2016年09月05日

吉田修一「橋を渡る」

デビュー当時の作風からはずいぶん変化した吉田修一だが、このところはずっと「悪」についての小説を発表している。
この「橋を渡る」の3章に登場する3人の主人公たちも、悪に直面している。
その悪は誰が見てもわかりきった悪もあれば、「良心」の領域とも言える悪もある。

人は自分が正しいと思いたい生きものだと思う。(私がそうだから)
また正しくないことに出会ったとしても、みないふり、知らないふりをする場合がある。
ビール会社の営業マン、都議会議員の妻、婚約中のTVディレクター。彼らは悪とどう向き合うのか、または避けるのか?

東京都議会での女性議員への「産めないのか」のセクハラやじ、血液からips細胞をつくりだす研究、香港の反政府学生デモ、マララさんのノーベル平和賞受賞・・
まだ記憶に新しいニュースがこの作品には出てくる。
そしてそれが最終の4章につながってゆく。
4章で話はそれまでの日常的な雰囲気から突然、70年後の近未来に飛ぶ。
あれらのニュースの「その後」がどうなったか?70年後に生きる人たちにそれがどう影響を与えたか?
70年前の微妙な関係性のなかでの生きかたに、光はあるのか?

「橋を渡る」というタイトルは大きな意味を持つ。
人はある決意をもって橋を渡る。もしくは渡らない。
私たちは渡ったこと、渡らなかったことを悔いるのだろうか。無理に正当化するかもしれない。
でももしその橋そのものが、いつまでそこにあるのか。もし橋が流されたとしたらどうなるのか。

最初は4章の唐突さに戸惑いながら読んでいたが、だんだんと、あぁ世の中というのはこんなふうに繋がってゆくものなんだと思った。
あのとき言わなかった言葉、しなかった行為。
もしかしたら、あのとき未来が変えられたかもしれない・・
それを考えると、なんだかむくむくと闘志がわいてきて、社会に対してちゃんと意思表示をしよう!と云う気になる。
そう思わせるのが、この作品の「希望」なのかもしれない。、
posted by 北杜の星 at 06:56| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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