2017年06月07日

紫門ふみ「結婚の嘘」

結婚についての考察は古今東西、じつにあれこれされ続けてきた。
しかし(当たり前だが)、結論はでない。
なぜ当たり前かといえば、結婚が同じであるはずがないからだ。
家族構成が違うだけでなく、現代ではその形態まで異なり、別居結婚もあれば同一性の結婚もあるようになった。
そもそも「結婚の嘘」というのは、「結婚の本当」があると信じていた裏返しなのかもしれないが、結婚に嘘も本当もないんじゃないかな。

私のようなシニアになり、結婚歴ウン十年ともなれば、どちらも相手に多くは望まないようになる。
望んでもムダだし、こちらに望まれるのもおおいに迷惑だ。
おたがいにいい加減なところで折り合いをつけながら一緒に暮らす。。だってそれしかないでしょ。

結婚生活とは冷蔵庫のようなもの。
中に入っている食材で、いかに美味しく料理をするか・・
というのが結婚してすぐの紫門ふみさんの気持ちだったらしいが、20数年の結婚を続けるうちに、そんな甘いものじゃないとわかったとか。
それでこの本を書くことになった。
この本には彼女の結婚生活における固定概念覆したいろんな結婚の「嘘」が書かれていて、これをシリアスに受けとめるひともいれば、笑い話と受けとめる人もいるだろう。

「夫がいい人であることと、結婚生活の不満とは別」とあるが、これは誰もがそう感じているだろうなぁ。
どんなに善人、できた男であっても妻としては言いたいことは山ほどあるはず。むしろ「表面がいいんだから」の気持ちが強いのでは?
ここでなるほどと思ったのは、「妻の不満は永久不滅ポイント」という項だった。
男性というのは忘れやすい生きものだが、女性は言われた言葉一つ、されたこと一つ一つをじつによく覚えているもの。
何十年も前のことが忘れられなくて、ずっと溜まった不満がある日、コップの水があふれるように流れ出す。
定年を迎え、妻から離婚を言い渡される夫にとっては、「なぜだ!」だろうが、妻としては「積年の恨み」なのである。ただ期を待っていたいただけ。
これはどうやら男と女の脳の構造の違いなのか?

結婚式のとき、新郎新婦は神さまや仏dさまの前で誓いをたてる。
「富めるときも貧しいときも、病めるときも健やかなるときも」と。
誰かの小説で読んだことがあるのだが、それは誓わなければならないほど大変なことだからなのだ。
人生、長寿になって、結婚生活も長くなった。
長くなれば我慢するのはけっこうつらい。
いつも夫の悪口を言っている人を見ると、「なんで別れないんだろう」と不思議になるけど、そんな簡単に別れられないのが結婚というのもなのかもしれない。

ちなみにこれも何かで読んだのだが、シニアになって仲良く一緒に旅行をする80パーセントの夫婦に共通項があるそうだ。
それは、寝室を同じくしているということ。
別にセクシャルな意味ではなくて、同じ部屋で寝起きする夫婦には、そうでない夫婦にはない情みたいなものができるのか?面白い統計だ。
ちなみに私たちは寝室は同じ。よく一緒に旅行します。
寝入る前に読んでいる本のことを話したり、寝ている間の相手のイビキなどで健康状態がわかったり、起きた時の顔色をはかったりできるのは、いいことだと思う。

でも私が思うに、悪口にせよ、相手のことを話す間は、夫婦はまだ大丈夫!
無関心がいちばんコワイ。冷めきった関係なら悪口も出ないもの。
紫門ふみさん、そういう意味では心配なさそうですね。
posted by 北杜の星 at 07:18| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする