2017年07月17日

高橋順子「夫・車谷長吉」

私はかねがね、詩人高橋順子と作家車谷長吉の夫婦としてのアンバランスさを不思議に思っていた。
順子を聖母もしくは天使とするなら、長吉は悪魔としか考えられなかったからだ。
それほど車谷長吉にはエキセントリックで、底意地の悪い悪意の塊というイメージが強い。
その性格の暗部はやりきれなくなるほどだった。
(私の友人で長吉をよく知る人がいたが、彼女は彼のことを「本当に残忍な人間、大嫌い」と言っていた。)

私小説家というものは、まぁ、誰もが暗いし、偽悪家ぶって暗い小説を書くものだが、どこかに「しかたないよな、こんなヤツでも」と許容できるし、かわいい部分も感じられるのだが、長吉にはそれがない。
だから順子という美しい小鳥が長吉という猛禽類に捉えられてしまって気の毒に。。という気持ちがあった。
事実、長吉は結婚するまで「猫をかぶっていた」と自分で書いているらしい。

車谷長吉の代表作は「赤目四十八瀧心中未遂」だろう。これは映画化もされている。
しかし彼の名を有名にしたのは朝日新聞の人生相談「悩みのるつぼ」においてではないだろうか?
これが人生相談の解答?というくらい意表をつかれる答えは、首肯できるかできないかは別として、読み物としておおいに楽しんだ。

長吉は1歳年下の順子に40代なかば、11通の絵手紙を送った。
順子が49歳のときに結婚。二人とも初婚だった。
小説家と詩人の孤独な魂が都会の片隅で結びついたという印象だが、その後20年にわたる結婚生活が穏やかだったはずはない。
順子の友人たちに対する長吉の悪意など、順子は長吉が破壊した人間関係の修復に心を砕かねばならなかったし、長吉の強迫神経症にも長い間付き合わされた。
一緒に散歩をしていても「その服は嫌いだから、着替えて下さい」と言われる。
簡単な連れ合いでは到底なかった。
それでも両者は一度も「離婚しよう」とは言いださなかったという。一度でもそれを口にしたら、すぐにそうなってしまうことを二人は知っていたのだ。

ともかく、長吉の直木賞受賞などを経て、結婚は続いた。
驚くことに、ピースボーとで2ヶ月間におよぶ南半球世界一周にも二人で出かけているのだ。
白人嫌い、飛行機嫌い、たばこが吸えること、そして2か月も独りで留守番したくない彼にはぴったりの旅だったようだ。
2か月余りの旅は四国八十八か所お遍路の旅も一緒にしている。これも長吉が留守番をしたくなかったあkらだと言うが、後にちゃんと本にしている。

長吉は慶応義塾大学卒、順子は東京大学卒といういわばエリート。
でも二人の暮らしにはそんな匂いは皆無だ。まるで地を這う暮らしに近い。それは経済的なことだけでなく生き方がそうなのである。
それはどちらも地方出身者ということが影響しているのかもしれない。
順子は千葉のひと。(大震災の津波被害で実家が半壊している)。長吉は姫路のひと。
長吉は基本的には瀬戸内海の魚しか好きではなかったらしいが、これってよくわかる。
私も魚は北のものはダメだ。ほっけもにしんも好きではない。
魚は鯛、ひらめ、おこぜ、めばる、この季節なら鱧・・
こう書きならべるとどれも高級魚となってしまったが、私の子どもの頃は鱧なんて「また鱧なのぉ?」というくらい日常的で、照り焼きとか煮つけで食卓に出された。どんなに骨切りしてあっても子どもにはやはり骨が気になった。

どんな夫婦でも同時には交通事故でもない限り死ねない。
長吉との不意の別れは、長吉が喉にビールのつまみを詰まらせての窒息死でやってきた。
いろいろ大変だったろうが、少なくとも、退屈はしない結婚生活だったと思う。
その生活を淡々と絶妙な距離感で書いた高橋順子というひとは、見事というほかないです。

posted by 北杜の星 at 07:16| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする