2016年10月31日

高山なおみ「ウズベキスタン日記 空想料理の世界へ」

武田百合子の「犬が星見た」をバイブルのように読んできた高山なおみが、百合子と泰淳の後を追うように旅した記録がこの本。
この前に「ロシア日記」が発刊されている。
ロシアには韓国籍の船で韓国経由でロシアに入り、そこからシベリア鉄道で2週間の旅をしたのだが、それは5年前、東日本大震災の2か月後のことだった。
そして第二弾の砂漠へのこの旅はその2年後。
同行者はロシアと同じく画家の川原さんだ。
今回も韓国経由でウズベキスタンの首都タシケントへ。
ロシア旅行と同じくウズベキスタンでも女性通訳がずっと随行した。

旧ロシアとはいえ、前回のシベリア鉄道の旅とはかなり趣が異なる。
それはやはりウズベキスタンが砂漠の国だからだろう。
なにしろ乾燥している。日中の気温は40度を軽く超える。
それでも食べ、飲み、歩き、人と出会い、百合子の足跡をたどり、高山なおみらしくさまざまなものを見聞している。

料理家なので食べることは仕事のうち。
でもウズベキスタン料理って油が強いんですね。
高山さんはお腹を壊してしまった。
読みながら「そんなに食べて平気なの?」「アイスクリームはヤバイよ」と気が気でなかったのだけど案の定、お腹はピーピーに。
そして旅の終わりには川原さんまで同じ状況になってしまった。

そんなときにも、砂漠で飲む熱いお茶は美味しかった。
ぐりーん・ティとブラック・ティがあるらしいが(ウズベキスタンではティをチーと発音するらしい)、どちらも乾燥した喉と体中の細胞に沁み渡る。
(宮本輝のシルクロード紀行文「ひとたびはポプラに臥す」に書いてあったが、灼熱の砂漠を旅するときに冷たい飲み物を飲むと体を壊すのだそうだ。必ず熱いものを飲まなくれはいけないとか)。

ひなびた小さな村で出会った人々の素朴な優しさ、バザールの店の母と娘たち、運転手の絶妙な人との距離のとりかた・・
そしてそれらを受け止める高山さんと川原さんの感受性。

旅したのが前回のロシアと同じく6月。(百合子たちの旅と同じシーズンを選んだのだろう)。
だからだろう、野菜や果物が豊富である。きゅうりやトマトが新鮮だ。
肉は羊、牛・・煮込みが多いみたいだが。脂も多い。
宿の朝食には果物も出たが、ウズベキスタンの人は朝食には果物は食べないのだそうだ。
これは理屈には合っているのかもしれない。
長い時間の空腹の後の朝食には、繊維が多い物を避けるほうがいいとも言う。
だから野菜や果物を摂るのならジュース。それも今はやりのスムージーには繊維が多すぎるので、サラリとしたジュースが一番。
繊維は夜摂るのがいいと聞く。眠っている間に繊維が腸で作用して、朝起きるとお通じとなるとか。
そういえば、日本でも昔から朝は水分たっぷりで消化の良いお粥を食べるし、外国では生ジュースを飲むものね。
ウズベキスタンの人もそれを知っているのか。

砂漠の国の人だからか、ウズベキスタンの人は噴水が大好き。
街では噴水がライトアップされて、涼しくなる夜には人が集まるらしい。
雨も大好き。旅では最後に一度だけ通り雨に会ったそうだが、子どもたちは雨の中に飛び出して跳ねまわっていたそうだ、
今年の夏は雨続きの八ヶ岳でうんざりしたのだけど、そんなこと言ってはいけないのですね。
ときにはウズベキスタンに想いを馳せましょう。

私の友人にシニア・ボランティアの日本語教師として、ウズベキスタンに2年間JAICAから派遣されて滞在した人がいます。
今度、もっと詳しくウズベキスタンの話を聴いてみたいものです。
posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月28日

ハッチの身辺雑記

月に一度のハッチの身辺雑記です。

秋たけなわ。
八ヶ岳南麓の効用はまだですが、どんぐりや栗の実がどんどん落ちています。今年はとりわけドングリが多いみたいあ。
我が家の屋根はOMソーラー・システムのためか、どんぐりの美が屋根に落ちるとものすごい音がします。来訪者がびっくりして「あれは何の音?」と必ず訊くほど。
でもどんぐりの美が多いということはリスやいのししや鹿など野生動物の食べものが多いということ。今年の冬のためにしっかり貯蔵しておいてもらいたいものです。

夫の煙突掃除も終わりました。
雨樋の掃除も終わりました。
冬ごもりの木々のための枝払いも済ませました。
冬支度はこれで万全。。と思ったら、まだ割っていない薪がどっさりあるのを発見!これ、なんとか頑張ってもらわねばいけません。

今月は旅行はなし。
友人宅でのピザ・パーティや会食を楽しみました。
ピザは友人の庭にキットで作りつけたもので、昨年はピザ生地を作ることから始めたのですが、意外に大変だったのです。
作った生地の保管は冷蔵庫で場所をとるし、生地を伸ばすのもみんな下手くそ。食べる前に疲れてしまった。
それで今年からピザは既製のものを買って、焼くだけということに。
前回は雨が降ってこれまた大変だったのですが、今月はもう外では寒くて室内で運ばれてくるピザを食べることになったのです。
焼く人、庭から家に冷めないように急いで運ぶ人。。ご苦労さまでした。
今は冷凍でも、有名ピザ職人の作ったピザが宅配で届き、焼くだけで食べられるんですよね。ピザ大好きな夫にはたまりません。
それもオーブンではなく、本物の薪窯焼きなんですから。

いろんな具が乗っていいるのも多いけど、私はごくオーソドックスなピザが好き。
マルゲリータは美味しいけど冷たくなったらモッツァレッラ・チーズが不味くなる。なのでチーズ無しのマリナーラが一番好きです。
ナポリで食べたピザも、マリナーラがもっとも美味しかったです。
ナポリ・ピザはローマ・ピザと較べるとボリュームがあって、とてもあの大きな一枚は食べられない。
かと言って安価なので、二人で一枚というわけには店にも悪くていかない。
テーブルのを見ていると女性客のかなりの人たちが、外側の厚い生地部分は取り除いて、真ん中の具があるところだけ食べているのです。
こんな食べ方があったのか!と目からウロコでした。
あちfらのイタリア女性でもあのサイズは大き過ぎるのでしょうね。
それにしてもナポリのピザの安かったことったら。1ユーロ約100円の円高だったとはいえ、二人でピザ2枚と飲み物で、千円でお釣りがきた!
まさしく庶民の食べものなんですね。
ちなみにイタリアア人はピザを必ずナイフとフォークで食べます。ナイフで切ってはフォークで食べる。
まず切っておいて手で、ということはありません。
でもあれって、すごーく疲れるんですよ。焼成した生地は切りにくいんです。四分の一くらいでもう疲れて、食べたくなくなる。。
手で食べる方が絶対美味しいんだけどな。

ところで、行き届いた友人を持つのは、本当に幸せなことですね。
友人が我が家に私の大好物の虎屋の「夜の梅」を持って来てくれました。とてもうれしいけれど、ここまでは時々はあることです。(私の「夜の梅好きは知られているみたい)。
でも彼女は玉露まで一緒に持って来てくれたのです。
それには理由があって、モノをできるだけ減らして暮らしたい私が、多種類のお茶の缶や瓶の保存に辟易し、日本茶はほうじ茶だけと決めたとこのブログで書いたことがあったからです。
でも「夜の梅」にはやはり上等な煎茶か玉露がほしいところ。
気のつく彼女はそのお茶まで持って来てくれたのです。しかも「夜の梅」とほぼ同時に使いきれるほどの量の玉露を。
これなら保存する必要はなく、缶や瓶を増やすこともありんせん。持つべきものはこういう友人ですね!!
それを考えると、普段の私のいい加減さの反省点が浮き彫りになります。
そのとき思い出したのが塚本邦雄の短歌、
「馬を洗えば馬の魂冴ゆるまで ひと恋わばひと殺むるこころ」・・徹底することの大切さをドキッとする鮮やかさでを詠った大好きな短歌です。

視力視野がだんだん悪くなってPCが見づらくなっています。
画面を黒白反転にしようかどうか迷っているところですが、先日、ある人に「マウスポインターが探しにくい」と話したら、その人がなにやらPCを操作して、マウスポインターを大きくしてくれただけでなく、ポインターの軌跡がわかるようにしてくれました。
これは便利。
軌跡が動くので、すぐに見つかります。これならまだ当分の間は黒白にしなくても大丈夫みたい。(このポインターの動きが生きものみたいな動きで面白い)。
いまのPCはwindows搭載ですが、もしいまのが壊れたら次はipadにしようと考えています。というのはipadの方が視覚障害者にはいろんな機能があって、使いやすいからです。
その頃には仕事を止めて、仕事用のソフトが不要になるでしょうから。
目の見えない人はipadやiphoneを上手に利用している人が多いんですよ。
音声機能を使って何でもできちゃうそうです。
情報や連絡事項についてはPCが断然便利で役立ちます。
でも思考のためには、やはり「読む」ことにはかなわないと思って、点字の学習を始めています。
中高年の中途失明者(私は完全に失明するわけではなく、中心視野がなくなるので文字が読めなくなる)にとって点字の習得はものすごく困難らしく、もし習得して読み書きできるようになれば、中途失明者からすごーく尊敬の的となるそうです。
そういえば、10年間視覚障害者のアウトドア・サポートのボランティアをしていたのですけど、誰一人として点字が出来た人はいませんでした。
かなりの高学歴の方やバリバリ仕事人間もいらしたのに、彼らははなから点字を諦めていたのでしょうか。
「点字を勉強している」という方に会ったことがないのです。
指の感覚は年齢とともに衰えるし、その感覚が脳に繋がるのも加齢とともに衰えるもの。
けれどまぁ、いまのところは何とかなっていて、これまで40文字くらいがわかるようになりました。
50文字とあとは濁音と半濁音、数字、それとアルファベット・・まだまだです。
でも単純に、新しいことを学ぶのは楽しいです。
目が悪くなって、出来なくなったことを数え立てるばかりだったのが、できることがあるかもしれないという希望にワクワクです。
さいわい、若い女性の先生が熱心に励ましてくださいます。
遠く甲府から列車で教えに来てくださるのだから、せめて美味しいお菓子とお茶をご一緒にと、その間にお喋りするのも楽しい。
ルネサンス美術が好きだそうで、イタリア美術の話もできます。
あと1年くらい経ったら、点字で本が読めるようになればいいなぁ。(いまはまだ、超スローでしか読めません。速読の私にはとてもモドカシイ)。
文芸本もたくさん点字出版されているそうなので、一度、点字図書館に行って探索してみようと思っています。

こうなって気づいたことは、私って案外、楽天的だったんだなということ。
どんな環境や境遇にでも、それなりに順応できるとうか、そういう性格だったのか、夫の影響でそうなったのか。。
もちろんこれは、完全失明は避けられるというお墨付きがあるからのことなのでしょうね。
それほど強くはないのを神様はご存知だから、なのかもしれません。

そうそう、先日夫と一緒に映画を観に行ってきました。私の目でどれくらい見えるかの試しも含めて。
映画は「グラン・フィナーレ」。スイス・フランス・イタリア合作(イギリスも入っていたかな?」
でも言語は英語でした。それもわりと簡単な英語だったので字幕に頼らずなんとか会話やストーリーはわかったものの、大好きなハーヴェイ・カイテルの顔がよく見えなかったのは残念。
「老けちゃったな」というのだけはかろうじてわかったけれど。
この映画の終わりに、「フランチェスコ・ロージ監督に捧ぐ」とありました。ロージは私の大好きな映画監督でした。
「グラン・フィナーレ」を捧げられてロージが喜ぶかどうかは別として、いまだにロージを敬愛する映画人がいることがとってもうれしかったです。

人が出来上がる過程には、音楽とかスポーツとか宗教とかいろいろありますが、そういう意味なら私は本と映画でできている人間です。
それもハリウッドのロードショー映画よりは、ヨーロッパの小品好み。
一年に100本くらい観ていました。
中央線沿線に住んでいたので、三鷹、吉祥寺、荻窪、阿佐ヶ谷、中野、東中野、新宿、それと東西線の高田馬場や早稲田や神楽坂など、電車一本でひょいと行けたのがラッキーでした。
そんな私がシニア割引を使えるようになってから、映画が見れなくなったのですから皮肉なもの。
でも甲府にも名画座があって本当によかった!
名画座に行くとその雰囲気になんだか安心するのです。ここに来ている人達はまちがいなく大の映画好きだとわかるからです。
(だけど大丈夫かな?その甲府の映画館、午後2時45分からとはいえお客さんはたったの8人。。)
さいわいにも私たち夫婦は観たい映画がほぼ同じ。今度上映される映画も観に行こうと話しています。
画面がよく見えなくても、名画座の映画館に身を置くだけで、私は幸せなんです。
昔と違って、小さいけれどなかなかきれいで音響も悪くないし、シートも広いから疲れが少ないのは、以前と大違いですね。

本をたくさん読んでも小説家になりたいと思ったことはないけれど、映画監督にはなりたかったかも。
映画を観ながら「私なら、こうは撮らないな」とか生意気にも思っていたものです。
そういう意味でそんなこと考えもしなくてパーフェクトな映画だったのが、タルコフスキーーの「ノスタルジア」でした。
あの映画は長回しが多いので、どんな場面も全部覚えています。ほんとうに美しい映画でした。
ちなみに夫が一番好きな映画は「かくも長き不在」なのだそう。

夏が終わってからこっち、ハッチ君は元気なものの、ほとんどの時間を眠って過ごすようになりました。
耳が聞こえないので気配がわからず、ずぅーっと安心して眠れるのかな?
20歳ラインはクリアしたので、21歳を目指して長生きしてもらいたいものです。
ボブ・ディランのファンである弟に、ノーベル賞受賞お祝いメールをしたら、彼の家では「すごくヤンチャな猫」を買い始めたと返信が来ました。
ハッチもヤンチャでしたね。眠っている姿を見ながら、子猫の頃のハッチを思い浮かべいると、共に暮らした歳月がたまらなく愛おしく思えます。
夫も元気。どうかすると週に3回もゴルフをしていますが、ゴルフ・エルボーが治ってきて右腕を使うようになったのがいけないのか、最近は少々、お悩みのゴルフのようです。

短い晩秋を元気にお過ごしください。
posted by 北杜の星 at 07:33| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月26日

イヴ・ジネスト/ロゼット・マレスコッティ「『エマニチュード』という革命」

何カ月か前、夫の観ているテレビの画面にある老人施設が映っていた。
車椅子の高齢者の前に一人のフランス人男性が同じ目線にひざまずいて、静かに微笑みかけていた。
何なんだろう?と画面を観ていると、その高齢者の顔がだんだん穏やかになり、笑みさえ出るようになっていった。
番組で知ったのだが、これが「ユマニチュード」だった。

ユマニチュードは高齢者や障害者に「人間らしい」ケアをすることを目標にしている。
その基幹にあるのは「優しさ」だ。
優しさをもってケアすると、見違えるほどの効果が表れる。
看護師や介護士が想像もしない結果が生まれる。
暴力的な言動をしていた人や何もする意欲がなかった人や、鼻からチューブで栄養を摂っていた人が、穏やかになり笑い、自分の口から食べられるようになるのだ。
何も特別な医療行為を行うわけではない。

ユマニチュードには4つの柱がある。
「見る」・・水平の視線は相手に平等な関係を伝える。
「話す」・・穏やかに、ゆっくり、前向きな言葉を用いて、言葉を絶やさないように話しかける。
「触れる」・・最初から手や顔ではなく、広い範囲の体の部位(肩や背中)をまず、ゆっくり柔らかく触る。
「立つ」・・立つことで、軟骨や間接に栄養を行き渡らせ、呼吸器系や循環器系の機能が活発になる。立って歩くことは知性の根幹んであり、人間であることの尊厳を自覚させる。

ユマニチュードの根っこは優しさではあるが、それはプロフェッショナルの技術に裏打ちされたものである。
介護の半分の時間は「保清」に費やされるのだそうだが、その時間を大切なコミュニケーションの場としている。
まず、保清は立って行う。4つの柱にもあるように「立つ」ことをユマニチュードでは大切にしているからだ。(どんなに高齢になっても総計で一日20分間立っていられれば、死ぬまで立っていられるそうだ)。

この「保清」に関しては、数十年前まではフランスでもどこでも本当にひどかった。
病院や施設の患者は糞尿まみれで、拘束されて寝かせされていた。今のような優れた大人用のおむつがなかったせいもあるが、保清の知識もなかったか間違っていたのだろう。
日本の高齢者施設の善し悪しは、その建物に入った時の「匂い」でわかると言われる。
少しでも糞尿の匂いがしているところは、ケアが悪いと判断していいのだそうだ。

施設入居者への虐待が問題になることがあるが、イヴたちはそれは高齢者や認知症患者に関する知識がないのが大きな要因だと言う。
高齢者や認知症患者がどういうものか、その「現在」を知ることで、ケアの目的がはっきりし、方法もわかってくる。
まず、確かな知識を持つこと。
(以前イタリアの高齢者施設で虐待があり、大勢の職員が逮捕されたが、彼らのほとんどには専門知識がなかったそうだ)。

この本の中で私が勇気づけられたことがある。
私には目にジストロフィーがあり、日々視野と視力が欠損されている。
何でも自分でしたいし、してきた私には、誰かのサポートを受けないと生活できないことに忸怩たる思いがある。
自律(この本には自立ではなく自律という字が使われている)できない人間としての口惜しさは、不便さを大きく上回っていて、尊厳が失われる気持ちになってしまう。
しかしこの本には、「身体的な依存は自律を妨げるものではない」と書いてあった。

例えば寝たきりの入院患者が病室でテレビを観ようとしたとき、自分ではスウィッチをONにすることもチャンネルを変えることもできないが、看護師を呼んで依頼することができ、チャンネルを選ぶことができる。これは身体的ンはケアを受けるのであって、自律を損なうものではないというのだ。
つまり、自律とはあくまで知性的なものであって、身体的なものではない。

「委託された依存関係の中で、あなたの自律のために行動する。これがケアする人の役割」と、介護する側から書かれている。
ケアしているからといって、ケアする人間が決定したり選択してはならないのだ。
それをするのは、身体的ケアを必要としていても、自律している「本人」なのだから。。
この言葉に私は大いに気持ちがラクになった。
ケアされることで、私の尊厳が失われるものではない。ケアしてくれる人に感謝しつつ、卑屈になることなく堂々としていればいいのだ。

日本でもユマニチュードのケアを学ぶ人が増えている。
何年かするとイヴとロゼットの始めた介護が日本中の施設で実行される日がくるのかもしれない。
ベッドに括りつけになったり、車椅子に拘束されたりする必要のない高齢者や認知症の人が、ニコニコ笑顔で過ごせる日がくると良い。だって私だってあと15年くらいするとそういう立場になるんだもの。
それにしても政府は介護報酬をまた下げる方向のようだ。
優れたケアをするプロに対して、何故、正当な報酬が与えられないのか?
何か政治家に邪悪な目論見があるとしか考えられないですよね。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月25日

山下澄人「壁抜けの谷」

「ぼくはその男に話さなかったことがある。事務所も実は見つけられなかったのだ。それも移転や、他の何かに変わっていたというのではなく、たしかそこが事務所だったと記憶していた場所は、山、だった。小さな丘とでもいうような山ではあったけれど、ぞれでも昨日今日できたものとは思えず、ぼくは山の前でしばらくいて、しばらくどころかかなりいたはずだ。」

この小説がどんな小説かは、上に記した本文に集約されていると思う。
まるでラテン・アメリカ文学を読んでいるような気持ちだった。
記憶が薄れているのか、それともその事実が本当にあったことなのか?それともじつはなかったことなのか?
読めば読むほど曖昧さの渦に巻き込まれてしまう。

「ぼく」と「わたし」が交叉しながら、時間と場所を行きつ戻りつ、何度も何度も同じエピソードが繰り返される。
ぼくとわたしの周辺の友人、知人、犬、猫たちが、グルグルグルグル歩きまわる。
明確なものはなにもない。

ぼくの親友の長谷川が突然死んだ。
小学校の帰り路で声を掛けられて以来の親しい友人だったのに、亡くなった後で、彼の職業も妻子の有無も知らないことに気づいた。
いろんなことを一緒にし、話し合ったはずなのに、その記憶が定かではない。
長谷川が死んでからわかること、わからなかったこと。。

わたしの母は誰とでも寝る。わたしは誰の子か?そしてわたしが産むのは誰の子を産んだのか?

からまった糸はほぐれてくれない。むしろますますからまるばかり。
ポキポキ短い文章は情緒を排して書かれているのだが、底に流れるのはどこか優しくて愛おしくて悲しい感情。
山下澄人は目下、私のもっとも気になる作家だ。
これまで2冊くらいしか読んではいないのだけれど、彼の小説を一言で言うならば「手垢のついていない小説」だと思う。
彼が「新しい小説」を目指しているのかどうかは知らない。
けれど何か新しいものを生み出そうとしている作家、という印象を受けるのだ。
難解というのではないけれど、わかりやすいとは言えない小説。
この「壁抜けの谷」もけっしてわかりやすくはないのだが、わりとすんなり頭に入ったのは、複雑なようで案外にシンプルな人と人とのつながりが描かれているからではないだろうか。

会話の「え」「え」「は」「は」というやり取りに奇妙ンはリズムがあって、ちょっとおかしい。

山下澄人、これからも気になる作家のようです。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月24日

平松洋子「彼女の家出」

平松洋子は食のエッセイスト。
たおやかな彼女の筆にかかるとごく普通の食べものが、ちょっと特別な味に変わるような気がする。
でも私はひそかに思っているのだ。
平松洋子というひと、じつは好き嫌いがはっきりした小気味よい女性なのではないかと。
その片鱗はこのエッセイ集にも出ているみたい。

平松さんもはや還暦近い年齢となった。
この本では「女50代、しょっぱい現実にどう立ち向かうか?」の副頽どおり、その年齢ならではの日常のアレコレ、モヤモヤが並んでいる。
そうだな、男に関してはわからないし、他の女性のこともわからないのだが、私自身も50代は結構中途半端に感じていた。
まだ可能性を捨てきれない、でも、すでに人生は下り坂にさしかかり。その折り合いをどうつけるればよいのか?
長くなった人生、50代をいかに生きるかが老後に繋がる後への大きな分岐点になると、今、思い出されることが多い。
なにも人生云々の大袈裟なことばかりではなく、例えば着る服一つとっても難しかった記憶がある。
若い格好は若作りで気持ちわるいけど、だからといってオバサン風はイヤ。変に奥様風なのはもっとイヤ。
シンプルな細身のパンツとこれまたシンプルというか愛想のないトップス。。
これが今に引き摺る「私のスタイル」になってしまった。これでいいのかどうか、もっとカワイイ服を着てみればと言われるが、面倒くさいんですよね。

平松さんもいろいろお悩みのようです。
以前買った高価な舶来下着、そろそろ捨て時とわかっていても買った時の値段を思うとふんぎれない。。
そういうのってある、ある。
でもね、迷うのは50代だからはないかな?
私くらいの年齢になると、断捨離とやらで、捨てられるんですよね。「迷った時には捨てる!」がだんだん徹底してくるんです。
数日前の衣替えでも夫婦揃ってバッサリと捨てまくった。こんなに捨てるんなら買わなきゃいいのにと反省。

彼女をお手本にと思う文章が一つ。
それは夏になると彼女の化粧ポーチの中には、100円ショップで買った小さなプラスティック容器が入る。
その容器には「塩」。
暑さで体がだるくなったり疲れたりするときに、その塩をちょっと舐める。
するとたちまち、元気を取り戻せるそうだ。
これはあるオートレーサーから教えてもらったことらしい。
暑さ負けする私にこれは即効があるかもしれない。水も大切だけどミネラルも大切。
塩はともすれば悪者扱いされがちだけど、私たちは海から生まれたのだ。塩は必須ミネラル。

表題の「彼女の家出」は、突然家族に知らせずにロンドンに行ったある友人女性のお話し。
どんな内容かは、読んでのお楽しみ。
今回も大好きな平松洋子のエッセイ集、楽しみながらいろいろわが身を振り返ってニヤニヤ、フムフムとなりました。
posted by 北杜の星 at 07:21| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月21日

木内昇「光炎の人(下)」

上巻の読後感が覚める前に下巻が届いてよかった。
あまりに時間を置くと、なんだか気が抜けるんですよね。
(不思議なことに、上巻を読まないうちにライブラリーに下巻を予約する人がいて、あれは困りものです)。

徳島の貧しい農家の三男坊に生れた音三郎は町に出て煙草葉刻みの工場の職工となる。
電気の可能性に心ひかれ、技術を高めたいと熱心に彼なりの研究に没頭するようになる。
そんな彼は職場を代わり、そこで教えてくれる先輩やライバルとなる技術者に出会う。
当時の社会は日露戦争後の高揚感がしぼみ、満蒙侵略の足音が大きくなっていく。・・というのが上巻。

音三郎は業界の実力者の推薦で、東京の軍部所属の研究機関に学歴を詐称して技術者として勤務することになる。
そこでは彼が望む無線機開発に没頭できたのだが、商品化には至らない。
大手会社に先を越されたり、四国時代のライバルの開発した製品が海外でも売られたりして、音三郎の焦りは大きくなるばかり。
そんな彼にやがて満州派遣の話が。
満州には彼の幼友達で軍に入った利平がいるのだったが・・

音三郎はどこで間違ったのか?
町工場に居る頃の彼は確かに、技術は人に役立つものとの信念があったはずだ。
それが技術開発がなににも優先する一義となって、人を忘れていった。
ひどく下品ではあるが叔母を見放したり、恋人を捨てたり、自分に面倒なことすべてを冷酷に切り捨てるのだ。
しかも音三郎はそれに何の疑問も持っていない。
とにかく技術、技術、研究、研究なのである。

なんのための技術かを音三郎は忘れてしまった。
そこには彼の欲望しかない。
それは科学の進歩というものの課題でもあるのだろう。
科学とは何か?技術とは何か?を考えさせてくれる作品だが、自業自得とはいえ音三郎の哀れさが痛ましい。
驚愕のラストである。

満州侵略の日本軍の歴史がよくわかる。
海軍と陸軍の軋轢などを読むと、「そんなことで軍同士が争ってどうするの」と暗澹たる気持ちになってしまう。
あんな軍部が国民のことを忘れて戦争していたのだから、勝てるわけがないし、そもそも自分の国に資源がないから他所の国の資源をと侵略するのは泥棒行為というしかない。
元同僚の信次朗や研輔、東京での大家の島崎老人の見解を聴いても、音三郎は理解できなかった。
彼らの言葉はとりもなおさず作者の木内昇の言葉なのだと思いながら読んだ。
でも恐ろしいのは、この社会の原理が今現在も、原発や紛争となっているのだからやりきれない。

木内昇の力作です。
posted by 北杜の星 at 08:00| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月19日

山口創「人は皮膚から癒される」

ここ1年半ほど、皮膚の調子がよくない。
もともと幼いころから夏には太陽湿疹、冬には寒冷ジンマシンが出て、だから暑いのも寒いのもダメ。
食べものアレルギーにもすぐ反応したけれど、これはだんだんおさまって、大好きな筍を食べても以前のようなぶつぶつは顔に出なくなったのはうれしい。
昨年は自家感作性皮膚炎、今年はジンマシン・・今も下着の縫い目が当たるところには湿疹が出たり引っ込んだりしている。乾燥もひどい。まぁ痒くないからどうってことないけど。
精神的なストレスも皮膚に表れているようだ。

「人は皮膚から癒される」。
人が人を癒す手段はいろいろある。言葉によっても大いに慰められるし、笑顔一つで心が軽くなることもある。心が細っているときに誰かが温かいスープを作ってくれたらどんなに感謝することか・・どんなことでも人は癒し癒される。
なので癒すのが皮膚であっても、それはあり得るだろうと思ったのだが、この本を読むと、皮膚は私が思った以上の癒しのパワーを持っているようだ。

病院患者が痛みに耐えている時、心が弱っている時、看護師さんがそっと触れるだけで痛みが薄らぎ心が晴れることがあるけれど、それはちゃんと化学的な証明が可能なのだ。
愛情をもって皮膚に触れると、脳からオキシトシンというホルモンが分泌されて、リラックスしたり癒されたりするのだという。
必ずしも触らなくても、傍に寄るだけでもその脳内物質はでるらしい。
皮膚と脳というか人間の感情はそのように繋がっている。

日本人はともすれば体を使ったコミュニケーションが下手だ。
西洋人は会うと握手をしたり、抱き合ったり、頬と頬をくっつけて、肌と肌を触れ合わす機会が多い。
たぶん、そうすることでお互いの距離を縮めているのだろう。
日本人の習慣にないことだが皮膚と皮膚を触れ合う行為には、人を親密にさせるところがある。
日本に対人関係で悩む人が多いのは、こういうところからきているのか?

皮膚は肌とも言うが、肌という言葉には皮膚にはないニュアンスがある。
肌が合う、合わない。ひと肌脱ぐ、職人肌、肌で感じる・・
そこには肌の精神性が読み取れる。
じっさいに、幼少時の肌のコミュニケーションが少なかったひとは、自尊感情が低いと書いてあるし、摂食障害に苦しむ人もそのようだ。
触覚は感情と直結しているということ。大切なのは「皮膚を拓く」ことだそうだ。

この本、最初は人間科学のお話しかと読んでいたらだんだんと皮膚を離れて、哲学的になってきた。
つまりは「幸福とは何か」を追求する本のようだ。
でもそれが決して押しつけがましくなくて、素直に心に響く。
著者の善き心が伝わって来て、それに癒された感じだ。

一灯の歓び・・思いがけずいい本でした。
posted by 北杜の星 at 07:32| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月18日

木内昇「光炎の人(上)」

ライブラリーで借りて読んでいるので、上巻を読み終えても下巻がまだ届かない。そのため上巻をここでまずご紹介することにします。

木内昇は大好きな作家だ。
彼女(昇という名前ではあるが女性です)の作風は大きく二つに分かれる。
一つは「茗荷谷の猫」や「よこまち余話」のような、どこか幻想的な作品で、私はこちらのほうが好みなのだが、もう一つのいわゆるしっかり資料を積みつつ書くストーリーで読ませる小説も、読ませどころがしっかりしていて悪くない。
「光い炎の人」は明治から昭和の初めにかけての物語で、「技術とは何か?技術者とは何か?」というテーマが重苦しいほどに迫ってくる力作。

時は明治。四国徳島の寒村の三男坊に生れた主人公の音三郎は、他の兄たちとは何かにつけて秀でていた。父も彼にはどこか遠慮がちだった。
煙草栽培をする農家は貧しく、音三郎は口減らしのために近くの町の煙草の葉を刻む工場に、職工として勤めることになった。
朝早くから晩遅くまで働かされながら、音三郎は絶えずより効率よくよりよいものを作り出すことを考え、すくない給料を貯め自費で材料を調達して、機械の試作品作りに励んでいた。
そんな彼は「電気」を見て以来、これからの世は電気だと直感、とくに無線にのめり込むようになる。。

音三郎の志は高かった。
そこには金銭欲や名誉欲ではなく、ひたすら技術をを高めたいという意思と意欲だけがあった。
しかしその意欲が優先し、ともすると人間に対して酷薄になってしまうこともあった。。

音三郎をとりまく人々も魅力的だ。
品のないミツ叔母、幼馴染で同じ工場で働く利平、音三郎に技術を教える研輔、音三郎のライバルの金海・・
日露戦争、社会主義活動と大逆事件など当時の日本の社会情勢も加わって、重厚感が醸し出されている。
理系に強い人なら、音三郎の開発する技術が理解できるだろうから、より楽しめると思う。

だんだんときな臭くなる日本が進もうとする方向に、音三郎がどう関わるのか。
下巻が待ち遠しいです!

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2016年10月17日

三浦哲郎「燈火」

大好きな幻戯書房の銀河叢書のうちの一冊。
銀河叢書とは、敗戦後70年を過ぎてなにもかものスピードが速くなって、美しい言葉もボロボロと失われていくなか、文学的想像力を刺激する埋もれた作品を精選し紹介するもので、これまで十数冊が発刊されている。
並ぶのは私好みの作家、例えば木山捷平、田中小実昌、小島信夫らなのだから堪えられない。
そしてここに三浦哲郎が初登場した。

正直にいえば、三浦哲郎をよく読んできたとは言えない。
彼の自伝的代表作は私にとtっては少しばかり情緒というか情感が多すぎる印象だったからだ。
しかし生家において、二人の姉が自殺、二人の兄が失踪という境遇で、そのことを小説に書くとしたなら、そうなるのは仕方ないことだったのかもしれない。
この「燈火」もほとんど自分の家庭と家族を描く連作短編集なのだが、驚いた。
三浦哲郎ってこれほどの書き手だったの!?
なぜ、これまで読んでこなかったのか、本当に後悔した。
文体と言葉の簡潔さ、それでいて過不足ない事象の描写は心象すべてを表している。
ただ残念ながらこの作品は未完に終わっている。
あるところに連載していたのだが途中で病気になり中断。そのままになったらしい。
だがそれでも十分、作品の素晴らしさに変わりはない。

主人公の作家馬淵は故郷の北の街で、ある女性との会食直後に、大量の吐血をして倒れた。胃潰瘍だった。
劇的な始まりなのだが、劇的なことばかりが続くわけではない。
むしろ家族の細々とした日常の、ささやかなできごとが綴られているのだ。
染めるのをやめた妻の白髪、長女の結婚、次女の独立、故郷に住む弱視の姉の火の不始末、旧友の死・・
ありふれたことばかりといえば、ありふれたことばかり。
それでもそうした出来事から派生する波はあるのだ。

作者の長女の方がこの本が出版された経緯について後記されている。
そして佐伯一麦が「日常の時間の厚み」という解説文を書いている。
佐伯一麦も日常を描く氏小説家である。二人に共通するものがあるのだろう。
・・と思ったところで、思い出した。
佐伯一麦は現在、山梨文学賞の小説部門の選考委員を務めているのだった。
三浦哲郎は亡くなるまでずっと選考委員だった。それを引き継いだのが佐伯一麦。
今年選考委員の一人であった津島佑子も亡くなったが、彼女の後任は誰になるのだろう?

これほどの書き手を数冊しか読まずに過ごしてきたとは。。情けないです。
狭量な私はこういうヘマをときどきしてしまうんですね。残念さを挽回するために他の作品を読んでみます。
posted by 北杜の星 at 07:43| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月14日

海上保安協会監修「海上保安庁のおいしい船飯」

海上保安庁の仕事って、知ってるようでよくわからない。
海難事故が起こった時の救助や、怪しい外国籍船舶を見はったり、まぁ海の警察かなというくらいの知識しか私にはない。
ましてや海上保安庁の巡視船の乗員が船上でどんな訓練をしていて、どんな食事をしているのかに考えが及んだことがなかった。
だけどこの本を見て、彼らの仕事ぶりと船上ご飯がどういうものかわかった。
ご飯に関して言えば、「まぁ、なんて美味しそう!」と羨ましくなるものだった。

けっして豪華な食事ではない。
昔の日本海軍の食事は陸軍のそれと較べると、格段に上等だったと聞くが、海上保安庁の「船飯」は別に贅沢というわけではない。
肉体労働(船上での訓練などがある)で、若い人たちの空腹を満たすため、ガッツリ系の丼ものや一皿料理がほとんどだ。
メニューを考え料理をつくるのは、保安官自らだ。
この本には日本全国の巡視船の料理レシピが紹介されている。

海上保安庁が所有する452隻の船艇のうち、巡視船、測量船約200隻に料理人を務める主計士が乗っているそうだ。
彼らが20〜30人分の食事を担っている。(主計士は料理もだが事務畑の仕事をしている)。
船それぞれに「伝統的」なレシピもあるみたい。
牡蠣や海老、海鮮たっぷりブイヤベースなどあるけど、まさか、船上で釣りをしているわけではないですよね。

ちなみに人気ベストテン・メニューは、
牡蠣天丼、スタミナ麻婆焼きそば、ローストポーク オニオンソース、えび玉丼、ビーフストロガノフ、鶏肉のチャーシュー、桃の節句のちらし寿司、焼き豚風煮豚、奄美の鶏飯、軟骨あぶりソーキそば&ジューシー。

バラエティに富んでいる。
桃の節句のちらし寿司というのがカワイイ。
海上保安庁の船には女性も乗っているそうで、彼女たちのためのメニューなのかもしれないが、男性たちもみんな好きなんですね。
みんん好きといえばカレーも大好物のようで、カレーだけで12修理のレシピが紹介されている。

こういうエネルギーいっぱいのご飯を見ていると、こちらまで元気になってくる。
いっぱい体を動かした後のご飯が不味いはずがない。
しかも同僚が一生懸命作ってくれるご飯である。それをみんなで食べるのだ。いいなぁ。

30人分のレシピが4人分の材料に書きなおされているのは当然なのだろうが、でもきっと、何かが違うような気がする。
こういうご飯が美味しいのは、たくさん作るからなんじゃないだろうか。
100人となったら、それはまた別の話し。20〜30人分というのが、ちょうど良い人数分ではないかと思う。

東京で私がお世話になっていた美容師さんのお嬢さんが、海上保安庁の船に勤務していた。
彼女はそういう海関係の高校に行って、海上保安庁が第一志望の就職先だったのでとても喜んでいたそうだ。
彼女もこういう「船飯」を食べて、たくましく仕事をしているんだな。

毎日船に乗っていても、海が荒れると、船酔いする人がいるらしい。
船に弱い私たち夫婦はとてもとても働けない現場だ。
海上保安庁のことが少しはわかって、楽しい一冊でした。
posted by 北杜の星 at 07:02| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月12日

川上弘美・町田康ほか「まるまる、フルーツ」

河出書房新社の食べものアンソロジー・シリーズはこれまで「お肉」「ラーメン」「パン」「お鍋」「朝ごはん」などが編集されているが、新刊は「フルーツ」。
ほんの2ページほどの短い文章だが、著者陣はなかなか豪華。
村上春樹、島田雅彦、三浦しをん、江國香織、辻村深月、堀江敏幸、角田光代などの「今」の作家たちも多いが、ちょっと昔の物故作家、武田百合子、向田邦子、檀一雄、森茉莉、内田百閧ネどの文章には味があって、読むのが楽しい。なかでもめずらしく小沼丹があってうれしかった。

いちご、さくらんぼ、枇杷、八朔や夏みかん、桃、りんご、メロン、すいか、マンゴー、ぶどう、梨・・
だいたい果物の季節順にエッセイも並んでいるのだが、案外に桃を取り上げている人が多いのは、桃好きが多いということか?
なかでも町田康はかなりの桃好きのよう。「地下鉄のなかで、桃を食う。手も服も、身も心も。」というタイトルのなかには、そういう場面は書かれていないのでホッとする。
想像しただけで「ぅわー」となりますよね。地下鉄のなかで桃なんて。

あまり自分の家族のことを書かない川上弘美が柑橘類の皮を剥く実家の母と、それを食べる父や弟や自分のことを書いているのに意外な感じがした。
そしてその文章は、なんだかとっても素直というか自然体。
彼女の文はどこにも力が入っていないふうに感じるが、それは作家のテクニックで、非常に考え抜かれた文なのだが、そうした作為の印象がここではまったくないのだ。
読んでいて新鮮だった。

私はくだもの王国の山梨県に住んでいる。
東京に居たころとは較べものにならないくらいの果物を年中を通して食すようになった。
さくらんぼはある知人が見事な一箱を下さる。
今年ある友人が山梨県産の一粒500円なるさくらんぼを食べたと自慢していたが、歳をとるごとに佐藤愛子化する私は「なにっ、一粒500円のさくらんぼだと!」と怒り心頭になる。
なぜそのようなサクランボに需要があるのか?誰が買うのか?
日本では果物が大型で美しいのが価値があるとされ、途方もない値段がついているが、そういう豪華さを果物に望む人がいるのが信じられない。
そう思いつつも、一粒500円のさくらんぼの味やいかに?と食べてみたい気もする私がますます許せないのだが。

桃は生産者のところに買いにいくし、スイカは今年ずいぶん頂いた。ブルーベリーはいつも群馬の友人から送られてくる。もうすぐ夫の好きな柿。そんなに食べるとお腹が冷える世と言うくらい食べるので心配になる。
11月終わりには南信の松川の林檎園に友人たちと林檎を買いに行く。これはこのところの恒例行事となっていて、自宅用には自宅用やハネで充分。
その林檎は約2カ月足らずで終わりになる。そうしたら今度は北信の中野の林檎となる。
この信州中野の果樹園ではもう60年も前から徐草剤なし、農薬は可能な限り少なくしてつくっている。
だから数がないので自分たちだけでそっと食べる。
林檎になる前にはこの果樹園の洋梨が自然食品店にやってくるのだが、これがめちゃくちゃ美味しいのだ。
小さくて皮もゴツゴツ、色も悪いのだけど、味は素晴らしい。夫はここの洋梨しか食べない。
これも生産量が少なくて、期間も短くて、ボヤボヤしていると逃してしまう。

桃も好き、ぶどうも好き、林檎は年々好きになる。
でも私がもっとも好きなのは、無花果なのだ。
それも広島市の西の高須とか古江というところでつくられている希少な無花果。
愛知県は無花果が有名だが、私に言わせると広島の無花果はあんなもんではない。
一度秋に友人と広島を旅行した際に、無花果があまり好きでないという彼女に食べさせてあげたことがある。
彼女は「無花果って、こんなに美味しいものだったのね」と感激していた。それ以来東京でときおり無花果を買うらしいが、あの味には出会えないのよ寝えと嘆く。
懐かしいなぁ、死ぬ前に食べたいものは?と訊かれたら「広島の無花果」と答えるかもしれないな。

日本は四季の国。季節ごとの果物が楽しめる国はそうはない。日本に生れた幸せを感謝しながらこれから秋の果物を楽しみたいです。
posted by 北杜の星 at 07:25| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月11日

桜木紫乃「裸の華」

本を読む楽しみのひとつに、知らない世界を知るというのがある。
今回桜木紫乃の「裸の華」では、ストリッパーの世界を知ることができた。
ストリップについてはこれまでも昭和のいろんな作家たちがその世界を垣間見せてくれているが、ストリッパーの「踊り」をメインとしたものは、あまりなかった気がする。
この本には踊りに命を燃やす元ストリッパーが主人公で登場する。
ストリーの展開については「こうなるんだろうな」が見え見えで、あまり私の好みではないのだけれど、前作「霧(ウラル)」よりは数段いいと思う。読後感も悪くはない。

ストリッパーだったノリカは舞台で怪我をし、舞台を降りた。誰にも告げずストリッパーとしての仕事を始めた北の街か振り出しに戻るつもりで店を始めることにした。
クリスマス・イブの日、不動産屋の男と店を下見し、ここに決める。
店はダンスシアターNORIKAろいう看板で、二人のダンサーを募集するのだが、不動産屋の男が推薦する瑞穂とみのりの若い二人を雇うことに。
驚いたことに不動産屋の男はバーテンダーとしてノリカの店で働くようになった。彼は有名なバーテンダーだったらししが、どういう理由からか東京を離れて北の街に居たのだった。
ダンスシアターNORIKAは、丸顔でいつも笑顔の愛嬌ある瑞穂と、ぶすっとして不機嫌そうな、けれど踊りが素晴らしいみのりの二人のパフォーマンスが評判となり、だんだん客が増えてくる。
しかし二人のダンサーは若い。
恋愛や他からのオーディションのオファーなど、ノリカが店を継続するには問題となるような出来事が次から次へと起こってきて。。

物語より、ノリカのストリッパーの踊り手としての矜持のあり方が興味深い。
ストリップ小屋に集まる客たちの「見たい」という欲望は、裸の女性の一点に集中する。ストリッパーとしてその願いを叶えてあげつつ、でも自分の踊りは踊りとして見せ場を作りたいノリカ。
卑猥な動きの中で、踊りの凄さを見せると、客は「見たい」ことなど忘れてしまって、ただノリカの踊りそのものを見るようになる。
それこそノリカの踊りの真骨頂なのだ。
そこに、下品さだけに陥らない、ぎりぎりの品がある。
もちろんそのためには、踊りのための節制と練習は欠かさない。
客の喜びそうなCDの一曲を選び、自分で振付をし、衣装を着ける。ストリッパーとして気概が生まれる。

ストリッパーの客にも、追っかけがいるんですね。
舞台のノリカに絶妙なタンバリンを振っていた男性が、ノリカのもとを訪れる。死期がせまったその男のためにノリカは踊る。
その男がとってもカワイイ。彼のタンバリンは歌舞伎の「成駒屋ぁ~」という声のようなものなんでしょうね。
バーテンダーの竜崎はいかにもワケアリそうなのだが、そうしたワケはわからないままでいる方が、ミステリアスでいいのかもしれない。

結末がどうなるかは、読んでのお楽しみ。
ストリップ小屋って今でもあるのかな?
昭和の頃には、ちょっとした温泉地にはあったものだけど。

私が覚えているのは、どこだったか忘れたが、小屋のポスターだか看板に、出演のストリッパーの名前が「アンジェラ」とあったこと。
ふーん、アンジェラか。男の欲望を満足させる天使さんなんだな、と、そのネーミングに感心した。
だけど女の私からすると、裸を見るのがなんでそんなにおもしろいんだろ?と不思議なんですけどね。
でもノリカのような踊りの名手のストリッパーさんがいれば、ちょっとその技を見てみたくなるかも・・

桜木さん、初期のような小気味よくてそのなかに人生の悲しさがある、そんな小説が読みたいです。
NORIKAの悲しみも人生もわかるのだけど、私が求める桜木小説ではないみたい。
posted by 北杜の星 at 07:25| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月10日

黒須達巳「世にも美しい瞳 ハエトリグモ」

雨上がりの朝、玄関からアプローチを抜けて庭やガレージに行く時には、注意が必要。
無防備に歩くと、顔にべたっと粘着性の蜘蛛の巣が顔にくっつく。その気色悪いことったらない。
でもどんなにイヤでも、私は蜘蛛は殺さない。夫にも巣の糸を取るだけにしてと頼む。
蜘蛛は害虫ではないと聞いたことがあるからだ。

もっとも蜘蛛は昆虫ではないんですよね。
昆虫は脚が6本だけど蜘蛛は8本。
でも8つあるのは脚だけではない。このハエトリグモには目も8つあるらしい。
表紙を含めてふんだんに載っているハエトリグモの写真にはたしかに、つぶらで清らかな瞳がきらきらしている。(でも8つには見えないのだけど)。
まぁ、これを「世にも美しい」と思うか、「怖い」「気持ち悪いと思うかは、蜘蛛好きかどうかにもよると思うけど。

蜘蛛のことを知らない私はこの本を新刊案内で見つけ、早速借り出した。
ライブラリーの受付の女性は「蜘蛛ですか。。我が家にも大きな長い脚のが出てきますよ」と。
そう、すごーく長い脚の蜘蛛というのもいるんですよね。風呂場のタイルの上に居る時など、こちらは裸なので、とっても怖い。大声で夫を呼ぶ。

ハエトリグモは巣をつくらない。その必要がないらしい。
視力がいいのと、その跳躍力で家の中のハエや虫を生け捕りにできるからだ。
捕獲の瞬間を見たことはないが、「あぁ、あれがハエトリグモという名の蜘蛛なのだ」という蜘蛛の姿は見たことがある。
とても小さなサイズ。。でも歳をとっても昔の乙女は、どうも虫や蜘蛛は苦手。
じっくり観察したことがない。
たくさんの種類のハエトリグモがいるんですね。大きさや色の違い。毛深そうなのもいる。

マニアはどの世界にもいるもので、「ハエトリグモ撮影入門」として、機材や撮影テクニックが解説されている。
撮影するための、蜘蛛との駆け引きまで説明されていて、なんだか微笑ましい。
相手は動物だもの。じっとしていてはくれない。撮影するにはつかの間でも静止してもらわなくっちゃ。

江戸時代には、このハエトリグモに虫を捕えて遊んだという。
家に居ながらにして楽しむ庶民の遊びは「座敷鷹」と呼ばれたそうで、これは蜘蛛を鷹に見立てたものだとか。
蜘蛛が鷹とは、ちょっと見立て過ぎ?
ハエトリグモの「相撲」もあるみたい。

でも「知る」とは大切。
知ると好きになるものです。
蜘蛛が愛おしくなってきました。大きな目も、「世界でもっとも」かどうかはともかくとして、なかなかに美し感じるようになりました。
読んで満足の一冊。

ハエトリグモのぬいぐるみがあると、かわいいかも。

posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月07日

山本朋文「認知症がとまった!?」

著者の山本氏は週刊朝日記者。
2014年62歳の時に東京医科歯科大学のもの忘れ外来を訪れ、浅田隆教授よりMCI(認知症初期症状)と診断された。
かねてよりもの忘れがあったものの、トシだろうと思っていたのだが、あるとき仕事上のダブルブッキングをしてしまい、こんなことはこれまでなかったと不安になって診療を受けたのだった。
以来初めは筑波大学での認知能力アップのトレーニングを受けていたのだが、お茶の水に東京医科歯科大学と連携する「オリーブクリニック」ができて、そちらに移り、さまざまな訓練を受けている。
その経緯を週刊朝日に「ボケてたまるか」という連載記事にし、それが本にもなったことで、NHKテレビの特集番組で取り上げたり、海外メディアからも取材をうけるようになった。
また講演依頼が増え、シンポジウムなどにも積極的に参加している。
そしてこの本が第二弾。やはり週刊朝日に連載されたものがまとめられている。

オリーブクリニックでは同じMCIや認知症の仲間たちとさまざまな訓練を受けている。
音楽療法、筋肉トレーニング、芸術療法・・
音痴なので苦手だった音楽だが、先生の指導のもとに古楽器の演奏ができるようになり、今ではレパートリーが10曲も!
何が効いているのかはわからないが、本山氏は山本氏筋トレを信頼しているようだ。
本山式筋トレとは現役ボディビルダーで筑波大学大学院でスポーツ医学を学んだ本山輝幸氏の発案したもの。
認知症には効果があると言われているが、相当キツイらしい。しかしそのキツサが脳に伝わるのだ。
しかし筋肉をつければいいのではない。
運動習慣のあるひとで認知症になる人だってたくさんいる。
大切なのは、筋肉が感覚神経と繋がることで、そうでなければ脳は活性化しないという。

何が効果的なのか?そもそもトレーニングがMCIの進行を止めているのか・
結論ははっきりしない。
でも、しないよりはする方がずっといい。事実改善されたのではと思われるフシもある。
もっともまだ大阪への新幹線で財布を忘れたり(それが遺失物として届けられるのだから日本は素晴らしい)、友人との約束を忘れたりはあるけれど。

MCIや認知症と診断された場合の反応は大きく3つに分けられるという。
「早期発見・早期絶望型」・・何をやっても駄目だとあきらめる。
「否認型」・・事実を受け止めようとはしない。(これは本人だけでなく家族もそうだと思う)。
「徹底抗戦型」・・効果があると思われることは何でも試してみる。
山本氏は三番目のようだ。(多分私もそうなるような気がする)。

現在日本の65歳以上の四分の一が認知症とその予備軍(MCI)と言われている。
850万人というものすごい数だ。
今やガンよりも認知症になる方がずっとずっと怖れられている。
けれどMCIや認知症になってもあきらめてはいけない。方法はあるのだ。事実イギリスでの認知症は減少しているという。

認知症が社会にもっと理解されるためにも、山本氏の活動を応援したい。
いつ自分に降りかかるかもしれない問題だもの。
こうやっていろんなトレーニングをして進行をなんとか食い止めている間に、近い将来必ず、認知症治療薬が出てくると思う。

女優の沢田亜矢子さんもMCIだと聞くが、みんな頑張れ!!
願わくば、オリーブクリニックのようなメモリー・クリニックが日本全国に開設されて、誰もがケアやトレーニングを受けられるようになればいい。
posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月05日

帚木蓬生「受難」

帚木蓬生は精神科医をしつつ作家として活躍する九州在住のひと。
多忙ななかで、一年一作というのがこのところのペースとなっているようで、私はその一冊をいつも大切に読んでいる。
今度のこの「受難」は500ページあまりの大長編。他にすることが山積していて読了までにほぼ1週間かかってしまった。
私の夫などは一冊の本を読むのに何日もかけるのだが、私は一気呵成の勢いで読まなければ途中でイヤになるタイプ。だから1週間というのは長期戦だったのだが、読んでよかった。
帚木蓬生のヒューマニズムって、本当に本物。

韓国フェリー世月(セウォル)号沈没事件はまだ記憶に新しいだろう。
2014年に起きた転覆事故は、完全沈没までに50時間あったにもかかわらず、高校の修学旅行生を含む293名が犠牲となった。
事故後わかったのはあまりにも酷い事実だった。
積載オーバー、定員オーバー、船長はじめ船員たちの質の悪さ、救援活動の不備、船舶会社とその親会社との政治癒着・・
韓国社会の現実がそのまま浮き彫りになって起こった痛ましい事故だった。
もっともこれは日本で絶対に起きないとは限らないのだけれど。

博多にある細胞研究所は韓国の麗水に細胞治療所を設立した。
ブラジル生まれの所長の津村リカルド民男は博多と霊水を頻繁に往復し、韓国側の事務長やその家族らと親しく交流していた。
そんな折、一人の事業家からある依頼を受けた。
その事業家の孫娘は山歩きをしていて滝壺に落ち溺死したのだが、遺体は冷凍保存されている。
依頼というのは孫娘をips細胞で蘇生させてほしいというものだった。
しかし死んだ人間を生き返らせるのは不可能。ips細胞からさまざまな臓器や部位を再生させることでレプリカをつくることになった。
日本人スタッフも韓国に合流し、レプリカ作成に成功し、「はるか」という女子高校生は少しずつ記憶を取り戻しながら、祖父と田舎暮らしをすることに。
やがてはるかは世月号事件に興味を覚え、いろいろ調査し始める。
彼女自身の体には、速いスピードで老化が起きる症状が現れるようになり。。

韓国の現状、日韓の歴史、韓国や日本の風景・食べもの・・
盛りだくさんの内容がぐいぐいと読者をひきつける小説だと思う。
社会派ミステリーでもあり、医療小説でもある。
フィクションとノン・フィクション、現在と近未来がうまく混じりあっていて、韓国の政治権力と企業の癒着などとてもリアルだし、ips細胞の可能性についてもよくわかる。
謎解きの部分が多いのでストーリーを詳しくは書けないが、読み応えのある作品だった。

きっと帚木さん、何度も韓国に取材旅行に行ってこれを書いたのでしょうが、福岡と韓国って近いんですよね。
それにしても韓国料理の美味しそうなことったら!とくに事務長の奥さんの作る家庭料理がなんともなんとも。食べたいなぁ。

posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月04日

中村千秋「アフルカゾウから地球への伝言」

ワシントン条約において、各国の象牙市場閉鎖が決議された。
日本は一律閉鎖に反対している国の一つだ。
つまり日本では象牙の需地球要があって、象牙の売買をしているということ。

私の小さな頃、父は象牙の箸を使っていた。使いこむほどに先端は黄色く変色して「年季が入ったなぁ」とか言っていたし、印鑑だって象牙でできていた。
あれは死んだゾウの象牙を使っていたのか?それともすでに象牙のための密猟が行われていたのだろうか?
そんなこと誰も考えていなかった。。だからいま、アフリカゾウは絶滅に瀕しているのかもしれない。
この本を読んで、少しちゃんと考えてみよう。アフリカの事情もわかるはずだ。

中学の卒業文集に「アフリカに行きたい」と書いた著者の、夢を実現したこれまでを綴ったエッセイ集。
彼女はタイトルにあるように長年ケニアを拠点として、アフルカゾウの研究をしている。
ゾウのような大型野生動物と自然と人間との関わりは近年ますます難しくなっているが、「調和ある共存」のために何をすればいいのか、これを読みながら考えてみようということ。
といっても動物学、動物行動学一辺倒のアカデミックな本ではない。
著者の理論的な日本人の師、アフリカのフィールドでの実践的指導者であるオリンド博士との出会い、ケニアの国立公園に近い集落の女性の会や子どもたちの教育などについても書かれている。

アフリカで野生動物とともに生きるというのは、言葉は美しいがじっさいには生易しいものではない。
断水や停電、コウモリやヒヒが襲撃することもあるそうだし、雨季には大量の昆虫発生で虫刺されやサソリの侵入で眠れない夜もあるという。
観光じゃないのだから、逃げ出すわけにはいかない。

ケニアの国立公園はもともとは自然維持と動物保護のために造られた。
しかしケニアでも人口は増え、野生動物と人間の生活場所の強豪が起きるようになった。著者が活動するビリカニ村ではゾウの被害が続出するので有名だそうだ。
そのような場所では「ありのままの大自然に少しばかりの風穴をいれ」ることが、ゾウにとっても生存存続の可能性が大きくなる。
ゾウにとっては不自由かもしれないが、害獣として抹殺されるよりはよほどいいので、人間もゾウもどちらも妥協しようということだ。
またケニアの経済にとっては外国からの観光客も大切な面が否めない。

著者はフィールドでゾウの糞の調査をしてきた。
その話がとても興味深い。
アフリカへ行く前、彼女は日本の動物園のゾウの糞を調べていたそうだが、そのときの糞はものすごく臭かったという。
しかし野生のゾウの糞は臭くなかった。
飼育動物の糞だから臭かったのだ。
糞だけでなく「臭い」という感覚の考察がおもしろい。

ゾウのように大きな動物ではないが私の住む八ヶ岳南麓や南アルプスの麓では、農作物の動物被害が年々多くなっている。
鹿やイノシシはしょっちゅう出るし、最近はサルの出没するようになtった。
散歩の人がクマに襲われるニュースもある。
元はといえば野生動物の棲む地を人間が開発したのだ。
彼らにしたら人間こそが「大害獣」のはず。
鹿やクマの存在が都会の人々にとっては「関係ない」と思われるかもしれないが、自然の営みや生態系にとってはけっして無関係ではない。
それと同じように、アフリカゾうを保護することは、地球上のあらゆる生物にとって必要なことなのだと思う。

アラスカで亡くなった星野道夫さんは若いころ日本で電車に乗っていても、北極のクマに想いを馳せたと聞く。
私たちもつかの間、アフリカにいるアフリカゾウのことを思い浮かべてみよう。
この本はそういうほんわり優しい気持ちにさせてくれます。

posted by 北杜の星 at 07:20| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月03日

高山なおみ「ロシア日記」

昭和44年6月、作家武田泰淳と夫人の百合子は、泰淳の古くからの友人竹内好(中国文学者)とともに旧ソ連に旅立った。
「白夜祭りとシルクロードの旅」というツアーには、添乗員を入れて10人。ほぼ一カ月の旅。
泰淳は百合子に「連れて行ってやるのだから日記を書くのだぞ」と言い渡し、百合子が詳細に書いたのが「犬が星見た」という名紀行エッセイだ。
「犬が星見た」という不思議なタイトルは、輝く星を一心不乱に見上げる犬のように天真爛漫な百合子の姿からつけられている。
この「犬が星見た」の本をバイブルのように読んできたのが、料理研究家の高山なおみだ。
彼女はついに2011年、百合子たちが行ったのと同じ6月に、友人の画家川原真由美さんと一緒だった。
あの東北大震災からまだ3カ月、彼女たちの心はまだ乱れていたと想像する。

百合子たちが旅行した頃はシベリアへはまず、横浜港から船でナホトカへ。そこからハバロフスクまで列車というコースだった。
しかし現在では新潟からも稚内からの航行もある。
高山さんたちはそのどちらでもなく、鳥取県の境港から韓国の船で韓国の東海経由というめずらしいルートを選択した。
東海からウラジオストックへ。そしてそこら念願のシベリア鉄道の旅が始まった。

(私がヨーロッパに行ったのも昭和44年。泰淳と百合子の3カ月後のこと。「ナホトカ号」に揺られ、激しい船酔いに苦しめられて着いたナホトカ。そこからハバロフスクまでの列車から見た白樺林の美しさは今も忘れられない。日本に生えている白樺の幹よりずっとずっと白かった。
でも私はハバロフスクからは鉄道ではなく、ビュイーンと飛行機でモスクワへ行ったのだが、若かったのだからシベリア鉄道を経験してもよかったかなと思うときがある。)

高山さんたちのシベリア鉄道は43年前の百合子たちの旅行と較べると、ずいぶんと快適だったはずだ。
寝台車は新しいし、なにより乗務員が笑顔を見せると言うのがスゴイ、信じられない。
旧ソ連のサービスは本当に最悪で、飛行機でも空港でもホテルでもレストランでも、まず笑顔を見たことがなかったもの。
あんな面白くもない顔をして1日のほとんどをすごすのは、なんて不幸な人生なんだろうと、かえって同情したほどだった。
でも高山さんと川原だんたち、ちゃんと微笑んでもらっていて、「あぁ、ロシアは変わったんだな」。
行く先々の通訳さんたちもとてもフレンドリーだ。
シベリア鉄道の食事はほとんど停車駅で調達している。駅に売りに来ている農家の人の新鮮野菜やピクルスやピロシキなどが本当に美味しそう。
列車内のレストランよりいいみたい。
シベリア鉄道といえばサモワールがあるので有名だが、そのお湯で紅茶を入れたりしている。
(私の友人が20年くらい前にシベリア鉄道に高校生だった息子さんと二人で乗った。食堂車のメニューにはいろんな料理が書かれていたが、何を注文しても「ニエット」、無いと言われたそうで、毎日毎日い同じものしか出なかったそうだ。)

途中ウラジオストックで泊、バイカル湖畔の村リストヴァンカ村にも泊。ここでは地元の人の家庭でロシア料理教室を習っている。
でもここまでの旅の疲れと暑さのために、高山さんは風邪をひいてしまって苦しそう。(この旅行に来るにあたあっての仕事もきっと超多忙だったに違いない)。
それでも彼女にとっては食べるのも仕事のうち。いろいろなロシアの食べものを経験した。
ロシア料理といえば一番に思い浮かべるのがボルシチだけど、どうもロシアの人たちはボルシチではなく他のスープが好きなようで、一度もボルシチはなかったとのこと。

6月だというのに、ずいぶん暑かったようだ。
そんなに暑いのにロシアの人たちは帽子をかぶっていなかったとか。それを高山さんは訝っているのだが、そうなんですよね。今、ヨーロッパの人って帽子は被らないんですよね。
どんなに暑くても、フランス人もイタリア人も帽子は被っていない。
イタリアの友人からは「帽子をかぶるのは日本人か台湾人だけだ」と言われたことがある。えーっ!?と驚いた。
彼らが帽子をかぶるのは真冬の寒い寒いときに、毛糸の帽子を被るくらい。それもあのお洒落なミラネーゼがたんに防寒のためだけにかぶっているという印象だ。
日本では帽子はお洒落というイメージだけど、あちらでは完全にout of fashionみたい。

旅行は2週間。ウラジオストックで終わっている。
でも終わっているのは今回の分。ウラジオストックからウズベキスタンへのシルクロードの旅はまたあらためて、ということで、「ウズベキスタン日記 空想料理の故郷へ」の本も刊行されている。
旅には時として、奇跡のようなことが起こることがある。
高山さんも偶然に泰淳と百合子さんが泊ったホテルのその部屋を見ることができたのだった。
優しい川原さんが部屋を変わってもらってその部屋に移ろうかと言うのに対して高山さんは「ううん、いい。泊ってはいけないような気がする」と答えているが、その気持ちはわかるようなきがする。そしてそこに泊まれるのに泊らなかった高山さんだからこそ、私は高山さんが好きなんだろうなと思った。

「犬が星見た」をいま一度、読み返してみようかな。
同行した銭高組の銭高老人はもうとっくにいないし、あの旅行の後で竹内好は亡くなったし、泰淳も病気になった。
百合子にとっては最後の夫婦での大きな旅行だった。
旅って、行けるときに行っておくものだと、つくづく思う。「行こうと思ったのに。。」で終わるのってつまんない。

ウズベキスタン日記も読みます!
posted by 北杜の星 at 07:39| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする