2017年05月02日

中川なをみ「晴れ着のゆくえ」

孫娘が生まれたとき、祖父はむらさき草を植えた。
彼女に自分が育てたむらさき草で染めた着物を着せたいと願ったからだ。
孫娘の千恵は小児まひにかかり足が不自由となったが、祖父と一緒にむらさき草に水をやった。千恵が4歳になった正月に紫根染めの着物は出来上がった。
祖父が布を染め、祖母や母が絞りや刺繍をして縫ってくれたその晴れ着は、とてもとても美しく、千恵は誇らしかった。
悪い足を引きずりながらもその着物を着て、村中、新年の挨拶まわりをした。

千恵の従妹の春子はそんな千恵を羨ましがり、むらさき草で染めた着物を、強引に自分のものにした。
そのときに着物がお古なのを祖母は気にかけ、自分で茜染めの長襦袢を春子につくってやった。
むらさきの着物とどうしても離れたくない千恵は「いつか着なくなたときには必ず返して」と言い、彼女たちは固く約束をした。

種を蒔いても、むらさき草は半分も育たない。それでも毎年毎年祖父は種を蒔き、世話をしtあ。
根っこを引っこ抜き、煮出して染液をつくり、何度も何度も染める。
祖父の魂そのもののようなむらさき色の布が染め上がる。

むらさき色は古来より日本では高貴な色とされてきたが、それは世界中でも同じで、むらさき草や紫貝で染めた糸や布は珍重され羨望の的だった。
染色家でもない祖父にとって、むらさき色に布を染めるのは大変な仕事であったことだろう。専門家から見ると不具合もあったかもしれない。
祖母もまた自分の夫がしたように、別の孫娘に茜の布を染める。
赤色は茜や紅花などの植物からも染めるが、コチニールという虫からも染めることができる。
今ではむらさき草も茜もなかなか日本で栽培が難しくなっていて、茜はインド産がおおいようだ。
余談だが、昔の時代劇で、病気のお殿様が病床に臥すとき、額に紫の鉢巻を垂らしていたが、あれは意味があって、天然の紫の染料には除菌などの効能があったからだという。

千恵たち一家はおそらくは作者のふるさとである山梨県に住んでいたのだろう。
その山梨県からむらさきの晴れ着は数奇な運命をたどり、さまざまな土地の人に所有されることになる。
イギリス人女性の手に渡ったり、セイロン(スリランカ)の内乱を経たりして、フランスはベルサイユの骨董店に。
そして最後の最後は。。。

心やさしくなる物語だった。
児童文学の作者らしく、千恵や春子の心理描写が素晴らしい。
とくに春子の千恵に対する嫉妬心のふくらみ方と、自分を制御できない千恵への意地悪の自責に、春子を単なるいじめっ子にしない作者の暖かさが感じられて、春子を主人公に今度は書いてほしいと思うくらいだ。

そういえば私の「晴れ着」は、母方の従妹たちを回ったと聞く。
晴れ着いではないけれど、私も従姉からの「お下がり」をよく着たものだ。「お下がり」を嫌がる子もいたが、姉妹のない私にはいつもうれしい気持ちがしたのを覚えている。
物が豊富で内時代、「お下がり」はごく当たり前で、今ならリサイクルに出すのかな?
posted by 北杜の星 at 07:20| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする