2017年03月30日

川上弘美「蛇を踏む」

「ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった。」

この冒頭の文章を読んだ瞬間、「これは絶対に好きな本だ」と確信した。
これが川上弘美を読んだ最初だったか、それとも「神様」の方が先だったかの記憶がないのだが、ともかく「蛇を踏む」の物語と柔らかな文章にはまってしまった。
今回のこれは点字で読んだ。
だから「蛇を踏む」は「ヘビオフム」といういわゆる、カタカナ表記のような字列で読んだ。
点字の本もこれが8冊目。少し慣れてきて、こういう作品をどう感じるか、自分でもちょっと実験ぽい気持ちがあった。

やはり、視覚より皮膚感覚のほうが鋭いのか、指が「ヘビ」の字に触れるたびに、体がそくっとする。
蛇はもちろん好きではないのだが、それともまた異なる感覚。
まるで蛇の冷たくぬめっとした体を触っているような。。
だからだろうか、ぐんぐんとこの幻想世界に引き込まれていった。

主人公の女性は教師を辞めて、仏具屋に勤めている。
そんなある日、蛇を踏んでしまった。
その蛇は人間の女の姿になり変わり、彼女の家に居ついて家事などをするようになるばかりか、自分を主人公の「母」だと言う。(母は実家にいるというのに)。
蛇と関わるようになってから、自分の周りに蛇の気配が多くなった。
仏具屋の数珠を作る女房は蛇に憑かれているし、取引先の寺の大黒は蛇である。
主人公の家に住みついた蛇は彼女に、蛇の世界に来るようにと薦めるのだが・・

不穏な空気が流れるが、前述したように川上弘美の筆があまりに緩やかなので、全身がその流れにたゆたう心地よさがある。
寓話と言ってしまえばそれで終わるのだろうし、こういう作風を受けつけない人もいるだろうが、私は大好き。
とにかく、すごい個性の作家が出て来たなと驚いたのだ。

これにはもう2編が収録さfれている。
「キエル」も面白かった。
団地に住むある家族は消えるのだ。そういう家系らしい。上の兄は見合い相手を置いて消えてしまった。
しかし家族の誰もが「平穏」のために、兄を探そうとはしないし、さして驚いているふうもない。
婚約者は次の兄と結婚するものの、どうやら彼女の家族は「縮む」家系っらしく、彼女も縮んでいく。。

これも「蛇を踏む」のように「絶対にあり得ない」物語を書いたものなのだが、「読ませる」んですよね。
これが小説の不思議なところ。
あとがきで川上弘美は自分はこれらを「うそばななし」と呼んでいると書いているが、「うそ」が小説世界では「ホント」を凌駕する。

もう1篇はあまりにも短い章に分かれていて、ちょっとパスしちゃいました。ごめんなさい。
posted by 北杜の星 at 08:00| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月29日

高峰秀子「私のごひいき」

「亀の子束子一つ、自分の気に入らない物はなに一つ、この家にはありません」と明言していた高峰秀子。
その言葉どおりの「ごひいき」の日常品がここに写真と文章とで紹介されている。
およそ20年間にわたって連載されたもので、全部で95点のアイテムがアイウエオ順に並べられている。

ノリつきメモ用紙、はさみ、ペーパーナイフ、消しゴム、修正液などの文具類がけっこう多いのは彼女が文筆家としての仕事も大切にいしていたためか。
その他に、耳かき綿棒やドア・ストッパーなどがあるが、なにより多いのが台所で使う品々だ。
彼女と夫である松山善三はずいぶんと卵好きだったようで、コレステロールもなんのその、朝食には必ず卵、すき焼きには2つすつ、卵かけご飯だって食べていた、
だから卵関係のアイテムは、茹で卵を作る時卵のお尻に穴を開けるもの、黄身と白身を分けるもの、ポーチドエッグを作るための容器・・
どれもあれば便利なものだけど、でもまぁそれがなくっても。。という感じではある。

台所用品ってむつかしい。確かにあると役立つけど、そういうものがどんどん増えるのは収納に困る。
なくていいものならなくていい・・といのが私の考えなので、天下の大女優さんには申し訳ないのだけれど、この本のなかで不用なものってわりとあった。
だけどさすがにそこは高峰秀子。どのアイテムもシンプルでいかにも使い勝手がよさそうだ。
旅行に行った折などで見つけたものもあって、そういうものに目がいくというのが、すぐれた生活人でもあった彼女らしい。

このなかにアメリカ旅行中に買った「石鹸置き」があって笑ってしまった。
というのはつい先週のこと、生活クラブの配達品のなかに「石鹸置き」があったからだ。私が注文したのではなく夫が勝手に注文していたものだった。
浴室の石鹸置きに水が溜まるのを、「これなら余分な水が落ちるよ」と容器に穴があいているから買ったらしいのだが、私は溜まった水は捨てればいいし、なによりもタイが濡れるのを防ぎたいために、「これは要らないよ」とすげなく断った。
彼はカタログを見ていろいろな注文をするのだけれど、そうした生活備品についてはちょっと私に相談してほしいと思う。
彼の思惑と私のは違うことがあるからだ。

だけど私にとっての便利であろうと思われる台所用品をあれこれ探してくれるのはありがたい。
目が悪くなってこれまで使わなかったピーラーなどの便利グッズを多用するようになったからだ。
「石鹸置き」のように「要らないよ」というこもあるが、「これ、ほしかったのよ」というのもあるからね。
そういうのを使ってみて、本当に「ごひいき」になれるものって、案外少なくて、帯に短しとか、隔靴掻痒なんてこともある。
だから高峰秀子はモノ選びの達人と言えるのだろう。

我が家のお役立ちでお気に入りって何だろう?と家の中を見回してみたのだが、うーん、ないもんですね。
強いてあげると、銅製の小さなおろし金。これは有次製のもので、ショウガやわさびを下ろすのにとてもいい。もう30年使っているので歯が摩耗してしまったのが残念で、もし京都に行くことがあったら買って来ようと考えている。
それとあと一つは、シルバーのタング・スクレーバー。
タング・スクレーバーというのは「舌こそげ」で、インドでは口腔内のお掃除として毎朝使っているらしい。
いろんな材料でできたものがあって、シルバーはそのなかでも最高級品だとか。
私の友人がアーユルヴェーダ医院で買ってプレゼントしてくれたもので、これももう30年来毎日使っている。
実用品はシンプルで作りのしっかりしたものがなによりで、買う時には値段が高いなと逡巡しても、結局は安い買い物となる場合が多いので、エイヤっと思いきることが必要だと思う。

これら台所用品のほとんどは高峰秀子が夫のために一日三回の料理を作るために揃えたモノ。
もし彼女一人ならば、料理はしなかったかもしれないと言う。
それが証拠に、ある日松山善三が留守のランチ時に、彼女はインスタントラーメンを片手鍋からそのまま食べて唇を火傷しそうになったとか。。
それを読んで、私もあり得るかも。。と思ってしまった。
料理ってつまりは自分のために作るのではないんですよね。
食べくれる人がいるから一生懸命に作るのだ。
だからせめて「美味しい」と言って食べてもらいたいものだけど、作れることが、幸せなのかもしれない。

美しい本でした。

posted by 北杜の星 at 07:35| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月28日

金原ひとみ「クラウドガール」

昨年秋から暮れにかけての朝日新聞に連載された小説。
かなりエキセントリックな小説の始まりだ。この激しさで新聞読者を引き込もうという意図ならば、成功したのではないだろうか。

刹那的にストレートに生きる高校生の妹の杏。
マレーシア留学から帰ったばかりの大学生の姉の理有はとてもバランス感覚に富む聡明な女性。
彼女たちは二人で住んでいる。小説家だった母は2年前に突然死んでしまった。
母と離婚した父はフランスにいる。

タイトルの「クラウドガール」にあるように、現代社会のコミュニケーション手段であるsnsなどがふんだんに出てくるし、最新のダンスなどの若者t文化も出てくる。
けれど作品の底には、母と娘、姉と妹という人間のベースとなる家族間の関係性が横たわっている。
どんなに時代が変わっても、変わらないのが家族の愛憎なのか。

神経症的な母を支えるためにずっと家事や事務手続きを担ってきた理有。
理有に甘え頼りきっている杏。
しかしそう見える図式だけではないことは、すぐにわかる。(そうでなければ小説として成立しないものね)。
包容力を求めて求めて叶わなかった理有が、母を憎むのではなく同化しようと生きてきたことの苦しみ。
チャランポランでいるようで周囲のことは案外しっかり見ている杏だが、ボーイフレンドの浮気をいつも許してしまうのはなぜなのか?
いつものかな原ひとみらしく、ヒリヒリとした感情がもつれあう。
とくに女性たちの感情の層の重なりは複雑で、それに較べると登場する男性たちのなんと単純なこと。

えーっ、こんなラストなの?!という終わり方に唖然慄然としてしまったのだが、納得はできた。
これ以上の不安定感は読んでいても苦しい。
杏と理有の10年後、20年後を知りたい気がする。
男たちは立ち位置は変わろうとも何も変わらないような気がする。杏のボーイフレンドは他の女性と結婚しても相変わらず浮気していそうだ。
でも、杏と理有はまったく違った人間になって違う人生を歩んでいるのかもしれない。
posted by 北杜の星 at 08:04| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月27日

実業之日本社「ブルーガイド 奈良 大和路」

ハッチの不在はまだまだ慣れないけれど、窓の外はポカポカ春の日差し。
いつまでも落ち込んでいたら、あのハッピー・ハッチが心置きなく天国へ行けない。
ハッチが寂しがるし、年老いた彼女を他人の世話に託して出かける気持ちになれなくて、もう3年ほど二人一緒に遠出はしていなかった。
昨年は一泊の近場に4回ほど行っただけ。それも昼前に出かけ、昼前に帰る。。そんな旅行とも言えないあわただしいお泊りだったので、どこか行こうかということになった。

「春は奈良でしょ」と、奈良好きの私が夫を誘うが、「奈良は田舎くさい」と腰が重かったものの、「ハッチを失ってかわいそう」の気持ちがあるのか、今回は「行こうか」と乗り気になった。
それならと、ガイドブックを買うことに。
最初は「るるぶ」を買ったのだ。(名前を出してごめんなさい)。
でも(私が言うのもナンですが)、あまりの品位と教養の無さに口あんぐり。おまけにあのレイアウトの騒々しいこと!
あんなの持って奈良のてくてく歩きはできません。
(東京に住んでいたら、日本橋の奈良のアンテナ・ショップ「まほろば」でいろいろなリーフレットなどもらえるのですけど)。

それでネットでガイドブックを探した結果、これならまぁ許せるかと手に入れたのがこの本。
「てくてく歩き」と銘打ってあるように、電車やバスで巡る旅がメインとなっている。
記事は多くはないけれどざっと見るには十分の内容だし、写真も整然としている。
日本の旅行ガイドブックには「グルメ」がほとんどで、旅というのは食べに行くばかりが目的ではないでしょと、食いしん坊の私でさえゲンナリするくらい、レストラン記事ばかりのものが多いけど、これもまぁ許容範囲だ。
エリア別のそのエリア分けも悪くない。
この本を抱えて奈良を歩くのも、あり、ということになった。
もう40年も前、私が奈良に通っていた頃には、和辻哲郎の「古寺巡礼」を携えていたもので、あぁ、あの頃の私は今よりはずっと賢かったのだなぁと思いますね。

それにしても、日本のガイドブック、もうすこしなんとかならないものか?
フランスにはミシュラン・グリーン・ガイドがあるし、イタリアにはツーリング・クラブ・イタリアーノのガイドブックがある。
どちらも歴史や文化の紹介本として、都会から小さな村まで網羅しつつ、星で見るべき重要性が分類されている。
例えば、★★★なら、「わざわざでも行って観るべし」、★なら「そこに行ったのなら観てみれば」という感じで紹介いしてあるのだ。
ミシュランもツーリングクラブも車での旅行を目的としているガイドブックなので、地図が詳細で、「この道の右側は美しいですよ」のア案内もある。

長い間、ツーリング・クラブ・イタリアーノの日本語版は出版されていなかったのだが、十数年前に「イタリア観光協会公式ガイド」として、日本語版が出た。
イタリア語版と日本語版、両方を持っているが、イタリア版の方が情報量が多いようだ。
最初はチンプンカンプンのイタリア語でも、毎日毎日見ていると、なんとなく意味がわかってくるから不思議。
だからイタリアに行く時には、イタリア語版を持って行く。(前勉強として日本語版を読む)。
旅行していて、同じ本を脇に抱えたイタリア人観光客に出会うと、お互いににっこり親近感が持てるのもいい。
そうそう、このガイドブックにはまったく写真はないのです。
街の地図の上に教会なら教会の絵が書いてあって、★の数によってその絵の大きさが異なっている。
字が小さいのが玉にキズなのだけど、大きな信頼感のもてるガイド・ブック。
どうして日本にはああいう観光本がないのでしょうね。

まぁまぁとは言ったものの、この実業之日本車のブルーガイドに100パーセント満足しているわけではないです。
お勧めのガイドブックがあれば、どうかご教示ください。
posted by 北杜の星 at 08:06| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

ハッチの週間身辺雑記

気温が低く霜の降りる朝があっても、日中の日ざしは高く強くなり、暖炉を焚く時間がめっきり短くなっています。
このあたりは梅が満開。
枝を切るのがイヤな夫なので、我がの梅は下の方だけ花をつけ、それでも健気に香りを漂わせてくれています。

その夫は花粉症で、この良い時期を毎年苦しみます。
春は外仕事が多くなるので、ますます大変。
何かの統計によると、ここ山梨県は日本でもスギ花粉の飛散がとても多いらしいのです。スギだけじゃなくヒノキだってたくさんあるしね。
だけど歳をとったためか以前ほどの症状はなくなったようで、鼻水に馬油を塗るくらいで収まっているのがありがたいです。

私の花粉症は目にきます。つくづく目が弱いのかもしれません。
でも今年は花粉対策用の偏光メガネを買ったので、それがしっかり目を花粉からガードしてくれます。これ、なかなかのスグレモノ。
眼鏡といえば、先月東京に行ったときに、列車内かレストランかわからないのですが、医療用の遮光レンズのサングラスを紛失してしまいました。
遺失物係などに連絡したのですが出てこない。
あの遮光眼鏡を手に入れるまでにはほとほと苦労した経緯があるのです。

眼科の先生が遮光眼鏡は私の目の疾病の特定疾患患者は、自治体の補助が受けられるというので手続きを始めたのですが、これがすごく煩雑。
そのややこしさに音をあげて、「先生、もういいです。自費で買います」とギブアップ。
それが今回は、身体障害者手帳2級を交付されたので、びっくりするくらい簡単に補助がおりました。
あの赤い手帳はまるで黄門様のご印籠のようでした。

度付きサングラス、近視の眼鏡、老眼鏡(2)、遮光眼鏡、花粉症対策偏光眼鏡、オーバーサングラス(2)。。今数えると8つも眼鏡を持っているんですね。
その他に、薪作業をするときに目を守るゴーグルもあるし。
私は眼鏡お大尽です。
でもこれ、全部必需品。お洒落用でないのがすこしさみしい。

もう2週間もすると衣替えです。
春になると何を着ていいのか悩みます。
気分てきにもう黒っぽいものは着たくないし、かといってパステルカラーは絶望的なほど似合わない。

春になるとよく着られるトレンチコートは好きじゃないし。
でもまだ風の冷たい日があるから、何か羽織るものがほしい。。
うーん、ホント、困ります。みんなはいったい春のワードローブってどうなっているのか、聞きたいです。
このところ私はロング・カーディガンを着ることが多いけど、あれはだらしなく垂れたお尻を隠してくれるので重宝していますが、そろそろもうウールというわけにはいかない。
かといってまだ麻というわけにもいかない。。
きちんとしたジャケットは着て行く場所がないから今の生活には不要と、昨年すっぱりと捨ててしまった。
せっかくモノを減らしたのに、また服を買うのかなあと忸怩たる思いでいます。

そういえばハッチは白黒の猫でした。
黒い服を着ている時には白い毛を、白い服を着ている時には黒い毛をつける名人でした。
ハッチがいなくなって2か月になるのに、まだセーターに毛がついていることがあって、胸がシンとします。

posted by 北杜の星 at 08:13| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月23日

恩田陸「失われた地図」

「蜜蜂と遠雷」で恩田陸が直木賞を受賞したとの報には、うれしいというよりもホッとした。
もっともっと前に受賞していい書き手だったからだ。
遅きに過ぎると、多分誰もが思っていたこととだろう。
この「失われた地図」は彼女の受賞後第一作目の作品だそうだ。
「蜜蜂と遠雷」とはまったく違うストーリーだが、ジャンルを超えた小説を発表する彼女も、デビュー当時はファンタジーっぽいものをよく書いていた。
この本は、そういう括りになる小説だ。

ファンタジーというと、ふわふわピンク色のやわらかなイメージがあるかもしれないが、これはそうではない。
暗い闇の部分を描く物語である。
そしてこれは、読む人にとっては、なにか近未来への予言のような印象もある。

錦糸町、川崎、上野、大阪、呉、六本木・・
それらの土地では過去に闘いや戦争があった。旧日本軍関連の跡地であった場所もある。
人間の欲望や権力志向が渦巻いていたところ。
そんな忌まわしい過去を引きずる土地には、「裂け目」がある。
その裂け目から、亡霊のような「グンカ」がわらわらと出てくるのだ。
裂け目があるところには災厄が起こる。大事故や大火事や爆発。

それを避けるために、元夫婦の遼平と鮎観、俊平の甥の浩平は命を賭けて「グンカ」と闘う。
どうやら彼らはある一族の出で、これまでもずっと彼ら一族はそうした闇の勢力と闘ってきたようだ。
遼平たちには一人息子がいるが、なぜ彼らが離婚したかの真相は、最後の最後で明かされる。

「グンカ」は何かのメタファーなのか?
ここで恩田陸は何を表現したかったのか?
これは彼女の「反戦」のメッセージなのか?

いろんなふうに考えられる小説で、私は面白かったです。
この登場人物たちのキャラが際立っているので、これで終わりというのが少々残念。是非シリーズ化してほしい。
遼平と鮎観が交互に主人公となっての語りだが、必要最低限の言葉しか発しない浩平を、次回は主人公に置いてもらいたい。

直木賞受賞後としては、肩の力が抜けこういう作品、なかなかの選択だと思う。
「蜜蜂と遠雷」のようだとどうしても出来を比較してしまうもの。
軽いようでいて、内容はじつはシリアス・・これで良かったと思います。
posted by 北杜の星 at 07:14| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月22日

穂村弘野良猫を尊敬する日」

ひさかたぶりの穂村弘。
つい最近会った友人もちょうど穂村さんの本を読んでいるとかで、「ホント、穂村さんってヘンな人だよね」という話しになった。
彼のこだわりようはつくづくヘンだと思うし、またそのヘンさが妙味ある文章で書かれているのだから、つい読みたくなってしまう。
こんな穂村さんにはたくさんのファンがいて誰もが彼のヘンさ加減を楽しみながら、でも楽しいと感じるということは、みんなにそんなこだわりの方向性が程度は違ってもあるということなのだろう。
にやにや笑いながら「うん、でもまぁ、わかるかな」と思ったり、「こんなにもヘンでないな、私」と安心したり。。

この本はいろんなところに書いたエッセイをまとめて一冊にしたものだそうで、だからなのか、まとまりがない。
あれこれとつまみ食いみたいな軽さの読みものとなっている。
本自体も薄くて軽くて、でも1400円(本体)もするんですね。私はライブラリーで借りたから良いようなものの、買った人には少々お気の毒な気もする。

なにか一つ、穂村さんのヘンさぶりを紹介したいと思う。
「逃げ出すライン」という文章がいいかな。
穂村さんはある日、直接の知り合いではない友人の友人という間柄のお家に2泊させてもらったという。
その夜に客間に敷かれた布団を見て、「絶対におねしょはできないな」と奇妙な怖れがおきたそうだ。
だけど穂村さん、別に普段おねしょ癖があるわけではないのだ。
緊張しながら熟睡できなかったことだろう。
ここまではわかる。もしかしたらそんな恐怖を感じるかもしれないものね。

だけど、ここからがヘンな穂村さんたる所以の穂村さんなのだが、なんと彼は自宅に戻ったその夜、おねしょをしてしまったのである。
プレッシャーから解放されたからか、おねしょできる「自由」を得たからか。。い
もう一度言うが、彼にはおねしょ癖はないんですよ。
なんだか、ヘンな律儀さというか、彼の心のおもむくままの身体反応というものが、どうなっているのかわからなくなる。
これはやっぱり、すごーくヘンな人だ。
夜中にパンツを洗いながら、彼は情けなく思うより他の感情に包まれていたのではないだろうか。
(普通の人なら、「情けないなぁ、オレ」で終わるんだけど)。

うーん、こういう人をどう扱っていいのか?友人に持つならいいかもしれないけれど、家族はご免かも。
彼自身も自分をどう扱っていいのかわからないのかもしれない。
だけど彼が「書くひと」でよかった。書くことがたくさんありそうだものね。こんなヘンなことを感じて続けている限り、書くことには困らない。

エッセイは読んでも最近はかれの短歌はあまり見ていない。
今度、しっかり本職の短歌と向き合ってみよう。
posted by 北杜の星 at 07:15| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月21日

公益財団法人ライオン歯科衛生研究所「虫歯100年物語」

先週、夫と二人で半年ぶりの歯の定期検診とお掃除に行って来た。
私はとても気をつけて歯を磨いているのだけれど、それでも「磨き残しがあります」といつも言われてしまう。
でも聞いていると、誰もが同じことを言われているようなので、完全な歯磨きはできないのがフツーなのかもしれない。
この年齢になるとまわりには歯周病で何本かの歯を失ったひともいるが、さいわい私たちには歯周病はないと先生が言ってくれたので一安心だ。

私の幼い頃には虫歯の子どもが多かった。虫歯って寝る頃になると痛むんですよね。
広島の方では歯が痛むのを「歯がうずく」と言ったけど、あのうずきは泣いたものだ。
この本に書いてあるが、明治時代、子どもの虫歯の罹患率は96パーセントだったそうだ。すごい数値である。
それが現在は、子どの虫歯は1本を切っているという。

これは歯磨きいの習慣が根付いたためだ。
朝起きたら歯を磨く、昼食・夕食後にも磨く、そして寝る前にしっかり磨く。
これが虫歯と歯周病予防になっている。
しかしそれだけではない。最近では歯周病は口腔内の問題だけでなく、体全体、例えば心筋梗塞や肺炎、糖尿病などの重大な疾患の原因ともなっているそうなのだ。
歯周病になると細菌が増えて、それが血管を通して体全体に回る。
要介護にならないためにも、口腔内を健康に保つ必要がある。

口腔内の状態を日本人が意識するようになるには、小林富次郎という人の努力があった。
文明開化と言われてもまだまだ口腔内衛生に関しては暗い世の中で、彼は「事業を通して社会に貢献したい」という信念を持ち、歯磨きの重要性を啓発し続けた。
熱心なキリスト者であった彼は事業が成功した後には、「事業収益は社会に奉仕すべき」と社会活動に力を入れた。
学校を出ていない社員には学校に通わせるなどもしたそうだ。

そういうことを書くと、この本がいかにも「ライオン」の宣伝のように思えるが、読んでみるとまったかうそういう印象はない。
日本の歯磨きの歴史いが詳しく述べられていて、とても興味深い一冊である。
歯は大切とは思っていたが、実は歯のことをほとんど知らなかったことに気付かされた。
読ん良かった本でした。

歯科医院でレントゲンを撮りますよね。あれは本当に必要なのか?と疑問がある。
見ただけでは、被せてある歯の内部はわからないかために撮るのだろうけれど、いやだなぁ。
先週行った歯科医院では「2年、撮っていないから」と今回言われてレントゲン室に入らされたけれど、私も夫も二人とも「撮らなければいけないの?」と言ってしまった。
夫婦が同じことをほとんど同時に言うのだから、先生も歯科衛生士さんもたぶん、何か感じただろう。
健診などのレントゲン検査の害って、結構あるんですよ。
WHOでも、むやみやたらにレントゲン撮影いをしていると、癌になるリスクが高くなって、とくに日本ではそれが大きいと最近では言われるようになっている。
posted by 北杜の星 at 07:43| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

小林弘幸「ゆっくり動く人生がすべてうまくいく」

助手席に私が乗るやいなや、まだドアを閉めていないのに車を発進させる、せっかちな夫。
そんな夫を怒ってどなる、短気な私。
そう、私たち夫婦は「ゆっくり」とはほど遠く、いつも「速い」ことを旨として暮らしている。
歩く、話す、食べる・・なんでも速いんです。
私たちのまわりにも、どちらかというとせっかちでキビキビ動作の人が多い。
ただ一組だけ、「ゆっくり」夫婦がいるかな。
とくに男性の方は、食べるのも話すのも、すべてがスロー。
もう次の話題に移っているのに、「あれはぁ、どういうこと?」と前の話をぶり返したり、そのスローぶりがカワイイ。
そういう男性にはやはり、ゆっくりの妻がいて、お互いにイライラしないようにうまくいっているのが、おもしろい。

この本の著者は順天堂大学医学部教授。スポーツ・ドクターとして有名アスリートやアーティストなどのコンディション指導をしている。
ゆっくりを提案すると、彼らのパフォーマンスは向上するという。
そのことは小林先生自らの体験にも基づくもので、以前はセカセカと動いていたが、ゆっくりにしてら、すべてがうまく運ぶようになったそうである。

ゆっくり動けば、副交感神経が張り出して、疲れ知らずの体と心になる。
現代日本人はいつも交感神経の日々を送っていて、それがストレスや病気の原因になっているらしい。
しかし動きのリズムを変えるのはそう簡単なことではない。
これまで何十年もの間の習慣だだらだ。

まず、「話す」ことからゆっくりを始めてみようとのこと。
うーん、私はけっこう早口だなぁ。
それにゆっくり喋る人の言うことを聞くのも、どうも苦手。
例えば、皇室の方が記者会見などで話すあの「ゆっくりさ」に耐えかねる。
なんであんなにスローに話さなきゃいけないの?思っていることの半分もあれじゃぁ、話せないんじゃないの?という感じ。
まぁ、私が上品ではないということか。

「ゆっくりにすると、人生がうまくいくんですって」とこれを読んで夫に言ったら、彼は「今のままで充分うまくいってる」とノタモウタ。
アクティヴな友人も「ゆっくりだと、かえってイライラするよ」と言っている。
小林先生、どうしたらいいですか?
posted by 北杜の星 at 07:29| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月18日

ハッチの週間身辺雑記

天気予報では「ところによって雨か雪」と毎日のように言っているのに、一滴も降りません。
春は南風に乗って、下の畑から土埃が舞いあがって来るので、お湿りがほしいところ。
花粉症の夫にも雨はありがたいでしょうに。
でも降らないのはこの里だけで、南アルプスや八ヶ岳は真っ白。春の日に照らされてとても美しい。

先週は少々体調がすぐれなかったけれど、今週は絶好調。
このろ家に居てもなんだか忙しいのです。
朝食は夫の担当でも、昼・夕食は私。毎日2回となるとメニューに四苦八苦。
二人だけの時は本当におざなりで、反省、反省。
だから友人がやって来てくれると、夫は美味しいものが食べられると、嬉しがります。
週に一度はなんだかんだと理由をつけてのお客さまとなっています。

ところで、夫の車が新しくなってほぼ1年。
古いキャトルとこれまた古いベンツを処分して、アバルト500に乗り換えたのでした。
そのアバルトは16インチのタイヤを履いているのですが、夫にはこれがどうも「かっこ悪い」らしく(でも16が純正なのです)、ホイールつきの17インチタイヤをオークションでゲット。
タイヤ交換と不要になるホイールを引き取ってくれるタイヤ業者まで出向いたのは木曜日のこと。

私はどうにもこういうのが理解できないんですよね。
「かっこ」だけのためになんで、十数万円も出してタイヤを変えなくてはいけないのか?
20代の若い男の子ならいざ知らず、70ジイさんが。。
交換後の彼を見ていいると、まるで子どものように「良くなっただろ?」とホクホク顔なので、まぁ、いいかと思うのだけど、どうも心から納得はしてない私です。
だって私の目には、なんら変化が感じられないのですから。

そのタイヤ交換には我が家から行ける業者は、甲府と長野県の伊那に2軒ありました。
どちらに行くかの迷いはまったくなくて、「伊那!」に決定。
というのは伊那には素敵なデリカッテッセンがあるからです。
「クラベ・コンチネンタル・デリカテッセン」という長い名前のお店で、つまりはテイクアウトのお惣菜産さん。
日本のお惣菜ではなくイタリアンというのが「コンチネンタル」のワケ。
ここはテイクアウトだけでなく、イート・インもあって、4人掛けのテーブルが3つとカウンター席があります。
アンティパストがずらりと並び、好きなものを1個とか100gとかで注文すると、温かいものは温めて出してくれます。
それから店ご自慢の手打ちパスタが何種類か、そしてこれがここでは人気なのですが、ガレットも何種類かあるのです。

イタリアンにガレット?と思うかもしれませんが、ここのシェフはじつはフランス人。
南フランス出身なのですが、ブルターニュ名物のガレットを作ってくれるのです。
私たちは前回も今回もパスタを注文したのですが、かなりのお客さんが男性を含めてガレットを食べていました。
次回は是非、ガレットにしてみます。
ここは本当に私好みのシンプルな味で、なんというか、日本風にアレンジしていないのです。
小麦粉は長野県産の地粉だし、野菜も近所で採れたものを使っているけれど、いわゆる「創作料理」ではなく、「コンチネンタル」な味なんです。
最初行った時には何の予備知識もなかったから、シェフがフランス人というのも知りませんでしたが、一口食べた時、「よくこの味を出しているな」と感心ました。
厨房を見たら背の高い外国人が居たので「あぁ、やっぱりな」と思ったのです。
伊那のようなごくごく小さな地方の町に、こんなお店があるなんて、恐るべし日本、です。
17インチタイヤの件では機嫌が悪かった私も、食べ終わる頃にはニコニコとなっていました。
美味しいものってみんなわかるんですね。タイヤ屋さんで思いがけなく時間がかかってランチには遅い時間に入店したというのに、続々とお客ささんが食事に来ていました。
4人連れの男性たちが「ガレット!」と頼んでいるのって、かわいかったです。

点字の本を読んだり、このブログのために印字の本を読んだり、点字を書くほうもしなければいけないし、視覚障害者用のPC練習も宿題だし、すごーくすることが多くて大変です。
今は点字を読むことが楽しくて、ついそっちの方に時間をとってしまいがちになりますが、毎週電車でPCを教えに来てくれる先生と、ソフトがたくさん入れてあるPCを貸し出してくれる眼科の先生に申し訳ないので、PCも一生懸命復習しています。
でも音声がけっこう耳ざわり。なるべく一人のときにするようにしています。
まだ見えているので、つい目に頼りがちになってしまい、アイマスクを買おうかと思案中。
こんな年齢になって、新しいことを学ぶのは、ボケ予防にいいはずと信じて、頑張っています。

3連休なのですね。八ヶ岳のここもそろそろ観光客が訪れる頃となります。
冬期閉店だったお店もオープンとなることでしょう。
私の友人のギャラリーも、オープン前の準備で忙しくしているはず。
いろんなことが動き出す春、私も体を伸ばして動くことにしましょう。
posted by 北杜の星 at 07:53| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月16日

津村節子「紅梅」

7冊目の点字本。少し前に吉村昭を読んだので今回は奥さんの津村節子のもの。
これまであまり彼女の本は読んだことがないのだが、吉村昭の死に関する小説は興味があって読んでいる。
(彼女年代やそれ以前のいわゆる「女流作家」がちょっと苦手なんです)。

吉村昭の舌癌が見つかって、その治療をしている時の検査で、膵臓癌も発見されてからの闘病記録。
同じ作家として多忙を極める妻の気持ちが細やかに描かれている。
一応、小説のかたちをとっているけれど、完全なる私小説だ。

津村節子を読んでこなかったように、吉村昭の本も読んではいない。
とくに資料を綿密に調べた巨大軍艦や地震に関してのものには手が出なかった。
でも彼の短編は大好きで、若い頃に結核療養し絶えず死と向き合って生きた彼ならではの人生観に基づく小説は素晴らしいと思う。
それと、私には彼のことを「人生の達人」ととらえているところがあって、そういう意味でも興味があったのだ。
吉祥寺の街で数回ほどお見かけしたこともある。

井の頭公園に隣接した自宅には、夫と妻の書斎があり、夫は自分の書斎を気にいっていた。
庭には紅梅が見えた。
手術で膵臓摘出、十二指腸と胃の部分的切除・・
舌癌は根治したものの、抗がん剤の副作用で体は酷いダメージを受け、免疫療法にまで手を出すが、結局は最期を自宅でということになった。
担当医であった国立大学付属病院の教授が往診にやって来たが、それは往診というよりも、家族に引導を渡すためであった。
敏感な夫はそれを察知し、「もう、死ぬ」と言って、弱った体のどこにそんな力が残っていたのか、カテーテルや点滴の管を自分で引っこ抜き、妻がマッサージしていた体を回転させて、まるで妻の手から逃れるように死んでいった。。

すごい覚悟である。
そうしたいと考えていたとしても、なかなかそんなふうにできるものではない。
最後のその場面を読むと、どんな言葉をなくしてしまう。

それにしても、癌治療の凄まじさ。
外科医はあっさり手術をしましょうと言うけれど、抗がん剤を使いましょうと言うけれど、余命の貴重な時間のQOLをどうしてくれるのか?!と、腹立たしくなってくる。
そんな医師たちを信頼している患者と家族が哀れで悲しい気がする。

死期を前に経済的なことに細かくなった夫は、遺される妻のために、相続税や所得税や二人のお手伝いの給与などの心配をしている。
家族と近しい友人への遺書もまた、悲しい。

作家である夫と妻は毎年頭に、担当編集者たちを集めて自宅で新年会を開いていたそうだ。
料理をするのも運ぶのも妻。
その席で、夫が「育子、育子(小説内の妻の名)」と呼んでいたよら、妻の編集者が「えらそうに、呼ばないでください」と憤然と言ったとか。
自分の担当作家がそんなふうに呼ばれるのが、いたたまれなかったのだろう。
ある作家は彼らのように夫婦で作家の家庭を「地獄だ」と言ったというが、吉村昭と津村節子にとってはそうではなかったのだ。

しかし妻は、夫が妻に絶望して死んだのだと罪悪感に苛まされる。。

これ、印字本でも読んだのだけど、点字で読んで、最後の場面に涙してしまいました。
印字では泣かなかったのにね。不思議です。
posted by 北杜の星 at 07:15| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月15日

ハッチよりのお断り

大変申し訳ありません。

手違いがあり、数十日分の記事を消失してしまいました。

明日から新たに書きたいと思いますので、よろしくお願いします。
(どうもナニカしている最中に、削除してしまったようななのです。
目が悪いので、困ったものです。。)
posted by 北杜の星 at 16:18| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする