2016年10月12日

川上弘美・町田康ほか「まるまる、フルーツ」

河出書房新社の食べものアンソロジー・シリーズはこれまで「お肉」「ラーメン」「パン」「お鍋」「朝ごはん」などが編集されているが、新刊は「フルーツ」。
ほんの2ページほどの短い文章だが、著者陣はなかなか豪華。
村上春樹、島田雅彦、三浦しをん、江國香織、辻村深月、堀江敏幸、角田光代などの「今」の作家たちも多いが、ちょっと昔の物故作家、武田百合子、向田邦子、檀一雄、森茉莉、内田百閧ネどの文章には味があって、読むのが楽しい。なかでもめずらしく小沼丹があってうれしかった。

いちご、さくらんぼ、枇杷、八朔や夏みかん、桃、りんご、メロン、すいか、マンゴー、ぶどう、梨・・
だいたい果物の季節順にエッセイも並んでいるのだが、案外に桃を取り上げている人が多いのは、桃好きが多いということか?
なかでも町田康はかなりの桃好きのよう。「地下鉄のなかで、桃を食う。手も服も、身も心も。」というタイトルのなかには、そういう場面は書かれていないのでホッとする。
想像しただけで「ぅわー」となりますよね。地下鉄のなかで桃なんて。

あまり自分の家族のことを書かない川上弘美が柑橘類の皮を剥く実家の母と、それを食べる父や弟や自分のことを書いているのに意外な感じがした。
そしてその文章は、なんだかとっても素直というか自然体。
彼女の文はどこにも力が入っていないふうに感じるが、それは作家のテクニックで、非常に考え抜かれた文なのだが、そうした作為の印象がここではまったくないのだ。
読んでいて新鮮だった。

私はくだもの王国の山梨県に住んでいる。
東京に居たころとは較べものにならないくらいの果物を年中を通して食すようになった。
さくらんぼはある知人が見事な一箱を下さる。
今年ある友人が山梨県産の一粒500円なるさくらんぼを食べたと自慢していたが、歳をとるごとに佐藤愛子化する私は「なにっ、一粒500円のさくらんぼだと!」と怒り心頭になる。
なぜそのようなサクランボに需要があるのか?誰が買うのか?
日本では果物が大型で美しいのが価値があるとされ、途方もない値段がついているが、そういう豪華さを果物に望む人がいるのが信じられない。
そう思いつつも、一粒500円のさくらんぼの味やいかに?と食べてみたい気もする私がますます許せないのだが。

桃は生産者のところに買いにいくし、スイカは今年ずいぶん頂いた。ブルーベリーはいつも群馬の友人から送られてくる。もうすぐ夫の好きな柿。そんなに食べるとお腹が冷える世と言うくらい食べるので心配になる。
11月終わりには南信の松川の林檎園に友人たちと林檎を買いに行く。これはこのところの恒例行事となっていて、自宅用には自宅用やハネで充分。
その林檎は約2カ月足らずで終わりになる。そうしたら今度は北信の中野の林檎となる。
この信州中野の果樹園ではもう60年も前から徐草剤なし、農薬は可能な限り少なくしてつくっている。
だから数がないので自分たちだけでそっと食べる。
林檎になる前にはこの果樹園の洋梨が自然食品店にやってくるのだが、これがめちゃくちゃ美味しいのだ。
小さくて皮もゴツゴツ、色も悪いのだけど、味は素晴らしい。夫はここの洋梨しか食べない。
これも生産量が少なくて、期間も短くて、ボヤボヤしていると逃してしまう。

桃も好き、ぶどうも好き、林檎は年々好きになる。
でも私がもっとも好きなのは、無花果なのだ。
それも広島市の西の高須とか古江というところでつくられている希少な無花果。
愛知県は無花果が有名だが、私に言わせると広島の無花果はあんなもんではない。
一度秋に友人と広島を旅行した際に、無花果があまり好きでないという彼女に食べさせてあげたことがある。
彼女は「無花果って、こんなに美味しいものだったのね」と感激していた。それ以来東京でときおり無花果を買うらしいが、あの味には出会えないのよ寝えと嘆く。
懐かしいなぁ、死ぬ前に食べたいものは?と訊かれたら「広島の無花果」と答えるかもしれないな。

日本は四季の国。季節ごとの果物が楽しめる国はそうはない。日本に生れた幸せを感謝しながらこれから秋の果物を楽しみたいです。
posted by 北杜の星 at 07:25| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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