2016年12月30日

ちるちんびと2016年1月号「OMソーラー」

OMソーラーとは自然と共生する次世代の暖房システムである。
太陽熱で屋根と屋根に設置したパネルを暖め、その熱を天井裏のダクトに集めたら、ファンで床下に送り込む。
床下に集まった暖かい空気が床暖房となる。
そのために屋根は黒く塗られる必要があるし、床下はベタ基礎のコンクリートにする必要がある。

OMソーラーは建築家の奥村昭雄氏が30年まえに考案した。
八ヶ岳南麓にある我が家もOMソーラー家だ。
この家の前、私たちは1989年、長野県の蓼科に山荘を建設した。そのときにOMソーラーをと考えて、日照のシュミレーションをしてもらったのだが、残念ながら周囲に高い木々が多くて日照不足と言われ、諦めた経緯があった。
OMの代わりに灯油の低温水床暖房とした。これはこれで心地よかったのだが、暖房費が原油価格に左右されるのが気にくわないし、空気を汚すのも気になった。
だから山から下りてきて2003年にここに家を建てる時には、迷わずOMにしたのだった。
北杜市は日本一、日照時間が長いことで有名なので、日照にはなんの問題もない。

ひと言で言うとOMは「快適」だ。
マイナス気温になろうとも天気さえ良ければ、昼間の集熱で室温は28度くらいになる。
朝着ていた服を、午後になると一枚一枚脱いで、Tシャツだけになる。
夜中には床下の蓄熱が減少して、起床時には17〜20度くらいを保つ。
電気の床暖房ほど乾燥しないようだ。
それとこれはOMを設置した人がみな言うことなのだが、不思議なことに電化製品などの故障が少ない。

もっとも困るのは、天気の悪い日が続くことや雪が降って屋根のパネルに雪が積もって融けない場合だ。
だから我が家でもっとも「寒いねぇ」と言い交わすのは、3月末ごろの曇天で日照が少ない季節。外は春の気配なのに室内は肌寒いのだ。

意外だがOMソーラーのシステムは冬に快適なだけではない。じつは夏も素晴らしいのだ。
夏は集熱にしないで、天井にたまった暖気を外に逃がすことができる。このためまるでエアコンを入れているようにヒンヤリするのだ。
部屋に入ってきた人が「クーラー、ついてるの?」と訊くくらい涼しくなる。
それでも暑い夜は、外気取りいれもできる。(東京のような熱帯夜だとダメだけど、ここ八ヶ岳では夜はすごく涼しい)。

このOM、現在もどんどん進化している。 
私たちが家を建てた十数年前には、ファンは強制ファンで電力を使わなければいけなかったが、今はファンを回すために太陽光発電ができるようになったので、暖房に関してはオフ・グリ
ッドになる。
また、エアコン一台で補助暖房ができるし、冷房をして家全体に回すsこともできるようになったそうだ。

残念なおはこのOMソーラーのシステムは、改築工事ではできないこと。
新築時の土台かからOM用としないといけない。
基礎にコンクリートをたくさん使うので、どうしても建築コストがかさんでしまう。
しかしイニシャルコストが高くても、ランニングコストでカバーできるのだから、悪くはないと思う。

クリーンで環境に負荷をかけない。コストがかからない。。こんないいことはない。
この本にはOMソーラーの家が紹介されているが、どの家もナチュラルな素材を使って心地よさそうだ。
OMソーラーを選ぶ人って、ある共通性をもっているようで、なんだか連帯感を持ってしまう。
これからもどんどん進化するのかもしれないOMソーラー・システム、もし家を新築する場合はお勧めです。
一般住宅だけでなく、公共施設や幼稚園や病院などにもいいと思う。
お日様が当たる土地ならどこでも大丈夫!
posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月28日

ハッチの身辺雑記

月に一度のハッチの身辺雑記です。

今年もあっという間に押し迫ってきました。
しなければいけないことが山積みなのに、ここ2週間ほど、耳石のめまいが襲って来て、集中力がでません。
でも耳石のめまいには特効薬はないし、化学薬品を摂取したくはないので、自分で「めまい防止運動」をしています。
少しずつ、めまいは軽減しているようです。


私たちにとってはまずまずの平穏な一年でした。
親しい友人が病気になって心配したけれど、治療法もわかってそれなりに落ち着いています。
私たちの年齢になると無病息災はまず無理で、一病二病を持ちつつ、病気と折り合い付けながらの暮らしが常態となるのでしょうね。

今年の私の一番のトピックは、視覚障害での身体障害者手帳2級を取得したこと。
これで各種のサービスが受けられることになりました。
7月からの点字講習もそのひとつです。
印字が見づらくなってきたので、点字を習うことにしたのですが、これがやはり簡単なことではありません。
「読む」はなんとかなってますが、「書く」に関しては難しい。
力が入り過ぎて字が爆発したり、点を打ったと思ったところに打ててなかったり、「何を書いたんだろう?」と自分で自分が書いた点字が読めません。
でもマイ点字器を手に入れたので、これからボツボツ練習します。
なにしろ、「読む」点字と「書く」点字は、鏡合わせのように左右対称になっているので混乱します。
とくに点字器が来てからすぐに、めまいが起きたので満足に練習できないのがつらいです。

それでもめまいに負けず、今年も恒例のクリスマス・パーティができたのはうれしいことでした。
以前、蓼科に居た頃には30人くらいの友人を集めてのパーティでしたが、今はそんな体力も気力もなく、「あぁ、あの頃って若かったんだな」と思い出されます。
現在の八ヶ岳南麓に移ってからは8人から10人。
でもこれはこれで結構大変なんです。
大人数だと、やっつけ仕事でいいのですが、味にうるさい少数精鋭となると完璧を期されて、手が抜けません。
去年はパーティの前がやたら忙しくて、料理に注力できなかったのを反省し、今年は予約していた下部温泉行きをキャンセルして、パーティ料理に専念しました。
広島から友人がいつものように牡蠣を送ってくれ、牡蠣のマリネを作ったり、前菜8種の盛り合わせ、リゾットをコロッケにしたアランチーニとポルチーニのクリームソースのタリアテッレをプリモに、そしてローストビーフ、ローストポーク、チキンローストのミックス・具率をメインに。
生活クラブの赤身の牛肉をローストしたのですが、これが固かった!安全に育てられた牛でも固いのはちょっと困りもの。来年はこれはメニューから外しましょう。
でもそれ以外は好評だったので一安心。
いつまで続けられるかはわかりませんが、少なくとも、読書よりは長くできると思います。
中心視力がなくなっても周辺は見えるので、家事全般や自力で歩くことは大丈夫だと、眼科の先生が太鼓判を押して下さっています。
私が障害者になっても平静でいられるのはこのためなのです。もし完全失明するのなら、ヘタレの私はこうまで明るくいられないと思います。
だから中途失明してなお、前向きに生きている知人たちに、私はものすごい敬意を持っているのです。本当にすごいことです。

今年はモノイリの年でした。
外構工事の石積みや枕木設置をしてもらったり、車を総取っ替えしたり、大金が出て行きましtが。
でも夫は今の新しい車の小気味良さに満足しているようだし、庭も手を入れると入れるだけ良くなるもので、これも満足。
20歳のハッチを留守番にしての海外旅行は当分できそうもないので、その旅行代が石積みに変わったのですが、造園屋さんにお願いして良かったと思います。

夫は元気です。
週に一度のゴルフ(どうかすると2回)を最優先にして、仕事は第二番目。
でもその仕事もそろそろ店じまいかな?あと1年か1年半というところでしょう。千駄ヶ谷の事務所の経費がきつくなってきました。
事務所を閉じたら、年金暮らしとなります。だけどこの年金、年金基金が解体しぐっと減って、介護保険や社会保険料を惹かれると、年々少なくなっているのです。
大企業ではないのだからある程度は覚悟していたけれど、大企業に勤めていた方でも「年金の手取りが、すごーく少なくなった」と嘆いています。
シニアは恵まれていて、若者との格差を少なくするためには必要なことだとは理解いしていても、年金しか収入の手立てがないシニアにはやはり大変なこと。
さいわい夫は地元の建築会社のデザイン・アドバイザーとなっているので、自分の月々のお小遣いくらいにはなるでしょう。
あとは私のやりくり次第ですが、どうもこういうのは苦手。「まっ、いいか」の性格では老後破綻かも。。

毎年、いろんな分野の方たちが亡くなりますが、音楽の世界ではレナード・コーエンとレオン・ラッセルが亡くなったのがとても寂しいことでした。
どちらもミュージシャンからリスペクトされているアーティストでした。
でもボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したのは嬉しかった。私にとってはちっとも意外ではないことです。
授賞式に出席しないディランにかわって、パティ・スミスが「A hard rain gonna fall」を歌ったのには感動しました。
途中で緊張のため歌詞を忘れて歌えなくなったのだけれど、それさえも胸に迫って、長年のパティ・スミスの大ファンの私には大きな感慨が押し寄せました。
あのパンクの女王がノーベル賞授賞式で歌うなんて、誰が想像したでしょうか?
そおれを「堕落」と感じる人もいるかもしれませんが、私はそうはおjも和ない。
積み重ねたパティ・スミスの歴史が時代に合うようになっただけのこと。時代がパティに追いついたのです。
ここ数年パティはノーベル賞委員会から、歌ってっくれと頼まれていたそうです。それがディランが受賞したことで、それでは今年となったようです。
エスタブリッシュメントのノーベル賞としては、パティに歌を依頼するなんて、ちょっと粋ではありませんか。

これだけ書いていると、クラクラめまい。
まだ治っていないようです。

糸魚川の大火で家を失った方々のことを考えると、こうして暖かい室内にいるのが申し訳なく思えます。
人生において、火事や強盗や大きな災害にあう人生とあわない人生、その境はどこにあるのかといつも不思議です。
そんな時、「私でなくて良かった」と思うのでなく「私だったら」と思える人間でありたいものです。

どうぞ良い年明けをお迎えください。
みなさまのご健康をお祈りしています。
今年い一年、このブログを読んでくださって本当にありいがとうございました。
この年末年始は気ままに記事をアップするつもりなので、ときどきご訪問ください。
posted by 北杜の星 at 07:40| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

長嶋修「空き家が蝕む日本」

空き家問題が言われるようになってどれくらいになるのだろうか。
私はそれを、地方というか田舎の問題だと思っていた。
私の住む山梨県のここは限界集落。農業の継ぎ手はいなく、住む人を失って空き家になった家がかなりある。
修復しればまだ使える立派な造りの家もあるし、ほとんど傾きそうな荒れ果てた家もある。
しかしどうも空き家問題は田舎だけはないようで、都会、ひいては日本全体の大問題になりそうなのだ。

そもそもなぜ、空き家があるのに新築しようとするのか?
欧米では古い建物はそれなりに価値がある。
少しずつ修復しなから使って、ライフスタイルが変わると、買った時の価格より高く売る。
それが日本ではどうしてできないのか?

それには日本の不動産業界の理解しがたいシステムがあると、この本で知った。
不動産価格がどうも「ローン」とリンクしているようなのだ。
ローンがあるうちは価値があるが、ローンが終われば価値がなくなる。。
これってどういうからくりなのか?

そして税制もある。
家が建っていれば「宅地」として固定資産税は低いが、更地になるとぐっと固定資産税が高くなる。
だから古家で朽ちていてもそのまま家は残しておく。
都会にはそういう家が多くなっている。
でもそれでは景観にも治安にも悪い。

じゃぁ、どうすればいいのか?
政府、銀行、不動産業者・・根本を変えなければ良い方向には向かわないだろう。
しかしこの著者は解決方法を教えてくれるわけではない。
投機として、日本ではなく海外不動産をと言うが、それは違うしの
気がするなぁ。

要は私たちが「新築」にこだわらず、古い建物を大切にし、そのためにはちゃんと建物のメンテナンスを怠らないことが大切なのではないだろうか。
中古の家に価値があるとわかれば、空き家の何割かは住み手が見つかると思う。
それに加えて、社会を変えるしかないのでは?
東京オリンピックを前にいま東京ではどんどん新しいホテルやオフィスビルが建設中だが、、これから人口が減って、あれらは将来どうなるのだろうかと心配になる。
キャパの大きい体育館や競技場なども集客できなって、維持費だけがかかる。。
誰かがそんなことはとうに考えているのなら、いいのだけれど。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月26日

大島真寿美「ツタよ、ツタ」

初期の大島作品は小品ながらセンスがあって、私のお気に入りだった。
当時、彼女のような作家さんたちが数人いて、例えば、栗田有起とか安達千夏とか、「大作家「ベストセラー作家」にはならなだろうが、それなりのしっかりとしたファンがついて、ずっと書き続けていくのだろうと期待していたものだが、いつのまにか大島真寿美は頭二つも三つも抜きん出て大きくなっている。
その境はどこらあたりにあったのだろうか?

この「ツタよ、ツタ」だって、大長編小説ではないものの、かなり渾身の作だ。
明治末期、沖縄の士族の家系に生まれたツタという一人の女性の人生を描いている。
私は「女一代記」みたいな小説が苦手なのだが、これは淡々とした文章で書かれていて、重い思い入れが感じられないので、気楽に読めた。
小説家としての大島真寿美だからこそ、ツタの「書く」行為の意味を検証してみたかったのかもしれない。

琉球最後の王に仕えた祖父を持つツタ。首里の大きな屋敷で生れたが、士族の商売そのものの父によって家は没落。
女学校時代に文才を認められるが、上の学校には行けずに小学校の代用教員となる。
自分と同じように文学に興味ある(と思った)男性と見合い結婚し、台湾で暮らし始めるが、彼も父同様不運に見舞われ、優秀なのに仕事に恵まれない。
名古屋に移り住み、下宿屋を始めるが、夫と思い切って離婚。
そのさいツタは「作家として立つ」と決意し、下宿人だった7歳年下の青年と一緒に上京。後に彼らは夫婦となる、
ツタは久路千紗子というペンネームで沖縄についての小説を書き、それが編集者の目にとまり雑誌に連載されることになったのがだ、それを読んだ沖縄の人たちの大きな怒りをかうことになり、筆を折る。
ツタは医者になた7歳下の夫とも次第にうまくいかなくなる。
やがて沖縄が日本返還となると、40年も前のあのツタの小説が再評価されるようになり、久路千紗子は「幻の女流作家」と呼ばれるように。。

ツタの人生を考えると、彼女が能動的に生きたのか、受動的に生きたのかよくわからない。
自分で選択はしていえるものの、「詰めが甘い」ところがあって、イガイガしてくる。
「そこまでやったんなら、なんでもうひと踏ん張りしないのよっ」という気持ちになるし、「それじゃあ、逃げることでしょ」と言いたくなる。
この本の最後のほうにあるように、
「訪れなかった未来を噛みしめながら、ツタはそれを全部捨てた」のが、彼女の人生だったのだろう。

悲しいのか、それでよかったのか。結論の出ない小説の結論は、読者が最後をおさめるしかないようだ。
posted by 北杜の星 at 08:12| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

絲山秋子「イッツ・オンリー・トーク」

「イッツ・オンリー・トーク」は絲山秋子のデビュー作。
10年以上前に読んているのに、ほとんど忘れていた。「えー、こんな場面あったっけ?」と驚く文章がやたら出てくるので、新鮮な気持ちで読んだ。

新鮮な気持ちになったのには他にも理由があって、じつは私は今回この本を点字図書館から借り出して読んだのだ。
7月から点字を習い始めて約半年。
50字清音濁音拗音などを学習し、数字とアルファベットを一通り終えた。
先生はいろんなドリル文章を持って来て下さるのだが、それは「サラリーマン川柳」とか「しりとり」とか、字を読む訓練には良いのだろうが、どうも面白くない。
やっぱり私は「小説」が読みたい。
清音だけの「ウラシマタロー」が読めた時には、ちょっと感激したのはしたのだが、どうも「絵本」の類は私の興味をそそらなかったのだ。
小説を読むなら、好きな作家のものをと考えて、かなり迷った。
大好きな須賀敦子にしようか、町田康にしようか、それとも堀江敏幸の「河岸忘日抄」にしようか?

町田康は文章がハチャメチャすぎて、意味がわかりづらいかもしれない。堀江さんは今の私には静かすぎるかもしれない。。
と決めたのが、イトヤマさんだった。
彼女なら現代的だし、文章は簡潔。主人公の適度なドライさが私向きだ。

そう思って借り出した。山梨県の所蔵なので、他に予約がない限り、いつまで借りていてもいいと言われた。(他所のものは20日以内に返却しなくてはならない)。
「いつまでも」とはいえ、まぁ、一カ月くらいなら大丈夫のはず。
・・だけど「ウラシマタロー」とは大違いだった。
思わぬ単語が出てきたり、点字が難しかったりと、1ページ読むのに30分かかったことも。(イトヤマさんは車好きで、主人公の車がランチャのイプシロンなんだけど、その「ランチャ」が読めなかったなぁ)。
文字を追うのに精いっぱいで、内容が全然わからないので、愉しむどころではない。
もちろんスピードも遅い。

それでも半分くらい読み進んだら、なんとか登場人物がこちらに入ってくるようになった。
ラストでは「イッツ・オンリー・トーク」がクリムゾンの曲から取ったものとわかったし、「あぁ、よかったな、これ。」と思えたし、まぁ理解できたのかな。
でももう一度読み返してみようとまた読んでみたら、読み飛ばしていた部分がかなりあったのか、始めて読むような行もたくさんあったのには驚いた。
でもスピードは確実に上がっているのが、うれしい。

この作品、かなりのセックス描写があるんですね。
なにしろチカンが出てくるのだから。
だけど、印字なら読むのに気が引ける文章でも、点字なら誰にもわからないので、おおっぴらに読める。
それとこれを読む数日前から、めまいがしていたのだけど、普段はめまいのする時には字を読むとクラクラして読めないのだが、点字なら目を使わずに指なので、長い時間でなければ平気だった。
点字のメリットってあるんですよ。停電になっても読めるしね。
デメリットもあって、それは本がとてつもなく大きいこと!重いこと!
ちょっとバッグに入れてなんて、無理。
どうすればいいんだろ?

本の話にならなくて、ごめんなさい。
デビュー作に作家のすべてが備わっているとよく言われるけれど、それは本当だと思う。
「イッツ・オンリー・トーク」には絲山秋子が詰まってました。

posted by 北杜の星 at 08:33| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月21日

マイケル・ブース「限りなく完璧に近い人々」

「なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?」が副頽。
じつは私はこういう本はあまり好きではないのだ。
だって他の国がいかに素晴らしいかを知ったとしても、私のこの国が良くなるわけはないし、知れば知るほどなーんか虚しくなるだけだから。
隣の芝生の青さを羨んでもしかたない。。
それでも時どき読んでしまうのは、虚しさのなかに巣くう腹立たしさをなんとかこの国に反映したいと思うからなのかもしれない。
ごまめの歯ぎしりだけど、たくさんのごまめが集まれば何かを変えることができるかもしれいもの。

マイケル・ブースという名前にひっかかるものがあった。
調べてみると、「英国一家、日本を食べる」のあの著者だった。
彼はイギリス人、でもデンマーク人の女性と結婚し現在はデンマーク暮らしだそうだ。
イギリスは今は経済が大変で以前ほどではないというが、それでもまだまだ福祉的には国民は恵まれているはず、そのイギリス人である彼が北欧デンマークに住んで感じる「幸福指数の高さ」。
この本ではそうした北欧5カ国の人々の暮らしをユーモラスに書いている。
でもこれ、500ページぎっしりの読み応えのある本で、読むのに4日かかりました。
なおこの本はオバマ大統領がホワイトハウスの晩さん会で引用したとのこと。アメリカでも「お手本」になる部分があるのだろう。

アイスランド、デンマーク、ノルウェイ、スウェーデン、フィンランド。
私たちは北欧というと、ひと括りにしまいがちだが、この本を読むとそれぞれに個性的で国民性の違いが大きいのがわかる。
著者がデンマーク在住なのでかなりのスペースをデンマークに割いているのは当然だが、どの国に関しても賞賛ばかりでなくその欠点についても容赦はない。

税金は高い、生産性が悪い(休暇が多いんですね)、高齢化、移民問題ももちろんあるしドラッグ問題だってある。
それでも北欧の人たちの満足度が高いのはなぜか?
なにしろデンマークの国民で人生が大変と考えている人は、1パーセントにすぎないのだ!
税金がどれほど高くとも、教育、医療、福祉など暮らしや将来に不安がないというのは、どれだけ安心なことか。日本の若者の不安度不満度(ほとんど諦めているみたいなのが悲しい)を蚊が得ると、本当にうらやましい。
そのうえ長い休暇があるのだから、過労死などは起こらないだろうし、ほとんどの人たちが持っている郊外の小ぢんまりとした別荘やキャンピングカーでm夏を過ごすことができる。

税金の高さは凄まじい。なにしろ最高税率は50%。
労働者人口の20パーセントは仕事をしていなくて、失業手当や障害者手当を支給されている。
そんな国、どうやって回しているんだ?!と日本人の私は不思議に思ってしまう。つくづく日本の国の税金の使い方の不透明さに唖然となる。
デンマークでは総選挙の投票率が87%だという。
みなが政治に関心をもっているのだ。

税金が高いということは、金持ちと貧乏人の格差が少ないということ。
だからデンマークでパーティをすると、集まる人たちの職業がじつにさまざま。教師や議員などもいるし肉体労働の人もいる。そこでの話題もおそらくさまざまなのだろう。
平等意識が高く、他人への信頼度も高い。

もっとも現在はグローバル社会。経済問題は世界中どこも同じで存在する。移民問題は北欧にも迫っている。
北欧システムがいつまでどこまで今の状態で続けられるかは、誰にもわからない。
それでもすぐ近い将来のこの国の少子化や社会保障制度などには、北欧モデルは参考になるところがたくさんあるはずだ。
この本を読んでいるとそれが決して不可能ではないと思えるのだけど、日本の政治家を思い浮かべると「うーん」と唸ってしまう。
利権ではなく理念を持つ政治家を持つには、それなりの意識の国民がいなければ無理なのだろう。
それはとりもなおさずに、私たち一人一人の問題なのだと思う。
posted by 北杜の星 at 07:54| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月20日

垣谷美雨「農ガール、農ライフ」

派遣切りになって帰宅した日、久美子は同棲相手から、恋人ができたので別れてほしいと言い渡された。
これからどうやって生きて行けばいいのか、33歳の彼女は悩んだ。
テレビで就農ガールを取材しているのを見て、農業をしてみようと決意。

上野から急行電車で1時間半、そこからバスというところにある、大学時代の友人の母親が経営するアパートを借りて、近くの農業大学校の新規就農コースで半年間学ぶことにした。
けれど学校を終えても、肝心の農地を貸してくれる農家はない。
あったとしてもすごい傾斜地や日当たりの悪い土地や家畜の糞の捨て場だったり。
かなり迷っていたときに知り合った一人のお婆さんの世話で、やっと優良な土地が借りられることに・・

最近、農業女子が増えて来たという。
私の住むここ八ヶ岳南麓にも、そうした農業をする女性たちが住んでいる。地元の人ではなく、都会からの移住者たちだ。
恵泉を卒業して一人で野菜を作っている女性、3・11以降ずっと自分の作った野菜を福島に送り続けている女性もいる。
私がいつも行く自然食品店には二種類の玄米を売っているが、一つは母娘の田んぼ、一つは三人の女性がそれぞれの田んぼで作って一緒に販売しているものだ。
どちらも完全無農薬栽培である。

機械を使うから非力の女性でも農業はできる・・そう言えるかもしれない。久美子だってそう思った。
でもどんなに機械が入ろうとも、農業はやはり大変。重いものを持つことは多いし、まっすぐはいいとしても機械を反転させるときに力が必要となることもある。
暑い夏の草刈りだけでも気が遠くなる作業だ。
ましてや有機農法や自然農法での作業は、体力も忍耐力もなくてはできない。
それでも、これから農業を始めたいという人たちは女性だけに限らず、体にも地球にも安心安全なやり方で作物を育てようとしている。

この本には意外にも農作業そのものの描写が少ない。
むしろ現在の農村や農業が抱える問題が扱われている。
なぜ農家の人たちは新しい就農者に農地をかしたがらないのか?
農業大学校で習うのはほとんどが有機農業だったのに、卒業して農業委員会の説明では、「有機農業はしないように」ときつく言われてしまう。
彼らは有機農業を趣味ととらえているようなのだ。
栃木がいちご、淡路島が玉ねぎというように、作付けの品目を特化したいらしい。そのほうが指導しやすいからだ。
そしてそういう作物ならば、販売ルートも確保いしてくれるのだ。

志が高くても、なかなか思うようにはできない。
独身女性でいるということだけで周囲から信用されずに、婚活パーティへの参加を薦められる。
「33歳は賞味期限ギリギリだ」と。

この本の中で久美子に土地を世話してくれるお婆さんの言葉が印象に残った。
彼女は何十年も農業をしていて、春大根は50回育てて来た。
50年の経験というとずいぶん長いようだが、お婆さんはけっしてそうではないと言うのだ。
例えばラーメン屋なら一日何十杯ものラーメンを作る。一年で1万回も作ることになる。
農作物は時間はかかるが経験としてはたった50回、それほど多いものではないのだ。だから一生懸命にしなくてはいけない。

。。こういうふうに考えたことはなかったな。
謙虚に真摯に仕事をすることは、どの世界にも通用する。
久美子の作る野菜、さて、どうなったのか?
一気に読めたこの本、でももう少し農作業そのものが描かれていると良かったと思う。だってそれこそが久美子の「仕事」なんだから。
周辺事情が農ガール、農ライフの高い壁になってるのはわかるけど、久美子の仕事は農作業なのだから。
それがちょっと残念。
posted by 北杜の星 at 07:40| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月19日

ケイト・アンダーセン・ブラウワー「使用人たちた見たホワイトハウス」

恥ずかしながら私、この本を覗き見的に読見始めた。
歴代大統領とその家族のエピソードの生活の裏側が、面白おかしく書かれているんだろうと。
たしかにここにはたくさんの彼らの知られざる日常が紹介されているのだけれど、悪意あるすっぱ抜きのようなものではまったくない。
ホワイトハウスで働く誇りと歓びがそこかしこに感じられ、心が温かくなる。

アメリカ大統領といえばまず思い浮かべるのが、ジョン・F・ケネディ大統領だ・
この本の始まりはケネディのダラスでの襲撃により暗殺されるところからだ。
ケネディ一家から家族の一員のように信頼されていたドア・マンのブルースの事件後数日のことが、ブルースによって語られている。
どれほどブルースが一家から信頼されていたかは、ケネディ大統領夫人のジャクリーンがブルースに、事件のすぐ後に「これは、あなたに持っていてもらいたい」と、事件直前まで大統領が着用していたネクタイ(事件のときケネディの上着のポケットに入っていた)を、渡しているのをみてもわかるだろう。

お忍びでホワイトハウスの中で数々の女性とアヴァンチュールを楽しんだケネディだが、使用人たちはそれをそっと黙って見ていた。
ホワイトハウスの使用人は口が固いことを要求されるのはもちろんだが、常に平常心を保つことも求められていた。
それでもケネディ大統領暗殺には、いかにみなが衝撃を受けたかが痛ましいほどわかる。

私がホワイトハウスを最初に意識したのも、ケネディ大統領の時だった。
大統領執務室の机の下で遊ぶ息子のジュニアの姿に驚いたことを思い出す。
何に驚いたかというと、当時の日本の政治家たちはみんな年寄りのおじいさんばかりだった。それがアメリカでは、小さな子どものいる若いひとが大統領になったことへの驚きだった。
アメリカって、なんて素敵な国なんだろうと(その時は)単純に思ったものだ。

6階建て 132の部屋、35のバスルーム、28の暖炉、3基のエレベーターをもつホワイトハウス。
これを大きいと思うか小さいと思うか?
私は小さいなと感じた。
もっともっと大きな場所に住む世界の権力者はもっといると思う。
事実、ホワイトハウスを訪れたヨーロッパのある王族の一人は、「ここはハウスなんだね」とその規模の小ささを述べたそうだ。
確かに、王族貴族が住む「パレス」とは違って、意外に小ぢんまりとしている。

悪役ニクソンや地味なジョンソンとそのファースト・ファミリーにはあまり興味がなくて、読み飛ばそうとしたのだが、読んでみると面白いんですね、これが。
当たり前だけど、どんな大統領にも家族がいて、そこには悲喜こもごもの日常があるからだ。
それにしてもホワイトハウスの使用人たちの忠誠心の大きさには感嘆してしまう。
だからこそ歴代大統領たちの絶対なる信用を勝ち得たのだろう。
前述のブルースもそうだが、使用人には黒人が多い。自由民権運動後のアメリカを象徴している。

任期を終えた大統領一家が去るということは、これから新しい大統領とファースト・ファミリーがやって来るということだ。
どんなホワイトハウスになるのか、使用人たちには不安もあれば期待もあるだろう。
人間だもの、好き嫌いや得手不得手がないわけはないけれど、彼らの忠誠心はアメリカという国に対してでもあるから、そこはそれなりにやっていけるのだと思う。

緻密な取材を重ねての著作で、びっしりぎっしり文字がつまった、かなり読み応えのある一冊だった。
もちろんゴシップめいたお話もあって、ヒラリーがクリントンの頭を本で殴ったこと、そのヒラリーが娘と食事ができるのならば、先約をキャンセルするのを躊躇しなかったとか。。
・・知られたく一面が、ポロリと漏れるのはまぁ、仕方ないことかも。


posted by 北杜の星 at 07:43| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月16日

阿川佐和子「強父論」

「お父ちゃんが忌み嫌っていたような『父を讃える本』にはけっしていたしません」。

父である作家が没すると家族、とくに娘に「家庭での父親がどうだったかを書いてくれ」という依頼が出版社からくることが多い。
過去にもたくさんの作家の娘たちが、父について書いてきた。
森茉莉、幸田文、室生朝子、萩原葉子はちょっと古いが、彼女たちの父親本はつとに有名。
他にも城山三郎、藤沢周平、井上光晴、吉本隆明などなど、父亡きあとに娘が書いた本は列挙にいとまがない。
そのほとんどが、父親礼賛のような。。

でもあの第三の新人であった阿川弘之は娘の阿川佐和子に厳命していたという。
けっしてけっして「父は偉大だった」とか「夫は素晴らしかった」などみっともない本は出してはならぬ、と。
それを肝に銘じた佐和子さんが書いたのが、この本。
これでもかと、横暴極まりなかった父親が出てくる。
これじゃぁ、礼賛しようにもできないやね、というくらいの理不尽さ。
よくこんな父親、殺されずに済んだものだと不思議になるくらい。

でも、なぜなんだろ?
「私の父親がこんなんじゃなくって、本当によかった!」とつくづく思って、阿川家の人たちに同情してしまうのだけれど、なんだかどこかに、ポッとするものがあるんですよね。
それは佐和子さんの筆にユーモアがあるだけじゃなく、阿川弘之という人間にそういう横暴さを許容させるだけのものがあったんだと思う。
だから四人の子どもたちがグレもせず優秀に育ち、妻だって離婚せずにきたのだろう。
我慢できなければ、我慢はしなかったはずだ。
それに多分、家族たちだからこそ、弘之は甘えがあっったのだ。
(第三の新人たち、例えば吉行などは弘之のことを「瞬間湯沸かし器」と呼んでいたので、まぁ、誰にでも怒ってはいたのだろうけれど)。

佐和子さんが幼稚園の頃、家に帰ってお母さんに「あのね、今日ね、○○子ちゃんがね、、」と話していたら、「うるさい!結論から言え、結論から」と怒鳴られた。
4歳くらいの子どもが「結論」と言われてもねぇという感じだが、気の短い私だって機嫌の悪い時には、そう言いたくなるかもと、笑ってしまう。
またある時、誕生日に中華料理を食べにレストランに行った時(阿川家は誕生日には中華のことが多かった)、食事が終わって外に出たら冷たい風が吹いていたので、佐和子さんが思わず「あ、寒い」と言ったら、弘之が烈火のごとく怒ったそうだ。
「ごちそうさまでした」「ありがとうございました」と言わなかっったことが、気に入らなかったらしい。
車で帰宅する間ずっと怒鳴っていたのを、母が「そんなにおこらなくても」と弘之を諌めたら、それにも憤慨し、母をその場で車から降ろしたとか。


とにかくその怒りが理解不能な無茶苦茶さだった。
だけどそんな横暴さには、弘之年代の男の「家長」として気概が溢れていたのだろう。
それには責任も当然あったはずだ。作家という不確かな収入の職業で暮らしを支えるべく努力もあたろう。
そうしたことを暗黙のうちに家族に認めさせるための、弘之の言動だったのかもしれない。

弘之は収入にいつも関心が強かったと佐和子さんが書いている。
父の臨終にはタッチの差で間に合わなかったが、まだ温かい父に向かって「印税、30万円だよ」と叫んだらしい。
というのは、父の本が文庫本化され、それが再販となり、印税が入る知らせがあったばかりだったからだ。
父の耳元に「30万円だよ」と叫ぶ佐和子さんの後ろで、看護師さんがくすっと笑っていたそう。

凄まじい父の暴君ぶりが書かれているのに、この本、やっぱり娘の父を恋うる文章でいっぱいなんですよね。
このような本、娘じゃないと書いてはくれない。
阿川弘之、素敵な娘をもった。ということは、彼の子育て、成功したということなのか。
弱い父より強い父が家庭には必要なのかもしれない。
posted by 北杜の星 at 07:24| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月14日

山崎宏「老健が、親の認知祖父からあなたを救う!」

老健とは介護老人健康施設のこと。
養護老人ホームや特別養護老人ホームなどと並ぶ、高齢者のための入所介護施設である。
けれど特養などは知られているが、老健はあまり知られていないのではないだろうか。
知っている人でも「老健は3カ月までしか、居られないんでしょ」と言う人が多い。
老健を中間施設と考えているからだ。
病院から在宅まで、または病院から特養までの、止まり木みたいな短期入所施設だと。

でもそれは誤解のようだ。
たしかに回転をよくして利益をあげるために、3カ月を上限とする老健もあることはあるが、しっかり最期の看取りまで面倒をみてくれる老健だtって多いのだ。
そういう施設にはちゃんと厚生労働省がそれなりの処遇をしてくれているらしい。

親または配偶者が認知症などで介護が必要となった場合、取るべき方方法の選択肢はいくつかある。
有料老人ホーム、グループホーム、特養・・
この著者はそんなとき「老健」を提案する。
特養は安いがそれゆえに待ちが数百人、5年も6年も待たなければならないし、ケアが残念ながらそうすぐれているわけではない。
有料は普通のサラリーマンでは料金が高い。入居一時金が何千万円もしたり一カ月30万円するところもある。
老健なら、待ちは早ければ2週間、遅くても30日くらい。費用だって約15万円前後だ。これなら普通のサラリーマンや寡婦の年金で充分まかなえる。
しかも老健ではリハビリだってしっかりしてくれるのだ。

私は老健という施設にとても感謝し、好印象を持っている。
夫の父は90歳のとき、腰の圧迫骨折で入院した。それまでは病院近くの新宿区でちゃんと自分のことは自分ででき、経済管理もしながらリッパに暮らしていた。友人と会い美味しいものを食べ、生活を楽しんでいた。
それが入院のたった2週間で、肉体も精神も崩壊してしまったのだ。あっという間のできごとだった。
その時私たち夫婦はすでに八ヶ岳暮らしだったので、義父の住民票を山梨に移し、ケア・マネージャーに相談しながら行く末をいろいろ考えた。
ひとまずは、甲府の温泉病院に骨折のリハビリ治療ということで入院させた。
その間に老健の申し込みをすることに。そしてその先は特養ということで、ケアマネさんに予約を入れてもらうなどお世話になった。
温泉病院の入院期限は3カ月。その間に老健に入れるものかと心配したが、さいわいにも間に合って、我が家から車で40分くらいのところにある老健に入所できた。

病院では車椅子やベッドに拘束されて食欲がなく、表情も消えていた義父が、老健で見る見る元気になっていった。
車椅子を自分で動かすことができるようになったばかりでなく、車椅子からトイレの座面に自力で坐れるようになったのだ。
動くようになったからか、ご飯を食べるようになって、なによりも顔が明るくなった。
週に一度行くたびに、なにか心身に良い進展があるのを見つけるのが楽しみだった。
夏はアイスクリーム、涼しくなってからはコーヒーをうれしがった。
嫁である私のことも息子のことも認識はできていなかったけれど、よく会いに来てくれる人だとはわかるのか、行くといつもとても喜んでくれた。
老健のスタッフのケアのきめ細やかさと優しい対応は、義父にとっても安心できるものだっと思うし、家族にとっても大きな慰めとなった。

在宅介護は貴いものだとは思うけれど、はたして本人にとってそれほどいいかどうか、わからないところがある。
家族が仕事で出かけた後に、独りで寝かされるばかりの状態では、刺激が無さ過ぎるのではないだろうか。
私の知る限り老健では、スタッフたちが常に義父に声を掛けてくれたし、リハビリもできた。
体の機能が高まれば精神もよくなる。義父を見るたびに「ここで良かった」と思ったものだ。

結局、義父の老健滞在は1年に満たなかった。心臓発作で救急搬送されたからだ。
でももし老健で最期を迎えたとしたら、ちゃんと看取ってもらったと思う。
「次の行き先(特養など)が決まってさえいれば、いつまで居てもいいんですよ」とその老健では言っていた。

だから著者の老健への薦めは、私は大賛成!
全国の老健はざっと4千軒。総定員は35万人んだそうだ。
でもみんなが老健に入所希望したら、いまの特養のような凄まじいウェイティングとなるんじゃないのかと、私は心配なんですけど。。
posted by 北杜の星 at 08:03| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月13日

津村記久子「浮遊霊ブラジル」

驚いた!
津村記久子がこれほど進化していたとは。

働く若い女性の心理を描く津村記久子の小説には定評があった。
それは彼女自身が自分の仕事を通して感じる日常そのものだったのだと思う。
けれど勤めともの書きの両立は難しかったようで、ペン一本の道を選んだ。
以来、おせっかいにも私は心配していたのだ。
「これから彼女は、何を書いていくのだろう?」と。
発表される作品のなかには、「うーん、どうなんだろ、これ」と思わぬでもないものもあった。

でもその心配、まったくの余計なお世話だったみたい。
この短編小説集の7編の完成度の高いこと!
収録されている「給水塔と亀」は川端康成文学賞を受賞したそうだが(私は知らなかったのだけど)、7編はバラエティに富みながら、ちょっとしたユーモアがあって、リアルでない世界を描いても静謐な空気が感じられる。
津村記久子の若さでこれほどのものが書けるのは、実際の体験だけでなく、作家としての資質の高さだろう。

定年退職をして故郷の町に帰って来た男が、引っ越し荷物を受け取り、アパートの管理人の亀を飼おうとする「給水塔と亀」。
うどん屋の主人と客との微妙な距離を描く「うどん屋のジェンダー、またはコネルさん」(これ、好きだった)。
初めての海外旅行前に死んでしまった「私」が、念願の土地に浮遊霊となって。。表題の「浮遊霊ブラジル」。
サッカー関連記事の翻訳をしていて、一人のウルグアイ選手の再婚相手が、元同級生だったと知り。。「アイトール・ベラスコの新しい妻」。
・・など並ぶ。

私がもっとも気にいったのが中編の「運命」。
どこに居ても、旅行に行った先でも、道を尋ねられる人っているけど、この主人公もそう。
肌の色が違う、あきらかに旅行客だと見てとれるのに、道を訊かれる。
でもそんな現実世界から、赤ん坊の頃の記憶などどこかシュールな場所に運ばれる感じがなんとも心地よく面白い。
この「おかしさ」に私は共感できて、ここらあたりが津村記久子を読み続ける理由なんだろう。
それと彼女の作品には変な湿っぽさがないのがいい。
どんな内容であっても適度な乾きがあって、それがクスリとしたユーモアになっているのだおt思う。

私も結構、どこでも道を訊かれる。
イタリアでも訊かれたし、パリでもイタリア人観光客から「サン・ジェルマンへはどう行くのか」と尋ねられた。
もちろん日本でも、歩いていたり信号待ちのときに訊ねられる。
道を訊かれやすい人には共通項があるのだろうか?
あるとしたらまず、「美人でないこと」なんだろうな。
だって美人には声かけにくいものね。、
私は中肉中背の丸顔、最新ファッションに身を包んでいるわけではないけど、それほど生活に疲れた風でない。つまりは「ごく、フツー」。
この「フツー」というのがいいのか、悪いのか、道を尋ねられる最適条件のような気がする。
それともボーっとして急いでないから、声をかけやすいのかな?

ともかく、この津村記久子、短編集を読む充実感が味わえる一冊でした。
posted by 北杜の星 at 07:47| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

杉浦さやか「世界をたべよう!旅ごはん」

著者はイラストレーター。
彼女の初めての海外旅行は21歳のとき。バイト代と親からの借金で出かけたヨーロッパ6カ国の鉄道旅行だった。
以来西や東や北のヨーロッパ、アジアなどを巡っている。
この本はその旅先で出会った食べものを、お得意のイラストに文章をつけて紹介したもの。
食べものは高級なものではなくて、B級グルメがほとんど。屋台や定食屋さんの食事が主なもの。
だけどというか、だからこそというか、食べものが活き活きしていてパアワーがあるのが素敵だ。

私も外国に行ったら、そこの土地の人が普段行くようなところで食事をしたいほうだ。
数日間の旅行なら少々高級なレストランの食事もいいだろうが、2週間とか3週間滞在するなら、それでは飽きてしまうし、健康にも悪い気がする。
やはり普通の定食のようなのがいいな。それも現地の人に混じってのご飯が。

イギリスではパブのご飯、パリの学生街でのカフェで軽食、ノルウェイでの羊やヤギのハム・チーズ・・
アジアでは中国、香港、ヴェトナム、インドネシア、スリランカなどのこれも気取らない現地食の数々。
この本を見ると、絵が描けるっていいなぁ、楽しいなぁとつくづく思う。
自分も楽しいだろうけれど、旅の思い出として友人に見せるのにも楽しいのではないだろうか。
写真だとなんだか旅の自慢っぽくなってしまって、イヤミになることもあるけれど、イラストなら「わぁ、カワイイ」と無邪気になれそう。
(だけどこの本はイラストがメインなだけあってか、文章が少ないというか、食べものにまつわるエピソードの記述がもっとあってもよかったように感じるのだけど)。

杉浦さんはリゾート地が嫌いだったそうだが、友人の結婚式に参列するためにバリ島に行くことになった。
そのときに滞在したリゾートホテルは中級のリーズナブルなホテルだったが、それでも、素晴らしかったそうで、リゾート地のイメージが変わったみたい。
じつは私たち夫婦もリゾート嫌い。
どんなに素敵なホテルであっても、その中だけで旅が完結するのはどうも物足らない。まぁ、貧乏性なんですね。
でもそれは多分、経験がないからかもしれない。一度行けば案外、病みつきになるかもしれない。
ある友人に「リゾートが嫌いなの」と言ったら、「アナタの家がリゾートみたいなもんじゃない」と言われたことがあるが、確かに、我が家は八ヶ岳の高原リゾートにあり、目の前にドーンと素晴らしい南アルプスが遮るものなく見えている。。リゾート、行く必要ないか。

外国だけでなく日本国内もある。
「B級グルメの聖地 大阪」も出てくる。
そう、大阪は本当にB級グルメいっぱいのところだ。なにしろどこに入っても「美味しい」「安い」をクリアできていなければお客さんは来ない。
大阪はたいてい、どこに入ってもそこそこ美味しい。少なくとも不味くて食べられないところは、まずない。
そこが東京とは違うんですね。東京では美味しいと評判のところなら合格範囲内だけど、「こんなのどうやったら作れるんだよ」という代物を出す店もある。
味のレベルは絶対に大阪の方が上だと、大阪に数年住んだ私は断言できる!

この年齢になって、これまで行ったことのある外国や国内で、「あぁ、アレ、また食べたい」と思うのは、高級料理じゃないのが不思議。
イタリア中部の豚の丸焼きを薄く切ってパサパサのパンに挟むポルケッタ、香港のオカズを乗っけたご飯、広島のお好み焼き、大阪の「インディアンのカレー」(これは今は東京駅にも出店があるようですよ)、博多の丸天やごぼ天を加えた肉うどん・・
思い出すだけですぐにもその土地に行きたくなる。

私は下戸だから、どこに行ってもお酒を自分で注文することはないが、お酒を飲む人にとっては、お酒は旅の大いなる楽しみの一つだろう
イギリスのビール、ベルギーのビール、チェコのビールの味はどう違うのか?
私にはわからないのが残念。

ところで私がこれまでの人生で食べたもっとも不味いモノ・・それはナント、あのグルメの国のフランスはブルゴーニュのレストランでの食事だった。
人間の食べるものとは到底思えない味だった。私も夫も二人とも残したが他の客が全部平らげていたのは、どうしたことなのか?いまもって謎だ。
面白いのは、そういうことだって「旅の思い出」として、一生覚えているものなのだから、美味しいご飯だけが旅のすべてじゃないうことなのかもしれない。
posted by 北杜の星 at 07:56| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月09日

阿古真理「なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか」

いま日本人は大のパン好き。米よりパンの方が好きという人だっているくらい。
かくいう我が夫も「食べものの中でパンが一番好き」という人間だ。
さいわい、ここ八ヶ岳南麓の北杜市はパン屋さんの激戦区で、素晴らしいパン屋さんがとても多い。
今年も新たなパン屋さんが登場して、選択肢が広がった。
フランスパンはここ、カンパーニュはあそこ、食パンはあcっちの店と使い分けている。
はっきり言って、どこも値段はけっして安くはない。国産小麦と考え抜かれた天然酵母で作るのだから、それは仕方ないこと。
パン屋さんのなかには小麦から自家栽培しているところもある。
パンに関しては東京よりずっと恵まれていると思う。

これだけ進化したパンも、黎明期には職人さんたちの苦労があった。
米食に慣れた日本人にとってパンはパサパサ、ボソボソしたもので、喉の通りが悪かったことだろう。
洋食が広まるとともにパン食も少しずつ増えていった。
しかしパンが国民のなかに浸透したのは戦後のあの給食のコッペパンからではないだろうか。
脱脂粉乳と一緒に出されたあのパン、美味しいとは言えなかったけれど、あれでパンが日常的になったのだ。
一説にはあれは、アメリカが自国で余った小麦粉を消費させるために、日本と韓国でパン食を推奨したそうだが、その真偽のほどもこの本の中には述べられている。
(昭和30年代ごろには「米を食べると頭が悪くなる」とまで栄養士たちが言っていたけど、あれはアメリカと日本の国策だったのだろう)。

だけど日本人はアレンジが上手なんですね。
そっくりそのままアメリカやヨーロッパからのパンを食べて来たわけではない。
アンパン、クリームパンやジャムパン(最近あまり見かけなくなったけど)、カレーパンなど独自の日本のパンを作り出してきた。
パンのなかにアンコを入れるなんて、すごい発想だ。
(シチリアに行ったときに驚いたのは、ジェラートをパンに挟んで食べること。えーっと思ったけど、あれはアンパンの原理か。暑い夏のシチリアで、コーンのジェラートはすぐ融けてしまうからパンに挟むというのは正解かもしれないけど、ただでさえ量の多いイタリアのジェラート、パンに挟んだらこれはもう私にとっては食事になってしまう)。

どんなに菓子パンが美味しくても、食事パンはなかなか普及しなかった。
神戸のフロインドリーブはそういう意味で当時、画期的だったはず。とくにヨーロッパのパンを知って帰国した日本人にとっては救世主のような存在だった。
そんな日本で一人のフランス人が、カンパーニュを作り始めた。1980年代のことだ。
ピエール・ブッシュさんは日本の国産小麦を使って、それまでのドライのイースト菌に替え天然酵母でパンを焼いたひとで、ある意味、現在の日本のパンの原点ともいえる。
ブッシュさんの弟子たちがいま、日本中で活躍して美味しいパンを作っている。
ブッシュさんのパンがそれまでと大いに違うのはその理念だ。オーガニックで安全安心なパンがコンセプトで、それはたんにパンだけでなく、ライフスタイルへの提案ともなった。

私たちは富ヶ谷の「ルヴァン」が大好きで、80年代終わりからよく食べていた。
調布のルヴァンは宅配してくれるが富ヶ谷はしてくれなかたので、八王子の「木のひげ」にお願いしたこともある。
ルヴァンも木のひげもどちらもブッシュさんのお弟子さんだ。
原料の小麦を吟味し、大切に天然酵母を育て、ギリギリ限界ちかくまで焼く。
私は日本のパンの「焼き」はどうも甘過ぎると思う。ギリギリ焼くのは内側の柔らかさが難しいのだけど、焼きが甘いと、日本のような湿気の多い国ではすぐにカビが生えてしまう。
ヨーロッパのパンは古くなるとカチカチになって、それはそれでパン粉にしたりスープにしたりできるのだけど、日本ではちょっと日にちが経つとくちゃっとしてしまう、カビが生えたらもう使い物にならない。
その点、ルヴァンのパンは私にとって理想的な焼き具合なのだ。かわの部分が素晴らしい。、

確かにいま、日本のパンはとても美味しく、本家ヨーロッパを凌ぐほどだ。
でもこれが到達点ではなく、これからどう進化してゆくのか?
まだまだ世界には私たちの知らないパンがあるはず。アラブ諸国、アフリカなどのパンも食べてみたい。
posted by 北杜の星 at 07:22| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月07日

森絵都「みかづき」

昭和30年代半ば、世の中に公団ができ、団塊世代が受験に向かい始めた頃、千葉の小学校の用務員だった吾郎は放課後、勉強のわからない子どもたちを教えていた。
吾郎の教え方が評判になり、塾を立ち上げたい千明から、その塾への参加を請われた。
吾郎はやがて、蕗子という娘を女手一人で育てる千明と結婚、共に塾を経営することになる。
けれど二人の教育方針は異なっていた。
公教育へのアンチテーゼとしての塾を目指す千明に、吾郎は次第に違和感を覚えて袂を分かつようになる。
吾郎の塾は支校を増やし、大きくなってゆく。
と同時にさまざまな問題も起きて、それなりの苦悩も生じるのだが。。

小説の視点は吾郎から千明に移り、最後は孫の一郎へと繋がる。
これは「塾」という教育機関を時代の変遷とともに描きつつ、三代にわたる家族を描く小説でもある。
高度成長まっただ中の昭和の時代と、平成への40年余り。
この間にとっぷり浸って生きた私にはすごい臨場感で読めた。
「そう、そういう時代だったよね」とわかる部分が多かった。
私の通っていた塾はいわゆる「私塾」で、今のような大きな規模の全国展開などの塾ではなかく、むしろ最初の放課後の吾郎の教室のようなものだったけれど、当時、塾通いをする子どもはそうはいなかった。
私は幼稚園も受験を経て、3年保育を電車に一人乗って通わされていたけれど、今考えると、私の母親って教育ママだったのかもしれない。
早生まれの小さな子どもを一人で毎日電車で幼稚園に通わせるなんて、危険きわまりないと今ならほとんど虐待だよね。
もしその経験が私の人生に役に立っているとしたら、まぁ、独立心が強い人間になったかなというくらい。

でもあの頃は、みんな上昇志向が強かったし、未来が輝くものとしてあった。
頑張れば頑張るほど、結果が出た時代。
結果を出すためには、なによりも教育だったのだ。

吾郎の孫の一郎は塾の仕事に従事しながらも、吾郎や千明とは異なる塾を目指している。
経済的に塾に通う得ない子どもたちのため、何ができるかを考えているし、それを実行に移している。
現在、国立大学に進学するためには、塾通いが必須となっているらしいが、その塾へ通うにはお金がかかる。国公立大学は貧困家庭の子どもには通えない。
(国公立大学の学費の高騰も激しいし)。

この本、教育とは何か?何のためなのか?を考えるには素晴らしい一冊。
やれ、ゆとり教育は間違っていたとか、公教育の現場には紆余曲折が多い。振り回される子どもたちはどうすればいいのか。
塾だからこその自由な教育というものがあるのかもしれない。
できるなら学校や塾の先生に読んでもらいたい。

森さんの人生における価値観がこれを読むとよくわかります。
読んでよかった、森さんの力作長編。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月06日

日野原重明「僕は頑固な子どもだった」

105歳で生きている人はいるだろうが、これほど元気でなお社会のために働いているのは日野原先生くらいだろう。
先生を見ていると、まだまだ大丈夫。世のため人のために頑張ってもらいたいと思う。
このような人は絶対に神様からの使命を受け、神様からのご加護も受け、この世につかわされているのだろう。
これまでたくさんの著者がある日野原先生だが、この本の帯を見て驚いた。
これが「初の自叙伝」だというのだ。
えーっ、そうなの?という気持ちになるのは、あまりにも日野原先生についてのエピソードを知っているからだ。

牧師の家に生れ、敬虔なクリスチャンであること。
よど号ハイジャックの飛行機に乗客として遭遇したこと。
人間ドッグを日本で初めて実施したこと。
「生活習慣病」という言葉を創り広めたこと。
地下鉄サリン事件の時の聖路加病院の素晴らしい対応。
朝昼はほとんど食べず(飲み物とビスケットくらい)、夕食だけしっかり食べること。
エレベーターは使わず階段を二段跳びで上がること。
・・などなど。

でも考えてみればそれらは断片的なもので、日野原先生の一生を通しての越し方はあまり知っていないかもしれない。
この本には幼少時代の家族や友達、中学・高校・京都帝大医学部での生活、アメリカ留学などについて、当時の先生の気持ちを含めて詳細に語られている。
なによりも胸を打つのが、長年連れ添い、ずっと先生を支えてくれた奥さんの静子さんとの別れだ。
80歳ごろから認知症を発症し静子さんの最期の1年9カ月を、聖路加病院で主治医として看取った。
ずっと多忙で家庭のことは静子さんにまかせっきりだった先生にとって、その1年9カ月は静子さんとの蜜月だったに違いない。
この世では静子さんの不在で寂しくなったけれど、あの世は静子さんを迎えて賑やかになっていることだろう、と先生は自分を慰める。そしていつか自分もそこに加わることを楽しみにしている。
死は必ずしも悲しいものではなく、生と同じように意味のあること。。

日野原先生の人間としてのバックボーンにはもちろん、キリスト教がある。
しかし医師として、1950年代初頭のアメリカ留学でホリスティック医療に触れたことは大きなことだったはずだ。
医療がどんどん細分化され専門化されていくまっただ中において、人の体というものはそうではなく全体が繋がっていると考えるのは大きな意味のあることだと思う。
いつも先生はこのように「本質」を見ながら生きてこられたのだろう。

そんな先生は子どものころ結構、頑固だった。
絶対に自分を曲げなかった。
優秀で有名な中学に受かりながら、入学式に出席しただけで退学し関西学院に行ったのも、軍の影響が強いのを嫌い自由を求めてのことだった。

お顔をみてえいるだけで、幸せになれるひとがいる。
日野原先生もそうだし、瀬戸内寂聴さんもそうだ。こういうのを仏教では「顔施」というらしい。
お顔が「愛」ってすごいこと!
いつまでもお元気でいてください。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月05日

井上荒野「綴られる愛人」

小説って最初の出だしは面白くても、だんだんと退屈になるものがある。
その反対にどんどん面白っくなって、徹夜をしても読み終わりたくなる本もある。
この「綴られる愛人」は後者。
たんにストーリーの展開が面白いだけではなく、井上荒野の心理描写の巧さに引き摺られて読了した。

東京に住む35歳の柚は著名な小説家。
北陸に住む航太は大学生。
彼らは「綴り人の会」という組織を通じて文通してる。
今の時代にメールではなく手紙というのがアナクロだが、だからこの小説が成り立つのだと思う。
どういうシステムになっているのか「綴り人の会」では、文通相手から直に手紙が届くのではないようだ。
お互いの手紙はある一定期間を経たのちに、手元に届くようになっている。

文通では柚は専業主婦凛子。航太はエリートサラリーマンのクモオと身分を偽っている。
この期間が微妙な「間」で、次の手紙を待つ間に不安や猜疑心が増幅される。

嘘で固めた手紙のやりとり。
それでもそれらの手紙には次第に彼らの心の奥底が現れてくる。

文通やブログを書く場合に、柚や航太のように嘘八白を書き込む人は多いそうだ。
現実逃避なのか、それとも物語のなかの自分に酔いたいのか。
ちなみにこのブログ、私は本当のことを書いてます。だって友人知人が読んでくれているのだもの、嘘書いたらすぐにバレてしまうし、第一、現在の自分を偽らなければならない理由もさしてない。まぁ、しごく単純な生活と性格ということか。

柚と夫は「おしどり夫婦」ということになっている。
けれど夫のモラルハラスメントはかなりのもので、夫は柚を隷属させている。
航太は友人たちとうまくいっていないし、就職活動だって思うように進んでいない。
つまり彼らは二人とも日常に満足せず、「何か」を求めているのだ。

でもそれは決して不倫とかアバンチュールではないのだと思う。
凛子への想いを強めるクモオに対して、少なくとも凛子は違う。彼女は夫に「秘密」を持つことで「仕返し」をしたかったのではないだろうか。
お互いに求めるものが違いながらも、大きく膨らんでいく様子がこの小説の肝ではないか?
ちょっとサスペンスっぽい作風になっているので、結末は書かないけど、男と女、女のほうがやっぱりシタタカ。。ですね。

一つ疑問が。
それは柚のような物語をつくる「作家」が、文通でも物語をつくるものだろうか?
小説を書くという行為ではそういう部分で充足できないとしたら、なんか、つまんない作家かも。

posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月02日

辻村深月「東京會館とわたし(下)」

今週のうちに「東京會館とわたし」の下巻が読めてよかった。
連作で各章が独立しているとはいえ、あまり時間をおくと気が抜けてしまう。
上巻はタイトルに「旧館」としてあったが、下巻は「新館」となっている。
東京會館旧館は大正11年竣工。新館は昭和46年、谷口吉郎設計で建てられた。
谷口は東京會館の設計にあたり、たんに建物としての會館ではなく、宴会や社交での思い出の背景となるべく「場」としてというコンセプトで臨んだという。
旧館で使われていたマテリアルや家具なども少し残しながら、まったく新しい建物を造ったそうだ。

亡き夫と迎えるはずだった金婚式の日、一人の老婦人が東京會館にあるパーティに出席するために出かけた。
闘病中の夫は旧館を壊して新館ができることを、残念がっていた。
新館に入った婦人は以前と違う建物に初めは戸惑っていたものの、しだいにその美しさに圧倒されてゆく。
そして彼女はパーティには出ず、夫と時々食事をしていた食堂に一人で入って行く。

人見知りの新米ボーイが、あれほどの大スターである越路吹雪の緊張ぶりを目のあたりにする。
越路吹雪はコンサートの前になるとガタガタ震え、背中におまじないの「虎」という字をマネージャーの岩谷時子から書いてもらわないと、舞台に上がれなかった。
「さぁ、虎になっていらっしゃい」と背中を押してもらる越路吹雪から、ボーイは何を感じ、得たのか。

2011年3月11日、仲良し4人組の初老の女性たちは着物姿で銀座を楽しんでいた。
そこにあの大地震。電車は動かず、ホテルもレストランも喫茶店もいっぱい。
思いあぐねた彼女たちが辿りついたのが、東京會館。
彼女たちは若い頃に東京會館の料理教室に通っていた。
主人公の女性は見合いをして結婚を決めた彼から「東京會館で料理を習ってほしい」と言われたのだ。
食べることが好きで舌の肥えた彼は結婚後、家庭で美味しいものが食べたかったのだろう。
「東京會館なら」と4人はそこへ向かい、一晩を過ごす。

上巻に較べると、実名がかなり出てくる。
芥川賞直木賞受賞者にとっては候補になった時から「受賞がきまったら、東京會館へ」と言われる。
何度も何度もそう言われ続けて、落選してきた作家なら「東京會館って本当にあるのか?」という気持ちにもなる。
あの角田光代がそうだったように。
そんな作家たちにとっては、帝国ホテルでもホテル・オークラではだめで、東京會館こそ価値ある場なのだ。

けれど現在、東京會館はまたも新築中である。
完成は2019年とのことだ。
その間、芥川賞と直木賞の受賞式は帝国ホテルで行われる。
新生新館がどんな設計になるのか?これまでのようにみんあから愛される集いの建物となるのか。
旧い建物に愛着がある人にとってはどれほど素晴らしい新館であっても、必ずしも満足はできないかもしえないけれど。

それにしても100年経たないうちに、2度の建て替えとは、耐震性の問題があるのだろうが、つくづく日本という国は、スクラップ・アンド・ビルドの国なんだなぁと思ってしまう。
ホテル・オークラも建て替わるし、なんだかさみしい。
今度の新館はせめて100年は持ちこたえてほしいし、それだけの年月に耐えうる設計であってほしいものだ。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする