2017年12月31日

ハッチのライブラリーよりお知らせ

2017年もいよいよ終わりです。

長く続けてきたこの「ハッチのライブラリー」ですが、私の目がそろそろ限界となりました。
このseesaaの前のmsnを始めた頃はまだ「ブログって何?」と言われていました。
その時から十数年。

本当に本当に、読んで頂いたこと、ありがたく思っています。
読後感想を共有できたことも、できなかったこともありますが、どちらも私にとっての励みでした。
これからも私の読書は点字で続きます。それはそれで面白体験だと楽しみにしています。

どうぞ、みなさまにとってこれからも、佳き読書人生でありますよう、お祈りしています。
ありがtごうございました。

  ハッチのライブラリー  2017年
posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☀| Comment(7) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月30日

ハッチの身辺雑記

北の地方は大荒れだったようですが、こちらは風が少々強いくらいで雪が降ることもなく穏やかな1週間でした。
クリスマス・パーティが終わって、ぼちぼちと家の掃除にとりかかっています。
いっぺんに全部はもう体力的に無理なので、例えば床磨きは3回に分けてとか、今日は水回りだけとか、レンジフードだけとか集中攻撃。
ただ目が見えないということは、汚れも見えないということ。
そこは夫に汚れ箇所を教えてもらいながらしています。

その夫、いよいよ来年3月に事務所を閉じることになりました。
今年の5月に、設立当初からお世話になっていた税理士さんがお亡くなりになり、その時点で終わりにするのかと思っていたのですが、なんとなく続けていて、でも大学の先輩である共同経営者のMさんももう74歳。そろそろいいのでは?ということになったのです。
会社をたたむに当たってはすべきことが山積していますが、それは会計士さんが教えて下さるので、その通りに動けば解決するでしょう。

事務所をしている間には「バブル」の時期もありました。
でもMさんも私の夫もお金には固執しない人間で、お金よりむしろ「時間」が欲しいと、会社の利益が上がるとお金の代わりに休暇を取っていました。
1カ月を有給で休んでヨーロッパに旅行に行くとか、夏休みを1カ月もらったり、GWや年末年始にはそれぞれ2週間ずつ休んで山荘で過ごすとか・・
だから貯金は全然できていませんが、思い出はたっぷりできました。

でも事務所は閉鎖しても、夫はここ八ヶ岳の地元の会社のデザイン・コンサルの仕事を引き受けていて、別荘建築の設計をお手伝いすることになっていて、まぁ、自分がゴルフをするお小遣いくらいは稼ぐようです。
ここらあたりはサラリーマンとは違って、「手に職」ですね。
お金もですが仕事をすることで少しでも社会と繋がるのは良いことだし、ボケ防止にもなると思います。

一応3月末で一区切りつくので、4月中旬から1カ月弱ほど、イタリアに行って来ようと思っています。
飛行機も予約しました。
今回はずっとレンタカーではなく、一つの町に10日間くらい滞在し、その間に遠出をしたかったらその時にレンタカーを借りようと考えているのですが、そのレンタカー、70歳以上だと借りる値段がぐんと上がるんですって。
海外旅行保険も70歳以上だと高くなるし、ツアー参加は別として、高齢者の個人旅行はいろいろ大変です。

来年4月なんてまだまだ先のこと、と思うのはとんでもないことで、泊りたいホテルはすでに予約が取れない状態なのです。
世界中の人間が旅行しているんでしょうか?
とくにイタリアはすごいです。ヴェネツィアなんて爆発的な観光客増加で環境が悪くなり、もし環境改善できなければユネスコから世界遺産登録を外すと勧告されているほどだそうです。
ヴェネツィアの観光スポットの写真を見ると、それはもう押し合いへし合いの混雑ぶりで、特別なイベントのある日ではなくいつもこういう状況だとか。
私たちはもうそんな人でいっぱいのところには行きたくありません。
田舎の小さな町を巡るつもりですが、それでも以前に較べるとどこも観光客が多くなっています。
以前は、ヨーロッパに旅行する時に、ホテルの事前予約をしたことはありませんでした。その町に着いてホテルの部屋を確かめて、そしてチェックインしたものです。
ドライブして疲れた夕暮れ、そこで泊ろうということでOKだったのです。そういう場合に思いがけず素敵なスペインのパラドールに泊れたり、ブルゴーニュの5室だけの素晴らしく料理の美味しいオーベルジュに泊れたりしたけど、あんな体験はもう今では不可能なのかもしれません。

この旅行、途中の10日ばかり友人夫婦が合流します。
一緒にレンタカーで、トスカーナやウンブリアの小さな町や村を歩くのを楽しみにしている二人なので、こちらもワクワクしています。
キッチンつきのアパルタメントを借りているので、夕食は軽くすますこいとができます。
お昼にしっかりコースを食べると、夜は軽く済ます方がいい。
長い旅行で何が負担かというと、毎日「ご馳走」が続くこと。
だから私たちは旅行中、ふだんは地元の人たちが行く普通の食堂。(それでもコースなのですけどね)。数日に一度、ちょっと評判のレストランへ、というパターンで過ごしています。
昔に較べつとどの国でも食事を簡便にできるようにはなっています。
サラダ一皿で出る人も多く、お店の人もそれはそれで仕方ないことと納得しているようですが、1970年代にイタリア暮らしをしていた夫にはどうしてもそれができないところがあって、お店に入るときちんとデザート、エスプレッソまでが「食事」と考えているので、スープだけサラダだけの食事はありえないのです。
(ちなみに、サラダ一皿という客は外国人観光客で、イタリア人の客はちゃんとしっかり食べていて、日本人のひょうにシェアも決してしません)、
だから夕食のためのキッチン付きのアパルタメントはありがたい。
それにアパルタメントならホテルの部屋と違って、寝室だけでなくキッチン付きの居間があるので、居住性も良いです。
タオルやシーツ交換もしてくれるし、頼めば掃除もしてくれるし、何より良いのが、洗濯機とアイロンがあること!
長い旅行だと洗濯もの、たまります。トップスやボトムなどの大物はクリーニングに出すとしても、パジャマや下着は自分で洗いたい。

とにかくこれは、夫への「ごれまでごくろうさま」のプレゼント。
これほど長い旅行は最後かもしれないので、ゆっくり楽しんでほしいと思っています。

夫に「今年1年はどうだった?良い年だった?」と訊ねると、「うーん、10月に風邪を引いた」との答え。
風邪が一番悪い出来事だったなんて、つまりは何事もなく過ごした一年ということですよね。
私にとっては、ハッチが1月末に天に召されて寂しくなったけれど、「あっぱれ、ハッチ」とほめてあげたいほどの大往生には何の悔いもなく、ただただ「20年以上一緒にいてくれてありがとう」の気持ちだけが残っていてます。
視力はぐんと落ちているけど、家の中では普通と同じくらいに暮らせているし、念願の台湾旅行も楽しんだし、平和な一年でした。
「さぁ、来年も頑張るそ」という意気込みなどはまったくなく、穏やかな日常が続くことを感謝しつつ願うだけです。


posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月29日

宮田昇「小尾俊人の戦後」

本が好きなので、本を作る出版社も大好きだ。
とくに好みの作家を扱う出版社には感謝をしつつ、敬意を払っている。
というのは私の好みの作家はどちらかというと純文学系なので、売れるとは考えにくいからからだ。
出版界の現状を考えると心細くなるが、それでも頑張る若き出版人たちはいる。
例えば吉祥寺にある「夏葉社」などは、そのちょっとレトロで静かな本のラインナップを見ると、応援せずにはいられなくなる。
売れ筋とはほど遠い本を、「とにかく好きだから」と出している印象があって、うれしくもありヒヤヒヤもしている。
(最初「夏葉社」と聞いたときは、今はもうなくなった「冬樹社」のパロディかと思った。「冬樹社」は坂口安吾や山川方夫全集(現在は他の出版社に引き継がれている)などで有名だった、)。

出版人にはどういうわけか信州出身者が多い。
教育県と言われた長野だからだろうか。
三省堂、三笠書房、理論社、光文社などもそうだが、代表的なのは岩波書店の岩波茂雄、筑摩書房の古田晃、そしてみすず書房の小尾俊人。
筑摩とかみすずというのはいかにも信濃の国らしいネーミングだが(みすずは信濃の国の枕詞)、みすず書房の名は違う出所らしい。
私はずっとみすず書房の創業者である小尾俊人のことを知りたいと思ってきた。
彼の森?外に関する書物は以前に読んだことがあるのだが、ほとんど覚えていないのが情けない。
小尾は自らも書いた詩、編にも携わった。

みすず書房は私の「先生」なのだ。
みすず書房によって私は「人文科学」とは何かを教えてもらった。
歴史、西洋思想、文芸、社会史など、もしみすず書房が存在しなかったら、私はこれほどの本好きにはなっていなかったと思う。
系統だって本を読む喜びをみすず書房は私に与えてくれた。
もっともみすず書房の本は出版数が少なく値段が高いので、若かった私にはなかなか買えなかった。でもだからこそ購入したら何度も何度も繰り返し読んだ。

小尾俊人は1945年(昭和20年)、敗戦復員のその年に出版社を立ち上げた。
資金も人脈もなにもなかった。そもそも日本には食べるものすらなかったのだ。
苦労は並大抵ではなかったはずだが、人々は食べものだけではなく、知識にも飢えていた。
けれどみすず書房は大衆路線は歩まなかった。かといってアカデミックで高邁すぎる道も選ばなかった。
学術的ではあるけれど裾野を拡げるための本を出版し続けている。
文芸本にしても小島信夫の初期作品とか、庄野潤三の初期作品とか、どう考えてもベストセラーになるとは思えない作家選びをしている。
みすず書房の名を高めたのはなんといっても、アウシュビッツ体験を書いたフランクルの「夜と霧」だろう。
おそらくみすず書房の歴史のなかでこれがもっとも売れたと思う。
私にとってはメイ・サートンの「独り居の日記」も忘れられない一冊だ。

この本の著者は翻訳をする人で、長く小尾俊人とともに仕事をしてきたという。
昨年みすず書房から発刊されたこの本、全400ページ余りを読むには私の目は限界で、三分の一をやっと拾い読みしたような状態なのは、著者には本当に失礼で申し訳ないのだけれど、手に取れて本当によかったと心から思っている。
ご高齢にもかかわらずこのような労作を成し遂げられたことに敬意を払います。
小尾俊人の墓は茅野市にあるそう。
茅野のどこなのか?
私は蓼科に通っていたので茅野の町には詳しい。墓前にまでは行かなくとも、寺の前で手くらいは合わせたいものだ。
それほど小尾俊人、みすず書房は私にとって人生の指標となってきた。
作家と出会う幸福と同じように、出版社と出会う幸福もある・・そのどちらも持てた私の読書人生、悪くないなぁと自賛しています。

posted by 北杜の星 at 07:50| 山梨 ☀| Comment(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月28日

南木佳士「家族」

つい最近、若い友人と佐久総合病院の話しをした際に、ちょっと南木佳士の話題にも及んだ。
ちょうどその時にはこの本を読んでいたのだが、そのことを言いそびれてしまった。
彼女は佐久に習い事のために通っていて、佐久周辺の出来事を知る機会があり、南木佳士のことも耳にしたようだ。
彼が精神を病んだことも、そんな彼を支えて人たちのことも知っていた。

これは点字本で再読したもので、表題の「家族」を含む中編2つと短編2つが収められている。
群馬の寒村に生まれ、母を幼くして亡くした彼は祖母に育てられるが、こんな村で人生を埋もれさせたくないと、当時東京に継母と住んでいた父の社宅に中学2年から移り住み、1年浪人の末に秋田大学医学部に入学。医師となり、佐久総合病院の内科医として勤務。
しかし肺がんの専門医として多くの患者を看取った彼は心を病むようになる。

繰り返しその経緯を描いてきた南木佳士だが「家族」では、死にゆく老父を軸としてそれぞれの家族の立場から描く構成となっていて、lこれは南木作品としてはめずらしい。
父本人、継母、姉、そして自分自身。
徹底して父を軽蔑し、継母を嫌った彼なのだけれど、そこは作家。主観だけでなく客観的にも家族を見ていたのだなと感じる。
「あんたのようなサラリーマンだけにはなりたくない」と言い放ち、野心の塊となって医師の道を選んだ彼だが、その部分には偽悪的な表現もあるような気がする。

父は確かに小心者だったがもしれないが、それは戦争体験から自ら「弱者」として生きようと決めていたからだ。
「弱者」ではなく社会の「強者」になろうとした主人公にとっては、父は大いなる反面教師だったことだろう。
(しかし、主人公自身が息子の反面教師となるのだから皮肉なものだ。息子は医師というエリートであってもウツとなり、一人で居ることもできない父を見て、医師にはなりたくないと、生物学の道を歩むことになる)。

そんな父が老いた。老いて寝たきりになり群馬の村から長野県の自宅にやって来た。
そのようになってもどうしても優しい言葉もかけられないい。
介護する妻は体重が40キロを割り疲れ切る。
そしていよいよ最期の日が近づき、彼は父を村に連れ帰る。。

家族の確執の大きさって何だろう。
彼のかたくなさを思う時、いったい父の何が許せなかったのかと、許せなかった彼の人生のしんどさを思う。

他の中編「さとうきび畑」もなかなか良かった。出会った
精神を病んでいた時期の彼が中島義道、中島の師である大森荘蔵の哲学と出会い、ある意味で救われた話しが以前読んだときにも心に残った。
私は南木佳士を読んでから、大森哲学を読むようになったのだが、その時間軸に関する考察には共感するものが多かった。
「さとうきび畑」には面白いお婆さんが登場する。
80歳を超え、皮膚のしわの奥までまで日焼けした農婦だ。
彼女が彼の元に診察を受けに来て、彼の机の上に一冊の岩波文庫を置く。
見ると、ローマの5賢帝の一人、マルクス・アウレリウスの本だった。
「あんたの本は10冊ほど読んだけど、どれも過去ばかり向いていて良くない。これを読んでみろ」と老婦は言う。
彼女はその本を、農村婦人部の読書会で読んそうで、風呂を焚くときに開いていたせいか、ところどころ焼け焦げていた。
(このれアウレリウスの「自省録」で訳者は私の敬愛する神谷美恵子です)。

私はこれに強烈に驚いた記憶があって、今も忘れらないのだが、農村婦人部の読書会でアウレリウスを読むなんて!
さすが教育県で名高い長野県のことはある。
南木佳士もエッセイでたびたび群馬県人と比べて長野県人の理屈っぽさと書いているが、本当に恐れ入る。
インフォームド・コンセントにしても、きっちりロジカルに説明しなくては満足してもらいないそうだ。

南木佳士の小説を初めて読むという人にはお勧め。
そして彼のファンにとっても、複眼的に書かれているこの本、興味深いものがある。
再読して良かったです。
posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☁| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月27日

つかだみちこ「シンボルスカの引き出し」

友人のつかだみちこさんから上梓されたばかりの本が送られてきた。
佇まいのとても美しいエッセイ集だ。

1969年から75年にかけてワルシャワ大学に留学していた彼女は、現代ポーランド文学の日本語訳者としてだけでなく、小説やエッセイも書いている。
最近、大病をされたと聞くが、こんなに素敵な本を出されたことに安心している。
つかだみちこの名はシンボルスカの詩の訳者として知られている。(高校の教科書に乗っていたことがある)。
シンボルスカはポーランドで初の女性ノーベル賞受賞者の詩人である。
静かななかに反体制の強い意思が感じられるシンボルスカの詩は、一度読むとずっと心に残るものだ。
この本の「引き出し」というのは彼女の詩の一節からのもの。

数年前に広島に旅行したときに、ポーランドからのツアー観光客たちと同じホテルだった。
エレベータの中でそのなかの数人と一緒になったので、おはようと英語で言いあったのだが、一人の男性がたどたどしい英語で「What do you know about Poland?」と訊いてきた。
その時私はどういう理由からかとっさに「シンボルスカ」と答えていた。
一瞬、エレベータには沈黙が流れた。
そしてその後でみんなが「ブラボー」と拍手をした!
彼らはみんな、とってもうれしそうだった。
その顔を見て、あらためてシンボルスカが敬愛される国民詩人であることを確認した。そしてシンボルスカを教えれくれたつかださんに感謝したのだった。

つかださんはポーランド文学の日本語約だけでなく、日本の詩、例えば茨木のり子さんの詩をポーランド語訳にもしていて、それはポーランドの有名な文芸誌に掲載されているそうだ。

この本には1969年以来ポーランドに足繁く通う彼女ならではの視点で、ポーランドの風景や親交のある人々が描かれていて、楽しいエピソードをたくさん載っている。
つくづく、私はポーランドのことを何も知らないんだなと思う。
英語圏などではポーランド人に関するエスニック・ジョークが語られることが多く、ともすれば笑いの種にされている。
でも私には、ポーランドや旧チェコスロヴァキアの人々は不屈の魂を持ち、気高く生きて来た人というイメージを持っている。

その厳しい地理的、歴史的なものを感じさせれたのが、この本のV章の「ポーランド文学と文化の話し」だった。
ギュンター・グラスのことが書いてあった部分。
ギュンター・グラスはドイツ人と思いこんでいたのだが、彼が生れた土地は現在はポーランドなのだ。複雑な国と国との間でグラスは生きてきたのだ。
グラスの文学と言っても私は2冊しか読んでいないのだが、その暗い深みがなんともいえない作家である。
大江健三郎がノーベル文学賞を獲った時のコメントで、「グラスもクンデラもまだ受賞していないのに、僕がもらうとは。。」と話していたが、グラスは後に受賞した。
チェコのミラン・クンデラはいまだ受賞しいないのが、私はすごくすごく残念に思っているだのが。。

日本ではあまり知られていないポーランドという国。
これを読めば「行ってみたいな」と思うことだろう。
ワルシャワだけでなくポーランド各地のことを知ることもできるのがいいです。

つかださん、素敵な本をありがとう!

posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☁| Comment(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月26日

中島宏章「ボクが逆さに生きる理由」

「誤解だらけのこうもり」というのが副頽だが、誤解もなにも、こうもりのことを詳しく知る人はあまりいないと思う。
知らないままにイメージだけは持っていて、しかもそのイメージは決して良いとは言えない。
不吉、不気味、吸血鬼・・ホラー映画に出てくる廃墟のような洋館にじっと逆さになっているこうもり。
とにかく、かわいそうなくらい暗いイメージだ。
私だってこうもりのことは、「あれは飛ぶけど鳥ではなく哺乳類」ということをかろうじて知っているくらいだ。

こうもりのこと、何が知りたい?
そう、まずあの逆さにぶら下がる理由。
逆さにぶら下がるのは、コウモリだけでなく、蜘蛛もそうらしい。理由はどちらも簡単だ。エサを見つけた時に上に登るより下に降りる方がラクではやいからだそう。

顔はネズミに似ているがネズミの仲間ではなく、つきつめると「ウマ」だと書いてあるのには驚いた!
こうもりがウマ?似ても似つかないじゃない・・と興味ある人はこれを読んでください。
こうもりは約1300種もいて、虫や植物を食べたりするものが多いが、吸血こうもりも確かにいるのだそうだ。
こうもりと聞くと「超音波」を思い浮かべるが、こうもりは超音波で周囲の状況を判断していて、そのエリアは約20メートル。時に40メートル先まで感知できるものもいる。
「超音波」というとなにやら特殊の「超能力」みたいな特別なことのようだが、人間には聞きとることのできない高い音域のこと。
それを聴きとれるのはこうもりだけでなく犬とか、他にもたくさん存在する。

こうもりって意外に身近にいるんですね。
都会でもたくさんいるらしい。気をつけて夜空を見れば飛んでいるのがわかるそうだ。
私たち夫婦は15年前まで蓼科の家に週末通っていたのだが、ある日、家に着いてリビングのドアを開けると、何かがさーっと飛んでいた。
その飛びかたはあきらかに鳥とは違う。鳥はバタバタと羽を動かすが、こうもりは「音も無く」という感じでスーッと動く。
飛ぶものはなんでも怖い私はギャーギャー騒いだのだが、夫が窓から逃がしてやっていた。
どうやら暖炉の煙突から入ったようだった。

私、こうもりを食べたことがあるんです。
大昔、インドネシア料理店で出て来た。覚えていないんだけど「不味くて食べられなかった」記憶はない。鶏肉に似ていたのかなぁ。
つい最近、台湾に一緒に行った友人が、とてつもなく大きな乾燥キクラゲをくれた。
とにかく大きくて、水で戻すのも時間がかかるのだが、戻したあのキクラゲ、まるでこうもりのようだった!
大きさといい、色といい、形状といい・・

知るということは理解すること。
理解すれば愛も生れる。
この本ですっかり、こうもりが好きになりました。かわいいヤツですよ。
posted by 北杜の星 at 07:54| 山梨 ☀| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月25日

梯久美子「狂うひと」

じつはこの本、かなり前に読んでいたのだが、どう書けばいいのか迷っていて結局書かないできたものなのだが、今月上旬に東京に行った時に、友人とこの本の話しが出た。
彼女は読後感想として「なんと言っていいかわからないし、これはとっても良いからと人にも勧めにくいのよね」と言った。
それには私もまったく同感だった。

もともと私は「死の棘」が出版されたとき、大きなショックを受けた人間だ。
島尾敏雄は私にとっては「純文学の極北」ともいうべき大切な大切な作家だった。
島尾は私小説家ではあるがそれまでの「出発は遂に訪れず」にしても「出孤島記」にしても「夢の中の日常」にしても、小説としての処理がしてあった。
なかでも「夢の中の日常」はシュールですらあった。
それなのに「死の棘」のあの生々しい直接さには胸苦しさだけが残った。
もちろん島尾は「死の棘」でもフィクションとして創作はしているだろうとは思う。
でも彼がどうしてこれほどまでの筆致で描かなければならなかったのかが、私には理解できなかったのだ。
大切に温めていたものを壊された気持ちだった。

島尾は自分の日記をわざと妻、ミホの目に触れるように置いていた。(これを読むと彼はこれまで下宿などでもそのようなことをしていたようだ)
ミホはその中の17文字の文章により狂ってしまった。
それが島尾一家4人の家庭の崩壊の始まりだった・・

私が「死の棘」とこの本の解説をするまでもなく、「死の棘」はそれまで島尾の名を知らなかった多くの人に読まれ、映画化もされ、またこの本はほとんどすべてと言っていいほどのメディアの書評で取り上げられている。
だからこれについて今さら私が書くまでもないのだけれど。。
私小説家というものの「業」のようなものについて、ちょっと書いてみようと思う。

特攻隊長の若い青年(帝大出の特攻隊長といえば当時はすごいエリートだ)が奄美群島加計呂島の祭事を司る島長の娘と知り合い結ばれる。
これだけでとても劇的でロマンティックな出来事だ。
やがて二人には息子と娘が生れ、慎ましく穏やかな暮らしを送るようになる。
しかし、この暮らしでは「書く」材料がない。私小説家にとってあまりにも平和すぎ、過去の体験は戦後時間が経つほどに色褪せてくる。
島尾は風穴をあけたかったのではないか?
共に暮らしてきた島尾に、妻ミホのエキセントリックさがわからなかったはずはない。
戦後作家派と第三の新人との両方に属する彼は、活躍する戦後派の大岡昇平や武田泰淳、第三の新人である吉行淳之介や安岡章太郎や阿川弘之らを横目に、心焦るものがあったと思う。
こうした穿った見方は意地悪かもしれないが、完全否定はできないような気がする。

長男の島尾伸三氏(私は彼の文章が大好き!)はこの本の著者の梯久美子に「きれいごとは書かないでください」と念を押したそうだが、それは伸三氏の書いた「小高へ」という父・島尾敏雄への旅の本の中で、島尾の家族の崩壊に対しての無力ぶりを強く非難していることでも伺える。
しかしもっとも気の毒な犠牲者は妻ミホや伸三氏ではなく、娘のマヤさんだ。
マヤさんはそのような家族のなかで心を病んでいった。

ロシアの映画監督スクーロフに「ドルチェ」という作品がある。
それは島尾ミホを撮ったドキュメンタリー映画なのだが、その中のミホは当時すでに80歳を超えていたはずだ。
けれどたっぷりした真っ黒な髪にこれまたたっぷりとした身体を着物御に包み、「女」そのものだった。
この本の中でも瀬戸内寂聴がそんなミホの様子を見ているが、正直言って、私は腰が引けたなぁ。
薄気味悪くて怖かった。
この映画の中で、マヤさんの手が階段の手すりにかかったワンシーンがあった。顔や姿は写されていない。
その手と手首の細かったことが忘れられない。
その後数年してマヤさんは亡くなった。

「死の棘」の成功(売れたという意味で)が本当に島尾にとって良かったのかどうか、私にはわからない。
以後、彼の小説は「病妻もの」を期待されるようになった。
それ以後はむしろ小説以外の彼の著書のほうが私は好きだ。南の島に関する彼の評論などはかなりすぐれたものだと思う。
島尾敏雄については「思いの丈」は書ききれないほどあるので、この本についても複雑な気持ちである。
最後まで明かされなかった「17文字の日記の文章」も、ノンフィクションとして読む方にとっては不消化気味だ。
それにしても小説家の家族は「書かれる立場」として、ずっと人生を引き摺らなければならない。しんどいことだ。

島尾敏雄は恩人です。
島尾が小川国男の私家版「アポロンの島」を絶賛したから、小川国男は世に出られたのだから。
そして小川国男の「アポロンの島」は私と私の夫にとって、永遠の「一冊」なのです。
posted by 北杜の星 at 08:37| 山梨 | Comment(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月23日

ハッチの週間身辺雑記

芥川賞、直木賞の候補作品が発表となりましたね。
とてもうれしかったのは、木村紅美さんが候補となっていたことです。
「雪子さんの足音」という群像9月号に掲載された中編です。
最近はとんと文芸誌を読まなくなっているので、残念ながら未読です。
私は10年近く前ににやはり芥川賞候補となった「月食の日」以来、ほとんど全作品を読んできました。
どの作品もそえぞれ内容が異なり、「あぁ、物語りを書く人なんだな」という印象を持っています。
小説というのは物語りです。何も起きない内省的な小説もそれはそれで好きですが、展開のある小説はやはり小説としての醍醐味があります。
でも2年くらい前かな、彼女のその当時の新刊にはどうしても感情移入できず、読み通すこともできず、途中で止めてしまったことがありました。
私も悲しかったけど、作者である木村さんはもっと悲しく腹立たしかったと思います。
このブログのコメント蘭に何回かそのことについてのやりとりが、木村さんご本人とありました。
本が売れない、出版界がうまくない現状を説明してもらい、作家さんの大変さが身にしみて理解できました。
素人がブログで心ない批評をしたと、気に病んでいたのですが、だけどずっとずっと、彼女のファンでした。
(このブログで検索してもらえれば、いかに私が彼女の本を取り上げているかがおわかりと思います)。
だから今回、候補となったのが本当に喜ばしいのです。
少しでも多くの人に木村紅美という作家さんの名前を知ってもらって、読んでもらいたいものです。

今年も群馬県みどり市の東町から冬のプレゼントが届きました。
大きなシクラメンの鉢、干し芋、それと家の庭の柚子。
会いたくてもなかなか会えない友人ですが、こうして心のこもった便りがあるのは本当にうれしい。
干し芋はその集落で作り手がだんだんと減っているそうで、今年は初めて真空パック入りのものでした。
真空パックと聞くとなんだか無味乾燥な印象ですが、その干し芋は丸のままで、しかもとっても柔らか。
しっとりの干し芋の方が断然好みなので楽しみです。

我が家に植えてある柚子は、彼女のところに通っていた十数年前に、近くの黒保根の道の駅で苗木を買って植えたモノ。
なかなか実をつけてくれなくて「伐っちゃうぞ」と脅しながら待っていたら、ここ3年くらい前から、小さい実を数個つけるようになりました。
柚子です、というのが恥ずかしいくらい小さいのですが(キンカンほどの大きさ)、柚子は柚子。
懐かしいみどり市由来の木なので、大切にしています。
でも送って頂いた柚子はとても立派、ということはそのうち我が家の柚子もそうなるのかも。。

さて、冬の我が家の大イベントが終わりました。
クリスマス・パーティを18日に催したのです。
いつもはクリスマス当日周辺なのですが、今年は早めに終わらせたい気分だったのです。
いつも総勢8人。というのはディナーなのでテーブルにきちんと坐ってサービスしたいので、8人が精一杯。
夏のテラス・ランチならもっとお招きできるのですが、それしても私たち夫婦はどちらかというとちゃんと席について食事をしたい性格なので、立食パーティは苦手なのです。
8人のうち6人、3組n夫婦は私たちを含めパーマネント・メンバー。
もう一組はその年に知り合い、他のメンバーに紹介したいというカップルを選んでいるのですが、このところ3年続きでMさん夫妻となっています。
Mさんとは10月に台湾にもご一緒したので、今年は絶対にMさんでしょと、最初からの決定事項でした


アミューズに海老のフリットとパテ・オン・トースト。
前菜は、カプレーゼ、生ハム、クスクス・タブレ、牡蠣のマリネ、ブロッコリーのマリネ。
主菜はブイヤベースと骨つきチキンのロースト。
それから順序が逆ですが、スパゲッティのトマトソース、パルミジャーノかけ。
(パスタを最後にしたのは、パスタでお腹の調整をしてもらおうと考えてのこと)。
デザートは友人のおもたせのいちごのタルト。(これ、初めてのお店のケーキでしたがとっても美味しかった!)
ラストはこれも友人からの、あまおうのいちご。
コーヒーというメニューです。

体調は万全だったのに、どうも出来栄えは完全満足というものではなかったものの、みんなでワイワイ楽しかったのがなにより。
他の友人の持って来てくれたシャンパンと、久しぶりのキャンティ・クラシコもいい感じでした。
ほとんど下戸の私は、ボディのしっかりしたボルドーのようなワインより、軽めのブルゴーニュとかイタリアも北の濃いのよりトスカーナとかウンブリアnワインの方が断然好みです。

シャンパンを持って行くよと約束していた友人Iさん、予定の時刻になっても着きません。
30分経った頃夫に電話があり「財布がどこにも見当たらない。免許証もカードも入っているのに」と言うではありませんか。
夫が「パーティは無料だから財布は要らねぇよ。免許不携帯は罰金だけだけど、こんな田舎パトなんていない」と答えると、Iさん、「それもそうだな」とやっと到着。」
(後で「財布、あった」と連絡がありましたが)。

これがお終われば、取り立てて特別な行事はもう大みそかまでりません。
気の向くままに掃除をして、お誘いがあれば食事に出かけ・・ゆっくり過ごします。
お正月に読む本もサピエ図書館(全国ネットの点字図書館)に予約したしました。
1タイトル4巻を20日間で読めるかどうか不安ですが、頑張ってみます。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月22日

徳永進「どっちであっても」

「どっちであっても 臨床は反対言葉の群生地」
というのがこの本の題と副題。

臨床医として医療の現場で40年。現在は鳥取で「野の花診療所」を経営しながら、外来・ホスピスケア・在宅の患者さんたちと毎日向き合っている。
私はこの人が大好きだ。
こうした医療に携わるのだからむろん志が高いのだが、私が彼を好きな理由はそれだけではない。
じつに正直だからである。
どれほど彼が正直かは、必ずしも「優しい」という言葉だけでは説明できない。
時には患者に「死ぬのは怖い?」などと問うのだから、ニャンニャンと優しいだけの医師ではないはずだ。

その徳永先生が、医療の現場は反対語に満ちているという。
それはそうだ。まず生と死という大きな反対語があるのが医療現場だ。
しかし生と死という真反対の言葉であっても、それらは対立するものではない。
反対語のなかにははっきり二項対立ではなくて、かなり曖昧な部分から成り立っていたり、表裏一体となっているものが多い。
それこそが、人が生きるということではないのか?医師はそのことをもっと考えるべきではないか?というのがこの本。

この中に思わず笑うエピソードがある。
入院患者が危篤に陥ったが、息子はその時ある事情から刑務所に居た。父のもとに連れて来られるのだが、徳永先生はせめて死に目に合わせてあげたいと必死でその患者さんのかわらで「生きて「生きて」と心なかで叫ぶ。
やがて息子が到着、間に合った。
けれえど患者さん、なかなか息を引き取らない。連行してきた警察官が時間だからと息子を連れ帰ろうとする。「もう少し待ってあげて」と頼むのだが規則だからと言われる。
そこで徳永先生、また必死で今度は「死んで」「死んで」と心で叫ぶ。。
(ね、正直でしょ。)

呼気と吸気という反対言葉もある。
空気は吸わなければ生きていけない。しかし吸う前にまず吐くことが大切。これは呼吸法の基本だ。

医療の現場では大きな問題と小さな問題がせめぎ合っている。
手術をするか延命治療をするかどうかは大きな問題。癌の末期になってもう治療は拒否したとしても、決めなくてはならない問題は起きる。
尿がでないの場合は導尿すればラクになるし、ちょっとケアすると穏やかな状態でいられる。
キュアしなくてもケアは必要。
他にも臨床では自動詞と他動詞も混在しているという。

反対言葉の境界を決めようにも決められない臨床。
それはつまり、人間の力だけでは及ばない何かが命にはあるということなのかもしれない。
少なくとも徳永先生はそのことをご存知なのだと思う。

この本に出ているが、先生が京都大学の医学生だった当時、ある友人に誘われて鶴見俊輔の講義を聞いたという。
鶴見の話しにはかなり触発されたみたいだ。
そうした出会いがあったとは、鶴見俊輔も大好きな私にはとてもうれしい。



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2017年12月21日

汽水民俗研究会編・著「民俗学者が歩いて出会った人たちのことば」

汽水民俗研究会って何?
汽水と民俗学がどう結び付くの?
と、不思議な気持ちでこの本を手に取った。
説明を読んでよくわかった。
河川と海が交わる汽水域では、昔か豊かな文化が形成されてきたという。
日本全国のそれらの土地を訪ね歩き、そこに暮らす人々の話しを聞いた研究の成果がこの本。
この本は汽気文化に深い興味を抱く民俗学者たち6人の執筆によるもの。

民俗学の聞き書きと言われて思いだすのが、宮本常一だ。
柳田國男などのアカデミックな研究とは違って、彼は自分の足で歩き、地方の家々を訪れ炉端で夜を徹して話を聞いた。
「人たらし」とも言われるほどに、人の懐に飛び込むことに天才的な能力があった彼だからこそ聞けた話しはあ多かったことだろう。
この汽水民俗研究会の学者さんたちも、聞く、聞いて書くことに関してはプロフェッショナルのようである。
なんとも奥深い珠玉の人生の言葉を引き出している。

汽水域に住む人だから、漁業に従事するひとが多いが、行商の花屋のおかあさん、魚の行商人、鍛冶屋、農業、石材採掘をする人、代々カモ猟を行ってきた人・・
漁業でも普通の船を出しての漁業もあるし、潜り漁業やカツオの一本釣り漁業もある。
すべてが聞き書きではなく、30年もの長きにわたる農家の人の記録もあって、これがとてもおもしろい。
日本の高度成長時代の農家、農業がどうであったかがつぶさに理解できる。
人力で行っていた農業にだんだんと農機具が入ってきた時代の様子など、まさに民俗学的興味をそそられる。
なんであってもしっかり記録することの大切さをつくづく感じる。

「海は大きな生きもの」
「石は割れたい方にしか割れない」
「頼ってくれてありがとう」
「十億の仕事を喜ぶより、百円の仕事を喜ぶほうがいい」
「雪が消えて土が見えると、会いたかったものに会える気がする」
「雨でも行く 正月でも行く」

理屈や理論ではない生活に根ざした言葉の数々を前にすると、私なんぞが放つ薄っぺらな言葉など、恥ずかしくてただ下をうつむくだけだ。
「何もかも、全部しんどかった」と言う石川県の山中で焼畑を作って暮らした山口さんの言葉にあるように、一から作り上げる仕事の苦労は並大抵のものではなかったろう。
漁業にしても農業にしても自然との闘い。台風もあれば地震もある。
3・11のあの東北の大震災のことを話す人がいる。もっともっと昔の大地震の記録も出てくる。
でも、どんなに厳しい海や自然であっても、彼らがスゴイのはその自然を否定するのではなく、厳しい自然と共生する強さを持っていること。そして自然に対して畏怖の念を忘れないこと。
世の中には偉人や有名人の金言は多い。
しかし地を這うように生きる人の言葉の重みは、それらに決して負けない力がある。
日本全国の汽水地方に赴き、こうした話しを集めたこの研究会の民俗学者さんたちに感謝です。
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2017年12月20日

マイケル・グレガー他著「食事のせいで死なないために!」

「病気の原因の7割は自分自身でコントロールできる」。と帯う文にあるが、まったく正しいと思う。
その7割のなかの何割かが食べものであるのもその通り。
本当に必要なものを必要なだけ体に摂り入れることの大切さ、そして難しさ。
時々はこのような本を読んで、自戒してみようと読んでみた。

まぁ、もうさんざん言われ書きつくされたことばかりなので、そう新鮮味は感じられない内容だ。
つまりは果物、野菜をいっぱい食べて、肉や魚をできるだけ減らそうということ。
それもアブラナ科の野菜、ときにはちょっとめずらしい果物もどんどん取り入れようというもの。
サラダは毎日食べようとか。
(私はサラダが大好きだけど、それでも寒い季節になるとサラダよりは温野菜の方がいい。冬に生のサラダは体が冷える)。

食べものはあくまで風土の問題。
その土地土地にある食事を考えることも必要ではないだろうか?

何を美味しいと感じる体がとうのも重要だ。
ジャンクフードが好きな人は、あれが本当に美味しいと思って食べている。
彼らは全粒粉のパンの美味しさを知らないのだ。添加物まみれの加工肉の味しか知らないと、脂肪の少ない肉は物足らないのだ。
ケチャップやマスタードも添加物だらけだけど、そういうものだと思っている。
正しい食j材の食事をしていると、そういうことに敏感になってくる。
化学調味料の味のするつくだ煮などには手が伸びなくなるし、糊固料の使われているヨーグルトはイヤだと思うようになる。
高いお金を出せば安全なわけっではない。
高級スーパーや高級デパートで売る商品のほとんどはそうした品だ。立派に輝く果物おは農薬や生長ホルモンまぶし。

人工添加物にまったく気をつけなくて1年間食べていると、約60キロの添加物を体に入れている計算になると何かで読んだことがある。
もし、ちょっと神経質に気をつければ、半分に減らせるそうだ。
それでも年間30キロ!怖い話です。

この本に「フラックス・シード」についての項目がある。
我が夫は最近このフラックスにちょっと凝っていて、オイルをいろんなものにかけているのだが、オイルなのでどうしてもカロリーが高い。値段も高い。
でもここではオイルではなくシード・パウダーが紹介されている。
パウダーならカロリーはそれほど高くなく、しかも老いるより汎用性がある。何にでもかけられ得る。
自然療法で有名なあの東城百合子さんはもちろん玄米菜食なのだが、どうしての外食で白いご飯を食べなくてはならない時のために、いつも黒ゴマ塩を持ち歩いているそうだが、フラックス・シード・パウダーならより効果的だろう。
ロ^ストの粉末は香ばしくて美味しいので、オイルと一緒に食卓に置くようになりました。

目新しいものはないとはいえ、こういう本は正しい道に私を引き戻してくれるので、時に読むと軌道修正できてうれしいです。
posted by 北杜の星 at 07:40| 山梨 ☁| Comment(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月19日

金井真紀「パリのすてきなおじさん」

著者は作家兼イラストレーター。
日々の暮らし、または人生にちょっと風穴をあけようと考えたのが「そうだ、パリでおじさんを集めよう」ということだった。
なぜ風穴をあけたい事情があったのか?またそれがなぜパリのおじさんだったのかは置いておいて、この本、読み始めた。
いろんなパリのおじさんが紹介されている。
そのおじさんたちのイラストも添えてある。
このイラストがとっても素敵。絵っておもしろいですよね。不思議なことに写真よりも強く伝わってくるものがある。
多分それはイメージがふくらむからだろう。写真だと顔や姿などが完全に限定されるので、想像する余地がないという感じがする。

星つきレストランのシェフ、画家、弁護士、ボランティアをする人、書店主、ミュージシャン、劇役者、ワイン屋、競馬の達人・・
職業、年齢、容姿など、もちろん様々。
共通項があるとしたら、誰もが一家言もっているということ。
誰が何といっても、自分はこうだと、揺ぎがない。
お金を持っていようがいまいが、社会的地位とかなどに関係なく、誰もが自分の絶対性を信じていて、頑固きわまりない。

彼らの言うことを読んで思ったのは、日本人の男性はこのように人生を語らないよなということ。
照れくさいのか、面倒なのか、他人と意見が異なり、それを論じるのがイヤなのか。
私はちょっとでもいいから、その人の人生が垣間見れるような言葉をその人から聞きたいと思うのだけど、そういう日本人男性にはめったに出会えないのが残念だ。

興味があるパリのおじさん、いましたよ。
10着しか服をもっていないセバスチャン・ドダールさん。
彼はシンプルに生きたいと考えていた時、パリの街を歩いていたところ、「MUJI」を見つけて店に入った。
「MUJI]とは「無印良品」のこと。パリに進出してもう20年ほどになり、すっかりパリに定着している。
セバスチャンさん、店内を見まわして、そのシンプルでベーシックなデザインに「自分が好きなのはこれだ!」と思ったそうだ。
そして「MUJI」の販売員となり、今では企画や広報の仕事をしているという。
彼はいつも同じ服を着ている。おそらく10着も持っていないのかもしれない。
セバスチャンさんは「2分考えれば済むことを、みんな大袈裟に考え過ぎだよ」と言う。
シンプルライフの人は、なにもかもがシンプルなんですね。
こういう人に憧れます。

それともう一人、気になった人は競馬の達人。彼はワケわかんないことを言っていて、なんだかおかしい。
「自分はユダヤ人だから馬券が当たる」のだそうだ。
ユダヤ人と馬券、どう関係があるのか?

とにかくユニークなおじさんばかり。
そのユニークさを「特別」ではなくすべて許容するパリという大都会。
そこには「個」を尊重する社会があるのだろう。
金井さん、大きな風穴があいたとことでしょう。
posted by 北杜の星 at 08:04| 山梨 ☀| Comment(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月18日

池澤夏樹「マシアス・ギりの失脚」

ライブラリーに予約している小説本がなかなか「取置き」にならない。
小説以外の本はけっこう早く届くのに。
冬になって農作業や庭仕事などがなくなり、暖かい室内で本でも読もうという人が多くなったのかな?
それはそれで、読書人口が増えるのはうれしいのだけれど、小説好きな私はやはり小説が読みたい。
そこで、いつか再読したいと思ってまだ処分していなかった本棚の本を眺めていたら、この池澤夏樹の初期長編小説を見つけ出した。

この本、物語りを読むという小説本ならではの楽しみに溢れている一冊で、まるでマルケスばりの南米文学の雰囲気がある。
とある架空の南洋の島が舞台。
この島の大統領に返り咲いたマシアス・ギりをめぐる物語りなのだが、登場人物、物語の展開、どれもとっても多彩で複雑。
だけど池澤夏樹特有の人生全肯定、生命全肯定が、読後感を素晴らしいモノにしている。
私はあまりこのブログで本文からの引用はしないのだけれど、今回はしてみたい。
というのは今回もこの本を読んで以前と同じように、この部分にもっともひきつけられたからだ。
そう、これこそが池澤夏樹!私が好きな池澤夏樹。
彼を最初に読んだのは「スティル・ライフ」だったが、その時も同じ感覚があった。
ちょっと長いけれど書き写してみます。

「生きるものとして世に生れ、一度でも青い空を仰いだ者、風に混じる花の匂いを嗅いだ者、指でものの表面に触れてそれを自分の身体とは別に、この世界に存在する何かの表面だと確認した者、彼らは、幸福である。
たとえ三日目にせっかくの生命を放棄し、ふたたび向こう側へ戻ることになったとしても、この世界における三日はそのまま幸いであり、快楽であり、存在の喜びである。
ウニとして生れる者、鳥として生まれる者、イランイランの一輪の花として生まれる者、人として生まれる者・・
生れることは等しく幸福であり、生きることは幸福であり、食べることの一口ずつ、踏み出す足の一歩ずつ、瞬きのひとつずつ、太陽の光の一条すず、酸素分子のひとつずつは、幸福である。」

この幸福感を持っていさえすれば、競争意識や比較の原理から離れて生きられるし、他者との差異を許容できるのだろうけれど、この単純な生命への賛歌をつい忘れてしまうのが人間。
ところでこの中の「ウニ」というのは、おそらく宮沢賢治からのものですよね。そいうのが賢治にあったような記憶があるのですが。。

新刊ばかりが本じゃない。時には以前読んだ本にまた出会うのも読書の楽しみかもしれません。
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2017年12月16日

ハッチの週間身辺雑記

めっきり寒くなり、最低気温が−5℃ということも。
そんな朝にはさすがのOMハウスも、室内気温が17℃くらいにまで下がります。
昨年までなら暖炉を焚いていたのですが、ハッチがいなくなでからは、焚かずに済ませています。
ハッチの夫の顔をじっと見るあの「暖炉、焚いてよ」目線、懐かしい・・

今週の大ニュース、それはなんといっても、広島高裁で伊方原発3号機の運転停止判決が出たことです。
伊方原発は以前からその危険性が指摘され続けてきたころで、活断層の真上に建設されています。
もちろん日本の原発のあるところは、どこでも同じ危険性を持っています。
この判決が良い引き金となって、他の原発にも波及することを願っています。
四国電力はこの判決に非常に驚いたと言いますが、電力会社や政府が一番、わかっていないのですね。
というか、わからないふりをして経済優先ばかりを考えているのでしょう。

もう一つの大ニュースは、とてもプライベートなものですが、夫が初めて自分の料理で友人をもてなしたこと。
お気に入りの上田淳子さんレシピのフランス料理(とっても簡単な家庭料理です)からの一皿で、鶏もも肉とカブの軽い煮込み。
それを作る予定にしていたところ突然彼がそうだ、Iちゃん夫婦も呼ぼうか」と言い出し、材料追加で作り始めました。
この料理は他のとちょっと違って、カブを半分潰してソースにするというひと手間がかかるもので、彼にとっては一番大変なものですが、体が温まって美味しいのです。
ブロッコリーと人参サラダは私が担当。

出来上がったちょうどその時、Mさんから用事があって夫に連絡が入りました。
え?Mさんの奥さんはたしか沖縄に演奏旅行中。彼は一人のはず。夕食に呼んであげよう。
と、4人分を5人で食べることに。
「他のものを作ると、オレの料理に集中できなくなるから」とサラダ以外は何もない献立だったのですが、まぁ、みんなでワイワイ食べる方が楽しい。
ダイエットに適した量の夕食でしたが、いろんなバカ話をしながらおもしろかったです。
肝心の夫の料理も好評で、これからこういう機会が増えるのかな?
上田淳子さんの本、野菜のレシピ集も買いました。これもどれもすこぶる美味しそうで、春夏はサラダ系、秋冬は蒸し煮にしたり焼いたりの温野菜。
これもメインと一緒に彼がつくれるようになれば、私はラクになります。

毎年この頃になると、知人からクリスマス飾りが届きます。この飾り、年によってテーブル用だったりリースだったり。今年はリースでした。早速玄関ドアに飾ったら、とたんにクリスマス!
知人の妹さんが自由が丘でセレクト・フラワーアレンジメント・ショップを経営されているそうです。
その妹さんはイギリスでフラワーアレンジメントを学び、自由が丘にお店を開きました。
企業やお店やイベント、ウェディングのオーダー・フラワーはもちろん、スクールも主宰されていて大活躍されている方です。
センスがいいのはもちろんですが、なんといってもナチュラル感が素敵なんです。
こういうセンスの人って花だけではなく、生活全般にセンス良いのでしょうね。人生を豊かで美しく過ごせるのだと思います。
毎年このクリスマス飾りを見てうっとりしながら、こういう能力を持たない自分に嘆息するばかり。

今月初めから始めた夫の低FODMAP食、まだ続いています。3週間んは続けるみたいですよ。
小麦などの麦製品(パンやパスタ)、豆類、乳製品、にんにく玉ねぎ、ジャガイモ以外の芋類、食品添加物などを除去した食べものです。
天ぷらは小麦粉が使われているからダメ、カツ類も同様にダメ、ギョーザやシューマイもダメ。
牛乳はライスミルクで代用。家の近くに良い自然食品店があって本当によかったです。
でももっともかわいそうなのは、パスタとパンが食べられないことでしょうね。なにしろパン大好き人間ですから。
なのでこれはグルテンフリーの代替品を買うことで少し解決。
グルテンフリーのパスタはとうもろこしでできていて心配しましたが、食感はあまり変わらないのでよかったですが、問題はパンです。
米粉のパンはやはり小麦とは違うので、大満足というわけにはいっていません。
焼き菓子の好きな彼のために米粉でパウンドケーキを作りましたが、これは普通のと遜色なく出来上がり、お茶の時間を楽しめています。

驚くのは、夫がかなりストイックにこの食事制限を守っていることです。
(そういえば40年前に煙草を止めた時も、「今日から吸わない」と決意して以来、煙草を吸いたいと言ったことは一度もなかったです)。
干し柿を頂いて軒下にぶら下げているのですが、干し柿大好き人間の彼にとって、それを眺めるだけなのはかなり辛いことだと思うのですけど、じっと我慢してます。
少しっでも高FODMAP食品は食べようとしません。
だから来週の我が家恒例のクリスマス・パーティの献立、彼も一緒に食べられる料理を考えている最中ですが、まだ決定事項となっていません。
さいわいなことに肉や魚や卵の制限はないのが助かります。
招待する予定の友人の中にも糖質ダイエットをしている人がいるので、それも考慮しなくてはと、ますます考え込んでしまいます。
何でも無防備に食べて平気だった時代って、あれは若かったからなんですね。

都会では今のシーズン、毎日のように忘年会とかクリスマス・パーティが続く人も多いことでしょう。
どうぞ胃腸の調子にお気をつけください。

posted by 北杜の星 at 08:04| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月14日

日高敏隆「ネコの時間」

動物生態学や行動学の本を読むのが好きだ。
といっても、全般的に「飛ぶ」ものはなんでもコワイ。昆虫や鳥は遠くで飛んでいるのをミ見るのは平気だけど、近くでブンブンしてると苦手。トンボもチョウにも触れない。
動物も、ネコ科、熊、ペンギンは大好き。それ以外にはさしたる愛があるわけではない。
それでもこの同じ地球に生きるものとして、彼らがなぜこの世に生れたか?なぜ存在しているのか?またどのように暮らしているのかには、大きな興味をもっている。
なので、京都大学の人類猿研究者たちや、河合先生、山際先生の著作を読むのは楽しかったし、この日高先生が亡くなった時にはとても残念だった。

本当に、つくづく思う。
なんとさまざまな生物が地球にはいるのだろう?
それらすべてが生命連鎖で繋がりながら、全体の大きなシステムとなっている。そのトップにいるのが人類だが、今や人類の傲慢さによって彼らを生存の危機に陥れている。
それはゆくゆくは人類の存在にも及ぶはずなのに、愚かな私たちは気付いていないふりをしている。

日高さんはずっとネコを飼っていて、彼らを観察していた。
「ネコに自意識はあるか?」「ネコたちの認識の世界」・・
ネコに自意識はあります!これは断言できる。
なにかに失敗すると「あ、見られたか?」と繕うのだ。明らかに失敗したことを羞じている。
また認識もできていることは多い。例えば私たちはイタリアからテラコッタ製のネコを買って帰ってテラスに置いているのだが、それを初めて見た我が家のネコは背中をいからせて「フーッ」と威嚇の声をあげた。
しばらくして「なーんだ、本物じゃないんだ」と興味を失って離れた。
ということは、自分の姿をちゃんと認識し、同じ姿のものを同じと認識しているのだろう。

ネコだけでなく、ドジョウ、カタツムリ、ギフチョウ、ホタルなどの事例が出ているが、最も我が家に関係があったのは「動物の予知能力」の話。
毎年秋にになると、このあたりの人は「今年は雪が多いよ、カマキリが高いところに卵を産んでいるから」と言い合う。
その冬の積雪量に応じて、雪に埋もれない高さに卵を産むのがカマキリの生態だと言うのだ。
しかし生物学の専門家である日高さんですら、これは実証されているわけではないと思っていた。
だが新潟県のある人が(学術的には門外漢の人)が10年かけて新潟県各地でカマキリの産卵を調査した結果、それは「伝説」ではなく事実だったそうなのである。
雪が少ない年は低く、多い年には高く、卵を産みつけることがわかった。
その人は新潟のカマキリだけではなく、温暖な土地のカマキリを寒冷地の新潟に移し持って来て観察してもいるのだが、それらのカマキリもちゃんと高いところで産んだという。
この観察と統計によって、彼はある大学から博士号を授与された。

うーん、カマキリの話しは本当だったのか。
気になるのは今年の卵の高さだ。

ちょっと楽しい話し・・夫がネットで見つけた犬とネコに関するジョークです。
犬「人間は僕にご飯をくれ、撫でてくれ、愛してくれる。人間は神様だ」
猫「人間は私にご飯をくれ、撫でてくれ、愛してくれる。私は神様だ」

posted by 北杜の星 at 07:01| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月12日

東直子「七つ空、二つ水」

作家であり歌人である東直子。
ここでは歌人としてエッセイを書いている。

俳句にしても短歌にしても、風景や日常をくっきりと切り取り凝縮されているので、若い頃はともかく最近は敬遠することが多くなった。
定型文が堅苦しいというのではない。その凝縮度に私の気力体力がついていかないからだ。
若い頃は、読んでその表面だけを感覚で受け止めていたところが多かった気がする。でも今は少しばかり人生経験があるせいか、その裏側にあるものを、つい引き出そうとして考え過ぎてしまう。
しかし20代の終わりに関西に数年住んだおかげで、ずいぶん贅沢な環境で万葉集をかじったので、今でも短歌が大好きだ。
散文では感じられない、ハッとする表現がある。
このエッセイには東直子の暮らしの中の出来事や思いに併せて、その折々に想い浮かべた短歌を紹介している。

知っている歌人も知らない歌人の歌も載っている。もちろん彼女自身の歌も。
何十年ぶりかで再会した歌があってうれしかったのは、若山牧水のものだ。
東直子が福島の高校生に短歌の楽しさを知ってもらおうと小さな講演会に参加し、その帰りに猪苗代湖に寄ったときのこと。
湖の白鳥を見て頭に浮かんだのは、有名な牧水だった。(引き出しがたくさんあるって羨ましい。ことあるごに記憶している歌が浮かぶなんて、いいなぁ)。

白鳥(しらとり)はかなしからずや空の青海のあをにも染まらずただよふ

これ、すっかり忘れて果てていたけれど、大好きだった。
「かなしからずや」とか「青」と「あを」と使い分けているところとか、雰囲気が古風で万葉的なのがいい。
私の大好きな若い知人は、俳句も短歌もするのだけれど、いわゆる現代的な「字余り」「字足らず」が嫌いらしく、「俵万智は絶対ダメです」と言う。
ああした現代短歌を私は否定はしないし、それが短歌の裾野を広げるのら、それもアリかとは思うのだけど、私自身も古典的な歌の方が好みではある。
それには理由があって、古典は古典のやりかたに添うほうが、結局は将来的にも残ると考えるからだ。
あまりに型を崩すと、違うものになってしまう。
伝統は伝統であるからこそ、存在理由がある。
例えば、着物、もそうだと思う。着物を現代風にハイヒールを履いて着たり、イヤリングをつけたりするのを見ると、私は悲しくなる。
着物には着物の楽しみ方があるのだ。それは「約束事」という枠で、時には窮屈に思えるかもしれないが、遊び方、楽しみ方はいかようにもあるもの。
それを楽しめばいい。

このなかで彼女に初めて教えられたこと。
それは、彼女は「宮沢賢治学会」(こういうのがあるんですね)に出席した時、あまり知られていないが賢治は15歳から18歳にかけて、なんと500朱首もの歌を詠んでいるそうだ。
どうしてこれらの歌がしfられていないのか?
ここにいくつか紹介されているが、賢治にしては平凡かなの印象はあるものの、賢治研究には欠かせないと思うのだけど。。

彼女はこれまで広島とか日本の西の地方に住んでいたが、冬の晴天率は東京の方が高いと書いている。
それは背後に広大な関東平野を背負っているからだと。
そうかな?
そうかもしれない。冬の抜けるような青い空は確かに関東の方に多いかもしれない。
とくに私の住むここ山梨の北杜市は、日本でも晴天率がすこぶる高い土地。冬は毎日晴れている。
(そのために、悲しいかな林を伐り倒し環境破壊をして、太陽光発電パネルが設置されているのだけれど)。

こういうエッセイを読むと、つくづく日本人は季節感に基づいて暮らしているのだなと思う。
日本人の良き特製があるとしたら、この季節に対する優しい感受性ではないだろうか。
この日本人の自然観が独自性のある宗教観や身体性を生んだのだ。、
俳句や短歌、お能など、型から生まれた文化、それはけっして型にとらわれるだけのものではない。
東北大震災をめぐる土地の人たちの歌には、胸がしめつけられるものがある。
この短歌エッセイ、読んでよかったです。
posted by 北杜の星 at 07:57| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月11日

曽野綾子「結婚は、運。」

時にギョッとすることを言う バアサン。
腹も立つし、その保守性にうんざりすることもある。もっとオブラートにくるんで言えばいいのにとヒヤヒヤする。
でも私は彼女のことが嫌いではない。保守反動に顔を御そむける私だが、彼女から教えられたことは多いからだ。
そのほとんどの部分はやはりキリスト者としての彼女の考えからきていると思う。
それに彼女の「有言実行」ぶりにはいつも感心している。
例えば彼女が長年続けている「海外邦人宣教者活動援助後援会」は素晴らしいものだ。(始まったことは銀行振り込みではなくて、彼女の自宅に直接、現金封筒で送ったものだった)。
これは海外に住み、そこの貧しい人たちのために働くキリスト教神父や修道女の医療、教育などへの活動を支援するための寄付を集める目的で設立されたものだが、寄付する人がキリスト教信者とは限らないので、宗教活動には使わない。
ここが彼女のスゴイところなのっだが、宣教師であっても彼女は疑うんですね。
寄付がきちんと正しく使われているかどうかを、自分で調べに南米やアフリカにまで赴くのだ。
その費用はすべて彼女個人の負担。その他、電話や郵便料金などの経費も一切計上しない。経費ゼロなのだ。
なぜなら、寄付してくれた人は、すべてのお金が貧困の人たちのために使われることを望んでいて、スタッフのお茶代などに使われるのに寄付するのではないからだ。
(そのあたりが莫大な経費の赤十字やユニセフとは違うところ)。
もちろんスタッフも全員、無償のボランティア。
こういうことを何十年も続ける人を、私は文句なく尊敬する。そこには保守とか革新とかは問題ではない。

その曽野綾子の夫の三浦朱門がこの2月、91歳で亡くなった。
最期は病院で迎えたが、それまでは彼女が家で看ていた。(彼女は実母、義理の両親も看取っている)。
何も思い残すことのない最期で、ちょうどそのときにボリビアから帰国していた親しい神父が家で小さなミサをしてくれたのだが、それがなんとも素敵だ。
神父は懐からハーモニカを出して「今日は魂の誕生日だから」と「ハッピー・バースデー」を吹いてくれたという。
居合わせた人々もそれに合わせて「Happy birthday to you」と歌ったという。

これまで曽野綾子の書くものを読んで思うのだが、おそらく彼女は朱門に育てられてきたところがあるのだと思う。
典型的な日本の中流家庭に育ち、幼稚園から大学までを聖心女子学院で学んだ彼女と、両親がアナキストの朱門とには、結婚生活においてさまざまな差異があったはずだ。
なにごとも律儀で几帳面に育った彼女。小学生のときに宿題をしていたら親から叱られたという朱門。「したくもないことをするのは奴隷だ」というのがその理由だったとか。
その差異を戸惑ったり嫌がるのではなく、面白がった二人だからこそ、長い間楽しく共に暮らせたのだろう。
この本の副題「夫婦、この不思議な関係」とあるように、不思議なもの、それが夫婦とは、最近私もつくづく思う。それは私自身もだが周りの友人たちの夫婦のあり方をみてもそう思うことが多くなっている。

曽野綾子は若い頃から見合い結婚は「人身売買」のように思えて絶対イヤだったそうだ。
まぁ、見合い結婚というのは最初に「条件」ありき、だからだろう。
私の周囲にもお見合いで結婚した人が何人かいる。長い夫婦の暮らし、お見合いでうまくいくことも、大恋愛の末の結婚が失敗することもある。
それはもう「相性」だ。
じゃぁ、「相性って何だ?」と問われると、とても答えがむつかしい。
私が思うに、相性が良いというのは、お互いの長所を見せあえる関係ではないかだろうか?
夫婦というのは合わせ鏡のようなところがあって、こちらの機嫌がすぐに相手に伝わるもの。夫婦の一方だけが悪いということはないのではないはず。

見合い結婚は「条件」がまず先だから「人身売買」でイヤと言う曽野綾子だが、だからといって恋愛結婚にも条件はあるのではないか?
少なくとも私にはあった。私は2度結婚しているが、そのどちらにも私なりの条件はあったように感じる。
その条件が経済的なもの、学歴、家柄などではなかっただけだ。
私の条件とは、「私が私でいられる」ということだった。例えば、もし私が「勉強のために1年間外国に行く」と言えば、「あぁ、行っておいで」と言ってくれる男を選んだつもりだ。
それほど大袈裟なことではなくても、「今日はご飯、つくるのやーめた」と言えば、「じゃぁ、外に行こう」と快く了解する男性。
したいことにNOと言わず、したくないことを強要しないことを、私は一緒に暮らす男に求めたような気がする。
それが打算と言うなら、私の結婚相手選びはかなり打算的だった。

でも若いころに知り合い、共に暮らす夫婦、その間にはお互いの価値観がぶれることもある。
それでも一緒にいることを選ぶのだから、夫婦っておもしろい。
結婚なんてどうしてもしなくてはいけないものではない。
だけど、これほど長い期間、一人の人間と向き合うのは、結婚をおいてはないと曽野綾子が書くように、そこにこそ夫婦の真髄があるのだと思う。
曽野綾子も「運」は良かったようだけど、私もまぁ、よかったみたい。少なくとも夫は私の大の親友だからだ。
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2017年12月09日

ハッチの週間身辺雑記

昨晩、この冬初めての雪が降り、積もるというよりはうっすら白くうなりました。
これまで南アルプスの方から雪が舞い飛んでくることはあったけど、降ったのは初めて。
今日は晴天なので、すぐに溶けるでしょう。

12月初めに毎年、隣町に住む友人が新米を届けてくれます。
専業農家ではなく、小学校の校長先生をしているのですが、田んぼがあるので米は作っているそうです。
刈り入れはJAに頼んでいますが、他の作業は家族で行っていて、水の管理などは周辺の田んぼの持ち主が高齢でできなくなったため、その人たちの分まで面倒を見ているのだとか。
そんな貴重なお米をいつも頂くのは、とてもありがたいです。またそのお米が美味しいのです。

この新米を届けてくれるのは、息子のS君で、彼は私の一番若いボーイフレンド。
「僕がもって行きます」と言うので、「どうせなら、一緒に我が家でご飯を食べようよ」と誘うと、数分後電話がかかってきて、「お父さんも、ランチに行きたいと言ってます」。
どうぞ、どうぞということで、急きょバタバタと料理を始めました。
(お母さんはその日、地域のクリスマス・イルミネーションの飾り付けで忙しく、『お昼は勝手に食べて』ということだったみたい。点灯式には市長さんもやって来るほどの園町にしては大イベントなのです)。
もともと彼らは夫の車仲間。
その車を手放してしまった今でも、こうして彼らがやって来てくれるのはとってもうれしいです。
またその家族は本当に素敵な家族で、成人した二人の息子さんたちの性格の良さったら、両親の育て方がさそよかったのだといつも感心しています。
残念なのはそんなS君、イケメンだし優秀だし、何も言うことはない好青年だというのに、車に夢中すぎてガールフレンドがいない。
もっともいないから、こんなじいさん・ばあさんの家に遊びに来てくれるんでしょうけど。

久しぶりに東京へ。
今年は本当に東京がご無沙汰でした。
3月に友人とのランチに行った他は、台湾旅行の前後に友人宅に泊らせてもらうために行っただけ。
なんだか、だんだん東京が遠くなります。
今回は神田の「雲林」という中華レストランでの忘年会。美味しいものを食べてお喋りして、楽しい時を過ごしました。

東京へはいつもJR中央線特急あずさで行きます。
昔、狩人の「あずさ2号」という歌がありましたが、あずさの偶数号というのは「上り」なんです。
東京から信州に行くには奇数号のあずさでないと行けません。
私が乗るのは小淵沢駅から。
その小淵沢駅がこの夏から新駅舎に変わったのはいいのですが、これがみんなの大顰蹙をかっています。
とにかく使いづらい、景観を損ねている。。と不評ばかりが聞こえます。
今回初めて利用した私も、まったく同感。待合室が改札から遠いし、改札口の数が少ない、お土産屋さんも離れていて、列車を待つ間にお店を覗くなんて観光客はいないでしょう。
あれほどお客さんがいた立ち食い蕎麦屋も引っ込んでしまって、閑古鳥が鳴いています。

でも私がもっとも我慢ならないのは、案内放送です。
「右が男子トイレ、左が女性トイレです」の放送がとにかく大きく、ずーっとずーっと間断なく流れているのです。
その無神経さ!
駅員さんはあれを一日中聞いて平気なのでしょうか?とにかくずーっと大声で「トイレ、トイレ」と言っているのです。
視覚障害の私にっても、それは不要な放送と思えます。
(見ればわかるし、見えなければ駅員さんにでも尋ねればいいだけのこと)。
その放送を聞きながら、あの哲学者、中島義道さんのことを思い出しました。彼なら怒り心頭で怒鳴り込むにちがいありません。

私の乗るあずさは、その朝の長野県の震度4の自身のため4分遅れました。
その謝罪の車内放送も、新宿に着くまで何度もありました。
4分遅れたけで、こんなに何度も誤ってもらわなくてもいいんだけど。
日本の生きにくさってじつはこういうところから出ているのではないかと、私は考えています。
4分遅れるのを許さない社会って、窮屈です。
時間を守るのは確かに大切です。でも事故やどうしようもない出来事というのは起きるもの。それに対しての寛容度がこの国は少なすぎるような気がします。
むしろこの厳格さによって、何か起きた場合に自分の頭で対処を考えれないのではないかと、心配にさえなります。

いろいろ考えながらの東京往復でした。

posted by 北杜の星 at 08:04| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月07日

江田証「パン・豆類・ヨーグルト・りんごを食べてはいけません」

現代栄養学は朝令暮改で、数年前までとはまったく逆のことが言われることが多い。
海老はコレステロールが多いから食べない方が良いと言われていたが、最近ではあまり聞かない。
コレステロールといえば、植物性たんぱく質や脂肪は体に良くて動物性は悪玉を増やすと長い間信じていたが、それも最近はどうやら違うことが言われるようになった。
むしろ高齢者は肉をもっと食べろと推奨される。
そしてこのところ騒がしいのは糖質除去である。
人類は長い間穀類を食べて生きてきたが、その穀類が諸悪の原因でと言われるようになった。
小麦粉のグルテンはそのなかでも最たるもの。

何を信じていいのかわからなくなった私は、もう十数年前から「陰陽」のバランスを考えることに注力している。
それと自然のものを食べること。例えば低脂肪の牛乳ひゃヨーグルトは食べない。あれらは人工的に処理されたものだから。同じ理由でずっとマーガリンは拒否してきた。
脂肪が多くても自然のものを、涼を控えて食べれる方がほよど体にはいいと思っている。

ただ我が家には問題が一つあって、それは夫の腸が弱いこと。過敏性大腸炎とかの病名がつくほどではないのだが、いつもお腹が緩い。
どんなに食べても痩せていて、その痩せが歳をとるごとにひどくなる。といってもみんなが驚くほど元気で、ゴルフも1ラウンドハーフを真夏にプレイしても全然平気な体力。
睡眠さえしっかりとっていれば、毎日大変元気な人なのだ。
でも一日何回もトイレに行くのが私は気にかかる。彼が太れない理由はどこにあるのか、我が家の健康管理担当者としては、これだけが気になることなのだ。

そこで、この本。
タイトルを見て、「あぁ、これはダメだ」と思った。
だって、パン・豆類・りんごは彼の大好物だからだ。
タイトルを見ただけで拒絶反応をおこすだろう。
・・そう思ったのに、ナント、夫はすこぶつ興味を抱いたようで、「これ、読んでみよう」と言うではないか!

ここに書いてあることは、腸の弱いひとはFODMAPを多く含む食品をあまり食べないようにということ。
FODMAPとは「短鎖炭水化物」という4つの糖のことで、オリゴ糖、2糖類、単糖類、ポリオールを指す。
これらが小腸に多量に入ると、血管から小腸に水分を引き出して薄めようとする。そのため小腸が水浸しになり、余った水分がそのまま大腸に流れ込む。
栄養を吸収するのは小腸なのだが水分のためにそれができなくなり、大腸も水が多くなるために、お腹が緩くなる。

改善するためには高FOSMAP食品(りんご、豆、ヨーグルト・スイカなどなど)をやめて、低FOSMAP食品を摂ること。
低FODAMP食品には、バナナ、米、蕎麦、じゃがいも、人参、レタス、いちご、ブルーベリー、ナス、トマトなどなど)
困るのは豆腐や味噌はいいが、納豆はお腹の中で発酵するので良くないと書いてある。キムチも同じ理由でダメだそうだが、これはあまり食さないので問題はない。
その他にもNG、OK食品がずらりと書いてある。
「食べるのはないよ」と悩む人がいるかもしれないが、お腹が丈夫なひとは大丈夫。
低FODAMPにする必要はない。

つまりは、万人に向く健康食はないということ。ここで薦めてあることは、腸が丈夫な人には悪影響を及ぼすことがあるので注意する方がいい。
これはあくまで腸の弱い人のための本なのだ。
自分の体の状態に合わせた食事をすることが大切だ。彼は3週間、ここに書かれていることを実践してみると言っています。
とにかく夫が興味を示してくれたのがうれしい。
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2017年12月05日

坂東眞砂子「わたし」

有名な「子猫殺し事件」があまりにショックで、それ以来坂東眞砂子の小説を読む気になれない時期が続いていたのだが、やはり彼女の小説は嫌いにはなれなかった。
直木賞受賞の「山姥(やまはは)」でわかるように彼女の小説はホラーというジャンルで、土着的でおどろおどろしいものが多い。
けれど単なるホラーとは異なり、人間の根源的な」「性」と「死」がいつも書かれていた。
その「性」が、つまりはタヒチ在住時の「子猫殺し」に繋がってりのだったのだろう。

坂東眞砂子が亡くなって4年近く。55歳という年齢は作家にとっては若すぎる。
まだまだ書いて欲しかったし、それを読みたかった。
この「わたし」は彼女の自伝である。
高知生れで、故郷高知を舞台にした作品はたくさんあるが、自身や家族のことを語るものを読んだ記憶がない。、そんな彼女が曽祖母、祖母、両輪、姉妹、友人たちのことを書いたのがこの「わたし」。
自分を飾らす、かなり正直に書いてあると思う。

奈良女子大の入試試験のため高知を出て、香川から岡山へ渡る船からはじまるこの自伝、大学時代、その後のイタリア留学時代などが出てくるのかと思ったが、ごく幼い頃の話しが主となっている。
タヒチでの恋人、ジャンクロードとの生活がその合間に、これはかなり痛々しくて、読んでいて苦しくなる。愛憎という言葉があるが、愛よりも憎しみの強さがびんびんと伝わって来る。

両親が共働きいのため、祖母に育てられた眞砂子。
祖母はやがて認知症となり、常に「眞砂子」「眞砂子」と咆哮しながら徘徊したという。
祖母からすると孫のなかでもっともかわいかったのが彼女で、彼女にとっても祖母はある意味、母よりも大きな存在だった。
自伝だから当然だが、かなりの文章が「わたしは」ではじまるこの作品で彼女は、祖母への想いを表したかったのではないか?
それほど彼女の祖母への情がここでは感じられるのだが、その情は情で、単純なものではない。
そこがやはり作家としての資質なのだろう、距離感のある見方をしている。

その祖母が長い認知症のはてに亡くなったとき、家族はおそらくホッとし、眞砂子も同じ思いだったのだと思う。
冷静に葬式の日を迎えていた時、「お姉ちゃんは悲しくないのか」と非難する妹の頬を平手で打ったのも、そんな彼女の複雑な心境が合ったからに違いない。
この作品に大人になってからのことが書かれていないのは、子ども時代の自分が作家としての自分の原点であることを彼女がよく知っていためだと思う。
こんな自意識を持る人間って、生きにくいだろうな。
そしてその自意識を徹底的に彼女に突きつけ批判するジャンクロードとの暮らしが、うまくいくはずはない。

私が坂東眞砂子を好きな理由は作品の根底にある「性」と「死」も大きいのだが、彼女の戦後日本を見据える目にもあって、とくに男性に対して厳しい。
それは「性」に通じるのだろうが、彼女のなかのジェンダーにはちょっと興味深いものがある。かなり小さな頃より、父や男児に対して敵対している様子がうかがえる。
常に欲望に忠実に生きようとした彼女にとって、戦後の日本は居心地が悪かったのかもしれない。
イタリアやタヒチのような生や性を真正面から受け止める土地だから、あの「子猫殺し」ができたのか。

これは点字で読んだのだけど、面白くてあっという間に読了。
こういう人のために「小説家」という職業があってよかったと思う。小説でも書いていなければ生きられない人間っているのだろう。、そう感じながら読みました。
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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