、北村太郎の恋人だった田村和子さんのメモワールを紹介します。
posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月15日

津村記久子「この世にたやすい仕事はない」

津村記久子は「仕事」をする女性を描き、三十代、四十代の女性の愛読者をたくさん持つ作家だ。
彼女の作品のなかの主人公に自分と等身大のものを感じるからだろう。
そしてそのリアルさに「うん、うん。そうなのよ」と同感する。

でも今度のこの「この世にたやすい仕事はない」はちょっとニュアンスが違う。
ここに並ぶ「仕事」はありそうでない、つまりは架空の仕事なのだ。
それは連作である各章のタイトルを見ればわかる。
「みはりのしごと」「バスのアナウンスのしごと」「おかきの袋のしごと」「路地を訪ねるしごと」「大きな森の小屋での簡単なしごと」。

どの仕事もいったいどんな仕事なんだろうと思う。普通っぽいものもあるにはある。
でも、モニターを一日見張って、盗み撮りした部屋の住人が「ブツ」をいつ受け取るかを調べる仕事とか、普通じゃない。
地域巡回バスのアナウンスも仕事はそれ自体はあるものだが、同僚がなにやら怪しいし、森の仕事はどこか不気味。
そう、ここに並ぶ仕事はどれも不穏な空気をまとっている。どこかシュールな気配もある。
こういうアンリアルなものも書ける人なんですね、津村記久子って。
私はこういうテイストが大好きなので面白かった。

主人公は前の職場でひどいパワハラを受け、人間関係に疲れ、ハローワークではそんな人間関係のない仕事を求める。
仕事を斡旋する人もそれを理解し、彼女に薦める仕事は、彼女にぴったりのもの。彼女だって自分にぴったりと思っている。
だけどどうしてか続かない。(私だって、続かないと思う、人間関係とは違う意味で疲れるんだもの)。
ホント、「この世にたやすい仕事はない」んですよね。

私ならこのうちのどの仕事を選ぶだろうと考えてみると、最後の「森」かな?
大きな森林公園の中の小さな小屋で一日過ごし、午前と午後に森を見回るという仕事。
あまり何にもないのもよくないと、ある催事のチケットにミシン目を入れる業務をあてがわれるのだけど、単純作業にしかすぎない。
森林浴をしながら一日過ごすって悪くなさそうだけど、まぁそれでも主人公にはいろいろなことが起こる。
構成も登場人物(隠れた、でも重要なサッカー選手も含めて)の設定も、この章は素晴らしい出来だと思う。
それにしても森林の樹木で花粉症になってしまうなんてお気の毒なことだ。(冬にも花粉症って、木によっては発生するんですね。)

一般の仕事を辞めて作家に専念するようになった津村記久子がちょっと心配だったけれど、こういう作品を書くとは意外でした。
仕事という話の展開のさせ方、見事です。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月14日

中野翠「いちまき」

中野翠が好きだ。
彼女の感受性、とくにモノやヒトに対する好悪の感覚には、「あぁ、こういうモノが好きとは理解できるな」とか「こんなヒトが苦手なのは気が合うな」と理解できること多々あるからだ。
彼女が夢中な落語や歌舞伎などの江戸趣味は私にはないのだが、映画に関する方向性にはかなり同質なものを覚える。
その彼女がファミリー・ヒストリーの本を書いた。
とても意外だった。
私がそういうルーツ探訪にまったく興味ないせいで、中野翠に少し裏切られた感じがしたくらいだ。
まさか彼女にそんなところがあるなんて、と。
私は「血族」だの「系譜」だのがもっとも苦手で、親類づきあいもなるべくなら避けたいくらい。そのかわり他人である友人との交際には心を尽くしたいと常日ごろ思っている。
「いちまき」とは「一族」という意味。
この本には中野翠の「いちまき」について書かれているのだ。
苦手ではあるけれど、「ある家老の娘の物語」の副題をもつこのノン・フィクション、とても面白いものだった。
ご先祖さまたちの相関が私には難解だったが、家系図を何度も何度も参照しながら読んでみた。

中野翠は父親がの遺品を整理していたときに、曾祖母「みわ自伝」の小冊子を見つけた。
みわは翠が生まれる前に亡くなっていたが、親類間でみわの話題が出ることはあったので興味を覚えその小冊子を読んでみると、次第にルーツ探しにはまってしまったのだという。
みわは桜田門外の変の半年前に桜田門「内」で生れた。
関宿藩(千葉県北部)の江戸詰め家老木村正右衛門正則の娘だった。
世が世ならおっとりしたお姫様のような生涯だったろうに、新しい日本が近づいていた。
みわの父は佐幕派のリーダーとして戦い敗退。一家はちりぢりとなる。
やがて正右衛門は徳川慶喜とともに静岡県沼津に移住し、そこで職を得て、「大夢」と改名。一家はやっと揃って暮らせるようになった。
・・そしてみわは中野家に嫁ぐのだが、その間さまざまな人たちが交わり、たくさんのことが起こるのだった。

曾祖母が家老の娘などとあると、これってもしかすると「実家自慢?と鼻白む気がする人がいるかもしれないが、(じっさいに「実家自慢」する人ってイヤミで、たいした実家じゃないほどするものなんですよね)、中野翠は全然そうじゃない。
自分のたった三代前の人が江戸の生まれで、桜田門外の変や彰義隊や上野戦争など遠い前の歴史と思っていたことが、こんなに身近だったという驚きと親しみ、それと彼女特有のモノゴトを面白がる性格が伝わってきてこちらまで楽しくなるし、興奮してくる。
親戚縁戚にはかなりの文化人がいるし、あの明治時代の洋画家のはしりだった浅井忠もご先祖さまだったと判明している。
こうしたルーツ探しは物故した縁者が多いと難しいものだが、中野翠が書いているように「まるで何かに操られている」としか思えないような人や資料との出会いがあったようだ。
以前住んでいたりよく行ったところが、ご先祖さまの縁ある土地だったりとか、不支持な導きがあったのだろう。
中野翠が「いちまき」を書いたことは単に彼女の親族のためだけでなく、明治以降の日本の歴史のためにも有意義だったと思う。

つい最近ある友人とお茶したのだが、彼女は甲府出身で、祖父という人は甲府で初めてのデパートを作ったのだと言う。
そのデパートは残念ながら今はもうないのだが(後からできたライバルのデパートは残っている)、一族のことを書いたらちょっと面白いだろうなと、書くことが好きでこれまでも海外滞在記を2冊上梓している彼女は話してくれた。
これなども彼女の一族のみならず、甲府という街の歴史の一端として面白そうなのだが、その当時を知る人はもういないとのこと。
母にでも聞いておけばよかったと後悔していらした。

かくいう私の「いちまき」はどうなのか?
そんなことにとんと興味のない私だが、もし興味があって書こうとしても、山口の山奥で林業に携わってきたご先祖さまなど、ただの山猿。歴史的人物など一人もいない。
誰も読まないよね。
posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月11日

白神典明「冷えない人はやっている シャワーお灸」

時々健康本を読む。
読んだときは「やってみよう!」と試すのだが、永続きするものはほとんどない。
これは継続できないという私の悪い性格もあるのだが、効果のほどがはっきりしないという理由もあるのではないか。
もしグングンと良くなれば、うれしくてすると思う。
体を動かすのが面倒なので、運動系の健康本は読むだけで終わることが多い。

でも、これ、すぐに大きな効果があったんです!
ちょうど風邪をひいている時で、風呂もシャワーもやめていた期間、仙骨に「シャワーお灸」を本に解説してあるとおりにしてみた。
すると、一晩中ベッドのなかで体がポカポカ!
しかもぐっすり眠れて、朝の目覚めもすっきりだったのだ。

翌日夫にも薦めた。
彼はやせっぽちなせいか、寝ている時に足先が冷えると言う。湯たんぽをするときもあるくらい。
「熱いよぉ」と言いながらも「シャワーお灸」をしていた。
朝起きて「どうだった?」と訊いてみると、「うん、一晩中すごく暖かった」と。
夜だけではないんですね。たった数日続けただけなのに、日中もなんだか体がじんわりあたたかい。
これって何?「シャワーお灸」って何なのよ?

著者は鍼灸師。二十年もの間患者さんの体の不調を診て来た。
冷えや血行の悪さで体を壊している人がとても多かった。
夏はエアコン、冬に冷たい食べものや飲み物、睡眠不足やストレス・・
現代人の体は温める必要がある。

著者はお灸をと考えたが、お灸は熱い、煙が困る、ツボを探すのが難しいという問題があった。
そこで考案sれたのが「シャワーお灸」。
熱いお湯をおおまかなツボに当てる、温度を高くしながら3回繰り返す。
ツボのポイントは何か所かあり、下の部位から始めてゆく。
足の指、膝、仙骨、おへそ、肩などなど・・
改善したい症状により、部位を変えていけばいいのだが、一番重要なのが仙骨。
面倒くさがり屋の私はまず、仙骨だけに「シャワーお灸」をしてみた。
まず、熱めのお湯を10秒〜15秒、温度を上げてまた10〜15秒、そして最後にぎりぎり耐えられるくらいの45度から47度の湯温で30秒。
(夫が「熱いよぅ」と言ったのは最後のこのとき。)
皮膚が赤くなるほど熱くなければ駄目だそうだが、くれぐれも火傷をしないように気をつけて下さい。

でも「シャワーお灸」はそのツボがとくに熱くなければ効かない。
だからお風呂で体全体が温まっていると効かないそうだ。
お風呂は先に入って、夜寝る前に「シャワーお灸」だけして眠るというのがいいみたい。
ほんの数日続けただけなのに、夜だけじゃなく昼間も体がポカポカしてるんです!これ何?って感じ。しかも仙骨にしかしていないのに。
冷え症の方や低体温の方には是非お勧め。騙されたと思って試してみてください。
これなら真冬のゴルフも、夫はそう寒くないかもね。

そうそう、夜するとぐっすり眠れるけど、朝するときりりと活力が生まれるそうです。頑張らなきゃいけない日には朝も「シャワーお灸」をするぞ!

posted by 北杜の星 at 07:29| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月10日

芥川龍之介ほかアンソロジー「ずっしりあんこ」

あんこに関する39人の作家たちによるエッセイ集。
芥川の他には、内田百閨Al池波正太郎、井上靖、幸田文、吉屋信子ら旧い作家たち、山本一力、野中柊、穂村弘、糸井重里など最近の作家たち。
私の大好きな平松洋子も並んでいるし、手あかの付かない文章を書く武田花や孤高の歌人と呼ばれた塚本邦雄もいるのがうれしい。
深沢七郎や東海林さだおとか「あんこ」好きなのはわかるとして、芥川や上野千鶴子や手塚治虫などが「あんこ」に目がないとは少々意外。
意外でないのが辰巳芳子の書く「手づくりの餡の魅力」でのこしあん作りの面倒くささ(すみません、丁寧の間違いです)!
そう、粒あんと違って「こし」は大変なんですよね。(一度も作ったことないし、つくろうとしたこともないけど)。
その「こしあん」を好むのがあのリンボウさんこと林望で、なんにでもこだわりを持たなければ気のすまない彼らしく、「こし」へ偏愛が記されている。

私も「あんこ」は大好きだ。
虎屋の「夜の梅」の薄切り。空也はなかなか買うのが大変なので吉祥寺の小ざさのもなかがあれば、お三時が楽しい。
昔は練り切りもこしあんの饅頭も嫌いで、あんこは粒と思っていたけれど、歳を取るにつれて「こし」のあの上品な癖のない味も好ましくなった。
今は饅頭は「こし」の方が好きなほど。(もなかはやはり「粒」)。

このアンソロジーはどれも面白くて全部を紹介したいのだけど、そうもいかないので、興味ある方には読んでみてもらうとして、ここでは安藤鶴夫の文章を紹介したい。
「たいやき」という一文である。
安藤は1908年東京生まれの直木賞作家。落語好きな典型的な東京人で1969年に没している。
その安藤が小石川から四谷見附から入ったところに移り住んでまもなく、歩いているとある路地に迷い込んだ。
そこは「小達横丁という名のわびしい路地」で、カタリコトリと老夫婦がたいやきを焼いていた。
一つ買ってその場で食べた。しっぽまであんこが入っていた。
それを親父さんに「えれえな、小父さん」と褒めたら、親父さんは感激。
「この店をはじめまして、もう一年と一寸になります。実はひそかに、だれかお客さんが、しっぽにあんこが入っているということを、いってくれないものかと思っていたが、もう一年ちょっとになるのに、だァれもそれをいってくれたひとがない。いま、旦那にそれをいわれて、一生懸命にたいやきのしっぽにあんこを入れていた甲斐があった」。
そう言って親父さんは涙を浮かべたそうだ。

後日安藤はそのしっぽまであんこの入ったたいやきのことをある新聞のコラムに書いた。
するとこれまで書いてきたどんな文章よりも大きな反響があったという。
以来、たいやき屋は大変なことになった。
麹町に家を普請していた吉衛門から注文が来る、近くの内藤のお殿様みずから買いにおいでになったり、吉川英治から運転手が言いつかって買いに来る・・
店は老夫婦だけではきりもりできなくなり、税務署を辞めた息子、そのお嫁さんまでもが働くようになり、電話をひいて配達のオートバイも買った。

そう、わかる人はわかりますよね。
四谷のたいやき「わかば」のことです。
市ヶ谷に住んでいた頃はときどき買いに行っていました。まさにしっぽまでしっかりあんこの入ったたいやきです。
これは多分、わかばが続く限り変わることはないでしょう。
(当時、わかばの隣には能の「若葉舞台」があったそう。)

四谷というのは今では高級住宅街なのだが、あの界隈は今でも庶民的でおもしろい一角が残っている。
四谷三丁目あたりの昔花街だった荒木町などはいまではお洒落な飲食店ができて新しい街になっているけど。
もし今度東京に住むとしたら、じつは私はあの周辺に住みたいと考えているのです。
地震が起きたとしても、都内のとこからも歩いて帰れる距離。
新宿青山はもちろんのこと、渋谷からだって銀座からだってそうは遠くない。
都心なのにちょっと歩けば神宮外苑や新宿御苑があるし、お堀の桜もきれい。
いいなぁと、考えている土地が四谷界隈なのです。
posted by 北杜の星 at 07:21| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月08日

青山七恵「繭」

なんて暗く重い小説だろうというのが「繭」の印象だった。
芥川賞受賞の「ひとり日和」とはずいぶん趣が違う小説だと思った。
でもよく思い出してみるとあの「ひとり日和」はタイトルほどほのぼのしたものではなく、二十歳の主人公のあの女の子はかなり不穏さを孕んでいた。
その不穏さがより増し、不可解さが大きくなったのがこれだ。
登場人物の誰一人として、理解しやすい人間はいない。

舞は三十歳半ばの美容師。やっと自分の店が持て張り切っている。
夫のミスミも美容師だが仕事が続かず、現在は主夫として家事をしている。
傍からは何不自由のない幸せなカップル。彼らもそうであるとは思っている。
しかしどういうわけか、舞はときどき自制できずにミスミに家庭内暴力をふるってしまう。夫が妻にではなく、妻が夫にだ。
暴力をふるわれ傷つけられても、ミスミはけっして抵抗しない。
それどころかいつも謝り、舞を守ろうとしている。

舞の店に客としてやってきた希子。
同じマンションに住んでいることがわかり、言葉を交わすようになるが、それは「友達」とも違うニュアンスの繋がり。
希子には道郎という恋人がいるが、道郎はまるで逃亡中の凶悪犯のようにも思えるほど、いつのまにか来ては去って行く。

前半は舞が語り手、後半は希子が語り手となる。
舞とミスミと希子の関係のバランスが崩れるのは、ちょうど真ん中あたりから。

だれもがとても不安定な関係性のなかでもがいている。
しかしそれはある意味では「繭」の中のように、居心地がよいものでもある。
そこから出なくてはと思いながらも、自ら繭を破って出て行く勇気がない。
だからどんどん自分も開いてもを壊してしまう。

とくに舞は痛々しい。
平等な関係性を強く求めながら、そんな関係はないとどこかでわかっていながら、叶わないことに苦しんでいる。
そんな舞に優しくすることしかできないミスミは、私にはもっとも理解不能で不気味にうつる。
いつも何かから逃げているような気がする。
これではみんなが狂ってしまうのではないか、破滅してしまうのではないか。
どこに救いがあるのか?
だけどそんなミスミだって、水がコップから溢れるように、決壊してしまうのだ。。

読み終わって、「ふぅー」と深いため息が出た。
それでもこの「繭」は、このところ満足できないでいた青山七恵作品の中では突出した出来のものだと思う。
読み始めると一気に読ませられるし、読み応えがある。
無理矢理のエンディングを創らなかったのもいい。
そのことで余韻がいつまでも残るし、舞や希子はどうなるのだろうと思いをはせることができる。

読後感が良いとはいえないKれど、これ、私は好きでした。
久方ぶりの大満足の青山作品。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月07日

絲山 秋子「街道を行ぐ」

この「街道」は「けぇど」と群馬弁で読んでほしい。「行く」も「行く」ではなく「行ぐ」。
東京で生まれ育ったイトヤマさんは会社の営業職をしていたころに、群馬県高崎勤務となった。
以来その地を気に入り、現在では一軒家を建てて犬2匹とともに暮らし、しっかり地元に馴染んでいる。
彼女はよくある文壇つきあいをまったくしない人で、作家や編集者たちとの交流よりは、地元の普通の人たち、またミュージシャンたちとセッションをしたり(イトヤマさん、ベースを弾くんでですよ)、もの書きではないところでの暮らしを楽しんでいるのだが、そういうところ画私は好き。
今やまったくの群馬人。
よその土地から来た人が群馬はいいところですねと言おうものなら、わがことのようにうれしくなるそうだ。
そんなイトヤマさんが上毛新聞に月一で連載していたものがこの本となった。
彼女のブログでどこに行ったかは読んで知っていたが、そうか、こういうドライブだったのねと納得。
ハッピーさがじんじんと伝わってくる。
なにしろ車が好きでドライブが好きなイトヤマさんだ。愛車の真っ黄色のフィアット・クーペを駆って大好きな群馬の国道や県道や山道を走りまわるのだからさぞ面目躍如だったことだろう。
ましてや訪れた先で出会う人たちが素晴らしかったら、もうこれ以上の幸福はない。

赤城や榛名、最近世界遺産になった富岡、前橋や高崎の街、牧場、野菜畑・・
群馬は広い。山もあれば平地もある。(山梨と同じで海はないけど。
「けぇど」を走るイトヤマさんの活き活きしていること!フィアット・クーペが飛び跳ねているようだ。
だけどこの本の主役はイトヤマさんではない。群馬の「道」である。イトヤマさんはその道案内役だ。
国道○号線、県道○号線とアクセスの仕方に沿って走ると、さぞ心地よいドライヴができるだろう。

私は群馬にあまり縁のない人間だった。
軽井沢に行くときに通り抜けるところという感じで、だから行く時はたいてい夏で、藤岡あたりはいつも暑かった。その印象しかなかった。
それが十数年前、東村のある家族のための家を夫が設計することになり、以来そこの奥さんのCHさんとの交流ができ、なかなかお会いはできないもののわたしにとっては大切な友人となっている。
その東村もいまではみどり市東町と市町村合併になった。
この本の第6回、「渓谷寄り添う二つの道」(国道122号)で、その東町が紹介されている。

そう、353号から122号に突き当り左折すると、とたんい風景が変わる。その変化にまずびっくりする。
みどり市と名付けたのはまったくその通りで、みどりあふれる道となるのだ。
右にはわたらせ渓谷鉄道が走っている。走っているという言葉が当てはまらないほどのどかに動いている。
友人の家のすぐ後ろ、手で触れるほどの近さを通るのにも驚いた。
花輪という駅が立派で大きな家々が並んでいたのがちょっと意外だったが、この本で理由がわかった。昔は銅(あかがね)街道の宿場町として栄えたのだという。
文化財T後なっている旧住宅や小学校もあるらしい。
いつか行ったらぜひ見学してみよう。
(東村や黒保根あたりのうどんは美味しくて、とくに舞茸うどんは絶品!黒くて甘じょっぱいお汁が麺と舞茸にからんで本当に病みつきなる味だ。冬にはあれが恋しくなる時がある。)

群馬は山梨と同じくちょっとマイナーな県ではないだろうか。
でも分け行ってみたり住んでみると、いいところがたくさんあるんですよね。
行くのに渋滞がないのもいい。東京からだと中央道や関越道にたどり着くまでに時間がかかし、帰りも大変だ。
地方住まいのメリットを生かしていろんなところにドライブしたいものだが、その選択肢に群馬を加えてもいいかも、ですね。
あ、でもこれ、他県の人ではなく群馬の人が見るほうがもっと面白いかも。
よく知っている場所、意外に知らない場所、両方向から楽しめると思います。
posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月04日

堀江敏幸・文/MARUU・絵「御伽草子 象の草子」

御伽草子は室町時代から江戸時代に成立したおとぎ話の総称で、「神仏の化身や擬人化された動物が登場するなど、多種多様な物語が絵とともに描かれている」。
この「大人のための絵本」の御伽噺草子は全6巻として講談社から出版されているもので、作家と画家のコラボレーションとなっている。
物語の原型は御伽草子にあるのだが、作家のイマジネーションと創造力を膨らませ新たな物語ととなっている。
6人の作家の名を記すとこの堀江敏幸の他に、町田康、日和聡子、藤野可織、青山七恵、橋本治。
町田康、日和聡子、藤野可織など適任中の適任と思われる。

「象の草子」も堀江敏幸がお話しをアレンジしている。
もとの御伽草子には象は登場していないそうだ。
でも象を語り部としたことがユーモアを感じさせ、おおらかな雰囲気を生んでいると思う。

「洛中の猫のつなをといて、自由にしてやること」というおふれが出た。
当時「京のまちでみなが猫をかくし飼いし、くびにつなをつけてとおくににげないようにしてあった」のだ。
自由に放たれた猫は大喜び。
けれど鼠はたまったものではない。ましてや人間は猫が鼠を退治するのでこのおふれがいつまでも続くように願っている。
困った鼠の老鼠法師は僧師のもとに行き訴えた。
猫又和尚も負けてはいない。
猫と鼠の攻防、さて、僧師の裁定はいかに・・

物語を書き出せばこれだけのお話しなのだけれど、「大人の絵本」と銘打つだけあって、豊かな言葉と知識の海にたゆたうことができる。
上に引用した「洛中の・・」の文章にあるように、ひらがなと漢字のバランスに慣れないうちはちょっと戸惑ったものの、それさえも心地よくなってくる。
堀江敏幸らしさがきっちり出ているのも読んでいて「なるほど、こういうところが堀江さんだよね」と納得。
堀江敏幸は作家であることはもちろんだが、フランス文学者でもある。
でも彼はじつは、日本の古典に精通している人なのだ。
だからこの企画にオファーがあったのかもしれない。
彼らしいそこはかとないおかしみがいいし、言葉だけでなく(聴こえない)音楽が感じれるのが、またいい。
エッセイや書評ばかりではなく、こういうものでもいいから、堀江さんには物語を書いてもらいたいものだと思う。

堀江さんのこれはライブラリーにあったのだけど、町田康のはまだないみた。
買ってくれないかなぁ。
町田さん、こういうの大得意だもの是非とも読みたい。

最後になったけど、MARUUさんの絵はダイナミックでそれでいて繊細なタッチで、楽しかったです。
posted by 北杜の星 at 07:22| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月03日

大島真寿美「空に牡丹」

静助は村の名主の次男坊。
後継ぎである兄は勉学のためご一新後の東京へ出て、すっかり東京の水に慣れて村に戻る気配はない。
学校制度ができても静助は学校には馴染めず、寺の向陽先生が懐かしい。
父庄左衛門の後妻である静助の母は小さくなって暮らしていたが、初めて東京を訪れて以来東京にあるきらびやかな物品に心奪われ、自分でそれらを仕入れて店を開くようになった。
その店は繁盛し、やがて兄が経営に参加、静助の幼馴染である了吉までが店員となる。
世の中が大きく動く日々で静助だけがぼんやりと過ごしていたが、元花火師が村に住みつき、村祭りに花火を打ち上げたことから、彼歯花火に夢中になっていく・・

花火に魅せられた男の物語。
・・なのだが、花火をつくる職人でもなく、名主の父の遺した財産を花火をあげるために散財するだけの静助には、あまり感情移入できなかった。
だって、一所懸命なところが全然ないんだもの。
はっきり言って、つ
まんない男という印象。
この小説の中で、いったい誰が主人公なのかがはっきりしない。
もっと人物を絞った方がよかったと思う。
兄の描写も中途半端、後妻の母も尻切れトンボ、静助にいたっては「しようのない男」としか受け止められなかった。
登場人物に心ひかれない小説ってちっともワクワクしないんですよね。

どうもこのところの大島真寿美は前ほど好ましくない。
初期作品は小品であっても、彼女にしか書けないセンスがあった。
「宙の家」「チョコリエッタ」「水の繭」「香港の甘い豆腐」などは、心にいつまでも残のものだった。
いつまでも初期に留まれと言っているわけではない。
でもニュアンスは失ってほしくないな。

筆力はあるし、書ける人ではあるのだから、次作に期待します。
posted by 北杜の星 at 07:58| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月01日

星野智之「呪文」

ひさしぶりの星野智幸。
そういえば、彼って寡作ですよね。それが理由なのか彼の作品には好き嫌いはあっても駄作が少ない。
この「呪文」もいいです。
こういうのを書いても、あの中村文則のようなつまんない小説にはらないのが、さすが。
あり得ないような物語をリアルに感じさせる力があるし、骨組も登場人物もじつにしっかりしている。

霧生は松保商店街にメキシコのサンドイッチ「トルタ」の店を出した。しかし客の入りはぱっとしない。
そもそもこの商店街はさびれていく一方で、次々に店が閉じられ、なかには夜逃げする店主もいるほど。
こんな商店街を活性化させようと現れたのが若きリーダーの図領。
彼は地元老舗酒店の娘と結婚し、飲食店を開業。その店はかなりはやっていた。
そこに悪質なクレーマーがやって来て、SNSを利用して店や商店街の営業を妨害し始める。
ただでさえ人の入りの少ない商店街は困り果て、商店主たちで自衛団「未来系」を組織する。
それが功を奏し次第に客が戻って来たのだが。。

この「未来系」が怖いんです。
はじめは霧生も希望をもったのだが、「未来系」の経済原理に疑問を持つようになる。
エスカレートする「未来系」。
暴力と経済的陰謀。

でも私が怖かったのは、正義の蓆旗を掲げての行為だ。
悪質なクレーマーに対抗する「正義」。商店街を再興するための「正義」。
「正義」を前面に出せばなんでも許されるものなのか。
わかりやすい悪意と「正義」の顔をした暴走と、どちらが怖いか?

サスペンス的なストーリーなので詳しい内容は書けないが、これ、本当に面白かった。
霧生のトルタの店はなんとか踏ん張ってもらいたい。
このトルタ、作るパフォーマンスを含めて、楽しく美味しそう。
星野智幸はメキシコに住んだ経験のある人だから、そのときにトルタが好きだったのだろう。
トルタのことを書く筆は、活き活きしている。

そういえばちょうど2年前、友人夫婦とシチリアのシラクーさに行った時、パンニーノ屋さんのパフォーマンスもすごいものがあった。
次々にパンにいろんな具材をはさんでゆく手つきは、もうアーティスト。
私たちはキャッキャと大喜び。しかも驚くほど安かった。
後から知ったのだが、そこはシラクーさでも有名なパンニーノ屋さんだったらしい。偶然昼時に通りかかった私たちはラッキーだった。
私たち四人にずいぶん時間をかけて作ってくれたご主人に感謝だが、長い行列でじっと待ってくれていた他のお客さんたちにも感謝。
(日本人だとこの辛抱強さはないです。それこそクレームがくるでしょうね。「早くしろ」って。)

クレームのつけ方は難しい。
でも品物や店の対応に納得できない時には、クレームをちゃんと述べるのは必要なことだと思う。
ただしネットを利用しての悪口拡散は卑怯ですよね。

とにかく、この本、一読の価値あり。
posted by 北杜の星 at 07:21| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする