2017年06月29日

吉村葉子「徹底してお金を使わないフランス人から学んだ本当の贅沢」

著者は20年のフランス在住を経て日本に戻り、神楽坂の狭小一軒家から築30年のマンションに引っ越して、その暮らしぶりを写真と文章で表したのがこの本。
フランス滞在中はファッション以外の、料理、政治、経済などあらゆるジャンルの話題を日本のメディアに紹介する仕事をしていたという。
ここにはお金を使わないでも心豊かに暮らせるフランス式生き方が書かてている。
経済優先でなにもかもが消費で支えられている日本と較べて、ちょっと反省してみるのにいいかもしれない。

とってもお洒落!というのがこの本の最初の印象。
それもそのはず、写真に載っている家具や食器や小物のほとんどは、彼女がフランスから持ち帰ったもの。
だから室内はまるでフランス!
クラシカルでシック。(でもファブリック系はすごーく派手)。

フランス人は親しくなってもお金の話はしないのだとか。
株で儲けたの損したのという話は誰からも聞いたことがないというが、そういえばイタリア人もそうした話題は持ち出さないなぁ。
お金があるということも、ないということも会話の中には出て来ない。

フランスはグルメの国なのに太った人はあんまりいない。
パーティなどでは前菜、メイン、チーズ、デザートをしっかり食べて、飲み物は泡もの(シャンパン)から白・赤・食後酒とたっぷり摂ると言うのに、何故なんだ?
その秘訣がここに説明されているので、参考になるはず。
フランス人たちはお腹いっぱい食べた翌日は「食べない」のである。
朝はコーヒーだけ、昼夜はりんご1個・・
そうやって体を調整し、体重を元に戻しているのだ。
(これは私もしていることで、たくさん食べた翌日や翌々日はあまり食べない、毎日続けて美味しいものは食べないようにしている。だから数日旅行して旅館の食事が続くのは苦痛)。
これは不思議なことなのだが、フランスやイタリアでは男性も女性も同じ量を食べるんですよね。
日本だと、女性には小さなお茶碗でご飯がでてくることがよくあるが、あちらではそういうことは皆無。
女性だってしっかり食べます。
そしてみんなでテーブルを囲むときは絶対に「私、ダイエット中なの」とかは言わない。(フランス人のように後で自分で調整すればいいことだから)。

彼らの家での食事は本当にシンプル。
サラダ、ハム、ヨーグルト。でも一応はちゃんとコースになっているからおかしい。
イタリア人のように炭水化物を多量に食べないからもあるが、フランス人はほっそりしている。

この中には簡単なリエッとかガトー・ショコラの作りかたが紹介されている。
リエッとってどうもうまくいかない。脂っぽくなりすぎたり逆にパサになったり。でもリエッとは作り置きしておけば前菜にもなるしメインにもなるし、本当に便利なもの。
このレシピに添って一度作ってみよい。さいわい我が家では生活クラブの平田牧場の豚肉が手に入る。あのバラ肉塊なら成功するかも。

いろいろ役立つセンスある暮らしが提案されているのがうれしい。
でもこういう本を見ていつも疑問に感じることがある。
在フランス中、彼女たちは白人フランス人としかおつきあいがなかったのだろうか?
フランスには中東、北アフリカ、インドシナ半島などからの移民がたくさん住んでいて、生れた時からのフラン人も大勢いる。
どうしてそういう人たちの暮らしが紹介されないのか?
レストランだって伝統的なフレンチもあれば、ベトナム料理店やあモロッコ料理店だってあるはず。
ましてパリは昔からコスモポリタンの街だ。
私はそういう人たちをも含めてのフランス事情を知りたいと思うのだけど。。そういう本は売れないのかなぁ。
posted by 北杜の星 at 07:23| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月28日

中島たい子「万次郎茶屋」

これまでの中島たい子というと病気ものというか、体に関わる小説が多かった。
「漢方小説」を最初に読んだときのあのおかしみは今でも鮮明だ。以後「そろそろ来る」や「院内カフェ」などが続いた。
でもこれはちょっとニュアンスが違っていて、SFぽいものとかファンタジーっぽいものが並んでいる。どれも不思議な雰囲気がある。
それでも彼女特有のユーモアがそこかしこにあって、フフと笑いながらどこか胸がしんとする感じはいつもながらの中島たい子作品だ。

「親友」「初夜」「質問答症候群」「80パーマン」「万次郎茶屋」「私を変えた男」の6つの短編集。
バラエティに富むストーリーだが、ラストの印象は似通っていて、ふうわり心が軽く暖かくなる。
どれを紹介しようかと考えたが、ここはやはり表題の「万次郎茶屋」に。

動物園で飼育されているイノシシの万次郎は高齢だ。子どもの頃猟師からここに引き渡されて以来ずっと園の片隅で暮らして入りう。
動物園の花形は何と言っても象とかライオンとかキリン。
イノシシなどわざわざ見に来る客はいない。しかし飼育係の青年は万次郎の良き理解者だ。
もう一人、万次郎には大きな理解者がいた。
それは小学校の絵画コンクールで万次郎の絵を描きそれが入賞となった女の子。今は若き女性となっているのだが、小学生の時からずっと万次郎のファンとなって、ボーイフレンドを万次郎の檻に連れてくるほど。
そんな彼女はいつか万次郎を動物園から引き取りたいと思っている。
そのためのお金を得るために彼女は一計を思いつく。それは万次郎を主人公とした絵本を描くことだった。
そのお話しでは万次郎がカフェをするというもの。
じつは万次郎の長年の夢はカフェを開くことだったので、その案にびっくりしながらもうれしかった。
結局は絵本ではなく小説となったのだが(あまりにも絵が下手だったので、万次郎のアドバイスにより小説となった)、それがベストセラーに。
万次郎の檻の前は大勢の客が押し寄せ・・

というもの。
こう書くと、面白くもおかしくもないけれど、それは私のせいで、これが面白いんですよ。
悲哀も含まれていてなかなかいい。
誰かをなにかを愛すこと、愛されることの幸福感が伝わってくる。

こういうものも書けるんだ。。という中島たい子でした。
posted by 北杜の星 at 07:27| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月27日

北杜市刊「北杜市景観計画」

この小冊子は山梨県北西部にある北杜市の景観計画について平成22年12月に策定され、28年2月に変更されたものの計画書である。
これをライブラリーで見つけ、「北杜市民なら読まなくっちゃ」と借り出してみた。
というのは最近北杜市では「景観」が大きく損なわれているからだ。
しかもそれが自然エネルギーという錦の御旗の顔つきをしていて、実はそうではなく、環境破壊について何の意識も持たない経済優先事業が目的となていることに大きな矛盾を感じている。

北杜市という市の名前には歴史的文化的な背景はなにもない。
平成の大合併によって、南アルプス側の武川、白州と、茅が岳側の須玉、明野、八ヶ岳南麓の高根、長坂、小淵沢によってできた人口5万人ほどの市である。
山梨県の最北に位置しているので夏のリゾート地として別荘地、またシニアの移住地として名を馳せているが、3・11以降は若いファミリーの移住も増えてきている。
合併にあたっては市の名前を各地域い譲らず(「八ヶ岳市」という候補が強かったらしいが)、結局は「北杜市」に落ち着いtが。
どの町も小さくて立派な商店街もないのだが、行政区としては広範囲なため、福祉などを充実させるには大変なところがあり、山梨県ではもっとも福祉が悪いので知られてもいる。
それでもたくさん人たちがここに移住うするのはやはり、ここの自然に心惹かれているからだと思う。
南アルプス、八ヶ岳、富士山がぜーんぶ見えるなんてまるで夢のような景色なのだ。

しかしこのような自然に溢れ美しい土地が東日本大震災以降、ずいぶん変化した。
太陽発電のパネルがあちこちに設置されて景観を損なっているからだ。しかも山林を伐り倒して山を丸裸にして設置している。
そのため景観だけでなく、保水力を失った地面が崩れる被害も出ている。
いったい誰がこういうことを許可しているのか?どう考えてもそれは行政、つまり北杜市だとしか考えられない。

この冊子には「美しい風景は、それだけで人を呼び寄せ、まちを活性化させる源泉(観光資源)です。地域の景観の魅力を再認識しその魅力を最大限に活かした活力ある風景づくりを目指します」とある。
ホントかいな?と言いたくなる。
確かに、建築物を建てる時にはかなり厳しい「景観条令」があって、それらをクリアして設計し建築申請を出す必要がある。
しかしじっさに建っている家を見ると、真っ赤なサイディング、黄色の外壁に緑の屋根など、もう滅茶苦茶というか暴力的としか言いようがない。
あれでは許可されなかったはずなのに建っているということは、後のチェックがなにもないということ。
つまりは、放題。そのうえご多聞にもれず何の罰則にも問われない。
それなら何のなめの規制なのかと言いたくなる。

ましてや建築物ではない太陽光パネルとなると、最初から条令も規制もないのだ。許可を取ればそれでOK。
その許可は市議会の長である市長がだす。
(北杜市でもっとも大きな太陽光パネル設置事業者は昨年までの前市長の親類縁者と聞く)、
近隣のとの市よりもここ北杜市に太陽光パネルの設置が多いのは、ここが日本でもっとも日照時間が長いからだが、それが災いとなっているのだ。
自然エネルギーは大切である。原発反対の私にとっては自然エネルギーへの転換こそが日本が今後生き延びる基本的政策だと考えている。
しかしそのありようが問題なのだ。
山のままでは何も生まない、固定資産税がかかるだけ。。それなら太陽発電会社にパネルを設置してもらって収入を得ようと考える地元の人の気持ちはわからないでもない。
他に収入の途がないからだろう。
でもちょっと考えてみてほしい。
あのパネル、壊れたり耐用期限が終わったらどうなる?
粗大ごみじゃすまないのだ。あれは危険ゴミなんですよ。誰がお金を出して処理するのか?
目先の利益に目がくらみ、子や孫に負の遺産を作ることになりはしないか?

それでよく「景観を守ろう」と言えるものだと、あきれてしまう。
この小冊子、建て前だけの、じつにじつにムナシイものでした。
posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月26日

高橋三千綱「さすらいの皇帝ペンギン」

初期の高橋三千綱は読んでいたのだが、20年くらいすっかりご無沙汰だった。
最近「ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病」という私小説を読み、彼の無頼ぶりに驚きつつも好感を持った。
今どきの作家はちんまりとまとまって、その生き方がサラリーマン的ななか、こんんな昭和な作家がまだ生き残っていることに感激。
この「さすらいの皇帝ペンギン」を読んでみることに。

あるテレビ局設立30周年記念番組を制作するにあたって、南極取材のリポーターとして抜擢された作家の楠三十郎(まんま、作者です)。
彼が仕事を引き受け南極に行って帰るまでを描くこれまた私小説だ。
南半球の夏とはいえ南極取材が大変でないはずはない。
出発までの紆余曲折、空港で、また中継地のチリに着いてからもゴタゴタは続く。
でもこれ、高橋の、いや三十郎のワガママとは思えない。誰だって怒るでしょという感じで、テレビ局の傲慢さが顕わになっている。

まずこの仕事、番組プロデューサーは三十郎に白羽の矢を立てたというが、その経緯にはウラがあった。
どうやら最初はあの冒険小説家(どう見ても椎名誠です)に依頼したが、断られた。
その時のギャラは500万円だったと後で判明するが、三十郎に提示されたのは200万円。
300万円はどこに消えたのか?
彼が後続でサンチャゴ空港に到着しても、約束の迎えはない。泊るホテルすら聞かされてない。
しかし三十郎がもっとも怒ったのは、南極への装備品のなかの毛糸の手袋だった。
他のクルーはみな登山用のしっかりした手袋を用意しているのに、自分に渡されたのが毛糸の手袋。しかもその手袋には280円の値札が。
これは凍傷にかかれと言っているも同然。
キレた三十郎は、もう止めたと違うホテルに移る。

平謝りのスタッフに条件の改善を確約させて、引き受け得ることにあいなったのだが、それからも彼らとの間には不穏な空気が流れる。
南極への経由地であるブンタアレナスの町で、三十郎は偶然会った少女から、一つの鳥籠を渡された。
その鳥籠の中には皇帝ペンギンの鄙が入っていた。
少女はこの皇帝ペンギンの鄙を南極に帰してほしいと願っているようだった。
新たなミッションを引き受けた三十郎は、カナダ人パイロットら計6人で南極へと向かう。。

というのがストーリーだが全編にあるのは、南極の自然ではなく、人間関係だ。
この人間関係で三十郎はつくづく孤独を感じ、皇帝ペンギンの鄙に「コドク」と名付ける。
しかしそうした日本のテレビクルーとの人間関係に風穴を開けるのが、各国の南極にある基地だ。
そこで皇帝ペンギンの鄙の育て方を教わったり、餌を作ってもらったりもしたが、基地には日本の基地を含めて酒があった、
そこでしこたまバーボンやモルトウィスキーをあおる三十郎。
おい、おい、肝硬変は?糖尿病は?と心配していますが、言って聞くような人ではない。
まぁあ、これだけのエネルギーがあるなら大丈夫でしょ。

南極リポーターとしての仕事がどうだったかがあまり書かれていないが、それは多分テレビで放映されたんでしょう。
この本を読んだあとで番組を見る方が面白いと思うけど、テレビ取材の裏側がいろいろわかる本だった。
そういえばカムチャッカで熊に襲われた亡くなったあの写真家の星野道夫さんは、日本のテレビ局の取材班とともにその地にいたのだが、彼らと同じテントにいるのがイヤで、自分だけのテントを張り、そこを襲われたのだと聞く。
一緒に居るのがイヤという理由には、三十郎と同じものがあったのだろうか?
これを読む限りテレビ人間の不誠実さに唖然としてしまうのだが。。
posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月24日

ハッチの週間身辺雑記

先々週・先週と過食続きで、私も夫も胃腸の具合が悪い一週間でした。
もともと腸が弱い夫は私より症状が重く、痩せていてもエネルギーいっぱいの彼なのですが、体調が崩れると心配になります。
痩せがますます痩せるようで心配なのです。

私たち夫婦はよほどのことがない限り、腹痛でも風邪でも病院にはかかりません。
五木寛之も言っていますが「自分の体は自分でメンテナンスするべき」だと考えているからです。
病気を治すのは薬や注射ではなく、自己免疫による自然治癒だからです。
消化の良い食べもの(といってもおかゆや雑炊、あれは案外噛まないんです。だから普通の白米をよくよく噛んで食べる方がいいような気がします)。
あとはまったく油脂を使わない人参やキャベツのポタージュ。
少し良くなったら半熟玉子とか鶏の蒸したものなどを、これまたよく噛んでという段階を踏んで、ようやく普通に戻りました。

その間、外からも手当をします。
それは枇杷の葉温灸。
枇杷の葉を当てて、棒もぐさをツボに押し付けるのですが、これが本当に心地よいんです。
「癒す」という言葉がありますが、枇杷の葉温灸はまさしく体も心も癒してくれます。
問題は枇杷の木です。ここ八ヶ岳南麓は寒冷地なのでなかなか枇杷の木が育ちません。これまで何本か植えたのですがなかなか越冬しない。
でも数年前に植えた木はなんとか成長を続けてくれて、今では温灸に使う葉っぱがとれるようになっていてありがたい。
もっとも毎日毎日使えるほどにはまだなっていませんが。

この温灸でかなり回復。
回復すると夫は「ステーキが食べたい」と言いだしました。普段から「何が食べたい?」と訊ねると「ステーキ」というほどの肉人間。
ステーキが食べたいというようになれば元気を取り戻した証拠かと、一昨日昨日とステーキを彼だけに作りましたが、お腹の具合はどうなのか?
私はまだ鶏肉くらいに押さえていますが。
こんな年齢になっての過食はいけませんね。しかも続くのが良くない。
過食は内臓だけでなく、筋肉や骨や関節にも悪影響を与えますから、気をつけなければとあらためて自戒しました。

そんな折ですが、この季節だけの美味しい練りもののパンフレットが届いたので、友人たちにほんの気持ちを贈ろうと、注文しました。
これがみんなに大好評!
これは尾道にある蒲鉾さつま揚げのお店で、100年間製造法が変わっていません。
練りものって添加物が多いんですよね。
でもここのは着色料や保存料などの添加物なし。
添加物の味に慣れている人には物足らないほどあっさりしていますが、本当にイヤな味がしないストレートな美味しさなのです。
そのお店が夏季限定で、焼き蒲鉾と鱧皮蒲鉾を作っているのです。
鱧皮蒲鉾は関東の方には馴染みがないだけに、「初めて食べたけど、すごーく美味しい」と感激のあまり2度も電話をくれた友人がいるほどでした。
喜んでもらえて良かったです。
ここはスゴイ商売をしている店で、一昨年だったか昨年だったかの春のこと。
注文をしようとお店のHPを見ると、魚の不漁のため当分製造を中止しますと書かれていたのです。
瀬戸内の魚を材料としていて、それが不漁だったのです。
でも他の魚場からの魚を使うことは潔しとしなかった。
前からファンだったのが、ますます信頼度が大きくなって、時々取り寄せています。さつま揚げもお勧めです。
こんんな商売を続けている店があるなんて、捨てたもんじゃありませんね。

雨が降らなかったので、田んぼも畑もカラッカラ。
ようやく水曜日はまとまった雨となり、毎日有線で流れていた「節水のお願い」の放送がなくなりました。
八ヶ岳は南アルプス側と違って、昔から水が少ない土地なのだそう。
来週は雨続きのようなので梅雨らしくなることでしょう。
地元の無農薬農家の人参はこれまでの水不足で、あまりジューシーではなく、我が家の毎朝の人参ジュースには不向きのようで残念。
そろそろいろんな地元野菜が採れる時期で、つい先日はある友人からたくさんの玉ねぎを頂きました。
彼女のつくる玉ねぎはとても見事で、一年分とは言いませんが、冬の前まで使う分を気前よく下さるのです。
また青森ニンニクを植えたのがこれまた「お見事」と言うほど大きくなったのが数個、オマケについていていました。
こちらではジャガイモより玉ねぎの方が早いみたいです、
土モノ野菜は土づくりからが大切で、農薬だけでなく除草剤を使わないとか、化学肥料は使わないとか大変なようですが、それだけ美味しく体に害のないものが育ちます。
何の苦労もなくそれを頂くのはありがたいような申し訳ないような。。でもやっぱりすごくうれしいです。

ニンニクと言えば思い出す笑い話があります。
ニンニクの種はジャガイモと同じように、一かけらを植えますが、中国産のニンニクの種を植えて日本で育ったものは、中国産なのか日本産なのか?
こういうのを決める基準があるとは思うのですが、どうなんでしょうか?

あれやこれやの沈滞気味の一週間でした。
posted by 北杜の星 at 08:05| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月22日

内田洋子「イタリアのしっぽ」

イタリア、ミラノに住んだ日本人女性といえば須賀敦子。
彼女の大ファンの私は、今でも彼女の死を悲しんでいる。まだあと10年は書いて欲しかったと口惜しさは薄れることがない。
そんな須賀敦子に操を立てたわけではないが、これまで内田洋子の著作を読まずにいた。
内田洋子は30年イタリアのミラノに住むジャーナリストで、彼女のエッセイは日本エッセイストクラブ賞を受賞したことがあるほどで、これまでもちろんその名は知っていたが、なんとなく読みそびれていたのだ。
それがつい数日前のこと、夫が読んでいる途中のアイルランド作家の小説があまりに陰惨で、「なんか、明るいモノを読みたい」と言う。
彼にとって明るい読物といえば、やっぱりイタリアでしょ、と内田洋子はどぉ?と勧めてみた。
近所のライブラリーには3冊彼女の本があって、それら全部を借り受けて来た。
この「イタリアのしっぽ」はそのうちの一冊。私が先に読んじゃいました。
「しっぽ」とタイトルにあるようにこの本には、イタリア人と動物との関わり、そしてその動物と一緒のイタリア人と著者との関わりが書かれている。
なかにはしっぽのないタコも出てくる。

ちょっと田舎に行くと、と言っても都会からほんの数十分も離れたところでも、じつに様々な動物をイタリア人は飼っている。
犬や猫は当然のこと。(私たちの友人の多くは、犬には名前をつけているが、猫には名前がない場合が多い。あれはどういう理由からなのか?)
ある友人宅には馬が2頭いて、馬丁が世話をしていたし、別にチーズをつくるわけでもないのに山羊を飼っている友人もいた。
ペットというには大型の生きものでも彼らは普通に飼っているようだ。
そんな生活だから長い間のイタリア生活において、たくさんの生きものを介した物語に出会ったのだろう。

ミラノの名門の家の出の女性は獣医になったことで家から断絶され、たまたま飼い始めた著者の犬の主治医となってくれたのだが、どこか人とはうまく付き合えない彼女はやがて離婚してしまった。
別の友人女性に留守の間の犬の世話を頼んだのだが、インテリア評論家として有名な彼女の先端ファッションには似合わぬ素朴な食卓に招待され、やってきた娘たちや孫はしかし、食事が終わるとそそくさと帰って行った。その理由が強烈な猫アレルギーだった。娘たちと孫のくしゃみを寂しそうに聞くその女性。。
(おもしろいのは、孫も猫も同じように床にはいつくばって皿の料理を食べること。欧米では、はいはいをする赤ん坊って、考えてみれば不潔ですよね。外を歩いた靴そのままの床をはいはいするのだもの。)

他にもたくさんの動物とイタリ人との関わりがあるのだが、私が面白いと思ったのは、イタリア事情である。
それはミラノの天候だったり、過疎になった集落だったりするのだが、「えー、そうなの」と初めて知ったことがけっこうあった。
私はイタリアに長期滞在したことはないが、それでも1カ月とか一カ月半とかを過ごしてきた。けれどミラノには行ったことがないんですよね。
ロンバルディア州には行ったのだが州都であるミラノは一度も足を踏み入れたことがないのだ。トリノとミラノはなぜか縁がない。
だからミラノの天候は、須賀敦子の「ミラノ霧の風景」にあるように、冬の霧くらいしか想像できなかったのだが、いやはや、大変な天候の土地みたい。
9月になると秋雨が長く、10月に少し止むとすぐに冷たい風。そして冬になると霧が空を暗くし、みぞれや雪に変わる。朝などは零下となるそうだ。
この寒さが半年続いた後、瞬時の春には視界が曇るほどの花粉が舞う。
「花粉は集まり玉となって路上を転がり、浮いて飛び、屋内にまで入り込んでくる。連れ出された犬たちの鼻は、花粉まみれで真っ白だ。」というから凄まじい。
アレルギーでない人でも、くしゃみや咳が続くと言う。
夏になるとすごい湿気。背後にアルプスを背負っているので風が通り抜けないので、その湿気と熱気はどこへも行き場がないのだとか。

それには慣れたとは思うが、著者はミラノを離れ、海の傍に引っ越そうと家を探したが、海の傍は観光客が騒がしいと言われ、山の中の一軒家を買い移り住んだ。
最初は携帯電話の電波も届かなかったが、近くの過疎の集落を外国資本が買ったため、便利になったそう。
住む人がいなくなった丘の上の村全部を、そうした外国資本の会社が買って、家屋や道や設備を修復し、イギリス人やドイツ人に売りだすためだ。
そういう需要はあって、どちらにとっても悪い話ではない。
日本でも過疎や空き家が問題になるが、日本の場合はイタリアほど凝縮した集落ではなく、田舎では家が点在しているので難しいかもしれない。
丘全部を買い取ってきれいに修復すれば、それはそれで景観が保たれる。
しかも新しくピカピカの新建材の建物を建てるのではなく、昔のような石やテラコッタをそのまま使っての修復なのがいい。
イタリアのそうした村はどんなに小さくても、大きな町とほぼ同じ機能を持っていて、広場があって、協会があり、役場のような人があるまれると建物があり、もしかしたらbarもあるかもしれない。
外国人が住むだけでなく、近隣の大都市の住人の別荘地としても利用できる。私たちが車で走っていても、ローマ近郊にもそういう小さな丘の上の集落をたくさん見かけるようになった。
そういうところにはアーティストとかも多くて、文化的にも新しさと旧さがうまく共存する新しい暮らしが生れているようだ。

これから内田洋子さんの本を少しずつ読んでみよう!
posted by 北杜の星 at 07:14| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月21日

吉村昭「東京の下町」

昭和2年生まれの吉村昭。
東京、日暮里に生まれ育った彼が幼いころを過ごした町の思い出を綴るエッセイ集。

ここには丸々の昭和がある。
子どもの遊びが懐かしい。吉村昭はほぽ私の父親の世代だが、当時と私の小さな頃の子どもの遊びって、そうは違わなかったみたいだ。
それが変わったのはいつ頃からなのだろうか?
昭和40年代か50年代くらいなのだろうか?

私も夫も東京の下町には縁がなくて、山手線でいえば上野から池袋間はほとんど知らない。
あれは根岸かな?洋食の「香味屋」が好きで、そこに食事に行くくらいしか用がなかった。
とげ抜き地蔵にもまだ行く必要はなかったし。

神社の夏祭りも盛んだった。
上野公園だって人気だった。
ハレとケがはっきりしていた下町の生活。
そのなかで吉村昭は映画が大好きだった。昭和10年代からの映画を実によく観ている。
そのせいか彼の将来の希望は映画監督だったとか。
しかし結核で大手術をしてくれた執刀医は彼に、映画監督は無理、どこか田舎で鶏や豚を飼って静かに暮らしなさいいと言ったという。

吉村昭のエッセイや私小説を読んでいるとたくさんの兄たちが登場する。
長男、次兄、三兄、四兄・・いったい何人のお兄さんがいるのといつも不思議だったのだが、ナント、9男1女で育った人なんですね。
ただ一人の娘が彼のすぐ上の姉、そして末息子の間に彼がいた。
一人娘だから母からは溺愛されていた。弟は末っ子で、とても愛くるしい顔をしていたのでこれも母から愛されていた。
彼ら二人にサンドイッチになっていた昭は自分が味噌っかすだということを、よく知っていた。

ある日、彼の家から少火が出た。
兄たちは消火にあたり、姉も弟もすぐに家から逃れた。でも昭はなぜだか悲して寂しくて、喧騒の中いつまでも家の中にとどまっていた。
父の会社の番頭さんがあわてて彼を抱きかかえて外に出たというが、これが次の日に母が兄たちから糾弾されることとなった。
母は「子どもにかわいい、かわいくないが、あるものか」と言っていたが、昭はそのそばでずっと黙っていたそうだ。

家のなかの孤独。
子どもって案外、そういうことに敏感なもの。
でもそうした気持ちはずっと大人になっても消えないのも事実。
私は8歳まで一人っ子で蝶よ花よと育てられていたのが、弟が生まれ、みんなが赤ん坊の弟に気をとられるよになって寂しかった記憶がある。
学校から帰って母親にいろんなことを聞いてもらいたいのに、「あとでね」と言われ、その「後」は来なくて。。
それまでとのギャップがありすぎで、でも本が好きで、本さえ読んでいればなんでもやり過ごせた。

これは吉村昭の個人的な回想エッセイではなく、昭和史としても興味深い一冊でした。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月20日

町田康「関東戎夷焼煮袋」

関東戎夷とは、関東は歴史文化がない蛮国ということ。
大阪生れの大阪育ち、と言っても関東に暮らして40年になる町田康。(現在は熱海に居を移している)
自分は上方人間としてのアイデンティティを失ったのでないか?と自問自答してみると、はたしてそうであるような。。
それはいけないと、関西人の矜持を取り戻すべく、まずは関西のソウル・フードから試みることにした。

関西のソウル・フードとして思い浮かべるのは、「うこん「ホルモン」「お好み焼き」「イカ焼き」「土手焼き」・・これが町田康の選んだ食べもの4品。
これらを自ら拵えよう。
でもあの町田康のことだから、すんなり作れるわけがない。話題はあっちに飛びこっちに戻り、材料を仕入れるときからゴタゴタ続き。いざ作ろうとするとまたもや問題山積なのだが、これらの問題、ぜーんぶ町田康本人が呼び起こす。
彼のファンならそのあれやこれやが楽しいのだが、ファンでない読者は「この作家はほんまに、アホンダラや」と信じ込むに違いない。
ちなみに大ファンの私にはとっても楽しい本でした。

関東に来てうどんを食した関西人の驚きたるや、これはもう誰もが経験することだし、さんざんこれまで書かれつくされているほどだけど、やっぱりあの汁の真っ黒さは受け入れがたいものがあるようだ。
私は広島にも大阪にも住んで、出汁の旨さを知っているのだが、広島の出汁と大阪の出汁は汁の色はどちらも薄いが、微妙に違うんですね。
大阪の方が出汁の味が濃くて上品。広島はいりこ(煮干し)を使うことが多いからかな?
先日、大阪出身で甲府に住む知人に京都のにしん蕎麦をプレゼントしたら、彼女は「うわあーっ、関西!」と一口食べて思わず叫んだそうだ。
懐かしかったみたいで、その懐かしさ、わかりますねぇ。

でも、人間は町田康を含めて、あんなに驚愕しイヤだったものでも、悲しいかな、慣れるんですよね。
その慣れこそが怖い。
町田康のつくった「うどん」がどうなったかは、読んでのお楽しみ。「お

この本のなかに町田康は「豚肉」についても書いているが、これって西の人間ならわかるのだけど、西で肉といえば「牛肉」のこと。でも関東では「豚」なのだ。
彼が東京に住み始めての第一印象は「とんかつの店が多い」ということだったそうだ。
私は広島や大阪での肉うどんの肉が牛肉なのに慣れていたので、関東で豚肉が入っていたのには、なんか貧乏くさい感じがしたものだ。
小さな頃のカツサンドのカツも薄い牛肉だった。
あの牛肉と豚肉の境はどのあたりなのだろうか?
近江は近江牛の産地だから牛肉かも。名古屋はどっちかな?

「イカ焼き」と関東で言うのは、お祭りの屋台などで売っている鉄板の上で丸のイカを焼き串に刺したものをいうが、関西ではちょっと違う。
コナモンではあるがタコ焼きとも違っていて、お好み焼きの具がイカという感じ。
でも私は大阪で一度も食べたことがない。町田康の文章を読むと、家で簡単に作れそうだ。

「お好み焼き」は確かに大阪も有名だが広島のソウル・フードでもあって、私は断然広島派だ。
これはもう私のお好み焼きの原風景なので誰が何と言っても変えられない。
それは大阪人も同じで譲らない。
大阪人と広島人が一致団結するとしたら、「東京のもんじゃは人間の食べるものではない」ということだろう。

「ホルモン」も「土手焼き」も経験がないので、これを読んでも「そうよ、そうよ」とうなずけなかったのが残念。
だけどなんで「イカ焼き」があって「タコ焼き」がないんでしょうね。

関東戎夷なんて言っても、40年も住めば「住めば都」です。
そのことを認めなければいけない町田康。。さらに忸怩たるものがあるでしょうが。。
ちなみに私は蕎麦好きなので、蕎麦の旨さはやはり東京。それだけで「うどん」汁の黒さは無視できるようになりました。(あれは汁であって、出汁ではありません!)。
posted by 北杜の星 at 06:57| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月19日

齋藤勝裕「毒と薬の不思議な関係」

「毒と薬は紙一重」「毒と薬は匙加減」・・など昔の人は毒と薬が表裏一体なことをよく知っていた。
最近では病院で処方される薬を服用し、その副作用に悩む人もいる。そうした人は薬を盲信しているのではないか?
薬には毒という裏の顔があることをちょっと考えてみようというのが、この本。

薬用となる動植物や鉱物は多い。それらは用法を誤ると危険なものだってある。
植物で有名なのはトリカブト。
毒性が強いが、心臓の薬として漢方では古くから使われてきた。
以前通っていた蓼科の家の庭にはトリカブトの紫の花がよく咲いていた。きれいなのだが、切り花で室内に飾るには抵抗感があった。
この本に書かれているのは、薬としてよりも毒としての方が多いのだが、これは「このような毒に気をつけなさい」ということなのだろう。
読みやすく書かれているが、内容は専門的である。
この本が私にとって読みやすい点はもう一つ、大きな活字が使われていること。これはシニアには助かりますね。

毒にはいろいろある。
食べる、触る、吸いこむ、刺される・・
消化器や呼吸器、神経系に作用したりと、毒の及ぶ体の部位も様々だ。

食べものの毒といって私がまず思い浮かべるのは、ふぐの毒だ。
私が子ども時代を過ごして広島では、毎年冬になるとどこかから「ふぐにやられた人がいる」という噂が絶えなかった。
おそらく自分でふぐを捌いた、毒と知りつつ過信して食べてしまったからだろう。
ふぐの毒に中ると、死の直前までずっと意識ははっきりしているのだそう。(それってコワイです)。
魚介の毒では最近アニキサスが問題となっているが、厳密にいえばこれは魚そのものではなくて、魚に寄生する線虫である。
動物にも毒を持つものは多い。カモノハシにはオスだけに毒があり、その毒は犬などの小動物は殺すが、人間には十分でないとか。
もちろん爬虫類には毒ヘビも有名。

他に、カビや菌、ウィルスなど地球上には毒が溢れている。
しかし明らかな毒には気をつけられるが、酒(アルコール)はどうか?
酒は百薬の長と言われ、適量なら体に良いとされてきたが、このところの研究では少量であっても酒は毒という説もあるようだ。じっさいに酒をたくさん飲む人はどこか体を壊す人が多いような気がする、
まぁ、嗜好品と呼ばれる食物は多かれ少なかれ毒なのだと思う方がいいのではないだろうか。

覚醒剤は反社会的な毒物と認定されているが、麻薬には毒と薬の両面があって、癌などの週末ケアに、痛みを除去するために使われるようななった。
これこそ「毒と薬は匙加減」の典型だろう。
自然界の毒は怖いけれどそれ以上に怖いのは「人間のつくった毒」である。
化学兵器、農薬、化学汚染・・これらは解毒が難しいものが多い。水俣病はそのなかでも悲惨な歴史を持ち、その解決に何十年もかかっている。

読めば読むほど、無事に生きて行くのはむつかしいものだなと心配になってくるが、知識を持っていれば回避できることもある。
役立つと同時に、とても興味深い本でした。

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2017年06月17日

ハッチの週間身辺雑記

梅雨はどこ?どうなったの?というくらい、ここ八ヶ岳は爽やかな晴天続き。
畑は水不足でカラカラだとか。
雨ってたくさん降ってもイヤだけど、降らなくても困る。おてんとう様のご機嫌に任せるしかないのですね。

この1週間はけっこう盛りだくさんでした。
一週間前の土曜日には、自家製ハムソーセージの工房のご主人の全快パーティが催され、招待されて参加しました。
彼は一昨年の暮れにバイク事故に遭い(カーブを曲がったところに鹿がいたための不可避の事故でした)、肩の損傷がひどく、入院手術リハビリとずっとお店を休んでいらしたのです。
今は肩を休め休め、美味しいハムを作れるようになりました。
リゾート地のここは夏にはどこのお店も超多忙になります。その前にひとときの休暇ということで一週間のお休みを取り、その間の「感謝パーティ」ということで、ハムやソーセージはもちろん、ピザや前菜など盛りだくさん、集まった人たちって50人以上だったのかな?
みんなお腹いっぱい、隣に座った方々とお話ししたりして、楽しく過ごしました。
なにより印象的だったのが、ビールでした。
ふだんビールをあまり飲まない私なのですが、そのビールには日本のビールのような雑味のある苦味がなくて、じつにスッキリ、しかもコクもあるのです。
聞いてみるとドイツのビールで、瓶のものもあるのだけれど、今回は樽で取り寄せたとか。
ビールって美味しいものだと初認識しました。

次の日は、私の憧れの君S氏が、見事なさくらんぼを届けに来てくださいました。
S氏がいらっしゃる時は遠くからポルシェ・ターボの轟音がだんだん近づくので、「あ、Sさんだ!」とわかるのです。
大好きな方なので、さくらんぼ無しでも大歓迎なのですが。。
びっしり箱詰めされたさくらんぼは、我が家ではとうてい買えない高級品。
大粒で真っ赤で、さくらんぼって本当に愛らしい果物なんですね。味が濃いので10粒も食べると満足できます。
毎年、ありがとうございます。

月曜日のお昼前、夫が突然「松本へ行こう」と言いだしたのはうれしいサプライズ。
夫は松本の街が目的ではなく、知人から教えてもらった道をドライブしたかったようです。
いつもは小淵沢インターから高速で松本インターで下りるのですが、その道は塩尻で下り、そこから東側の県道を松本のあがたの森公園前に行く、というもの。
教えられたように左に塩尻平野(盆地?)、まるでヨーロッパの田舎道を走っているような心地よさ。
すっかり気に入り、今度から松本に行くにはこの道だね、ということに。
松本インターを降りると、どうかすると街中まで渋滞していることが多く、しかもあまり美しくない道なんですよね。
松本でランチどころを探したのだけど、鰻屋も蕎麦屋も洋食屋もお休み。ランチ難民になりそうだったので見かけた中華屋さんに入って、あんかけ焼きそばを二人で食べ、せめて美味しいコーヒーをと、コーヒー屋さんで一休み。
帰りも同じ道、夫が来るときに見つけた看板のお豆腐屋さんに寄って、湯葉やおぼろ豆腐や油揚げを購入。甘党の夫は豆乳ドーナッツもゲット。
美味しくてリーズナブルな値段で、今度もここに寄るために、車にクーラーボックスを忘れないようにしなくっちゃ。

火曜日は2週間抜けていた視覚障害者のiphone教習で、先生が甲府から来て下さいました。(先生は出張でお忙しかったのです)。
voice overの機能を使うのですが、私はまだ少し狭い範囲が見えるので、つい「字」に頼ってしまいがち。
voice overとsiriの両方を使い分けながら、やっていこうと思っています。(液晶の字が小さくて見づらいときにも老眼鏡を取りに行くかわりにvoice overで読みあげてもらうと
便利です)。

水曜日は久しぶりに体操教室へ。
Mさんという友人が参加するときには送ってもらえるので、私も行きます。夫が行く気がないのです。
最近この体操教室は「棒」を使っての動きがあって、これが複雑極まりなく、きちんと動いている人がほとんどいないくらい。みんな別々のことをしている感じで、頭の体操にもなっていますが、私は目が悪いので先生の動きが見えないのですが、でも目が悪いだけではなくて頭も悪いのだとつくづく思い知らされます。
Mさん夫妻にはそのときには我が家でささやかなランチを一緒にしてもらいますが、いろんなお話しができるのがとっても楽しい。
気持ちの良い方たちで、このところ親しく食事に行ったり旅行に行ったりおつきあいしてもらっています。

その夜は夜で、別の友人宅でパーティがあり、ご主人特製のドライカレーを頂きました。
このドライカレー、お金が取れるほど絶品なのです!
年に2度くらいあるこのドライカレー・パーティを私たちは楽しみにしていて、これもお腹の皮がパンパンになるほど食べちゃいました。
カレーだけでなく前菜もすごくて、カレーに専念できないくらいたくさんのお皿が並びます。
お食事に招かれるのってすごくうれしいことで、お野菜の切りかた一つでも私とは違ったりして、それがまた新鮮。
いろいろ勉強になります。
食べ過ぎたので木曜日は茹でたお野菜だけで、身体を整えました。

こうして書くと、ずいぶん享楽的に暮らしているなぁと思います。じっさい楽しい毎日です。
お金がなくても健康であればシニア・ライフはそれなりに楽しめるというモデルケースが私たち夫婦かもしれません。
でもこの年齢になると健康自慢はしないほうがいい。いつなん時、何が起こるかわからない。。
人生って、不意をつかれるものですから。

そんなこんなの一週間でした。
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2017年06月15日

水月昭道「お寺さん崩壊」

寺が潰れるという話は最近ときおり聞く。
不思議ではない。むしろ「そうだろうなぁ」と思う。
過疎化で檀家が少なくなった、自由な葬送が増えて寺で葬儀を執り行わなくなった、信仰心が薄れたなど理由はさまざま。
でも私が考えるに、寺に魅力がなくなったことが大きな原因ではないか。
それに魅力ある僧侶だっていない。
いろんなイベントを考えついたり、テレビに出たり、本を出版したりする僧侶はいて、いっときは話題になるがやがて消えてゆく人も多い。
だけど、そういうのと「尊敬できる」のは別の話だ。
つまりは、尊敬できる「お寺さん」がないということ。やはり聖職者には尊敬できる部分が見えないと信頼できない。
少なくとも、「あの寺に行って、あのお坊さんの法話を聴いてみたい」という気にさせる魅力がないということ。

この本にはいかに寺の内情が大変かが詳しく述べられている。
寺の経営基盤となる収入は、葬儀や法事などでぇの「お布施」。それと年会費だそうだ。
ちなみに著者が住職を務める寺は檀家約150軒。そこから上がる収入は、お布施が450万円、年会費が150万円の計600万円。
寺によっては他にエキストラで駐車場代とか副業兼業からの収入もあるらしいが。

600万円あれがまぁまぁじゃないか、プアではないじゃないかと思われるかもしれないが、著者に言わせるといろいろな経費を差し引くと、給料として得られる金額は年200万円にしかならないとか。
著者には「高学歴ワーキングプア」という著書があるのだが、これでは院卒の本人そのものの話としか言いようがない。

大変だなあごは思っても、心底から同情でけいない気持ちも私にはある。
こういう経済状態だと寺を継ぐ子がいないとも書かれているが、そもそもなぜ寺が世襲制なのかが納得できない。
九州にある寺が潰れる際に、土地は元住職の所有、本堂は宗教法人所有となっていて、その処遇があれこれあったと書かれていたが、なぜ寺の土地が住職個人の所有地なのかもわらかない。
宗教法人の税制は、宗教的部分の収入にだけ適用されると言うが、その収入となる「お布施」があまりにも不透明だと感じるのは、私だけではないだろう。
みんなが寺離れした原因はその不透明さにあるはずだ。

乱暴な言い方になるかもしれないが、どんなものであっても未来永劫変化ナシということはあり得ない。それこそ諸行無常なのである。
崩壊するものなら崩壊してみればいい。そこから新しい寺、または僧侶のありかたが見つかるかもしれない。
潰れるのには潰れる理由があるし、存続できるならそれはそれを必要とする人間がいるからだろう。

この本では最後の方に、仏教に関する話が出てくるが、それもなんだか「これまで経済的なことだけ言いたててきたので、ここらでちょっど仏教の話でもするか」というつけ足しのように感じてしまうのは、うがち過ぎだろうか。
私が寺に魅力を感じないのは、寺のケアする範囲がせいぜい檀家までということだ。
もっと大きな範囲でモノゴトが考えられないものか。ワーキングプア、子どもの貧困が今の日本にはあって、そういうことに対する社会的なアプローチがお寺さんには少ないのではないか?
そういう点はキリスト教の活動を見習ってみればいいと思う。
狭い地域社会、それも檀家だけに目が向いていては、今の世のなかで信頼はえられないと思うのだけど。。

でも少ない年収にもかかわらず、著者は仏教に身を投じ続けると断言していることには、心強さを覚えます。
こういう「お寺さん」にこそ期待したいものです。
いっときの人気取りではなく、「尊敬するお坊さん」と慕われるようになってほしい。それこそが寺を崩壊させない道だと思います。
posted by 北杜の星 at 08:09| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月14日

古井由吉「ゆらく玉の緒」

2年ほど前に読んだ「鐘の渡り」の続編のような小説集。
80歳になんなんとする作家がこれまで生きてきたなかで起きたさまざまなできごを思い浮かべる短編が並んでいる。
記憶はあちこちと飛び、時系列なく交叉する。
記憶というものはそういうものなのかもしれない。きっちりはっきりと自分のなかにあるのではなく、浮かんでは消えるうちにはだんだんとおぼろにもなってゆく。

これは古井由吉の小説によく出てくる話だが、ここにも戦災で焼けた家が書かれている。
家族の住処だけでなく、岐阜の父方の実家も焼かれた。その焼ける家を見たことが当時幼かった主人公の原風景となっている。
付き合いのあった知人たちも物故してしまった。
病弱で何度も手術を受け入退院を繰り返した主人公はまだ生きている。
そうした不条理ともいえる想いが、3・11の記憶とともに彼にはあるのだろうか。

内向の世代は私にとってもっとも身近な作家たちだ。
それまでの戦後派にも第三の新人にもぴったりとこなかった私に、日本文学のおもしろさを教えてくれたのが内向の世代だった。
坂上弘、高井有一、阿部昭(彼の短編が大好き!)、小川国夫、黒井千次、山川方夫はこのカテゴラリーに入るのかどうか・・
山川は早逝し、阿部昭もずいぶん前に死んでしまった。高井有一は昨年だったか。
どんどんこの世代が消えて行くなかで古井由宇吉は病気がちながらまだ書いてくれている。
いまや日本純文学の大御所である。

このところの彼はこうした老いた人間の記憶にまつわる作品が多くなっているが、もう少し前までの彼が描く男と女には、なんとも言えないエロティシズムが漂っていて、現実とも幻とも判じかねる境界のあいまいさが本当に素晴らしかった。
文学のエロティシズムとは何か?を彼ほど見せつけてくれた人はいないと思う。
私が友人に「内向の世代作家が好き」というと、「なんで?あんな退屈な本」とばっさり斬り捨てた人がいたが、社会性はないかもしれないが、個として生きる人間の孤独を彼らはその作品のなかで表現している。
私は小説とは「個」を書くものだと思っている。そこに社会性があってもかまわないが、それを書く必然hはあくまでも個人的なことと結びついているはずだ。
内向の世代を毎日読むのは疲れるけれど、居ずまいを正すためにも時には読みたい。

この中で彼の親が美濃の人だったと思いだされるのが、「味噌粥」。
風邪でもなく腹をこわしたのでもないときに、久しぶりに味噌粥を食べたはなし。
その味噌はやはり赤味噌だ。
貧しい食事であったろうその味噌粥に彼のノスタルジーを感じる。
各家庭に味噌の匂いがあると彼は書いているが、たしかに味噌は地方色がある調味料だ。
関西では白味噌、中京では八丁味噌などの赤味噌、信州では淡い色の米麹味噌(我が家はそのなかでも甘目のものを常食してます)、東北はどんなのか知らないが特色があると古井は書いている。
味噌煮込みうどんは赤味噌でなくっちゃね。

だけどあの味噌煮込みうどんのうどんってなんであんなに固いの?まるで茹で不足としか思えない。茹で不足だからあんなに芯が残っているのではないかと思うくらい。
名古屋の人はあの味噌煮込みうどんをおかずにご飯を食べるんです。
まぁ、たこ焼きやお好み焼きとご飯よりいいのかな?
中京では味噌煮込みうどんより、キシメンです。
posted by 北杜の星 at 07:22| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月13日

吉田晃子・星山海麻「小さな天才の育て方、育ち方」

ユニークな育ち方をした女性と彼女を育てた親についての本。
副頽には「小・中・高に通わなくても大学に行った話」とある。
学校というものについてだけでなく、生きる上での価値観を問う本でもある。
でもこのタイトルはちょっと違うと思う。なにも親は「天才」を育てようとしたわけではないし、子だって「天才」ではない。

中学生のいじめ自殺が後を絶たない。とてもとても痛ましいことだ。
生命力に溢れるあの年代の子どもが、なぜ自ら命を絶たなければならないのか?
さぞ学校に行きたくなかったことだろう。
でも「行きたくない」とは言いだせなかったのだ。学校へは行くものと周りも自分も考えていて、学校に行けない自分を責めていたと思う。
そもそも親に自分がいじめを受けていると伝えていたのだろうか?
もしも親が「イヤなら学校になんか行かなくてもいいんだよ」と思いながら子どもを育てていれば、子どもたちは逃げ場所を見つけることができたかもしれない。
本来なら自分を絶対的に守ってくれるはずの親に、本当の気持ちを言えない子の寄る辺なさを思うと切なくなる。

海琳さんは6歳で小学校入学、その3日後には登校をしなくなった。
学校には自分にとってわけのわからない理不尽なイヤなことが多かったからだ。
彼女が幸運だったのは、そんな彼女を理解してくれる母親がいたことだ。
「人間はハッピーになるために生れてきた」と信じる母は、子どもを導こうとしたり、教えようとしたりは絶対にしたくなかったし、子どもがイヤなことを押しつけようとはしたくなかった。
たとえそれが小・中学校の義務教育であっても。
(義務教育だからこそ、行かなくても卒業証書はくれるんだよね。)

けれど海琳さんはまったく学校に通わなかったわけではない。
デモクラティックスクール(サドベリースクール)に通っていた。
スクールと呼ばれてはいるが、そこには何もない。坐る場所も自由。したいことは自分で決めて好きなように過ごす。誰も教えないし結果を求められることもない。
だから海琳さんは17歳で「大学に行こう」と決心するまで、99もbe動詞も知らなかったという。
その彼女は数カ月の受験勉強で大学入学した!

学校で教わらなかったといっても、彼女が何も学ばなかったわけではない。
第7章の「娘が携帯を持ったのは6歳のとき」の項にあるように、海琳さんの学びは日常のなかにあったし、その方法がなんとも素晴らしい。
6歳なのでひらがなだけのメールを母親とやり取りしていたのだが、ある日学校の16歳の友達から漢字交じりのメールが届いた。
「なんて書いてあるんだろう」、当然彼女には読めない。
ここからがスゴイんです!
「でも『なんて読むの?教えて』と言われていないので、娘の次の言葉を待ちました」。
すると海琳さんは漢和辞典を出して来て母親に辞書の引き方を教えてと言って、一文字一文字の漢字を自分で調べ始めた。
そして返信メールを書くにあたって今度は、国語辞典を引き始め漢字で書き送ったのだった。

親がスゴイ、子もスゴイ。子もスゴイが親もスゴイ。
世の中の母親の口癖の一つに「早くしなさい」というのがある。短気な私なんか子どもがいたら毎日何度も言っていたと思う。
だけkど海琳さんのお母さんは、待てるんですね。
教えたり、自分でしちゃう方がよほど手っ取り早いのに、彼女はじっと待てる。待って見守れる。
これはできないことだと思う。
「親」という字は、「立木のそばで見ている」と書くのだけど、これこそが親なのだ。
もっとも海琳さんの母は世間一般の概念とは違うんだけれど、というかそもそも固定概念など持ち合わせていない人だ。

まだまだ高学歴を良しとする社会に、こうした子育てがあると知ることは、選択肢が増えることではないだろうか?
「みんなが行くから」「みんながするから」と「みんな一緒」はある意味ラクだもしれない。
子どもがそれで満足していればいいがイヤがった時に「本当にそうだろうか?ハッピーなのだろうかの疑念を一度は持ってもいいと思う。
「学校に行かないと学力が不足するのでは」とか「好きなことだけしているとワガママな人間になるのでは」と不安に思う親が多いだろうが、まずその考えをちょっと振り返ってみること。

私のちょっとした知人の娘一家はアメリカのアイダホに住んでいるが、子どもたち3人は誰も学校に行っていない。
道で見つけた植物は植物図鑑で調べるし、カエルの解剖も本やネットを見ながら自分たちでする。
一人一畝をもらって野菜を作っていて、自分で収穫し自分で料理をして食べる。
また、これはアイダホならではなのだろうが、一人一頭の馬を育てて乗り回している。
まぁ日本の教育現場からするとまったく別世界だが、でも彼女たちはこういう子どもの育て方をしたいという気持ちが強かったからこうしているのだと思う。
これも押しつけと言えば言えるかもしれないが、固定観念にがんじがらめになった育て方よりはいいんじゃなないかな?


日本にはデモクラティックスクールだけではなく、シュタイナー学校などもある。
選べることは案外、あるんです。
posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

八ヶ岳デイズVOL12

信州には大人のための情報誌「kura」という雑誌がある。
十数年前からの月刊誌で、写真、文、装丁などとても美しく、本屋でつい手にとってみたくなる本だ。
毎号同じような内容といえばそうなのだが、これだけ長い間発刊し続けているのだから、ファンが多いのだろう。
kuraを見るたびにいつも、八ヶ岳にもこういう情報誌があればいいのにと思っていた。
そう思う人が多いかったのか、「八ヶ岳テデイズ」ができ、12号にもなっている。
まぁ、正直にいえばkuraには負けてる。
でも私の住む八ヶ岳の情報誌なんだもの、応援はしたい。
それで今回、このムック本を紹介することにします。

vol12の特集は、「野辺山から麓の町までハイキングいしょう」。
野辺山にはJR小海線が走っていて、この駅は日本でもっとも教皇の高い駅として知られている。
八ヶ岳は標高3千メートル級の山々がそびえる連峰なので、本格登山もできればトレッキングもできる。
けれど今回はもっと緩いハイキング。
ゆっくり歩くから出会えるものもある。
お年寄りや小さな子ども、障害のあるひとでも楽しめるように、リフトやカートを利用してのハイキングコースだってある。
標高1900メートルの清里テラスで飲む珈琲。
やまびこが聞こえる場所。
美仏に会う道
歩くのに疲れたら天然温泉もある。

この本を見ていたら、「なんて私は素敵なところに住んでいるんだろう!」とうれしくなってくるし、誰彼となく自慢したくなってくる。
東京や横浜などの都会からの移住希望率が高いところだけあって、本当に素晴らしいところ。
山、森、空、水、星・・どれもどれも美しい。
大昔、縄文の時代からここはそういう土地だったのだ。

自然以外にも、ちょっと行ってみたい食事処も載っている。
先週そのなかの一店を訪れようと探してみたのだけれど、どうしても見つからず、あえなく近くにあるいうもの店で食べたのだけど、最近はどんどん新しいお店が出来ているようだ。
東京の外苑前にあった7年連続ミシュラン★★★の和食屋もこちらに移転してくるそうだ。
海がないので魚だけはないが、豚肉、鶏肉や卵は地産で有名なものがあるし、山梨は野菜と果物王国だ。
山菜やキノコ、それにジビエだってOK。料ずるに不足ない材料が揃っている。

こういう本を読んで初めて知る郷土史があるんですね。
たぶん小学生などなら、地元の歴史を学校で習ったり、野外学習でいろいろ学ぶのだろうけれど、移住組の大人の私たちにとってはなかなか知ることのできない情報を手に入れられるのがうれしい。
北杜市には将軍に献上する馬の飼育をしていたところがあったそうだ。北杜市の東の高根という町や北杜市の隣の韮崎市にあったという。
今でも北杜市の小淵沢は馬術クラブがあって、近くの武田信玄の棒道は舗装していない自然の道なので、週末には馬に乗って歩く人をよく見る。
その姿を目にすると、ヨーロッパの田舎に居るような気分になる。

八ヶ岳ではなく南アルプスの麓には、やはり献上米を作っていた地域があって、ここの米は収穫量が少ないものの、美味しいことで知られている。
南アルプスの伏流水で作る米は、農薬を極力少なくして栽培できるし、まったく無農薬でつくっている人も多い。
名水の地としても、ここ北杜市は有名なのですよ。

私はここで生れ育ったわけではないし、おそらく終の棲家にもならないと思っているのだけれど、現在住んでいる土地を愛したい気持ちは大きい。
そのガイドをしてくれる「八ヶ岳デイズ」、頑張れ!とエールを送ります。
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月10日

ハッチの週間身辺雑記

九州の梅雨入りが発表されましたが、ここ八ヶ岳南麓でも雨模様の日が多くなりました。
さいわいなことに、ここではムシムシすることがほとんどないので、不快指数は低いものの、やはり毎日雨雲を見て暮らすのは心理的に鬱陶しいです。

イスラムのラマダンの最中ですね。
なぜ私がそれを気にするかというと、私が一年ほど前に知り合った女性とその夫君がムスリムだからなのです。
現在は世界中でテロが起こり、普通のムスリムの人たちがどんなに心を痛めていることか。
どの宗教にも原理主義者はいます。でもそれはごくごく一部の人間。それをムスリム全体と考える、例えばあのアメリカの大統領のようなわけのわからないことを言う人間がいることで、世の中の一般の人たちがムスリムを誤解してしまっています。

という私も、ほとんどムスリムのことを知りません。
ラマダンのことだって「お日さまの出ている時は何も飲食してはいけない」ということだけを知っていた程度。
そのラマダンは毎年、10日ずつずれるんですって。
それは世界各地に存在するムスリムの人たちが公平にラマダンの期間を過ごすためだそうで、時期がずれなければ、毎年長い時間を食事できない国の人がいることになったり、いろいろ不公平が生じるからだと言います。
真夏の暑いなか、毎年水が飲めないのはツライですよね。
絶対すべての人に断食が義務付けられているのではなくて、病気や妊娠中のひと、幼い子どもたち、それに生理中の女性も食べてもいいそうです。

でもラマダンの本当の目的は断食にあるのではない、というのを初めて彼女から聞いて、これはすごい宗教だなと感服しました。
それは、食を絶つそもそもの目的は浄化することで、、要するにデトックスなんです。
だから体を浄化するために食を絶つ。それだけではなく心のデトックスも同時にする。むしろこっちが目的で、ラマダンの期間には、人の悪くしhを言ったり、悪い想念をもったりしてはいけないと固く戒められているそうです。
・・などなど、知れば知るほどムスリムの本当の教義に心打たれています。

週はじめの日曜日は、視覚障害者のための料理教室があって参加してきました。
料理の前に、食品の保存方法など、じっさいの視覚障害を持つ女性たちの経験トークがあり、みんなそれぞれ工夫をして家族のために料理をしていらっしゃることがわかりました。
そのなかのお一人のSさんは私の点字の文通仲間。お会いするのは初めてでしたが、想像通り聡明で独立心の強い女性でした。(なにしろ下のお子さんが幼稚園に通っていた頃は、目が見えないなかPTA会長をされていたほど)。
彼女のような人にとっては障害があるなしに関わらず、人生をポジティヴに生きられるのだと思いますが、障害をもつ人たちがみなそういうわけではない。
家から出ることなく、PCやスマホなどの機器の使用を知らずに引きこもって暮らす人だったいるのです。行政から受けられるサービスの知識すらない。
都会ではまだ情報交換が頻繁に行われますが、地方においては孤立している人がまだたくさんいます。
そんな人たちが少しでも社会とコミュニケートしながら積極的に活動してほしいものです。

私は時間がなかったので料理教習には参加できなかったのが残念でしたが、一つだけ料理をしていて不便なことがあったので、それを質問したら、料理研究家の先生がいいことを教えてくださいました。
炊飯器の水加減がどうも見えにくくて、どこまで水を入れていいのかわからなかったのです。
「米1合を米専用の180ccカップで測り、米を洗い笊で水切りしたら、水は200ccの計量カップ1杯。これが基本。つまり米の1.2倍の水を入れるということ。
二つの軽量カップを使って水加減するのです。
これなら見えなくても簡単。早速実行してみると、ホント、美味しく炊けました!
こんな簡単なことに気付かなかった私って、マヌケですけど。。

水曜日は東京へ。
3人の友人たちと会う予定だったのが、なかの一人の都合が悪くなってキャンセルとなっていたのですが、夫が東京に行く用ができたので私も便乗させてもらい一緒に出かけました。
4月にずっとお世話になっていた公認会計士さんが1年の闘病の果てにお亡くなりになり、極小事務所とはいえ、今後をどうするかということに。
ラッキーなことに新しく面倒を見てくれる税理士さんがすぐ近くに見つかって、顔合わせをするための東京行き。
決算月が近づいて、「もう、事務所は畳もう」ということになるのかと思ったら、ナント、「あと1、2年ほどお願いします」と言うことになって、私は少々驚いています。
まだ仕事、するんだぁ。。
まぁ、畳むのはいつでも簡単に畳めるので、その時はその時ですけど大丈夫か?
公認会計士さんより税理士さんの方が月々の顧問料が安いんですね。経費が少しでも少なくなるのは大歓迎。

久しぶりの夫と二人の東京なので、西新宿の超高層ホテルで、お鮨のランチをしました。
東京へ行きたがらない夫なので、今はほとんどそのレスランに行かなくなったのに、マネージャーさんがわざわざ挨拶にテーブルに来られて恐縮しましたが、ああいうサービス業の人ってすごいですね。ちゃんと顔と名前を覚えているのです。もっとも数年前までは毎日のように彼はそのホテルで食事をしていたのですが。
美味しい魚でした。
田舎のばあさん化している私には、ホテルの地下駐車場を出てすぐ見える西新宿の超高層ビル群を「ウワァー」と言いながら眺めました。オノボリさん丸出し。
往復4時間、滞在2時間の東京でしたが、列車で行って友人と会うくのとはまた別の新鮮さ。ときにはこういう場をと、二人で話しあった次第です。

楽しいひとときを過ごしてこちらに帰ると、やはりホットとします。緑がいっぱい、空が広くて爽やか。
それに我が家は花盛り。いろんなバラが咲き乱れています。
こんないいところを、でも、引っ越す人もいます。
お隣の山荘の方です。2年前に東欧を旅行中にご主人が突然お亡くなりになり、子どものいない奥さんだけではここを管理できなくなって、大好きだといつも仰っていたここを手放す決心をされたのです。
売るよう依頼した不動産屋が、眺望を確保するために我が家との境界にある木を伐り始めました。
南アルプスが眼前で、しかも前に電線など遮るものがないのですが、20年近くなると木々の生長が激しく、山が見えにくくなってしまっているのです。
とにかく「眺望が売り」ですから、木を伐るのは止むをえません。
ただ、素晴らしい花をつける山桜だけは何とか伐らないでと嘆願して、それは残してもらうことになったので安心しました。

その木の伐採。おじさんがたった一人で行っているんです。それももう70歳近い小柄なおじさん。
ものすごく高い水ナラの木にハシゴを二つかけ、その一つのハシゴを自分が登る高さまで引っ張り上げて木にくくりつけ、片手でチェーンソーを持って枝をはらい、最後に少しずつ幹を落としていくのです。
命綱をつけているとはいえ、すごいテクニック。(その命綱も「それでいいの?」というくらい簡便なもの。夫は「何かあったら、すぐに救急hさ呼ぶから安心して」と慰めにもならないことをおじさんに言ってましたけど)。
これまで大きな木の伐採にはクレーン車に乗った人が木を伐り、それを下に居る人が始末しながら。。という手順で、3人くらいが必要でしたが、それでも「スゴーイ」と見ていたのですが、このおじさん、スゴイなんてもんじゃない。まるでアクロバットです。
夫はすぐにそのおじさんの名前と電話番号を貰っていました。来年には我が家もお願いするためでしょう。
裏の山荘のSさんも同じことを頼んだと言うから、誰もがあのおじさんの仕事ぶりに感動したんですね。
それに重機を使わず人員も少ないのだから、伐採費用は多分安いと思いますが、それよりもなによりも、あの木に登ったおじさんの姿の神々しさをまた見たいです!
どんなジャンルにも「達人」はいるんですね。

そんなこんなの一週間でした。
posted by 北杜の星 at 07:59| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

吉本ばなな「キッチン」

点字で読んだ本。
印字ではもう30年以上になるかな?
村上春樹とは違う意味で「新しいものを書く若い人が出てきた」と思った。

その後でイタリアに行くたびに、「Banana」「Banana」La cuccina」とかイタリア人から言われることが多く、最初はいったい何のことを言っているのかと訝しかったものの、「あー、あの本のことね」と少々驚いた。
イタリアで彼女の本がいちはやく翻訳されて人気になっていたのだった。

吉本ばななは好きな作家だ。
彼女の書くこと、これは伝えたいと思って書くことに共感ができるから。
それに彼女の本の読後感はとても読者を幸せにしてくれるものがある。
浅い、薄っぺらと悪口を言う向きもあるけれど、でも、そもそも彼女は重厚なものを書こうとしてなんかいない。

だけど彼女の文体文章はどうも私と相性が悪い。
はっきり言って、下手な文章だと思う。
目でなく指で点字を追っていると、これまで以上にそう感じてしまう。
ぐだぐだしているんですよね。
私の好みは、余分なものを削ぎ落した簡潔な文章なので、ちょっと読むのがつらかった。
(簡潔で鳴く饒舌であっても、町田康のように大好きな作家はいるのだけど。饒舌さが個性となっているような作家のものはイヤじゃないんです)。

それでも、やはり吉本ばななの感性に誘われて読む。
両親を亡くしたあと祖母と暮らしていたのが、その祖母も亡くして、祖母のちょっとした知り合いだった雄一とその母(実は父)の家で一緒に暮らすことになったみかげ。
孤独なみかげと同じようにどこか孤独な母と息子。
彼らと暮らすことでみかげは喪失感を癒すことができるのか。
喪失と再生が緩やかに美しく描かれている。
陽の光、風のそよぎ、公園の緑はみかげの日常にある。それを感じながら生きるみかげ。

たぶん街でみかげに出会ったとしても、彼女がそんな悲しみを抱えた若い女性だとはおもわないだろう。
でも街行く一人一人の人たちはみんな、なにがしかの悲しみと共に歩いているのかもしれない。
確かにあ今持っているものが、明日には消えて行くかもしれない不安も持ちながら。
みかげが特別な存在ではなく、すぐそこにいる人として思えてくる。
「キッチン」は連作短編集なので、これからまだまだたくさんのことが起きるのだが・・

作家のデビュー作品には作家のすべてが押し込まれているとは、よく言われること。
「キッチン」を再読してみて、それが本当だと私も思う。というか、全然彼女、変わっていない。
そのことに安堵。
(でもどうしても文章はダメですが、、)
posted by 北杜の星 at 07:27| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月07日

紫門ふみ「結婚の嘘」

結婚についての考察は古今東西、じつにあれこれされ続けてきた。
しかし(当たり前だが)、結論はでない。
なぜ当たり前かといえば、結婚が同じであるはずがないからだ。
家族構成が違うだけでなく、現代ではその形態まで異なり、別居結婚もあれば同一性の結婚もあるようになった。
そもそも「結婚の嘘」というのは、「結婚の本当」があると信じていた裏返しなのかもしれないが、結婚に嘘も本当もないんじゃないかな。

私のようなシニアになり、結婚歴ウン十年ともなれば、どちらも相手に多くは望まないようになる。
望んでもムダだし、こちらに望まれるのもおおいに迷惑だ。
おたがいにいい加減なところで折り合いをつけながら一緒に暮らす。。だってそれしかないでしょ。

結婚生活とは冷蔵庫のようなもの。
中に入っている食材で、いかに美味しく料理をするか・・
というのが結婚してすぐの紫門ふみさんの気持ちだったらしいが、20数年の結婚を続けるうちに、そんな甘いものじゃないとわかったとか。
それでこの本を書くことになった。
この本には彼女の結婚生活における固定概念覆したいろんな結婚の「嘘」が書かれていて、これをシリアスに受けとめるひともいれば、笑い話と受けとめる人もいるだろう。

「夫がいい人であることと、結婚生活の不満とは別」とあるが、これは誰もがそう感じているだろうなぁ。
どんなに善人、できた男であっても妻としては言いたいことは山ほどあるはず。むしろ「表面がいいんだから」の気持ちが強いのでは?
ここでなるほどと思ったのは、「妻の不満は永久不滅ポイント」という項だった。
男性というのは忘れやすい生きものだが、女性は言われた言葉一つ、されたこと一つ一つをじつによく覚えているもの。
何十年も前のことが忘れられなくて、ずっと溜まった不満がある日、コップの水があふれるように流れ出す。
定年を迎え、妻から離婚を言い渡される夫にとっては、「なぜだ!」だろうが、妻としては「積年の恨み」なのである。ただ期を待っていたいただけ。
これはどうやら男と女の脳の構造の違いなのか?

結婚式のとき、新郎新婦は神さまや仏dさまの前で誓いをたてる。
「富めるときも貧しいときも、病めるときも健やかなるときも」と。
誰かの小説で読んだことがあるのだが、それは誓わなければならないほど大変なことだからなのだ。
人生、長寿になって、結婚生活も長くなった。
長くなれば我慢するのはけっこうつらい。
いつも夫の悪口を言っている人を見ると、「なんで別れないんだろう」と不思議になるけど、そんな簡単に別れられないのが結婚というのもなのかもしれない。

ちなみにこれも何かで読んだのだが、シニアになって仲良く一緒に旅行をする80パーセントの夫婦に共通項があるそうだ。
それは、寝室を同じくしているということ。
別にセクシャルな意味ではなくて、同じ部屋で寝起きする夫婦には、そうでない夫婦にはない情みたいなものができるのか?面白い統計だ。
ちなみに私たちは寝室は同じ。よく一緒に旅行します。
寝入る前に読んでいる本のことを話したり、寝ている間の相手のイビキなどで健康状態がわかったり、起きた時の顔色をはかったりできるのは、いいことだと思う。

でも私が思うに、悪口にせよ、相手のことを話す間は、夫婦はまだ大丈夫!
無関心がいちばんコワイ。冷めきった関係なら悪口も出ないもの。
紫門ふみさん、そういう意味では心配なさそうですね。
posted by 北杜の星 at 07:18| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月06日

西村賢太「芝公園六角堂跡」

長年ファンだったミュージシャンから招待され、芝公園近くのホテルのライブ会場に赴いた貫太。
不遇の時代を経て、名の知れた文学賞を受賞し、有名ミュージシャンから特別待遇を受けるようになった彼の微妙な心理を描く連作短編集。

西村賢太の小説に貫太が登場すると、「あぁ、また会えた。しょもないヤツだけど。。」とそのいつものパターン化した文章に安心する。
良くも悪くも、そこには貫太がいるからだ。
芥川受賞後、彼はずいぶん忙しかった。書くこと以外にもテレビに出たり、インタビューを受けたり・・
そのため、忘れていたわけではないのだが、「没後弟子」を自認する私小説家の藤澤清造のことを、疎かにしていた。
ライブが終わりホテルの外に出た貫太は、そこが藤澤清造が凍える寒さのなか狂死した場所だと気付く。
といういわば、西村賢太の原点回帰の作品。
起承転結などがとても巧くなっていると思う。
いつも以上の自虐ユーモアも健在だ。
でもなんというのかな、「狙い過ぎ」なんじゃないかな?
もともと巧いひとではある。(そうと気がつかない読者がいるだろうが)、でも私は、こんな「こなれた」巧さは好きじゃない。

表題の「芝公園六角堂跡」よりも、他の「終われなかった夜の彼方へ」「深更の巡礼」の方が私には好ましかった。
これまでの私小説への傾倒ぶりがよくわかるし、それこそが作家の西村賢太を生んだ経緯でもあるからだ。
最後の「十二月に泣く」のラストも、ちょっと狙い過ぎ。
北陸七尾にある藤澤清造の菩提寺の住職の母堂が亡くなり、弔問にでかける話だが、最後清造の墓の前で、偶然にも彼の書簡が出て来たと古書店から連絡があり、そのタイミングに、貫太が哄笑、やがて哄笑は嗚咽に変わり。。というものなのだが、陳腐な終わりかたですよねぇ。
私的にはこれ、70点。

だけど田中英光や藤澤清造のことを西村賢太が書いてきたおかげで、彼らの小説が再発刊されたのは素晴らしいことだと思う。これは彼の功績だろう。
願わくば、乞食のような掘立小屋に住んでいた川崎長太郎のことも書いてほしいものだ。
私小説家のなかでは長太郎とか上林暁が好きです。
長太郎の自選全集をもっていたのだけど、古本屋に売ってしまったんですよね。。

くだんのミュージシャン、作中ではI・Jとあるが、稲垣潤一のことですよね。
稲垣潤一と西村賢太ってどうも不思議な取り合わせみたいだけど、彼の思い入れの強さは、少年のようで微笑ましかった。
それと笑ったのが、貫太ものには「根が・・・にできている貫太は」というフレーズがいくつかでてくるのだが、今回は「根が初対面の人間が滅法苦手にできている柴イヌ体質の貫太は」とあったところ。
柴イヌって、初対面の人間が苦手なの?初めて知ったけど、貫太は柴イヌほどカワイクはないかも。

次々に新しい芥川賞作家が出てきて、西村賢太の影が薄気うなりつつあるけれど、彼の書くジャンルは今どき貴重なので頑張ってほしいです!
posted by 北杜の星 at 08:13| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月05日

NHKスペシャル班「血糖値スパイクから身を守れ!」

最近私の友人が糖尿病予備軍と医師から言われ、糖質ダイエットを始めた。
パン・米飯・麺類を減らす食事を心がけるようになって2カ月近く、目に見えてほっそりしてきた。
パンは糖尿病専門医江部先生ご推奨の製品を「値段が高いのよぉ」と言いながら購入し食べている。
(でも彼女、スウィーツは食べてるんですけどね)。

また友人のご主人は長年の糖尿病を放置していたためか、脚を切断、失明寸前となってしまった。
目が見えなくなったら私のように点字をならうといいよと言ったら、感覚も悪くなっているので指で点字を読むことは難しいらしい。
(余談だが切断した脚は病院で処置してくれるのではなくて、書類を携えて、火葬炉に持って行ったのだそうだ)。

健康診断で血糖値を測るが、それは空腹時の数値。
しかしその数値が基準内であっても安心はできない。むしろ重要なのは「血糖値スパイラル」の方なのだそうだ。
「血糖値スパイラル」とは食べた後の血糖値のことで、食後1時間半から4時間くらいの間はぐんと血糖値が上がり、それ以降は急降下する。
その繰り返しを重ねていると、心臓病や脳血管系疾患や認知症の原因となるという。
そしてこの血糖値スパイクは若い人にも多くみられ、これが近い将来、糖尿病患者となるのだそうだ。

少し前まで、日本の糖尿病患者の治療としては、とにかく摂取カロリーの制限をすることが大切だと言われてきた。
でも糖尿病は糖の代謝が悪くなるのだから、それはおかしな話しだと私はずっと疑問に思ってきた。だから京都の江部先生の持論の糖質除去論を10年くらい前に知った時は、糖尿病ではない私が「そうよ、その通りですよね」と大賛同だった。
このところ、カロリーではなく糖質除去食事が推奨されるようになってきたのは、当然のことだろう。
でも病気になってからでは遅い。その前に予防することが大切。

この本はNHKスペシャルで特集された番組を書籍化したもので、番組への反響が大きく、発刊の運びとなったようだ。
それほど糖尿病は日本人にとって国民病となっている。
糖尿病が怖いのは、あるゆる体の部分に合併症が起きるからだ。
糖尿病は遺伝が関係していることが多いので、家族に病歴のあるひとはより注意が必要だろう。
若年や子どもの糖尿病も増えている。
痛くも痒くもない病気だから、いろんな合併症が出るまで真剣に対応しない人も多い。

なるべく糖質を控える。砂糖を摂る時は精製されていない白くないものをせめて選ぶ。
(日本の食事って、砂糖やみりんなど甘味調味料をよく使うので、それも考慮に入れたほうがいいと思う)。
炭水化物も精製されていない黒いパンや玄米。
食事のさいは、食べる順序を考えて、まず、繊維の多い野菜を、それから肉や魚を、そしてご飯やパンという順序で食べると、血糖値の急激な上昇が避けられる。
食事の間隔を空けないこと、規則正しく食べること。
睡眠不足だと血糖値は上がるそうだし、ストレスも関係する。

「親が死んでも食休み」なんて言葉があるが、それもダメ。
食後はチョコチョコ動くべし、そのほうが血糖値が上がらない。食後なので激しく動くのはNGですが。
そうそう、ゆkっくり食べることも血糖値を急に上げない秘訣だ。
(私、食べるの速いんですよね。お客さまの時には、一皿出して自分も食べて、すぐに次の料理を準備するために、どうしても食べるのが速くなるんです。最後のデザートとお茶のときにようやくほっと一息、ゆっくりできる)。

この本には血糖値スパイクの危険度チェック事項があって、それに印をつけて合計すると、私たち夫婦は危険度「低」と出た。
でもちゃんと医療機関で調べたわけではないので、正確かどうかは不明。
もしきちんと調べたいなら、「糖負荷試験(OGTT)という検査を受けてみてはいかが?
posted by 北杜の星 at 08:03| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月03日

ハッチの週間身辺雑記

この一週間はのんびり家で過ごしました。
このところ毎週遠出をしていたので、本を読む時間が少なく欲求不満気味だったけど、すっきり解消。
点字の本を含めてかなり読めました。

私は多くを望まない人間で、本当に安上がりだと自分でも思います。
映画と本と猫・・これがあれば人生ハッピー。
それが目が悪くなって、映画がまず初めにダメとなり(60歳過ぎたらシニア料金で観れるというのに、これまで映画に使ったお金が全然回収できません)、でもまぁ、これはなんとか諦められました。
これまでの人生で観た数百本の映画が、脳裏に焼き付いていますから。
本を読むのも苦痛になってきているけど、まだなんとか読めるし、印字の代わりに点字を習ったので、これも大丈夫。
問題は猫ですね。
猫がいない時間をこれから過ごすのかと思うと、とても寂しいです。
私の友人は犬を亡くし、8歳か9歳くらいの犬を新たな家族に迎えたそうです。保護されていた犬です。
そういう年齢の生きものなら、飼うのを全うできるでしょうが、どうも私は二の足を踏んでいて、猫はあきらめるしかありません。

というわけで、大好きなものがまわりから消えてゆくんですね。
でも楽天的なのかなぁ、私。
失ったものを数え立てるよりも、今持っているものを楽しもうとしているのだから、能天気なのかもしれません。
目が悪いから失うだけでなく、歳をとったからとか、他にもひとそれぞれの失う理由というのがあるような気がします。
大切なのは『受け止める」こと。だって、なっちゃったものはしようがないじゃないですか。それだけのことです。

楽しいといえば、日曜日、八ヶ岳アウトレットに行ってきました。
隣町で花市があって、それを見た帰りの途中で寄ったのです。
山林のなかに店が点在していて、高低差があるのでお年寄りにはつらいかもしれません。
いつもは(といってもアウトレットに行くのは2〜3年に一度だけなんですけど)、ウィークデーに行っていたのが、初めての日曜日。
空は真っ青、木々は緑、心地よい太陽・・
そこにヤング・ファミリーたしちが子連れ、犬連れで散歩していました。その姿がなんともハッピーそうで、普段あまり幼い子どもたちを見ることがないので、とってお新鮮でした。
この人たちがいつまでもこうして幸せでいれたらいいな、とソフトクリームを食べながら見続けていました。
こういう場所ってやはり、人出の多い土・日の方がいいみたい。
ファミリーにとってもアウトドアなので、子どもが騒いでも気にならないし、疲れたらベンチもあるし、お弁当を持って来ても、カフェに入って食事をしてもいい。
安全で入場料はなし。。けっこういい週末の過ごし方かもと思いました。

この八ヶ岳アウトレット、あまりいい店がないよなと思っていたのですが、もうすぐ店舗が現在の70から120に増えるそう。それに伴い駐車場も増設されるようです。
どんなお店が来るのか、楽しみ。
私たちがちょっと覗いてみようかという店は今のところ、Beamsくらいで、夫は白い夏用の短めパンツ、私はチュニックを買って、「若作り」します。
Beamsはもう40年くらい前、神宮前の小さなお店から出発したんです。今でいうセレクトショップのハシリでした。
今では大きくなって、衣服にとどまらずライフ・スタイル全般の会社になっています。
当時まだ生まれていなかった若いスタッフのお嬢さんが、感じの良い対応をしてくれました。

今年の我が家のバラはちょっとスゴイです。
どの木も花つきがたくさんで、しかもその花が活き活きしていてパワーを感じます。
深紅、白、黄色、ピンク、そして形容できない不思議な色と香りの大輪のものも。
植えたのを忘れていた木も、今年は他の植え込みの間から咲いているのです。
とくに肥料を与えるわけでもなし、とにかく我が夫は、植えたら植えっぱなし、愛情はあっても面倒はあまりみません。
一カ月に一度くらい、虫除けをスプレイするくらい。
これくらい咲けば、部屋に切り花で飾っても惜しくない。「えー、そんなに切るの」というくらい夫はたくさんのバラの花を切って家に持って入るので、私は少々花が気の毒になるのですが。。
本当のことを言えば、私はバラを植えるのには反対なのです。もっと自然の花の方が好きだからです。
だけどバラはやぱり花の女王。咲けばこれほど美しい花はないです。うっとりします。


ゴールデンアカシアの木の花も今年は本当に咲き誇っています。
アカシアの蜂蜜があるくらい、アカシアはいい香がします。
木の下を通ると、なんとも言えないいい香。蜂の気持ちがわかります。
ゴールデンアカシアは我が家のシンボリック・ツリーとして最初に植えた木です。これからもっともっと大きくなることでしょう。葉っぱの色が緑でもゴールデンっぽい薄緑なのが美しいです。

自然を壊して家を建てたのだから、敷地にはなるべく自然らしい生態系に添った植栽を心がけてきましたが、ゴールデンアカシアは外国の木ですね。
でも気候的にはここ八ヶ岳にぴったりの生育地なので、許してもらいたいです。

ハーブも少し植えています。
以前はいろいろと植えていたのですが、使うのは決まっているし、あんまりハーブの匂いが強い食べものは夫も私も好きではないので、青しその葉、三つ葉、ルッコラ、バジル、パセリ、イタリアンパセリ(これは友人がくれたもの)、それと寒い冬を何度か越してかなり大きくなったローズマリー、タイムは植えたけど雑草の中に埋もれてしまったみたい。
ミントは増えすぎて抜くのが大変。
それに加えてちょっとだけパクチーを植えてみました。これも夏頃になると猛々しく増えるんですけど、生春巻きやフォーを食べるときにはパクチーがないと気分が出ません。
私は大好きなのですが、夫は大嫌い。どうも男性は嫌いな人が多いようですね。
私はスープにも焼きそばにも、なんにでも散らしたいです。
ハーブの香りがふさわしのは夏の料理。これからが出番です。

そんなこんなの一週間でした。
posted by 北杜の星 at 07:47| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする