2017年06月06日

西村賢太「芝公園六角堂跡」

長年ファンだったミュージシャンから招待され、芝公園近くのホテルのライブ会場に赴いた貫太。
不遇の時代を経て、名の知れた文学賞を受賞し、有名ミュージシャンから特別待遇を受けるようになった彼の微妙な心理を描く連作短編集。

西村賢太の小説に貫太が登場すると、「あぁ、また会えた。しょもないヤツだけど。。」とそのいつものパターン化した文章に安心する。
良くも悪くも、そこには貫太がいるからだ。
芥川受賞後、彼はずいぶん忙しかった。書くこと以外にもテレビに出たり、インタビューを受けたり・・
そのため、忘れていたわけではないのだが、「没後弟子」を自認する私小説家の藤澤清造のことを、疎かにしていた。
ライブが終わりホテルの外に出た貫太は、そこが藤澤清造が凍える寒さのなか狂死した場所だと気付く。
といういわば、西村賢太の原点回帰の作品。
起承転結などがとても巧くなっていると思う。
いつも以上の自虐ユーモアも健在だ。
でもなんというのかな、「狙い過ぎ」なんじゃないかな?
もともと巧いひとではある。(そうと気がつかない読者がいるだろうが)、でも私は、こんな「こなれた」巧さは好きじゃない。

表題の「芝公園六角堂跡」よりも、他の「終われなかった夜の彼方へ」「深更の巡礼」の方が私には好ましかった。
これまでの私小説への傾倒ぶりがよくわかるし、それこそが作家の西村賢太を生んだ経緯でもあるからだ。
最後の「十二月に泣く」のラストも、ちょっと狙い過ぎ。
北陸七尾にある藤澤清造の菩提寺の住職の母堂が亡くなり、弔問にでかける話だが、最後清造の墓の前で、偶然にも彼の書簡が出て来たと古書店から連絡があり、そのタイミングに、貫太が哄笑、やがて哄笑は嗚咽に変わり。。というものなのだが、陳腐な終わりかたですよねぇ。
私的にはこれ、70点。

だけど田中英光や藤澤清造のことを西村賢太が書いてきたおかげで、彼らの小説が再発刊されたのは素晴らしいことだと思う。これは彼の功績だろう。
願わくば、乞食のような掘立小屋に住んでいた川崎長太郎のことも書いてほしいものだ。
私小説家のなかでは長太郎とか上林暁が好きです。
長太郎の自選全集をもっていたのだけど、古本屋に売ってしまったんですよね。。

くだんのミュージシャン、作中ではI・Jとあるが、稲垣潤一のことですよね。
稲垣潤一と西村賢太ってどうも不思議な取り合わせみたいだけど、彼の思い入れの強さは、少年のようで微笑ましかった。
それと笑ったのが、貫太ものには「根が・・・にできている貫太は」というフレーズがいくつかでてくるのだが、今回は「根が初対面の人間が滅法苦手にできている柴イヌ体質の貫太は」とあったところ。
柴イヌって、初対面の人間が苦手なの?初めて知ったけど、貫太は柴イヌほどカワイクはないかも。

次々に新しい芥川賞作家が出てきて、西村賢太の影が薄気うなりつつあるけれど、彼の書くジャンルは今どき貴重なので頑張ってほしいです!
posted by 北杜の星 at 08:13| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする