2017年08月08日

今村夏子「星の子」

今村夏子はいま私がもっとも関心をよせる作家だ。
といってもまだ発刊されているのが「こちらあみ子」「あひる」そしてこの「星の子」の3冊のみ。
でもこれまで三島賞を受賞、芥川賞候補にもなっている。
私は批評家ではないいので彼女がこの先、書き続ける力量のあるひとかどうかの判断はつかないが、少なくとも現在まで書いたものを読むと、作品に流れる空気感には独特の感性があるし、文章は緩いなかにクスリと忍び笑いの要素もある。
平易だがけっして平坦でない文章に隠された、じつは深淵なテーマ。
なかなかに「クセモノ」新人作家だと思っている。
(広島出身というところも、応援したくなる一因かな?)

ちーちゃんは未熟児で生まれたせいか病弱で、酷い皮膚炎を患い、途方にくれた両親は知人からある「水」をもらい受け、ちーちゃんをその水で洗ってみた。
するとどうだろう?
それまで何をしても効果のなかったちーちゃんの肌がみるみる治ってきれいになったのだ。
以来、両親はその「水」を信奉し、頭の上に「水」を浸したタオルを乗っけるようになった。
「水」はある新興宗教が売っている水だった。

ちーちゃんの叔父(母の弟)は両親に「「目を覚ませ」「騙されている」と忠告するが、両親は聞く耳をもたない。
ある日叔父は、そっとその水をすべて公園の水道水と取り替える。それに怒った両親は叔父との付き合いを絶ってしまう。
そんな一家のなかで、ちーちゃんの姉だけは水にも宗教にも違和感を持ち続けていたのだあろう。家を出て行った。
家出間前、姉はちーちゃんに水取り替え事件がじつは自分の手引きだたことを告白する)。

価値観は人それぞれに違う。宗教に関してはとくにそうなのかもしれない。
それを信じる人には絶対でも、信じない人にすれば「怪しい」「騙されてる」と映る。
何を信じようが自由なはずなのに、ともすれば色眼鏡でみてしまう。
ちーちゃんも幼いころからそういう経験をしてきた。いじめられるほどではないけれど、友達からは距離をおいて見られることが多かった。
そうだからこそ、宗教の集会に参加すると、みんなからやさしく話しかけられるのがうれしかった。
そこなら、自分の居場所がちゃんとあるという安心感で息が大きく吸えた。

でも本当にちーちゃんは両親のようにその宗教を信じていたのだろうか?
それはちーちゃん自身にもわからないのではなかったか?
ただ確かなのは、自分の両親が限りなく自分を愛してくれていること。それは絶対揺るぎのない愛だ。
やがて高校生になろうとするちーちゃんが、これからどんな道を進むのか?
いつまでも星を見ながら、ちーちゃんは何を思う?

懐疑的になろうとするとどこまでも疑わしい宗教。
でも人は信じる。信じるって何なのか?
自分を愛し、自分が愛する人が信じるものならば、盲目的に信じられるのか?
ちーちゃんは案外に醒めた目を持ちながら、「信じよう」としているのではないだろうか?
今回も、はっきりした結論はでない今村夏子の作品だが、胸にいつまでも残るものでした。
そういえばこれが初めての長編なんですね。
次回作もおおいに期待!
賞はとってもらいたいけれど、賞レースとは違うところで頑張って書きつけてもらいたい作家さんです。

posted by 北杜の星 at 07:24| 山梨 ☁| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする