2016年03月31日

井上ユリ・小森陽一編「米原真理を語る」

とうとう「安保法」が施行されてしまった。あれは「安保法」ではなく日本を戦争する国にするための「戦争法」である。
4月10日にここ北杜市において「九条の会」の事務局長の小森陽一氏を講師に迎え「憲法学習会」が開催される。
北杜市は都会からの移住者や別荘族が多くて、名だたる社会学者や憲法学者などが居住うする地域なので、こうした講演会はしばしば行われている。
小森陽一氏が米原真理と小学生時代をプラハで過ごしたと聞き、この本を読んでみることにした。

ロシア語通訳家・小説家の米原真理が亡くなって10年になる。本当に月日の流れるのが速く愕然としてしまう。
もし米原真理が生きていて戦争法が施行されたと知ったなら、彼女はどんな行動をとったことだろうか。
彼女の怒りのエネルギーのすごさを思うと、つくづく彼女の不在が口惜しい。

米原真理の父親と小森陽一の父親はとも日本共産党幹部だった。
1950年生まれの真理は2歳年下の妹ユリと一緒にに59年から65年にかけてプラハのソビエト学校に通った。少し遅れて1953年生まれの小森も同じ学校に通うことになった。
当時のプラハはヨーロッパの中心に位置し、世界の共産主義運動に関わる国や組織の本部が置かれ、仕事で駐留する親の子女たちがソビエト外務省所属機関である8年制学校で勉強していた。
そこには世界の政治の縮図があったようだ。
共産主義国の学校というといかにもイデオロギー教育をすると思われがちだが、そういうことはまったくなく、いかに自分で考えるかを集中的に学んだと言う。
母語から離された環境で暮らすのは幼いこともにとってもつらいことだったろう。真理はユリと小森を護る「長女」の役割をしていたという。
ここでの教育があまりに素晴らしかったので、帰国後彼らは日本の薄っぺらな教育しかしない学校に失望したようだ。
この本では真理の妹ユリと小森が対談をしている他に、井上ひさし(真理の義弟、ユリの夫)、吉岡忍、金平茂紀らが「米原真理とはどういうにげんだったか」を語っている。

だいたいにおいてみんなの米原真理像は一致しる。
「大胆で細心」「いきなり核心をつくすごさ」「毒舌」「シモネッタ」「怒りと笑い」「言葉の奇想天外さ」・・
何かに夢中になると他は目に入らない人だった。
それを裏付ける話しがユリから出ているが、なんと昔の家の落とし便所に3回も落ちたそうである。きっと何かを考えていたのだろうが、普通3回も同じ過ちをおするだろうか。しかも便所だよ。
お母さんもさぞ大変だったろうが、そのお母さんもちょっと「変な人」なのだ。。

米原真理の死から2年後、山形県の「シベール」において「米原真理展 ロシア語通訳から作家へ」が開催された。(シベールという会社はあの美味しいラスクを製造するので有名ですよね。私も大好き)
3ヶ月間の展覧会の期間中に行われたギャラリー・トークを集めたのがこの本。
ジャーナリストの吉岡氏や金平氏の話は臨場感にあふれていてとても興味深い。彼らがいかに米原真理を信頼していたかがよくわかる。

彼女のエッセイが大好きでほとんどを読んでいる。
でもなによりも好きなのがたった一作残された小説「オリガ・モリソヴナの反語法」だ。
長生きをしてもっと小説を書いてほしかった。意外なことに彼女は童話を書きたかったようだが・・

北杜市にお住まいの方、時間がおありならぜひ「憲法勉強会」にご参加ください。
ここは「九条の会」の活動が盛んなところでもあるのです。

posted by 北杜の星 at 07:20| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月29日

ハッチの身辺雑記

月に一度のハッチの身辺雑記です。

ここ八ヶ岳南麓にも春がやってきました。
梅は終わり、雪柳がちらほらと白く咲いています。桜の蕾の硬さもだいぶほぐれ気味。
数日前には今年初めてのまだ鳴き方が下手っぴいな鶯の声がしていました。
いろいろあった2月が過ぎ、穏やかな弥生三月となるかと思いきや、今月もかなりいろんなことが起こりました。

まず夫の愛車のルノー・キャトルが息も絶え絶えとなったのです。
なにしろ30年前の車、彼なりに大切に乗ってきたものの、すでに走行距離は20万キロ近く。(キャトル乗りには40万キロという信じられない人もいます!)。
故障しても造りが単純なのですぐに修理でき、しかも安いのがたすかっていました。
でも車体の底部に穴が開いてしまったのです。一度修理してあったようで、その修理の仕方がザツだったため、これ以上の修理はもう無理と、いつもお世話になっているメカニックから言い渡されてしまいました。
穴が開いた原因は凍結防止に道路に撒かれる塩カルです。塩カルが鉄を腐食させたのです。
これは旧い車に乗る人の冬の最大の悩みで、「冬は乗らない」という人がいるくらい。

我が家にはもう一台、これも旧いベンツがあるのですが、日常の足に使っているのはキャトルだったので困ります。
困る以上にキャトルを愛する夫には悲しいことでしょう。
だけど駄目なものは仕方ない。
またキャトルを買い換えるという手もあるにはあるのですが、今のキャトルほど調子の良いのが入手できるかどうか。。製造が終わってずいぶん時間が経っているので状態の良いものは少ないはずです。、
それならいっそこの際、ベンツも手放して、二台とも一新しようか、ということになって、現在どの車にするか検討中。
夫のなかではすでに候補がきまっているようで、あれこれとネットで探しています。
年齢的にももしかしたら人生最後の車となるかもしれないので、じっくり吟味して買ってほしいものです。
旧いB級車愛好者の夫ですが、エンジンキーを回すときに「うまくかかりますように」とお祈りしなくてもいい車がいいなぁ。

車がこんな状態なので、今月は旅行には行けませんでした。
もし新しい車を買ったら、さっそくどこか遠出をしたいものです。
遠出と言えば、私が最近親しくなった70代半ばの友人女性は、「青春18きっぷ」でなんと、仙台まで一人旅に出かけたのです。
小淵沢から宇都宮まで行き、まずはそこで一泊。ギョーザを食べて次の日はまたトコトコと普通車に乗って仙台へ。
仙台のカキ小屋で牡蠣を堪能して、高速バスで帰って来ました。
彼女のご長男が大学生の時、同じく18切符で仙台まで行き、もうこりごりと新幹線で帰って来たというのに。。
こういう人の話を聞くと、こちらまで元気になって「頑張ろう」という気持ちになりますね。私、こういう人が大好きです。

でも元気になる話しばかりではありません。
友人のKさんのご主人が長い糖尿病の果てに、足の指を3本、切断手術したのです。
Kさん自身も腎臓透析を受けているので、これは大変なこと。
痛くも痒くもない病気の恐ろしさです。
腎臓病も糖尿病も食養生が大切。でも食べることが大好き、楽しくワイワイするのが大好きという夫婦だったので、その食養生ができなかったのしょう。
またつい最近胆石で胆嚢切除手術をした友人はすっかり治ったのに安心したのか、以前と同じようは飲み食いにもどりましたが、大丈夫なのかなと心配しています。
担当医師は「胆嚢なんて要らないよ」と仰るそうですが、そうとは思えないのです。
だって不要なものが体にあるでしょうか?必要だからあるのではありませんか?
そのことを鍼灸の先生にお話ししたら、「そんな人の体になった体がかわいそうだ」と嘆いていらっしゃいましたが、本当にそうです。
体は魂を容れる大切な容れもの。神様から預かっているのだから疎かにしてはいけないのです。

これまでどこも悪くなかった夫も車同様、古くなっているためか、右肘が悪くなりました。
これはゴルフ・エルボーでつまりは、ゴルフの練習のしすぎです。
プレイは問題ないのです、数時間の間に打つだけなので、そう負担はかからない。でも彼は練習の虫。とにかく毎日練習にでかけるんです。
ゴルフ場が車で3分という郷里もいけない。
とにかく人間の器官の使い過ぎは良くない。よほど強靭でなければ故障を起こします。
最初は腫れて炎症を起こしていました。病院の湿布薬などを優しい友人知人から貰っていましたが、そういうのって効かないんですね。
結局一番訊いたのが、里芋パスターでした。
里芋をすりおろして小麦粉と水で練り、晒で湿布するという自然療法。
だけど里芋の皮をむきすりおろしていると、手が痒くなる。それでネットを検索したらパウダーというのを売っていて、それなら簡単。
どんな湿布よりも炎症が治まりました。
かなり痛みは改善されたけれど、あともうちょっとのそのちょっとが結構手強くて、これはもう日薬で治すしかないと思います。
おっかなびっくりでプレイしているのでスコアが悪くてしょげていますが、仕方ないですよね。ガマンガマンしかないでしょう。

私とハッチは元気です。
ハッチはますます耳が遠くなって「気配」を感じることが難しくなっているけど、そのおかげでぐっすり眠れるようです。
猫も歳を取れば早起きになるのか、ぐっすり寝て寝飽きるのか、ハッチの起床時間はずいぶん早くなり、毎朝6時半に私たちを起こすのは困りもの。
あと30分寝せてよとお願いするのだけど、許してくれません。
起きた私が何をするか?
あのぅ、2週間前から始めたんです。乾布摩擦を。
とてもとても人さまにはお見せできない姿ですが、乾布摩擦をすると体はポカポカ。これは一生の習慣にしたいと固く決心しています。
夫に「カンプマサツ」をしようと言ったら、「寒いから、、」と消極的。
なんと彼は乾布摩擦を「寒風摩擦」と思い違いをしていたのですって!
まさかパンツ一丁で外の寒風の中、できるわけないでしょ、第一そんな恐ろしい光景なんてそうぞうしたくもありません。

恐ろしい者がもう一つ、我が家にあります。
それはアマリリス。
恐ろしくインパクトのある色と大きさの花を咲かせているのです。
これはクロネコヤマトの鉢経つのお兄さんがプレゼントしてくれた鉢植えなのですが(なんでも引き売りのノルマがあったようで)、芽が出るのが遅くってもう枯れたのかと思っていたら、とんでもない花が次から次へと咲いてきて、あまりの迫力に悶絶しそう。
お兄さんに「頂いたの、こんなのが咲いたよ」とお見せしたら彼も「うわーっ」と驚いていました。
アマリリスって名前は可憐なのに。。

と、あれやこれやで三月が終わりそうです。
春は外仕事が多くなるので読書量が減るのが常。でもなんとか頑張って本を読みますので、時々このブログを訪問してくださいね。
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月28日

E・M・レマルク「凱旋門」

大好きな小説です。
17歳くらいまで、本を読むことなわち小説(物語)を読むことに他ならなかった私にとって、「凱旋門」はまさに小説中の小説だった。
なぜ17歳かというと、あの頃フランスからサルトルとボーヴォワールが来日したからだ。
それ以来、本を読むのは知識を得るためという目的を持つようになった。
サルトルとボーヴォワールは新しい男と女の関係で、まぁ時代の流行の現代思想だった。流行に弱いミーハーの私はすっかり夢中になって彼らの著作を読みあさった。思えばあれは私の第一期青春だった。

ともかく、私の小説の黄金期に読んだ本はいまでも私の宝物。
コレットの「青い麦」、ラディゲの「肉体の悪魔」と「ドルジェル伯の舞踏会」、シャルドンヌの小品、「チボー家の人々」・・
(なぜかフランス文学が多いなぁ)。
そしてこの「凱旋門」。
(ご存じでしょうが、レマルクはドイツ人作家。第一次世界大戦を題材にした「西部戦線異状なし」も名作です)。

「凱旋門」はボワイエとバーグマン主演の映画で有名だが、私に言わせるとあんなに最悪な映画はない。
まず二人が下手くそなだけでなく、どうしようもないほどミスキャスト。
レマルクの原作の緻密さがまるでないし、戦時下のパリの雰囲気だって出ていないんじゃないか。
あの映画を観て小説「凱旋門」を誤解している人は多いと思うけど、原作は全然違うのだと声を大にして叫びたい。

でもなぜいまこの本を再読しようと思ったのか?
昔は我が家にあった世界文学全集に収録されていた。記憶では緑色の函で緑色の表紙だった。
いつのまにか手元から消えてしまって、古本屋でまた買おうかなともう何十年も思い続けて来たのだった。
それが数年前だろうか、復刻版が出たことを知った。
これもいつか手に入れようとそのままになっていたのだが、つい最近ふとしたことでまた思いだし、なんとなく我が町のライブラリーを検索してみた。
すると、あるではないか!
レマルクの「凱旋門」、ちゃんと復刻版を購入していたのです!
これは借りなくっちゃということで、うれしい読書となった次第。

「凱旋門」には小説としてのすべての要素が詰まっている。
恋愛、友情、裏切り、失意、戦争、革命・・
ないのは「家族」だ。登場人物たちはみんなデラシネ。祖国を追われ家族を失い、他の国で暮らす人々だ。
そこは安住の土地ではなく、そこからも逃げざるを得ない境遇の寄る辺なさのなかで触れ合う魂の切なさ・・
嗚呼もう、なんてすばらしいのだろう。
復刻版も以前と同じ訳者の同じ文章だ。たしかにちょっぴり古臭くはあるけれど、私にはやはり同じ方が落ち着きがいい。

ないのは「家族」と書いたが、「希望」もない。少なくともナチス占領下のパリ、ましてやドイツから逃れて来たラヴィックには「希望」はない。
それでもつかの間、ラヴィックとジョアンには恋人同士としてのかすかな未来を夢見ることはあったと思う。

これを最初に読んだときはまだパリに一度も行ったことがなかったが、最初にパリに行った1969年、私はこれにたびたび出てくるカフェに行ったのだ。モロソフがドアを開けてくれることはなかったが、うれしかったなぁ。
私にとってラヴィックとジョアンは永遠の恋人同士だ。
今回再読して、こんなにも多くのパリの通りの名前が出てきていたのかと驚いた。パリに住んでパリをよく知る人には懐かしい通りの名前なのではないだろうか。

「凱旋門」のほかに、小説中の小説を挙げるとしたら、20歳代半ばに読んだダレルの「アレキサンドリア四部作」でしょうか。
小説作品としての欠陥は多いのだが、じつに魅力的な作品だと思う。
これもいつの日か再読したいものですが、さて、私の目がもつかどうか。。
posted by 北杜の星 at 07:22| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月25日

木内昇「よこまち余話」

大好きな木内昇の新作が読めるのはそれだけでうれしいのに、この「よこまち余話」はまさにどこから読んでも全部が私好みで、ページが少なくなるのを惜しみ惜しみ最後まで来た時には、この世界から切り離されて寂しかった。
系列的にいうと直木賞受賞の「漂砂のうたう」や「櫛挽道守」のような作品ではなく、「茗荷谷の猫」に近い雰囲気をもつ連作短編だ。

時代がはっきりしないのだがたぶん、大正の終わりか昭和の初め。
「路地は幅一間ほどで、東西に細く伸びている。東の端には一対の銀杏に両脇を護られた石段があり、その先は天神様のお社へと続いていた。」
その路地の長屋の住人たち。
着物の仕立てをする齣江。魚屋のおかみさんと長男の浩一と次男の浩三。齣江の向かいに住む老婆のトメ。
長屋の家賃を取り立てに来る「雨降らし」と呼ばれる男。どこかちぐはぐで場が読めない糸屋の息子、生地屋・・

でもこれは長屋の人情物語などではない。
「茗荷谷の猫」は時空を超えて人やできごとが重なりあっていたが、この「よこまち余話」でも彼らはどこか「異界」を纏っているのだ。
見えない人間が見えたり、影と話をしたり、ひとつひとつ物が消えたり。
誰が本当にそこにいるのか、いないのか。
それは「あやかし」なのか?
けれど木内昇の書く「あやかし」は怖いものではない。
不安ではあるけれど、どこか懐かしくせつなくなる「あやかし」なのである。

「この世の中にある次元というのは、ひとつきりじゃないんだろうね。」

強い想いは時をやすやすと越えるものなのかもしれない。
その人たちはどこから来て、どこへ行くのか?はたして本当にいたのだろうか?
はかない存在ではあるが、彼らがいた記憶がもし誰かの中に残っているならば、彼らはたしかにそこに居たのだ。
齣江たちが観る神社の奉納能の幽玄さが、その気配を感じさせる大きな役割をしている。

どの章も静かで穏やかで胸の底に清らかな水が流れるような気がしてくる。
それは物語よりも木内昇という作家の文章からくるものだと思う。
彼女の日本語は美しい。これは他の言語では絶対に表現できない情感ではないだろうか。
日本人の第一の特質は「自然観」だ私は思っているのだが、彼女の文章には日本人の美しい情感が漂っている。
風、光、音、匂い・・季節が移り、人々の暮らし方も季節によって移ろう。
ほんの数十年前まで確かにあったもの、そしていまは失われてしまったもの。
でもここではそんなムツカシイことは考えないで、ひたすら木内昇の文章にたゆたっていたい。
きっと誰もがこの本を読むと、そう感じること間違いなし。
もう、本当に、うっとりです。
ぜひみんなに読んでもらいたい「よこまち余話」です。
posted by 北杜の星 at 07:47| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月24日

新納季温子「見えない私の生活術」

だんだん見えにくくなっている私に役に立つかなとライブラリーから借り出したこの本、「生活術」としてはあまり役に立ちそうにはなかった。
著者の新納さんは生後まもない病気のために視力を失った人なので、見えないのが恒常。見える世界を知らない。
そういう人は視覚以外の感覚に優れていて、その感覚が目を補っているためにあまり生活に不自由がない。
しかし中途失明者は視覚を失うが、だからといってその他の感覚にも鋭くないため、歩くにしても日常生活を送るにしても、できないことばかり。生活するには「訓練」が必要となる。
もちろん新納さんもこれまで学校などにおいてたくさんの訓練を受けたことだろうが、中途失明者ほどには苦労でなかったのではないだろうか。

それでもまったく目が見えない人が大学を卒業し、就職をし(視覚障害者学校の英語教師)、結婚出産をするというのは、大変な努力を要するはずだ。
その彼女の頑張りがなによりも私の励みになった。
母や姉の手助けを受けながら、また点訳ボランティア・サークルで知り合った晴眼者の男性と結婚し娘を産んだ彼女には、努力と思いっきりの良さ、時には「死なへん、死なへん」の楽観主義があって、それがとことん彼女を前向きにしている。
ともすれば悲観的になる、それでいて努力を怠る私には、勉強になることばかりだ。

これは目の見える人に読んでもらいたいと思う。
視覚障害者はこのようなことに苦労して、こういう工夫をしているのかということがわかれば、サポートしやすいからだ。
駅のホームでガイドする時にその方法をしっていれば声をかけようという気持ちになるはず。
眼の見えない人をガイドする時には、肘を持たせてあげると良い。肘は向かおうとする方向を体のどの部分より早く察知し動くからだそうだ。腕を引っぱたり肩を押したりしてはいけない。
また目の見えない人と一緒sに食事をする場合、お皿に乗った料理を説明するのに、「12時のところに人参、2時のところにインゲンの付け合わせがあるよ」と言ってあげれば、だいたいの位置がわかる。
大勢の人がいるところで声をかける時には、そっと手や肩に触れたり、名前を呼んであげれば、自分に声をかけられているのがわかる。

でも目の見える人間にとっては「見えない世界」を想像ができないことはたくさんある。
眼の見えない彼女が食べるのに苦労するものってわかりますか?
まず、釜揚げうどん。箸で麺をすくう時に、どれくらいの長さをすくっているのかわからないし、その麺をツユ猪口に全部入れるのがムツカシイ。これは私だってツユを飛ばして服を汚すことがある。
それからミルフィーユ。甘い者が大好きな彼女にとっては、食べたい、でもきれいに食べられない、のジレンマだそうだが、これも私にだって大変な食べ物で、どうフォークを突き刺してもパイ生地はぐちゃぐちゃになってしまう。気取っていたいときには絶対に注文しないスウィーツだ。
三番目は丸ごとの魚の煮つけだそうだ。これも私にはわかるなぁ。瀬戸内育ちの私は魚好きで、キレイな魚の食べ方をしていた。でも見えなくなってからというもの一匹付けの魚がどうも苦手になった。骨やエラの間の身がうまく箸で取れないために汚い食べ残しになってしまう。本来ならもっとも美味しい部位の身がほじくり出せないのだ。
友人は「いいから、食べれば」と言ってくれるのだが、無残なお皿が申し訳なくて切り身ばかり注文することになる。
この「美しく食べる」ことに関しては新納さんも心を砕いた経験があるそうだが、わかるなぁ。
でもね、釜揚げうどん、ミルフィーユ、魚というのは誰にとってもかなりの難関なんですよ。だから心配無用です。

視覚障害者と接していて驚かされることがある。
それは彼らの記憶力の良さだ。
電話番号にしても、駅の階段の数にしても、カレンダーにしてもじつによく覚えているのだ。
晴眼者のように「ちょっとメモを見る」ことができないから、なんでも頭に入れておくのだろうが、すごいなぁと感嘆する。
彼らの家に行ってまた驚くのは、「なんてよく生理整頓してあるのだろう」ということ。
床にモノが置いてあったり、散らかっていることがない。いつもあるべきところにあるべきものが収められている。
目で探せないので自然にそうなるのだから、これは素晴らしい「生活術」でお手本にしたい。
彼女は冷蔵庫の収納術についても書いているのだが、冷蔵庫って「魔界」ですよね。入れてあるものを忘れるし、忘れられたものがどうなるかは考えるだけでも恐ろしい。
彼女は「覚えられるだけの食品しか入れない」ことを旨としているそうだ。
そうか!あれこれ詰め過ぎるから忘れてしまうのか。これはとても参考になる「生活術」だ。

それにしても考古学者のご主人について海外生活を幾度かし、その土地のスーパーなどに白状と共に一人歩きするなんて、積極性がなければできないことだと思う。
世の中には心ない人もいればやさしい人もいる。傷ついたりうれしかったりの連続の毎日に、家族がいる幸せがこの本にはある。
ご主人が対談相手になってのトークには二人のこれまでの信頼の強さを感じる。

でも私が強調したいのは、これはけっして障害者の感動物語ではないということ。
ここには普通の三人家族の歴史があるだけだ。その妻がちょっと目が見えないということ。
お涙頂戴の文章はどこにもない。むしろ笑えることが多かった。
シンガポールの空港に着いた時、空港の地上職員がサポートしてくれるのはいいが、車椅子に乗せられるという変な話が総会してあるのだが、目が悪いだけで歩けるのに車椅子に乗せられるって?という感じ。しかも有料だったというからますます「?」な話しだ。

今は視覚障害者にとってはかなり便利な社会になっている。
パソコンの周辺機器がたくさんあり、点訳ソフトを使えばかなりの知的作業が可能だし、外出支援も増えている。彼女が書くように、デパートに行けば買い物サポートのアテンダントがついて一緒に商品を買うことができる。デパ地下食品だって楽しめるということ。
こういうサービスを受けるときに大切なおんは「卑屈」にならないことだ。
感謝するのは大切だが「卑屈」はサポートをするほうにとっても居心地が悪いと思う。
さらありと「ありがとう、お世話になりました」で充分だ。新納さんはそこらあたりが素敵な人だ。
日本人というか日本の社会はまだまだこういうことに慣れていないので、どちらも過剰に反応してしまう。
(私の視覚障害者の友人がベルギー在住中に視覚障害者訓練を受けたそうだが、一人で白状をついて歩く訓練をしていると、行きあう人がみんな声をかけてきて「あれじゃぁ、訓練にならなかったわ」と笑っていた。そのときに彼らはじつに自然にサポートしてくれたという。)

点字ができれば「読書」ができるのだけど、私のような年齢ではもう無理。。
でもパソコンの音声ソフトを使えば、情報収集はできるので、世界から切り離されるわけではないと安心はしている。
けれどパソコンよりも何よりも、人と繋がること、これがもっとも重要なことだと思っている。

posted by 北杜の星 at 07:17| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月22日

薬日本堂監修「漢方で体をととのえる穀菜食」

最近は糖質ダイエットが流行していて、穀類を摂取しない人が増えている。
かくいう私たちも夕食は炭水化物は食べないようになった。
でもまったく穀類を摂らないのは、糖尿病なら理解できるが、普通の健康体にはいかがなものかと、昼食にはパスタやご飯を食べている。
(糖質除去が直接の原因かどうかはわからないが、糖質ダイエットの専門家医師が61歳で急死されたとのニュースにはびっくりしました)。

野山で暮らしていた人類が草原に住むようになり、農耕生活が始まった。だからその歴史を考えると穀類は人類にとっては新しい習慣であって、糖質は体に害を与えるというのが糖質除去の考えだ。
でも「新しい習慣」とはいえもう1万年くらい続いている。1万年の間には体がそのように作られていると思う。
だから完全に穀物を食べないのは良くないような気がする。
欧米ではグルテン・フリー食もじわじわと増えているけど。
(美味しいものってなんでも毒なんですね。)

この本には(漂白されていない)穀物と野菜を食べることで、体を養おうと、実践するためのメニューが載っている。
食養生の基本は10ある。
・気候風土に合ったその土地でとれる食材を食べる。
・季節に合った「旬」のものを食べる。
・食材を丸ごと食べる。
・玄米などの穀物、自然発酵食、豆類、野菜などを多くとる。
・加工食品や添加物をできるだけ避ける。
・食事の量は腹七分目。
・一口ごとに充分に噛む。
・水分をとり過ぎない。
・楽しい雰囲気で食卓を囲む。
・食べ物に対して、感謝の気持ちを大切にする。

私にとっていちばん難しいのが「腹七分目」ということ。食べるのも速いしなぁ。よく噛んでいないかも。
でもこれら以外はまぁまぁ合格ラインにあると思う。
近所の自然食品店にはすぐそばで朝採れた野菜が並ぶし、納豆は毎日食べてるし、豆だって結構好きだ。
水分をたくさん摂るようにと提唱する現代の栄養学や医学はもとから信用していない。(水分はたくさん摂るとむくみや難聴の原因になる。)
加工食品はほとんど食べない。生活クラブと自然食品店の食品には添加物は少ない。
ただ反省しなくてはいけなとしたら、「玄米」を食べていないことだ。米自体をあまり食べないので、食べるときは「白米」にしてしまう。
これってやはり減点でしょうね。

「感謝」はしています。
3・11以降は特に、食べられることに大きな感謝をするようになった。夫と二人だけであっても家族は家族。その家族が平和に食卓を囲める幸せがありがたい。
当たり前のことがじつは当たり前ではないということを、3・11は改めて気づかせてくれた。

私は20年くらい前にマクロビオティックを実践していたので、ここにある知識はもっているのだけれど、ときどきこういう本を読むことは、再確認と自戒のために必要なことだと思っている。
ふだんの食事は体を養うために摂るのだということを、忘れないために。
「ハレ」と「ケ」の区別をちゃんとして暮らすことが、体に良いだけでなく美しく暮らすことだと思っている。
(毎日ご馳走が食べたかった夫も、このごろ変化がみられるようになって、うれしい。)

「滋味あふれれる」という言葉そのままの献立を見ていると、本当に心身に力がみなぎるような気がします。
posted by 北杜の星 at 07:10| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月21日

村田沙耶香「消滅世界」

前作「殺人出産」は奇妙な仮想世界を描いたものだったが、この「消滅世界」もそれ以上にSFっぽい設定となっている。
「殺人出産」では10人の子どもを出産すると、殺したい人間を一人殺せるという物語だった。
これはそれほど奇想天外ではなく、今のセックスレスの風潮などを聞くと、近未来にはこういう社会もあり得るかも。。という気になって来る。

雨音は離婚した母によって育てらた。母は今ではとてもめずらしく古風な「交尾」という手段で雨音を産み、機会あるごとに好きな人と結婚しその人の子どもを産む幸せを雨音に言い聞かせた。
しかし雨音の生きる社会では夫婦の「交尾」は近親相姦の異常行為とみなされていた。
夫婦は「家族」であって、恋愛や「交尾」は家の外で行うものだった。
だから夫にも妻にも恋人がいるのが普通だった。
しかも直接的な「交尾」をする恋人同士は稀で、恋愛感情すら「ヒト」ではなくアニメやテレビのなかのキャラクターが対象のことが多かった。
雨音は結婚したが、「正常」な慣習によって人工授精を予定していた。

しかしあることが起こり、彼ら夫婦は千葉の「実験都市」に引っ越しをすることになった。
そこはもっと進んだ社会で、男性が人工子宮で出産でき、雨音の夫はその大一号となり無事出産する。。
その実験都市で生れた子どもは「子どもちゃん」として社会が育て、大人なたちは男でも女でも「おかあぁん」と呼ばれ、みんなで子どもを見守り育てるのだった。。

「正常」とはなにか?
正常な価値観、正常な習慣、正常な家族・・「正常」の概念は時とともに変化してきた。
現在の私たちだって、平安時代や江戸時代、いやほんの戦前までの「正常」とはかけ離れた価値観の中で生きている。
いまや同性婚が認められる世にまでなった。そんなのはつい20年前までは考えもしなかっただろう。
村田沙耶香は「崩壊世界」において、「正常」とは何かと向き合っている。

私たちは多かれ少なかれみんな「洗脳」されて、「正常」をインプットされている。
古い時代の洗脳者の母、今の洗脳者の雨音。どちらが正常なのか。
「お母さんは洗脳されていないの?洗脳されてない脳なんて、この世の中に存在するの?どうせなら、この世界に一番適した狂い方で、発狂するのがいちばん楽なのに」。
そう、雨音は自分が生きる「実験都市」が狂っているのを知っているのかもしれない。

これ、面白かったです。
でもちょっと中だるみがあって途中、退屈だったかな?
こうした仮想世界を小説として引っ張るには、250ページは長過ぎるような気がするのだけど。。
posted by 北杜の星 at 07:06| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月18日

平松洋子「味なメニュー」

大好きな食のエッセイスト、平松洋子の一冊。
なぜ私が平松洋子が好きかというと、彼女の文章には品位があるんですよね。
たくさん美味なるもの、高価なものを食べていると思われるのだけれど、ちっとも自慢気でないし、高価なものも安価なものも「美味しいもの」として同等の価値を置いているのが好ましい。
それに彼女は中央線沿線に住んでいらして、荻窪西荻窪に長く住んでいた私には、彼女の書くエリアの店に親近感を覚える。

食堂やレストランに入ると、しかもそれが初めての店だと、壁に貼られているメニューや持って来てくれるメニューが気にかかる。
小心者の私は横に立って注文を待っている店の人に悪くて、目についた料理をさっさとお願いすることが多いのだけれど、料理が来るのを待つ間メニューを見ると、「あー、卵焼きがあったじゃないの」とか「しじみ汁もあったんだぁ」と、後から口惜しいおもいをすることがある。
それとは反対に、行きいつけの店だと、どんなにたくさんの料理がメニューに並んでいても、注文するのはいつも同じ。メニューを見るまでもない。

この本には豪華なお店はない。
銀座の「銀の塔」のシチュー、大阪の「たこ梅」、OLさんたちが利用するお昼時の「キッチンカー」、街角の「ジューススタンド」、大衆酒場、お茶漬け屋さん・・
店のメニューを見ていると、「あ、これ食べたい」「これを飲むのは朝だな」とか、食指が動くものが多い。
なかに銀座の「立ち喰い蕎麦屋」があって、その店のメニューはそこらあたりの立ち喰い蕎麦屋とは一線を画した品が並んでいる。
春にはフキノトウの天そば、4月のタラの芽天そば、5月の山ウド天そばなどなど、立ち喰い蕎麦屋に季節感があるのだ。
しかも無添加のツユは出汁がきいているそうだ。これってすごい!どんなに凝っていても立ち喰い蕎麦屋だから、値段を高くするわけにはいかないという鉄則がある。
この企業努力が「銀座のオアシス」と呼ばれるゆえんなのだろう。ちなみにこの店の名は「よもだそば」。

独り飯が全然平気な私だけど立ち喰い蕎麦屋に入ったことはない。最近では若い女性が独りで立ち喰い蕎麦屋や牛丼屋で食べている姿を見かけるようになったが、どうも私世代は気取るわけではないけれど勇気が出ない。あれができる女になりたいものだが、平松さんはできるのだから尊敬します。
私が住む町のJR小淵沢駅に旨いと評判の立ち喰い蕎麦屋がある。サラリーマンや高校生たちが食べているのを見ると、出汁のいい匂いに釣られて、寒い時期など食べたくなるのだが、まだ食べたことがない。
そこの肉蕎麦の肉は牛でも豚でもなく馬肉だそうで、それが人気らしい。

最近東京へ行くと、街や駅にジューススタンドや青汁屋が増えたのに気づく。
みんな野菜不足なのかな。
我が家にもジューススタンドがあるんですよ。
毎朝キッチンのカウンターでBuon Giorno」と挨拶すると、バリスタならぬ我が夫が作りたての人参とりんごの生ジュースを出してくれるのだ。
メニューはなくて、いつもこの材料。(もうすぐりんごの季節が終わったら、どうするつもりか?)
これが美味しくて、街にジューススタンドが増えるのがわかろうというもの。

私も夫も下戸なので、居酒屋とか大衆酒場には足を踏み入れたことがない。
居酒屋メニューってたくさんあり過ぎて、何を頼んでいいか迷いそう。一度行ってみたいのだが、あまり高級な居酒屋では面白くない。
普通のにぎやかな居酒屋に行きたい。

ここは田舎だから「キッチンカー」はあまりいない。スーパーの駐車場に焼き鳥屋さんやピザ屋さんがいるくらい。
都会の新宿などの「キッチンカー」は勤め人にとっては、とても重宝だと思う。
コンビニのお弁当は(チンしてもらえば別だけど)冷たいけど、「キッチンカー」は出来たてで温かい。それにバラエティ豊かだ。
エスニックなものが多いが、どれも美味しそう。
でもこのお昼時の「キッチンカー」の規制が厳しくなるようで、困る人がいるんじゃないかと心配だ。
料理を出す方も、少ない出資で店が持てるのだから、誰にとっても悪い事じゃないと思うのだけど、衛生面の問題なのだろうか。

「味なメニュー」の「味」は平松さんの文章の妙味でもあります。

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2016年03月16日

地球丸編集「軽トラック パーフェクトマニュアル2」

私の代わりにライブラリーに取り置き本を受け取りに行ってくれた夫から電話がかかった。
「あのね、誰かとの間違いだと思うんだけど、軽トラの本が入っているよ」
「あ、それ、私が借りたの」
「えぇ。。。」

帰って来た夫は「なんでこんなの借りたの?キミはなんでも読むんだね」とあきれていた。
田舎暮らしを始めて驚いたのは、どこの家にも必ず軽トラがあることだった。
集落で「寄り」がある時には、公民館の前に十数台の軽トラが並ぶ。同じ白色、同じ型、新旧の差はあっても私にはどれもまったく同じにしか見えない。
農家は当然のこと、都会からの移住者の家にも軽トラはある。
軽トラほど「お役立ち」の車は他にはないのだ。とくに田舎に住めば必需品といってもいいくらい。
我が家は持っていないが(ガレージに鎮座させるには、夫の美意識に反するようだ)、あると良いなと感じることは多々ある。
幸いにも、友人が何人か持っているので、どうしてもと言うときにはお借りするし、Jマートのような大型店では大きな資材を買えば軽トラを貸してくれる。

そう、軽トラは偉大なのだ!
私が欲しいのは、軽トラのダンプだ。砂利を積んでも薪を積んでも、ダンプでザァーっと一気に下ろせるのがいい。労力が半分になる。
でもどういうわけか、周りで軽トラダンプを所有している人はいない。ということはあまり必要ないの?
「軽トラ パーフェクト・マニュアル」というから使用するためのマニュアルブックかと思ったのだが、それは「1」に書いてあるのかな?この「2」には軽トラ・ヒストリーや、カスタム車が紹介されている。
なかにはかっこいいカスタム車もある。
だけど安い軽トラにそれほどお金をかける価値があるのかどうかは、まぁシュミの問題。私なら「純正」で乗るな。

軽トラにあればいいと思われるのは、荷物を置けるスペース。なにしろハンドバッグすら置くスペースがないのは困る。
婦女子のための軽トラというものが開発されればいいと思うのだけど、やっぱり女の子は軽トラには乗らないよね。
鼻がない軽トラよりは(この本にも写真が載っているが)、ピックアップの方が素敵。
日本ではどうしてピックアップに人気がないのだろうか?アメリカの片田舎を埃を上げて走るピックアップは、雰囲気あっていいものだ。
軽トラにももっといろんな車体のカラーが選べても、、と思うけど、これも余計なお世話かも。実用一辺倒というのが軽トラの魅力かもしれない。

この軽トラ、でも注意したほうがいいのです。
というのも、農家の人は「ちょっと畑まで」という感覚で乗っているので、保険を掛けていないことが多い。
数年前に認知症気味のお年寄りが大型スーパーに軽トラを誤作動して突っ込み、保険をかけていなかったために自己破産となったと聞く。
また私たちの友人も軽トラで物損事故を起こし、その補修の金額があまりに高くて困っていた。
軽トラックといえども立派な車。対人対物保険くらいは必ず入っておくべきだ。

この本で初めて知ったこと。
それはホンダの四輪の参入は、軽トラからだったことだ。
1962年に生産された「T360」という高性能軽トラックこそが、モータースポーツのホンダの四輪のルーツだそうだ。
(車を四輪と呼ぶのは、バイク乗りの独特の言い方で、バイクは二輪、車は四輪なんですよね。)

先日、再来年の冬用の薪を注文し、Mさん夫婦が軽トラックで運んできて下さった。楢系だけでなく雑木が混じっているので安い。
こちらでは,いろんなモノに「軽トラ一杯」という単位がある。
「砂利を軽トラ一杯分とか「薪を軽トラ一杯」とか「チップを軽トラ一杯」とか。
とてもアバウトな表現のため数量は一定しないのが難とえば難だが、田舎暮らしにはとてもわかりやすい単位で、「軽トラ一杯ね」ですべて通じるのだ。

軽トラックのような車種は日本だけでなくヨーロッパ、例えばイタリアにはAPIというのがあって、スピードは全然出ないがなかなかシブイ。
作家のイトヤマさんはあれが欲しいそうだが、日本で手に入れられるのかな?
posted by 北杜の星 at 07:09| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月15日

村木厚子・秋山訓子「女性官僚という生き方」

上級国家公務員のキャリアとして省庁で働く女性たちが語る「女性官僚という生き方」が集められている。
霞が関といえば長時間労働で有名である。
以前の大蔵省の年度末の労働の凄まじさはいつもニュースとなっていた。過労死したり自殺したりする人もいた。
しかしこれは現在もそうは変わっていない。
そんな職場で女性、しかも結婚をし子どもを産み育てる女性たちは、どのように仕事と家庭を両立させてきたのか?
若い女性官僚が増えるなか、まずは先輩格の前厚生労働事務次官だった村木厚子氏のインタビューからこの本は始まる。
聞き手は朝日新聞編集委員の秋山訓子氏だ。
(村木氏といえば、あのでっち上げも甚だしい大阪地検の誤認逮捕で有名だが、ここではその話は出て来ない。)

四大を卒業すると、女性は就職先が見つからなかった時代、村木氏は官僚になる道を選び労働省に入った。
彼女の前には、一人の女性キャリアがいただけだった。
「普通」に結婚をし子どもをもちたいと思った彼女は、「労働省」という省庁だからこそできたという。
ロールモデルとしての「労働省」だから、前例をつくれたのかもしれない。
しかし半端な仕事ぶりではない。体力気力の限界じゃないかと思われる状況の連続だ。

他にも内閣人事局、経済産業省、衆議院調査局、財務省の女性官僚たちが登場するが、少し驚くのが、防衛省や警察庁での女性キャリアだ。
男の世界の防衛省や警察庁という印象だが、このところ入省する女性はだんだん増えているらしい。
(警察庁では剣道などの武道が義務付けられているそう)。
どの省庁も仕事時間はものすごく長い。実家の近くに住み親の援助が受けられればまだなんとかなるが、そうでなければ上の子は夫に預け、自分は下の子を連れて国内外に転勤ということもある。
同じ職場の夫、もしくは別の省庁でもアレンジできる場合は、一家そろっての海外勤務が実現する。
むしろ海外での方が、長時間労働が少なくて、「家庭生活」を遅れるようである。

こうした仕事ぶりを改善しようとする動きが出始めている。女性官僚が増えたためだし、彼女たちは横の連絡情報網をお互いに持ち、さまざまなケースを話し合う場を持とうとしている。
とくに若い世代ほど、親に頼ろうとはしないそうで、保育園や託児所の利用が多い。
子どもが赤ん坊や幼稚園の方がまだラクだと彼女たちは言う。経費はかかるが預かってくれる時間が長いからだ。けれど小学生になると下校時間が早くなり、いわゆるカギっ子で過ごさなければならなくなるので、そのほうが気がかりだそうだ。
自分の給料全部を使っても、子どもを預ける場所を確保し、仕事を続けようとするその努力は、本当にすごいと思う。
モチベーションの高さが一般企業勤務とはどこか違っている気がする。
村木氏も言っているように、公務員の仕事は「国民のニーズを政策に落とす「翻訳」係」だと言う。
この本の中のかなりの数の女性たちが「世の中のためになりたい」「世の中を良くしたい」と幼いころから願って、入省している。
たしかに、モチベーションが高いはずだ。

政治家の方たちにお願いです。
国会での質疑への原稿を書くために、官僚たちは夜中明け方まで資料を見ながら仕事をする羽目になっています。
戦略的な時間というのがあるのでしょうが、なるべく夜遅い依頼はやめて、彼女たちをはやく家に帰してあげて下さい。
(彼女たちの子どもたちはみんな、そんな母親を認めて応援している。健気ですね。母の一生懸命を見ていれば自然そうなるのかもしれません。)

とにかく、私なんかとはエネルギーの絶対量が違う!
官僚にあまり良いイメージを持たない私でしたが、これを読んで良かったです。官僚を見直しました。
ただ、こういう官僚たちが勤続年数を重ねて、「官僚的」という悪い方に変化しなければいいのですが。。
posted by 北杜の星 at 07:14| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月14日

高橋三千綱「ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病」

高橋三千綱の小説はずいぶん長い間読んでいなかった。
「九月の空」はいいと思ったが、あとはどうも縁がない感じで。
彼は小説をいつも新聞や雑誌の依頼を受けて書いてきたそうだ。友人の中上健次そんな彼に「書き下ろしを書け」と生前薦めていたらしい。
作家が書き下ろしを書くのは大変だ。
その間、原稿収入がないからである。しかも長編となると何カ月もかかる。その間無収入なのは困る。
しかし高橋三千綱はここで一念発起、作家人生初の書き下ろし、しかも初の自伝的長編を書くことにした。
それがこの本。

タイトルを見てわかるように彼は「肝硬変」と「糖尿病」を患っている。それもかなり重篤な症状だ。
y-GTPの数値がなんと4000を超えていた!!(基準値は約50以下)。
よくこれで生きていると医者が不思議に思うほど。
こうなった理由はすべてアルコール。朝から酒を呑むことウン十年。そりゃ、肝機能に悪いでしょと言いたくなるが、困ったことにどれほど医者から酒を止めるように言われても、駄目なんですね。
アルコール依存症になっているとは思えないのだが(ホームドクターも三千綱は依存症ではないと明言している)、何かと酒を呑みつづけてしまう。
せめてワインや日本酒のように糖質の多い酒ではなく、焼酎のような蒸留酒にするように忠告されても、やはりビールは呑むし日本酒も呑む。(焼酎も呑まないわけではなく、しっかり呑んでいる)。

高橋三千綱ってこんなに無頼の人だったっけ?
私と同世代だが、これほどの無頼派はいまどきめずらしい。昔なら作家の王道を行っている。
酒に加えて、競馬もある。
でもイイトコがあって、殺処分にされそうな馬二頭を助けて、そのうちの一頭がレースで優勝するのだから、憎めない人だ。
そう、この「憎めない」というのが彼の困ったところでもあって、ガールフレンドを含めて友人知人に恵まれ、ボランティアの秘書も運転手もいる。それ以上に奥さんとお嬢さんはやさしいのだ。
お嬢さんは医師に自分の肝臓から父親に生体肝移植をしてくれとまで頼むくらい。)

何度も入院。検査はするがなかなか治療にまで至らずに勝手に退院。
とうとう肝硬変になってしまう。糖尿病も悪化の一途。
それで終わらず、食道がんと胃がんまで発症し、手術となるのだから念が入っている。(食道がんの週靴の前に、何度かの食道静脈瘤の手術をしなくてはならなかったが、これは肝硬変の合併症とか)。

とにかく、凄まじい病歴なのだ。
それでもこの本はただの「闘病記」ではないのがスゴイところで、なんというか、三千綱さん、とっても元気なのだ。
病人を元気というのはおかしいが、病気に負けていない。完全に病気を制圧している感じすらするのだから不思議。
いっそ潔くすがすがしさえある。
最近はどこかがちょっと悪いとすぐに、やれCTとかMRIとかの検査を受け、病気を探し回り、おげくにドクター・ショッピングする人が多いが、少なくとも彼はそういう人とは異なる人生観、死生観を持っていて、それが尊敬できると言うか、私には立派に映る。
(もちろん、家族にとっては「しょうもないオヤジ」なんですけどね。)
まぁこんなにスゴイと病気の方が「参りました」と降参するにかないだろう。
80歳90歳まで生きられるとは到底思えないけれど、悪い人生ではなかったと、納得できるよね。

これを読むと、肝臓病の知識がたくさん得られますよ。
無頼派とはいえ作家だけあって、ずいぶんと肝臓について勉強していますね。
私、すっかり肝臓病に詳しくなりました。でも私の夫はお酒を呑まないので、肝硬変には縁遠いかな。。
posted by 北杜の星 at 07:13| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月11日

北杜市にお住まいの方への緊急書名のお願い

東日本大震災から5年。
亡くなられた多くの犠牲者の方々の無念を思い、残された家族の方々の悲しみを思い、日本中がやりきれない気持ちでいっぱいです。
ましてや福島原発事故からの復興はまったくできていません。
この国の政治の残酷さには絶望しますが、普通の人々の善き心根はまだ残っていると信じています。

今日の「ハッチのライブラリー」はいつもの「本」ではなく、私の住む町の重大できごとに関するお願いです。
このブログは私の友人知人も見てくれていて、そのなかには北杜市在住の方々も十数人いて下さいます。
その方々にお願いがあるのです。

小淵沢町に「大滝湧水」という日本名水100選に選ばれている水があります。
ペットボトルにこの水を詰めて1年たっても、腐らないという清らかで「気」の強い水です
そこには「大滝神社」という神社もあって昔から水とともに人々の暮らしを見守っています。
ところがこの大滝湧水に隣接する森林3ヘクタールの木々を伐採いして、メガソーラー発電のパネルを設置しようという計画があるのです。
山梨県は桃、さくらんぼ、ブドウなどのくだもの王国。お天気の日が多い県です。なかでも北杜市は全国的にも日照時間の長いことで知られています。
それが災いして、5年前の大震災以来太陽光発電が盛んになりました。

最初は私たちはみんな「自然エネルギー」を歓迎しましていたのです。やっと日本にも自然エネルギーの時代が来たと。
でもそうではなかったのです。
自然エネルギーの精神とは真逆の経済優先のためのものでしかなかったのです。
山林の樹を無残に伐り、そこにパネルを並べることは、環境破壊以外のなにものでもありません。
ここ北杜市は緑の高原の土地です。一年を通して小淵沢や清里、あるいは白州にたくさんの人がやって来ます。
それもこれも、自然があるから。
太陽光発電パネルは自然の景観を損なうだけでなく、パネル自体の危険性も指摘されています。
(最初の頃のソーラーパネル設置はまた奥ゆかしいもので、道路からは数メートルセットバックして設置したり、まわりに緑を植えたりして一応気を使っていました。でも最近の業者は悪質で規制がないのをいいことにやりたい放題なのが許せない)。

大滝湧水は昔から、小淵沢の上笹尾、下笹尾、松向、長坂の中丸や中島に、水を供給してきました。
現在でも農業用水のほかに、上水道は大滝湧水が水源です。
もし湧水近くの森が破壊されたら、水脈、水量、水質に大きな影響を及ぼすでしょう。
また昨年の鬼怒川での氾濫被害のような災害が起こる可能性もあります。
パネル設置後の草刈りに除草剤を使用されたら、上水道や井戸水が汚染されり危険性大です。

湧水を守るために大切にされて樹を伐らないできた昔の人々は本当に「畏れ」を知り、自然を大切にしてきました。
その森が今まさに消えようとしています。
北杜市民のみなさん、どうぞ緊急の署名運動にご協力ください。
小淵沢上笹尾の自然食品店「笹屋」さん(笹尾郵便局隣)に用紙があります。他にもたくさんの方が用紙をもっていらっしゃることと思います。
今月末を待たずに市役所に提出したいと考えています。
まず集めた署名を提出して、これからの活動を本格的に進めたいと発起人たちは考えています。

子どもや孫に「負の財産」をつくらないためにも、自然の森を守りたいものです。
署名のほど、よろしくお願いします。そして一人でも多くの方々にこの運動の輪を広げてもらいたいと希望します。

なお明日12日(土)13時半から、小淵沢の生涯学習センター(小淵沢図書館のある建物)におおいて、第2回の反対集会がありまので、これについて考えてみたい方はご参加ください。
みんなで意見交換をしましょう。

3・11の犠牲者のご冥福を祈りつつ。。
posted by 北杜の星 at 07:08| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月10日

品田知美・野田潤・畠山洋輔「平成の家族と食」

何年か前岩村暢子の「家族の勝手でしょ」という写文集を見た時の衝撃が忘れられない。
朝ごはんはお菓子、魚は一尾だけをテーブルの真ん中に置いてみんなでつつく、ラーメンも焼きそばも具なし・・
とにかく凄まじい食卓(と言えるかどうか)がそこにはあって、「この国は、滅びるね」と感じた。
もちろんすべての家庭でそうしたわけではなく、きちんとした食事を摂っている家族はいるのだけれど。

この本は岩村本のような衝撃はない。
それはこの本がフード・ライターによって書かれたものではなく、社会学者が書いたものだからだろう。
いろんなデータをもとにさまざまな方向から食を捉えることで、平成の時代の家族を考察しようとしている。
日本食は世界文化遺産になったが、家庭で和食はどのていど食べられているか?
世代間のメニューの違い。
男性は台所に入っているか?
行事食のトレンド。
3.11前後で何が変わったか?
東と西の食の違いはあるか?
・・などなど、じつに興味深い。

わけてもこの本がまさに社会学者によって書かれているなと感じるのは、ジェンダーの問題が取り上げられている点だ。
上記の「男性は台所に入っているか」にもあるように、日本の男性は料理をしない場合が多いんですよね。共働きが常識になっている現在であっても、料理は女性と考えられている。それは男性だけでなく女性自身ですら、そう考えているのである。
例えば「お弁当」。妻がつくれば「愛妻弁当」、母が子どものためにつくれば「愛情弁当」ともてはやされる。
でもそれって本当にそうなのかな?と私なんぞは思っている。どうして弁当に「愛情」がつきまとうのか?早起きして作るから?大変だから?でもそれを女性にばかり押しつけるのはおかしくない?
それってジェンダーじゃないのか?
そんなステレオタイプな「愛情」に振り回されずに、「今日はパンでも買ってね」とお金を渡してもいいし、アメリカのように簡単にピーナツバターを塗ったパンにりんご一個でもいいじゃないかと思ってしまう。
最近はキャラ弁なるものが流行しているらしいが、あれだってなんだか行き過ぎのような気がしてキモチワルイ。
第一、弁当だけがコミュニケーションだなんてヘンだし、そうした押しつけられた社会性のなかの「役割」にはどうも反発心がわいてくる。

「家族と食はどこへむかうのか」という論議以前に、現在は貧困から「食事ができない子ども」が増えている。
家族と食という定義が底から崩壊しつつあるのだ。
食いしん坊の私は、食べものがないのはどんなに悲しくつらいだろうと思う。
近在のスーパーなどに「フード・バンク」への寄付をよびかけているのだが、営利にばかりに目が向いてなかなかそうした運動に発展しない。
幸いにも山梨生協のパル・システムはフード・バンクに理解を示している団体なので、配達のお兄さんに「もっと個人が気楽に寄付できるシステムをつくって、恒常的に支援できるようにしてほしい」と申し出ている。
生協のような組織に食べものを預け、そこから直接フード・バンクに送ってもらうか、困窮家庭や施設に送ってもいいと思う。
現在フード・バンクに個人からは直接持参したり宅配便で送る必要があるのだが、それを代行してくれるところがあれば、もっとたくさんの支援が増えるはずだ。
もうすぐ春休みになる。学校が休みになると給食がないのでご飯が食べられない子どもが家にポツンと残される。
(フランスでもつい最近スーパーなどで余った食品を分配する自治体が増えているという。あのイタリアですらこうしたシステムはちゃんとあるんです)。
フード・バンクはお金の寄付をもちろん受け付けているが、でもまずは「食品」からと私は考えている。賞味期限が近付いたり、頂きもので食べないだぶついている食品は家のなかにあるはず。それらを寄付することから始めたい。お金はどう使われるか不透明なケースがあるので、まずはこうした直接行動からが望ましいと思う。

食は生きるベースとなるもの。そして楽しいもの。
食が楽しければ、つらい人生であってもほんの少しだけ楽しくなれると思う。
posted by 北杜の星 at 07:26| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月09日

絲山 秋子「小松とうさちゃん」

ごめんなさい、イトヤマさん。
イトヤマさんの大ファンの私は彼女の本は出版されたら必ず購入することに決めている。(こういう作家は他に3人くらいしかいない)。
「薄情」が発売されたすぐ後にこの本が出るのは知っていたというのに、例の井戸ポンプの故障や高熱ダウンとかのあれこれで、すっかり失念してしまっていた。
ライブラリーのネットの新刊案内「日本文学」のジャンルを見ていたら、「小松とうさちゃん」があるではないか!
うむぅ、誰も借り出していない。それなら買わずにこれを読むか。。
という次第で、今回はこれは借りた本です。本当にごめんなさい、イトヤマさん。

絲山 秋子って物語と文体の作家だとつくづく感じる。
小節ごとに彼女は文体いを変える。「薄情」では暗く重めの内容にふさわしい文体だった。
この「小松とうさちゃん」はタイトルを見てもわかるように、「薄情」よりも軽妙。
それでもしっかり人物廃置や展開はしていて、エンタメにはなっていないところが彼女らしいところだ。
物語が先なのか、文体が先なのか?
書いていて「突然、降りてくる」とイトヤマさんはよく言うが、「降りてくる」ものに導かれての小説作業は楽しいのか、くるしいのか?

表題の「小松とうさちゃん」は、酒場で知り合って仲良くなった男二人のうちの小松が、新潟新幹線の中で偶然知り合った女性と、(おそらくは)人生最後の恋をする。
小松は50代の大学の非常勤講師だが、収入は月15万円の実家暮らし。
小松の相手のみどりも小松と同年齢、自動車教習所の教官だが、実はもうひとつの仕事を持っている。
それは「見舞い屋」として病院の入院間患者を訪れ、偽の家族や友人となって話をすること。少々ヤバイ人物からの仕事だ。
一方うさちゃんこと宇佐美は結構な敏腕サラリーマンなのだが、ネトゲにはまっている。うさちゃんはいつもどこか憂鬱気分。

こんなおじさんたちって、酒場のカウンターにはいるものらしい。
イトヤマさんは「小松とうさちゃん」の前に習作っぽく小松とうさちゃんを登場させてごく短いものを書いている。それが「飛車と騾馬」でこの中に収録されている。
イトヤマさんにとっては「飛車と騾馬」だけで終わらせたくない人物だったようだ。

もうひとつ、「ネクトンについて考えても意味がない」という短編もある。
このタイトルって、津村記久子っぽくないですか?
これが私は印象的だった。
ミズクラゲのなかに突然人間である南雲咲子の魂だけが入り込む。
そして彼らは会話を交わす。
ネクトンという単語をはじめて知った。これは水棲生物を分類する言葉で、水流に逆らって遊泳できるのがネクトンで、ほとんどの魚類はネクトンだ。
逆らって泳げないのがミズクラゲのようなプランクトン。水底に棲むのはベントス、また水面上に棲むのはニューストンと呼ばれるそうだ。
この短編はファンタジーではあるが、もっと違う切り口なら理系の池澤夏樹の小説みたいなところもあって、私はこれ、好きだった。
イトヤマさんてこういうものをときどき書くんですよね。「薄情」のようにリアルなものもいいけど、こういうのもいい。

いいものを書くイトヤマさんなのに、ライブラリーでの借り出し予約はかかっていない。もったいないことです。
今年は他にも本がでるようなので、今度はかならず購入します。
私が買っても微々たる印税にしかならないと思うけどl、こういう形でしか応援できないから、そしてイトヤマさんには頑張ってもらいたいから、amazonに注文です!
posted by 北杜の星 at 07:35| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月08日

東山彰「ありきたりの痛み」

「流」で直木賞を受賞した東山彰の初エッセイ集。

面白かったですね。
)エッセイの面白さは著者の経験の質量に大いに関係があるのだろう。
台湾で生まれ、小学生のときに(日本は残忍なところとずっと言われてきた)日本に移住し、台湾と日本という二つの国を自分の場として生きて来た東山彰ならではの文章だ。
「流」の主人公のモデルとなった祖父のことも書いてある。
祖父の存在はやはいり大きかったのだ。でも家族を書くときは作家として終わりなのではないかとの危惧もあったという。
いえいえ、そんなことは彼に限ってないはず。
むしろもっと展開できる材料を彼は持っていると思う。

祖父がいつも作ってくれたギョーザ。
中国山東省出身の祖父は日本の統治時代には日本軍と戦い、後に中国共産党と戦って、台湾に逃れ着いた。
祖父が作ってみんなに食べさせるギョーザは、けっして美味しいものではなかった。東山は嫌いだったそうだ。
また東山が台湾に帰った時にいつも行く朝ごはんの店。これも美味しいご飯ではない。
それでもその味は彼にとって意味があるのだ。
(そういうことって、ある。「美味しいものしか食べたくない」と言うひともいるけれど、そういう人は多分あまり文学的ではないのだと思う。味には「美味しい」「不味い」を超える何かがあって、その体験がひとをつくることもある。旅行中にものすごく不味い食事に会った多としても、時間が経って振り返れば、それがいい思い出話になるということもあるはず。)

オートバイ、ローリング・ストーンズ、ブルース(ライトニン・ホプキンス!)、ブコウスキー・・
こう並べると、東山彰という人のセンスがわかってくる気がする。
「フフッ」という感じ。
この本には映画評もたきうさんあって、映画に関しては私のシュミとは違っているが、どれも彼の嗜好を表わしていて、シュミは違えども「わかる、わかる」の部分がある。
まぁ、「本流」「正統」は好きでないひとみたいだ。

彼のハードボイルやミステリーもきっとすこぶる面白いと思う。
呼んでみよう!
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月07日

堀江敏幸「その姿の消し方」

フランス留学時、主人公は古物市で一枚の絵葉書を買った。
曲がった格子窓の廃屋とこれも朽ちた四輪馬車の写真の絵葉書きだ。
けれど主人公はその裏面の、詩のような10行の文に惹きつけられてゆく。
それは1938年の消印が押された、アンドレ・レーシェ氏からナタリー・ドゥパルドン嬢に宛てられたものだった。
この詩には前後があるのだろうか?レーシェ氏は本物の詩人なのだろうか?
抽象的なシュールとも思える10行の謎が、主人公を奇妙に固執させてゆく・・

こういう堀江敏幸を読みたかったんです。
そういう意味では久しぶりの彼の満足ゆく小説だった。
いつものようにエッセイとも創作とも判じかねる文章は、読んでいるうちに心が穏やかになり、さまざまなイマジネーションが浮いては消えてまた浮いてくる。
その静かな文章の波の動きに身を任せる心地よさ。
なによりもここには「言葉」を信じる人がいる。そのことに深い共感を覚える。

偶然か奇跡か、求める強い気持ちが幸運を呼び寄せたのか、彼は合計5篇の10行詩を手に入れた。
レーシェ氏の孫と知り合い、他にも関わる人たちと繋がりを持つようになった。
彼らの間には20年もの年月が流れ、それぞれの日常も流れた。

それにしてもレーシェ氏の10行詩は、堀江さんが書いたものですよね。
それがすぐれたものかどうかは、私にはわからない。文脈が繋がらない文章という印象なのだ。でも解析をすればそれらの詩篇には意味を見出すことができるのかもしれない。
(詩のなかの「吐く」という言葉に、当時フランスで出版されたばかりのサルトルの「嘔吐」を結びつけたり・・)。
ソネットという14行の定型詩はあるけれど、なぜいつも10行なのか?
家族を持つレーシェ氏にとってナタリーはどんな存在なのか?
まるでミステリーのように謎を解きたくなってくる。
第一次世界大戦、第二次世界大戦とヨーロッパの歴史のなかで生きた人たちを感じながら読む楽しみもあった。

でもこうした文章の中に、これは堀江敏幸い自身の体験なのだろうか、彼が留学時代にしたアルバイトについて書かれた部分が、この本には唐突に思えるくらい意外だった。
そのアルバイトはフランスのある企業が日本から入手した日本語の資料をフランス語に翻訳するというものだった。
資料の内容は日本の原発の使用済み核燃料の再処理に関するものだった。
3・11の起きるずっとずっと前、まだ世界が湾岸戦争のさなかだ。現在ほど原発反対運動は起きていない時代だったが、そのアルバイトを思い出すと主人公は「うしろめたい」想いにかられると言う。
福島原発の事故後に漏れた汚水処理のために、フランスからあの企業の責任者が来日したニュースをみて、なんともいえない気分になったそうだ。
手を汚さずに生きている人など誰もいないが、「あのとき」の「あれ」を思い出し「そうだったのだ」とわかるのは、いい気持ちではないだろう。
心やさしい堀江さんならではの述懐だと思う。

文章を読む幸せがあるとしたら、堀江敏幸の文章はまさに幸せのひとつ。
大切に読みみました。
でも私にとってこの本の難といえば、それは堀江敏幸の美意識。
彼の本の印字やページの白い余白、表紙の佇まい、どれも私は大好きなのだけれど、このところめっき目が悪くなった私の目には、字の薄さが苦痛でした。
でもまさか、堀江さんに「字を太ゴにして」とは言えないですよね。
posted by 北杜の星 at 07:43| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月04日

三井美奈「イスラム化するヨーロッパ」

この新書の帯には「多発するテロ、押し寄せる難民、欧米を覆う苦悩から世界の明日を読み解く」とある。
著者は読売新聞記者でブリュッセル支局員、エルサレム支局長を経て、2011年から2015年までパリ支局長を務めた。
だからヨーロッパでも特にフランスでの「イスラム」を取り上げている。

イスラム過激派による2015年にパリで起きた二つのテロは世界中を震撼させた。
フランス人にとって衝撃的だったのは、犯人たちがフランスで生まれ教育を受けた移民2世や3世の「フランス人」だったことだ。
いわゆる「ホームグロウン・テロリスト」の犯行だったからだ。
なぜ若い彼らがイスラム国やアル・カイーダの過激集団に参加するのか?
その数は欧米全体で男女合わせて2万人と言われている。少年や青年は戦闘員として、少女たちは戦闘員の花嫁として、家族を捨て育った土地を捨て、シリアなどに渡っている。
もちろん彼らを勧誘する組織が存在し、人材を募っているのだ。社会に出ても希望通りに生きられない彼らに「理想」「革命」「闘い」を熱く説き、その気にさせるのだ。

パリ郊外のサンドニ市は移民の街として知られる。
市民の36パーセントが外国生まれで、そのうち4割が旧植民地の北アフリカ出身のイスラム教徒。
そしてフランスに住む移民とその子孫は1200万人だそうだ。これはフランス総人口の2割を占める。
そのほとんどの人々は白人フランス人との社会格差経済格差に苦しんでいるといわれる。
しかしこの本の著者が書くように、フランス政府はこれまで何もしなかったわけではない。
移民2世・3世の教育改革に取り組だし、移民の雇用や住宅問題の改善プロジェクトを施行してきた。
それでも格差は大きくなる一方なのだ。

私自身は現在世界で起きているイスラム過激派の欧米に対するテロは、一言で言うならば「ルサンチマン」だと考えている。
イスラム教徒のキリスト教徒へのルサンチマン。
世界を支配しているキリスト教とキリスト教徒への怨嗟なのではないだろうか。
そう考えると、やり方には賛同はとてもできないが、心情的には理解できるものはある。

難民が続々押し寄せ、社会が恐怖を感じるようになったヨーロッパでは、あの寛容だった北ヨーロッパの国々でさえも、難民排斥運動がおこり、排斥を掲げる政党が議席を増やしている。
つい最近ではデンマークが国を挙げて難民を排除しようとして、難民の金品を没収する法律を可決したそうだ。(これにはデンマークなりの理由もあって、いわゆる生活保護受給者と同じ条件に難民をするためらしい。)
北欧は人口が少ない。その国々に難民がどっと流入すると人口比率はすぐに大きな変化をうむだろう。

2070年以降、イスラム教は世界最大の宗教となる。

これはヨーロッパの問題だから日本には関係ないとタカをくくっていてはいけない。
著者も言うように、日本は少子化が進み、労働力が減少する。現在1億2千万の人口は2060年に8700万人に、100年後には4300万人になる。
「単一民族国家」という幻想的なことは言っておられないのではないだろうか。
それに難民を受け入れないことで悪名高い日本だが、そろそろ先進国としての「義務」を果たしてもいい時期ではないかと、私は思うのだけど。
すぐに多数の難民や移民をというのではなく、徐々に日本に居住できる条件を緩やかにする必要がある。今はハードルが高すぎる。

保守のシラク大統領がイスラム女性の「ベール禁止」を法律家したときには、自由の国フランスが何故?と憤ったものだが、あの法律はイスラムのベールだけでなく、カトリック教徒の大きなロザリオをかけることやユダヤ教徒のふちなし帽子も禁止したのだそうだ。
しかし数で言うと圧倒的にイスラム女性のベールが多いし、政教完全分離のフランスらしからぬ法律ではないかと今でも疑問に感じているのだけれど。。

この問題、次世代もしくは次世紀にまで持ち越すのではないかと思うと、絶望的になります。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月02日

高村友也「僕はなぜ小屋で暮らすようになったか」

金銭欲や物欲はほとんどない。
生きていくための最低限の住居と食があればそれでいい。
自由のためには社会とのつながりは、できるだけ少なくしたい。
そのために一人で暮らす。
孤独はまったく感じない。

著者が選んだ人生は、生と死と哲学をめぐって上記のような暮らしとなった。
山梨県の林のなかの小さな土地に自分で小屋を建て、水を汲みに行き、ソーラーで発電し、トイレはコンポスト・トイレで自然に還す。
冬の間は薪を拾い、ストーブを楽しむ。
トースト2枚とベーコンとコーヒーの朝食。好きな本を好きなだけ読み、好きな時に眠る。
安らぎに包まれた彼にとって理想の生活。

夏は神奈川の河川敷のこれも小さなテントで、街に近いところで暮らす。
場所がらホームレスと間違われるが、ここは競売で手に入れたれっきとした彼の所有地だ。(こういう土地が個人所有できるとは知らなかった。)
彼は二つの土地を行き来し、時々ネットで安い航空券を手に入れアジアを放浪する。

なぜ彼がこういう暮らしをしようと考えるようになったか。
それは彼が小学生低学年の時に「死」というものに直面したことから始まる。
「死」は必ず来るという恐怖。誰もがそこから逃れられないのなら、どうすればいいのか。
東京大学哲学科、慶応大学大学院哲学科博士課程を卒業した彼には大学の非常勤講師の話もあった。しかし断った。
将来の暮らしの安定を考えると、それは一つの「道」ではあったが、自分がそういうふうに生きたくはないと分かっていたからだ。
彼は大学院のときに、路上生活者として数か月を過ごした。間借りの部屋すら持ちたくなかったためだ。
しかしそのときに路上生活では安らかな生活は望めないと知り、小さくても自分の土地で暮らそうと思った。

いま欧米などでは、この著者のような暮らし方を選択する若者が増えている。
資本主義社会、貨幣社会から自由になるために。
生活が賄えるだけのギリギリのもので満足し、残りの時間を何物にもわずらわされず使う。
彼らはニーとでも引きこもりでもない。これまでならエリートになるような高学歴の若者たちである。

なにか大きく価値観が変わろうとしているのだと思う。
ミニマリズムでモノを持たない人たちも増えている。
マテリアル・ワールドとは異なる世界で生き始めているとしたら、この先新しい世界が生まれるかもしれない。
私たちの世代が到達できなかった世界がどんなものか、長生きして見てみたい気がする。

posted by 北杜の星 at 07:40| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月01日

村上春樹「ラオスにいったい何があるというのですか?」

村上春樹の紀行文集。
タイトルの言葉は、ラオスに行こうとする彼にあるベトナム人が投げかけた言葉。
旅をするにはれっきとした目的がある場合もあるし、漠然と目的なしの場合もある。
行った先の観光名所を巡る人もいれば、彼のように観光には興味のない人もいる。
(私もどちらかというと、美術館などの屋内で時間を取られるよりは、街のカフェやバールに坐って道行く人を眺めるのが好きなほうだ。)
何かがあって行く場合、なくても行ってみたい場合、旅ってホント、いろいろ。

村上春樹は世界のいろんなところに住んできた人。
それは作家という職業の特権でもある。どこでも、以前なら原稿用紙とペン、いまならパソコンがあれば仕事ができる。
住んだ土地の周辺を訪れる楽しみだって大きい。
奥さんと二人、そうした生活を続けて来た。
この本の紀行文は、昔行ったことのある土地を再訪するというものが多い。
現在ほど世界的に有名でなかった時代、「ノルウェイの森」を書いたあの頃・・
ボストン、ギリシャ、ローマやトスカーナ、フィンランド、ラオス、そしてどういうわけか熊本も。

えーとですね、これ、世界のハルキのエッセイとして、あまりにも深みがなさ過ぎではないでしょうか。
内容に「実」がないというか、はっきり言って、つまんない。
旅には、不安とか期待とかが入り交ざった高揚感があるはずなのだが、ここにある文章はあまりにも「平坦」で、旅のワクワク感がなさすぎる。
「熱さ」がちっとも感じられないのがつまらない一因だと思う。
まぁ、どこに行っても彼は対象に醒めている人だからなのだろうが、熱い気持ちは「走ること」に全部費やされているのかもしれない。

ローマの喧騒を避けてトスカーナを旅し、ワイナリーでお気に入りのワインを買い込む話しに出てくるワインを、ちょっと検索してみた。
なるほど、なかなか美味しそうなワインです。
ワインのつくられた年にもよるけれど、このキャンティ・クラシコはそんなにメチャ高いわけではない。
日本でも入荷可能なのでいつか注文してみよう。
この本で得たものは、このワインの名前くらい。まぁ一つでも何がが見つかってよかったと思いましょう。。
posted by 北杜の星 at 07:30| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする