2017年04月29日

ハッチの週間審判雑記

いよいよゴールデン・ウィークですね。
途中を休めばけっこう長い休暇となるので、旅行するひとが多いことでしょう。

こちらは今、山桜がきれい。
鶯も鳴き始めています。冬鳥と春夏鳥jの入れ換わりとなりました。
これからは「山笑う」の季節。山の緑の重なりは目を奪われるほど美しいです。

先週、目がゴロゴロして眼科に行ったら「逆さまつげ」と言われたt書きましたが、これって加齢現象なんですって。
つまり目の周りの筋肉が衰えて、瞼が目の内側にめくれるのが原因だとか。
眼瞼下垂という、上瞼が下がって眼球の真ん中より下にきて、モノが見えにくくなる病気は知っていて、これは私の夫も数年前に手術をうけました。
(この手術は美容整形なら手術費が高いのですが、病的な下垂ならば健康保険が適用されます。術後、先生は夫に「カワイイ目になりましたよ」と言ったそうです)。
内側に瞼がめくれるなんて考えてもいませんでした。
歳を取ると本当にいろんなことが起こるんですね。
軽いステロイド剤目薬で、4日間で治りました。

iphoneはまだ全然慣れません。
欲しない画面が出てばかりで困っています。これまで使っていたガラケーとはコンセプトがまったく違うので、まずこれに慣れることが肝心なのですが、頭の固くなった私には大変です。
でも早くリマインダーやメモなどを駆使できるようになりたいです。
それらもすべて「音声」で出来るのですが、これは見える人に訊ねてもわからない人が多いので、視覚障害者支援の先生にお任せしようと思っています。
でも、新しいことをするのは難しいけど、楽しい。
この楽しさがある限りは、まだ大丈夫かな?

山梨県北杜市といっても、市町村合併で新しくできた市の名前なので、全国的には周知されていないかもしれませんが、「清里」とか「小淵沢」があるところと言うと、「あぁ、あの」とわかるのではないでしょうか。
その小淵沢がこのところちょっと新しい風に吹かれています。
リゾナーレという素敵なホテルがあるのですが、リニューアルのためしばらくクローズしていたのが先週からオープンとなりました。
ここはホテルの建物がドーンとあるのではなくて、まるでイタリアの山岳都市のように「路」があって、その両側に客室が並んでいるという、かなり変わった造りで、そぞろ歩きにはもってこいなのです。
これまで何回かオーナーが変わっていて、現在はあの星野グループの経営となっています。
山梨県や長野県の若い女性にとっては憧れの結婚式場でもあります。
だけど、客室の下にあるショップはどうもパッとしなかった。美味しいカフェもあまりなかった。どの店の小品も値段が高過ぎ。
でもリニューアル後に覗いてみたら、かなり期待できそうなお店が並んでいました。雑貨の店もセンスあるアウトドア派になっていたし、ちょっとランチすrにも気軽に利用できそうなところが多くなっていました。
GWはすごい人となることでしょう。

ランチと言えば、これも新しいお店が小淵沢にできたのです。
アルソアという自然化粧品が小淵沢に本社を持っているのですが、この本社はイタリア人有名建築家のマリオ・ベリーニ設計で、社員食堂は玄米菜食。
なかなかお洒落な会社です。
そこのすぐ近くに新たな施設が出来たのです。ホールとか研修施設とかがあるのですが、カフェ&レストランもできました。
建物は若手日本人女性建築家。施設の「女神の森」、カフェが「奏樹」というネーミングには気恥ずかしいものがありますが、空間は素晴らしい。
早速ランチに行ってきました。
ここもアルソア本社と同じように、基本的には玄米菜食。三つあるメニューに一つだけサーモンが入っているのがあってこれを注文。
サラダは好きなだけお替わりをボールで持って来てくれます。私は2回もお替わりしちゃいました。
プレートにはいろんな種類の野菜や粟などの穀物。男性でもこれならお腹いっぱいになるんではないかと思わるくらいの量でした。
爽やかな広々としたスペースで、これから周りの緑が整うともっと落ち着くことでしょう。
リゾナーレにしてもここにしても、訪れる場所が増えるのはうれしいことです。
昨年火事を出して休業していた清里の「ロック」も、今週から再建されました。
「ロック再建募金」が行われたほど「ロック」ファンは多く、カレーや地ビールの人気もさることながら、「ロック」の文化的役割はこのあたりの人たちにとっては伝説となっているほど大きなものがあるようです。

GWの私たちの予定はいまのところ、二つだけ。
今日のランチには蓼科時代の友人夫婦が恒例のGWテラス・ランチにやって来てくれます。
いつも笑ってしまうのですが、こちらは春でも蓼科はまだまだ冬っぽさが残っています。その証拠に彼らの服装が冬服のまんま。
それを見ると「あぁ、蓼科からだ」と思ってしまいます。
昨年ポルシェを買ったので、それに乗ってビュイーンとやって来ますが、旦那様のほうはワインを飲むので、帰りは彼女が怖々と運転して帰ります。
それがとってもカワイイ。

もう一つは明日のランチ。
絨毯ギャラリーがGWに催す珈琲と軽食の会に参加します。
我が家の暖炉の前に敷いてあるギャベはこのギャラリーで購入したもので、暖炉の火の粉が飛んでところどころ焼け焦げができていますが、しっかりしていて重宝しています。
食卓の下用にも欲しいのですが、「これはいいな」と思うものは、半額セール期間中でも100万円するので、とてもとても手が出ません。
夫は薄い絨毯よりは厚手のギャベの方がお気に入りなのですが、私は値段が高いのなら薄手のほうが好きです。
じゅうたんに関しては意見が合わないのがなによりで、もし合えば「買おうか!」ということになるやも。。
そうなれば大変ですからね。

もしかしたら、その他にも友人との食事予定ができるかも。
でも旅行とかはないです。静かに家出過ごします。
南アルプスも八ヶ岳もまだ白く雪をかぶっています。山桜と雪の山・・ここがもttも美しい季節なのです。

そうそう、毎年GWになると掘ったばかりの筍を届けてくれる友人がいるのですが、今年は筍が絶不出来と聞きます。
なにしろ掘って1時間以内の筍、そうでなくても筍大好き人間の私にはたまらない美味しさなのです。
どうなるのかな?もし採れなくてもそれは仕方ないので、せめていつものように顔は見せてほしいものです。
posted by 北杜の星 at 07:58| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月27日

色川武大「離婚」

9冊目の点字本です。
次の本を何にするかは、私の点字読みのレベルに合うものを探す必要があり苦心するのだが、今回は「是非、これ」とすんなり決まった。
というのは、友人夫婦の奥さんのほうと話していて、何かの話しの続きで「色川武大って、私の理想の男なの」と意気投合したからだ。
彼女の夫は外資系証券会社の為替ディーラーをしていた人で、彼女も元同僚。
現在51歳なのだが、すでに仕事をリタイア。悠々自適とはこのことかというほど、気ままに優雅に暮らしている夫婦なのである。
もう一生働かなくてもいいだけ、これまで働いてきたのだろう。
一緒に高級レストランに行っても、夫はテーブルで眠ってしまい「本当に、私、どうしていいかわからなかったわ」と彼女は今では笑うけど、そんなに大変に仕事をしてきた人だ。
その彼女は「私、博打をしない男は嫌いなの」と。
まぁ、為替ディーラーというのも一種の博打打ちのようなものか。

じつは私も彼女と同じ意見。
博打をする男って、どこか色気を感じてしまう。
だからといって私は小心者なので、博打打ちを夫にする勇気はない。傍から見て「あぁ、いい男だな」と他人事のように思うのが関の山。
そういう意味で、色川武大は私にとっては理想の男像に近いのだ。
もちろん単なるおバカなギャンブル狂いではないのは当然のことです。

「離婚」はもう40年も前の直木賞受賞作品。
私小説と思われるように、主人公は40代後半のフリーライター。
妻と離婚したが、つきあいは続いてい。どころか結婚していたときよりも「元女房」に対する想いが強く、元女房も夫に経済的にも精神的にも依存している。
つまりは「腐れ縁」なのだが、男と女の深淵がそこにはあって、「あなたたち、もう別れるなんてできないのよ」とその関係に悲しさとともにどこか安堵感を持ってしまう。

生活態度はだらしない、経済観念はゼロ。ワガママ自分勝手・・
まぁ、女としては魅力的かもしれないが、女房としては失格。
でもそんな元女房を前に主人公は自分も同類ではないかの自嘲がある。
彼女がそんな女だったのは「私を妾にしてよ」の最初の言葉でもわかっていたはず。彼女も彼女なりに彼を見捨てられない何かを感じていたのかもしれない。

Pity is aking to love,
夏目漱石は「三四郎」のなかで、「かわいそうだたぁ、惚れたってことよ」と訳したが、そういうことなんだろうな。
つまりはこれも「愛」なのだとしか思えない。
だからこそ、悲しみも面白みもあるのだ。軽妙なタッチで書かれているからこそ、それがより伝わってくる、
他に「四人」「妻の嫁入り」「少女jたち」が併載されている。

「少女たち」の冒頭で主人公が牛込納戸町の豆腐屋に豆腐を買いに行く場面がある。
この豆腐屋は私が以前住んでいた市ヶ谷砂土原の家のすぐ近くにあって、私もよく買いに行ったものだ。
小さい店だが、美味しい豆腐を売っていた。
色川武大の実家もその豆腐屋から近い牛込矢来町(新潮社があるあたり)だったので、あの周辺の店を知っていたのだろう。
もうずいぶん前にその豆腐屋はなくなったけれど。

それにしても作家の家族にはなりたくないものだ。
何を書かれるかわかったものではない。
じっさいに色川の奥さんの孝子さんはこれを読んで、自殺も考えたそうである。
「あることないこと」を書くのが作家とはいえ、つらいですよね。
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

岩崎啓子・石川みずえ「ちょっと具合のよくないときのごはん」

病院に行くまでもないけど、どうも胃の調子が悪い、なんだかオシッコの出が少ないし体がむくんでいる、飲み過ぎた・・なんてことが日常にはよくある。
少なくとも、私にはよくある。
病院へはよほどのことがない限りい行きたくない私なので、そういう時のためにどうすればいいか?は大切だ。

具合が悪いときには、「食べない」に限る。
風邪をひきそうだから体力をつけるためにたくさん食べようと考える人がいるが、あれは大間違いだ。
なぜなら、消化にはすごいエネルギーが必要で、体が弱っている時にたくさん食べると、そっちの方にエネルギーを使われてしまって、体の回復するエネルギーが少なくなるからだ。
若い頃ならそんな無茶もできるが、中高年になると、そんなことは止めた方がいい。

動物を見るとよくわかるが、彼らは具合の悪い時には「食べない」。食べずにひたすら体を休める。
人間もそれを見習う方がいいのではないだろうか?
ただでさえ中高年になっての美食や過食は、内臓だけでなく筋肉や関節にも悪影響を及ぼすという。
私は食べることにイヤシイ人間だが、一つだけ実行していることがある。
それは「食べない」こと、食べないでお白湯を飲むことの二つ。
これがとてもいんですよ。

けれど仕事をしていると、まったく食べないわけにもいかないだろう。長期になるとなおさらだ。
そんな時に、この本は何をどう食べればいいかを教えてくれる。
管理栄養士と医学博士の著者たちが、料理法を含めて紹介してくれている食品と料理には、昔ながらの知恵が詰まっている。
こういうものなら安心して体に取り入れらやすい。

症状別に書かれているのもわかりやすい。
目の疲労には人参。オシッコの出が悪い時には小豆、便秘にはおからやきのこ・・
ごく普通に手に入る食材なのが助かる。
食べものなので即効があるとは限らないが、食物繊維などは目に見えて効果がああるし、小豆も効果てきめん。
なによりも、薬と違って副作用がないのがいい。
「甘いものを食べても、本当の疲れはとれない」など、10のコラムには「なるほど」の説得力がある。

これから季節の変わり目。
自然の新陳代謝に体力が追いつかない日々になることもあるので、この時期は注意が必要です。
この時期に無理をすると、体だけでなく精神の不調も起きてしまいます。
お互い、気をつけましょう。
何度も繰りかえしますが、「食べない」ことも大切です。
間違っても「元気をつけるために、焼き肉、食べよう」なんて考えないこと!!
posted by 北杜の星 at 07:25| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

今村夏子「あひる」

今村夏子はいま私がもっとも気になる作家だ。
「こちらあみ子」のあの空気感がここにも漂っている。
この空気感をどう言葉で表現すればいいのか、「読んだらわかります」としか言いようがない。
ちょっと見には、ほのぼの、ふうわり。けれど底には残酷さ、恐ろしさ。
グサリと直接的ではなくて、じんわりといつの間にか深い傷となっている。

ほとんど引きこもりのように、医療関係の資格取得のための勉強をしている若い女性の「わたし」の家に、あひるがやって来た。
「のりたま」と名付けられたあひるは、通学路の小学生たちの人気の的となる。
あひるを見に来る子どもたちは、やがて「わたし」の両親の歓待を受けて、家に上がり込むようになる。
けれどあひるは衰弱しどこかへ運ばれ、戻って来たあひるは前とは違うあひるようなのだ。
それが繰り返されるが、両親は動物病院に連れて行くでもなく、ただ「祈る」のみ。そして新しいあひるについては誰もが口に出さない。

不気味である。恐ろしい。
「わたし」は両親から顧みられない無視された存在だ。
両親は弟の子、孫を待ち望んでいるが、その代替として小学生たちを異常なほど歓迎する。
それを傍観する「わたし」の感情は説明されていない。

しかし、3羽目のあひるが死んだとき、「わたし」はあひるの死骸を抱きかかえて、丁寧にお湯で洗ってやる。
その行為が哀切だ。
しかしここでも「わたし」の感情に対する説明はない。
この小説の中で「説明」があるのはただ一度、子どもの誕生日祝いに大量のご馳走を作ったのに、誰も来なかったその夜中に、一人の男の子がやって来てそのご馳走を食べて帰ったところにだけ、「わたし」の両親とあひるへの「気持ち」が書かれている。
(小説として、ここはある方がいいのか、ない方がいいのかは判じかねる)。
何気なく、すらすら簡単に読める作品だ。
横たわるものの深刻さに気付かないかもしれない。でもこれ、「こちらあみ子」よりある意味スゴイと思う。
芥川賞の候補となったが、確かに受賞には弱い部分があるかもしれないけれど、今回受賞の「シンセカイ」よりいい。
寡作かもしれないけれど、彼女は「書けるひと」だと思います。
次回の作品がどう出るか、とても楽しみ!
posted by 北杜の星 at 07:27| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

土井善晴「一汁一菜でよいという提案」

なんて素敵な本だったことだろう。
ここには日本のご飯の基本のみならず、日本人の食の哲学というか、食べることは生きることという強く優しい想いが伺える。

著者の土井善晴のお父さんは土井勝。私の母世代からすると、いわゆる料理研究家の先駆者として有名で、今では当たり前になったお節の黒豆をシワなく煮る方法などをわかりやすく教えてくれた人だった。
テレビが家庭に定着し、NHKの「今日の料理」の講師として、主婦から絶大な信頼を得ていた。
そのソフトな語り口は私もよく覚えている。
善晴氏はその後継ぎとして、お父さんがあまりにビッグネームだっただけに心配されたが、現在ではお父さんをしのぐほどの存在になっている。
その証拠に、こんなにも有意義な本を書く料理研究家となっている。
お父さんとは別の意味で、本当にビッグになったのだ。
高度経済成長期を過ぎたいまの私たちがどう生きるべきかの提案がここにある。

日本人の食卓はじつに多様だ。
伝統の和食に加え、洋食中華エスニックなど、外食で食べるだけではなく家で作って食べている。
そんな国は世界にあまりいないと思う。
イタリア人は一年365日毎日イタリア料理を家で食べているし、不味いことで知られるイギリス人だって毎日同じイギリス料理を食べている。
インドではカレーが常食で、家庭でパスタは作らないと思う。
なぜ日本人はこれほどいろんな国いの料理を作るようになったのだろうか?
(いろんな国の料理を作るから、調理器具や食器類も増えるんですよね)。
かくいう我が家のランチはイタリアンだし、ネパールカレーはかなり頻繁に作るし、時にはガレットなども焼いて食べている。。なんで?と自分でも思うのだけど。

しかし善晴氏はそんな必要はないのだと言う。
味噌汁をベースに、漬け物があって、主食のご飯があって、メインのおかずが一品あればそれで充足するのだと。
少ない料理を丁寧に作る・・
とくに味噌汁は日本人の食のベースとなるもので、ただ味噌を湯で溶くだけで味噌汁と呼べるほど、味噌の力は大きいのだそうだ。
(塩を湯で溶いても「塩汁」とは言わないとか)。

「食事」は食べると書くが、食べる行為だけで成り立っているのではない。
買い物に行き、下ごしらえをし、調理をし、食べ、後片付けをする。
食べることに関わる全てを「食事い」という言葉は指しているのだ。
もっと言えば、野菜などを作ることから始まるのかもしれないが、それは都会では無理なのでせめて感謝をして食べたい。

「食事」には日本人の美意識があった。
ハレとケの区別があった。
慎ましさと贅沢の区分けをきちんとしていた。
普通の暮らしの慎ましさが一汁一菜なのである。
そしてその一汁一菜にはちゃんと季節があった。

こういう本を読むのは本当にホッとする。
とくに歳をとって「今日は何を作ろうか」と言う時に、あまり考えなくてすむし、これで完結できるのがありがたい。
歳をとっていつも贅沢で美味しいものを食べるのは、なんだか強欲の塊のようで気味が悪い。少なくともそういうふうに老いたくはないと私は思っている。
そんな私にとってこの本は、清風のようなすがすがしい一冊だった。

どんな味噌汁を組み合わせればいいかも教えてくれてあるので、とても重宝します。
なによりもなによりも、ここには日本人の指標となる「食」があります。
お勧めの本です!!
posted by 北杜の星 at 07:32| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月22日

ハッチの週間身辺雑記

こちらの今年の桜は、昨日やっと2分咲きになったかと思ったら、今日はもう満開という感じで、気がせかされます。
火曜日の天気予報は悪かったけど、その日しかダメという友人夫妻に合わせて、「雨ならまぁ、部屋から桜を観よう」とお花見を決行。
そしたら夜中の強い風が雨雲を押しのけたのか、見事な快晴になってくれ、テラスは暑いほど。
6人のお客さまとともに計8人の宴は、蕗や高野豆腐の煮物、グリーンアスパラのサラダ、豚ヒレカツ、夫の作った出汁巻き玉子、いなりずしとおむすびなどなどを並べ、友人がこれはいつものようにホットサンドを作って持って来てくれ、みんなで楽しみました。
筍が今年は不作らしく、いい筍が手に入らず、煮物が少し物足らかったのは残念でしたが。
散会の後で冷蔵庫を見ると、先日知多半島で買い求めた、わかめとシラスの酢のものが鎮座していて、出すのを忘れたのに気付き、がっかり。こういうことは私にはよくあることで、いつも夫から「バカだなぁ」とあきれられています。今回も夫は台所のカウンタートップにシラスが落ちていて、「あれ、シラスの料理はないのか」と思ったそうで、思ったのならちょっと言ってくれればいいものを、、

このお花見には、友人の母娘が参加してくれました。
お嬢さんといっても結婚されているのですが、彼女の身長は176センチ!夫と同じ高さです。
女性がそれだけの背だと、ものすごく大きく見えますね。でも彼女はスレンダーでモデル体型。
素朴で、東京生まれなのですが、こちらの山の生活が性に合っているそうです。
赤ちゃんができたけど、妊娠8か月で突然母子ともに危険な状態になり、本当にお気の毒に赤ちゃんを失ってしまわれました。
母体も歩くことさえできなくなる衰弱ぶりが1年以上続き、、このところようやく体調が回復し、笑顔がもどってきました。
だから今回のお花見に顔を出してくれたのが、とってもうれしかったです!

今週のビッグトピックは、ガラケーからiphoneに替えたことでしょうか。
「えーっ、今までスマホじゃなかったの」と驚かれるかもしれませんが、私はほとんど家に居る人間だし、家には3台のPCがあるし、これまでスマホの必要性はなかったのです。
でもだんだん目が見にくくなったため、スマホ、それもiphoneの視覚障害者対応機能の優秀さに、とうとう買い換えを決意。
すべて音声でできるように、今週から先生に教えてもらうことになりました。
甲府からやって来て下さるこの先生は、これまで点字とPC教習をしてくださった同じ先生。
このK先生はこれらの教習以外にも、白状訓練や盲導犬との歩き方など、視覚障害者の生活支援をいろいろ教えてくださいます。
昨年7月から点字教習を始めたので、もう10カ月となります。
教習が終わっていろいろお話しするのが楽しくて、K先生が毎週訪れなくなったら、さぞ寂しくなるだろうと心配いですが、iphoneの習得には、電脳人間ではない私のことなので、きっと時間がかかると思われるので、もうしばらくはおつきあいができそうです。

この先生、優しい方なのですが、タスクはしっかり出されます。
同じ視覚障害のある方の練習のために、PCメールを送ったり、私の点字力アップのために上級者とのお手紙交換を言い渡したり、作文の宿題もばっちり出ます。
劣等生の私は、忙しいと、それらの宿題がはかどらず、つい「すみません。。」ということに。
でもメールはともかく、点字を書くのは集中する時間がなければ私のレベルではなかなか書けないのです。
家事をして、友人たちと付きあって、用事で出かけるとすぐに数時間経ってしまうし、印字と点字の本を読む暇さえこのところないほどなんだかんだと忙しい。
先生には悪いけど今週も「ごめんなさい」となりそうです。

このiphone、タブレットをつけてもらったので、これから旅行に行く時などに便利ですね。
さっそく夫があれこれいじって、何が何だかわからない画面が出るようになってしまいました。
トップ画面はどこ?と困ったものですが、こういう人間の方が、向いているのでしょうね。
だけど他人のスマホに手を出さないでほしい。。

奈良旅行に行く前日ごろから、右目がゴロゴロ不快でしたが、あれこれとあったり、少し症状が軽減する日もあって、眼科に行かなかったのですが、やっと時間ができて昨日、いつもお世話になっている先生のところに行ってきました。
私は疲れたり熱がでるとすぐに口唇ヘルペスが出るので、もし角膜ヘルペスだといけないと心配でした。(それにしては2週間も放置していたのですが)。
それでなければドライアイかなと。
診察結果はなんと、「逆さまつ毛」!
それほど長いまつ毛でもないので思いもしませんでした。抜いてもらって、目に少し傷がついていたので軽いステロイド目薬を出してもらいました。
3日もすれば薬はもう必要ないそうで、安心しました。
ついでに来月の定期検診もすませちゃいました。
右目の中心視力はもうほとんどないので、以後は視野検査はナシにしてもらうことに。
これで次回からは検査の疲れが少し減ります。あの視野検査って疲れるんですよね。だんだん検査機器が進化して時間が短縮されたとはいえ、ぐったりしてしまうのです。

あと数日は桜が残るかな?
でも標高の高いところに行けば、まだまだこれからのところも。
GWの観光客は桜が楽しめそうです。
posted by 北杜の星 at 07:30| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月20日

小林せかい「ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理有」

神田神保町にあるこの食堂のことは、なにかで知っていたが、詳しいシステムはこの本で知った。
これを書いたのは未来食堂のオーナーである小林氏だ。
未来食堂と名付けただけあって、そのシステムはこれまでにないユニークなもの。

この店はカウンター席のみの定食屋で、日替わり定食が一種類のみ。900円で提供している。
ここはオーナーの小林氏だけでまわしていて、従業員は誰もいない。
でもお昼時にはそれじゃぁ大変でしょ、と思ってしまうが、これが大丈夫なのだ。
50分食堂を手伝うと、1食分がタダになるのだ。
いつもはお客うさんとして来ている人が、今日はスタッフとして働く。報酬はその日の定食。
ずいぶん合理的なことを考えついたものだ。

うーん、だけど、うがった見方をすると、定食の原価は300円そこそこだよね。つまりは300円の報酬ということになってしまうのでは?
まぁ、お互いが納得していればそれで全然構わないのだけど。

50分を定食一食分で働く人のなかには、自分でその定食を食べずに、友人にプレゼントする人もいるという。
こういうのって、ちょっといい話。
だけどこの店、これだけでは終わらない。
もっと慈悲深く素敵な人がいるのだ。
自分でも食べず、友人知人にもプレゼントせずに、見知らぬ誰かにご飯を食べてもらう。
その無料食事券を店のドアに貼っておくのである。
ちょうど窮乏生活をしている人はその券をはがして使って、ご飯が食べられる。
なかには、本当のそうは困っていない人が使うかもしれないが、それはそれ、しかたない。
そういう善意がこの店で働く人にはある、ということ。

「ただめしを食べさせる食堂」というタイトルには、ちょっとひっかかる。なーんか、ゴーマン。
それにただめしを食べさせているのは、店ではない。店のオーナーではない。
働くお客さんが人間として上等なんですよね。
そうしたお客さん二負けないような人格の持ち主が小林氏なら、言うことは何もないです。
神保町の街で、未来食堂が繁盛してほしいです。
posted by 北杜の星 at 07:26| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月19日

門井慶喜「屋根をかける人」

1905年、一人のアメリカ人青年が滋賀県近江八幡の鉄道駅に降り立った。
商業高等学校の英語教師として赴任してきたのだ。
教師の仕事とともに彼にはキリスト教伝道師としてのミッションを強く持っていた。
彼の名は、ウィリアム・メレル・ヴォーリス。
この後、彼は日本に住み続け、日本に帰化し、日本に骨を埋めることになる。

英語教師はほんの2年でクビになってしまった。生徒たちからは慕われていたものの、仏教色の強い土地柄でのキリスト教伝道が学校側から嫌われたためだ。
しかしメレルには野心があった。
もともとが建築家志望でマサチューセッツ工科大学への入学も許可されていたのだが、故郷のコロラドから遠く、また体も弱かったため、建築家の夢を絶っていたのだ。
当時の日本はまだまだ西洋文化が根付いていなかった。メレルは日本に西洋建築で建物を建てたいと願った。
(彼の手がけた建築物は凄まじい数に及ぶ)。

メレルという人、敬虔なクリスチャンでありながら、「商売人」としての才能がとてもあったんですね。
近江という土地は江戸の時代から「近江商人」として名を馳せていたが、メレルにはその近江商人にも負けないほどの商才があったようだ。
彼の人懐こい人がらも幸いし、やがて注文がどんどんくるようになった。
顧客の紹介で、華族の娘と結婚したが、妻となった満喜子という女性はアメリカ在住9年の経験を持ち、子どもたちの新しい教育に意欲があって、メレルの良きパートナーとなった。

私は5年前くらいだろうか、この満喜子を主人公にした小説を読んでいる。
玉岡かおる著「負けんとき」という上・下巻の長い小説だったが、今回この本を読むことによって、メレル側と満喜子側からの視点で彼らの道程を知ることができて興味深かった。
華族がガイジンと結婚するには許可が必要だった時代に、価値観を同じくするメレルと結婚した彼女の勇気は、後のメレルの活動をも助けたようである。
ミッション学校を設立して、満喜子はその運営に心血を注いだ。

メンソレータムというハッカの匂いのする軟膏をご存知だろうか?
私の幼い頃は薬箱の中に、赤チンや正露丸などとともに、メンソレータムが必ず入っていた。ケガ、あかぎれ、肩コリ、頭痛などなんにでも効く万能薬だった。
そのメンソレータムの会社、近江兄弟社を設立したのも、メレルなのである。
ホント、商売が上手な人だった。
けれど彼も満喜子も建築やメンソレータムからの利益のほとんどすべてを、キリスト教伝道のために使ったのだ。私利私欲はまったくなかった。
そんな彼も第二次世界大戦中は近江八幡を離れることを余儀なくされて、軽井沢にひっそりと暮らさなくてはならなかった。
石炭も薪も手に入らない軽井沢の冬の寒さが彼の健康を害す原因になったようだ。

戦後、メレルが果たした役割はあまり知られていないが、マッカーサーに天皇制について進言した経緯はもっと知られてもいいように思う。
それに関して、メレルは天皇から京都御所に呼ばれ、直接謝意を表されているのである。
それから十数年後、当時の皇太子が正田美智子さんと知り合ったのが、メレルの設計した軽井沢テニスコートのクラブハウスだった。

近江は山陰、奈良とともに私の大好きなところだ。
現在でもあまり交通の便が良くないので、京都や奈良ほど観光地化していないのがいい。
見學すべきお寺が多いし、戦禍にあっていないため、メレル設計の建物もたくさん残っている。
白州正子の「かくれ里」をパラパラ見ながら歩いた大昔から、近江はあんまり変わっていないような気がする。
そうそう、この本でメレルがよく買っていた和菓子の種屋さん、いまも「たねや」として立派に美味しい和菓子をつくり続けています。
posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月18日

行本昌弘「老廃物を流す『官足法』で治る!」

健康本の多いこと。頭の先から足のつま先まで「ああしなさい」「こうしたらいい」と、すべてを実践していたら一日が終わってしまう。
どれも簡単にできそうなのだが、それが落とし穴で、簡単なほど取り組みやすいが、すぐに忘れてしなくなる。
私は医者嫌いなので、なるべく医者にかからなくてすむような自然療法的なものに手を出す傾向がある。
と言っても、こうした本は自分のお金ではなかなか買わない。さいわいなことにライブラリーにわんさと置いてあるので助かる。
新刊本をチェックする際に、おもしろそうな健康本があれば、借り出して読むようにしている。
だからこのブログで健康本の紹介が多くなる。

ホント、いろいろある健康維持法だが、足は大切。とくに足裏にはさまざまな体のツボがある。
30年前、その足をもむ、押すという「官足法」が日本に上陸してブームとなったが、その第一人者がこの本の著者。
「官足法」とは足反射区を刺激することで、悪いところを治すというものだ。
(反射区は体のあらゆる部分に散在いしていて、肩凝りのちきに肩を揉むだけではなく、肩の反射区を刺激すると治りがはやい。)

足の裏を押す「棒」があるんです。
手もいいのだけれど、あの棒を使って足裏を押すと、ものすごく痛い。だれかに押してもらっていると思わずその人を蹴っちゃうくらい痛い。
しかも体の悪い部分のツボほど痛いのだ。
でも、痛いほうが効くそう。

足の裏だけではなく、甲の部分を押すことも忘れてはいけない。
指と指の間の筋にそって、すーと押すと、これもかなり痛い。これはリンパの流れが良くなるそうだ。
また、足首、ふくらはぎ、膝など、とにかく膝の上あたりまでをケアしてやること。

私、これは信じている。というか、古来より正攻健康法だと思う。
足裏棒はああるけど、別にそれを使わなくても指でOK。お金がかからないし、坐っていても寝ていてもできる。
こういう健康法は即効性がないと思われがちだが、そんなことはないようで、風邪やインフルエンザ、しゃっくり、帯状疱疹の場合など、緊急時にも対応できるそうだ。
もちろん、慢性疾患の改善にもなりますよ。
官足法がもっとも得意とするのは、膝痛、腰痛などの関節痛だとか。経年疲労で私のまわりでも関節が痛いという人は多いから、教えてあげたい。

写真とイラストがたくさん載っているので、押すところがよくわかる。
私は足棒を買ったときに、足裏ツボ表も一緒に買ったのだが、それと同じだったので、この本を返却後は、その表を参考にしたい。
でもね、痛いのを覚悟!
posted by 北杜の星 at 07:26| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月17日

山下澄人「シンセイカイ」

第156回芥川総受賞作品。
前回の受賞作である村田沙耶香の「コンビニ人間」はまだライブラリーの予約多数だというのに、これはすんなり借りられた。
人気がないのか?
でも私はこれまで2冊しか読んでいないものの、山下澄人の作風の前衛さはいかにも芥川賞向きだと思ってきた。
今村夏子の「あひる」にあげたいと、心情的には望んだが、まぁこれで妥当だった。

山下澄人が倉本聡の富良野塾の第二期生だったことはよく知られているが、この「シンセカイ」は入塾の最初の1年間を描いたもの。
ここには富良野塾の名前は明記されていないが、読んだ人ならすぐにそうとわかるだろう。
第一期生たちとの十数人での共同生活は密室の群像劇のようだ。
事実、町の人たちはここを「収容所」と呼んでいる。

俳優や脚本家志望の若い男女たち。
授業料は必要ないが、自分の食い扶持は自分で稼ぐため、近隣農家の農作業に出かけていく。
しかしどうやら、メインの仕事はログハウスの建設みたいである。
塾に受かった者たちはみな、トラックの運転ができたり、工務店の息子だったり、体が大きかったあり。。

一日食費300円での重労働に、スミトは栄養不良で倒れ、持病のぜんそく発作も出る。
ここの誰もが【先生】に対しては、ある感情を持っているが、当然それを言葉に出すことはできない。
みんな【先生】の「アイツは向いていない」のジャッジメントをなによりも怖れている。
そんななか、無口で無愛想なスミトはなぜか【先生】から「おもしろいヤツ」と認められているのだが。。

私はなによりもこういう集団生活が大嫌いなので、読んでいてだんだんと息苦しくなる。
【先生】の存在が、お山の大将というか、裸の王様のようでハズカシイ。
こんなところで君臨して、神様のようになる人間が、ハズカシイ。
そういう人間に従属するのもハズカシイ。
しかし文学がそのハズカシサを書くものだとしたら、これは成功しているのだろう。

2年間を【谷】で過ごした第一期生が卒業して出て行き、スミトらが第三期生を迎える立場となるところで、この小説は終わる。
みんなもう1年を、頑張るのかなぁ。
俳優や脚本家というのはそれほどの目標なのか?
【先生】はその目標に向かって、共に歩いてくれているのだと、信じるしかない。
そう信じれる人だけが【谷】に残れるのだろうけれど。。
posted by 北杜の星 at 07:33| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月15日

ハッチの週間身辺雑記

今週のブログは奈良旅行のため書けなかったので、久しぶりの記事アップです。

それにしても寒かった!
出発前に天気予報をチェックし寒いのは覚悟していたけれど、あれほど寒いとは。クリーニング屋さんに出す前の真冬のジャケットやダウンを持って行って正解でした。
晴れ女の私だというのに、火曜日はまるまる一日冷たい雨。
風邪気味の夫が心配でしたが、出かける前にはホテルのバスタブで足湯をして体を温めたので、無事でした。

何をした、どこに行ったというよりも、ひたすら「桜」を見た旅行でした。
どこに行っても桜、桜。
桜って本当に華やかな花なんですね。思わず「わぁー」と歓声が出ます。梅の花でもツツジでもこうはいかない。
あと桜の花に匹敵するものがあるとしたら、秋のモミジの紅葉でしょうか。
あれも「わぁ」と見とれますが。

室生寺に寄って、でも奥の院どころか五重塔までも登る気は寒さのためにしなくて、ちょこちょこっとお参りをしただけ。
それでも36年ぶりの室生寺は懐かしかったです。
数年前の台風で大きな被害を受けた五重塔は修復されていますが、なんだか新しい資材で作った塔を見たくなかったのも、登らなかった理由っでした。

吉野山の桜も満開のはずでしたが車の渋滞を考えると、吉野は一泊お山で宿泊して、夜桜を含めて楽しむのが一番と、これは次回ということに。
奈良の町を歩いたり、バスの一日500円券を購入してバスに揺られたり、どこに行くとの予定は立てずに過ごしました。
東大寺の二月堂には行きたかったので、すごい観光客をかき分けて一応、大仏様を拝んで、二月堂へ。
あの高みから見る奈良の町が美しいし、二月堂脇の土塀と石畳みの坂道を下りたかったので大満足。ここまで来ると観光客は全然いません。
ここも桜、桜。
夫もこの道の美しさに感じ入っていました。

バスで30分の浄瑠璃寺にも行きました。ここはもう40年くらい前まだ一緒に暮らす前、夫と訪れた寺です。
行政区としては奈良ではなく京都ですが、奈良に組み込まれている「当野(とうの)」という地域で、他には岩船寺があり、石仏が道々に置かれている鄙びたところ。
昔から私は浄瑠璃寺が大好きで、奈良に行くたびに訪れたいところなのです。
浄瑠璃寺は派手さの内草花の生息する庭なのですが、まだ少し季節が早かったようでした。

「奈良は田舎くさくて」とあまり好きではなかった夫も、今回の奈良は楽しかったようです。
大和野菜の食事を堪能し(京野菜は有名ですが大和野菜も種の保存に力を注いでいます)、「野菜って本当に美味しいね」と前菜からメインまですべて野菜のコースに結構満腹になりました。
でも説明を受けた野菜の名前はほとんど聞き流して覚えていない。大根だけでも5種類、芋だって数種類出たというのに、記憶にあるのは「ヤマトイモ」だけ。つまり、何にも新しい名前は何にもおぼえられなかったということ。情けない。。
お店の方があんなに一生懸命、説明してくださったというのに。

関西の鰻は蒸さずに焼きます。だからふわふわではなくカリカリ。これが大好物なのでやはり鰻好きの夫と行きたかった店へ。
カリカリパリパリ、生臭くなくって美味しかったです。
ただ以前に行った時にはそうは感じなかったのだけど、今回のご飯は少し柔らか過ぎでしたね。
柔らかいご飯が嫌いな私には不満が残りました。
関東の鰻屋と異なるのがお漬け物にもあらわれていて、さすが奈良。奈良漬も添えられています。

奈良につきあってくれた夫へのご褒美に、彼の大好きな本場ナポリとまったく同じ味というふれこみのpizzaを食べさせてくれるイタリアンに夕食に行きました、
奈良市内から車で1時間の大阪寄りの香芝市というところにある店です。
便利の良い場所とは言えないのに、店は大繁盛。
「ほんまに本場ナポリなのか?」とまず、ごまかしのきかないマリナーラを注文。
マリナーラはピザ生地にトマトソースとニンニクとオレガノだけが乗ったもので、私はこれがpizzaの基本だと思っているのです。
前菜よりもなによりも真っ先にこれを持って来てもらいました。

これが衝撃的!!
本当にナポリと同じなんです!!
小麦粉などすべての材料がナポリと同じとは言うけれど、それだけで同じ味になるわけではありません。
きっちりナポリで修業し、毎年ナポリに行って味を体に覚えさせ、日本風には絶対しないぞの気概がなければ出せない味でしょう。
私も夫も「創作イタリアン」が嫌いです。
アレンジすればするほど不味くなると考えているからです。
一度くらい食べるのなら美味しいかもしれませんが、そんな偽物、いつもいつも食べたくはありません。
たとえば外国で、「変にアレンジされた日本料理」なんて食べたいと思いませんよね。すくなくとも私は思わない。
奇妙的列な「sushi」など、考えただけでイヤ。
それと同じで、イタリアンだけでなく、何料理であっても、基本を外した料理は好きじゃない。
インドのカレーは美味しいし健康にいいけれど、日本のカレーライスを毎日食べたら多分体に良くないと思う。あれと同じです。
とにかく香芝市の「マガジーノ」の味は、オソルベシ本場の味でした。
完全脱帽です。
しかも二人で1万円しないのだから、東京と較べるとすごく安い。
次回、奈良に行くときにも、必ずこの店に行きたい!
1時間のドライブが苦になるどころか、ワクワク感が募ることでしょう。


奈良に2泊。帰りは三重県の旧東海道の宿場町の関宿を見学し、知多半島へ。
南知多のカフェで友人夫婦と待ち合わせ、その日は魚の宿に泊りました。
彼らは小淵沢なのですが、奈良で冷たい雨のあの火曜日は、小淵沢は雪が積もったとか。「雪で閉ざされて、来れないかと思ったよ」と笑っていました。
民宿に毛の生えたような宿でしたが、漁師さんの宿だけあって、魚は新鮮そのもの。
鯛や鯵やたいら貝の刺身、がざみ(渡り蟹)、ふぐ、愛知の名物大アサリ、ホウボウの煮つけなどなど、ふだん山の中にいる私たちには幸せな海の幸でした。
今年は強風のために、あさりがまったく採れないそうです。大あさりはまだなんとか採れるようですが。

じつはその日は、私たちの大切な友人が東京の病院で手術を受ける日でした。
旅行は手術の前々から決まっていたことなので出かけましたが、ずっと旅行の間、彼の無事が気になっていました。
速、命に関わる病気ではいものの、難病で症例数が少なくて、心配していたのでした。
でも手術成功との報にホッとしました。
退院して回復したら、みんなでどこか旅行を計画したいです。この年齢になると健康が一番です。

宿の人に「おさかな広場」を教えてもらって、魚の買い付けに。
保冷箱を車に入れて来たので、今が旬のシラスとかわかめやひじき、刺身などを買って帰りました。
こういう時にはつくづく、「海のそばに暮らしたいな」と思います。
我が家の方から魚を食べに行くとなると、熱海や湯河原方面か、ここ知多半島方面か、新潟や富山。
それぞれ違う魚が食べられるので、秋冬は日本海、春は知多方面となるかな?

寒かったけれど、暑いのが苦手な私にとっては疲れが出なくて、あんがい良かったかもしれません。
歩いてもへばらなかった。
寺の階段もなんのそので登れたし、食欲も落ちなかったです。

旅行の間、何回か「ハッチはさびしがっていないかな?」とふと思ってしまいました。
ハッチがいなくなったから、こうして旅行に出かけられたのに、まだハッチの不在に慣れていないのですね。
秋にはこれまた大好きな近江路にでも行こうかと、帰りの車の中で話しました。

我が家の桜は寒さのために、開花が始まったところ。
私たちの帰りを待っていてくれてありがとう!
来週はお花見ができるかな?
posted by 北杜の星 at 08:04| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月10日

小谷野敦「芥川賞偏差s値」

第1回から第156回まで、164作の芥川受賞作品を、小谷野敦が偏差値をつけている。
これは小谷野独自の偏差値であって、この判断が正しいかどうかは、読む人によって異なるのは当然だろう。
小谷野敦という人がかなり偏向しているし、まぁ、性格が悪いところもあって、公平とは言いかねる。
それを心して読めば、大いに楽しめるし、私は楽しみました。

小谷野は164作品全部を読んだのだろうか?読んでるのだろうね。読まなきゃ書けないから。
でもこれらの多くは、書評というよりも作家の人物評ではないかという部分がかなりある。
純文学作品ではなく、純文学作家の偏差値。
ここにはおそらく小谷野の個人的な作家に対する好き嫌いが含まれているような気もする。

芥川賞受賞作品は面白くない・・という持論を小谷野は持っているようだが、それは私にも首肯できる。
受賞作が必ずしもその作家のそれまでのベストとは思えない作品がとても多いからだ。
それまで数度候補になっているから、そろそろ賞を与えてあげようという感じが見え見え。
例えば、西村賢太は受賞作の「苦役列車」なんてちっとも良くない、「小銭をかぞえる」などの秋恵ものに較べると弱いと思う。それは小谷野も書いているとおりだ。
小野正嗣の「九年前の祈り」にしたって、以前候補に挙がったモノの方が幾倍もすぐれていると思う。
こういう賞の与え方はつまらないのではないだろうか。

「受賞作なし」の回もこれを見ると、かなりあるんですね。
出版界が好景気だった頃ならそれもいいだろうが、賞などは所詮がお祭りなのだから、現在のように本が売れない時に「該当作なし」にする必要はないと考えている。
なんでもいいから、あげればいいじゃないか。
その後のことはその作家の実力次第なんだもの。
それとこのごろの芥川賞は必ずしも「新人賞」ではなくなているのが、私には不満だ。
もう何冊も本を出している作家も最近は多い。
しかし、芥川賞はやはり新人に与えられるべきで、純文学の登竜門としての役割を忘れないでほしいと思う。

私は芥川賞受賞作品でもっとも評価していないのが、辻仁成、荻野アンナ、大道珠貴なのだが、小谷野もかなり低い偏差値を与えていて、溜飲が下がった。
42〜44くらいがまぁ普通というラインか。
50前後となるとかなり気に入っている感じ。
もっとも低いのは、誰とは書かないが、25というのがある。作品そのものというよりも、日本語からして問題のようだ。(でも日本人じゃないのだから、大目に見てあげてよ)。
偏差値の高いのは、青山七恵、李良枝(イ・ヤンジ)、村田沙耶香あたりが70台。イトヤマさんもまずまず高い。

でも、小谷野を偏向の人と書いたが、書いてあることは概ね間違っていないと私は思った。
堀江敏幸の項とか、遠藤周作の項とか、私はかなり賛同するな。
それって、私も偏向しているということ?性格が悪いということ?
小谷野敦と同じということが、なんか、褒められることじゃないような気がして、ちょっとへこんでいます。
posted by 北杜の星 at 07:00| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月08日

ハッチの週間身辺雑記

かなり暖かくはなったものの、このあたりの桜は例年より1週間遅れのようです。
韮崎市や北杜市には観光バスがやってくる桜の名所が多いのですが、もうちょっとみたい。
あのノーベル賞受賞の大村さんの美術館と温泉の近くの「鰐塚の桜」の開花がぼちぼち。
肝心の我が家の桜のつぼみがようやく色づいてきたところかな。

でも今年はもう衣替えを決行しました。
来週は奈良旅行なので、その前にしちゃいましょうということになって、これは例年より少し早いのですけど。
春と秋の衣替えは大変。
ロフトの衣装箱を下ろして、また上げるのは、あと数年したら重労働になることでしょう。
それまでにすべての衣服をウォーキング・クローゼットに収納できるようにしなくてはと、思ってはいるのですけどね。

ゴルフのマスターズが始まりました。
私は十数年前にゴルフは止めたのですが、モノゴトはなんでもそうでしょうが、少しかじっただけでも楽しむことはできます。
そういう意味では、なんであれ経験することは意味あることです。
マスターズと言われて思い浮かべるのが、作家の丸山健二です。
彼はもちろん(この「もちろん」は彼の作品を読んだことがある方ならわかりますが)、ゴルフなどまったくしない人。
それでもマスターズのテレビ中継は毎年欠かさず観ているそうです。
なぜなら、マスターズのコースの植栽の素晴らしさ。
毎年、コースのあちこちの植栽は変化しているそうで、それを観るために(見たくもない)ゴルフのテレビを点けているのでしょう。
彼は庭に命をかけていて、その庭のストイックさがじつに彼らしいのですが、マスターズはそんな彼にとっても参考になるのですね。

我が家に新しいエスプレッソ・マシーンがやって来ました。
これでエスプレッソ・マシーンは4台目。最初はもう30年近く前、カプセルではなく粉を使っていて面倒でした。
今回、ネスプレッソからのお知らせで今買い換えると半額になるということで、どこも悪くはなっていなかったのですが、新しい機種はカプチーノを作るのがボタン一つで簡単、しかも普通のカプチーノだけでなくラッテ・マッキァートもできるというので、思い切りました。
これまでのマシーンは、ミルクを別に泡立てる必要があったのです。
これで週末の朝のラッテ・マッキァートが楽しめるようになりました。
我が家では飲み物はすべて夫の役割。これは大いに助かります。
どういうわけか、日本茶でもコーヒーでも、自分で淹れるより、誰かが淹れてくれる方が断然美味しく感じるものです。
だからこればかりは夫に感謝です。

ときどき私は「今日はご飯作るの、イヤだ!」と外食になるのですが、毎朝食担当の夫は「今朝は作るのイヤだ」とは言わない。
まずお白湯を沸かして飲み、それから人参ジュースを作って、金時生姜の入ったミルクティを作って、トーストを焼いて・・
後片付けも彼がします。
考えてみれば、エライ!
もう少ししたらフレンチ・レストランが、朝食を始めるという噂があるので、もしかしたら時にはそこで朝ごはんということになるのかな。
そのレストラン、朝と昼だけの営業だそうで、夜は家族で過ごしたいと営業はしないとのこと。
それは正解です。こんないいところに住んで、あくせく働くことはありません。
なにかを得るには、なにかを捨てる。。彼は夜の営業を捨て、華族との一時を選んだのです。その英断にエールを送りたいです。

パン屋が和菓子屋になったり、教育勅語を小さな子らが唱えたり、イヤな世の中になりつつあります。
人間は過去のことを忘れるんでしょうか。歴史から学ぶのではなく、愚かな歴史を繰り返すばかりなのか。
気が重くなりますが、来週の奈良の春を歩きたいと思っています。吉野山の桜はさかりでしょうか。
奈良、近江路、山陰はいつでも行きたい、大好きな場所。どこも派手さはないけれど、その落ち着きがいいいのです。
帰って来るころには我が家の桜も咲き始めていることでしょう。

posted by 北杜の星 at 07:18| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月06日

宮下奈都「死すかな雨」

「羊と鋼の森」で本屋大賞受賞となった宮下奈都。
こんな言い方は失礼だが、私にとっては「彼女、化けちゃったよ」という感じがないでもなかった。
けっして彼女の小説を評価しないのではない。むしろその反対で、ずっと彼女の小説を読んできて「あぁ、佳い小品を書く人なんだな」と大好きではあった作家なのだ。
それでもこんなベストセラーを書く人になるとは、私の見る目がなかったと反省。
(ちなみに彼女の作品で私が一番好きなのは、全然売れなかったそうだが、「田舎の紳士服店のモデルの妻」です。これは彼女自身も力を入れて書いたようで、でも理解されなかったとどこかで言っていた)。

この本の帯には「本屋大賞第一作」とあるが、それは違う。
これは彼女の2004年のデビュー作ななのである。これまで本になっていなかったのか?
文學界新人賞に応募して佳作となったものだ。
100ページそこそこのごく短い小説。

主人公の青年はある日、パチンコ屋の駐輪場の屋台のたいやきを買った。
素晴らしく美味しかった。
焼く人を見ると、そこには若い女性のこよみさんがいた。
やがて少しずつ話すようになった頃、こよんさんは交通事故で病院に搬送されたが、意識不明が続いた。
ようやく意識が戻ったものの、事故前の記憶はあるのだが、事故後は今日のことを翌日には忘れている人になってしまった。
二人は寄り添うように一緒に暮らし始めるが。。

というストーリーだが、単なるお涙頂戴ではないし、ところどころに「ふふふ」と小さな笑いがこみあげるユーモアもある。
でもなんだろ?ちょっとイージーな物語で、この題材でこう書けば、もしかしたら賞が狙えるかも、という魂胆が透けて見えるというか、まぁ、ちょっとつまんない。
なぜかというと、ここにはみんな良い人しかでてこないんだなぁ。「怖さ」がない。
(屋台にこわいオニイサンたちが来て子よみさんを脅すが、そういう怖さとは違います)。
こういう話はどこかに「怖さ」がないと、気が抜けたビールになってしまう。

なんだかんだと、いちゃもんつけている私だけど、宮下奈都がこの中で書いていることはわかるのです。
人間を形作るくものは遺伝子などではなく、会った人々、聴いた音楽、味わった食べもの、訪れた土地などから成り立っているのだということ。
たとえその記憶がはっきりと残っていなくても、脳や体のどこかにそれらが集積された痕跡はあるはず。
「忘れても忘れても育っていくもの」がある限り、こよみさんと青年の暮らしは続けられるのだろう。

この本には予約がたくさん入っていますというラベルが貼ってある。
本屋大賞の後だもの、みんな読みたいのだ。
これからライブラリーに返却に行きます。
posted by 北杜の星 at 07:30| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月05日

伊佐知美「移住女子」

移住女子が増えている。
私の住むここ八ヶ岳でも最近は女性の移住者がいて、彼女たちは単独で、あるいはグループで農業をしたり、小さな焼き菓子の店を持ったり、バイトをしながら暮らしている。
みんな都会に住んでいた人たちだ。
この本にはそのような田舎に移住した女性たちを紹介している。
岩手、宮城、新潟、長野、鳥取、高知、福岡・・
場所はそれぞれだが、みんな移住した土地を心から愛し、地元の人たちからの支援を受け、またその恩返しをしながら、「消費するだけの暮らし」から「何かを生みだす暮らし」をしようとしている。

彼女たちを見ているとやはりあの3・11の東日本大震災の影響があるように思える。
東京に住んでいたあの時、スーパーやコンビニから食品が消えたことかショックだた人。
ほんの2週間のボランティアのつもりが、もう6年も住み続けることになった人。
何が起こるかわからない世の中だからこそ、せめて自分らしく生きたいと願う人。

もちろん、移住には不安がある。
これまでの生活を一変させるのだ。仕事は?住むところは?友達は?結婚は?
そんな女性たちにはこの本はなにかの参考になることだろう。
田舎はユートピアではない。だから田舎を単なる逃避先と考えると失敗する。
その土地を愛し(この本に出てくる女性たちに共通しているのが、「ここが好き!」という想いだ)、地元の人とコミュニケーションをとりながら土地に受け入れられている。

田舎は閉鎖的というイメージがあるが、それは一昔前のことだという。
人が出て行く一方で住民が年老いている集落にとって、若い働き手が来てくれるのは、とてもありがたく心強い。
自分がこれまでしてきた事を教え、それをリスペクトしてくれるとしたら、お年寄りにとっては新たな生きがいとなるかもしれない。

ただ農業、それも自然栽培法で米や野菜いを作りたいという人たちは、最初は大変だ。
日本では農作物は農協の指導のもと、種や苗を買う。そうして始めて農協が買い上げてくれるのだ。
しかし農協で売っている苗はすでに自然栽培とはいえないので買えない。ということはせっかく作っても販路がないということ。
自分で販路を開拓するには時間がかかる。
その「最初」をどう乗り越えるかだ。

でも大丈夫だと思う。現在は有機農法や自然栽培に関心を持つ消費者が多いのだから、それが安心で美味しければ必ず買い手はみつかる。
ここ八ヶ岳でそうやって米や野菜を作っている人たちだって、今はリッパな「農家」となっている。
都会への宅配だって需要があるだろう。

移住した地人の支援としては、有楽町の交通会館に「ふるさと回帰支援センター」があるし、各地方自治体のイベントに参加するのもよいだろう。
まず、その土地を木に居ることが大切。山の美しさや海の輝きを愛し、「ここに住みたい」と思うことからはじまるのだ。
そしてここに書いてあるが、とりあえず、100万円を貯めること。
移住の費用や生活が安定するまでの生活資金のためのお金として、まずこれだけというのがみんなの経験知のようだ。

だけどこれも安心していいと思う。
田舎って案外、仕事はあるものなのだ。
ここでも、夏場のレストランやペンションでのバイト、ゴマンとあるギャラリーの店とか、収穫機の果樹園の手伝いとか、宅配ドライバーも女性が増えている。
私の知り合いの女性は、夏場のホテルに犬連れで来る客のための「わんわん写真館」(犬の写真をプロのカメラマンが撮影するというもの)でバイトしている。
田舎に来て驚いたのは、地元の人でも、一人がいくつもの仕事を持っていることだった。ゴルフ場の整備の仕事を週4日し、他でも働き、自分で車おオイル交換ひゃタイヤ交換も請け合うとか。
勤めをしながら週末に農業というのは当たり前。
田舎に来ると仕事に対する固定観念がなくなると思いますよ。
それに、田舎は生活費がかからない。ましてや消費生活から抜け出るために移住うするとしたら、お金に対する意識も変わるに違いない。

あのラッシュの満員電車に乗らないだけでも、人生の浪費が減るんじゃないかな?
すくなくともそう考えられる人が、田舎暮らしに向いているのだと思う。
posted by 北杜の星 at 07:24| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月04日

喫煙文化研究会「たばこはそんなに悪いのか」

「たばこはそんなに悪いのか」と開き直られると、「悪い」と答える人が大多数で、私もそのうちの一人。
肺がん、心臓や血管系の疾患などの原因になることが証明されている。
最近ではたばこを吸う人たでけに悪い害があるのではなく、「受動喫煙」が大きな問題となっている。
いかに「喫煙文化研究会」があれこれ書こうとも、「悪い」のは「悪い」のである。

しかし、たばこは合法的に売られているし、喫煙者が犯罪人なわけではない。
こう世間が「禁煙」一辺倒になって、喫煙者をまるで犯罪人扱いするというのは、感情論も入っているのではないかと思われるし、全部右に倣えとうのが嫌いな私なので、少しは喫煙者の意見も聞いてみようかと、この本を手に取った。
読んでいて、我田引水気味ではあるけれど、彼らには彼らなりの論理があるようだ。

そもそも喫煙が体に悪い、肺がんになるという根拠に彼らは疑問を呈している。
ここ20年以上は禁煙をする人が増えている。にもかかわらず肺がん患者も増えているのだ。、といいいうことはたばこだけが原因ではないのですはないか?
いろんな医学的統計が出されているが、統計のウソがあるのではないか?
「理系」の人間が医学的根拠だけで喫煙に反対するが、もっと「文系」でものごとを考えると、喫煙・禁煙に対して違うアプローチができるのではないか?

一所懸命に彼らなりのロジックを組み立てているのだが、ロジックとは言えないなぁ。
でも彼らの気持ちはわかる。つまりは現在の「禁煙ファシズム」に抵抗し、喫煙の自由を求めているのだろう。
駅のホームのガラスボックスの中で、必死の形相でたばこを吸っている人を見ると、「あぁ、そんなにまでして吸いたいのね」とかわいそうになる。
この本には受動喫煙に関しては、「分煙」で充分とああるが、それには反対だ。
だって煙は流れるもの、たばこの煙が嫌いな人は分煙では納得しないだろう。

ただこの本にはちょっと面白い引用があった。
健康のための医療介入ってとても多くなっている。やれ、塩分を少なくしろとか、コレステロールに注意しろとか、歩きなさいとか、このところは糖質を控えるようにとも言われるようになってきた。
これに関して興味深いデータがあるのだ。それは「フィンランド症候群」と呼ばれるもので、フィンランドの保健局が行った実験で、40〜55歳の健康な、しかし心血管系疾患になりやす因子をもつ社会的ステータスが同等な管理職1200人を600人ずつの2つのグループに分け、一方にはなにも健康アドバイスをしないで放置、一方には医師が健康管理やライフスタイルのアドバイスで健康介入するというもの。
どんな健康アドバイスかというと、禁煙、食事内容、運動など。そして4か月ごとに担当医を訪れて検査を受け、問題があれば高血圧や高脂肪血症などの薬をもらう。
放置された方は、健康調査票の提出のみ、なんのアドバイスも受けなかった。
15年間の観察結果がどうなったか?
総死亡数は、放置のほうが46人、介入されたほうが67人。(そのなかで癌死は、放置のほうが多いが)。

このデータをこの本で出したということは、「あんまり『健康に悪いから禁煙しろ』なんて言うなよ」と言うことなのだろう。
私に言わせれば、「元気でいたければ、なるべく病院へ行くな」と言うこと。むやみに検査したり薬を飲むなということですね。

説得力があったかどうか、それは読者に聴かないとわからないけど、たばこが合法である限り、吸う自由はあるはず。
禁煙を尊重してもらいつつ、喫煙も尊重できるような折衷案があればいいのだけれど。。
そうそう、あの養老孟司さんも愛煙家。彼は「喫煙可にはアルツハイマーが少ない。それはたばこが脳に直接効いているから」と帯に書いている。
それって本当?
posted by 北杜の星 at 07:15| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月03日

高橋弘希「スイミング・スクール」

表題の中編と短編の「短冊流し」が併載されている。
「短冊流し」は「指の骨」や「朝顔の日」に続いて、第155回芥川賞候補となったもの。
「指の骨」は評価が高く、読もうとは思っていたのだが、当時はなぜか戦争ものを手に取りたくない気分が強くて、とうとう読まずに終わってしまった。
結核病棟を舞台に、病を得て療養する妻を描いた「朝顔の日」は、文体といい内容といい私好みで、「想像でこれだけのものが書けるとは」と若い作家の力量に驚いた。

「スイミング・スクール」はどことなく齟齬のあった母と娘のその娘に娘が生まれ、なおのこと以前の母との関係のあれこれを思い浮かべる話。
その娘がスイミング・スクールに行きたいいというので通わせることに生った。
愛犬の死、母の死と実家の後片付け、若いころ弁当屋でバイトしていたこと・・盛りだくさんの出来事が交叉する。
どこにでもあるサラリーマン家庭のお話しだが、母親との関係を引き摺って生きてきた女性の一抹の不安が描かれている。
今は幼い娘は、自分を頼り自分を慕っているけれど、いつか自分と同じようになるのではという懸念。
そうした折に、自分が母に頬を打たれたように、娘の頬を打ってしまう。。

でも私、これはわりと陳腐な内容だと思った。文体も好きじゃない。
キレもないなぁ。
カセットテープの謎も、引っ張り過ぎでなんということはなかったし。
明確に伝わるものがない。

「短冊流し」のほうが短編ならではの緊張感があって、私は好きだった。
父と幼稚園に通う娘の生活に、母がいないことは察せられる。
そのうちその理由がはっきりしてくる。父の不貞から離婚を申し出た妻は、赤ん坊の次女を連れて仙台の実家へ帰った。
彼は長女の綾音と暮らしていたのだ。
綾音はある夜、高熱を出しひきつけの発作をおこして、救急搬送される。
仙台から妻がかけつけるが、一向に意識をとりもどさない綾音。

どうやらこの作家は「死」と「死の気配」を書きたいようだ。
日常のなかに潜む「死」。
この短編にはいつも不穏な空気が流れている。
一週間のルーティンとなっている朝食の卵料理にすら、その不穏さが感じられて、なんだか不気味だ。
不安と恐怖が「死」の兆しとなっている。

「短冊流し」のタイトルの意味は最後に出てくるが、これもちょっと陳腐かな。
もっと違う終わらせ方があったような気がするのだけど。
芥川賞にはやはり、弱かったと思う。
ちなみにこの回の受賞は、村田沙耶香の「コンビニ人間」だった。
posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月01日

ハッチの週間身辺雑記

今日から4月。
でも春が足踏みしているようで、寒い朝です。
明日、私の友人が月曜日の小淵沢CCでのゴルフのための前泊をする予定だというのに、小淵沢は雪。
プレイできるのか心配です。
明日の夜は彼女とともにみんなで夕食しようと、お店を予約してあるのだけど。

それでもやはり季節はl変わりつつあるようで、どこかからキジの声が聞こえてきます。
ときどきキジと出会いますが、オスは本当に立派で美しい。メスはあまりきれいじゃないけど、姿を見るのはやはりうれしい。
なんだか特別な鳥に出会ったような気になります。

自分の庭に来たそのキジを捕まえて食べちゃった友人がいるのですよ。
彼は信州は上田出身。幼い頃に鶏を潰して食べた記憶があって、その手順も覚えていて、キジを殺して血抜きをして、羽をむしって食べたと言うのです。
ワイルドですねぇ。
味は硬くてまずかったとか。
キジ鍋にしたのか?ローストにしたのかは聞きませんでしたが、思わず顔をまじまじと見てしまいました。
彼ならなにが起こってもサバイバルできるでしょうね。
でもそれ以来、彼がコワイ。
もしもし、まったく食料がなくなったら、私、食べられちゃうかも。。という気がどこかに。

それに較べると、私たち夫婦はヤワです。彼のようなワイルドさが足りません。
大変なことは自分でしようとはせず、お金で解決しようと、最近では草刈りさえ人手を頼みにするようになりました。
でも、みんな言ってます。「お金で解決するのが、結局は一番安くつくのよ」と。
なぜなら、アラ・セヴンティともなると、筋肉疲労が激しくて、鍛えていない身にはあとあとまで影響が残るんです。
それでマッサージにかかったり、整形外科に行ったりすると、かえってお金も手間もかかるということ。

そんな我が家ですが、薪作りと暖炉の煙突掃除だけは、夫が自分で「する」と言います。
薪は頂くので、それを他人任せにはできないし、煙突は以前煙突掃除屋さんに依頼いしたところ、長い柄のついたブラシで「一突き」3万円だったのに腹を立て、以来絶対にお願いしなくなったのです。
屋根に上るので危険なので、煙突掃除こそ頼んで欲しいのだけど、あの3万円がよほど気にくわなかったのでしょう。

田舎暮らしはいろいろすることが多いです。春ともなればなおさら。
冬の間に落ちた庭の枯れ葉を拾い集めるだけで大変。なにしろ都会と違って敷地が広いし、まわりは木ばかり。
葉っぱをそのままにしておく方が土のためには良いという庭師さんがいますが、見た目がそれでは汚くて、その下から生える植物がなかなか成長できないのでかわいそうでもあります。
庭をしたくて蓼科からこの里山に下りて来た夫なのですから、せいぜい頑張ってもらいましょう。

寒いのですが、春のポカポカ陽気が私の体には辛いのは毎年のことで、どうもこの季節は調子が悪く、この寒さがちょっとした中休みとなっています。
暖かくなると疲れやすいし、気力も出ない。
まわりの自然界の新陳代謝についていけないのでしょう。そんなときは、できるだけ少食にして消化器官に負担をかけないようにしています。
昼ご飯は玄米むすびを2個、黒ゴマ塩だけで食べます。
玄米は胃に悪いんじゃないの、硬いから、という人がいますが、よーく噛んで噛んで、80回くらい噛んで食べるととってもいいんです。
それとお白湯を飲みます。
お白湯はデトックスに最適な飲み物。基礎体温を上げるには、朝起きたらお白湯、寝る前にお白湯が一番だそうです。(これは最近読んだ金原ひとみの本の中にも書いてあったのでびっくり、パリに住む彼女のもお白湯を飲んでいるのかしら)。
胃の悪い時にはとくにお白湯は効果があるのです。
お白湯が効くなんて、一番いいですよね。お湯を沸かすだけでいいのだから。

私は面倒くさがり屋なのでたいした料理はしませんが、出汁をとるのと、玄米を焚くのだけはちょっと自慢できるのです。
電気釜で玄米を焚く人がいますが、あれははっきり言って不味い!
私が玄米を買う自然食品店の主も、「玄米は電気釜なんかで焚くもんじゃない」といつも言っています。
美味しいものじゃないと、どれほど体に良いと言われても、2回や3回は続いても、ずっと続くものではない。
本当の玄米の美味しさのために、是非とも圧力鍋で(あfればその中にカウムカム内鍋を入れて)、焚いてほしいと思います。
玄米の美味しさに開眼しますよ。
玄米を焚くときには必ずお塩を一つまみ、入れることをお忘れなく。
玄米はカリウムが多いので、ナトリウムで中和しますし、いろんな毒素を消す役割をもっています。

玄米がどんなに美味しくても、散らし寿司や丼物のときには、白米を使います。
なにがなんでも玄米というこだわりは今はありません。
時々白米を食べて「美味しい」と感じ、また玄米を食べて「やっぱり美味しい」と思うのはどちらも幸せなことです。

それにしても、「キジも鳴かずば撃たれまい」というけれど、鳴かなくても捕まえられて食べられちゃうこともあるので、くれぐれも小淵沢あたりに出没するときには、気を付けて、キジさん。
posted by 北杜の星 at 09:17| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする