2016年02月29日

青木淳悟「学校の近くの家」

高熱がおさまった後、ひたすら小説が読みたくて読みたくて、一番最初に選んだのがこの本。
熱でぐちゃぐちゃの豆腐状態になった脳ミソに青木淳悟がふさわしいかどうかは難しいところだけれど、だからこその理解力も出るのではと期待したところもあった。
でもやはりクセモノですね、青木淳悟って。

主人公は杉田一善。小学五年生。
小学生が主人公だからといって無邪気なお話しでないのは、青木作品だもの当たり前。
まず現在のお話しよりも、小学二年生、三年生、四年生のころの出来事が、繰り返し繰り返し登場する。
小学五年生の幼い子どもにも「過去」があるのだと、ちょっとおかしかった。

舞台は埼玉県狭山市。
学校の正門から徒歩1分もかからないところにある一善の築40年になる家。
教室の窓からも家が見え、家からも教室が見える。
集団登下校の列に加われないほどの短い距離にある家だ。

学校の行事、先生たち、男子生徒と女子生徒・・
だんだん「フツー」でない感じが強くなってくる。
父親と一善との距離は微妙だし、なによりも変なのが43歳で一善の妹三矢を生んだ母親である。
みんな不穏な空気をまとっている。
そして狭山で起こった連続少女誘拐事件が暗い影を落とす。。

でも上に書いたことがこの小説を説明しているかというと、とんでもないのです。
全然、雰囲気は伝わってない。
なにしろクセモノなんです、青き淳悟は。直球球を投げる作家ではない。
でもどこか面白い。この面白さにはまるとクセになるんですよね。
狂気というほどはっきりした狂気ではないけれど、確かに彼の小説は狂気に膨らむものを孕んでいて、それがワクワクする文学になっている。

こういう一筋縄ではいかない小説を読むと、「負けないぞ!」と元気になります。
posted by 北杜の星 at 07:25| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月26日

ハッチの身辺雑記

月に一度のハッチの身辺雑記です。

今月は何から書こうか?ずいぶん大変だった一カ月なので書くことがたくさんあります。
時系列でもいいのですが、ここはやはり、大きな出来事から。。

とうとう井戸のポンプが壊れました。しかも突然。どこのスウィッチをつついてもウンともスンでもない。一滴も出ません。
夫が確かな井戸業者さんを紹介してもらい、急きょ来ていただき、資材の手配をしてもらって新しいポンプを取り換えるまでの約1週間、水無し生活でした。
災害用のためにバスタブの水は落としていないので、トイレ用の水はなんとかその間の分は確保。水は夫がメンバーになっているゴルフ場でもらい水。
ゴルフ場に隣接のホテルに特別にお風呂に入らせてもらったのは助かりました。しかもバスタオルとフェイスタオル付きの温泉なのです。
困ったのが洗濯です。1週間も洗濯ものを溜めたら大変な量になります。
これは友人のO家に二度ほどお世話になり、しかもすき焼きの夕食までご馳走になって、本当にありがたいことでした。

水がないので食事の支度ができません。お昼はほとんど外食。こんな時には美味しいものを食べて気分を上向きにしなくっちゃとばかり、好物の鰻とか蕎麦とかを楽しんみました。
でも外食はどうしても野菜不足になるんですね。
しかも毎朝夫特製の生ジュースが作れない。ジューサーって後始末が大変で、多量の水を使うのです。
結局なにが一番食べもの飲み物で恋しかったかと言うと、この朝の人参ジュースでした。それと根菜の煮物。ハスや牛蒡や里芋などのお煮〆を我が家ではよく作るのですが、これもできない。だって自然食品店や生活クラブの野菜は泥付きなので洗うのに水が必要なんです。
スーパーのお惣菜は最初からパス。買う気がまったくしません。
何を食べてたんだろう?パスタも茹でるの多量の水が要るので一度も食べませんでしたね。
夫の友人が二人やって来た時には、ちょっと高級な冷凍ピッツァがあったのでそれをオーブンで焼いて、これはわりと好評でした。もちろん紙皿と紙コップで。
(トイレはそこらへんで「立ちションして」とお願い。だって自然の中だもの)

水無し生活で意外なことに気が付きました。
手を洗うという行為を、思いのほかしているものなのです。外出から帰ったら洗うのはもちろんのこと、家の中でちょっとしたことの後で手を洗っていたのです。
生活用水として汲み置いた4リットルのペットボトル(近所の農家の人が晩酌に飲む焼酎の瓶だそうで、頂いて重宝しました)のほとんどは、手洗いに消費した印象があります。
「こんなに手を洗う毎日だったんだ」というのが、水無し生活の感想でした。
でも石鹸をつけて洗っても、思う存分すすぎができないため、なんか手が痒くなって困りました。ザブザブすすぎが今はなによりうれしいです。

今回の工事で判明したのは、ここの井戸は50メートルのボーリング、水中ポンプは40メートルのところに設置してあり、水深は27メートルということです。
最初の見積もりよりは一回り大きなポンプが使われていたのと、電気の操作盤も新しくしたので、結局70万円の請求でした。
二日間のクレーン車を無料に、操作盤を半額にしてもらってのこの値段は、安いと言ってもいいでしょう。
なにより親切で仕事の丁寧な業者さんだったので、これからのメンテナンスのことを考えると、正解だっと思います。
このポンプ工事費は7軒で割るので、そうたいした出費ではありませんでした。
これから20年は水は安泰です。バンザーイ!

水無し生活が多大なストレスだったのか、水が出るようになったその夜から、高熱が出ました。
39度の熱は久しぶり。最初はインフルエンザかとも考えたのですが、熱があっての体の節々が痛いわけではないし、喉痛も頭痛もない。咳はその前の風邪をひきずっていたのが、数日前からあったにはあったけれど、これは「インフルエンザとは別物」と判断。
幼いころから「熱体質」で疲れたりショックを受けると高熱が出ていました。これが知恵熱なら今頃は大天才だというくらいの熱の出かたなんです。
一晩で39度から37.5度にひいたけれどまだ平熱ではありません。
食欲はまったくなし。アイスクリームとりんごなら食べられる状態が数日続き、白いご飯とお味噌汁が食べられるようになったのがやっとつい最近のこと。
(でも寝ている最中から、「カレーが食べたい」と思い続けていました。それもこのブログにコメント下さったことのあるKONAKAさんのレシピの本格ネパールカレー。早速一昨日、作りました。食べました。美味しかったです!本格だけど簡単なので病後でもラクに作れました)。
ただ熱は下がったものの、あの高熱が完全に下がるにしては汗のでる量が少なすぎる。まだ体のどこかに熱がこもっているのかもしれませんから注意しなくては。
(鍼の先生にカレーが食べたかったことを話すと「汗をかいて、体から熱を出そうと自然にしたのでしょうね」ということで、納得でした)。

病気といえばもうひとつ、これは深刻なことです。
うちの事務所の設立以来お世話になっている公認会計士さんのWさんが膵臓がんになって2週間入院されました。
2月3月は会計士さんにとってもっとも忙しい時期。
それも理由なのか、入院治療は抗がん剤を選択され、入院中もPCを持ちこんで仕事をされていたようです。
こんなときに税金申告を依頼しても大丈夫かとお尋ねすると、「大丈夫だから送るように」と返事があり安心しました。
事務所分と、夫と私は年金のほかにまだ給与所得があるので二人分の申告をお任せしたのでした。
フランス料理とワインがお好きなWさん、美食を少しひかえて、養生してくださいね。

今月は水無し暮らしと病気暮らしでほとんどをフイにしましたが、温泉に一泊で行きました。
まぁ行きたくて行ったわけではないのですが。。
というのも夫の一級建築士免許更新の講習が石和であったからなのです。
石和温泉は近いけれどなんか「ヤクザ」って勝手な思い込みが私にはあって、どうも行きたいところではなかった。
1960年ごろ畑の真ん中から温泉が湧き出て、一躍温泉地となったものの、ストリップ劇場や風俗などの歓楽街に加え、近くに場外馬券売り場があるこもあって、「ガラ」が悪いかったのです。
でも歓楽を求めての団体客がぐっと減り、石和温泉はイメージアップに努力した結果、このところは外国人や個人旅行者が増えて来たと言います。
でも「k園に泊まるの」と言うと、友人のN子さんが「数年前に一度泊まったけど、サイテーだったわよ」と吐き捨てるではありませんか。
「えーっ!?」。
その旅館は夫の翌日の講習会場から車でほんの5分、駅から電車で帰る私も徒歩7分の距離。至便なところにあるから選んだのです。しかも口コミはそう悪くない。
とても怖々と宿に着きました。
N子さんは「フロントには人がいないし、暗ーくて、部屋もひどい。お布団も自分で敷くのよ」と。

フロントでは数人の人がにこやかに出迎えてくれ、部屋に料理を運んでくれた仲居さんも、空の食器を下げに来た若い女性も、お布団を丁寧に敷いてくれた年配の男性もみんなみんな親切で感じよかったんです。
夕食も(京懐石のような上品さではないけれど)、質量ともに大満足。朝食も全然悪くありません。
部屋は青畳で、水回りは改装してあたったので、N子さんが泊った時から大改築したか経営自体がかわったかしたのかもしれませんね。
翌朝ホテルの人が私を駅まで車で送って下さいました。「石和」はこれからも家族旅行に最適なように変わるので、是非また来てください」と言っていました。
私たちが泊った日の客の三分の一は中国からの旅行者。それも若い人が多い団体でした。騒がしいこともなく静かに朝食していましたよ。
でも温泉には誰も入ってこなかった。もっとも私は夕食前に一度入浴しただけですが。

この建築士講習というのは、あの「姉歯」の偽装事件」以来、実施されるようになったもので、事務所に属する一級・二級の建築士に三年に一度義務付けられています。
6時に起きれば9時始まりの講習には充分間に合うのだけど、早起きが嫌いで、バタバタするのを避けたい夫は、三年後にまた石和温泉に泊まろうというのでしょうか?
石和は想像していたよりずっと良かったけれど、同じお金を出すのならやっぱり、他の温泉地がいいかも。。です。

思い悩まないというのは最上の幸せですね。
ハッチ君は水無私生活でも普段と同じ。まぁ全然理解していないのですが、自分のご飯と水があればそれで満足。
ああいうふうに生きればいいのだとわかっているのだけれど、小心者なのでストレスが溜まります。
ストレスは生きている限り付きまとうもの、要はストレスをストレスと感じない精神になればいいんですよね。
「わかっちゃいるけど」の私です。

そうそう、生ジュースをつくるジューサー。今年初めからSさんにずっとお借りしていたのですが、ジュースが習慣になったので、我が家でも購入することにしました。
Sさんのところのメーカーとは違う日本製のを選んだのですが、うーん、一長一短ですね。
スロー回転なので栄養素は壊れにくいし、音は静かなのですが、絞り切れずにカスとして残る水分がもったいない。
それと細かく切らなければいけないのが夫にとっては手間。
その代わり後片付けは簡単なようです。
ジューサーしか作っていない日本のメーカーに、17万5千円というとんでもない値段のジューサーがあります。
(我が家のはその10分の1の値段)。
これはカスがカラカラになるほどしっかり絞れるようです。一生使うのなら高くない?

もう少し体力が回復し、春が近づいたら、果たせなかった友人たちとの約束を実行に移したいと考えています。
それと、小説が読みたい。
高熱のあった2日間を除いてはずっと本は読んでいたのですが、小説を読む体力気力がなくてノンフィクション系が多かった。
深緑野分さんの「戦場のコックたち」を借りていたのだけど読める気がしなくて、次の予約の方のために早々に返却したのですが、これは残念でした。
とにかく今は小説を読みたいです!
posted by 北杜の星 at 08:00| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月25日

鶴見俊輔「まなざし」

今月2月8日のテレビニュースで、大江健三郎と澤地久枝らが「九条の会」として「安保法反対」の声明を出しているのを見た。
九条の会の発起人は九人いたが、現在では大江と澤地と梅原猛の三人を残すのみとなってしまった。
加藤周一が亡くなった時は悲しかった。それ以上に鶴見俊輔の訃報には力が抜けて、これから私は何を指標にすればいいのかととても心細い思いになった。
加藤周一は尊敬してもどこかおっかなさがあったが、鶴見俊輔には硬軟取り混ぜてなんでも話せ笑いあえる気楽な印象があって、好きだった。
(しかし九条の会にはまだまだ賛同人がたくさんいて、全国的な運動はしっかり続いているので心強い。)

鶴見俊輔ってどこかお茶目でかわいいところがあった。
それは彼の「弟性」から来ているという。
ご存じのように俊輔の姉は鶴見和子。いつも着物の上智大学教授としてオピニオン・リーダーだった人だ。
俊輔はこの姉がときにかばってくれたり、励ましてくれたりしたことを感謝している。(俊輔の母は現在なら「虐待」と呼べるほどの育て方を俊輔にしたらしい。)
しっかり者の姉の「弟」として精神を委ねられる安心感があったから、姉と同じようにアメリカに留学し、社会的な運動ができなたのかもしれない。
とにかく(姉の弱点は弱点として批判しながらも)、彼は「弟」として姉の後を歩いてきた。
この本にはそんな姉とのこと、一族家族とのこと、共に闘って影響しあって来た盟友たちとのことについて書かれている。

鶴見俊輔ってかなりの名門の系譜なんですよね。
父は政治家。母方の祖父は後藤新平である。
その新平とは一緒に住んでいたが、新平の言葉としてはほとんど記憶がないそうだ。
この本にはかなりのページを割いて新平という人間について書かれているが、当代きっての親ロシア派としていろいろ面白い記述がある。
新平はまた長男の家族を同じ敷地に住まわせただけでなく、長男にはいっさいの仕事を禁じていたらしい。
その理由は父の立場を利用してなにかの事業をしても失敗するに違いないからという理由からで、かなり醒めた目を持つひとだった。

うらやましいのは新平の家の敷地には、レイモンド設計の洋館が建っていたことだ。
レイモンドは帝国ホテル建設のためにフランク・ロ御井戸・ライトの弟子として共に日本にやって来た建築家で、日本のモダニズム洋風建築に影響を与えた建築家。
小さな家も多いが合理的でよく考えられている。
ただ新平の家はレイモンド自身は「失敗作」と考えていたようだが。

俊輔がリベラルだったように、彼の一族もみなリベラルだった。
全世界的に「リベラル」という言葉が死語になりつつある現在だからこそ、リベラルに生き続けた俊輔を尊敬します。
もっともっと長生きしていつまでも「不良少年」でいてほしかったです。
加藤周一も鶴見俊輔もいなくなったけれど、彼らの著作はこうして遺されている。
世の中が右傾化して心細くなったら、それらを読み返せばいいのだ。そう思ったら元気になった。

posted by 北杜の星 at 07:24| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月23日

井戸まさえ「無戸籍の日本人」

≪朗報≫ 先週18日に法務省は女性の再婚禁止期間を現在の180日間から100日に短縮すると民法改正を発表した。また離婚に妊娠をしていない証明があれば直ちに結婚できるようにすると付け加えられた。
この本を読んだ直後だったので、井戸さんたちの地道な運動が結実したのだと感慨無量だ。
以下はこのニュースが出ない前に書いたものです。無戸籍の理由は民法722条によるものだけではないので、読んでみてください。

借金や貧困、DV、子どもへの虐待・・さまざまな理由から無戸籍の人間がこの日本にはいる。
元衆議院議員の井戸氏もかつて自分の子どもが無戸籍となった経験をもつ。
そのことをきっかけに無戸籍の問題に向き合い、これまでに受けた相談は1000名にものぼる。周辺の家族を含めると3000名以上の人たちを支援してきた。
この本はその13年間におよぶ記録である。

井戸氏自身が直面したのは「離婚後300日以内に出産した子は前夫の子どみなす」という法律だった。
彼女は政治家の元夫と離婚を前提に長く別居。その間に同じ松下政経塾で一緒だった現夫と知り合い、離婚成立後再婚。子どもが生まれた。しかしその子の出生届を出そうとして愕然とした。子どもは前夫の子どもとしてしか戸籍に載らないのだ。
これが民法第722条である。

無戸籍だとどうなるか。
出生届がないので義務教育を受けられない。
住民票がない。これは日本で社会生活を送る際に致命的な困難となる。
健康保険証がつくれない。
銀行預金がもてない。
運転免許などの資格が取得できない。
パスポートがつくれない。
結婚や出産に支障をきたす・・

それにしてもこの本を読む間中ずっと、腹が立ち怒りがおさまらなかった。時にはあまりのむごさに涙さえ出た。
何に対してか?
行政、政治家、裁判所など、いわゆる「お上」に対してだ。
あまりに「情」というものがなさ過ぎる。現実に無戸籍の人が目の前にいるのに、なんら手を差し伸べようとはせずに、たらい回しにするばかりの自治体もたくさんあるのだ。
なかには一生懸命話を聞き、助力となろうとする役人もいないではないが、ごく少数だ。
彼らのほとんど、または世間では民法722条に関しては、女性の「性」への偏見さえうかがえる。不倫をしたからそうなったんだという蔑視が透けて見える。
しかし何年何十年も離婚に時間がかかるケースは多いし、前夫の暴力を恐れて隠れるように生活している家族はたくさんいるのである。

無戸籍のひとたちは、身を隠すように生きている。
何も悪いことはしていないのに、世のなかの翳の場所で生きるしかないので、当然仕事は風俗や日当の力仕事に就くしかない。
社会の底辺からいつまでたっても抜け出せないという悪循環。

NHKの「クローズアップ現代」や毎日新聞にこの問題が取り上げられて、少しずつ意識を受けるひとが多くはなった。
支援する団体や法律家、政治家も増えて来た。
そのためか住民票を取得できたり、生活保護受給や身体障害者手帳の交付を受けられるケースも出てきた。
井戸氏らの運動が小さいながらも、実を結んでいるのは本当にホッとする。(政治の内側から変えようと、彼女は議員になった、)
この本のなかで紹介されている数人のこれまでとこれからの人生を思うと、法律はなんのためにあるのか?そしてその法律がじつは古式然とした大昔のもので、今の世の中には適さないのだから、速やかに改革できないものかと腹が立つ。
「家族」の枠が以前とは大きく異なって来ている。
「夫婦別姓」「性同一性障害どうしの婚姻」「母子家庭」「父子家庭」「生涯独身」・・これらは個人の「自由」であるべき「人権」だと私は信じている。

この本の一文に「知力とは人を救う力」だあるが、まさにその通りだ。
法律学者や弁護士、政治家など「知」のある人はたちは困っている人たちを支援するためにその力を使ってほしい。
そしてなによりも「情」を忘れないでもらいたい。
システムを作ってそれを動かすのは結局は「情」に他ならないのだ。

とても胸に響くノン・フィクションです。
こういう本を読むと、世の中で起きているすべてのことが自分と繋がっているのだとつくづく思い、何かをしたくなる。。
posted by 北杜の星 at 07:37| 山梨 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月22日

坂東眞砂子「真昼の心中」

坂東眞砂子が50歳代半ばで亡くなって一年半が過ぎた。
タヒチでの子猫ポイ捨て事件は日本の新聞紙上で大きなセンセーションを巻き起こし、彼女の反論などを含めて論争となった。
猫好きの私だが、それ以上に「ポンポン捨てる」という彼女のケアレスな文章に傷ついた。
彼女の綸旨は単純に言えば「去勢して生かすのは動物の性を踏みにじること」というものだった。

坂東眞砂子は高知県に生れ奈良女子大に進んだ。
どちらもいわば閉鎖性の強い土地だ。
それが留学のためにイタリアへ行き、後にタヒチに数年間移住した。
イタリアのようなラテンの国は、男が男らしく、女が女らしいことがなによりセクシーで大切なこととされる。
タヒチにしてもゴーギャンの時代ほどではないにしても、性に関してはおおらかな南の島に違いない。
彼女にとってはイタリアもタヒチもどちらも「性」が「生」に繋がる粉飾や欺瞞のない土地だったのではないだろうか。

この時代小説集にはそんな坂東眞砂子の「生」と「性」が満ちている。
女の性が抑圧された江戸時代、それでも情念に身を焦がした女たちの事件簿がここにある。
八百屋お七、絵島騒動、伊勢油屋事件・・当時巷を騒がせ、後の世にまで伝わる出来事の数々。
どれも女の心情がにじみ出ていて、悲しくも哀れではあるけれど、自分に正直に生きた女の充足と潔さも感じられる。

絵島は信州の山奥の高遠に流され、そこで生涯を終えた。墓所も高遠の先の村にある。
高遠はよく通り過ぎる町なので、一度だけ絵島の住んだ部屋というのを見学したことがある。
六畳の和室から一度も出ることなく三十年以上を過ごしたそうだが、部屋の狭さに驚いた覚えがある。こんなところから一歩も出なかったなんてと信じられらない想いだった。
こひがん桜は当時もう高遠の春に咲いていたのだろうか?

「伊勢音頭恋逆刃」は伊勢の古市が舞台となっている。
古市は江戸の吉原や京の島原と並ぶ遊郭があったところだ。今では独特の風情を残す町で、旅館として現存する「麻吉」という当時の料理屋は木造6階建て、どの階からも出入りできる独特の構造をしていて、この建物を見るためだけにも古市に行く価値はある。
亡くなったが面白がり屋の赤瀬川さんも麻吉が大好きで、宿泊されたことがあると何かで読んだが、いかにも赤瀬川さん好みの建物なのだ。
昨年春に友人たちと6人で伊勢に旅行したのだが、「古市に行きたい」と私は言ったのだが、誰も賛成しなくて行けなかったのは残念だった。みんなにあの建物を見せてあげたかったのに。。
伊勢音頭というのは聴いたことがないが、
「伊勢は津でもつ 津は伊勢で持つ 尾張名古屋は やんれ 城でもつ」と歌われるものらしい。
俵屋では遊女たちがお揃いの衣装で伊勢音頭を踊り、評判となったそうである。
これはそのなかの遊女のお話しだ。

これは2011年から2014年初出というから、坂東眞砂子の最晩年の小説だ。
彼女の土着的なホラー、好きだったな。
なかでも直木賞を受賞した「山姥」はやはり彼女の代表作だと思う。
ああした小説を書く人がいなくなったのは、とても寂しい。
彼女にはまた、日本人をどこかで信じていない部分があって、以前のような戦争が起こったらきっと同じになるだろうと考えていた人だと思う。
そうした「目」を持つ人がいなくなったことも寂しい。
posted by 北杜の星 at 07:35| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月19日

アナーダン・フィン「駅伝マン」

ランニングをこよなく愛するイギリス人ジャーナリストのアナーダン・フィン氏は駅伝取材のため、妻と幼い子供三人とともにシベリア鉄道の旅を経て京都にたどり着いた。
イギリスを出発するときにはまだ住むところも決まっていないし、駅伝取材の方法もまったくわからなかった。
京都に決めたのは日本人女性と結婚しているイギリス人の友人マックスがいたため、それと子どもたちのシュタイナー学校のためだった。

運良く京都田辺のシュタイナー学校のすぐ近くにマックスが小さな二階屋を見つけてくれた。
リサイクルショップで家具などを揃え、上の二人の子どもたちは通学するようになった。
この本はフィン氏の仕事の話でもあるが、同時に一家の半年間の日本滞在記でもあって、子どもたちや奥さんに起こる様々な「事件」にも筆が及んでいる。

どうして駅伝について書こうと彼が思ったのか?
日本に来る以前、彼はケニアに滞在し、強豪ケニアの長距離ランナーの取材を行った経験がある。
日本はケニアに劣らない世界有数の有能な長距離ランナーを輩出している国なのだそうだ。
しかもこの国にはマラソンの他に「駅伝」という日本独自の走りのレースがあって、日本国民はある意味マラソンより駅伝に夢中らしい。とくに「箱根駅伝」は特別なレースと言うではないか。

大学の駅伝、実業団の駅伝・・取材をしようにもその壁は厚く閉鎖的だったが、なんとか立命館大学と日清食品に入り込み取材が可能になった。
彼自身もランナーとして機会があれば走った。
駅伝やマラソンだけでなく、比叡山の千日回峰行まで経験することとなった。

取材するうちにわかることも、疑問に思うことも持つようになった。
日本のランナーには故障者が多い。それは過剰な練習が原因なのではないかということ。また日本人の睡眠時間の少なさにも目を向けている。
面白いのは日本人が「駅伝」を日本独自のものと知らないことだ。この走りの形態がマラソン同様世界中にあると勘違いしている人が多いのだ。
「駅伝」ってすごく日本的だと私は思うんだけどなぁ。
マラソンは個人的だが、「駅伝」はとにかく「襷を渡す」ことが大前提。区間を走るのは個人であっても「団体」戦である。「襷」のリレーが途切れたらすべてが終わるのだ。
それゆえの歓びと悲劇がまさに日本人の「美学」に訴えるのを「駅伝」は持っている。
私も思わず箱根駅伝には見入ってしまうが、ゴールする選手の歓喜と悲嘆。美しく神々しくもあり、痛ましく悲惨でもあるが、そのドラマ性はやはり素晴らしい。
このドラマ性は実業団にはないもので、実業団の走りはよりシステマティックに統制されているものだそうだ。
(しかし「箱根駅伝」が日本の長距離界を駄目にしているという説があるらしい。)

いろんなところに「日本」がもろに出ている。おそらく取材しながらフィン氏は戸惑うことが多かっただろう。
最後の方にあのマラソンランナーにインタビューをしている。
そのランナーは実業団にも加入せず、フルタイムで働きながら市民ランナーとして走り続けスゴイ成績を残しているあの川内優輝さんだ。
彼がどれだけ偉大なランナーなのか。と同時にどれだけこの国では異質なランナーなのか。
川内さんは学生時代に故障をしたためか、どの実業団からは一社以外声がかからなかったという。
しかし彼にとってはそれが幸いした。実業団でのハード・トレイニングではまた怪我をすることになっただろうし、彼はなによりも自由に走りたかったからだ。
「私の走る意味と、実業団の選手の走る意味が違うからです。」と。
川内さんのような例外を考えると、日本の長距離界の現実が見えてきそうだ。

半年の日本滞在を終え、フィン一家はイギリスに帰った。
空港に着くなりその無秩序さにびっくりした。
なんと日本ではすべてがものごとが静かにスムーズに運んでいたことだろう。
すっかりそれに慣れてしまっていた彼らが、ちょっとオカシイ。

フィン氏は書く。
日本人ランナーはもっと走りを楽しむべきだと。
実業団などのトレーニングは「激しく」「厳しい」ものだが、それは成功の原動力となることもあるかもしれないが、「重圧やストレスにさらされると身体は本来の動きを止め、パフォーマンスそのものを妨げてしまうことがある」のだ。
それに指導者は選手個人のことを考えているわけではない。ましてや選手のランナーとしての寿命を考慮には入れていない。
(そういう意味で川内さんは自分にとってとても適切な選択をしている。)

この400ページにも及ぶノン・フィクションは、走ることなどまっぴらごめんの私が読んでも、ものすごく興味深いもので、知らないことをたくさん知ることができた。
フィン氏がまたいつか家族とともに日本に戻って来る日があればいいです。
そしてその時に日本の「駅伝」をめぐる社会がより良い変化がなされていれば、いいですね。
posted by 北杜の星 at 07:13| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月18日

菅付雅信「物欲なき世界」

この本、売れているらしい。
物欲を捨てたい、物欲のない世界で生きたいと望む人が増えているからだろうか。
かくいう私もこんな年齢になったのだから、できるだけ物欲は減らして(というか欲望そのものを減らして)生きられればと願っているのだが、願うということは、まだまだそうはなっていないということでもある。
歳をとってからもなお、「あれが食べたい」「これが着たい」「あそこに行きたい」とがむしゃらになるのは、なんだか暑苦しい。
よく「こだわる」という言葉が使われる。
物にこだわることがとても大切なことのように理解されている。
でも、そうかな?と時々思う。
だって「こだわる」って不自由じゃない?どこそこのあれしか食べないというのは、もしそれが手に入らなかったら不幸だよね。
そういう「こだわり」なら捨てたほうがいい。
何週間前、毎日新聞の川柳の欄で「グルメよりなんでも美味しい人の勝ち」というのが入選していたけど、ああいうことだと思う。

最近では「物欲」を捨てた若い人が多くなっている。
私の世代は戦後資本主義社会が上昇期にあって、企業の宣伝にあおらて物を買うことに生きがいをもって生きて来た。
よりよい物を買い所有することが、競争や比較原理となっていた時代だった。
でも現在、物はあふれ、人々はすでに必要な物はほとんど所有している。
なかには物がたくさんあることにうんざりしている人がいるくらいだ。

だからといって、ただ物を持たないだけを若い人が目的にしているわけではない。
彼らはだんに物を売るだけでなく、「ライフ・スタイル」を提案してくれるショップや企業を求めているのだ。
この本に紹介されている「ビームス」や湘南のショップのように。
(でも私の印象だと、そういう店でも「物」を売ることを目的としているのだけど)。

先進国の経済成長はアタマ打ち。
資本主義そのものが危うくなっている。
そうした社会で物が減るのは当然の帰結かもしれない。
では「物欲なき世界」を私たちはいかに生きるべきか・・

残念ながらその答えはこの本を読んでもはっきりとはしない。
それらは読者一人一人が自分で考えるテーマなのだろう。
いろいろな事例を引き書いてあるが、特別に目新しい問題は提示されていないような気がする。
正直、あんまり魅力的な本ではなかったかな。
その原因として、著者の文章に遊びがないことがあると思う。
堅苦しい感じ。この堅苦しさが「物欲なき世界」を妙に「ストイック」と感じさせる。自由で楽しいはずの世界がちょっと窮屈そう。
文章にもっと強弱や硬軟のメリハリがあれば、もっと面白い読み物になっていたのではないか。。残念です、
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月17日

浜矩子「さらばアホノミクス」

浜矩子を好きな人は大好き、嫌いな人は見るのもイヤとおおいに分かれるのではないだろうか。
私はと言えば、好きなんですね。
彼女の本を読んだり、テレビに出て話すのを聞くと、溜飲が下がるというか「よくぞ言ってくれた」という気持ちになる。
エコノミストとしてよりも、一人の人間として信頼できるものを感じる。
(エコノミストとしてどうなのかは、ファイナンシャルなことにまったく疎いので判断がつきません)。

アベノミクスを「アホノミクス」と呼んではばからないのは最初から。
最初の頃はアベノミクスが功を奏した印象がなくもなかったが、このところにきて雲行きがおかしくなってきた。株は乱高下を繰り返し、GDPは下がっている。
経済はは回復するどころか悪くなっているのだ。若い人の貧困、子どもの貧困、女性の貧困、老人の貧困と貧困が拡がっている。
(GDPが下がってもNHKのニュースでは「景気患には変化なし」と言っているのは、政府が言わせているとしか思えないのですけどね。)
現在の日本はすでに経済成長が止まった国だ。それを無理矢理「強く」しよう「大きく」しようと考えるのがおかしいと思う。
永遠に栄える国など歴史的にみてもないのだ。
潜在成長率がほぼゼロパーセントになっているということは、これが日本のいまの実力ということ。
それでもなお成長を目指せばいろんなところに歪がでるのは当然で、その歪はすでに様々な方面に現れている。

しかしそもそもアベノミクスは何のための経済成長を目指しているのか?
浜矩子はそれが何かが2014年4月の訪米時での議会演説で証明されたと書いている。
安倍首相はその演説のなかではっきりと「アベノミクスと私の安全保障政策は表裏一体」だと言っているのだ。
つまり彼の経済対策は安全保障のためであって、社会保障のためではないと。
彼の目指すのは強く大きな武力をもつことなのだ。
だから安保法(戦争法)は絶対に必要だったのだ。

「経済活動は人間の営みなのに、そのなかで人間が主役になれない。労働者ではなく労働力、技術者ではなく技術力、国民ではなく国力」と、アベノミクスは人間ではなく「力」に関心があるだけだ。」と浜矩子は言う。
よく言われるトリクル・ダウンという考えが私は大嫌いである。
富裕層がより富を増やせば、自然に下層に「滴り落ちる」という思想は傲慢に過ぎる。
それは決して利益の配分ではないので、貧富の格差が大きくなるだけだ。
浜矩子の言うよ運は「配分」ができるかどうか・・これが政治の課題だと思うのだけれど、アベノミクスはそうではない。だから浜矩子にとってアベノミクスは「アホノミクス」であり続ける。
(階級社会のノブレス・オブリッジ」はトリクル・ダウンより「やさしい配慮」があったような気がする。)

言論統制が出始めている気配のある昨今だが、こんな本が出版されるのだから、まだ大丈夫なのかな?
これは毎日新聞に連載された「危機の真相」を編集加筆したものだそうだが、その毎日新聞にはコピーライターの仲畑貴志選の万能川柳コーナーがある。
そこに応募される川柳には面白おかしく、けれど痛烈な政治批判もある。
女性活用が取り上げられていた当時、「活用をするものなのか女性って」の川柳を浜矩子はその庶民感覚の正しさに拍手を送っている。
こうした川柳を応募する人間とそれを選ぶ人間がいる限り、この国は大丈夫と、私が言うようなことを言っている。

それにしてもここにも書いてあるけれど、同じ敗戦国であるドイツと日本で、どうしてこれだけの差ができてしまったのか?
ドイツは債務ゼロなんですよね。日本は借金だらけ、それに加えてまた赤字国債を発行したのだから、、イヤハヤどうなっているのか、です。
posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月16日

松家仁之・湯川豊・江國香織「新しい須賀敦子」

ミラノ、夫ペッピーノ、コルシア書店、作家、翻訳家、阪神間のブルジョワ家庭、鴎外好きの父親、大学教員、キリスト教左派・・
須賀敦子という名前を聞いて思い浮かべる断片はいくつかある。
けれどそれらすべてを繋げても、私の須賀敦子像にはなってくれない。
それはたぶん、この本を書いたり対談をしている三人にも共通していることではないだろうか。
だからこそ、すでに亡くなって15年以上経つ須賀敦子をそれぞれのかたちで再発見したり、求めようとしているのだと思う。

私にとってどうしても説明しきれない作家が二人いる。
一人はこの須賀敦子、もう一人は武田百合子。
二人の作風はまったく異なる。文学へのアプローチや文体も違う。でも二人は私の人生になくてはならない作家となっているし、いつ読み返しても「新しい須賀敦子」「新しい武田百合子」がそこにはいる。
たくさんのもの書きが彼女たちについて書いている。
それらの文章を読むとどれにも「まったく、そう」と思うのだが、私の想いが強すぎるのか、「それだけじゃないんだよね」とつい言いたくなるのだ。

編集者として、作家として、須賀敦子に魅せられた三人の想いが、はたして読者にとっての「新しい」のかどうかは別として、死後もこれほど読み通dけられる作家はそうはいない。
若い人たちも結構読んでいるという。
そういえば須賀敦子と武田百合子の共通項ある。
二人はともにエッセイしか書かなかったことだ。小説は一編も書いていない。、(須賀敦子はその準備をしていたけれど)。
それなのに随筆家エッセイストではなく、まごうことなき「作家」として扱われている。
それは、エッセイであっても「話し言葉」のように耳に届く文体であること、思い出や日常に「物語性」があることではないだろうか。
「話し言葉」に関してはこの本においても解説してある。
(残念なのは須賀敦子と親しくて、彼女の詳細な年譜を書いている松山巌が加わっていて欲しかった。。)

2014年秋、神奈川近代文学館において「須賀敦子の世界展」が開催された。
ここの三人は編集委員として、また講演者としてこの企画展に関わった人たちである。
私は行けそうもなかったので友人に「もし時間があったら行ってみて」と頼んでおいた。彼女も須賀ファンということを知ってたからだ。
彼女は行って展覧会を見ただけでなく、企画展のカタログ小冊子を買って送ってくれたのだ。
とてもとてもうれしくて、なによりのプレゼントだった。

「新しい須賀敦子」に出会いたければ、何度も何度も読み返すことだと思う。
松家仁之が書いているように、須賀敦子は再読に耐えられる文章の人だから。
彼女の思い出を掘り起こす言葉には胸の底に響く悲しさや幸福感があって、ときに私を慰め、ときに凛とさせてくれる。
posted by 北杜の星 at 07:43| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月15日

アリス・マンロー「善き女の愛」

村上春樹が受賞するかと騒がれた2013年のノーベル文学賞はアリス・マンローが獲得した。
正直、少し意外だった。
というのも彼女の小説はすぐれたものではあるけれど、ノーベル文学賞が好む社会性や民族性はないからだ。
短編の名手としての評価が大きかったという。
文学はことさらに社会性を前面に出す必要はないが、書くものから透けて見える時代性は必要で、マンローの書くものにはそれがあると思う。

この本には8つの中短編が収録されている。
どれもマンローらしい細やかな描写が魅力的だ。
彼女の小説を読んでいるとどこの国の人々も同じなんだなと思ってしまう。
人間の日常の営みの中で起こるさまざまな出来ごと、それにまつわる感情・・夫と妻、母と娘などの関係はカナダだからアメリカだからあるものではなく、普遍的なものなのだ。

表題の「善き女の愛」。陰影があり終わりの曖昧さに深い余韻が残る。
まず三人の少年たちが川遊びに出かけるところから小説が始まる。(この場面は映画の「スタンド・バイ・ミー」を思い出させる)。
彼らは川底で沈んでいる車を発見する。車の中には町の検眼士が死んでいた。
・・「善き女」はいつになったら登場するのか?というくらいなかなか現れない。
その「善き女」とは中年独身女性である訪問看護婦のイーニド。彼女はほとんどボランティアで終末期にあるミセス・クィンの看護をしている。
ミセス・クィンの夫はイーニドの元同級生で彼女がひそやかな想いを寄せている。
しかしこれはオンタリオの小さな町の牧歌的な物語ではない。検眼士が登場した冒頭のシーンとの繋がりはいささかミステリーの趣があるのだ。

「善き女の愛」はやはりこの本の一番の読み物だろうと思うのだが、私がもっとも好きだったのが短編の「コルテス島」だった。
若い夫婦が家を買うことになる。彼らは何度か家を買い換えるのだが最後の家は豪邸だった。
しかしその家に足を踏み入れた時から、妻には「災厄の兆候と逃走の予兆」を感じたのだった・・

こういう予兆というのは当たるものなんですよね。それはおそらくその家に入って感じたのが最初ではなくて、一緒に暮らすうちに覚えた違和感が次第に膨らんだだけなのだと思う。
価値観や美意識の違いがとうとう溢れてしまう。
これはマンローの自伝的要素の強い作品だそうだが、マンローは1931年生まれ。当時離婚するには大きな決断が必要だったことだろう。
「コルテス島」の心理描写はさすがのマンローを感じさせます。

小説に大切なものがいくつかあるけれど、マンローの事象心象の描写の精緻さとエンディングあとにふと馳せる想いこそが、小説を読む歓びではないだろうか。
よかったです。

posted by 北杜の星 at 07:37| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月12日

上野千鶴子「おひとりさまの最期」

「おひとりさまの老後」から8年。
現在の上野千鶴子の関心事は人生の終末期になっている。
その終末期を病院や老人施設ではなく「在宅」で暮らせるかどうか、暮らせるとしたらどういう方法があるか?
終末医療だけでなく、「最期」も在宅でと望んでいいる上野さんだ。
そのことについて共に考えてみようというのがこの本。

一昨年だったか昔の友人から思いもよらない質問を受けた。
「子どもがいなくて寂しくない?」
そんなことを言うような人ではなかった(と思う)ので、本当に驚いた。会わない20年の間にどんな生活を送り、彼女の価値観がこのように変化したのかと、少々悲しかった。
ちなみに彼女は三回結婚をし、二度目の結婚では子どもを置いて婚家を出て、現在は再々婚で二人の子どもを持っている。
人間は自分の価値観で他の人の人生をも判断するものだから(これは何も彼女に限ったことではなくて、私自身もしてしまうことだ)、「子どもがいないから寂しい」「結婚していないから寂しい」と思う人がいるのもわかるが、上野さんに言わせると「余計なお世話」に他ならない。

東京都が高齢者1000人へのアンケートで、「生存子」の有無を尋ねたところ、生存子がいるのは49.3パーセント、生存子がいないのは44、7パーセントと、その差はあまりなかった。
つまり少子化がすでに進んでいるし、長生きし過ぎると逆縁で子どもが病気や事故で死ぬ場合だって多くなってくるからだ。
これを考えると、子どもの有無をあまり考慮に入れない方がいいかもしれない。

「おひとりさま」になる理由は様々。
離別、死別、非婚(最近はこの非婚がとても増えている)・・
いつかは自分も「おひとりさま」になる覚悟はしていたほうがいいのではないだろうか。
しかしつい最近の調査では、老後に一人暮らしをしている人は、家族と同居または老人施設で生活している人よりも、たとえ少しくらい体が不自由であって幸福度が高いという結果がでているという。
家族であってもどこか遠慮したりする同居より、自分が自由に自分のペースで生活できるのは、確かに幸せと言うもの。
ニュースで「孤独死」が取り上げられると、世間の感想は「かわいそう」というものが多いが、上野さんが言うように「孤独死」は幸せな死ではないだろうかと、私も思う。

けれど「在宅」での最期を迎えるのは不可能ではないが、まだまだこの国には難しい問題が山積している。
医師、看護師、介護士の地域での密な連携が重要となってくるのだが、その制度は整備されていない。介護にいたっては政府はどんどん後退させている。
一つ心強いことがあるとしたら、最近では医師本人たちが病院での過剰医療に疑問を持ち、キュアからケアへと医療を考え改めていることだろう。
そうした医師たちの本がたくさん出版されるようになった。
上野さんの望む、「おひとりさまの在宅での最期」は夢ではないかもしれない。

私自身の考えを言えば、夫がいる場合は家での看取りは彼への負担が多すぎるので、ホスピスか老人ホームでいいと考えている。老老介護は大変だもの。
一人ならどこで死んでも構わない。むしろたった一人で家に居て医療や介護スタッフの訪問を待つよりも、老人施設でみんなと一緒の方がいいかも。
でも問題は夫だ。もし彼が在宅を望んだらどうするか?できるだけ希望に沿ってあげたいが、まぁ「なりゆき」に任せるしかないだろうな。

老後の問題は体だけではない。ボケたときの経済管理も大切だ。
成年後見制度があるが、上野さんは親族や弁護士や司法書士に任せない方がいいと言っている。なにが起こるか保障の限りではないからだ。
個人ではなく、法人や福祉協議会のような団体組織に委託するほうが間違いが少ないと言う。
そうした業務を受け持つ法人が増えているのは安心だ。なにかあったときに保障されるから。

どんなに備えても、そのようになるわけではない「最期」。
これは「おひとりさま」に限ったことではない。
せめて今を充実させて、足るを知りながら、暮らしていきたいと思っています。
posted by 北杜の星 at 07:19| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月10日

朝比奈あすか「自画像」

これはちょっと凄みのある小説だ。ある意味、ここまで書くの?というタブーの領域に迫っている。
中学女子の自意識がこれでもかと描かれていて、胸苦しくなる。
小説は三十代後半の女性が婚活で知り合った教師の婚約者に、自分の中学生時代の話をするという設定で始まる。
(この婚約者が後半の展開に役割を持つのだが。。)
主人公は三人の中学生。彼女たちが成人女性となるまでの物語。

中学生という時期は自意識のかたまりだ。自分のその時代を思い浮かべてもつくづくそう思う。
世界が狭いために感情は増幅され、悲しみは大きく、憎しみは強く、好悪は無意味に激しくなる。
自分でも持て余してしまうほど、自意識に縛られる。
そんな中学時代に、もし女子がとても醜かったらどうなるだろう?
自意識は粉々に砕けて、ひたすら消えてしまいたくなるに違いない。
(その時代の私は自分の顔、胸のなさ、手足の細さなど体のすべての部位にコンプレックスを持ち、いつも他の女子が羨ましかった)。

面皰(にきび)がひどい田畠清子。
清子よりさらにひどい面皰の蓼沼陽子はクラスの全生徒からネグレクトされている。
清子と小学時代同じ塾に通っていた松崎琴美は中学の入学式で別人のように美しい少女に変身していた。美容整形を受けていたのだ。
彼女たち三人と周囲の生徒や教師の間にある微妙で激しい感情。

心理小説だ。
彼女たちの教室での生々しい日常。それがとてもリアル。
嫉妬という心の闇が清子の言動にあらわれるのは切ないが、理解できるだけになおやりきれない。
男子による「女子ランキング」。(でも女子だって女子間のランキングはしているのだ)。
美醜が問題ではないと言えるのは、まぁ私たちの年齢になってからのことで、若いころはむしろ「見てくれ」はもっとも大きな関心事だろう。
「ブス」と呼ぶ側はそれほどの罪悪感を持たないかもしれないが、呼ばれる側の痛みと傷は大きい。
今は美しい琴美であっても、過去を知る清見は怖い存在だ。
蓼沼陽子がもっとも虐げられる存在なのだが、美術の授業で彼女が描く「自画像」は、自分をまるっきり客観視したものだった。
顔中に広がる面皰の壮絶さの「自画像」は、ただ「スゲェ」としか言えないほどのものだった。
そうした精神の強靭さが彼女にはある。

しかしただの心理劇ではこの小説は終わらない。
意外な展開になって後半の三分の一が進むのだ。
それは彼女たちにとって「美醜」ゆえの傷からの「解放」である。(醜くても傷つくし、美しさゆえに性的暴力の対象となる、しかも教師から。)
心理劇からサスペンス劇に変化するストーリーの中に、冒頭の清子の婚約者が登場する。
この後半も前半とは別の意味で、ぐいぐいと読ませるものを持っている。

朝比奈あすかってノンフィクションの「光さす故郷へ」から読んでいるが、ずいぶん大きな作家になりましたね。
とても楽しみな書き手で、次作が待ち遠しいです。
posted by 北杜の星 at 08:21| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月09日

村田沙耶香「きれいなシワの作り方」

私の友人の多くは「もう若い人の小説は読めない」と言う。
彼らが表現したいことのほとんどに興味が持てないらしい。ネット社会が当然の世代との共通項が見いだせないと。
私は文学に関してはまだ大丈夫。(アートの分野では、あのアニメ漫画のような作品についていけないのだが)。
ずっと文学を読み続けて新しい作家の登場をリアルタイムで体験できる歓びは大きい。むしろ私が青春時台に読んだ作家たちの小説を読むと、その旧さに退屈を感じてしまうことがあるくらいだ。

けれどそんな私でも、若い作家のエッセイはどうも読めない。。
これは書いてある内容が、私のとっくに過ぎ去ったことなので、いまさらどうでもいいからだと思う。だからけっして作者のせいではない。
きっと同世代の読者が読むと共感できることがたくさんあるにちがいない。

村田沙耶香は「ギンイロノウタ」などちょっと難解で独特の肌触りをもつ作品を書く作家。最近はかなり読みやすいものを書くようになっているが、それでもその肌触りは充分に残っている。
新作が出ると必ず読みたくなるのだから、かなりのファンと言っていいだろう。
このエッセイにはタイトルの「キレイナシワの作り方」に表されているような美容や服、恋愛などアラサー女性が日々感じるちょっとしたアレコレが綴られている。

「きれいなシワの作り方」といまさら言われてもねぇ。
だってコチトラ、シワもシミもお顔にいっぱい。「きれい」からは程遠い。
そんなお婆さんに片足突っ込んだおばさんが読んでも素直に「そうね。そうよね」とはいかないんです。
別に若さに嫉妬しているわけではない。羨ましい年齢はとっくに超えているもの。
ただ「あぁ、私の通って来た道ね」と思うだけ。
人生の深淵のエッセイではないのだから楽しく読めばいいだけなのに、それもできないのはなぜなのか?
でも村田さんだって多分、幼稚園児たちのお喋りの輪にははいれないでしょ。あれと同じ。

・・村田沙耶香さんはちっとも悪くないです。
これは若い作家のエッセイを読んでときどき起きること。世代の壁が越えられない私がいけないんです。
まぁ彼女だっておばさん対象に書いたものじゃないだろうし。。
どうぞ若い方は読んで、同感共感してくださいな。私は静かに退散します。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月08日

堀江敏幸・角田光代「私的読食録」

雑誌dancyuの8年間にわたる100冊の食にまつわる本の書評で、堀江敏幸と角田光代という作家でありいすぐれた書評家でもある二人のエッセイ集。
100冊ではなるが2〜3冊が取り上げられた作家もいるので、100人というわけではない。
太宰治は「冬の花火「斜陽」「津軽」の三作が載っているし、田辺聖子や国木田独歩はそれぞれ2冊ある。
数えてみれば100冊の中で私の読んだのは32冊だが、その作品の中の食べものを覚えているかと言うと、志賀直哉の「小僧の神様」のような有名作品は別として、そう記憶にないことを考えると、作家という人種の記憶力の良さにはつくづく脱帽してしまう。
かねがね私には、作家と言うのは記憶の良い人という定義があるのだが、まさしくそのとおり、よくもまぁ、この作品にこの食べものがあったと覚えているものだ。

大好きな作家の文章がここで何人か読めたのがとてもうれしかった。
武田百合子の「富士日記」は読ませることを前提に書かれたものではない武田泰淳と夫人の百合子の富士山のふもとの山荘での身辺雑記なのだが、毎日朝昼晩の献立が書かれている。
いつも百合子の文章を読むと感じるのは、百合子の天衣無縫な文章は文章修業をして書けるものではなく、たくさんの作家にとって百合子という人の資質はどれほど羨ましいことだろうかということ。
角田光代もここでそのようなことを書いている。

庄野潤三「お裾分け」、田中小実昌「鮟鱇の足」、梅崎春生「蜆」などは作家の個性がもろに出ていて面白かったし、山川方夫の文章を本の上で久しぶりに読めたのもうれしかった。
これらの本、堀江敏幸と角田光代が自分の好みで自由に選んだのだろうか?
外国文学もある。

食に関わるエッセイは世の中に多いが、食そのものの文章よりも小説の中に登場する食の印象はまた別のものがあって、イマジネーションが広がる。
幼いころ「家なき子」を読んで、レミ少年のために貧しい母親が(後に育ての母とわかるのだが)、小麦粉やバターを借りてきてなにかをつくる場面に、とても興味を持った。
いったい何を作るんだろう?どんなご馳走なのだろう?
外国がまだずっと遠い土地だった幼いころ、想像もできないワクワクする食べものが作り出される気がした。

先に出て来た庄野潤三の山の上の家シリーズに出てくる食べものも印象深い。
潤三夫妻は旧弊な人たちで、ある場所に行けばこのレストランと行くところが決まっていた。そのなかで、あれはどこだったろうか、行くと必ずサンドウィッチを注文するのだ。
そのサンドウィッチがとても美味しそうで、あぁ食べたいと思いながらよく読んだものだ。
(私たち夫婦も潤三夫妻と同様に、松本へ行くとここ、東京ではこのホテルでと、いつも同じ。変化がなくてつまらないと思う人がいるかもしれrないが、同じところでいつも同じものを食べるというのは安心感があっていいもの。昔の人ってこうだったんですよね。現在でも年配のヨーロッパ人はバカンスをいつも同じところで過ごし、同じようにやって来た友人たちとの再会を喜ぶのだが、ヨーロッパ人だけでなく、日本人だってこうだったのだと思う。、いつも違うところに行きたがるのは「成金」だったんだよね)

堀江敏幸の文章ももちろん素敵なのだけど、食事をいつも作る角田光代だからか彼女の文章が活き活き感じられるかな。
(堀江敏幸だって小説の中ではオムレツなどをつくっているのだから、料理はする人なのだろうけれど)。
posted by 北杜の星 at 07:13| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月05日

鎌田智子「サクラホテル浅草 体当たりおもてなし術」

タイトルの上に「年間1万人の外国人客が泊る宿」とついている。
2006年に160床でオープンしたこのホステルのオーナーがこの本の著者である鎌田智子さんだ。
彼女は外国旅行中あるホステルに泊まり、フロントの男性がビール片手にじつに楽しそうに仕事をしているのを見て、自分もこんなに楽しそうな仕事をしてみたいとホステルをつくった。
まだ30代前半のうら若き女性である。

外国人専用ホステルではないのだが、評判を聞きつけ、またネットで見つけて、外国人客が集まる。
シッチャカメッチャカは日常茶飯。
英語、スペイン語、中国語などどんな言葉も通じない客。(どうコミュニケーションをとればいいのだ?!)
発音の間違いでとんだことになることも。(山手線がヤマモトセンに何故なるの?)
満員電車を避けたいい人もいれば、ぜひ満員電車を経験したい人もいる。(彼らにとって東京の満員電車は身の危険を感じる恐怖らしい)。
日本のタクシーは高いのでぼったくりと勘違いする人は多いらしいが、それも発音のせい。
ロスト・バっゲージや文無しになることも帰りの飛行機に乗り遅れることもある。

まぁ文化風習が異なる外国人なのだからトラブルはしかたない。トラブルを含めて楽しまなきゃ、とうていやっていられない。
鎌田さん、すごいパワフル。
ホステルのサービスのコツは「ちょっとお節介になる」ことだそうだ。
例えば出かけるお客さんに「どこへ行くの?」と声をかける。「築地市場」と答えるゲストに「今日は日曜日、市場は休みだよ」と教えてあげられる。
(外国人にとって市場が日曜日に休みなのは信じられないみたい。だって外国の「市場」は普通週末になると開かれるものだから。築地は仕事をする人のための場所と教えてあげなくてはならない。)

外国人が日本に来て不思議なことや困ったことはたくさんあるだろうが、気の毒なのはベジェタリアンだ。
日本人は案外知らないが、日本に完全菜食の店ってあんまりないんですよね。
蕎麦は?と言っても蕎麦ツユには鰹節が使われているし、味噌汁だって煮干しや鰹節の出汁だ。
ビーガンの人にとっては、ほとんど絶望的な国が日本なのだ。
昨年知人から電話があって、「友人がスペインから来るのだけど、彼らはベジタリアンなの、彼らが食事出来るところを教えて」と。
私に尋ねるのは、私たち夫婦が過去に数年間ベジタリアンだったことがあるからだろう。
いろいろピックアップしてメールをしたが、出先でおいそれとは見つからないだろうなと心配になった。だから「インド料理店」ならベジタリアン・プレートがあると思うよと言っておいた。
日本の人は単に肉や野菜がなければそれでOKと思うかもしれないが、完全ビーガンは肉や魚を調理した鍋で作る料理すら食べないのである。
イスラムの人だって特別に修治した食べ物しか食べられないのだから、この国ではほとんどのものが食べられないことになる。
サクラホテルでは、鍋などの調理器具は普通の食事をする人用、ベジタリアン用、イスラムの人用と3種類用意してあるそうだ。
(共同キッチンがついているので、自分で調理ができる。アジアからのゲストはほとんどが自国のカップ麺を持参するらしい。)
また最近では小麦粉除去のグルテン・フリーを希望するゲストが増えてきているという。

私はバッグパッカー旅行をしたことはないが、それでも安宿に泊まったものだ。予約などせずにその街に着いたらインフォメーションか、直にホテルに行って値段を訊いた。(数度だけユースホステルとYWCAに泊ったことがあるが、どうも私の性には合わなくて、6階までエレベーターなしでフーフー言いながら荷物を持って上がったり、シャワーのお湯が突然止まったりなんてことはしょっちゅうだったが、安宿で一人というのが好きだった。旅というのはどこか孤独でいるべしといのが若いころの私の持論でした。)
今はみんなpcを携えて旅行するので、情報が手っ取り早く手に入る。
それでもこうしたホステルに泊るのなら、ゲスト同士で交流しての情報交換が旅の醍醐味のはず。
鎌田さんだってそうしたゲストたちを見守るのは、ホステルのオーナーとしてうれしいことに違いない。

楽しくわくわく、笑いっぱなしの本でした。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月03日

瀬戸内寂聴「死に支度」

お正月のテレビの特集番組で寂聴さんを見て、それから4週間くらい前「わかれ」を読み、筆力の勢いの強さに驚き、NHKの正月番組のなかで言及していたこの本も読んでみた。
こっちの方が2年前のもの。
それまで長きにわたって彼女のために働いてきたスタッフ5人が総辞職したため、これはいい機会かもと「革命」に手をつけた経緯とその後が書かれている。

そのスタッフたちに不満があったわけではない。むしろ寂聴さんを見届けようと考えていた。それなのに90歳になっても仕事をへらすどころか、来た仕事を全部引き受けてしまう。
これは自分たちの給料を支払わなければいけないためもあるのではと、寂聴さんをラクにしたいとみんなで決心したためなのだった。
一番若いモナさん(大学卒業後に寂庵に就職した女性)を残して、みんな去って行った。(といっても深く長い縁で結ばれた古いスタッフたちなので、なにかと繋がりはある。)
住まいを小さなところに移し、モナさんが家政や仕事の世話をするようになった。
モナさんに加えてもっと若いアカリちゃんも加わった。

「死にたい」が口癖だった寂聴さんだが、若い人たちとの会話に爆笑する日々となった。
若い二人のお嬢さんたちは遠慮会釈のない痛烈な言葉で寂聴さんに話しかけるのだが、それを心から楽しんでいる様子はつくづく90過ぎとは思えない。
PCやスマホもマスターした。若い人のギャグにちゃんとついていける。
歳をとって若い人と暮らすのって、こんなに華やぐものなんだ。
私のように周囲がジジババというのって、よくないのかもね。。
(アラ・フィフの友人は何人かいるのだけど、考えてみると50歳なんて結構トシ?)

「わかれ」は私小説やエッセイのようなものを含めた小説集だったが、これは身辺を描くエッセイ。
「わかれ」にもあったが、長生きするって必ずしもめでたくはない。
身内や友人がボロボロと旅立ち、後に遺される悲哀ばかりが身を包むのだ。
寂聴さんはけっして長生きの家系ではない。戦時下の空襲で亡くなった母親は別としても、父親も姉も長寿ではなかった。
その父と姉の思い出がたくさんここで書いている。

「顔施」という言葉がある。
字のごとく「顔」で「施す」こと。
寂聴さんの笑顔を見ていると、彼女の大きな包容力を感じるが、あれこそ「和顔施」なのではないだろうか?
でも笑っていても寂聴さんの目は孤独そうと、モナは手紙に書いている。
ちょっとした気持ちの齟齬が心配される場合とかにモナさんは寂聴さんに手紙を書くそうだ。これまで一度も返事を渡したことはないらしいが、この本の最終章はモナさんへの返事の手紙となっている。
これまでのスタッフたちのように何十年もの時間は残されていない。それは二人ともよくわかっている。でもだからこそ、限りある時間を共に過ごす歓びを大切に思っている。
それがビンビンと響いてくるモナさんと寂聴さんの手紙だった。

柔らかな顔の寂聴さんではあるが、彼女はなかなかの反骨の人である。
革命に生きた女性たちの伝記を幾冊か書いているし、徳島ラジオ商殺人事件の再審支援運動を続けた。
最近では原発反対の集会に参加したり、突然国会前の「戦争法」反対デモに加わったこともある。
国会前デモは寒い時期だったのでスタッフは気が気ではなかったようだが、彼女は「年寄りはここに来なさい。寒くて風邪をひいて肺炎になって、ぽっくり死ねますよ」と呼びかけた。
こういうことができる人、尊敬します!
posted by 北杜の星 at 08:00| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月02日

中川雅文「耳がよく聞こえるようになる本」

副題は「自分で聴力を回復する正しい方法」とある。
私の知人で最近「耳が遠くなったなぁ」と思われる人が二人いる。
一人は70歳代半ばの男性、もう一人は80歳の女性。
また突発性難聴になった人もいる。
私自身、30代のときにメヌエル病にかかったことがあり、耳には関心があるので、この本を読んでみた。

歳をとると耳が遠くなるのは当然と思ってたが、難聴と高齢は必ずしも関係ないことがあるという。
じつは我々は耳で音を聞いているのではなく、脳で聞いているそうだ。
生活習慣病で血液ドロドロになっている人は難聴のリスクが高まる氏、糖尿病を持つ人にも難聴になる率が高いのは、そういうことらしい。
だから脳を活性化するために、食事を気をつけたり運動したりが大切。

もちろん難聴のすべてが治るわけではなく、治る難聴と治らに難聴があって、これらの区別が著者によって説明されているのだが、とにかく「耳がおかしい」と思ったらすぐに耳鼻科に行くことだ。
突発性難聴は48時間が勝負、遅くとも一週間以内に治療を受けないと完治しにくくなる。
(治療にステロイドを使うことがあるが、じつはステロイドの効用は証明されていなくて、アメリカでは副作用を考えて最近では使わないこともおおいので、もし医師がステロイドを処方する場合は、そのことを尋ねてみるといいと思う。突発性難聴になった前記の友人は医師からもらった薬は強すぎて、高血圧になり風呂場で二度倒れている。)

目もそうだが耳も両方で感応するので、なかなか異常がわかりにくい。でもなんか詰まったような感じや変に響いたりしたらやはりすぐに病院に行く方がいい。
検診で聴覚検査を実施っしているが、それでは難聴が発見されることはむつかしいという。
目の「見えにくい」と違って耳の「聞こえにくい」は日常生活にあまり不便を感じないから放置しがちだ。
お年寄りの家に行くと、ものすごい音量でテレビがかかっていたりしてびっくりすることがある。
あまり大きな音で聞くのは難聴を増大させる。しかしまったく無音の世界に居ると48時間で難聴となってしまうというからそれも恐ろしい。
一番耳に良いのは、川のせせらぎ、鳥のさえずりなどの自然界の「I/fゆらぎ」が多量に含まれる音を聞くことで、モーツァルトの曲にはそれがあるようだが、演奏者や録音した状況によって差があるといい、中川氏はI/fゆらぎCDを2枚作って出されているので、興味ある方が聞いてみてはどうだろうか。
「耳サプリメント」というタイトルだ。

若い人は電車の中などでヘッドフォンやイヤフォンを着けて音楽を聞いたり語学の勉強を御したりしているが、あれも耳にはよくないので長時間続けないことだ。
また急性音響外傷またの呼び名をロック難聴という、ロック・コンサートの大音量や爆竹や爆発音などによる難聴もある。
耳や脳の部分の病気もあるので、自己判断せずに病院に行くことだ。
私は以前耳に水が入った違和感が続いて耳鼻科に行ったら、先生から「耳垢が奥にありました」と言われ、その先生が若いイケメンだったのでとても恥ずかしい思いをしたことがある。
耳垢をとりすぎるのは良くないのでやめましょう。(外国では耳垢は絶対にとらない国が多い。)

日本人はなかなか補聴器を使いたがらないが、それには理由があって、日本語は低い音でできている言葉が多いため、高齢者がまず聴こえなくなるのは高音だから、低い音は聞こえるので装着しようとしないためらしい。
カ・サ・タ行の音が聞こえにくくなったら要注意。
補聴器は年寄りくさいとか、雑音が気になるとかで嫌い人も多い。
でも欧米では40代からでも補聴器を装着するようで、耳がよく聞こえることは脳の働きも良くなるという。
国によっては健康保険で補助が出るところもある。(眼鏡だって無料でつくってくれる国がイギリスのほうにある。もっともフレームは決まっているのだが)。
良い補聴器は何十万円もするから、高齢になるとお金がかかる。
だからこの本を読んで、難聴を回復する方法を少しでも知り実行しよう!
もっとも簡単なのが、耳をそっと上に引き上げること。顔の筋肉が下がると耳も下がり、耳の内部の器官も下がるので、聞こえにくくなるらしい。)
耳だけでなく五感を鍛えて、いつまでも機能が保てる耳でいましょう!
とくに私は目が悪いのだから、耳まで悪くなっちゃ大変だ。
(網膜色素変性症で耳が聞こえなくなるアッシャー症候群というのもあるんです。そうなると二重苦で、日本に500人程度という難病なのです。)
posted by 北杜の星 at 07:56| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月01日

樋口直哉「キッチン戦争」

樋口直哉のデビュー作「さよならアメリカ」は純文学志向の強い作品で、芥川賞候補作となった。それに続く「月とアルマジロ」もわりとそうした路線だったものの、それ以降まったく作風が変わった。
作風が変わることは作家としてはよくあることでそれはいいのだけれど、もうひとつ私には納得できないものがあり物足らなかった。
もっと違った小説へのアプローチが出来る人だと思ったからだ。
最初この「キッチン戦争」というタイトルを見た時も、「あぁ、これも違うんだろうな」と疑いながら手に取った。
でもこれ、違うんだけど、とっても素敵な方に違ったのだ。面白い!楽しい!読み応え大いにあり!だったのです。

葉月はフレンチ・レストランで働く料理人。
ある日オーナーに呼ばれ、有名な料理コンクールの第一次予選に通過したと言われた。
しかし葉月は応募した記憶がなかった。第一応募のための料理をつくったことすらないのだ。
それはオーナーとレストランのシェフの目論見でしたことで、葉月の同僚料理人がじっさいには作ったものだった。
そのコンクルールに正式に出ることになり、葉月と同僚との奮闘が始まった。。

葉月の祖父は日本のフランス料理の黎明期に高名な料理人だった。
レストランのシェフである荒木は祖父の弟子で、祖父の料理を再現Dきるただ一人の料理人だった。
祖父は海軍で料理を担当していたので、大切な水の量ををおさえて野菜を蒸し茹でにするなど独特の調理法を持っていた。祖父の料理を懐かしがる客は今でもいるのだった。
それでも昔と今ではフランス料理はずいぶんと変化している。古い料理をつくるのか?オリジナリティはどう出せばよいのか?
料理に向き合う人間の苦悩と歓びがじんじんと響いてくるし、試作した料理のすべてを味わいたくなる小説だった。

それにしてもすごいフランス料理の知識だ。単に資料だけの知識ではなくて、現場で仕事をする人の経験がなければ絶対に書けない小説だと思ったら、樋口直哉という人は、出張フランス料理人と作家を兼業しているというではないか!
道理で道理で。
なぜこれまでこんなのを書かなかったのかというくらいだ。
(これは私の考えだが、編集者が彼に薦めたのではないだろうか?せっかく知識と経験があるのにこれを書かない手はないよと)。
ただ「キッチン戦争」というタイトルはいかがなものか?どうもこれだと違った印象を受けてしまう。

これを読んでフランス料理の知識がぐんと増えました。
例えばフランス料理では皿の上に同じ調理法のものは置かないとか。つまり、肉をオーブンで焼いたら、付け合わせの野菜はけっしてオーブンは使わずに茹でたり蒸したりすることとか。
ローストした肉の付け合わせがジャガイモのグラタンということはないんですね。
それとレストランで美味しいものを食べようと思ったら、予約時間を厳守し遅れないことも大切。
時間どおりに到着すると、料理人は美味しい者を作ろう!と頑張るそうだ。、反対に遅れるとモチベーションは下がるそう。
そして「美味しい」という簡単な言葉、「ご馳走様でした」という最後の挨拶こそが、料理人の疲れを忘れさせて仕事を完成させるという。

これを読むとフランス料理を食べたくなる。
それもヌーベル・クイジンではなく昔のレシピで。
でも一日にバターの入ったソースをつくる料理人の味見する量はけっこうなもになり、健康への懸念があるみたい。
まぁ、職業病なのでしょうね。
もっともそうした重いフレンチは一年に一度くらいでいいかも。
オランデーズ・ソースをかけた温野菜の前菜を食べると、それでお腹いっぱいになりそうだ。
スイスの希少な透明度の高い赤ワインというのも、一度飲んでみたいな。

フランス料理に興味のあるひと、料理をつくることが好きなひとにお勧めの一冊です。
posted by 北杜の星 at 07:37| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする