2017年10月31日

森下典子「こいしいたべもの」

誰にも懐かしい味がある。
昔、母が作ってくれた食べもの、いけないと言われながら友達と買い食いした祭りの屋台の味、我が家とは違う形態で驚いた一皿・・
あれは本当に美味しかったのか?今となってはわからない。
私の小さな頃はまだ戦後の混乱が残る時代、食料難からは脱していたもののまだまだ食卓は貧しかった。
そんな頃の食べものが美味しいはずはないと言われれば、そうかもしれない。
でもあれらの味は、幼い自分が絶対的に両親に守られ、何の苦悩も心配もなく、ノホホンと暮らした幸せの味だったように思う。
森下典子さんにもそのような味があった。それを過度な感情移入なしに静かな筆致で書いているのがこの本。
文章だけでなくイラストも彼女の作で、これがとっても素敵。
写真よりもイラストの方がより伝わるもものが多い場合があるが、この本はまさしくそうで、文章とイラストの合体が大成功。
森下さん、絵がお上手なんですね。雰囲気、すごくいいです。

「こいしい」「懐かしい」のは、それがもう戻ってこないから。
家族で食べたあの料理は、兄弟姉妹が結婚して家を出たり、親が亡くなったり、時代の変化などで、作られなくなってしまう。
典型的な中流家庭の森下家でも、その移り変わりは否めない。
(この「中流」という表現は難しいモノがあって、欧米の「中流」ではなく、あくまでも日本の「中流」です。)

ずいぶん料理好きなお母さんだったのだなと思う。
何かあるとお父さんは「うんまいものが食べたいな」と言ったという。うまいものではなく、うんまいもの。
そんなときお母さんはいそいそと台所に立ち、散らし寿司などを作ったそうだ。(散らし寿司がさっとできるなんてスゴイです。私なんて「さぁ、来週は散らし寿司を作るぞ」と大決心しないとつくれないけど)。

家族の食べものには歴史がある。
父の焼きビーフンには、海軍だった父が南方の戦場に行く途中、アメリカの魚雷攻撃を受け海に漂流後、助けられ九死に一生を得た経験に繋がっていた。
焼きビーフン、つい最近友人と焼きビーフンの話しをしたばかりだったので、ついこの文章を読みこんでしまった。
ビーフンがどのように作られるかもここで初めて知った。

どれほど心がこもり手の込んだお弁当であっても、前の席の男の子が毎日パン屋で買ってくる「コロッケパン」が羨ましい。
その男の子は彼女の色とりどりの手作りお弁当が羨ましいのだけど。。
だからお母さんが風邪でお弁当が作られない時に、お金を持たされて買った「コロッケパン」のなんて美味しかったこと!

「こいしい」は「せつない」のですね。これを読んでいるとなんだか涙ぐみそうになってくる。
失ったものへの愛惜。。
でもそれが確かにあったという幸福感はずっとずっと消えないはず。
心がほんわりの一冊でした。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☀| Comment(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月30日

東山彰良ほか「走る?」

「走る」をテーマにした14人の作家のアンソロジー。
14人のなかには初読みの作家さんも多く、楽しく読めた。
人生において「走る」場面は数々ある。そうした人たちの背中をそっと押してくれる短編が並んでいる。

東山彰良や古川日出男や佐藤友哉などはいかにも走りそうだ。走ると止まらない感じ。
反対に柴崎友香の主人公はおっとりして慌てふためかず、走るべき時にも走らない印象がある。

町田康はどうだろう?
走るようでもあるが、走らないようでもある。みんなと反対に、急いでいる時にはわざとゆっくり、ゆっくりしている時にはバタバタと尻を絡げて走りだしそう。
その町田康の「ずぶ濡れの邦彦」。
走らないことを条件に結婚した邦彦と妻のお話し。

「走る」をテーマに走らないを書くなんて、町田康らしいこと、と思いながら読み始めたのだけど、途中から「もしかして、こうなるんじゃないでしょうね。こうなるのは、あまりにあまり。でも町田康だもの、違うよね。。」と心落ち着かなかったけど、心配したとおりの結末に。
あまりに平凡、陳腐。
町田康の看板が泣くでしょと、情けなくなった。
こんな町田康、初めて。ホント、つまんなかったなぁ。
これがもし他の作家であったとしても、許容範囲外です。

いっぽう、初めて読んだ中田永一の「パン、、買ってこい」は面白かった。
強者のクラスメート入間君から、弱者の「僕」は昼休みになると「おい、パン、買ってこい」とパワハラされる。
パンは学校の購買で売っている。
入間君は「買ってこい」というものの、パンの指定はない。買ってくると500円玉を投げてよこす。
毎日毎日それが続くうちに「僕」は入間君のパンの嗜好にどうしたら沿えるかを考え始める。
「どんなパンが好きか」と訊ねると、入間君はパンの種類の指定ではなく「出来たてのパン」と答える。
そして「僕」は彼のために学校を抜け出て、駅前まで「走り」、できたてのパンを買って来る。
・・入間君にすると、気味悪いヤツに違いないよなぁ。
でもこの小説の登場人物は入間君を含めて、なにやらかわいくておかしい。
れっきとしたイジメなのに、悪人がいない。
これ気に入って、私の頭に中田永一といいう作家の名前が強くインプットされました。他のも読んでみよう。

こうしたアンソロジーは新しい作家との出会いがあるのでうれしい。
posted by 北杜の星 at 08:39| 山梨 ☔| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月28日

ハッチの週間身辺雑記

大変な1週間でした。
まず夫が寝込み、しだいに体の調子が悪くなった私が「早く治って、そうでなければ安心して私が寝込めないから」と言ったら、その夜、彼は大汗をかき2度パジャマを着替え、朝起きると「治った」。それで選手交代。
それが月曜日、台風一過のお天気の日でした。
その夜は39.5度までは熱を測ったけれど、後はしんどくてしんどくて、目が開けられないほど。
翌日になっても水一敵も飲めません。飲もうとすすると吐き毛がしてどうしても飲めない。これには困って、病院嫌いの私もさすがに内科クリニックで水分補給の点滴をしてもらおうと出かけたら、その日は午後休診日。評判の悪い市立病院に行くと、そこも午後は予約診療のみとのこと。よろよろと家に帰りました。
幸いなことに、午後からは水分が摂れるようになり、作ってくてくれるりんごジュースが美味しい。
熱は1度下がりました。
水曜日になっても水分のみ。熱はまた下がって37,7度に。
買い物に行った夫が買って帰ったものは、シューマイ、ぶりの切り身、牛ひれステーキ肉。
「どれが食べたい?」
「。。。」
思いだしたのは友人の話しです、彼女が若い頃風邪で苦しんで寝込んでいると、仕事から帰宅した夫が大きなデコレーション・ケーキを抱え「おい、これを食べて元気を出せ」と言ったそう。
彼女は思わず夫の顔にそのケーキを投げてやりたかったそうです。
男性のこういう無知な善意、どうしたらいいんでしょうか?

台湾旅行の疲れもあるかも知れrませんが、私は台湾での気温の変化が原因だと思っています。
雨の日が多かったため気温がいつもんほど高くないものの、それでも27〜30℃。ムシムシ。
ところが店、レストラン、地下鉄、タクシー、ホテルはエアコンがギンギンです。なにしろホテルの部屋の設定温度が22度!
部屋に入ると「寒い」。ボーイさんに25度にしてもらってもまだ寒い、28℃にしてもとうとうそれほど気温は上がりませんでした。
台湾には省エネという概念はないのか?
その街中を女性たちはショートパンツかミニスカートで素足。
台湾には冷え症はないのか?

私たちは高原の寒冷地に住んでいるので、エアコンの生活に慣れていません。
盛夏の数日の午後数時間、エアコンを使うくらい。このあたりではエアコンなしの家がほどん度です。
だから激しい温度差を一日に何度繰り返しているうちに、自律神経がおかしくなり、体温調整がうまくいかなくなったのだと思います。
金曜日になって37度を切るようになりましたが、まだ汗の出方が本物ではないの、注意が必要です。

こんな消えた1週間でしたが、初めの日だけは楽しいことがありました。
友人夫婦の一人娘のIちゃんがアメリカから帰国、一緒にランチしたことです。
Iちゃんは臨床心理士としてフィラデルフィアで活躍する、明るく聡明で細やかな気遣いのできる素晴らしい女性です。
いつもバカなジョークばかり言っているお父さんもIちゃんの前ではおとなし目。
今回も彼が「▼×●ファ▼●」と中国人の真似をしたら、「まぁ。やめなさいよ」とぴしゃり。お父さんションボリ。
Iちゃんは今はアメリカ国籍。だから帰国というより来訪になるのかな?次に会えるのは2年後。楽しみです。

完治までにはもう数日かかるでしょう。焦らずゆっくり過ごします。
そうそう、不思議なことに、ほとんど水しか摂っていなのに、毎日見事なお通じがあります。
断食をすると宿便がでると言うし、食べ過ぎの人の方が便秘がちだとも言われるので、これは自然なことなのかもしれません。
おかげで腸がデトックスでしました。
時々熱を出すと体が浄化されるそうですし、私、ピューリファイされたのならうれしいです。
posted by 北杜の星 at 08:38| 山梨 | Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月26日

ハッチより

高熱で寝込んでいます。。
posted by 北杜の星 at 10:24| 山梨 ☔| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月23日

中村文則「私の消滅」

「教団X」があまりにひどかったので、もう中村文則を読むのは止めようとまで考えたのだが、デビュー作以来ずっと読んできたヨシミが私の中にに残っていて、つい新作が出るたびに読んでしまう。
いつからかなあ?大江健三郎賞を受賞してからか?それまで純文学中の純文学しか書けない不器用な作家だったはずが変に化けてしまった。
売れる本を書くのが悪いのではない。売れるのは単純にうれしいことだし、売れなければ出版界が成り立たない。
でも私のまったく望まない方向に行っちゃった。
。。と思っていたらこれ、この「私の消滅」は素晴らしかった!

初期作品の内省世界よりもっと他者、社会との繋がりは何かと苦しみながら、世界を広げている。
過去における精神医学の事例をたくさん挙げているのも、作品に深みを増している。
過去の犯罪者、例えば宮崎学らの例を引くのも、主人公の心理説明として的を得ているのがわかってくる。
なんだ、中村さん、まだこんな素敵な小説が書けるじゃないですか?諦めないで読み続けていて良かった。

「このページをめくれば あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない」
という冒頭の行が、このところの中村文則のミステリー仕立ての深く重い扉を開けることになる。
いくぶん思わせぶりな文章のようだが、導入部としてはぴたり。
登場人物は少ないが、想像を超える展開とその速さに、次のページをめくるのがもどかしいほど。

うーん、もっとあらすじについても書きたい。、書かないとこれはわかってもらえそうもない小説なのだ。
でもミステリー仕立てなので、書いたら興を削ぐし、読む楽しみを奪うことになる。
悩ましいところですが。。
最後の最後でタイトルの意味がわかる。精神科医である主人公が自らを消滅させるのだ。。

精神科の治療としての「洗脳」がとても興味深かった。
「パブロフの犬」は、ベルを鳴らしてエサを与えることを繰り返していると、やがてベルを鳴らすだけで犬はよだれを垂らすようになるという有名な実験だが、実験には次やその次の段階もあったとは知らなかった。
そしてその実験結果をスターリンがことのほか喜び満足したというのも。
彼はそれを共産主義政権の維持に使おうとしたのだった。

怖さより悲しさが漂っている小説だった。、

posted by 北杜の星 at 08:04| 山梨 ☔| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月22日

ハッチの週間身辺雑記 台湾旅行記2

さて、台湾滞在3日目。
友人のMさんたちは台中へ。
本来の私たちの予定は九分見学だったのですが、雨のため予定変更。台北市内を歩くことに。
私たちはヨーロッパに行っても、一つの街に長く滞在することが多いので、これはあまり残念なことでありませんが、雨、なんとかならない?って感じです。

まず友人夫婦との朝食をホテルの近所のカフェで。
前日は台湾市場での台湾朝食でしたが、ふだんから朝はたくさん食べない習慣だし、やはり普通のパンとコーヒーがいいねということで、最近台湾でも流行のちょっとお洒落なカフェに行くことに。
ここも夫が調べていたところで、朝7時からオープン。ほとんど満席状態。
どちらかというと「業界風」の若い人たちが朝食してました。
パン・ド・ミのトーストのセットを注文、ポテトサラダが美味しかった。

台北駅で彼らと別れ、これまた夫が下調べしていた「炭火焼のサンドイッチ」の店へ。
この店は池澤夏樹の前の奥さんとの間のお嬢さんの池澤春菜さんの台湾案内本で見つけていたところ。
春菜さんはなんとこれまで40回も台湾に行ったことがあるという熱烈台湾ファン。ディープなところから新しい若者名所までたくさん紹介しています。
この本をMさんの奥さんのKさんからお借りしていたのです。
地下鉄の悠々カードをチャージし、その駅に着いたものの、場所がよくわからない。
通りすがりの青年に訊ねるとちょっと困惑顔。やがて決心したように「僕が店まで案内します!」ということに。
遠くはないけど説明しにくい場所だったんですね。雨の中、店先まで連れて行ってくれました。感謝でした。
サンドイッチの味はそう感激するものではなかったけれど、それを作る女性の働きぶりには大感動。
炭火の上に食パンを置き、ベーコンを置き、横のフライパンで卵を焼いて、野菜を用意・・その間、並んだ客の注文を聞いたり炭火のチェックをしたり。
スゴイ手際の良さでした。
この店のある通りには、食べもの屋さんが並び、若い人たちがいっぱい。近くに大学でもあるでしょうか。
また地下鉄でホテルへ戻りました。
台湾はタクシーがとても安くて、運転手さんもみんな親切。雨なのでタクシー利用してもよかったのですが、悠々カードをチャージしたので、使わなくっちゃと地下鉄に乗りました。
台湾の地下鉄は東京のより広く、明るく、清潔。東京ほど混雑していないので快適です。そのうえわかりやすい。

昼寝をして、夕方からいよいよ「士林」の夜市へ向かいました。
ここはかなりディープな夜市で、なかでも「士林市場」は観光客必見です。
1階は日本でも昔の遊園地にあった射撃があったり、どこか懐かしい感じ。占いも並んでいます。
エスカレーターで地下に行くと、そこはぜーんぶ食堂。それも典型的な屋台料理。いったい何軒の店があるのか?
客がいっぱいの店があるかと思うと、ガラガラの店も。誰だってガラガラの店には入りたくないから、そこはずーっとガラガラのまま。
若い女性が一人でチャーハンを食べていたり、ごく普通の台湾の人たちの食事処なのでしょう。
なんだか気圧されて、食欲がわかず、何も食べないで帰りました。

夕食はホテルの前のちょっと高級な上海料理店へ。
焼きそば、それも上海焼きそばが大好きな私のリクエストです。夫は炊きこみご飯を注文。
それに蒸しギョーザと青菜炒め。
焼きそばとご飯は土鍋でやってきましたが、これがとてもとても美味しかった!とくに炊きこみご飯は絶品でした。
ここは高級だけあって、アメリカ人が接待に使っていました。

4日目、今日も雨。でも雨にも慣れた。
現代美術館で、新しい感覚のアートに接したいと行ってみました。
(台湾ならなんで「故宮博物館」に行かないのか?と思われるかもしれませんが、私の視力では展示物を見ることができないのと、博物館があまり好きではないからです。博物館ってあまり「いい気」が流れていなくて、どうかすると気が滅入ることがあるし、文物が多すぎてひどく疲れるのです。)
美術館は歴史的建物。内容はまぁまぁ。ビジュアル・アートが多かったです。
この美術館では入場券の代わりに手の甲にペタッとハンコを押してくれるんです。経費節約なのか?
それが1日中消えずに、なんだか囚人になった気分。

そこからまた地下鉄で、今度は市立美術館へ。雨なのでなるべく建物の中にいようという魂胆だったのですが、なんと1週間の臨時休館中、
駅からかなり歩いたというのに残念でした。
だけど途中にフェアをやっていて、オーガニックの食品などを売っていました。これがけっこうな値段。コーヒー豆150gくらいで2千円もするんですよ。
シンプルで素敵な雑貨屋さんがあったけど、これも閉まっていました。面白そうな帚があって買いたかったなぁ。私が台湾で自分のために買いたかった唯一のものでした。

いろいろ夕食の場所を調べはしたものの、雨のため近場でということでホテルから5分の三越の9Fの伝統的台湾料理の支店へ。
土曜日だったせいか、みんな予約客ばかり。しばらく待っていると「すぐ、1時間で食べるならOK」と言われ(たのだと思います)、席に案内してもらえました。
広い店内は満席状態。日本人は私たちだけ。隣のテーブルの家族連れはちょっと変な献立で食べてましたよ。
白いご飯、蟹おこわ、チャーハン・・ご飯ものがこんなにたくさんあっていいの?という感じでしたが、おかずも次から次に来るわ来るわ。。どんだけ食べるんだというくらい注文してました。
他のテーブルでも食べきれないほどの皿が並んで、私たちのように炒麺と青菜と肉料理一品とスープだけという人はいません。
45分で食べ終えました。
ホテルに戻るとMさんたちが台中から帰っていて、いっとき話を聞きました。

さて最後の日、今日も雨ですが前日や前々日ほどの降りではないみたいで、カフェで朝食後チェックアウトして、空港のロッカーに荷物を預け、空港近くの「豊錦町」というその名のとおりとても美しい街並みの住宅街を散歩。
ここは最近、お洒落なカフェや家具店や洋服のお店がオープンしつつあるところらしく、まるでヨーロッパのテラスハウスのような建物が並んでいます。
そのなかのこれもセンスの良いカフェで軽い昼食。夫の頼んだローストビーフのクロワッサンサンドがモダンな味でした。
(サンドイッチなんてどこでも食べられるじゃないかと思うかもしれませんが、こうした日本でも普通にある食べものが微妙に違うのを知って楽しむのも、旅の面白さです。パン一つとってもなーんか日本とは違うんですよね。ローストビーフも全然違ってた)。
ここなら住んでもいいなと思ったほど気に入った「豊錦街」でした。緑があってシックで落ち着いています。それでいてやはり台湾。

松山空港のサイズっていいですね。大き過ぎなくて静か。
人間が心地よいサイズってあるんですよね。そういう意味では台北の中心地での建物の高さはほぼ揃っていて、スカイラインがごちゃごちゃしてません。
機内アナウンスで、雨雲の影響で揺れるかもと言われて心配したけど、揺れることなく無事羽田に到着。
(日本航空の機内食、台湾の薄味に慣れたせいか、ものすごく濃く感じました)。
車が空港に隣接した駐車場に停めてあったので、雨に濡れることなく千駄ヶ谷のMさんのマンションに帰りつきました。

台湾の印象をひと言で言うならば、「穏やか、優しい、上品」というものかな?
それでいてやっぱりアジアで、例えば高級ブランド店の隣にダサイ衣料品店があったちと、アジアの混沌もしっかり残っていて面白かったです。
なにより若い人たちが素敵でした。
東山彰の「流」を読むと、穏やかな台湾人ばかりではないようですが。。
Kさんにこの本を紹介すると、是非読むと言っていました。

そうそう、夫が台北で気に行った面がありました。
それはみんなの運転のしかた。
彼に言わせれば、「台湾ってイタリア人に似た運転するね」ということです。
なるほど、巡行速度は日本より時速20キロは速い、ちょっと遅い車は左からも右からも追い抜く、バイクだって同じ走り、女性も同じ運転・・
たしかに台湾の人たちは日本人より運転上手でしたね。
Kさんはこれまで台湾タクシーの運転手の運転が怖かったそうですが、夫の説明を聞いて「これからは不安に思わないですむわ」と安心してました。

楽しく元気で帰って来れました。
Mさんたちには本当にお世話になって、感謝でいっぱいです。
また夫が「台湾へ行こうか」と言ってくれるといいけど、まぁ、私だけ友達と行けばいいんだしね、と思っています。

台湾、もう何度も行った友人もいます。
未経験の方、どうぞ一度訪れてみてください。いいところですよ。あれほど雨に祟られた私がそれでも薦めるのだから、絶対です!!
犬は繋がれないで仲良く2匹、散歩してたの見たけど、猫は1匹も見なかったなぁ。
台湾って、いかにも猫がいそうだったんだけど。
まぁ、都会の真ん中に居たから、見なかっただけかもしれません。

posted by 北杜の星 at 08:31| 山梨 ☔| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月21日

ハッチの週間身辺雑記 台湾旅行記bP

正確にいえば今週ではなく先週のことなのですが、今回は台湾旅行記です。

前後東京の友人宅に泊らせてもらい、11日から15日まで4泊5日で、初めて台湾に行ってきました。
私はバンコック、香港とアジアは3回目。夫はまったく初めてのアジア旅行です。
心配が嘘のように、彼も楽しんでいました。

着いた日以外はずっと雨。日本もその間は雨だったようですね。台東では土砂崩れなどの被害があったようです。
30分も飛行機が早く到着したので、10時半にはもう台北に。ホテルに荷物を預けてさっそく街歩きに出発。
夫が調べておいた「牛肉麺」を食べに行きました。昼前だというのにかなりの客足。
牛肉麺を食べるつもりだったけど、ふと隣の女性を見ると、なにやら汁なしのジャージャー麺のようなのを食べている。
暑かったので私もそれにしようと、彼女に「それ何?」と訊ねると、メニューを指差してくれたので、それを注文。
彼女はこれでもかというくらい混ぜていたけど、私は混ぜるのが下手で、どうも彼女の丼のようには茶色にならない。最後の方にかなりの肉が残って口惜しい。
彼女だけでなくジャージャー麺を食べている人はスープも一緒に食べてましたが、あれが正式?の食べ方なのかな。たしかにジャージャー麺を食べているとスープが欲しくなる。

それから地下鉄の中山駅で、パスものような「悠々カード」を購入して、ベタな観光地ですが、パワースポットの龍山寺へ。瀧があって気持ち良いお寺、さしずめ浅草の浅草寺という感じかな?
おみくじを引くにも資格が必要なようで、二つの板を投げてその向きが正しければ引けるとか。私たちは誰もNGでした。
それから周囲の市場をそぞろ歩き。台湾は市場が多い。

歩いていると突然、私の足がツリました!こんなふうにツッタのは初めてで、泣くほど痛かった。
その前日に東京で歩きに歩いたので、筋肉疲労していたのかもしれません。
困っていると、これも突然、目の前に「足裏マッサージ屋」が!
さっそくお願いすることにしましたが、どこを揉まれても痛いことったら、これも泣きたいほど。
「痛い」「痛い」と言うのだけど、寡黙なマッサージのおじさんは「いいから、俺にまかせておけ」という顔で、取り合ってくれません。
地獄の30分でした。
(足裏マッサージ自体は柔らかい揉み方です)。

ホテルに帰ってチェックイン。部屋は2段階グレードアップしてくれて、プレミアム・ツインとなっていました。
これはラッキー。
もともとロイヤル日航台北にしたのは、利用できるクーポン券がちょうど4泊分あったからで、普段なら私た夫婦はこうした日本のホテルは利用しない主義です。
でも今回は部屋のことだけでなく、助かりました。
なにしろ漢字でだいたいの意味はわかるものの(わかった気になっているだけかも)、発音はまったくできない。レストランの予約は英語や日本語が通じないところもある。
なのでフロントで日本語が通じるのは本当に便利でした。
足がツルのに効く漢方の先生を友人がフロントから訊いてくれて、教えてもらったのもありがたかったです。(翌日からはどんなに歩いても大丈夫だったので、結局罹りませんでしたが)。
こういうのに慣れたら、ラクな旅行に走ってしまいそうで怖いですが。
夕食は名物の小籠包が評判の店に。蟹みそ入りとか試したけど、プレーンなのが一番美味しかった。

次の朝は東門市場を探検。
夫が市場のなかで見つけた食堂で朝ごはん。
米粉をまるで米飯のようにして、おかずと食べるんです。だから米粉は汁ものだけど味がついてない。
おかずは青菜炒め、豚の腸の茹でたのに辛いソースをかけたものなど。なかなかに台湾っぽい朝食です。
食べていると食堂の看板おばあさんがテーブルにやって来て、うれしそうに日本語でいろいろ話しかけます。
今年86歳で、日本が大好きとのこと。幼い頃は日本に占領されていた台湾ですから、日本語がまだ話せるんですね。
「毎週月曜日にこの市場が休みの時は、年寄り連中が集まって昔の日本の歌を歌うのよ」と言っていました。
中国や朝鮮半島での日本軍と違って台湾では、人々を大切にしたのでしょう。今でもそんな日本時代を懐かしがってくれる人が多いみたいです。
笑顔がとてもカワイイおばあちゃんでした。いつまでも元気でいてください。

それから友人夫婦お勧めのある食べものをゲットするために、台北駅へ。
駅から歩くこと数分。
そこには「胡椒餅」なるものを売っている店がありました。
胡椒餅というのは台湾のファーストフードで、長野県の「おやき」に近いのかなぁ。でも中身は全然違います。
胡椒がたっぷりな豚肉のシチューのような餡が皮に包まれた焼いてあるもので、熱々の熱々。売り場のおじさんが「熱いよ」と日本語で注意してくれました。
ホテルに帰ってもまだ熱々を保っていました。
その日のお昼はこの胡椒餅だけだったけど、大満足。
この200円の胡椒餅、台湾旅行でもっとも美味しかった食べもので、その後ももう一度買いに行ったほど夫も私も気に入りました。
歳をとったせいか、最近ではイタリアに行っても、豪華なレストランの料理よりも、市場や町はずれの屋台車で売っている豚の丸焼き肉を挟んだポルケッタと呼ばれるサンドイッチのようなものがうれしくなったし、広島だとやはりお好み焼きとか、ごく普通にその土地の人が食べているものがいいですね。
そうした料理が続くのには理由があって、美味しく安いから。そういうのってうれしいです。

その夜は典型的な台湾料理を出す店へ。
(小籠包は台湾にゴマンとありますが、実は台湾朗利ではなく上海料理だとか)。
八角などのスパイスをまったく使わずに作った豚の角煮は、脂っぽくなくあっさりして絶妙な味。
しじみ醤油はチマチマと食べなきゃいけないけど、面白い味でした。
細かい切り干し大根の卵焼きは家でも作れそうに見えるけど、あんなに外はカリっと内はしっとりにはできそうもない。
夫が食べたいと言っていた蟹おこわは期待どおりの味でした。またいつか食べたい。
このレストラン、平日だというのにすごい盛況ぶり。どのテーブルもたくさんの品を注文し、賑やかに食べていました。
台湾の人というか中国系の人って、本当に食べることが大好きなんですね。
彼らの食べる時の顔の幸せそうなこと!

でも食べている時だけではないのかもしれません。
台湾の人はとても穏やかで優しいんです。どの店の人もタクシーの運転手さんたちも、道ですれちがう人たちや地下鉄で乗り合わせた人たちも、ギスギスしたところがないんです。
街にはゴミが落ちていない。一見古くて小汚く見える市場だって、どこにもゴミは落ちていないのです。
夜、暗い道を歩いても恐怖を感じない治安の良さも、観光客にはありがたいことです。

そしてなによりも感動したのは、若いひとたちが生命力に溢れて、活き活きしていること。
あの若さの輝きは残念ながら日本では感じられないことでした。
25年くらい前の日本の若者もあんな顔をしていたはずなのにと思うと、今の日本の現状について考えないわけにはいきませんでした。
元気なのに、傲慢ではないんです。とにかくみんな優しい。
台湾の料理はどれも薄く優しい味ですが、ああした食べものを食べているから、あんなに優しくなれるのかなぁと、夫と話したのでした。
日本って、悲しいけれど今や「陽沈む国」となってしまったのでしょうね。
若さの輝きもなければ老いの賢さもない。。そんな印象を台湾で感じました。

私たちを誘ってくれたMさん夫婦は50代前半。
毎年この時期に台湾に行っています。
というのも台中にはMさんの母方のお祖父さんの銅像が経っていて、お祖父さんに関連するイベントが催されているるからです。
日本の統治時代にそのお祖父さんは農業のための用水路を建設した技師として、今も台中の人々から尊敬され感謝されているそうです。
だから今年もMさんの親戚一同が台中に集まり、台中市長を表敬訪問、イベントに参加、夜は宴会に出席。
来年はお祖父さんの記念館が建てられる運びとなっているそうで、来年は台中で花博と相まって、さそ盛大なイベントとなるのではないでしょうか。

3日目からはMさんたちは台中へ。
その間、私たちは別行動となります。雨のなか、まだまだ街歩きは続きます。

posted by 北杜の星 at 08:10| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月20日

大崎善生「ロスト・デイズ」

腹を立ててます。
こんな大崎善生なんて、ちょっと酷過ぎではありませんか?
あまりにもイージー。
もともと彼の恋愛ものは切なく甘くイージーではあったものの、そこには恋愛小説としての押さえどころはしっかりしていて、リアリティがそうはなくても、それなりにストーリーに入り込めていた。
だけどこれは、「これって、アリかよ」というくらい嘘くさい。
夢見心地の恋愛ではなく夫婦の問題だからこそ、よけいにリアリティが感じられない。

順一と由里子は大学のゼミで知り合った。教授からはロレンス・ダレルの「アレキサンドリア四重奏」などを教えてもらい、順一はいつかそうした小説を書きたいと願いながら出版社で編集の仕事をしている。
そんな彼らが結婚。台風の夜に、切迫流産の危機を乗り越えて、娘を得、教授に名付け親になってもらう。
順風満帆な人生が続くと思われた。
けれど順一は編集から営業部に転属となり、それをどうしても受け入れられず、酒びたりとなっていく。
由里子はそんな夫をどう見ていたのか、ひたすら子育てに没頭。家事にもいそしむ。
順一はしだいに家の中のスリッパや置物などに違和感を持つようになる。
以前の彼女なら選ばないはずのものが増えていたからだ、
彼らは娘のために一軒家を購入、移り住む。
しかし順一は気付くのだった。自分たちは人生の長い坂道をもう登りきったのではないか?すでに下り坂を歩いているのではないか?

恩師が南仏のニースで老後を過ごそうと移住したのだが、突然病気となったらしく、順一と由里子は娘を母に預けてニースに旅立つ。
小説の三分の一はこの南ヨーロッパでの出来事が綴られているのだが。。

書きたいことがわからないわけではない。
齟齬が生まれた夫婦の再生物語だ。
でも30歳ちょっとで、もう人生の坂道の下りなんて、チャンチャラおかしい。甘えるのもいい加減にしろと言いたくなる。
もちろん人生の捉え方や感じ方は人それぞれ、必ずしも年齢とは関係ない。
だけど、順一はあまりにも独りよがりのお坊ちゃんとしか言いようがない。
営業部に転属された自分にあるのは、その甘ったれた自己憐憫だ。

第一、妻の由里子の象が全然私にはわからない。
男性作家が女性を描くとこうなりますよの典型だと思う。
由里子には由里子の想いがあったはず。それが伝わってこないのだ。


「ロストデイズ」・・人生は失う日々なのか?それとも積み重ねる日々なのか?
それを問うにはあまりにもつまんない小説でした。残念です。
ただ、コート・ダ・ジュールの風景やイタリアンのジェノバあたりの描写があったのが、最期まで読みとおせた理由かな?
茶色くならないジェノヴェーゼ・ペストの作りかたがわかったのが、収穫だった。
posted by 北杜の星 at 08:09| 山梨 ☔| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月18日

野瀬泰申「食は『県民性』では語れない」

お好み焼きのルーツが大阪だと思っている人は多いが、じっさいの故郷は違うそうだ。
日本ほど北や南、東や西で食の多様性がある国はないのではないだろうか?
ともすれば私たちはその差を「県民性」で片付けてしまいがちだが、同じ県内であっても同じ料理のレシピはかなり異なる。
その検証をこの本ではしているのだが、やはり「東(関東)」と西(関西)」の比較が多いのは、誰もが実感しているからだろう。」たまり

著者は新聞記者時代、大阪で奇妙なことに気付いた。
大阪では天ぷらにジャブジャブとウスターソースをかけていたからだ。
天ぷらにウスターソース!天ぷらには天つゆか塩のはずだ。
でも私はあまり驚かない。両輪は西の人間だし私自身もずっと瀬戸内海沿岸で育ったからだ。
大阪ではソースは昔、「洋式醤油」と呼ばれた。そのため何の料理にも醤油のようにかけて食べるようになったのだとか。
東京では中農や豚カツソースはあっても、あまりウスターソースは家庭に常備していない。でも私はあのサラサラのウスターソースが好き。日本のもいいけど、リーベンのスパイスの効いたのも時々食べたくなる。

西の人はカレーライスの黄色いルーの上にウスターソースをかけて、ぐじゃぐじゃに混ぜて食べることがある。
あれは見るだにオソロシくて私は一度もしたことがない。なんだか取り返しのつかないことになるような気がする。
著者はカレーライスのトッピングの卵の差についても言及していて、生卵と茹で卵の使う地域を挙げている。
西は生卵ですね。大阪に住んでいた頃、「自由軒」の生卵混ぜぐちゃぐちゃカレーライスって、怖かったなぁ、「インディアン」のカレーも生卵は乗っけずに辛いのを我慢してそのまま食べていた。
どうやら食は、糸魚川から東海地方のあのフォッサマグナの線で分かれるようだ。

醤油だって西と東ではかなり違うのは今では誰もが知っていることで、西は薄口醤油を使う。
でもこれは東の人が誤解していることだが、ここにも書かれているように、薄口醤油は煮炊きにしか使わない。かけ醤油は濃口を使う。いつもいつも薄い醤油というわけではない。刺身などはむしろ西の方が濃い「たまり醤油」をつけて食べる。こってり濃くて甘い醤油で、私は苦手だ。
うどんの汁が濃いのはどうも。。という西の人間が多いのだが、広島出身の私の友人は大学受験の時に東京で初めて食べた甘じょっぱい鍋焼きうどんがとても美味しくて代のお気に入りになったとか。確かに冬の寒いときにはあの味は温まりそうだ。

ここにもかなりのスペースを割いて書かれているのが、東の豚肉と西の牛肉のこと。
私が幼い頃「カツ」と言えば「ビフカツ」のことだった。豚カツを食べたのは大人になってからで、初めてカツ丼を食べた時は、世の中にこんな美味しいものがあるかと思った。
でもこの牛と豚の文化、同じ県内いでも異なる場合がある。
それは山形県の「芋煮」。
庄内地方では豚肉の味噌仕立て、米沢では牛肉の醤油仕立て。
まぁ、米沢は牛肉で有名sだし、庄内ではあの平田牧場の豚肉が人気ですよね。
私はどちらも好きで、時と気分に応じてどちらも作っている。

しかし食の多様性を最も表しているのは、なんと言っても「雑煮」だろう。
これはもう言いつくされたことで雑煮に関しては、「どうぞ、お宅の流儀でお好きなように」と言うしかない。
雑煮も同じ県内であってもかなり違う。とくに東西や南北に長い県にはその違いが多いようだ。
(長野県なんて北と南ではまるきり文化圏が違いますよね)。

いろんな食材が流通するようになった現在でも、まだまだその土地に行けば「!?」ということがあるが、いつまでもそうした差異を守ってもらいたいと思う。
楽しい一冊でした。
お好み焼きの故郷がどこかは、どうぞ一読のほど。
posted by 北杜の星 at 08:18| 山梨 ☁| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月17日

内田洋子「12章のイタリア」

台湾に出発する時は夏服だったのに、帰るとまるで冬。衣替えをしたけど、この雨。。
紅葉も始まって、ちょっと浦島太郎気分です。

内田洋子の新作エッセイ。
彼女のイタリアに関するエッセイはイタリア事情がよくわかるものだが、どれもエッセイの域を超えて、短編小説のように人間模様が描かれている。
在イタリア40年以上の間に出会ったさまざまな人たちの、その土地に住む幸福も不幸も鮮やかに切り取りとるその文章は過剰な思い入れがなく淡々としている。
自身の体験でありながら黒子のように自分を前に押し出さない書き方はどこか日本的ですらある。

けれどこの新刊には、彼女自身のことがかなり書かれている。
高校生の将来の進路が決まらない頃、テレビで放映された映画「ブラザーサン・シスタームーン」を観た。
見知らぬ外国の景色を目の前にして唐突に「海の向こうに行ってみよう」と思ったという。
その映画は聖フランチェスコの青年時代を描くもので、舞台はイタリア中部のウンブリアだったと後に知る。
東京外語大学のイタリア語科に入学するが、当時イタリア語はまだマイナー言語。完全な伊和辞典すらなかった。
イタリアに接したいと思ってもチャンスは多くない。デパートで催される「イタリア展」に出かけてイタリアの食べものや工芸品からイタリアの匂いを嗅いだ。

大学生の時にナポリ大学に1年間の留学。
しかし前年にナポリは大地震に見舞われていて、街は混乱。大学の授業もなかった。
日本に戻り大学を卒業。やっとちゃんとした伊和辞典が出て一心不乱に勉強するが、イタリア語での仕事はほとんどなし。
そんな彼女を救ったのが、またまた映画だった。
今度の映画はタヴィアーニ兄弟監督の「カオス・シチリア物語」。
100年前のしちりを舞台にした暗く重いテーマのオムニバス映画。彼女は俳優が話すイタリア語が全然わからなかったそうだ。
(私はこの映画が大好きで映画館で3回か4回観た)。
この映画の最後の編に、それまでとは打ってかわって、青い空と海、白い砂浜がきらきら太陽に輝くシーンがあるのだが、それを観て彼女は「海が待っている。海の向こうに行かなくては」と思ったのだ。

映画の力ってスゴイですね。
もともと「洋子」という名前は彼女のお祖父さんが、大海原に出て行く人間になるようにと名付けてくれた名前。
日本を出る運命を持つ人だった。

イタリアに行っても仕事はない。でも彼女はへこたれなかった。仕事がないなら自分で仕事をつくればいい。
そうしてミラノで通信社を立ち上げて、イタリアのニュースを日本に伝えるようになった。
・・そしてエッセイストとして活躍をするようになった。

それにしても、いろんなところに住む人だ。
ミラノはもちろん、リグーリアの船を買って船上生活をしたこともあるし、同じリグーリアの寒村にも住んでみた。フランスとの国境の丘の上にも住んだ。
そして今、ヴェネツィアの離島に家を借りて住んでいるらしい。
そのヴェネツィアの街の古本屋のショーウィンドーにある朝、ウンベルト・エコーの等身大の写真がかけてあるのを見つける。
近くのバールに入ると、そこでエコーが亡くなったことを知った。
エコーとはかつて知人から招かれて食事を共にしたこともある。物静かで博識の大学教授だった彼はしばらくして「薔薇の名前」の作者として世界に名を知られる作家となった。
小説を読まないイタリア人でさえ、イタリアの誇りと、エコーを敬っているそうだ。

このエッセイ集には「本」に関する記述がたくさんある。。
古書店、古書市、作家や評論家たちのこと・・
読書をしないという印象のあるイタリア人だけど、どこの国にも本好きはいるんですね。
そういえば、街や村で時々い「本市」が開催されて、地元の人たちがたくさん集まって見ているのを思い出した。
子どもから老人までずいぶん熱心に見ていた。古本や古い地図などの掘り出しものもあるのかもしれない。
もしイタリアに行くことがあれば覗いてみよう。

この内田洋子もとても素敵な一冊でした。

posted by 北杜の星 at 08:06| 山梨 ☔| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月09日

桐野夏生「デンジャラス」とお知らせ

seesaaブログのシステム障害で記事のアップができませんでしたが、やとと解決。

まずお知らせから。
明日から台湾旅行のため、1週間ブログをお休みします。
若い友人夫婦が誘ってくれて、思いがけず夫も参加。彼にとっては初めてのアジア旅行です。
イタリア以外に渡航することはないと思われた彼ですが、楽しんでもらいたいです。
とくに予定を決めず、足と舌に任せて、ぶらぶら街歩きをしながら、美味しいものを食べてくるつもりです。
今日のブログは食べることがなによりも好きだった谷崎潤一郎と周辺の女性たちを描いた、桐野夏生作品です。


これ、面白かった。
桐野夏生のミステリーを読むと、いつまでも黒い淀んだ悪意の空気に包まれて、読後感が良くないため好きではないのだが、この谷崎潤一郎の晩年の生活を、松子夫人の妹重子を軸に描く「デンジャラス」は、とても読み応えがあった。
もともと私は谷崎ファンで、彼の小説世界は志賀直哉や川端のよな文芸作品にくらげると俗っぽいのだけど、小説らしい小説として独特のものがあり、「読物」として読者を飽きさせない。
そのエロティシズムもいい。(川端にもすごいエロティシズムはあるんですけど)。
ここには谷崎が松子夫人、重子、重子の嫁の千萬子という三人のミューズたちと、いかに「家庭王国」を築き、そのなかに君臨したかが描かれれている。

「君臨」と言っても、当時の男性とは、女性のシュミが谷崎は違っていた。
それは「痴人の愛」や「春琴抄」などでわかるように、いかにも良妻賢母的女性は好みではなく、どちらかと言えばマゾヒステックで女性に振り回され尽くすことで性的充足を覚えるというタイプ。
だから三番目の妻の松子は彼にとって理想の女性であった。
大阪船場の大金持ちの次女として生まれ、これまた大金持ちの息子と結婚したものの、夫の放蕩で全財産を失うと離婚、谷崎と二人の子連れで再婚した。
春は花見、秋は紅葉狩り、歌舞伎見物など遊興三昧、衣食住はもちろん豪華絢爛。
谷崎はそんな育ちの松子から関西の文化的な吸収を大いにすることができた。
彼の家庭王国には彼以外の男は不要だった。
松子の息子は体よく追放され、娘だけを養女としたし、常時数名の女中を置いて、彼女たちを観察していて。その様子は「台所太平記」に結実している。

谷崎の代表作の「細雪」の主人公は「雪子」。
そして雪子のモデルとなったのが松子の妹の重子である。
重子は実生活ではいつも松子が太陽なら月となって、谷崎家の家政を支えた。
遅い結婚までは谷崎家で暮らしたし、寡婦となってからはずっと谷崎と松子のそばにいた。
自己主張をしない性格の重子を「デンジャラス」の主人公に桐野がしたのはなぜなのか?
そこらあたりが、この本のもっとも興味深い点だと私は考える。
谷崎をして「あなたは怖いひとだ」と言わしめる重子。重子を見ていると「役割を知る人間の強さ」を感じてしまう。それは松子とはまた違う役割だ。

それにしても重子の養子(松子の息子)の嫁の千萬子は、ちょっと気の毒なくらいの扱いをここでは受けている。
文豪と呼ばれる身となってはいても、だんだん老いの迫りくる谷崎の新しいミューズとして愛されるのをいいことに、金銭的な無心をしたり、松子や重子にとって
けっこうな悪者となっているのだ。
けれど作家の眼には、松子、重子、千萬子の3人の女性の心理などすっかりお見通しで、それさえも楽しみ、小説のネタにしていたのではないかと思われるのだが、そんな谷崎でも本当の女の怖さには敵わなかったのか。。

もっとも、こfれはノンフィクションではない。
あくまでも桐野夏生が書く小説だ。
自ら書くこともせず、書かれることもあまりなかった重子の立ち場からのフィクションである。
谷崎を知るにはやはり、谷崎作品を読むのが一番。
posted by 北杜の星 at 16:36| 山梨 ☀| Comment(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月07日

ハッチの週間身辺雑記

カズオ・イシグロ、ノーベル文学賞受賞 おめでとうございます!!
一昨夜、夕食の後ボーっとしていたら、友人よりTELで知らされました。
彼女もカズオ・イシグロの大ファン。二人して大喜びしました!
若い頃から完成度の高い作品を書き続ける彼の受賞は当然といえば当然。いつかは、、と思っていましたが、本当にうれしいです。
その興奮も冷めやらぬ週末土曜日の朝です。

先日の朝、夫と集落を散歩していると、知り合いの農家の人から呼び止められました。
「無花果が生ってるから採っていかんかね?」と。
うれしい!無花果大好きな私は大喜び。夫が枝からもいでくれました。容れものを持っていなかったのでその人が家からビニール袋を持って来てくれました。
畑の柔らかな大根葉ももらっての帰りがけ、「朝の散歩はするものですね」と私が笑ったら、「袋を持って散歩しなさい」と返されました。
ホント、ここは良いところです。
でも16軒の家々はみんな高齢者。米を作る農家も少ないのですが、作っている農家も人手がなくてJAに稲刈りを依頼すのだとか。限界集落の大変さが身に沁みます。

我が庭にときおりタヌキが出没します。
他の近所の人は何匹か一緒に来ると言いますが、我が家に来るのはいつも一匹だけ。
居間に居る私と目が合うと、じっと見つめてきます。丸いタヌキ顔の私を同類と思うのかな?
キツネもときおり見かけるけど、キツネはあまりフレンドリーではなく、すぐに逃げます。美人顔のキツネは気位が高いのかも。
害獣と嫌われる動物ですが、元は彼らの居住地。彼らの方がここでの先輩なので、敬意を払って接しています。
ただウンコを庭に残して行くのは止めてほしいなぁ。

鳥が窓ガラスにぶつかるのも止めてほしい。これは鳥のせいではないだけになんとも胸がつぶれるできごとなのです。
我が家には2メートル幅の窓ガラスが4枚、他の窓を合わせると計19メートルものガラスがあります。そこに時々鳥がぶつかるんです。、
コゲラやシジュウカラなど小鳥がいつもなのですが、つい数日前、居間で本を読んでいたら突然ものすごい大きな音が背後にし、一瞬それが鳥とは思えなく、いったい何が起きたのかと窓の外を見て見ると、鳩が転がっていました。
鳩がぶつかるのは初めて。さすがにその大きさに驚きました。
1時間しても全然動かず、血も流しているようだったので、これは脳しんとうではなく死んじゃったんだと、でも怖くて触れなく、夫の帰りを待とうと思いました。
しばらくしてもう一度見ると、前とはほんのちょっと違う場所に倒れています。動けたのです。
死んでいないと安心し、鳩を覗きこんだら、気配を感じたのか、フラフラと飛び去って行きました。
どうなったのか?どこかで無事にいるのか?それとも。。
窓掃除をしなくてはと思いながらも、鳩がぶつかって毛のついた跡が怖くて、そのままになっています。
私は、酉年で名前に鷹のつく夫を持ちながら、実は鳥がすごく怖くて、遠くで飛ぶ鳥を眺めるのは平気なのですが、触ったりはできないのです。
鳥の祖先は恐竜だといいますよね。私の前世は恐竜に食べられていた何かではないでしょうか。とにかく鳥、怖いです。まだトカゲやヘビの方がいいかも。。

冬支度が整いました。
夫は暖炉の煙突掃除をすませました。
この煙突掃除、屋根に登るので危険なので、「もうトシなのだから、業者に頼めばいいじゃない」と言うのですが、彼は頑固に自分でするのです。
いつまでできるか?あまり無理はしてほしくないですが。。
暖炉前も、新しく購入した電気カーペットを敷き、その上にクリーニングから戻ったギャベを置きました。
居間の雰囲気がアットホームな感じになりました。でもつくづく、ここにハッチがいればなぁと思います。
私にとって猫のいない冬の居間はパーフェクトな空間とはいえません。

何週間か前に友人を招いてギョーザ・パーティをしたのですが、それが好評だったので今回もすることに。
以前は能がなく、すべて同じ味のギョーザでしたが、今回はバリエーションをつけて焼いてみました。
今回も大好評。豚ミンチは平田牧場のものだし、皮は生活クラブのだし、不味いわけはないですよね。
久しぶりにやってきた友人も「こうして焼くのって美味しいし、楽しいね」と言って喜んでくれました。
ワイワイお喋りして気がつくと11時半過ぎ。翌朝は9時近くまで寝ちゃいました。
夫が鍋奉行ならぬホットプレートでの焼き係りをしてくれ、ラストは高菜チャーハンで締めくくり。
特別なものがなくても、みんなで食べればハッピーという秋の一夕でした。

秋になり南アルプスがよく見えるようになりました。
3千メートル級の山々の連なりを毎日見るのは、気分が壮大になると同時に、自然への畏敬も感じるこのごろです。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月05日

中島京子「ゴースト」

7編のゴースト物語。
といってもオドロオドロしく怖ーい幽霊が出てくるわけではない。幽霊なんて現れないものもある。
どこか切なく、くすりとおかしく、懐かしく、こんなゴーストなら遭遇してもいいなと思わせる、そんな彼岸からつかの間舞い戻った人たち。

此の世に無念が残るからゴーストは戻って来るのか?
誰かに話しを聞いてもらいたくて、また、忘れ去られるのがイヤで。
だからゴーストが現れるのは、優しい人間の前なのかもしれない。

進駐軍に使われていた原宿の裏通りの古い洋館。そこで幼い少女、若い女性、老婆と出会った青年。
彼女たちは誰なのか?もし彼女たちが同一人物ならば、ゴーストもあの世で歳をとるものなのか?
戦争の時代を経て1世紀を生き抜いたミシンの運命。
認知症の曽祖父が毎日のように会うと話す人物とは誰なのか?
廃墟を見るために日本にやってきた台湾女性。、その廃墟は昔、台湾からの留学せのための寮だった・・

などなどの物語なのだけれど、中島京子ってこうした古い建物や品物、2世代前くらいの人たち、昔のできごとを書かせると本当に巧みな作家さん。
雰囲気がふうわりと伝わって来る。
その文章は決して声高でなく、品が良い。
そしていつも作品に安定感がある。
茶目っけがあるのもいいですね。

それが表れているのがラストの「ゴーストライター」。
ゴーストライターとはもちろん代作をする書き手のこと。
ここでは誰もが知っている作家さんたちが実名ではないものの、見れば誰とわかる名で、有名になる前にはゴーストライターとして活躍していたことが書かれている。
無名時代にゴーストとして書いたり少女小説を書いて生計を立てていた作家って多いんですよね。
でもあえて書かないけれ、この「ゴーストライター」にはオチがあるんです。これこそがゴーストライターという。。

軽く楽しい一冊。
posted by 北杜の星 at 08:50| 山梨 ☁| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月03日

大山ちこ「エンディングノート」

第25回やまな文学賞受賞作品。

やまなし文学賞といってもご存知ない方が多いかもしれないが、小説と評論の2部門に分かれていて、私は評論の方は一度も読んだことはないのだが、受賞小説は毎年、山梨日日新聞社から発刊され、地元だからここ北杜市のライブラリーの所蔵書物となっている。
忘れてしまうこともあるが、できるだけ読むようにしている。
三浦哲郎も津島佑子も亡くなって、現在の選者は坂上弘、佐伯一麦、そして新しく加わった長野まゆみの3名。
選者の顔ぶれを見てわかるように、純文学系の作品が多いようだ。
「やまなし文学賞」と銘打っているが受賞者は山梨県人とは限らず、全国からの応募がある。

正直を言うと、この「エンディングノート」、最初はどうも気が乗らなかった。
テーマにどうも腰が引けたからだ。
二人の兄弟は両親の離婚を経験し、後に父の突然の孤独死にも遭う。
家族がいなくなっても自分が存在する。しかしその存在は無意味ではないのか?
自分が何の約にも立たないと気付き、もっと楽しく生きられるなら別だが、そうでなければと、弟は25歳に自ら死ぬことを決意していた。
それを知らされていた兄は、弟の25歳の誕生日に弟と母の住む町に帰省する。

兄はなぜ弟の自死を止めようとしないのか?
どこかで本気にしていないのか?いや、そうではないのだと思う。彼は知っていた。弟が死を決行するであろうことを。
生きることを見守るのと同じ気持ちで、兄は弟の死を見守ろうとしたのか?
「これから僕の明日はどんな明日になるのだろうか」。残された兄は何を抱えて生きるのか。。

淡々とした文体。熱さのない兄と弟の会話がイマドキといえばイマドキだ。
でも虚無ではない。ここにあるのはやはり絶望感なのだろうか。
それにしては重く塞ぐ気分ではなく、うまく言えないのだけど、ホッとする感じも私にはあった。
家族に対する無力感しか、弟にはなかったのだろう。それに対し為す術のない兄はただ弟を見ているしかなかった。
(弟をラクにしてやるのは、この方法しかないと傍観したのだろうか)。

主人くである兄の大学時代の友人のエピソードは、巧い挿入部だと思う。
その友人は、あいさつをするのが嫌いだと言う。なぜなら「あれって、次の会話に繋ぐクッションみたいなものだろ?あいさつをしちゃうと、その瞬間に俺は自動的に相手を受け入れてしまうんだ」。
それが会話の苦手な友人にとってはすごいストレスになるのだと言う。
けれど弟と最後に別れた兄は、何年かぶりに友人の携帯に電話をかける。
そして彼が今は結婚し子どももいることを知らされる。いまだにあいさつは嫌いのようだが、「このくらい踏ん張らないと」と自分に言い聞かせていると聞いて、電話を切ったあと、兄は「声を殺して泣いた」のだった。

踏ん張って生き延びられる人間もいる。
踏ん張ることをはなから拒絶した人間もいる。
読了後、深い想いに沈む一冊だったが、作者の文章の見事さもあって、満足度はとても高かったです。
posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☔| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月02日

平松洋子「ステーキを下町で」

これは「サンドイッチは銀座で」の続編。
相手は変わったが今回も編集者青年を同行し、北は北海道から南は沖縄まで、ガッツリと食べつくす。
懐石料理やフレンチではない。
帯広の豚丼、根室のサンマ、大震災から復興した三陸のうに弁当、京都のうどん、鹿児島の黒豚豚カツ、沖縄の沖縄そば、タイトルにある東京下町のステーキや大将の餃子などなど。
平松さんは食そのものへの情熱もさることながら、それを作り供する人たちへの敬意を忘れない。
彼らから聞くさまざまな話しの中から珠玉のひと言をすくい取り、胸の底にそっと収める。
私はその彼女の食に対する優しさが大好きだ。
その優しさがあるからこそ、潔くガッツリと食べられるのだろう。

食べものが誕生するには、その土地の歴史や事情が陰にある。
平松さんのエッセイが興味深いのは、彼女が店主から丹念に話しを聞いて書くからだ。
食べたものをただ評価するのではない。
きちんと同行の編集者青年にも気を使っている。
そのことは京都のうどんの章に表れている。
車谷長吉ファンの彼が失恋して赤目四十八滝に行き、再び今度は平松さんと極寒の滝巡りをするのだが、寒さがこちらまで伝わってきそうな滝の様子が描かれている。
そして京都に戻って食べる熱々のあんかけうどん。

そう、京都では冬はあんかけうどん、なんですね。
京都の人は少々の風邪はあんかけじゅどんで治すらしい。
葛でとじるあんかけは、最後まで冷めない。
今は讃岐うどんが日本中を席巻しているが、出汁のきいた汁にはあの硬さではダメ。
柔らかでしんなりしたうどんでなくては、だし汁がからまないのだ。
むくつけき男があんかけうどんを舌を焦がしながらするのはちょっと似合わない気がするが、かわいくもある。
(どういうわけか、あんかけうどんは女性の食べものという印象が私にはあるんです)。

タイトルのステーキにはただただ感嘆するばかり。
だって平松さん、ナント520gのステーキを注文。(店でもjっとも大きなもの)。
まるで煉瓦の塊のようなそのステーキをぜーんぶ、食べちゃったのだ。
さすがの編集者青年もタジタジだったというのに。
すごいなぁ。

この本で知ったのだが、彼女は約束の時間や列車の時間にいつもギリギリで家を出る悪癖があるそうで、東京駅の新幹線ホームの眼の前で、列車のドアが閉まったことが一度や二度ではないという。
同行する人は気が気じゃなかったでしょうね。
これまで彼女のエッセイを読むと、どうやら西荻周辺にお住まいみたいなのだが、西荻から東京駅までは乗り換えないしの中央線一本、30分で着けるはず。
もう少し早く家を出て下さいね。

この本には谷口ジロー氏の絵があるのだが、私が読んだのは印字本ではなくて点字本。
点字本には残念ながら絵がないのです。平松さんの書く文章にどんな絵が添えられていたか。。こういう時に点字はつまんない。

何が食べたい?と聞くときまって「ステーキ」と即答する我が夫。
平松さんの520gはさぞ羨ましいことでしょう。
posted by 北杜の星 at 07:47| 山梨 | Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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