2016年11月30日

小林美希「ルポ 介護の質」

こういう本を読んで社会の実情を知り、それをしっかり受け止める方がいいのか?
そんなことは知らずに極楽とんぼを決め込む方がいいのか?
どちらが幸か不幸か?
どちらにしても現実は「病気になんかなってらんないよぉ」という厳しいもの。今でさえ医師不足、看護師不足、介護士不足が言われているのに、私のような団塊世代が後期高齢者となる7〜10年後にはいったいどうなるのか?
想像するだにオソロシイ。

病気で入院しても、すぐに退院を迫られる。ましてや老人をいつまでも置いておいてはくれない。
それは病院の方針だけでなく、国の指標だからだ。
国の医療費を抑えなければ今後の超高齢化社会では、にっちもさっちもいかなっくなるから。
75歳以上の健康保険料を値上げしようという動きもでているけれど、だからといって、医療や介護がそれで改善されるとは思えない。

仕事熱心な看護師が入院患者の世話をしようとしても、それが許されない時代である。
一人の患者に時間をかけると「仕事が遅くてできないヤツ」と評価されてしまうのだ。
人員を足らないのでナースコールが鳴っても出ないこともある。
看護師だけでなく医師だって足らないため、本来は医師のする仕事を看護師がしなくてはならない。。

病院を出て介護施設に行っても、そこもやはり同じことが起きている。
ちょっと問題のあるお年寄りはベッドや車いすに拘束され、食事介助が大変なので胃ろうにというこだって起こりうる。
そして施設は姥捨て山化する。
もちろん世の中には「これではいけない」と志の高い医療関係者はいる。救急医療や周産期医療のチーム医療に取り組む医師や看護師もいるのだ。
しかし政治と医療界の癒着がそれを阻む場合があるようだ。

医師や看護師や介護士たちは劣悪な労働条件下で働いているので、疲れきっている。これでは医療事故が起こっても不思議ではない。
彼らの環境をよくすることはできないのだろうか?
もし労働条件が改善されれば、あまりに仕事がハードで家庭と仕事の両立が出来ずに辞めた看護師たちの職場復帰が可能になると思う。
看護師だけでなく女性医師も育児のために仕事を中断する人がいる。(私の知っている女医さんもそうだ。)
医師や看護師は職場を離れるのはとても不安だと聞く。日進月歩の現場に、はたして復帰できるのかと。
中断しなくてもよい職場をつくるのは無理なのか?

外国労働者を介護の現場に引き入れようとしている。それも大いにけっこうだ。
しかしそれならば彼らに日本人と同じ条件で仕事をしてもらい、社会保障もしっかりつけてあげるべきだ。
使い捨てにしてはならない。

この本の著者はジャーナリストとして素晴らしいるボルター十を書いたと思う。
取材の苦労を想像すると、ますますこの本の重要性がわかる。
医療とはなにか?その根本を問い、これからの医療を見通すための一冊として読んでみてください。
誰もが老い、死ぬんですから。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月29日

ハッチの身辺雑記

月に一度のハッチの身辺雑記です。

何かをし忘れている気がずっとしていて、「あ、今月はまだ身辺雑記を書いてなかった」と思い出しました。
いけない、いけない。
有名人でもなんでもない私なので、こういうのを書くのは気が引けるのですが、それでも「近況がわかってうれしい」と言ってくれる友人たちがいるので、なんとなく毎月書いています。

今月はまぁ、いい一カ月でした。
まず、懸念だった我が家の車がやっと売れました。
30年くらい前のオールド・ベンツ(といってもヴィンテージのような価値のあるものではなく、ただ古いというだけ)を、夫の知人のS氏に売ってもらうよう依頼したのは、春先の3月末のこと。
売れるかしら?と尋ねると「大丈夫、絶対売れます!」と断言するのでずっと預けていたのだけど、これが売れない。
4月末には新しい車がやって来たので、ベンツは出番がない。
どうもS氏がつけた値段が高すぎたみたいで、「あれじゃぁ、売れないよ」と私は思っていました。(私たちが希望する価格の3倍!)
11月になって、業を煮やした私は「もう、ベンツの専門業者に持って行ってよ」と夫に言うと、彼は別の知人のO氏が外車中古車を扱っていることを思い出し、彼に頼むことに。
すろとO氏は車を見るなり、「僕が買います」と言ってくれたのです!即決です。
それを聞いた私は拍子抜け。でもやっと売れたのでホッとしました。
だけど前に依頼していたS氏が青空でずっと停めていたので、夏の強い日光にさらされダッシュボードの皮がひび割れていたそうで、そのために引き取り価格が10万円は安くなってしまいました。
ますますS氏に怒り心頭ではあるけれど、年内に解決して本当に良かった。
誰かに何かを頼む時には、信頼できる人に頼まなければいけないとわかっているはずなのに、魔が差すということがあるんですね。つい、「いかがわしい」と評判のS氏に頼んだのが間違いだったのでした。

今月はボージョレ・ヌーヴォー。
いつものように友人宅でパーティがありました。これまではエノテカから6本届けてもらっていたのに、今年はその半分だったそう。
病気をしたり、体調に気をつけていたりが案外多くて、いつもほどにはみんな飲まなかったかな?
それでもヌーヴォー以外のワイも空けたので、都合6人で4本。まぁ、イイトコでしょう。これくらいが健康的です。

数十年ぶりの11月の積雪。こちらは20センチ積もりました。でも気温が高かったので融けるのも早く、雪掻きの必要がなかったのは幸いでした。
でも南アルプスも八ヶ岳も真っ白。これは根雪になるのでしょうか?
寒いけれど、雪を頂いた山を見るのは、毎年のことながら美しいです。
寒くなって美味しくなる冬野菜。今年も白菜や大根など頂きました。都会では野菜の値段が高騰しているとかで、ありがたいことです。
東京からの友人にもおすそわけして喜ばれました。

これも恒例、南信州の松川に林檎を買い出しに。
昨年は天候のせいであまり味がパッとしなかたけれど、今年はどうか?
私は林檎が年々好きになります。朝一番の人参ジュースに入れる林檎、お食後の林檎、ちょっと喉が渇いた時の林檎・・
いつ食べてもしみじみと美味しい。
林檎を買った後、いつもなら大鹿村のいつもお世話になる宿で和食のランチを楽しむのですが、今年は飯田まで足を延ばして、一軒家イタリアンでのランチをみんなでしました。
鄙には稀なという感じのちょっと素敵なレストラン。若いご主人がシェフでサービスの奥さんがソムリエ。
ここによく行く友人が一緒だったので、シェフはことさら張り切ってくれたようで、値段にしては高級材料が使われていましたね。

でも食べものって、むつかしいものです。
材料が高いから素晴らしいとは必ずしもならないところがあるんです。
例えば、前菜の後にプリモとして出たサフランのリゾット。今はサフラン摘みの季節なのでサフランはOK、うれしいです。
でもそのリゾットの上に、アワビと鮭が乗かっていたのは、どうも私には納得できない。
だってサフランって味や香りもさることながら、色を楽しむもの。白い皿にリゾットの赤黄色は美しいはず。それなのにその上にあわびと鮭だなんて。。
おご馳走のつもりで奮発したのかもしれませんがtoo muchiです。料理は「プラス」すればいいものではない。「マイナス」の美学もあるはず。
その一皿がなんとも田舎っぽくて興醒めでした。
だけどこのレストラン、いいところもあります。
それはメインが終わってデザートの前に、「シンプルなトマトソースのスパゲッティをお好きなだけ」とサービスしてくれるところです。
大食いの男性だけでなく、女性陣もみんな「お願いします」と頂きました。
これは上手ですよね。
日本のコースの量は少ないですからそれに満足できないと、お客さんは不満を抱えて食事を終えることになります。
その不満を解消するのにこれはもってこい。第一、トマトソースのスパゲッティの値段などなにっほどのこともありません。

私の点字学習は、静音50音までは順調でしたが、濁音、半濁音、拗音、拗濁音、数字が追加されてから、かなりハードルが高くなって難儀をしています。
たった一文字増えただけでどうしてこうも難しくなるのか。
先生は「全然、大丈夫です。誰もがここでちょっとスローになるのです」」と言ってくださるものの、劣等生気分に陥っています。
イトヤマさんの「イッツ・オンリー・トーク」を少しずつ読もうと、点字図書館から借り出したのはいいけれど、最初の1ページに10分かかるしまつ。
こんなんで文芸本が読めるようになるのか。。
まだこれで、アルファベットは出てきていないんだから、先が思いやられます。
だけどそれでも勉強するのは楽しくて、「じゃぁ、辞めます」とはならないのが、しぶといところ。まぁ、のんびり頑張ります。

夫は2日前に誕生日を迎えました。何の感慨もないそうで、今日は昨日の続き、今年は去年の続きという人です。
ランチにちょっと近所のレストランに行ったくらいで、特別のことは何もなし。
お互い元気なのがなによりのプレゼント。
彼はいま、何度目かの小川国夫の「アポロンの島」を読み返しているところ。「アポロンの島」は私たちが大好きな本で、ほとんどの本を処分しようとしているなか、「これはとっておいて」と言っています。

ハッチはかなり酷い捻挫に苦しみました。もともと手足の関節が弱くて、子猫の頃からよく捻挫をしてびっこを引いていたのだけれど、今回はかなり痛そうで、お水とトイレには起きだして行っていたけど、ご飯は食べませんでした。口元まで運んでやると少し食べたくらい。
とにかく「放っておいて」と寝てばかりいて、今回ばかりは心配しました。
やっと回復したのは1週間後。今はたくさん食べて時折走りまわるほどに。
ハッチが19歳の時には、20歳になるのを疑いませんでしたが、いま20歳になったハッチを見ていると、はたして来年8月の21歳の誕生日が迎えられるか不安です。
それくらい毎月毎月、身体能力が衰えています。人間でいうと100歳近いのだから当然といえば当然なのですが、なんとか、ハッチが幸せな晩年をおくることができればと、いろいろネットで調べながら、彼女の改適な毎日をつくってやりたいと、良さそうなことは何でも実行しています。
一人ぼっちにされるのを心細がるので、なるべく長い留守はしないように、どちfらかが家にいるようにしています。
ハッチを見ていると「老いる」ことの大変さと、それを受け入れている動物ん偉大さが感じられ、私の良いお手本となっています。

ミズナラの葉っぱが半分落ちました。いよいよ本格的な冬です。
インフルエンザに負けずに、どうぞ、お元気で今年最後の月をお迎えください!

posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月28日

辻村深月「東京會館とわたし」

東京駅に近い丸の内にある東京會館。
それまで社交というものが貴族など特別な階級のものであったのを、庶民(といっても決して大衆ではないのだが)のための宴会や披露宴などの集まりを目的として作られた。
大正末期に建設さた直後に、関東大震災に罹災した。
昭和になってからは戦争の足音とともに、政府軍部によって使われ、戦後はアメリカに接収された。
東京會館はそうした日本の歴史のずっと見つめてきた場所である。

芥川賞直木賞の受賞記者会見や贈呈式は東京會館で行われる。
直木賞受賞の辻村さんも心躍らせて、東京會館のパーティに出席したことだろう。
そのときからなのか?東京會館を舞台にした小説を書こうと思ったのか?
東京會館に客として集まる人々、東京會館で働く人々・・
時系列に並ぶ東京會館にまつわるエピソードがなんとも素敵で、激動の時代を生きるということの大変さと、それを克服する勇気や達成感が、読む者の心を明るくしてくれる。
ライブラリーで借りて読んでいるので、まだ上巻しか読了していないけれど、一編一編が独立している連作集なので気にはならないが、下巻が待ち遠しいのは言うまでもない。

ヴァイオリニストのクライスラーのコンサートに行くために、故郷金沢からやっとの思いで出て来た文学青年。
彼は東京で文学活動をしていたものの、実家の跡を継ぐために金沢に戻ったのだが、後悔いと忸怩たる念が押し寄せるばかり。
そんなときのクライスラーだった。
聴く前と後での彼の心はどう変化したか・・
(この章には梶井基次郎についての記述もあって面白かったです)。

古いサービス係の男性は民間初の社交場の東京會館に、帝国ホテルからやって来た。ホテルマンとしての腕を買われての転職。
しかし震災後やっと復活した會館は政府の運営となってしまう。
フランス料理の「プルニエ」も閉店。結婚式場の美容室経営者はパーマネント禁止となる。
日本が暗いトンネルに入ろうとする直前の東京會館。

そんな頃にも政府や軍の関係者の結婚披露宴が開かれることがあった。
しかし披露宴で出される料理の材料は、結婚する者の両家が用意しなければ揃わなかった。
それでも東京會館を人生のスタート台とする若いカップル。彼らの未来は・・

やがて敗戦。東京會館ではアメリカ軍の高級将校たちでいっぱいとなっている。
彼らのためにバーではバーテンダーたちが苦手な英語を操りながら、将校たちに軽んじられながら頑張っている。
ある朝、一杯やりながらご機嫌な将校たちの前にあの、マッカーサーがやって来た。
朝から酒とはないごとかと怒っている。
デモバーは朝からオープンだ。なんとか朝のカクテルを楽しんでもらおうと考案したのが「モーニング・フィズ」。
以来「モーニング・フィズ」は東京會館のバーの名物となり・・

菓子職人がパティシェではなくベーカーと呼ばれた時代。
東京會館のベーカー長は経営の方からある依頼を受ける。
それはお持ち帰り用のお菓子を作ってくれとのことだった。しかしそれでは納得できるものが出来ないからと断固拒否。
最終的には作ったのだが、それが思わぬほどの好評で・・

エピソードは東京會館の歴史の長さほどたくさんあることだろう。
それらをフィクションといっても、関係者への緻密な取材を重ねて、辻村深月はこれを描いたのだと思う。
どの章を読んでも、主人公たちがいまにもあの階段を歩き、エレベーターに乗り、フランス料理を食べている場面が目に浮かぶ。

これはまた、仕事をする人間を描く小説集でもある。
下巻が届いているとのメールがあったので、明日そうそうに取に行きます。楽しみ!
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月25日

小倉崇「渋谷の農家」

タイトルに驚いた。渋谷に農地や農家があるの?!
練馬や世田谷や杉並ならいざしらず、あの渋谷に。

地べたの農地ではなかった。
ビルの屋上で野菜を作っているのだった。
「それじゃぁ、家庭菜園じゃない」と言う向きがあるかもしれないが、そうではない。
そうではないところにこの本の著者の矜持がある。

著者は出版社勤務を経て現在は、出版や広告に活躍していて、日本全国の有機野菜を取材する農業ライターでもある。
これまで取材してきた農家の人たちに触発され、かねてより関心の深かった農業を自分でも始めてみようと、渋谷の農家となったのだ。
日照などを考慮して移動できるように大きなプランターに(じっさいには重くてそうは移動できないが)に土をいれ、排水を考え、みんなで野菜を育てている。
都会の真ん中とは思えないほど、生育はよい。
けれどここでも獣害があるんですね。猿やイノシシはいないけど、カラスやネズミにごっそり作物をやられることがある。

しかしこの本のメインは著者の畑だけではなく、日本全国で頑張っている農家の人々が紹介されていることだ。
作るのは有機栽培での、米、野菜、オリーブ、麻、ニンニク、リモーネ(レモン)などなど。
面白いのは彼らの大多数が根っからの農業ではないこと。人生半ばから農業を始めた人たちなのである。
生れ育った地、移住した地・・選択はそれぞれだが、みんな有機栽培や自然農法に取り組んでいる。

でも大変だ。
成功している場合もあるが、農業だけで一家を成すのは困難なようで、なかには農業での収入は一カ月4〜5万円にしかならず、道路工事などのアルバイトや奥さんの仕事で助けられている場合もあるようだ。
それはそうだろう、と思う。
だって昔から東北などの農家の人たちは農業だけで食べていけないから、冬の間に都会に出稼ぎに行ったのだもの。

私にとって興味ある記述があった。
神奈川県の藤野という小さな町がある。、中央道に藤野ICがあるのでご存知の方もいるだろう。
西に向かって車を走らせていると、左の山にハートマークのついた封筒の看板が大きく見えてくる。
藤野はアーティストが多く住む町として有名なのだが、そもそも戦時中に、藤田嗣治や猪熊弦一郎らが疎開していて、シュタイナー学校などもあるような自由な雰囲気の町なのだ。
東日本大震災直後には、東京電力に頼らず、電気を自給自足しようという「藤野電力」を有志で立ち上げたことでも知られている。
私も当時その記事を見て、ネットで調べたことがある。ユニークな集落だなと羨ましかった。
著者の友人がここで農業を始めたのだそうだ。

最近は農業をしてみようという人たちが増えている。
私の住むここ八ヶ岳南麓にも3・11以降、若い家族が農業をするために移住してきている。
限界集落が多くて、耕されなくなった田んぼや畑を借りて、有機栽培に取り組んでいる。
私の家の下にも、今年の春から若い農業グループがそうした畑を借りて頑張っているようだ。
「どこかこの集落に、古家を貸してくれるところはありませんか?」と訊かれるが、ないんですよね。あってもなかなか地元の人は貸したがらない意。
そのグループの人たちはどこから畑をしに、やって来ているのだろう?

男性たちだけではない。最近では「農業女子」がずいぶんたくさんいて、私が毎日食べている無農薬玄米も、3人の女性が共同で作っているものだ。
彼女たちの生活が農業だけで成り立っていけるように、できるだけの応援をしてあげたいと、その玄米の美味しさを友人たちに宣伝しているが、みんな一度食べるとその美味しさに、リピーターになっている。

食べものを自分で作る人間は「強い」。
これほど強いことはないと思う。何が起こっても大丈夫の、根源の強さを持っている。
食料自給率が高い国こそが、本当の文化国家だと私は考えている。
「渋谷の農家」、いいですね!
posted by 北杜の星 at 08:02| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月23日

綿矢りさ「てのひらの京」

これまでこうも京都びっしりの綿矢りさがあっただろうか。
京都生まれの彼女にしては小説の舞台は京都ではなかったような気がする。
これはまるで離れた京都を懐かしむように、京都一色。

三姉妹の京の日常がが描かれる。
子どもがほしい、でもその前に結婚しなきゃ、の長女の綾香。
気の強い恋愛体質の次女羽依。
京都を離れて東京で就職したい大学院生の三女の凛。
彼女たちの京都の春夏秋冬。

彼女たちの母親は父親が定年になったときに、自分も「主婦定年宣言」をして、お客さまとかイベントの時など「趣味」程度でしか料理をしなくなった。
なので普段の夕食は三姉妹の当番制となった。
こういうお母さん、好きだな。
当番制ではあるけれど、羽依も凛も料理を敬遠していて、綾香の担当となることが多いようだ。

まるで京都の観光案内みたいなところがある。
祇園祭、大文字焼き、貴船、府立植物園(ここ、なかなかいいんですよ)・・
でも京都以外の人にとっては観光的かもしれないが、ここに住み、小さい時からこれが日常の人はいるのだ。
ということがしみじみ、わかる小説でもある。

京都案内でもっともおかしかったのが、「伝統芸能」である京都の「いけず」に関する記述。
「いけず」って「芸」なのか。。
「いけず」とは意地悪のことなのだが、京の「いけず」はちょっと陰湿。
聞こえるか聞こえないかくらいの底意地の悪い言葉を、相手の背中でささやきかける。
ほのめかし、あてこすり、嫌味・・
ふつうはそれらは聞かなかったふりをして耐えるのだが、気の強い羽依は真向から立ち向かう。
なんだか拍手喝さいを送りたくなるが、こういうストレートなひとは、京都では生きにくいだろうなと思う。
私の知人にも「いけず」女性がいる。
彼女のあてこすりを、でも私は、面白がって観察しているところがあるので、私の方が「ひとが悪い」のかも知らない。
それでも時にはこちらの機嫌の悪いときには、羽依のように啖呵を切ってしまうことがある。
つくづく短気で人間のできていない私なんですね。
だけど綿矢りさは「いけず」は京女の専売特許ではなく、京男の「いけず」もなかなかのものだと書いている。

こういうふうに、京都を愛しながらも、京都の欠点を揶揄気味に書いているところが面白い。
それにしても「あれ?」と感じたのは、京都弁って耳で聞くと「はんなり」「しっとり」柔らかいののだけど、文字で書くと結構コテコテ。
関西弁とひとくくりにされてもおかしくないほどのコテコテさなのだ。
どうして耳から入ると、あんなにやさしいそうに聞こえるんだろう?
私は数年関西に住んだので、京都、神戸、大阪、和歌山、滋賀と、それぞれのニュアンスの違いはわかっているつもりだったけど、話言葉ではなく、書き言葉での「近さ」には気づいていなかったのかもしれない。

大観光地の京都だけど、そこに住むひとたちにとっての自分たちだけの祇園祭も大文字焼きもあるんだなと、他所の人間んたちが邪魔しているような申し訳ない気持ちになる。
祭りとは本来、そこに住むひとのためのものなんですよね。
観光のためではなくて、祈りが込められたものなのだと思う。
綾香、羽依、凛の三姉妹の祈りと願いがどうなるのか。。
posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月22日

リタ・ポーレ「1週間でごっそり捨てる技術」

「捨てる」本をこれまで何冊読んだだろうか?
もしこれらの本を買っていたとしたらそれだけで本棚にかなりの冊数が並ぶに違いない。
でも私はライブラリーから借りているので大丈夫。モノは増えない。

これまでは日本人の主婦やミニマリストたちの「捨てる」本だったが、今回はドイツ人出インテリア・デザイナーが書いたもの。
日本と外国では「捨てる」技術の差があるのかどうか?
ドイツの家なら不要なモノはあまりないような気がするし、家の中はきちんと整理整頓され清潔だと思うのだけど、どうやらそうでもないらしい。
マテリアル・ワールドはそれこそワールドワイド。
どこの国も同じみた。

「捨てる」ためにはまず「捨てる決意」が必要だが、それだけでは捨てられないんですね。
やはりそこには捨てるための技術が必要のようだ。
・何かを家に持ち込んだら、何かを捨てる。
・毎日、何かを捨てる。
・何かを買おうとうするときには、これが本当に必要かどうか考える。
・自分とパートナーのテリトリーを明確に分けておく。(自分のモノは捨てても、ひとのモノは捨ててはいけないとあるが、うーん、でもね、ひとのモノってすごーく邪魔なんですよね。「これ本当に要るのかしらん?というものだらけで目につくんですよね。

著者はモノだけを捨てよというのではない。
「ひと」をも捨てようと提案するのだ。
たしかに、疎遠になった友人っている。そんな人にも年賀状は出したりとかするけど、そういう関係をばっさり切り捨てようと言うのだ。
これはある意味正しいと思う。
もうアドレス帳から名前や住所を消していい人って、案外たくさんいるよね。
きっと向こうだって同じようにおもっているはず。

こういう本を何冊も読んだおかげで、今年の私たち夫婦はドンドンとモノを減らすことができている。
洋書の建築やインテリア雑誌は買った時はすごく高くても、古本屋に持って行ってもたいした額にはならない。けれど一冊一冊とばらばらに友人に持って帰ってもらうのではいつまでたってもなくならない。
それで、ある建築関係の事務所に数十冊のそれらの本をすべてプレゼントしたのだ。
その事務所にとってはお洒落な「飾り」となったし、スタッフが時間のある時にパラパラと見れば、お勉強にもなる。

結婚したばかりの若い知人に、お鍋を貰ってほしいと言ったら、とても喜んでくれたので、柳宗理デザインのパスタ鍋と、amwayのステンレス5層の大鍋と小鍋を差し上げた。
台所の鍋ラックにスペースができて、他の鍋がずいぶん取り出しやすくなってうれしい。
圧力鍋も二つあって、どちらか片方処分したいのだが、一つは玄米専用、一つは豆や煮込み用と用途が分かれているので、処分はむつかしいかも。。

それから衣類も春からこの秋の衣替えで、衣装箱4つを処分した。もちろん衣装箱に入っていた4箱分の服も処分。
同じようなパンツを何本も持つ必要はないと割り切ったし、一年に一度くらいしか着ないものも捨てた。下着もそう何組もいらないので、最小限を残して捨てた。
夫もどんどん捨ててくれたので、ワードローブはかなり減って大満足。
あとは着物だが、これも数年の内には5枚と帯5本を残してて、友人にもらってもらうつもりでいる。

問題は食器だ。骨董の食器がかなりある。
捨てるには高価すぎる。かといって骨董屋に持ち込むのも面倒くさいしなぁ。欲しくて使ってくれる友人に差し上げたいと考えている。
絵画もあるなぁ。この行き先が一番悩ましい。

この本の訳者である畔上司氏もこれを読んでCDとか捨てたと、あとがきに書いてあった。
そうするとスペースがきれいになったばかりでなく、「私自身の心からも『お荷物』が減ったのだ」そうだ。
リタ・ポーレ三はインテリア・デザイナーとして外部空間(建物や部屋など)だけでなく、内部空間(精神世界)の両方を専門としている人だそうで、モノを減らすことが、「気」を良くし、その場のエネルギーを強めると書いている。
まだ完全にそれを実感できているわけではないけれど、気分は悪くないし、なんだかモノが少なくって部屋にスペースができるのは、爽やかな感じがする。

オランダのアーユルヴェーダ大学で研修をした知人が面白いことを言っていた。
アーユルヴェーダーにおいては体質をヴァータ、ピッタ、カファに三分別されるが、モノを貯め込む傾向の人は太りやすく、その体質を矯正するためには、モノを捨てさせることがあるそうだ。

うーん、まだまだ捨てるぞぉ!
posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月21日

[ 井上都「ごはんの時間」

副頽が「井上ひさしがいた風景」とある。著者の都さんは作家井上ひさしの長女。
20歳のときからひさしが座付き劇作家をしていた劇団「こまつ座」で、離婚した母に代わり父と共に仕事をしてきた。
けれどひさしの死の前、なにかの齟齬が生じたらしく、劇団を去り、父ひさしの臨終にも立ち会うことができなかった。
都さんは以後、パートをしながら高校生の一人息子を育てている。
これは毎日新聞夕刊に2年間にわたり連載されたエッセイをまとめたもので、かつてのひさし一家(母方の祖父母、ひさしと好子夫婦、娘三人)の「ごはん」のあれこれを懐かしみ書いている。

その当時の料理担当は祖母だった。そのためか派手なメニューはない。東京下町の普段の気取らない、それでいて「これならご飯がすすむだろうな」と思える料理が並んでいる。
ひさしと母好子が離婚し、ひさしは米原ユリさんと再婚して息子をもうけた。新しいひさし一家の食事は多分、旧ひさし家のものとは大きく違っていることだろう。
なぜならユリさんは幼い頃に東ヨーロッパで育ち、成人してからはイタリアに料理留学してイタリア料理研究家となった人だからだ。
スパゲッティひとつにしても本場の味がでてくるのだろう。
旧ひさし家でのひさしの夜食は、ベーコンとスパゲッティを炒めた塩辛いものだったという。でもそれをひさしは好んで食べていたらしい。
もう一度父にあのスパゲッティを食べさせてあげたいと書く都さんの胸中には、複雑な想いが詰まっているような気がする。

幼いころに食べた味が懐かしい思い出となるには、時間の経過が必要だ。
再現できない味だからこその郷愁がそこにはあるのだろう。
ひさしの故郷山形の味、祖母のつくってくれたごはん、忙しかった母がチャチャッと作ったおかず・・
料理がけっして得意ではない都さんの文章が連載の回を重ねるごとに巧くなってゆくのを読むのは、うれしく楽しいと同時に、なにかとても切なくなってくる。

結婚願望のまったくなかった都さんは息子を事実婚で産み、その父となる「彼」と暮らしていたが、「彼」は突然事故死。
それからの息子二人との暮らしは、経済的にもいまは大変そうだ。パートの仕事の再契約を断られたり、不登校になった息子と向き合ったり。。
でもこの息子さん、年頃相応にぶっきらぼうではあるけれど、とってもやさしい男の子だ。
料理が苦手な都さんに「簡単なものでいいよ」と言ったり、「今日は夜はテレビでサッカーを一緒に観よう」と言ってくれたり。
左の腎臓一つしかなく、その左も尿管狭窄水腎症で機能が衰えて手術が必要とされていて心配はつきない。

よろこび、挫折。いろいろあったこれまで50年の人生。
それでも父ひさしとの時間は忘れられないいとおしさで都さんの心に残っていて、希望を与えてくれる。
だから苦手であっても息子のために一生懸命に「ごはん」をつくるのだ。
きっと都さんの心に内には吐露したいさまざまなことがあるのかもしれないが、ここには恨みごとはないし憎しみもない。
ただ落とし前がつかない前に行ってしまった父への悔いがあるだけ。
素直な彼女の心情にただ、「頑張って」と言葉を掛けてあげたい。

ひさしが買ってお土産に買って帰ってくれた鯵の押し寿司、誰が作っても失敗のない茄子の味噌炒め、自分は嫌いだけど息子が鶏肉好きなのでつくるチキンのジュウジュウ、山形のラ・フランスやふうき豆、クリスマスに飲む甘い偽シャンペン、乗り合わせたバスの乗客とケンカして父が投げつけていたボウロ・・
他人からすると何の価値もないものかもしれないが、それらの記憶が都さんの足を未来に向けさせる。

小さな一冊。でも読んでよかった本。

posted by 北杜の星 at 07:53| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月18日

森昭「歯はみがいてはいけない」

八ヶ岳に引っ越してからも4年前まで歯科はずっとお世話になっていた先生のところに通っていた。
その歯科医は「朝起きた直後と、夜寝る前にしっかり歯を磨けばいい」と言っていた。
でも世間では「歯は毎食後に磨くこと」というのが常識なので、先生の言うことよりその常識に従っていた。
ただ食後すぐに磨くのは歯に悪いと知ったので、食後30分以上たってから磨くようになった。

けれどこの本の著者は、歯を磨くのは食べかすをとるためではないので、食後そのために磨いてはいけないのだと書く。
食後の口内は食べものによって酸性化していて、歯が柔らかくなっている。それをブラシでこすることで歯が摩耗してしまうからというのもあるが、もっと大切なのは、せっかく食後には「よい唾液」が出ているのに、歯磨きをすることで唾液がなくなり、消化に悪いだけでなく、歯自体が守れなくなるのだそうだ。
虫歯にならないためにその唾液が大きな役割をしているのだという。
それと口内には菌がいっぱいなのだが、その菌を唾液がコントロールして「口内フローラル」のバランスをとっているのだ。

現在の欧米の歯科では、虫歯の治療がメインではなく、いかに歯周病を防ぐかが治療の基本となっているらしい。
そのためには、歯ブラシではなく、デンタルフロスを使用すること。
歯ブラシは食べかすを取るのが目的だが、虫歯は唾液が防いでくれる。だからデンタルフロスや歯間ブラシで「プラーグ・コントロール」をすることが大切。
私たちは外科的治療巧い先生を「上手な歯医者さん」と思っているが、どうもそうではないようだ。
歯周病を防ぐ、悪化させないためにどうすればよいかの適切なアドバイスができる先生を選ぶこと。
歯科医ですら、歯は食後すぐに磨くものと信じ切っている人がいるそうなので、歯科医院の選択を誤ってはいけない。

歯周病を防ぐのがなぜ重要かというと、歯周病がさまざまな病気の原因になるからだ。
口内の有毒な菌が肺炎、脳梗塞、糖尿病、心臓病、はてはアルツハイマーの原因となっているとたら、恐ろしいことではないだろうか。
現に歯周病が改善されたら、糖尿病も改善されたという例は多いという。
(糖尿病だから歯周病になるということもあるが)。
抗生物質を投与すると、歯周病が治るという症例があるらしいが、善玉菌まで殺す可能性があったり、他の副作用があったりして、抗生物質を使うのは最終手段だと著者は書いているが、外科的治療に頼らなくて、薬で歯周病が治る日が来るのかもしれない。

・プラーグ(歯垢)ができるのは、飲食後24時間。
・唾液がプラーグをコントロールしてくれ、その能力は飲食後にもっとも高まっている。
・プラーグは夜寝ている時にできる

この3点を考えると、私の東京の歯科の先生はまったく正しかったのだ!
起床直後と就寝前の2回のしっかりしたデンタル・フロス中心の歯磨き・・
ちなみに夫はこれを実行していて(ものぐさなので昼食後などに歯磨きできない性格なのだ)、虫歯がないんですよね。
東京の歯科医院には、文学座の俳優さんや(北村和夫さんにはよくお会いしたものだ)、声楽家たち、千葉ロッテ・マリーンズの選手たちが通っていたが、歯のブリッジを入れた後でも何の違和感なくすぐに慣れるほど、歯の調整が上手な先生だった。
そうか、あの先生はとっても良い先生だったんだね!
そこの歯科助手の女性の歯垢取りは抜群に巧かったと、私と夫はこちらの歯科医院に行った後に話すのだが、良い先生には良い助手がつくものなのでsね。
つくづく、あの先生が懐かしいが、でも東京まで毎回通うのも大変だし。。
せめて、歯磨きの件についてちゃんと実行することにしよう。

それにしてもこの本を読むと、医学界のいろんな癒着が「お前もか!」という感じでわかるのが悲しい。
この本、読む価値大いにありの一冊です。
posted by 北杜の星 at 07:18| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月16日

中西進「ことばのこころ」

古典の素養のまったくない私が友人に誘われて万葉集の勉強会に参加したのは、関西に住んでいた二十代の頃だった。
その勉強会の講師が中西進先生だった。
今では万葉学者として超一流だが、当時の先生はまだ四十代だったか。
思えば、ずいぶんと贅沢な勉強会だったんだなと思う。
万葉集の短歌ばかりでなく、長歌も教えてもらった。でも悲しいことにほとんどを忘れてしまった。。
それでもあの勉強会がなければ、私の「奈良好き」もなかっただろうから、先生には感謝の気持ちが大きい。
中西先生の功績はたくさんあるがなかでも、山上億良が渡来人という説を打ち立てたことだろう。
それに反論する学者もいるようだが、私も億良は朝鮮半島から帰化したひとだと考えている。

万葉のこことばはこころを表すことばだ。景色や情景ももちろん表すが、日本人にとっての季節は心象そのもの。
その日本のことばをこよなく慈しむ中西先生の思いが、この本には詰まっている。
いまは使わなくなったことばがある。ことばが消えればそのことばのもつ感情さえ消えてしまうかもしれない。
そうした古からのことばを一つ一つ拾い上げている。

ちょっと笑ってしまったのはこの本のなかで、先生が「けったいな」ということばを使っていること。
先生は東京生まれの東京育ち。
でも関西に住まわれてもうながくなっている。先生は「西のひと」になられたのだなぁと感慨深かった。

中西先生はアメリカ、ブリンストン大学の客員教授をされていた時期がある。
当時、ブリンストンにはリービ・英雄が日本文学研究室にいた。
(リービ・英雄は日系ではなく純粋白人アメリカ人。太平洋戦争が終わった直後だというのに、外交官だった父親が尊敬する日本人の名前をとって、長男に英雄と名付けた。彼は長じて日本文学者になり日本にやって来て、日本語で小説を書く作家となっったひと)。
そのリービ・英雄は中西進先生の影響を受けて、世界で初めて万葉集の完全英訳を成し遂げている。

本のどの章のことばも興味深いのだが、一つだけ「つくばい」のことを。
茶室に入る前の手洗石を「つくばい」と言うが、つくばいとは「突く這う」と四つん這いになることを指す。
茶にはこのように、「くぐれ」「かがめ」「にじれ」「つくばえ」などと体を不自然に折り曲げて、卑屈に動く様子が浮かぶが、この元には浄土思想の「捨てる」とか「断念する」という、日本人の放下の思想であると言う。
自分を卑しく貶めることで自分を捨て、生きることの本質を見極めようとするのが、「つくばい」にあらわれているのだそうだ。

ことばの由来や本来の意味を知ることの楽しさが純粋に伝わってきます。
中西先生はそうした「知」を、高目線からではない人懐こさで教えてくださったのに、出来の悪い生徒の私はもったいないことに身についていないのが悲しいです。
でも奈良に行くたびに、先生から教えて頂いたことが蘇って、幸せな気持ちになります。

posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月15日

佐藤愛子「九十歳。何がめでたい」

この本、20万部超えのベストセラーだそうだ。
私もだがこれを読む人は佐藤愛子に何を求めているのだろうか?
文壇高齢作家といえば瀬戸内寂聴と佐藤愛子。
二人ともただ元気なだけではない。こうして書くことで(寂聴さんは説法もして)私たちを発奮させてくれている。

元気といってもこれだけ高齢になると満身創痍のはず。寂聴さんは骨折、癌で闘病した。
佐藤愛子だって、大病はしないまでも体の衰えは随所にあらわれていて、急に足の力が抜けてヘナヘナとなったり、3か月前の自分、いや、1カ月前の自分と今の自分が違うことを実感する毎日である。(なにかにつまづいて転ぶのではなく、普通にしていて転ぶらしい)。
それでもやっぱり、佐藤愛子は佐藤愛子なんですね!
日々起こるさまざまなことを面白がり、怒り心頭になり、そのエネルギーたるやものすごいものがあるのだ。
そう、佐藤愛子は熱血漢なのである。

何十年か前まではずいぶんと佐藤愛子を読んだものだ。
彼女の作品の中ではあまり有名ではないが、「幸福の絵」は本当に好きだった。
女学生のときから好きだったある野球選手と恋愛する彼女の私小説なのだが、やさしくても優柔不断な男に対する憤り、もう若くない男女の恋愛事情が哀切を込めて描かれていた。
以前結婚していて莫大な借金を背負わされた前夫にしても、佐藤愛子というひとはつくづく「ダメ男」に縁があったのだ。

しかしそのダメさへの憤怒が書くエネルギーとなった。
書かなければ借金も返せないし、娘二人との生活が成り立たなかったのだから、書くしかなかった。
その愚痴や怒りをぶつけられたのは、親友だった川上宗薫や遠藤周作。彼らとの長電話が大いなる息抜きだった。
その彼らもとっくに鬼籍に入ってしまった。
懐かしく思い出す人たちはもう傍にはいない。
(月日のたつのははやいもので、佐藤愛子のお嬢さんがもう50代半ば。。)

でも佐藤愛子の素敵なところはいつも怒っているだけではないことだ。
熱血漢だもの、喜怒哀楽の人なのだ。
死んだ飼い犬をかわいがらなかったと自責し泣くこともある。
大昔、若い女に貯金通帳を盗まれ当時の貯金全部を騙されて持って行かれ、後の彼女の両親がお金を送って来た時に、そのお金を見るなり「もらえない」と返してしまったことだってある。
そのお金はドロボーの親が(多分)いろんな人たちに借金をし、有り金集めたお金だったのだろう。しわしわの100円札や10円札、小銭などが集められたものだった。
そんなお金はとうてい受け取れない。たとえ自分のお金ではあっても。

そういう佐藤愛子だから、みんな彼女が好きなのだ。彼女の本を読んで、胸のすく生き方に触れたいのだ。
90歳になってもまだまだそも気概を持つ彼女。
「90歳。めでたい!」と大声で言ってあげたい。
神様は強く耐えられ乗り越えられるからこそ、試練をお与えになるのもしれない。
結婚が大変だったのも、北海道浦河の山荘がつきものに悩まされたのも、彼女に乗り越えるパワーがあったからだろう。
誰にお祓いしてもらっても効果のなかった憑きものは、サニワである相曾誠治氏によって解決したというが、そうしたひとと巡り合えたのは佐藤愛子の人間力なのだと思う。
これからももっともっと書いていてほしいです。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月14日

辻原登「籠の鸚鵡」

昭和のバブルが始まる少し前、紀州和歌山の小さな町で繰り広げられる人間たちの欲望と思惑。
「冬の旅」以来、人間の暗部を描き続ける辻原登だが、今回もノヴェル・ノワールに徹している。
なにが彼をこのテーマに駆り立てるのか?
「冬の旅」の底なしの暗さには絶望しか感じられず、読後感が重くやりきれなかったのだが、「籠の鸚鵡」は最後の最後のほのかな灯りに、安堵のため息をついた。

関西国際空港建設の埋め立て土砂にまつわる事件とドラマ。
不動産業者、暴力団抗争、バー、役場の出納室長・・
こう並べるだけで、絵に描いたようなストーリーが思い浮かぶだろうが、そう、そのまんまのお話なのだ。
ただこれには単なる架空のお話ではなく、リアリティがあるのがスゴイところ。
緻密な資料で、現実の事件を参考にしているのだろう。暴力団の抗争は当時の山口系と一和会そのものだ。
それと、和歌山出身の辻原だから書ける和歌山の土地土地の風景もこの作品の魅力乃「一部だ。(湯治の温泉宿なんて、いいんです)。

詐欺、不倫、恐喝そして殺人。
こう展開するんだろうなの通りにドンドンと犯罪はエスカレートしていく。
ミステリーのような展開なので、あまりストーリーは書かないが、さすが作者の筆には力があって、ハラハラドキドキで読ませられる。
これだけ怒涛のごとくの話なのに、どこかシンと静かな気配があって、品が悪くない。
これが辻原登という作家の個性なのだろう。


だけど犯罪小説が続いているので、ここらあたりで仕切り直しの、ちょっと明るく軽いものを読みたいな。
引き出しをたくさん持っている辻原登だから、自由自在に書けるはず。
一息つけさせてくださいい。
posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月11日

日本昔話「ウラシマタロー」

まさかここであの「浦島太郎」ではないだろうな?きっと何かのパロディかなんかじゃないか?と思われるかも知れませんが、あの「浦島太郎」なんです。
といってもやはり、ちょっと違うかもしれません。
というのは、私はこれを印字で読んだのではなく、点字で読んだからです。
しかもまだ、濁音や半濁音は勉強していないので、それなしでの浦島太郎。
だから竜宮城の「りゅ」や「じょ」も、玉手箱の「ば」もなくて、その代わりに、乙姫さまの「オシロ」、「タカラノハコ」という言葉になっていて、これでは感じが出ないのですが、まぁそれはそれとして、私の点字学習がここまで進んだのがとっても嬉しいので、その歓びをここでこのブログを読んでくださっている方々にわかって頂けたらと、これを書いています。

7月から月に2回、甲府からここまで先生が点字を教えに来て下さいます。
私のように高齢での点字教習はそれほど多くはないようで、先生は一生懸命励ましながら教えてくださいます。
宿題もたくさん出るので大変です。
月に2回というペースが程良い間隔なのでしょう。先生は「今まで教えた中で一番速い習得」と。
速いかどうか私は一人で勉強しているので、他に比較することはできないのですが、この怠け者の私が、まぁ熱心にはしているかな?_

私が思うに、中高年のの視覚障害者は「点字」と聞くだけで「無理、無理」としり込みしてしまうか、始めてすぐに「難しい」とあきらめてしまうかのどちらかなのではないでしょうか。
あきらめずに、とにかく点字を「触る」ことをしていれば、必ず誰でもわかるようになるのだと思います。
先生は「この4ヶ月間に、やめたいと思ったことはないですか?」と訊ねられるので、「そんなことはいっぺんも思ったことはないです。毎回とっても楽しみです」と答えたら「それは珍しいです」と言われました。
私は「読みたい」という欲求が強いために、頑張れているのだと思います。

でもこれからが大変。
濁音や半濁音に加えて、数字やアルファベットもあります。
それとこれがなかなかハードルが高そうなのですが、点字には点字独特の「点字文法」というものがあるらしく、次回の授業からはそれを勉強する予定だそう。
しかももう少しペースを速めて、次回からは週に一度のレッスンとなるとのことです。
点字文法の辞書を見ながらの勉強に、ボヤボヤしていられませんが、「竜宮城」「玉手箱」でなくっちゃ気分がでないですからね。

あと1年くらいしたら、点字で文芸本が読めるようになる・・というのが目標です。
点字リーディングで速いひとは、印字で読むスピードより速く読めるといいます。
私は「書く」のは習わなくてもいいや、と考えていたのですが、先生は「書き」も同時進行でしましょうと。
うーん、できるかなぁ、なにしろ点字は「読む凸字」と「書く凹字」は左右対称なので、大丈夫かと心配です。

「ウラシマタローハ スナハマニナキフシマシタ」・・このラストの一行に大きな勇気をもらった私の「ウラシマタロー」でした。
posted by 北杜の星 at 07:54| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月09日

絲山秋子「海の仙人」

大好きな絲山秋子のなかでも、この初期作品が今もって一番好きだ。
これまで何度か読み返したが、そのたびにやはり「あぁ、これ、いい」と思う。
なぜいいのか?
話の展開としては荒唐無稽ではある。
まず、ファンタジーというあまり御利益がない神さま(というより神さんというニュアンスかな?)がのっけから出てくる。
主人公の河野は3億円の宝くじが当たっているし、人生に2度も雷に打たれる。
これだけでも、なんてリアリティのない小説なんだろうと思ってしまうかもしれない。

しかし、小説のリアリティというのは現実感ではないのだ。
もともと小説とはお話しである。作り話である。それが私小説であろうともつくり話であることに変わりはない。
その作り話をいかに読ませるか。あり得ない話にどれだけ読者を感情移入させることができるかどうかが、作家の力量なのだ。
しかも簡単に「感動」させられたら、なんだかいいように騙された感じでイヤになってしまう。
そんな「あざとい」小説、うさんくさくて私は嫌いだ。

絲山秋子を私は、「お話をつくるひと」と捉えている。そしてその話が極上なのだ。
それでも、それでも、彼女の小説は「お話し」が軸ではないのである。ストーリーを超えたとこに彼女の小説の真意があるのだと思う。
それがこの「海の仙人」を読めばわかるはずだ。

ファンタジーという情けない神さんは孤独な人間に寄りそう。
3億円の宝くじが当たって東京のデパートの仕事を辞めて敦賀でまるで海の仙人のように暮らす河野勝男。
その勝男をイタリア語の卑語であるカッツォと呼んでいる元同僚の片桐。彼女はずっと河野に片思いをしている。
片桐が敦賀を訪れ、河野とファンタジーと3人で金沢、新、潟に旅行をする。
やがて河野はかりんというキャリアウーマンと出会い、二人は遠隔地恋愛をすることになる・・

最初はコメディのよう。それが次第にシリアスになってゆく過程のなかに、人間の孤独があぶり出される。
もっとも孤独と縁遠いと思われる片桐の言葉が胸にしむ。
「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭なんじゃないか?外との関係じゃなくて自分のあり方だよ。背負っていかなくちゃいけない最低限の荷物だよ。」

そう、結婚していても子どもや孫がいても、何かの宗教とか社会活動とかの組織団体に属していようとも、それで孤独が解消さされるわけではない。
それは人間の根源。まさに片桐のいう「心の輪郭」なのだ。
この小説のなかで片桐に作者絲山秋子が投影されている気がする。
以前設備メーカーに勤務し営業ん仕事をしていたイトヤマさんだから、かりんにもそのあたりは似ているが、性格は片桐だ。

読み終わって食卓の上に置いたこの本を見た夫が、「僕もまたこれ、もう一度読んでみようかな」と言った。
読んでよ、読んでよ。
けっしてハッピー・エンディングではない不吉な空模様が、小説が終わった後にどうなるのか?彼の感想を聴きたい。

絲山秋子作品に出てくる音楽や車が、ツボにはまっていてセンスいいのも、彼女の小説を読む楽しみの一つ。
この中にもアルファやピックアップやカローラバンの営業者など、使い方が絶妙。
願わくば、ファンタジーにもう一度会いたい。
イトヤマさん、新しい作品にファンタジーを再登場させてくれないかなぁ。

posted by 北杜の星 at 07:56| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月08日

池上正樹「ひきこもる女性たち」

これまでの公的調査によると、ひきこもりの7割が男性とされてきた。
それでは女性のひきこもりは3割なのかというと、どうやらそうではないようだ。
というのは女性のひきこもりは目につかない場合が多いから。
専業主婦や家事手伝いの女性たちは、家に居るのが当たりまえと考えられがちで、そのために女性のひきこもりが社会問題とならなかった。
けれどじつは女性のひきこもりの実数は多く、増えているという。

女性のひきこもりには外因があることが多い。これが男性と異なるところ。
会社への電車での痴漢がイヤ、上司のセクハラ、通勤通学路が怖い・・
性的な理由がかなり占めているが、横暴な父親やDV夫から逃れるためのひきこもりもある。
(離婚して実家に帰ると、親から「出戻りだからあまり外には出るな」と命じられたり、、)
男性のひきこもりと違うのは、リストカットなどの自傷行為や摂食障害をともなうことがあって、それはそれで危険だ。
ただ女性の場合、問題が解決すればひきこもりから脱出できるそうなので、これは救いがある。
だからそうした社会復帰したい女性たちを支援するところが必要となるのだ。

私の友人にも何人か、子どもや甥っ子がひきこもりの悩みを持っている。
以前のように、大学を出て就職したからもう安心、というわけにはいかない世の中。
つくづく親は大変だと、子どものいない私はため息をついてしまう。

でもふと、思った。
高齢者のひきこもりというのもあるんじゃないか?
体の自由がきかなくて、すべてが面倒になり、風呂に入らず着替えをせずという話はよく聞く。
とくに男性はまわりとコミュニケーションをとれない人が多い。
高齢者がひきこもると、不潔になりそうだなぁ。筋力が衰えてアタマもボケて。。
若い人なら回復能力があるが、歳とるとそんな力はないもの。

ひきこもりは個人の問題、それ以上に社会の問題。
一億総ひきこもりになったら、どうするんだろう?
日本だけでなく最近はイタリアでもひきこもりがあると言う。あのイタリア人がひきこもり?と思ってしまうのだけど、みんながパッパラパーに明るいからこそ相容れない苦しさってあるのだろう。
シンパシーを持ちたいけれど、ひきこもりは可視化しないから、むつかしい。


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2016年11月07日

原田ひ香「失踪.com 東京ロンダリング」

原田ひ香が「東京ロンダリング」を書いたのはもう5年前になる。
それまでわりと地味な作家だった彼女はそれで有名になった。「失踪,com」はその続編で、前作の登場人物にも今回会える。
けれど前作を読んでいない読者にもじゅうぶん楽しめるし、連作短編集としての重なりや、新たに加わる人々の個性がそれぞれに面白い。

不動産事故物件というのをご存じだろうか?
アパートやマンションなどを借りた住人が、殺人や自殺や孤独死などで亡くなった場合、大家や部屋を扱う不動産業者は事故物件であることを明示しなければならない。
でも事実を知ると、そりゃ、誰でも気味悪くて嫌がる。
そこでその部屋を浄化(ロンダリング)するために、ある期間その部屋に誰かを住まわせるというのが、プロのロンダリング業者なのだ。
事故後に一度誰かが住めば、それ以降の告知は必要なくなる。
この本に出てくる不動産業者では、家賃はタダ、その他に一日5千円の日当が出す。

この条件でロンダリングを請け合う人間、いろいろ事情があるのは当然だろう。
実家に仕送りをしたい若いサラリーマン、浮気の果てに妻から「出て行って」と言い渡された男、アパートを持ちながら何もしない夫と別れるために自分のアパートの部屋に子どもと住むことを決めた妻、以前ロンダリングをしていた女性(彼女は前作登場)・・

これだけでもなかなかのストーリー性を持つのだが、これは少しばかりミステリーっぽい作りとなっている。
ロンダリングする部屋に住もうとする人間たちが何人も失踪するのである。
住人だけではない。不動産会社に勤めるスタッフも故郷に帰ったり、とにかく不動産会社の繋がりを消そうとするのだ。
そこで「失踪屋」と呼ばれる仕事屋が現れ、失踪の理由を調べることに。。

初期の「はじまらないティータイム」などとはおおいに異なる作風だけど、事故物件のロンダリングとは面白いところに目を付けたと思う。
家賃タダで日当ということで入居者はあるんだなぁ。
幽霊を見たことはないけど、そういう部屋にはナニかのあるというか居るような気がして、それは短期間で浄化できるものか不安だ。
消しきれない負の想念が残っているようで怖い。その部屋そのものだけでなく、その建物すら避けたい。
でも背に腹は代えられない人たちにとっては「駆け込み寺」のような存在なのかもしれない。
これからより高齢化社会となり独協老人が増える。自然死にしても発見が遅れることも増えるだろう。
いわゆる事故物件はますます多くなりそうだ。他人事ではないのがなお怖いです。

posted by 北杜の星 at 07:58| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月04日

五十嵐太郎「地方で建築を仕事にする」

数年前だったかこの本と同じ学芸出版社より「海外で建築を仕事にする」というのがあった。(私は読んでいないのだけど、何かの書評で記憶がある。)
「地方で建築を仕事にする」はその続編か。それともシリーズ2冊目なのか。
この2冊の本のタイトルを見ると、なんだかおかしくなる。
だって「海外」にしても「地方」にしてもどちらも、私の夫のことを言ってるみたいな感じなんだもの。

東京を離れて地方に移り住み、そこでこれまでしていた建築の仕事に携わるという人はけっこういると思う。
移住するにはそれぞれの理由があって、夫の赴任先に一緒に行くとか、Uターン、Iターンとか。
ここに紹介されている建築家たちはそうした理由から地方に移住し、建築のスキルを生かしながら、東京ではできない土地土地の特性を生かした建築を創ろうとしている。
なかには東京と富山との2拠点という、私の夫のような人もいる)。

建築家資格は1級建築士、2級建築士とあるが、どちらも国家資格であるからして、日本の北から南までどこででも仕事ができる。
ましてや今はネットで繋がる時代。小説家のような個人だけの仕事ではなく、クライアントととの打ち合わせがあるので、出かけなくてはならないこともあるものの、地方に住むのは誰でも可能だと思う。
現に私の夫は山梨へ移住したがいまだに千駄ヶ谷に事務所を持ち、東京の仕事とこちらの仕事を両方している。
東京では大手不動産会社や信託銀行や自治体などの都市計画企画、こちらでは個人住宅、それも山荘設計という、二つの別の筋肉を使っての仕事。
最近では、山荘の建物だけではなく、外構というか庭づくりの設計が多くなりつつあって、これは夫にとっては楽しい作業のようである。
(細かい設計図は必要ないし、施行者との打ち合わせもザックバランだもの、歳をとって面倒くさがり屋になった夫にはうれしい仕事だ)。

「世界で建築の仕事をする」では日本の閉塞する社会から逃れて、海外に目を向け自らの仕事と人生を切り拓こうとする若い建築家たちがいて、外に出たがらないと言われる若者にもこんな素敵な人たちがいたことに、こちらまで爽やかに勇気づけられたものだが、この本にはまた違う意味の建築家たちがいる。
日本は中央集権の国だ。なにもかもが東京中心に動いている。地方では難しい条件で仕事をしなくてはならない場合もある。
それでも日常に則しながら地方と共生し、新しいものを生み出そうとしている姿には、海外とはまた違う感動を受ける。
こういう人たちがつくる明日の地方はきっと活性化し、美しくなるだろうと期待できるのだ。

私の夫は1960年代の終わり、大学卒業後、8年間をイタリアで過ごした。まだ海外旅行に誰もが行くという時代ではなかった。海外に持ち出せるお金が500ドルから700ドルに増えたばかりだった。最初は多分、大学で学んだイタリア建築を自分の目で見てみようと旅立ったのかもしれない。
けれど縁あって設計事務所のボスを紹介してもらい、そこで8年も働くことになった。
ほぼ最初に仕事をしたのがイタリアだったためか、残業はしない、夏休みや冬休みはたっぷり、2年に一度は一カ月休んで旅行する・・なんて習慣がついてしまった。
もし他の勤勉な国だったらこうはならなかったのだろうが、なにせ、昼食後昼寝を2時間という国だった。働き蜂にはならなかったのが良かったのか悪かったのか。。
健康にはよかったかも。でも経済的にはその間仕事をしないんだもの、お金は入らない。
そして40代半ば、毎週末を長野県で過ごし、現在山から下りてきて完全に東京を離れて八ヶ岳南麓に住んで7年。
しごく楽しく充実しているようだ。男性って仕事を辞めるとお友達がいないもんなんですよね。
だけどこちらで夫はたくさんの友人たちに囲まれていて、結構おつきあいに忙しい。
その付き合いの中から「ちょっと、家を改築したいのだけど」とか「ゲストルームがほしいのだけど」とかの相談を受けることも多い。
図面を引くような案件なら設計費を頂くが、お金を頂くまでもないことだってかなりある。そういう時には「それでは奥さんも一緒に夕食でも」と招待されて、そこからまたおつきあいの輪が広がってゆく。
地方の人間関係の密度は東京にくらべると濃いし強いのだ。

夫の友人たちも続々東京を離れて、田舎暮らしを始めている。
地方に根を張りゆったり暮らすことは、本当の豊かさとは何かを問い直せる。
なによりも素晴らしいのは、自分が直に役立っていると実感できることではないだろうか。
もし故郷が地方にあるのなら、定年後はUターンして生れた土地に恩返しする、そんな老後があってもいいような気がする。
posted by 北杜の星 at 07:24| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月02日

小泉今日子「黄色いマンション 黒い猫」

キョンキョンこと小泉今日子もはや50歳。
新聞における彼女の書評をときどき読むが、自分の感情感覚を素直に表現するその文章にはいつも驚くくらいの瑞々しさがかある。
この本は書評ではなく、彼女のまぁ自伝みたいなものかな。
帯文に「今だか書けること、今しか書けないこと」とあるが、10代半ばでデビューしずっと一線で頑張ってきた彼女の「これまで」が書いてある。
とくに彼女が10代の頃、一人で原宿に住んでいた9年間が軸となっている。

洋楽しか聴かない私はほとんど日本の歌を知らないので、小泉今日子というひとのこともほとんど知らないが、それでも彼女がアイドルだったことは知っている。
アイドルは一時の仇花のようなもの。ある時を過ぎれば消えてしまうか、他の方法で生き残ることが大部分の使い捨て。
それほど後から後から新しいアイドルが作り出される仕組みになっている。そうしなければ芸能界は衰退してしまう。
だからアイドルはいつも超多忙。
そんな彼女も高校の学業と仕事を両立させるのはとても難しいことで、いつも疲れていた。
けれどそういう彼女のことをしっかり見てくれていた大人たちが彼女の周囲には居た。彼らは小泉今日子という女の子を「この子は学校へ行かなくても大丈夫」と判断し、高校を中退することを薦めたのだった。
そして彼女はそれに従った。

学校は退屈だった。勉強も優秀ではなかった。
でも学歴がないのがコンプレックスにならないように以来、学習ドリルなど必死に一人で勉強したそうだ。バッグにはいつも辞書を入れていた。
本もたくさん読んだ。わずかな時間を見つけては喫茶店に入り、文庫本を広げた。
ある喫茶店でそうして本を読んでいると、奥の方に坐っていた若い女性が店を出るときに、そっと彼女ののテーブルに紙片を置いた。
その紙には「あなたにもこんな時間があることがわかってホッとした。これからもがんばってね」とあった。

デビュー前の友人や家族たち(姉二人と離婚した両親)、住む場所がファンにわかるたびの引っ越し、飼い猫、羽がないのにビルから飛んでしまったアイドル・・
彼女の「これまで」を読むと彼女のバランス感覚の良さが伝わって来る。なんというか「損なわれていない人」という印象だった、
周りの人に恵まれるにはそれなりの材料が人間としてあるからだろう。それがしみじみ伝わって来る。

別の意味で私にはこの本、面白かったんです。
それは彼女が原宿に住んだ当時の原宿を私がよく知っているから。
一緒になる前、夫が神宮前に住んでいたことがあるのだ。
彼女の書くように「原宿」という住所はずいぶん前から消滅して「神宮前」となっているのに、いまだに「原宿」は「原宿」だ。
35年くらい前の原宿にはこの本に書いていあるように、「カフェ・ド・ロペ」があったし「キーウェスト・クラブ」があった。
黒いインテリアの「レオン」もあったなぁ。大人のお洒落な街でモリハナエ・ビルはキラキラしていたけど、あれはもうない。
でもバブル期の前、まだまだ表参道を一本入ると、そこは静かな住宅街だった。
小さな八百屋さんがあったり、銭湯があったり、かき氷屋さんがあったりした。
今は有名なサンドウィッチ店の「バンブー」はまだ普通のお家だったんですよ。ちょっと素敵な洋館だった。
表参道の明治通りに近いところに、老夫婦がやっている小さな鰻屋があって、夫も私もそこの鰻が大好きだったのだけど、いつのまにかなくなってしまった。
鰻屋だけではない。たくさんの小さな個人商店がつぎつぎに消えていった。

キョンキョンにとっても青春回顧の本かもしれないが、私にも若い頃が蘇る本でした。
素敵な文章感覚をもつ彼女の「これまで以上に期待します!(絶対に単なる、芸能人本ではありませんよ!)
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2016年11月01日

葉室麟「津軽双花」

徳川家康の姪、満天姫は家康の養女として津軽家に輿入れすることになった。
しかし津軽信枚にはすでに正室辰姫がいた。辰姫は石田三成の娘だった。辰姫と信枚との夫婦仲はとてもよいと言われていた。
家康と三成、因縁の女二人の「関ヶ原の戦い」・・という帯文とはまったく異なる物語がここにはある。

いくら女性が政治の道具に使われていたとはいえ、正室がいるところに側室ではなくこれも正室として嫁ぐというのは、いったいどういうことなのか?
つくづく女性の身が哀れだ。
けれどその哀れを哀れとしないで凛として生きる道を、満天姫も辰姫も選んだ。
それは二人が敵対するのではなく、津軽家と領主である夫のために自分が何をすべきかをとことん考えた上での生きかただった。
もちろん嫉妬だってある。焦りだってある。悲しみ辛さは大きいはず。
それでも彼女たちは、自分という存在の立ち位置を確固たるものにするために、マイナスの感情を捨てる決意をしたのだった。

その生き方の潔さ。
武士の陰にあって、彼女たちは燦然と輝いている。
・・もっともこれこそが「男の理想」の女性像なのかもしれない。
女性にこうあってほしいと願う男の身勝手さを感じないわけではないのだけれど、葉室麟の巧みな文章にはそういうことを忘れさせる力があるんですね。
ここは単純に、お話を楽しめばいいのかな?

中・短4編が収録されていて、どれもが戦国時代絡み。
どれから読んでも面白い。
歴史上の人物の評価は、とくに小説はその作者の思惑が入り込むので、どうとでも解釈ができるし、活躍した土地土地においても好き嫌いは分かれる。
駿河の人なら家康びいきだろうし、愛知の人なら信長好きというように。
その理路整然さが面白みに欠けるからか、石田三成は歴史のなかでそう人気のある武将ではない。
それでも近江の地では「義の人」として扱われている。ご当地のありがたさだ。

好きというよりも私が興味あるのは「梟雄」と呼ばれた武将だ。
齋藤道三や宇喜多秀家、そして松永弾正久秀が日本三大梟雄として知られるが、平蜘蛛の釜とともに爆死した松永久秀はとくにいかがわしくて面白い。彼こそ下剋上そのものではないだろうか。

そうした男たちに添って生きる女性の鮮やかな人生もあるにはあったのだと思える作品でした。
posted by 北杜の星 at 07:59| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする