2017年05月29日

浅田次郎「帰郷」

戦争で大切な日常を奪われた人生を描く6編の短編集。

戦争を扱った小説や映画に接するときには、気をつけなければならない。
戦争の苦労をお涙頂戴でこれでもかと描くものには、とくに注意が必要だ。
それらはともすると戦争の悲惨さを前面に出しながら、じつは戦争を美化するものもあるからだ。(あのH氏の小説なんて、そうですよね)。
さいわい、私にはそういうものに対するちょっとした嗅覚があって、というか元々が疑い深いし批判精神も旺盛なので、「胡散臭いなぁ」と感じてしまうところがある。
まぁ、本能的なものかもしれない。

しかし浅田次郎の反戦小説はホンモノのような気がする。
根っこのところで信頼できる反戦小説を書く作家だ。
「でも、ハッチさんのこのブログで、浅田さんを取り上げたことって、ないじゃない?」と言われると、そう、その通りです。
嫌いなわけではない。まったく読んでこなかったわけでもない。
なんというか、私の好みからすると、ほんの少しエモーショナルなところが強すぎるんですね。
それに浅田次郎は大流行作家さん。私なんかが読まなくてもたくさんのファンを持っているから、そうした人が彼の小説について書けばいい。。そう思ってあえて書かずにいたところがある。

でも久しぶりに読んだ浅田次郎。
表題の「帰郷」は、終戦後の街娼と帰還兵の出会いのお話しだ。
どんな事情か新宿の闇市のそばで客を引く女。うずくまって煙草に火を点けているところに一人の男が声をかける。
客としてではなく、男は女に自分の話を聞いてくれと言う。
彼は信州のある場所の大地主の跡取り息子の庄一。
父親が手をまわして兵役を免れていたが、結局は戦線に送られ、玉砕の戦地から生きて日本に戻れた。
残してきた美しい妻と娘、出兵したとき妻のお腹にいたまだ見ぬ子どもに会うのだけを願って、故郷に帰ろうとするが、到着した駅で偶然会った義兄からとんでもないことを知らさせる。
故郷では庄一は死んだことになっていたのだ。
誰を恨むわけにも憎むわけにもいかない寄る辺なさ。
居場所を失った女と男の行く末は。。

といういのがあらすじ。
ええっとですね。悪くはないんです。悪くはないんだけど、どこかで読んだことがあるようなストーリー。
ゆっくり進んできた話が最後の2ページでトトトッとすごい速さでエンディングなってしまうので、余韻が残らなさ過ぎる。
他の短編も悪くはないんだけど、やはり知っているお話しのよう。。

でも戦争を描くのは大切なことだと思う。
戦後70年以上経過して、戦争体験のある人たちがめっきり少なくなり、戦争が風化しつつある現在、戦争について考えることは必要だ。
戦争はなぜ起きるのか?戦争はなぜいけないのか?
そしてこの「帰郷」に描かれる人たちの戦争によって失われるものの大きさを。
そういう意味でこの本、読んでよかったです。
posted by 北杜の星 at 07:22| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月27日

ハッチの週間身辺雑記

一週間があっというまに飛び去ります。
先週の土曜日は前述したように、こちらのホテルで結婚披露宴を執り行う娘のために、花嫁のの母を含め3人の従妹たちがやってきました。
40年ぶりに会う子もいて本当に懐かしかった!
「子」と書いたけれど、みんなもう60歳代。でも私にとっては彼女たちはいつまでたっても「子」で、彼女たちも私のことを昔のように「おねえちゃん」と呼んでくれます。
ガールズ・トークならぬ姥桜トークで盛り上がりました。
私はクラス会などに出席するのが大嫌いな人間で、どんなに誘われてもお断りなのですが、「もしかしたら、クラス会ってこんな感じなのかな?」と彼女たちと話していて思いまし
案外、楽しいかも。

友人が見事な宮崎の完熟マンゴーを送ってきてくれたのは月曜日のこと。
麗麗しく箱に入ったそのマンゴーは、箱を開けた時から南国の甘い香りが漂って部屋中をみたしました。
さっそくその夜に豪華なデザートとなり、大満足。
マンゴーはもっと先の夏の盛りに、沖縄の友人から毎年送らて来て、それはもっと素朴な感じでそれはそれですごく美味しいのですが、やはり宮崎マンゴーはフルーツの王様の味です。

火・水と友人2組と一緒に新潟の上越市の海岸沿いの宿に一泊旅行をしました。
その1組の夫婦がその日なら参加できるというので、急きょその日に行くことに。
途中、小布施に寄って蕎麦の昼食。、街歩きを楽しみました。
小布施の街はもう数十年前から、宮本さんという建築家が旧い街の再生街づくりをしてきたので、とてもいい感じ。
そうした街づくりのなかには変にテーマパークっぽくなってしまうところもあるのだけど、小布施はそんなことがまったくなくて、ちゃんと街の住人が日常を送っているのが歩いていても感じられます。
昨年も新潟に行った際に、往復ともに寄っていて、今回は小布施が初めてという人がいたので、それは是非ということになったのです。

暑い日で、冷たい蕎麦がことのほか喉をうるおしてくれました。三昧蕎麦と3種の蕎麦がでるのですが、最初の普通のせいろが一番美味しかったとは、みんなの意見。
昨年は蕎麦の後で、お気に入りのフランス菓子の店でお茶をしたのですが、火曜日はお休み。
その店のシュークリームが大好きなので残念でした。ここはパンもなかなかで、ブリオッシュやクロワッサンが買えなかったのも心残りでした。
その代わりに、以前は小布施になかった「寒天パパ」の店のテラス席で、まったりと豆寒天やあんみつを楽しみました。
「寒天パパ」は同じ長野県でも南州の伊那にあるのですが、小布施に支店を出しているのです。
ここで買い物をして、車を置かせてもらって、街歩き。
友人がここでたうさんの寒天製品を購入したのは驚きで、「そんなに寒天好きなの?」と訊いたら、「うーん、寒天を見たら、今自分に必要なのは『寒天だ!』と思ったんだ」と真剣な面持ちで答えるので大笑い。
便秘でもしているのかな?

宿はまぁそんなに大したことはなく、評判の日本海の魚もそれほどではなかったけれど、6人で11時過ぎまでお喋りをて、とっても楽しかった。
帰りは長野市に。
長野市といえばもう善光寺。ここしか見るものはないというくらい。
ここも初めてという人が2人いました。私たちは何回か来ているのですが、駐車する関係でこれまで参道から入ったことがなかった。
寺にはやっぱり表からはいらなければいけませんよね。
着いたのがちょうど12時近くだったので、本堂でご本尊の幕が上がって拝観できると言われたので、正座しました。
ほんの10秒間とのことでしたが、その倍くらいは見ることができました。

でも私は、善光寺のご本尊は御開帳の時ですら見ることはできないし、長い間、寺の人でさえ見たことはないと、なにかで聞いていたので、あれは本当に「ご本尊さま」だったのだろうかと疑問に思い、帰ってネットで調べてみました。
ご本尊は百済の国から贈られた日本最古の仏像といわれています。
けれど私たちが拝観きたのは「本物」ではなかったのでした。
「お前立ち」と呼ばれるいわゆるレプリカ。
でもレプリカといっても長い間、善光寺参りをする信者たちから、祈りの対象となってきたので、魂は入っていると私は思っています。
幕が上がって、金色の仏像を見ることができたのは幸いでした。
私の目には仏像の詳細はわからないのですが、でもなにか神々しいものがそこにあると感じることができました。

それからみんなで有名な真っ暗闇の「お戒檀巡り」を。
本当の闇です。
右手で壁や柱をさすりながら進むしかない。
ここを抜けると、私たちは生まれ変われるのだとか。
闇から光のある場所に出て、そこでまた友人たちとまた出会えた。。そんな体験ができるのです。
なんど体験しても、ちょっと怖くて、そしてありがたい。

昼食は参道にある旧本陣の荘厳な建物にあるイタリアン。
ここは人気のレストランで、私たちはお参りをする前に予約していたのですが、それでもかなり待ちました。
とにかくこの建物が素晴らしいのです。
和洋折衷の建物は大正14年に出来たのだそうで、調度品もその当時のものが多くレトロです。
でもトイレなどの設備は最新式。
こんなすごい建物だというのに、レストランはイタリアンのせいかカジュアルでリーズナブル。
以前から私たち夫婦は昨年の夫の誕生日に、クーポンが使えるJALシティホテルが近くにあるのでそこに泊まってここにディナーを食べに来ようかと話していたのです。
でもどういうわけかその話がポシャっていたので、今回みんなで楽しめたのはなによりでした。
みんなも気にいったようで、「今度はディナーに来た」ということに。
誰かのお誕生日にでも、ですね。

遊びにかまけて、点字を書く練習が全然できてません。
宿題を出されていると言うのに、それもしていない。。
今日午後のレッスンの先生の顔がまともに見られませんね。。
来週はこれという予定がいまのところないので、頑張ります、
(でも読むのはすごく速くなったんですよ!)

私はこんなに能天気な暮らしをしてるのだけれど、50歳前半の私の大好きな友人が、お母さんの介護でだんだん大変になっています。
私の母と同じ認知症があるので、これからの経過が想像できるだけに心配です。
なにか少しでも彼女の心をラクにしてあげたいのだけれど、どうすればいいのか?
そうでなくても彼女は心配性で考え過ぎのことがある誠実なひと。
私のように「なるようにしかならない」といういい加減さも時には必要なんだけど。。
でも彼女は夫婦仲がとてもいいので、それが大きな救いです。彼と一緒に乗り切ってほしいですが、50歳代からというのは、親の介護の年齢なんですよね。
(それが終わると、今度はもう自分たちのこととなるのですが)。

そんなこんなの一週間でした。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月25日

シャルル・ヴァグナル「簡素な生き方」

「お金があればあるほど必要なものが増える」
「情報が多いほどわかり合えなくなる」
「言葉を操るほど信頼がなくなる」
「不要な贅沢で心が鈍る」
「収入≒能力ではない」
・・・

この本の各章にある見出しである。
すべて「簡素な生き方」に繋がるものだ。
じつはこの本、最近出版された本ではない。
120年前にフランスで出版され、アメリカで100万部を超えるベストセラーとなったのだそうだ。

シャルル・ヴァグネル氏は牧師で、ある結婚式のスピーチをしたところ、それを聴いた参列者たちが感動して出版の運びとなったという。
現代の私たちからすれば120年前の暮らしは牧歌的だった気がするのだが、これを読むとそうでもないらしいのだ。
世の中が忙しくなったのは第二次世界大戦が終わり、いろんなことのスピードが速くなり、パソコンやネットの登場でますますスピードが増したからだと思っていたが、もっとその前からだったのだ。
私が思うに、多分、世界が大きく変わったのは産業革命からなのではないだろうか。
産業革命以来、経済が発展し、世界の人々の暮らしの基盤がそれまでの価値観とは異なるようになったためだと思う。
それまでの小さなコミュニティーにあったお金を介さないおつきあいはなくなり、すべてに金銭が介入するようになった。
お金も、お金で買えるモノも、蓄えなくては不安になった。

著者がここの文章の一つ一つには、今を生きる私たちが自分を律し、心を正し、簡素な生き方を取り戻す必要性が書いてある。
そのためにはまず、強い自己顕示欲を排して、無名の存在として生きること。
多くの人が「有名」になることを望んでいる。
たとえば若い子が「歌手になりたい」というのは「夢」かもしれないが、「有名い」になりたいというのは「欲望」だ。
現代はそうした「欲望」が渦巻いている。
必要な食べものを食べる日常に満足せずに、毎日美味しいものを食べたがるのも「欲望」で、これは私の課題です。

でもシンプルな生き方とはなにも貧乏になりなさいと言っているのではない。
自分の持っているもので自分らしく生きなさいということ。
そのなかで「善」なることを少ししながら生きる。。これが「簡素な生き方」。

希望が湧くような、絶望的になるような、私にとってはちょっと複雑な本でしたね。
だって120年前からちっとも変っていないという絶望。
だけどこれを再び世に問おうとするのには希望。
こういうのを読むとやはり、家からモノを減らして、欲望も減らして、シンプルに暮らしたいと思います。
posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

山田仁史「いかもの喰い」

「いかもの」とは普通、人が食べないものをわざと、または好んで食べること、または食べる人」を指す。
つまりは悪食のこと。
世間では「ゲテモノ」「ゲテモノ喰い」というものもある。
いかものとゲテモノはどう違うのか。

ゲテモノとは上手に対する下手という意味で、昆虫食などがそうのようだ。
昔のバンカラ学生が「闇鍋」と称して、そうしたゲテモノを入れて驚かせたと聞くが、この本に書かれている「いかもの喰い」はそういう遊びではない。
著者は宗教民俗学者。
人類のタブーともいえる宗教儀礼的、または薬効のための食文化を考察している。

人類三大いかもの喰いとは、「犬喰い」「土喰い」そして「人喰い」だそうだ。
中国人は机以外の四足なら何でも食べると言われるので、犬を食べたのかもしれない。しかし犬喰いは中国だけではなく、ヨーロッパにも日本にもあった。
興味深かったのは、「食べられる犬と飼われる犬」の境界だ。
そこに必ずしも法則性があるわけではない。
「崇敬ゆえに食べられたり、穢れいるといって避けられたり、数が減ったら大事にされたり」・・
また為政者の「おふれ」によっても犬の扱いは時々で異なった。
(私が思うに、名前をつけたら食べられないんじゃないかな)。

妊娠した女性が土を食べたくなるというのは聞いたことがあるが、土喰いはじつは地球上のかなりの地域にあて、南米や東南アジアなどに広がっている。
ジャワには粘土製焼き菓子があるという。土をそのまま食べるのではなく、加工料理してまで食べるとは知らなかった。
嗜好品としての土、薬効としての土などの土喰いは、でも、禁忌とは思えない。

しかし「人喰い」はタブー中のタブーと考えられている。
確かに人喰い文化を持つ種族が東南アジアにいることは有名だが、彼らが日常の蛋白源として人を食べていたわけではない。
人身御供のような宗教儀礼が目的のことが多かったし、食べるのは肝臓、心臓、脳髄など部位が限られていたそうだ。

この本、想像以上に面白かったです。
「宗教民俗学」という分野は知らなかったので、こうしたアプローチから宗教、民族、食文化を俯瞰する本は楽しかった。
個人的には、犬は食べられるかもしれない。でも猫はダメだなぁ。
土は平気のような気がする。
ヒトと蛇は絶対に食べたくない。。と今は思っているけれど、不時着した飛行機の乗客が人肉を食べた事実もあるのだから、「絶対」ということは言わないでおこう。
posted by 北杜の星 at 07:31| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

群ようこ「かもめ食堂」

11冊目の点字本。
これを読み終わる頃には。ちょっとスピードが上がったのが実感できて、これからは地元の点字図書館だけでなく他県他館の本も借りられるようになるかもしれない。
それだと新刊本が借り受け期間20日間以内で読めるかもしれない。
と言っても、点訳するタイムラグがあるので、どうしても数カ月後になるのだけど。

「かもめ食堂」は本で読むのはこれが初めて。
封切された時、映画を見た。
なによりも驚いたのが、これ以上ないというキャスティングと、食器や調理器具やインテリア、それと料理のセンスの良いことだった。
さすが北欧はデザインの国。すべてが素晴らしいコーディネートだった。スタイリストがよほど優秀だったのだろう。
それらの中には我が家にある鍋や皿もちょっと画面に出てきて、「あっ!」とうれしくなったものだ。
あんまり日本映画を観ない私だが、「かもめ食堂」はもう一度観たいなぁ。
(ここのライブラリーにDVDがあるみたいなので、借りよう!)

印字本は一冊だが、点字本は2巻に分かれている。
その一つを読んで「あぁ、これって映画のまま、とうか映画化は本のままなのね」と思った。
映画化された原作が映画とはかけ離れているのはよくあることで、その最悪ケースは、村田喜代子「鍋の中」。
黒澤明監督によって「八月の狂詩曲」という、なんとも安っぽいヒューマニズムに化けてしまっていてびっくりした。
原作者の村田喜代子も怒り心頭だったと聞く。
でも「かもめ食堂」はそんなことはまったくなくて、本と映画がぴったりだった。

でも、でもですね。。
一冊目の最後の頁で「あれー?これってエンディング?なんで?なんで?」
もしかしたら、これって第2巻のほう?私、第1巻を飛ばして後半を読んじゃったの?

そうでした。第1巻のほうには、サチエやミドリがフィンランドにやってきた経緯が書かれていた。
豪華な食事ではなくふつうのご飯を供する食堂を持ちたいと思っていたサチエが、宝くじに当たってフィンランドに店を構えるようになったこと。
サチエとミドりの「ガッチャマン」出会い。
そんなこんなが第1巻でわかった。
それにしてもこの本、まるで映画を目的に書かれたんじゃないかと思うほど、サチエは小林聡美、ミドリは片桐はいり、マサコはもたいまさこ、そのもの。
みんなナチュラルな演技だった。

サチエが日本のソウル・フードと呼ぶ「オニギリ」。
誰が何と言ってもこれだけは譲らなかったサチエの「オニギリ」。
外国人にとってはとても珍妙なものに映るらしい。とうてい食べものとは思えないようだ。
海苔は黒い紙だし、まず海苔の黒とご飯の白という強いコントラストは食べもの概念から外れている。
中の梅干しやおあかかも、彼らの嗜好には合わないかも。
でもそんな「オニギリ」を信じてメニューに載せ続けるサチエを、心から応援したくなる。

それと可笑しかったのは、合気道の達人の父に育てられ、自身も心得の尾あるサチエが毎日膝行法をしている傍で、ミドリがヨガっぽい動きをすると、サチエがすかさず「ヨガはダメですよ」と言うところ。
武道の動きとヨガの動きは違うんでしょうね。

この2冊、点字で全300頁弱を6日間で読了。
やったぁ!!という達成感でいっぱいです。
posted by 北杜の星 at 07:58| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月20日

ハッチの週間身辺雑記

今年はいろんな樹の花つきが良いようです。
とくに小梨は「来年は枯れちゃうんじゃないか」と心配になるくらい、狂ったように花をつけました。
小梨の樹は本来ならもっと標高の高いところに自生する樹で、蓼科にはたくさんあって、5月下旬から6月上旬には山が小梨の花で白く見えるところがあるほど。
蓼科の我が家でも毎年庭に数本ある小梨が美しく、蓼科を離れてこちらに住み始めたときに夫に頼んで「蓼科を思い出すよすが」に植えてもらいました。

カンボクもたくさんの白い花が咲きました。
植えてからもう10年以上。なかなか咲いてくれなかったのがここ3年ほど前からこの地になじんだようです。
夫が室内に飾るためにボンボン枝を伐って来ます。
そのたびに私は胸が痛みます。
私はどうも咲いている花を伐れない性分。なんかかわいそうなんですよね。
そのくせ花を飾るのは大好きという矛盾を抱えています。
目が悪くなって悲しいのは、花が見えなくなって花を活けられなくなったこと。
一応小学校6年生のときから華道を習っていたものの、もっぱら「投げ入れ」が好きで、ヤマブキやユキヤナギを思うさま活けるのは本当に楽しいことでした。
どういうわけか、私が花を活けられなくなってから、何個もの花器が割れてしまったのです。
あれは不思議な現象で、私の目とともに花器も消えちゃったとしか言いようがありません。

それらの花器はほとんどが義母の形見でした。
夫の母は花の作家さんで、毎月盛岡、高崎、神戸、長崎のカルチャーセンターに出張教授で行っていました。
彼女はいつも私を自分の流派の「R」に引き込もうとしていましたが、そんなオソロシイコトはとんでもないと逃げ回っていたのです。
私にはとてもそんな独創性はないのです。
我が家では現在では、夫が自分で伐って、自分で投げ入れています。
「ちょっと変だな」と思っても、そのままにしておく私です。夫が活けたと知らない人は「なんて下手な奥さんだろう」と思うでしょうね。
これから我が家の庭に咲くのは、ガマズミ、ヤマボウシ、エゴノキです。
庭木より自然の樹が好きです。その樹に咲く花が大好きです。
花水木を好む人が多いですが、私は断然ヤマボウシの方が好み。
ずっとずっと以前、アメリカに桜を贈った返礼に、花水木がアメリカから日本にやって来たのだと聞いたことがあります。。、以来花水木はすっかり日本に定着し、強い性質なのか街路樹にもたくさん植えられています。
花水木は「アメリカヤマボウシ」とも呼ばれます。
ヤマボウシの花は切れ込みが深く、木自体もずっと大きくなるようです。そのため花が咲き始めるのに時間がかかり、6年前に植えた我が家のヤマボウシは数えるほどしか花が咲いてくれません。

今週の月曜日は東京から私の友人がゴルフにやって来ました。
彼女は私の夫やその友人夫婦と一緒にラウンドしました。(私はお留守番)。
そのM子さん、「このところ悪いのよ」と言いながら、その日は上出来。ほぼ独り勝ちしてルンルンと帰って行ったとか。
中央自動車道の集中工事で、いつもなら2時間なのに渋滞で動かなく5時間かかったそう。
それでもルンルン気分は続いたそうで、渋滞が苦にならなかったのはなによりでした。

それから今週は南信州は大鹿村に、筍を食べに出かけました。
30年以上通っている宿でランチを出してもらうことになって、6人で押しかけたのです。
筍はそこでも今年は不作とのこと。でも自分の山で採れたものなので、美味しかったです。
期待していなかったのに、鮎が出てびっくり。
もうあのあたりは鮎が解禁なんですね。夏の鮎と比べると小ぶりですが、骨も柔らかくて本当に美味でした。
鮎というのも、年齢を重ねるごとに好きになる食べものです。
(幼いころの夏休みに、おばあちゃんの家に行って、叔父が錦川で釣って来た鮎を毎日食べさせられるのがイヤでイヤで、早く家に帰ってお肉を食べたいと思ったものです。)
口福の一日でした。

この宿には二つの峠を越えて行きます。
一つは「杖突峠」で、これを超えてしばらく走ると、桜と大奥の絵島が流刑されたので有名な高遠です。
もう桜の季節は過ぎていたので静かでしたが、この峠にお茶屋さんがあって、そこからは諏訪湖と霧ヶ峰や八ヶ岳のパノラマが楽しめるんですよ。
初めてここらの景色を見るひとはみんな、「わぁーっ、すごい」と声をあげます。
我が家からここまで走ると、ぴったりのコーヒータイムなので、いつもここで休憩。コーヒー、美味しいんです。
もう一つの峠が「分杭峠」。
ここは磁場の強いパワースポットして週末になるとすごい人出になるところ。
峠の下に大きな駐車場ができて、そこからシャトルバスが運動されるというから驚きです。
私たちが大鹿村に通い始めた頃は、ひっそりとした誰も来ないような場所だったのに。。

今日の午後、何十年ぶりかで従妹たち3人と会うことになっています。
正確に言うと、従姉の子どもたちなのですが、彼女たちのうちの一人の娘(つまり従姉の孫)が、八ヶ岳にあるリゾナーレというホテルで、結婚披露宴を催すのです。
そのために山口県の岩国市から彼女たちがやって来るので、「会おうよ」ということになり、でも到着するのは午後1時過ぎ、それからお昼を食べて、披露宴は5時からとか。
着替えもしなくてはいけないし、写真撮影もあるしで、会うというより顔を見るだけかもしれませんが、それでもいいでしょう。
こんな機会はもう親戚の誰かのお葬式くらいしかないでしょうからね。。
披露宴の主役のYちゃんは、イギリス留学中に彼と知り合い、帰国後横須賀で一緒に暮らしはじめ(相手の男性のお父さんとも同居)、最近入籍、そしてこのたび披露宴の運びになったのです。
最近はこのパターンが多いですね。
私の知っている若い人たちのほとんどが、同居、入籍、結婚式という順序。
まぁ、結婚前に一緒に住むのはいいことだと思います。だってどんなに長期間のお付き合いでも一緒に暮らさないとわからないことってたくさんあるもの。
とにかく「おめでとう」です。

このため、毎週土曜日の視覚障害者講習はお休みさせてもらいました。
iphone教習の2回目だったのですが、先生からは私のレッスンは6月末までと言い渡されてしまったので、ちょっと焦っています。
なにしろ覚えが悪くて。。
見て認識することができないので、ぜんぶを記憶する必要があるので大変なのです。
しかも動作が音声だと異なるんです。
2回タップとか2本指タップとか3本指フリックとかいろいろあって、でもこうしたアクセシビリティは障害者にとってはありがたいです。

朝晩は冷えこんでいた八ヶ岳南麓ですが、ようやく暖かくなってきたようです。
来週も遠出があるので、体調を整えておかなければ。。
posted by 北杜の星 at 07:47| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月18日

小池昌代「黒蜜」

点字で読んだ本。
少し読むスピードが上がって、4巻にもなっている本だが20日間ほどで読了できた。
本はある程度の速度で読まなければ気が抜けてしまうので、速くなったのはうれしい。
先生は中途失明者の点字読スピードは、1ページ5分が目標とのこと。会話の多いスカスカな頁ならクリアできるが、ぎっしりと文章が詰まっている頁だと、6〜7分かかることもある。
まだまだですね。

さて、この小池昌代の「黒蜜」、印字本でも読んだことがある。
詩人である小池昌代らしい子どもを主人公とした短編集だ。
今回気がついたのだけど、14編の短編のなかの子どもたちは8歳という年齢の子が多い。8歳でなくてはならない作者なりの意図があるのだろう。

子どもにだって、孤独や倦怠や虚無を感じる心は持っているが、その幼さゆえに言語化ができない。
小池昌代はここでそうした子どもたちの代弁者となっている。だからとうてい子どもが使わないような言葉が出てくるが、つまりはこの本は子どもが主人公であっても、あくまで大人が大人のために書いた本ということだ。

素晴らしく面白かった!以前読んだときよりも何倍も心に沁みた。
どれもいいのだが今回は「馬足街」がもっとも印象に残った。
8歳の峰は小学校の早朝の掃除当番を光二郎と一緒にすることになった。
峰はだんだん大人っぽい雰囲気の光二郎を好きになる。
当番が終わる時、光二郎は峰に自分の住む地域にお好み焼きを食べにこないかと誘う。
そこは「馬足街」と呼ばれる「川向う」で、大人たちはその街のことをいつもひそひそ声で話している。
馬足街に行く途中には川にかかる「赤い橋」があって、そこで彼らは待ち合わせをする。
光二郎の自転車の後ろに乗って着いたお好み焼き屋は不思議な店だった。
大人が誰もいなくて、子どもたちが作り手と食べる側に交互になるというシステムだった。

お腹一杯食べ、作り、峰は満足して、光二郎にまた自転車で送られて家に帰るのだが、赤い橋を渡る時、今まで居た場所が本当にあったのか、またこれから戻る自分の家が本当にあるのかという想いにかられる。。
こちらとあちらを分ける赤い橋はまるで彼岸と此岸の結界のようだ。
恐ろしい幻想はでもどこか甘やか。

繊細な感性と上質な文章が相まって、本当に素敵な読書が楽しめました。
posted by 北杜の星 at 07:31| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月17日

牛久保秀樹・村上剛志「日本の労働を世界に問う」

日本人は昔から働くことを美徳と考えてきた。
たしかに一生懸命働くことで経済が発展し、この国の人々の暮らしは楽になった。
でももう、そんなに働かなくてもいいじゃないか?
ましてや過労死するまで働くなんておかしい。
疲れたら休まなくっちゃ。

・8時間労働制
・労働の「結社」の自由
・週休制
・児童労働の禁止
・同一労働同一賃金
・・

上記してあるのは第一次世界大戦後につくられたILOの条文である。もう100年近く前のものだ。
ILOとは「国際労働機関」のことで、世界の労働者の生活水準の向上、労働条件の基本的人権の向上などをはかる国際組織である。
世界中を見わたせば、上記の項目がすべて実施されているのではにのは明らか。
この本のサブタイトルは「(日本が)ILO条約を活用する道」というもの。ということは100年たってもまだまだ日本でILO条約が守られていないということだ。

今年になって政府は経団連との協議で、残業時間の上限を決定した。
なんとそれが、一カ月100時間!
上限が決められただけ「進歩」と評価する向きもあるが、トンデモナイ。
これは政府が「過労死せよ」と言っているようなものだ。

労働時間だけではない。非正規雇用、賃金の不平、解雇の横行など不当労働行為がたくさん起きている。
労働組合は以前ほどさかんでないので、誰も守ってくれない。
自由に生きるために働くのが本来の目的のはずなのに、労働に自由はないし、長時間労働の果てにあるのが過労死、ウツの発症だとすれば、なんて悲しい人生なのだろう。

でもこれは経営側だけの問題だろうかと、私は日本人を見て疑問に思うことが多い。
有給休暇が権利として認められていたり、育児休暇があるのに、それを利用しない人がたくさんいるからだ。
それは「権利」ではない。これまで誰かがそれを得るために働きかけ闘って得た貴重なものなのだ。そう考えれば「権利」ではなく「義務」なのではないか?
ヨーロッパでは「休まなければならない」という義務なのである。

私は言いたい。
日本の労働者、とくに上に立つ役職者になればなるほど、休暇をとるべきだと。
そうでないと下の人は上司に遠慮して休めない。
残業をしたり、休日返上で働く勇気より、帰宅する勇気、休む勇気をみんなで持てばいい。

自営業の人でも、ヨーロッパでは長時間店を開けたり夏休みもとらずに働いていると、客や近所の人たちの顰蹙をかう。
抜け駆けのように働くことはけっして美徳ではなく、恥ずかしいことなのだ。
そういう意識を日本人が持てるようになれば過労死はなくなるのだろうけど。。

そういう意味で私の夫はちょとリッパだった。
若い頃10年近くイタリアで仕事をしていたので、働き方がイタリア風になっていて、残量はしない、きっちり休むを徹底させていた。
打ち合わせを午後1時からと設定されると「それではランチの時間がなくなると、1時半とか2時からにしてもらっていた。
NOと言える人。奴隷にならない人。追従しない人。それだけは褒めてあげたい。
そのため収入は自営であってもそれほどではなかったが、人生を大いに楽しめたし、なによりありがたいのは体に負担をかけていないので、70歳を過ぎてもとても元気。
高血圧、糖尿病、痛風、高脂血症などの成人病とも無縁。
人間の体と心は自分で守らなければ誰も守ってくれない。
社会を変えるには自分の意識を変えることも必要なのではないだろうか。
横暴な雇い主には全員で団結して「NO」と言えるようになればいいと思うのだけど。

私が毎月お世話になっている美容師さんは、あまりの忙しさにお昼ご飯を食べられないことが多いらしい。
食べても4時とか5時になるという。
お願いするときにいつも「もう、お昼食べた?」と訊ねるのだが、「食べました!」と言う時も、立って食べてるみたい。
昼休み1時間をちゃんと取れないないなんておかしいと言うのだけど、「こんなものなんですよ」と当たり前のようにあきらめている。
雇い主のなかにはヒドイのがいて、天気が悪く客の入りが悪いと予想される日には、アルバイトの人に「今日は来なくてもいいわよ」と電話をかける。
こんな不当労働行為をされたら、労働局に通達するべきだと思う。
雇う方も雇われる方も「労働とは何であるか」を考えなくてはいけない。

この本にはILOの理念と実践活動が述べられている。
でもまだまだ、児童労働は行われているし、先進国の日本の労働でさえこうなのだから、国際機関の役割の脆弱さを感じてしまう。
だけどモデルがあるのとないのでは、やっぱり違うから、ILO,頑張ってほしいです。
posted by 北杜の星 at 08:05| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月16日

若山曜子「ガトー・インビジブル」

料理本です。
副頽には「果物や野菜のスライスを重ねた断層の美しいケーキ」とある。
これをライブラリーのネットの新刊本紹介で読んだ時、「あ、簡単かも」とピピッときた。

以前はよくケーキを作ったものだ。毎週必ず作っていた。
デコラティブなものはあまり食べたくないので、ほとんどが焼き菓子だったが、焼くときの家中に漂う匂いがなんとも幸せな気分で、食べるよりも作るのが楽しかったものだ。
プディングなどは一生分を20歳までに作ってしまった気がする。
今はお客さまでもないかぎりほとんど作ることは菜っくなったが、夫はきっと、作ってほしいのだと思う。
でも、ボールをたくさん使ったりするのは面倒。
これまでだって、ベイクドチーズケーキだってパイ生地だって、フードプロセッサーをガーっと回して作っていたんだもの、このトシになってややこしいのはご免蒙りたい。
もともとケーキ作りが好きな理由は、ご飯のおかずを失敗したら悲しいけど、お菓子なら失敗しても食べなければいいだけという気楽さがあったkらだもの。

これ、そういう意味で私にぴったり。
しかも切り口がとても美しい。
その美しさは素朴で、素材がそのまま見えるので安心感がある。
「ガトー・インビジブル」とは「見えないお菓子」という意味。
断面を切って始めて見えるケーキの正体。

まず生地を作る。
生地の材料は、卵・砂糖・薄力粉・バター・牛乳など。
バリエーションとして、チョコレートを加えたり、チーズを加えたり。
その生地のなかに、スライスしたりんごや洋梨や桃や柿などの果物、人参やグリーンアスパラやさつまいもなどの野菜をガガッと混ぜ込み、容器に果物や野菜を層になるように重ねて、生地を全部入れて、170度のオーブンで50分くらい焼くだけ。
私はがさつに、「ガガッ」とか書いたけど、生地と混ぜる時には果物を壊さないように優しく、また容器に入れる時もデリケートに扱うほうがいいみたい。
そうでないと、美しい断面にならないようだ。
(砂糖はグラニュー糖と書いてあるが、私は白い砂糖は使いたくないので、ビート・グラニュー糖を使うつもり。少々色が汚くなっても、自分が食べるんだもの平気)。

砂糖を入れずに野菜とチーズなどを使えば、デザートではなくちょっとした食事にもなる。
一時、ケーク・サレが流行したが、ああいう感じで食べられる。

目が悪い私には現在、こういう本は見えないのだが、ケーキを作ってほしい夫が、レシピを読みあげてくれた。
その労に報いるためにも、何か明日にでも作ってあげよう。
「長芋と明太子」なんて作ったら、がっかりするだろうな。
「りんごといちご」か「バナナとくるみ」なら家にある。これでいこう!

posted by 北杜の星 at 07:20| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月15日

よしもとばなな「毎日っていいな」

誰にでもある日常。
その日常のあるがままを慈しみ感謝できる人は幸せだ。
何ごともない人生はない。ましてや数十年を生きた人間にとってはなおさらのこと。
それでも自分の日常にマイナス感情を持たずに暮らす人、それがよしもとばななだと思う。
だから彼女の小説やエッセイの読者は、彼女から安らぎや慰めを得られるのだ。

このなかにはいくつもの別れが書かれている。
仲良くしていた近所の友人が、夫の転勤で離れ住むことになる。
遠くの友人への最期のお見舞い。
そして父母の死。。

過去が折り重なってゆく。年齢を減れば減るほどその重なりは増す。
「昔とは父母のいませし頃を云い」という川柳があるが、親を亡くすと、つくづくその想いが強くなる。
けれどそれはつらいことだけではなく、楽しかった「昔」でもあるのだ。自分が絶対的に守られる安心感に包まれていた幼い頃。
そうした「昔」を懐かしむことで、毎日が豊かになってくれる。

それにしてもよしもとさん、立ってごはんを食べるほど、五分きざみでスケジュールが押しているほど忙しいにもかかわらず、いろんなところに行っている。
もちろんそのなかには仕事もあるのだろうけれど、けっこうプライベートな旅行もある。
なかでもおかしかったのは、お姉さんと一緒に行ったある温泉宿のこと。
この宿は知人に紹介されたのだが、フツー、こんな宿を人に教えるかというヒドイもの。
出されたご飯は黄色だった。米が古かったからだ。(黄色くなる米ってどれくらい古いの?)
風呂場はヌルヌル。これは温泉成分でヌルヌルしてたんじゃなくて、あきらかに掃除がしていなかった。。
布団は埃っぽく、喘息が出そうだった。。
でもさすが、よしもとさん。
こんな宿のこんなことが、結局は思い出になるのだと善意に解釈している。

そう、旅ってそういうものなんですよね。
ヒドイこと困ったことが起きて、その時はどうしようと思うのだけれど、終わってしまうと、うまくいったことよりも、うまくいかなかったことの方が印象に残っているもの。
だから旅はあまり計画しすぎない方がいいし、偶然が多い方がいい。
それにはあまりに高級な旅行はしないことだと思う。
至れりつくせりの旅は偶然が絡むことが少なくなって面白くない。快適かもしれないが思い出が少なくなる。
よしもとさんは流行作家なのだから経済的には恵まれていると思われるが、こんな旅行をしているのだから、素敵なひとだ。

ところで、先週我が家に筍を届けれくれた若い友人は、この春の大学卒業旅行を二度したそうで、その一つはナント、プレミアム・エコノミーのシートだったとか。
大学生のブンザイでそんなこと許されるのか!?と私はまるで佐藤愛子のように憤った。
その席のチケットしか残ってなかったというのだけどね。
一度目は友人と一緒のイタリアツアー、帰国して4日したらすぐに二度目のフランス・スペインへの独り旅。
まぁ社会人になったらそんな時間は取れなくなるから、今のうちと考えたのかもしれないけれど。

このエッセイは毎日新聞の「日曜くらぶ」で連載されたもの。(だからこのタイトル?」
「あとがき」にもあるように、日曜日の朝には、悲しいことや重いことは読みたくないだろうと、なるべく楽しい話を集めてみたそうだ。
だから、いろんな人たちとの別れも、その思い出は暗くはなくて救われる。
彼女がイタリアで「banana」「 banana」と人気なのが理解できる。
元気になりたいときには、よしもとさんを読もう!
posted by 北杜の星 at 07:17| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月13日

ハッチの週間身辺雑記

ゴールデンウィークが終わり、期間中この町を出ることなく過ごしたのでちょっと退屈。
だから月曜日には松本までドライブに。
私の住むところは山梨県と長野県のほぼ境にあって、松本へ行くより甲府の方がやや近いのだけど、甲府に行ってもとりたてて何もない。
大きなショッピングモールが郊外にできたため街が空洞化してしまい、中心地でもシャッター通りとなっていてさみしい。
もともと(失礼だが)街中に見どころもない。
そのため、足をのばしてどこかにちょっととなると、長野県ということになるのです。

長野県の県庁所在地は長野市なのだけど、松本は旧制一高があったためか街になんとなくレトロな雰囲気があるし、テーマパークのようになったきらいはあるものの、蔵造りの街並みは統一感があって美しく、散歩しようかという気になります。
美味しい蕎麦屋がたくさんある。お茶する店もある。ふらりと覗きたくなるギャラリーだってある。
ほんの3〜4時間ほどの滞在でも、田舎暮らしの私たちには「街歩き」がたのしめるのです。

蕎麦もコーヒーも街歩きも終わって帰宅してから、大切なことに気付きました。
病を得た友人の平癒祈願をした四柱神社の前を通ったというのに、お礼参りをするのを忘れてしまったのです。
友人は3週間の入院で本復したというのに。。とんだ恩知らずでごめんなさい、神様。
次回、行く時には必ずお参りしますので。

火曜日の午後は夫がハーフのゴルフを誘われました。
誘った人は午後を一緒に過ごせなくなった私に申し訳ないと思ったのか、私をゴルフ場のレストランのランチに招待してくれました。
私は夫と一緒に過ごすのも好きですが、一人で過ごすのも大好きなので、そんなに気を使ってもらわなくてもいいのですけどね。
でもそのゴルフ場は本当に景色が素晴らしいところで、富士山、南アルプス、八ヶ岳がぐるりと360度見渡せます。そのうえ桜は終わったけれど、花々とグリーンがとってもきれい。
注文した「春野菜の天丼」にはアスパラ、たらの芽、ノビル、蚕豆、わらびなどの天ぷらがどっさり乗っかって、なかなか下のご飯に到達できませんでした。
誘ってくれた友人はブルース・ギターがプロ級に巧い男性で、ブルース好きな私はいろいろブルース情報を彼からもらえるのがうれしい。

この日の夕方、友人がわざわざ届けてくれたのが、広島は鞆の浦の「鯛の浜焼き」!
郷里から突然送られて来たとかで、大きな鯛をきれいに半身にしてありました。骨も全部取り除いてあった。
半分は温めてわさび醤油で、半分はざっくりとそぼろにして鯛茶に。
この鯛茶はご存知の方もあるかもしれませんが、松江の料理旅館「皆美」の鯛茶と同じ食べ方で、三つ葉や青ネギや胡麻や海苔などの具と一緒に鯛の浜焼きの身を乗せて、上からだし汁を張る上品なもの。我が家の大好物なのです。
春の瀬戸内の鯛は絶品ですね。贅沢な夕食をごちそうさまでした!

水曜日にはヘア・カットに。
私の髪はベリー・ショートに近いので、伸びるとうっとうしい。でもなんだかんだとあって1カ月以上行けないことも。、本当は4週間に一度は最低行きたいのだけど。
3カ月まえから担当の美容師さんに、眉のカットもお願いしています。
芽が見えなくなってメークで何が困ると言えば、眉カット。
視覚障害のある女性は入れ墨(アートメーク)をしている人もいますが、あのタトゥーはしてすぐはすごく不自然だし、だんだん薄くなる。
そしてもし必要となってもMRI検査が受けられなくなる。。
そんなこんなで考えていたら、「そうだ、美容院でしてもえばいいんだ」と気付いたのです。
これでスッキリ。目の周りのムダ毛もなくなりました。

木曜日は車のエアコンのガスのチャージにフィアット甲府まで。
ここは以前はアバルトは扱っていな方けど、最近はアバルトを販売するようにになり便利です。
エアコンは冬の間も時々いONにしてくださいと言われていたのだけど、そうでなくても極寒地のここ。たとえ乗っていないときだって冷房をつける気にはならなくて、ガスが抜けてしまいました。
先日30℃近いときにスイッチを入れたら弱い風がでるだけ。
来週は遠出をする予定があるので、「これはイカン」と持って行ったのです。
オイル交換もしてもらったので、1時間弱かかりました。
その間、ショールームのアバルトやアルファロメオやフィアットを「ふーん」と眺めていました。
ちょっと素敵な2シーターのスパイダーがあったけど、坐ってみるとどうもSHが低すぎて乗り降りが大変、腰にも悪そう。
ここらへんでトシを感じますね。
春の埃で汚かったボディや内部もきれいにしてもらって、早速エアコンをつけて帰りました。

夫が留守の昨日の金曜日、GWの間は窓ガラスの掃除をしていなかったこともあって、家事にいそしみました。
フローリングを水拭き、網戸も拭いて、屋根部分のテラスも水ぶき。
私、掃除機をかけるのは嫌いでも、雑巾を持っての掃除は好きなんです。
フローリングは時には這いつくばって拭くと本当にきれいになります。これはけっこうな運動にもなるのでいいですね。
私は一生懸命何かをしているところを人様に見せるのがイヤな性格で、これは私が見栄っ張りだからだと思うのですが、夫にもそうした姿を見せたくない。
だから家事は彼のいないときにしています。
そのため彼は私のことを、すごーく怠け者の奥さんと思っているようです。本を読むか猫と遊ぶ私の姿しかほとんど見ないのですから。
でも私は彼からはそう思われていたいのです。つまりはこれが私のささやかな美意識。
髪ふり乱すところは見せたくないなぁ、いつの間にか料理ができてる、気がついたらきれいになってる。。というのが理想です。

今日は午後から視覚障害者のためのiphone教習に先生が来て下さいます。
すべてヴォイス・オーバーでの操作を習います。
たくさん覚えることがあるのは大変だけど、この年齢で新しいことができるのはいいことだ思って頑張ります。
おかげさまで点字を読むほうはずいぶんと上達しました、(書く方はまだまだ。。)

・・というのが私の一週間でした。
posted by 北杜の星 at 07:17| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月11日

内田輝和「おしりの筋肉がすべてを解決する」

いろんな健康本が出ていて、それぞれ鍛えるべきところを教えてくれる。
それらすべてを実行していたら、一日が終わってしまいそうなくらいだ。
今回は「おしりの筋肉」ときた。
おしりねぇ、、私のおしり、垂れてるなぁ。

自慢じゃないけど、若い頃の私のおしりはちょっとご自慢だった。
あのプレイボーイで鳴らした山城新伍さんと青山のスーパーで出会った時、「あなた、カッコイイおしりだね」と言われたことがある。もう40年以上も前のこと。
「あぁ、このひと、こういうふうにナンパするんだな」と笑ったけど、あの当時が私のおしりの絶頂期だった。
今は筋肉がないためなのか、細身のパンツを穿くのがはばかれる。
太いパンツはどんなにおしりが隠れても嫌いなので、お尻をカバーする長いカーディガンをはおるようにしている。
(太いパンツを穿くとより太って垂れるような気がするし、第一、身につけていて気持ちがシャンとしないので嫌い。太っ人ほどきちんとした服を着るほうが良いと私は思う)。

著者によると、おしりの筋肉がないために起きる疾病はじつに様々だとか。
腰痛、膝痛、首の痛み、骨粗鬆症、脊柱管狭窄症、尿もれ、頻尿、冷え症・・
現代はおしりの筋肉を使わない時代なのだそうだ。昔の日本人は下駄を掃いていたが、あの下駄で歩くというのがお尻の筋肉には良かったらしい。
そもそもこんなにおしりが発達したのは人間だけのようで、どれほど人間にとっておしりが大切かを、この本は説いている。

これを読んで大いに反省したことがあった。
それは「坐りかた」である。
最近の私の坐りかたは、仙骨ちかい後ろに重心を置いて坐ることが多い。
しかし坐るのは「坐骨」で坐らなければいけないそうだ。
坐骨というのだから、その骨は坐るためにあるのだ。坐骨はおしりの真ん中あたりのとがった骨。
確かにそこで坐ると、姿勢がぐんと良くなり背中が伸びる。
悪い姿勢は脊柱管狭窄症や坐骨神経痛の原因となる。
私の周囲でも、脊柱狭窄症で手術を繰り返す人や、坐骨神経痛のために足が痺れるという人が多くなっている。
幸いなことに私たち夫婦にはいまのところ、そういう症状はないのだが、今後おこらないとも限らない。
太らないこと、姿勢をよくすることが肝心。

おしりの筋肉アップはそう難しくはない。
うつ伏せに寝て、バタ足にするだけで、おしりの筋肉は鍛えられるという。
問題はそれを持続させること。
それができないんですよね。。
だけどご褒美が付いているのなら続けられるかも。
それは、筋トレをした後に甘いものを食べると筋肉がつきやすい!というのだ。
これは目からウロコで、読んだ後も「本当?」と疑ってしますが、たんぱく質と共に甘いものを摂るといいらしい。
牛乳とどら焼き(半分ですよ)とか。

括約筋を鍛えるのもいいですよね。おしりの穴をぎゅっとすぼめる。尿モレにもいいし、おしりの筋力アップにもなる。
これは苦労なくできるのでいつもしている。
だけどこれで私のおしりがかっこよくはなっていないのだけど。。
アンチ・エイジングが嫌いな私、年齢相応のおしりで充分です。
posted by 北杜の星 at 07:33| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月10日

窪美澄「やめるときも、すこやかなるときも」

家具職人の壱晴は引退した師匠の哲先生から、工房と道具一切を引き継いで制作しているが、まだまだ注文があるのは自分のものではなく、哲先生デザインの椅子である。
彼は毎年12月になると、声を失う。
それは高校時代を過ごした山陰の松江で起きたできごとに起因しているようだが、彼は誰にもそのことを語ったことがない。
一方、桜子は家庭の事情で一家の経済を担っていて、これまで恋愛とは無縁の生活をしてきた。
ともに三十代なかばの彼らは自分たちの傷に向かい合い、少しずつ少しずつ気持ちを添わせてゆく。

これまでの窪作品と較べるとずいぶん静かな物語だ。
激しい想いやショッキングなできごとがあるにもかかわらず、「静か」と感じるのはなぜだろうか。
壱晴の閉ざした心のせいか?それとも桜子の臆病さのせいなのか?
でもこの桜子って案外思い切った行動にでちゃう女性でもある。
そこにある切羽詰まった感情が痛々しい。

大きな傷を抱えた人間を癒すことはできるのか?
その記憶を自分が上書きできるのか?
もしこの小説がハッピー・エンディングでなければ、あまりに切なすぎると思いながら読んだのだが、ちゃんと心がおさまる落とし方がされていたのでホッとした。

舞台は松江。
松江というと、お城(小さいけれど黒い天守閣は堂々として大好きな城だ)、小泉八雲、不昧公、そして宍道湖・・
この本にもあるが、松江は戦災を受けていないので町に落ち着きがある。
県庁所在地としては小さい町で、歩いて回れる規模。
茶の湯が盛んだったために、美味しい和菓子屋さんがけっこうある。壱晴もお松江の土産に和菓子を買って帰っている。
しかし松江の魅力はなんといっても宍道湖だと思う。
宍道湖はサロマ湖のような汽水湖だ。海水と淡水が混じる湖で、ここのしじみを食べたら他のしじみは食べられないほど味が良い。
宍道湖の夕日は有名だが、湖に沈むあの大きな大きな赤い夕日が毎日見れるなら、ここに住んでもいいなと思うくらい見事なもの。
島根って地味な県だけど、いいところがたくさんある。
この本を読んだら、今すぐにも行きたくなりました。
posted by 北杜の星 at 07:23| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月09日

田中慎弥「孤独論」

作家という職業は独りきりの座業。もともと孤独なものである。
しかし編集者との仕事上での付き合いが私的に発展したり、「文壇」という括りのなかで作家同志が仲良くなったりすることはある。
ふた昔前の「第三の新人」世代の作家たちの交流ぶりは、彼らによって面白おかしくいろいろ書かれていることで有名だ。

けれどこの芥川賞作家の田中慎弥にはそうした付き合いはほとんどないと思われる。
受賞後、故郷の下関から東京に居を移したそうだが、それまでは高校卒業後、就職もせずにひたすら実家で読書と小説を書くことしかせずに暮らしてきた。
母親はたまったものじゃなかったろうと思うが、幼いころに亡くなった父はほとんど過労死に近い死にかただったので、母親は息子が生きているだけで安心していたのかもしれない。
それにしても都会ではなく小さな地方都市でのことだもの、近所親戚の「目」は大変だったにちがいない。

そんな周囲と隔絶された世界でずっと生きてきた田中慎弥の「孤独論」、興味があって読んでみた。
うーん、なかなかアナクロニズムに徹した人ですね。
原稿は今でもPCを使わず原稿用紙に鉛筆の手書き。携帯もスマートフォンも持っていない。
固定電話とFAXで編集者とやりとりしている。

そういう人だもの、もちろんあらゆる立ち回りが今風ではない。
しかしこれを読んで爽やかなのは、彼には一切の媚びがないからだ。
迎合しない。奴隷にならない。孤独を恐れない。生きるための武器は「言葉」だとはっきり認識している。
潔さがなければできない生き方だろう。

「実家は最強のアドバンテージ」などと書いているのには、ちょと自己弁護が強すぎる気はするが、誰もがある種のシェルターは持っていることを考えると、まぁそれでもいいか。
33歳で文学新人賞を獲得するまで実家にパラサイトできた幸運は、彼自身が感じているはずだから。
現在の彼は、母と自分がようやくなんとか暮らせる糧を得られるようになったと言うから、これからは恩返しだよね。

「繋がり」とか「絆」とか世の中では(それが薄れているからこそ)大声で言いたてるけど、人間は本質的には孤独なものだ。
いつも友人に囲まれて独りになる時間の少ない人は、私に言わせると「思考が浅い」印象がある。
それは頭の良さとはまた違って、結論がでなくとも、「しっかり自分で考える」ことは必要で、考えるには独りの時間がないとできない。
いつも友人とつるんでいたらそれは不可能だ。
田中慎弥の世界は、そういう独りの時間から生まれたものだ。
こう人がいてもいい、とつくづく思える何かを、彼を好き嫌いは別として、ちゃんと持っている。
社会経験がない彼だからこそ書ける内省的な小説を書いてもらいたい。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月08日

野見山暁治「遠ざかる景色」

つい最近、知人と小川国夫の話をした。彼女は小説は読まない人だが、私が「小川国夫の『アポロンの島』を読んでから、日本文学を読むようになたのよ」と話し、彼女に「アポロンの島」を貸した。
ほとんど押しつけみたいな貸し方だったが、彼女はきちんと読んでくれた。
そのときふと、画家の野見山暁治のことを思い出したのだ。
というのも戦後まもない頃、野見山も小川も同じ時期にパリに住み交流があったからだ。
当時のパリには今ほど日本人はいなかったはず。ほとんどが貧しいパリの日本人、お互い支え合いながらの付き合いだっただろう。
野見山は小川とのことをあれこれ書いている。
「遠ざかる景色」というタイトルに、もしかしたら野見山が小川国夫のことを書いているのでは?と期待した。

でも小川のことは出て来なかった。
けれど野見山暁治の文章はいつもながらとてもよかった。
彼の絵はデッサンのあの引っかき傷のようなタッチは好きなのだが、色遣いが暗過ぎる。青色はとくに暗い。
文章は「日本エッセイストクラブ賞」を受賞しているだけあって素敵。
なんというか、手垢のついていない文章だ。

この本にはそんな野見山の筆で、義弟(妹の夫)の田中小実昌のこと、自邸を設計した建築家のこと、学生の頃の旅行・・
過去の「遠ざかる景色」が描かれている。
でも書けるほどに記憶しているということは、それらの出来事はけっして遠ざかってはいないのだと思う。
記憶の引き出しに大切にしまわれている。

取り戻そうとして取り戻せなかったのが、16年ぶりに再訪したパリだ。
野見山は1952年に渡仏し64年に帰国している。その間パリに呼んだ妻を亡くしている。
16年後というと1980年ということか。
パリの街は変わっていなかった。以前あったところに以前と同じように家や道路があった。
しかし人は変わっていたと言う。人情というか、人と人との繋がりかたが変化していた。
それは悲しいだろうな。
街はそこに住む人で成り立っているのだもの。その人が変わっているということは街がもう街でなくなっていたということだ。
少なくとも野見山暁治のパリはもうなかった。

私の印象だと、ヨーロッパは1970年代半ばごろから変わったと思う。
それまでの国々の歴然とした差異や個性が薄まったし、なによりも価値観が変わった。(それでも日本ほどではないけれど)。
80年代にはもう、旧き良きヨーロッパは消えていた。

この本にはもう一つの章として、戦没画家への鎮魂の旅があるが、これについては割愛します。
あの信濃にある霊廟のような美術館が、私は理由があって大嫌いなのです。
私と同じ意見だった銀座で長く画廊をしていたHさんという女性は、野見山さんとも親しかったけど半年前にひっそりとお亡くなりになった。
野見山さんは100歳近い今も現役画家。
彼の別のエッセイ「異郷の陽だまり」には、小川国夫や木村忠太のことが書いてあるらしいので、それを読んでみましょう。

posted by 北杜の星 at 07:53| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月06日

ハッチの週間身辺雑記

なんとも爽やかなゴールデンウィークで、真っ青な空と澄みきった空気に包まれて幸せに毎日を送っています。
高原なので朝晩の冷気はあるものの、これがこの時期のヨーロッパを思わせて、「あぁ、このGWを海外で過ごす人もたくさんいるんだな」とうらやましくなります。

さすがGWです。
毎日のように友人がやって来てくれて、食事をしたりお茶したり。
「あら、下の方からバイクの音」と思っていたら、久しぶりの友人がヘルメットを脱ぎながら訪れたり、
突然、「蛸飯を作るから、食べに来て」とのお誘いもありました。
お誘いがあると喜んで馳せ参じます。とくに食事への招待はうれしいもので、食材の切りかた一つとっても料理の仕方が私と違うところが面白く勉強になります。
今回は蛸飯伊の他にもサプライズが。
なんとお味噌汁のなかにゴロンと丸のままのフルーツトマト!
こういう創作料理を作らない私にはとっても新鮮でした。

あるギャラリーのGWイベントで、コーヒーの淹れかた講習と玉子サンドの会に友人たちと行ってみました。
これは昨年も催され、前回はケーキ付きでした。(でもあのケーキ、小さかったんだよね)。
今年の玉子サンド・バスケットはボリュームもあり、バラエティにも富んで、なかなかのお味。
それもそのはず、メディアでも有名な料理研究家の「グー・林恵子さん」が作ってくださったのです。
林さん、関西出身者らしくトークにユーモアがあって楽しい女性でした。みんなゲラゲラ、クスクス笑いながら玉子サンドを食べていました。
コーヒーのほうは前と同じ講師でしたが、淹れ方は微妙に違っていて、これはいろいろ試してみて進歩したのか、昨年教えてくれたあれは何だったのかと思いましたが、豆はブラジルで焙煎の少し強めのものが人気のようでした。
私は酸味のあるコーヒーより苦味が好みなので、焙煎は強い方がいいです。

バタバタしているとどうしても本が読めません。それも小説が読めない。
小説というのはある程度、一気呵成に読まなければ面白くないんですね。数ページちびちびと読んでいると気が抜けてしまう。
だからエッセイとか健康本とかノンフィクションになって、小説飢餓で欲求不満です。

筍が不作のようです。
「猫にまたたび、●●(私の名前)にたけのこ」というくらい筍好きの私には困った年です。
春先に雨が少なかったのが影響しているのか、このあたりはとくに絶不出来。
そんななか、自分の土地に出て来た筍を毎年届けてくれる友人が、「今年は少なくて」と言いながらも、貴重な筍を今年も持って来てくれました。
なにしろ掘ってすぐの筍です。柔らかくて本当に本当に美味しいのです。
届けてくれたのは、私たち夫婦の最年少の友人です。
彼は今春、大学を卒業し地元の企業に勤め始めた社会人一年生。
どづいう知り合いかというと、夫と車友達なのです。
そのS君は中学生のときに野山で採集したカブトムシを売って、そのお金で旧いフランス車のルノー・キャトルを買ったのです。
もちろん未成年なので名義はお父さん。運転するのもお父さん。
S君はひたすら自分がキャトルを運転できるようになる日を待ち望んできました。
でも大学は埼玉に下宿。休みの時帰省してしか乗れません。
彼はキャトルに乗る人生を選び、地元に就職。
筍はキャトルとともにやって来たというわけです。(ちなみに彼の家には今やキャトルが4台あります!)

夫のキャトルは床に穴があいて、とうとう手放しました。(こちらは寒冷地なので道路に凍結防止の塩カルを撒くので、それが旧いボディを腐食させるのです)。
でもその車は他のキャトル歴の長い方が買い受けてくださり、見事に復活。今も現役で元気に走っています。
S君つ行旅行には憧れのフランスに行って、たくさんのフランス車を見たことでしょう。
またスペインにも足を延ばし、スペイン人のキャトル仲間たちとも交流したようです。単なるツアーの卒業旅行では味わえない思い出深い旅となったにちがいありません。

そうそう、そのS君は山梨県ではちょと名が知られているんです。
幼いころから縄文文化に興味をもっていた彼は、中学生のときに自分の家の庭に自力で縄文住居を造ったのです。
それが話題になって、テレビや新聞などで紹介され、町を歩いていると「あなた、縄文坊やね」と声をかけられたり。。
その坊やが立派な青年になったのは、なんとも頼りがいがあってうれしいことです。
律儀にも我が家にまでフランス土産を筍とともに持って来てくれて、なんだか申し訳ない気持ちです。

私のGWは終わりです。
今日の午後は甲府から、しかく障害者の社会訓練のため先生が来て下さいます。
iphoneの音声機能をフルに使っての教習。ちゃんと覚えられるかな?
まぁ休み明けの緩んだ脳ミソだから、ゆっくりゆっくり勉強します。
posted by 北杜の星 at 07:26| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月04日

鎌田實「検査なんか嫌いだ」

鎌田實先生のことはかなり知られているが、その経歴をここでおさらいしたいと思います。
生年は1948年、全共闘運動を経て、長野県茅野市にある潰れかけた市立諏訪中央病院に医師として赴任した。
同じく全共闘の指導的役割を担っていた今井澄医師とともに、病院再建に力を注いだ。常に地元の人たちと歩む医療を目指した。それは佐久病院の若月俊一の姿勢と似るものだったと思う。
今井は東大紛争の際の罪で服役し、後に院長となるが、1988年に院長を鎌田實に譲る。
鎌田先生のその後の活動はみんながご存じのとおり。チェルノブイリ原発事故の被ばく患者の医療支援をしたり、イラク戦争後の難民たちの支援を続けている。
著書もたくさんあり、メディアの登場も多い。

私が鎌田「先生」と呼ぶのには理由があって、茅野市の蓼科に家を持っている頃から諏訪中央病院にはお世話になっているからだ。
鎌田先生の診察を直接受けたことはないが、毎夏行われる「院内コンサート」などでいつもお顔を合わせていた。
(ちなみにこの諏訪中央病院の「院内コンサート」は素晴らしいもので、蓼科にはたくさんの音楽家が山荘を持っていて、ある地域は「桐朋村」とも呼ばれ、外国のオーケストラに所属する音楽家が夏休みで帰国したり、また齋藤記念フェスティバルのために集まった音楽家たちが無償で開くコンサート。もちろん患者さん優先だが外部の人たちも聴くことができる)。
その諏訪中央病院の先生なんだもの、鎌田實と呼ぶには坐りが悪く、鎌田先生と呼びたいのです。

鎌田先生は「検査は嫌い」だそうだ。
これにはそのことが書かれているのだが、ちょっと歯切れが悪い。
「嫌い」と「不要」は違うというニュアンスが感じられるのだが、それはそうだろう。諏訪中央病院の名誉院長として、「検査は不要」とは言いにくい。
病院では人間ドッグを含めて健診をたくさん行っているのだもの。
かくいう私も数年前に胃カメラ検査をして十二指腸潰瘍がわかり、ピロリ菌駆除をしてもらったし、夫は前立腺検査と喉の調子が悪い時に食道がんの検査もしてもらっている。
そんな病院だもの、はっきり「検査は効果がありません」とは鎌田先生も言いにくいだろう。

でも明らかに不要な検査や手術はあるらしい。
現在、前立腺がんチェックのための血液検査が行われているが、欧米ではその検査は前立腺がんになった患者の予後検査として使われているだけだと言うが、そうした日本だけの健診もじつは多いそうだ。
先生は、「値段が高い」「苦しい」健診はしないらしい。
そのかわりいつも自分の体に耳をすまして、セルフ・チェックを怠らない。
例えば毎日の血圧測定と一日2回の体重測定。それと適度な運動。これだけでかなりの健康維持派できるのだそうだ。
大切なのはとにかく「太らないこと」。鎌田先生は食べることがお好きなので特にこれに気をつけている。

それと余命が10歳くらいの場合には、もう癌手術は薦めないと言う。
80歳で胃の具合が良くない場合、検査をして癌が見つかっても、もし初期なら7〜8年はそのまま元気で過ごせる。
それを手術をして体にダメージを与えるとQOLが下がる。抗がん剤治療は老いた体には負担が大きい。
もし末期で見つかってもそれはそれでそれが「死期」だと先生は考えている。
それは私も大賛成。こういう医師がいる病院だからこそ、私は諏訪中央病院が好きなのだ。
それに鎌田先生は薬をやたら出さない医師でもある。

あの病院の上にある食堂のたん麺、地元野菜がたっぷりで安くて美味しい。八ヶ岳を見ながら食べるのが気持ちいい。
私はもし癌になっての終末医療は、諏訪中央病院の小さなホスピスで受けたいと思っている。
(鳥取の「野の花診療所」も希望だが、あそこって遠いものね)。

とにかく日本は過医療。このところだんだん改善されつつあるが、医師側もだが患者側の意識だって大切だ。国の医療費削減のためにも無駄な検査は受けないことだ。
鎌田先生の言うように、セルフ・チェック、セルフ・ケアをしながら、毎日を元気に暮らしたい。
(ただ、ピロリ菌除去については、若いうちに除去うしておけば胃がんのリスクがなくなるので、これはした方が良いのだとか)。

「検査がイヤなら、自分で健康を維持する覚悟を」
「健康は人生を楽しむ道具」

・・この二つのフレーズが胸に残りました。
それでもそれでも、人間は病気になるんですけどね。
その時の「覚悟」にその人の人間性が現れるのかもしれないと、心しなければ。
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月02日

中川なをみ「晴れ着のゆくえ」

孫娘が生まれたとき、祖父はむらさき草を植えた。
彼女に自分が育てたむらさき草で染めた着物を着せたいと願ったからだ。
孫娘の千恵は小児まひにかかり足が不自由となったが、祖父と一緒にむらさき草に水をやった。千恵が4歳になった正月に紫根染めの着物は出来上がった。
祖父が布を染め、祖母や母が絞りや刺繍をして縫ってくれたその晴れ着は、とてもとても美しく、千恵は誇らしかった。
悪い足を引きずりながらもその着物を着て、村中、新年の挨拶まわりをした。

千恵の従妹の春子はそんな千恵を羨ましがり、むらさき草で染めた着物を、強引に自分のものにした。
そのときに着物がお古なのを祖母は気にかけ、自分で茜染めの長襦袢を春子につくってやった。
むらさきの着物とどうしても離れたくない千恵は「いつか着なくなたときには必ず返して」と言い、彼女たちは固く約束をした。

種を蒔いても、むらさき草は半分も育たない。それでも毎年毎年祖父は種を蒔き、世話をしtあ。
根っこを引っこ抜き、煮出して染液をつくり、何度も何度も染める。
祖父の魂そのもののようなむらさき色の布が染め上がる。

むらさき色は古来より日本では高貴な色とされてきたが、それは世界中でも同じで、むらさき草や紫貝で染めた糸や布は珍重され羨望の的だった。
染色家でもない祖父にとって、むらさき色に布を染めるのは大変な仕事であったことだろう。専門家から見ると不具合もあったかもしれない。
祖母もまた自分の夫がしたように、別の孫娘に茜の布を染める。
赤色は茜や紅花などの植物からも染めるが、コチニールという虫からも染めることができる。
今ではむらさき草も茜もなかなか日本で栽培が難しくなっていて、茜はインド産がおおいようだ。
余談だが、昔の時代劇で、病気のお殿様が病床に臥すとき、額に紫の鉢巻を垂らしていたが、あれは意味があって、天然の紫の染料には除菌などの効能があったからだという。

千恵たち一家はおそらくは作者のふるさとである山梨県に住んでいたのだろう。
その山梨県からむらさきの晴れ着は数奇な運命をたどり、さまざまな土地の人に所有されることになる。
イギリス人女性の手に渡ったり、セイロン(スリランカ)の内乱を経たりして、フランスはベルサイユの骨董店に。
そして最後の最後は。。。

心やさしくなる物語だった。
児童文学の作者らしく、千恵や春子の心理描写が素晴らしい。
とくに春子の千恵に対する嫉妬心のふくらみ方と、自分を制御できない千恵への意地悪の自責に、春子を単なるいじめっ子にしない作者の暖かさが感じられて、春子を主人公に今度は書いてほしいと思うくらいだ。

そういえば私の「晴れ着」は、母方の従妹たちを回ったと聞く。
晴れ着いではないけれど、私も従姉からの「お下がり」をよく着たものだ。「お下がり」を嫌がる子もいたが、姉妹のない私にはいつもうれしい気持ちがしたのを覚えている。
物が豊富で内時代、「お下がり」はごく当たり前で、今ならリサイクルに出すのかな?
posted by 北杜の星 at 07:20| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月01日

五木寛之「医者に頼らず生きるために」

この本、どこからどかまでがタイトルなのかわからないのだけれど、書いてあることを全部書き出してみると「なるたけ医者に頼らないで生きるために 私が実践している100の習慣」というもの。
長いですね。
これを読もうと思ったのは、先日「足」に関する健康本を読んでいるときに、五木寛之を思い出したから。
というのは五木氏は以前より、風呂に入った時などに足に「今日もありがとう」と語りかけ、指や足裏を丁寧に洗ってマッサージすると聞いていたからだ。
足や手は末端。その末端の疲れを取り除き、ケアすることはとても重要なこと。
しかもそれをするときに、感謝の言葉を語りかけるというのが素晴らしい。

これはいわゆる養生の本なのだが、それにとどまらない。つまりは生きるため、老いるための思想哲学本でもあると私は受け止めた。
自分という人間はこの世に一人だけ。他の誰とも違う存在である。
その自分の健康を守るのは自分しかいない。現代の科学的医療だけに依存していて自分の体は守れない。
(現代の医療的健康管理というのは、検査結果の数値、病気になったら標準治療)、
五木氏はそもそも「病気は完治しない。症状が治まるだけ」と言う。
その治める方法を、医者ではなく自分が自分の「身体語」に耳を傾けようと言っている。

この本、20万部も売れたんですってね。いかにみんなが健康志向かということだろうが、一方で、現代医学に疑問を持っているからかもしれない。
100は多いなぁというのが、私の印象だったが、全然大丈夫。心配することはありません。
無理なことはしないでいい。例えば「ウォーキングが体にいい」と始めて続けられなかったら、「今は縁がないんだ」と考えればいいのだ。いつか本当に自分に必要だったらmその時は続けられるはず。気に病むことhない。

それと五木氏が書いていて、私もじつはここ数年同じことを思っていて、「やはり、こういう考えもあるんだ」と思ったのは、呼吸法に関しての記述だ。
ヨガや気功や太極拳など、世の中に呼吸法は多いし、呼吸法が大事とよく言われている。、
私も50歳から10年以上、呼吸法を習っていた。
でも、あれ、本当にすべての人にとって正しいのかというのが、このところの私の気持ち。
ヨガや太極拳など複雑で難しい姿勢をとったり、覚えるのが大変だったりすけれど、本来、呼吸というのは、意識不明であってもするもので、自律神経がつかさどっている。
だからもっと自然で簡単なものではないだろうか。逆立ちしなければできない呼吸なんて変だ。
五木氏が書くように、呼吸法と長生きは比例しないと思うし、ヨガを何十年もしていても、ちっとも精神に作用していない人も知っている。
つまりは、他人が「良い」と言うのではなく、自分の身体語が「良い」ということを、気楽にすればいいのだと思う。
どこかに行って習ったり学ぶものではなく、五木氏がしてきたように自分なりに考え市場錯誤で見つけるものなのではないか。
「自分のための自分だけの養生法」の確立を、彼はしたのだからスゴイ。そこには研究してきた仏教が大きく影響しているのだろう。

生きることは大変なこと。その大変さを納得し受け止めて、自然に老いていければそれで大成功じゃないか。
医者にかからない五木氏が、どこも悪くないことはないのだ。強い片頭痛、長く持病だった腰痛、さまざまな関節痛・・
これまで問題をたくさん抱えていたからこその「養生」なのだ。
ほんの少し昔まで「人生50年」だった。人間の体が数十年の間にそんなにかわるわけがないのに、今の人たちは、自分が老いない、死なないと思っているのではないか。
私は常日頃から、「アンチ・エイジングなどクソ喰らえ」と考えている。歳をとるのがなぜ悪い?歳をとるのが当たり前。
「生老病死」・・命あるものはすべて同じ。
この本はその覚悟をあらためて教えてくれる。

体に無理をさせないこと。
五木氏の言うように「気休め」「骨休め」「箸休め」を肝に銘じて暮らしたい。
私の鍼の先生が「体を大切にしない人の体になった体が、かわいそうだ」とおっしゃるが、本当だ。
体と心は別々にして、一緒に生きるもの。どちらにも「養生」をしてあげたい。
そして五木氏の言うように、「ナーム・アミータ」(サンスクリット語で「命よ光よ、ありがとう」と一日の始めと終わりに唱えるといい。
「ナーム・アミータ」。。なんて美しい言葉!
posted by 北杜の星 at 07:18| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする