2017年05月01日

五木寛之「医者に頼らず生きるために」

この本、どこからどかまでがタイトルなのかわからないのだけれど、書いてあることを全部書き出してみると「なるたけ医者に頼らないで生きるために 私が実践している100の習慣」というもの。
長いですね。
これを読もうと思ったのは、先日「足」に関する健康本を読んでいるときに、五木寛之を思い出したから。
というのは五木氏は以前より、風呂に入った時などに足に「今日もありがとう」と語りかけ、指や足裏を丁寧に洗ってマッサージすると聞いていたからだ。
足や手は末端。その末端の疲れを取り除き、ケアすることはとても重要なこと。
しかもそれをするときに、感謝の言葉を語りかけるというのが素晴らしい。

これはいわゆる養生の本なのだが、それにとどまらない。つまりは生きるため、老いるための思想哲学本でもあると私は受け止めた。
自分という人間はこの世に一人だけ。他の誰とも違う存在である。
その自分の健康を守るのは自分しかいない。現代の科学的医療だけに依存していて自分の体は守れない。
(現代の医療的健康管理というのは、検査結果の数値、病気になったら標準治療)、
五木氏はそもそも「病気は完治しない。症状が治まるだけ」と言う。
その治める方法を、医者ではなく自分が自分の「身体語」に耳を傾けようと言っている。

この本、20万部も売れたんですってね。いかにみんなが健康志向かということだろうが、一方で、現代医学に疑問を持っているからかもしれない。
100は多いなぁというのが、私の印象だったが、全然大丈夫。心配することはありません。
無理なことはしないでいい。例えば「ウォーキングが体にいい」と始めて続けられなかったら、「今は縁がないんだ」と考えればいいのだ。いつか本当に自分に必要だったらmその時は続けられるはず。気に病むことhない。

それと五木氏が書いていて、私もじつはここ数年同じことを思っていて、「やはり、こういう考えもあるんだ」と思ったのは、呼吸法に関しての記述だ。
ヨガや気功や太極拳など、世の中に呼吸法は多いし、呼吸法が大事とよく言われている。、
私も50歳から10年以上、呼吸法を習っていた。
でも、あれ、本当にすべての人にとって正しいのかというのが、このところの私の気持ち。
ヨガや太極拳など複雑で難しい姿勢をとったり、覚えるのが大変だったりすけれど、本来、呼吸というのは、意識不明であってもするもので、自律神経がつかさどっている。
だからもっと自然で簡単なものではないだろうか。逆立ちしなければできない呼吸なんて変だ。
五木氏が書くように、呼吸法と長生きは比例しないと思うし、ヨガを何十年もしていても、ちっとも精神に作用していない人も知っている。
つまりは、他人が「良い」と言うのではなく、自分の身体語が「良い」ということを、気楽にすればいいのだと思う。
どこかに行って習ったり学ぶものではなく、五木氏がしてきたように自分なりに考え市場錯誤で見つけるものなのではないか。
「自分のための自分だけの養生法」の確立を、彼はしたのだからスゴイ。そこには研究してきた仏教が大きく影響しているのだろう。

生きることは大変なこと。その大変さを納得し受け止めて、自然に老いていければそれで大成功じゃないか。
医者にかからない五木氏が、どこも悪くないことはないのだ。強い片頭痛、長く持病だった腰痛、さまざまな関節痛・・
これまで問題をたくさん抱えていたからこその「養生」なのだ。
ほんの少し昔まで「人生50年」だった。人間の体が数十年の間にそんなにかわるわけがないのに、今の人たちは、自分が老いない、死なないと思っているのではないか。
私は常日頃から、「アンチ・エイジングなどクソ喰らえ」と考えている。歳をとるのがなぜ悪い?歳をとるのが当たり前。
「生老病死」・・命あるものはすべて同じ。
この本はその覚悟をあらためて教えてくれる。

体に無理をさせないこと。
五木氏の言うように「気休め」「骨休め」「箸休め」を肝に銘じて暮らしたい。
私の鍼の先生が「体を大切にしない人の体になった体が、かわいそうだ」とおっしゃるが、本当だ。
体と心は別々にして、一緒に生きるもの。どちらにも「養生」をしてあげたい。
そして五木氏の言うように、「ナーム・アミータ」(サンスクリット語で「命よ光よ、ありがとう」と一日の始めと終わりに唱えるといい。
「ナーム・アミータ」。。なんて美しい言葉!
posted by 北杜の星 at 07:18| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする