2017年08月23日

中村仁「大往生したけりゃ医療とかかwるな【介護編】」

著者は京都大学医学部卒の医師、現在は老人ホーム付属診療所所長。
「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の前作は大ベストセラーとなっている。
老人ホームで数百人ものお年寄りの看取りをしてきて、安らかな最期がどうあるべきかをその経験から書いたこの本、どの頁もそのまま書き写したいと思うほど、私と同意見だ。
買って読んでみてくださいといしか言いようがない。

日本の高齢者は、考え違いをしていると私は感じるとこがある。
老いても元気でいるのが普通で、自分は死なないと考えているのではないかと。
生老病死という言葉があるが、人は老いるし病むし、そして死ぬもの。そうしなければ世界は循環しない。
それなのに、75歳を過ぎても頻繁に健診を受け、ちょっと血圧が高い、コレステロールが多いとなると、すぐに薬に頼る。
薬害もあるんだよと言ってもダメ。とにかく病院や医療を盲信している。
CTやMRI検査を受けたことを自慢しているのだから、もう何をやいわんである。(そうした過剰医療は全部、国民の負担なんですけどね)。

もちろん、まだ50代くらいなら健診もいいだろう。それこそ転ばぬ先の杖で病気の予防となることがある。
でも70過ぎたらそうした検査じたいが体の負担となるし、もし病気が見つかったとして、むしろい放置しておく方がいい場合だってある。
ましてや人生の幕を引く間際になって、ジタバタするなと言いたくなる。これはもう体の問題ではなく哲学の問題だ。
(入院した患者が死んだその日にも、検査予定が入っていたというのを聞いたことがあるが、それって何なのだと憤りさえ覚える)。

患者を苦しめるための検査、治療、それは必要ないのではないか?
あの日野原先生も言っていらしたが、「自分の家族の最期には、点滴はしない」と。
老いて死ぬときは、枯れて死ぬもの。枯れようとする体に水を加えるから、肺炎になり苦しむことになる。
著者は「何もしない」ことで、安らかな最期を迎えるお年寄りをたくさん看取ってきたという。

けれど現在の医師や看護師は、家で人を看とった経験がない。
人は病院で死ぬようになった。そして病院というのは医療行為をする場所だ。
50年ほど前の日本では、人が死ぬのは家でであった。その頃の死は自然で、消えるように亡くなっていった。
点滴も胃ろうもなかった。
今のような高度の医療は、重度の障害者をつくると著者は言うが、そんな医療は死を先送りにするだけではないだろうか。
苦しむ半年より、私は安らかな3カ月を選びたい。
著者は「手遅れで無治療の癌は痛まない」と書くが、高齢者の癌はそうのようだ。
老いた体に毒ガスの成分の抗がん剤を投与してどうするのか?手術で臓器を取ってどうするのか?
QOLが下がる毎日を長らえるだけ。それでも生きていたいというなら別だが、私ならご免蒙りたい。
この先生のいる老人ホームに入居したいけど、先生、私よりずっと高齢だものね。
せめてこうした本を書き続けてほしいと願うばかりだ。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☁| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする