2017年05月10日

窪美澄「やめるときも、すこやかなるときも」

家具職人の壱晴は引退した師匠の哲先生から、工房と道具一切を引き継いで制作しているが、まだまだ注文があるのは自分のものではなく、哲先生デザインの椅子である。
彼は毎年12月になると、声を失う。
それは高校時代を過ごした山陰の松江で起きたできごとに起因しているようだが、彼は誰にもそのことを語ったことがない。
一方、桜子は家庭の事情で一家の経済を担っていて、これまで恋愛とは無縁の生活をしてきた。
ともに三十代なかばの彼らは自分たちの傷に向かい合い、少しずつ少しずつ気持ちを添わせてゆく。

これまでの窪作品と較べるとずいぶん静かな物語だ。
激しい想いやショッキングなできごとがあるにもかかわらず、「静か」と感じるのはなぜだろうか。
壱晴の閉ざした心のせいか?それとも桜子の臆病さのせいなのか?
でもこの桜子って案外思い切った行動にでちゃう女性でもある。
そこにある切羽詰まった感情が痛々しい。

大きな傷を抱えた人間を癒すことはできるのか?
その記憶を自分が上書きできるのか?
もしこの小説がハッピー・エンディングでなければ、あまりに切なすぎると思いながら読んだのだが、ちゃんと心がおさまる落とし方がされていたのでホッとした。

舞台は松江。
松江というと、お城(小さいけれど黒い天守閣は堂々として大好きな城だ)、小泉八雲、不昧公、そして宍道湖・・
この本にもあるが、松江は戦災を受けていないので町に落ち着きがある。
県庁所在地としては小さい町で、歩いて回れる規模。
茶の湯が盛んだったために、美味しい和菓子屋さんがけっこうある。壱晴もお松江の土産に和菓子を買って帰っている。
しかし松江の魅力はなんといっても宍道湖だと思う。
宍道湖はサロマ湖のような汽水湖だ。海水と淡水が混じる湖で、ここのしじみを食べたら他のしじみは食べられないほど味が良い。
宍道湖の夕日は有名だが、湖に沈むあの大きな大きな赤い夕日が毎日見れるなら、ここに住んでもいいなと思うくらい見事なもの。
島根って地味な県だけど、いいところがたくさんある。
この本を読んだら、今すぐにも行きたくなりました。
posted by 北杜の星 at 07:23| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする