2016年09月12日

穂村弘「鳥肌が」

日常のちょっとした「怖さ」に関する穂村弘のエッセイ集。
怖さといっても、命の危機というシリアスなものではなく、ある人にとっては怖さだけど、ある人にとってはなんでもないというもの。
高所恐怖症の人もいれば高いところが大好きという人だっているし、怖さの感性は人さまざまだ。
ここには穂村さんの「鳥肌が」立つ怖さが集められている。

まず、この本のイラストが私は怖かった。気味悪さが何ともジワリと来る。
本の佇まいが美しいだけにイラストの不気味さが際立っている。
それに較べると、穂村さんの怖さの文章は抑制が効いているというか穏やかだ。
でもその穏やかさに騙されてはいけないんだろうな。だってあの穂村さんなんだものね、と思いながら読んだ。

「うん、うん、なるほど、この怖さってわかるよな」
「えー、穂村さんは、これが怖いんだ」

京都、こわい・・これ、どこかちょっとわかる。
強い母性愛がこわ・・これもある意味の怖さだ。
小さな子どもが大きな犬と遊んでいる・・これは本当に怖いです。何が理由で犬が突然怒って噛みつくかもしれない怖さは、噛まれた経験のない私でも想像ができるし、現実にそういうことって起きているから、その光景を見ると無防備だなと思ってします。
(所詮犬は畜生、そんなに信頼するなと言ったら、顰蹙を買うんでしょうけど)。
小さな子どもに関しては、駅のプラットホームでお母さんが子どもの手を放しているのを見ても同じ恐怖を感じてしまう。
頭が重くて体のバランスがとれない子どもが、もしホームから落ちたらどうする?とやきもきしてしまうのだ。
あれは子どもを守るのを放棄しているとしか思えない。

常連客がたむろしている喫茶店とか、道で立ち話をしている主婦のグループというのも私にはこわいなぁ。
あの「群れる」感覚がどうにもいけない。他人が群れているのを見るのの、自分賀群れるのもご免蒙りたい。
これは多分、穂村さんも同じではないかと思う。

軽く読めて、ちょっと気になる。。そんな一冊。
不思議なのはこの本にはブック・マークというのかな、読み途中のページに挟む紐、あれが3本ついていること。
ふつうは1本。ときとして2本というのは見たことがあるけど、3本というのはめずらしい。
ちょっとした小噺ふうに誰かに話すときに、ページいを探す手間が省けていいかも。
まさかこの紐がこわいという人はいないでしょうね。
posted by 北杜の星 at 07:07| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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