2017年07月06日

吉村昭「冷たい夏、熱い夏」

この本はずっと以前から読みたいと思っていて、でも立ち向かう勇気がなくて読まないでいたものだった。
地元の点字図書館を検索していたらこの本を所蔵していることがわかり、意を決して読んでみた。
4巻に分かれていたがこのところ読むスピードが上がったので、約3週間ほどで読めた。

これは私小説だ。
しかも弟の癌闘病記で、弟の発病から死までを克明に描いている記録小説だ。
その筆は緻密であるが、冷徹ともいえるほど対象を見据えていて、小説家という職業の持つ目のすごさを感じてしまう。
元来、弟は明るく活発で人気者だった。
主人公にとってはどの兄弟よりも近しい存在で、弟が癌になったことを自分のこと以上に受け止めている。
もともと彼の家系では両親、成人した兄たちはみな癌死しているという。
だから弟も発病時から自分が癌ではないかと疑っていた。

癌の中でも難しいもので、術後1年以上生存したケースは皆無と医師から言われる。
主人公は弟に癌を告知しようとはしない。あくまで隠し通すつもりでいる。
それはそれまで小説のために取材した欧米人の死生観と日本人のそれには大きな隔たりがあって、日本人には癌を知らせないで療養させるほうが精神的に良いという信念があったからだ。

でも私は「それで本当によかったのか」と思う。
おそらく(絶対に)j本人はわかっていたはずだ。
そしてそれをあくまでも隠す兄である主人公を時に恨んだのではないだろうか。
そのことを含めてすべて知りつつも、なおも癌であることを否定し続ける主人公の心理を推し量るとやりきれなくなる。

主人公は身を切られる想いで弟を見舞うが、一方では冷静に死後の葬儀のことを知人に相談し葬儀社まで出向くのだ。
そのことを知った主人公の妻は何も言いいはしなかったが、非難しているのは明らかだった。

この弟が痛みと苦しみのためにユーモアを失ってゆくのが悲しいが、ほとんど臨終に近くなってたくさんの肉親が病室に集まっているのを見て、「こんなに大勢集まっているなら、死なないわけにはいかないな」と虫の息で言うのには、唖然としてしまった。
この期に及んでスゴイ人だ。
(以前誰かから聞いたのだが、同じように臨終のお婆さんの耳元で「おばあちゃん」「しっかりして」と大声で呼ぶ子や孫の声に、おばあちゃんが閉じた目を見開いて「うるさい!と言ったとか・・不謹慎ですが私、こういう話しが好きです)。

弟に付き添う弟の妻と、病院の付き添い婦の看病ぶりは本当に心がこもっている。
とくに仕事とはいえ、付き添い婦の病院に対しての、また家族に対しての心配りは、この人のそれまでの人生の深さを感じさせるほど。
彼女を主人に一冊の本が書けはしまいかというくらいだった。

癌で亡くした肉親を持つ人にはキツイ本かもしれない。
私もこれを読みながらずっと義母のことを考えていた。もう20年以上前のことだから、まだ日本では癌の告知はされていなかった。
彼女の闘病を目の前にして、「私ならはっきり言ってほしい」と切に願ったものだ。
でも最近では無頓着過ぎる告知も多くて、やはり患者をじっくり見て告知のタイミングをはかってもらいたいものだと思う。

しんどかったけど、読んでよかったです。

posted by 北杜の星 at 07:22| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする