2017年08月31日

内田洋子「ジーノの家」

このところ夫が内田洋子に凝っている。続けて数冊読んで、まだ飽きないらしい。
とくにこの「ジーノの家」は良かったたらしく、内容をあれこれ私に話してくれる。
聞いているのはかったるいので、ならば私も読んでみようと読んでみた。

これ、日本エッセイストクラブ賞を受賞しているんですね。
彼女が経験した10の物語はエッセイというよりは、短編小説のようだが、じっさいにあったことだからこそのリアリティはさすがのものがある。
人間が体験することが同じであっても、それをどう受け止めるか、そしてどう表現するかはその人の感性と能力にかかっている。
これを書いた時に彼女は在イタリア歴30年以上(現在は40年弱)、イタリアという国、イタリア人という人間への観察眼が緻密なだけでなく、彼らに気持ちを添わしながら暮らしているのが心地よく伝わって来る。

ミラノを書いても、それは華やかなファッションの街ミラノではない。
ミラノには遠く南イタリアからの移住者が多いのだが、彼らの貧しさゆえの闇の世界を覗き見る文章は、ジャーナリストとしての彼女の「眼」ではあるけれど、そこにそれ以上の感情移入があるのだ。
悪の巣窟の中で生きるしかない人達へのシンパシーがそこにはある。

久しぶりにナポリに行って、駅からタクシーに乗る話しがある。「初めてで最後のコーヒー」だ。
タクシーの運転手は彼女をたんなる観光客のいいカモを乗せたと思って、遠回りをしてメーターを稼ごうとした。
しばらくしてそれに気付いた彼女は「運転手さん、そこはもう通ったから、●●をいったん通って上に登って行ってください」と言う。
ここで運転手とケンカしてもお金は戻ってこないし、気まずくなるだけ。それならナポリの街の見物をしながら目的地まで行こうと、彼女は考えたのだ。
彼女はナポリ大学に留学して数年間ナポリで暮らしたことがあるのである。
ギョッとした運転手はおそらく、そうした彼女に敬意を払ったのだろう。●●というところは自分のシマでもあったので、彼女をバールに案内しコーヒーをおごってくれた。
コーヒーを飲んだ後で彼は会計をしたが、チップには多すぎる金額を置き、釣銭を受け取らなかった。
それは「ツケ置きのコーヒー」と呼ばれるもので、もしお金がなくてでもコーヒーを飲みたい人間が来た時のコーヒー代金だったのだ。

ナポリ人はこすっからいと言われる。
確かにそうだ。私たちはナポリで泥棒にあったし、乗る前に決めたタクシー料金だって降りると上乗せで請求されたりした。
でも私はナポリが嫌いではなかった。彼らのこすっからさには陰湿なところがなくて、「多分、彼らなりのロジックがそこにはあるのだろうな」と感じられたからだ。
上乗せ料金を請求した運転手は「早く空港に着くために、一方通行の道を逆走してやったんだぜ」と得意顔で言うのだ。
そんなこと頼んでないよと言いたいのだが、「でも、まぁ、いいか」という気になるから不思議。
だって彼らの日常は厳しい。私たちは金持ちではないがはるばる日本からナポリに旅行する余裕があるのだから。
もし同じことをミラノやフィレンツェでされていたら、猛烈に抗議したと思う。
南の人間はああしてお金を稼いで、「ツケ置きコーヒー」代を稼ぐ。それはそれで良いじゃないかという気になるんですよね。
内田洋子はそういう機微がわかる人間だ。
(私もイタリア渡航歴がけっこう長いので、そういうの、ちょっとはわかる。これは私が歳をとったせいもあるのかもしれないが。

これはイタリアではなくエジプトの話しだが、元NHKアナウンサーの下重暁子さんが夫の赴任先のエジプトに住んだ時、現地運転手さんに市場に連れて行ってもらい、彼女は値切ってしなものを買おうとしたのだが、その運転手は「彼は僕より貧乏だから」と言い値だ買ったと言う。そのとき下重さんは自分がとても恥ずかしかったとか)。
値切るのが当然で、思い通りに値切って買うと「してやったり」と思ってし、言い値で買うのはバカだとか、ゲームを知らないと言われることもあるが、そうばかりではない。
いろんな場所のいろんな人間の事情が分かれば、違う行動ができることもあるのだと私は考えるが、そういうことを私はイタリアで学んだ。

内田洋子の本を読むと、本当にイタリア人がよくわかる。
本音で、衒いのない暮らしのまっとうさは、大変だけど風通しがいい。

別の章に、ある貧しいシングル・マザーが出てくる。ミラノの暴力夫からリグーリアの寒村に逃げて来た母と息子だ。
その母親が内田洋子をランチに招く。
そのランチ、そこらへんに生えているバジリコを摘んでオイルでペスト(リグーリア州だからジェノバのペストソース)を作っているのだが、松の実は高いのでピーナツが入っている。パルミジャーノも高いのでチーズなし。それをスパゲッティに合えている。ランチはそれだけ。
普通、日本人ならそんな貧しい食卓に人は招かないと思う。しかもほとんど知らない人なのだ。
貧しいことはは困ったことだが恥ずかしいことではない。そういう気概が感じられて、そのペストソースで和えたスパゲッティのバジリコのいい香がこちらまで漂ってきそうで、私も一緒に食べたくなる、

内田洋子がこの本で書くイタリアはほとんどがミラノではない。
ミラノは夏は不快で、冬は半年続き、湿気を含んだ寒さが骨にまでこたえるらしい。
ミラノの人たちは新しい展覧会やレストランやクラブやパーティで忙しい。
この春が終わったら日本に帰ろう、夏が終わったら帰ろう・・そう思いながら30年以上が過ぎたと言う。
だからなのか、彼女はミラノを離れて、リグーリアの小さな村に住んだり、修復した船に6年間住んだりもしている。
イタリアに住むのは難儀なことが多くて、と言いながら、その難儀さを自ら求めているようなところがある。

埋もれてしまう人たちの日常をすくい取る内田洋子、夫ならずとももっと読みたくなるもの書きさんです。
posted by 北杜の星 at 07:35| 山梨 ☁| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする