2016年04月13日

木村敏「臨床哲学講義」

2月、高熱のため寝込んだ後のボゥーとした頭でなにやら考えていたときふと、「私、木村敏の本って、一冊も読んだことないな」と思った。
中井久夫や河合隼雄は読んでいるのに、何故だろう。
これはちょっと読んでみなければ・・とライブラリーを検索してみた。
でも木村敏の著作は数冊しか所蔵されていない。この数少ない中から何を選べばいいのかと迷ったが(なにしろ彼についての知識がほとんどない)、タイトルに「講義」とあるからわかりやすいかなとこの本を借り出した。

いえいえ、全然わかりやすくなかったです。かなり難解。というかとてもムツカシカッタ。
この講義は精神医学関係者ではなく一般人のための講義だったそうだが、精神医学を知らない人間が聴いて、そう易々とは理解できないのではないだろうか。
まず、ものすごくロジカル。精神病という境界線の曖昧な世界と、哲学というこれも結論が出難い世界を結びつけるのにはこの論理性が必要なのか。
この論理性がじつにヨーロッパ的なのだ。
フランスでは幼稚園の時から「哲学」をする習慣を身につけさすというが、木村敏はそういう意味ではヨーロッパ人みたいだ。
アリストテレスから現象学までの哲学を臨床精神医学と結び付けている。

この本の大部分を「統合失調症」が占めている。
統合失調症の病理について述べてあって、その症状は自己と他者との関係や時間軸に特徴がある。
私にも知り合いに統合失調の人がいるが、一見は普通と変わらず仕事をしているけれど、薬でコントロールしきれてはいないようだ。
統合失調症とパラノイアとの類似性が説明いしてあって、この二つの病理の共通する症状は他人と異なるものを見て感じている点だという。
以前精神医学を学んでいる人に聞いたことがあるのだが、「ちょっと普通とは違う感覚の人間は、パラノイアや統合失調症になる可能性が高い」のだそうだ。
違うものを見て感じていれば、しかも自己と他者の関係がうまく結べなければ、そりゃ、シンドクてストレスフルなはずだ。
こういう患者を「強制正常化」できるものだろうか。

えーっと、この本については巧く書けません。
なぜなら、巧く理解しきれていないからです。
引用したい個所はあるのですが、かなりの長文となりそうなので、書ききれないのがもどかしい。
もう一度じっくり読む必要があるでしょう。
これは木村敏から直接「講義」してもらう方がいいかもしれません。
それともまたライブラリーで他の著書を借り出して読むか、ですね。
posted by 北杜の星 at 07:21| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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