2017年12月05日

坂東眞砂子「わたし」

有名な「子猫殺し事件」があまりにショックで、それ以来坂東眞砂子の小説を読む気になれない時期が続いていたのだが、やはり彼女の小説は嫌いにはなれなかった。
直木賞受賞の「山姥(やまはは)」でわかるように彼女の小説はホラーというジャンルで、土着的でおどろおどろしいものが多い。
けれど単なるホラーとは異なり、人間の根源的な」「性」と「死」がいつも書かれていた。
その「性」が、つまりはタヒチ在住時の「子猫殺し」に繋がってりのだったのだろう。

坂東眞砂子が亡くなって4年近く。55歳という年齢は作家にとっては若すぎる。
まだまだ書いて欲しかったし、それを読みたかった。
この「わたし」は彼女の自伝である。
高知生れで、故郷高知を舞台にした作品はたくさんあるが、自身や家族のことを語るものを読んだ記憶がない。、そんな彼女が曽祖母、祖母、両輪、姉妹、友人たちのことを書いたのがこの「わたし」。
自分を飾らす、かなり正直に書いてあると思う。

奈良女子大の入試試験のため高知を出て、香川から岡山へ渡る船からはじまるこの自伝、大学時代、その後のイタリア留学時代などが出てくるのかと思ったが、ごく幼い頃の話しが主となっている。
タヒチでの恋人、ジャンクロードとの生活がその合間に、これはかなり痛々しくて、読んでいて苦しくなる。愛憎という言葉があるが、愛よりも憎しみの強さがびんびんと伝わって来る。

両親が共働きいのため、祖母に育てられた眞砂子。
祖母はやがて認知症となり、常に「眞砂子」「眞砂子」と咆哮しながら徘徊したという。
祖母からすると孫のなかでもっともかわいかったのが彼女で、彼女にとっても祖母はある意味、母よりも大きな存在だった。
自伝だから当然だが、かなりの文章が「わたしは」ではじまるこの作品で彼女は、祖母への想いを表したかったのではないか?
それほど彼女の祖母への情がここでは感じられるのだが、その情は情で、単純なものではない。
そこがやはり作家としての資質なのだろう、距離感のある見方をしている。

その祖母が長い認知症のはてに亡くなったとき、家族はおそらくホッとし、眞砂子も同じ思いだったのだと思う。
冷静に葬式の日を迎えていた時、「お姉ちゃんは悲しくないのか」と非難する妹の頬を平手で打ったのも、そんな彼女の複雑な心境が合ったからに違いない。
この作品に大人になってからのことが書かれていないのは、子ども時代の自分が作家としての自分の原点であることを彼女がよく知っていためだと思う。
こんな自意識を持る人間って、生きにくいだろうな。
そしてその自意識を徹底的に彼女に突きつけ批判するジャンクロードとの暮らしが、うまくいくはずはない。

私が坂東眞砂子を好きな理由は作品の根底にある「性」と「死」も大きいのだが、彼女の戦後日本を見据える目にもあって、とくに男性に対して厳しい。
それは「性」に通じるのだろうが、彼女のなかのジェンダーにはちょっと興味深いものがある。かなり小さな頃より、父や男児に対して敵対している様子がうかがえる。
常に欲望に忠実に生きようとした彼女にとって、戦後の日本は居心地が悪かったのかもしれない。
イタリアやタヒチのような生や性を真正面から受け止める土地だから、あの「子猫殺し」ができたのか。

これは点字で読んだのだけど、面白くてあっという間に読了。
こういう人のために「小説家」という職業があってよかったと思う。小説でも書いていなければ生きられない人間っているのだろう。、そう感じながら読みました。
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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