2017年12月11日

曽野綾子「結婚は、運。」

時にギョッとすることを言う バアサン。
腹も立つし、その保守性にうんざりすることもある。もっとオブラートにくるんで言えばいいのにとヒヤヒヤする。
でも私は彼女のことが嫌いではない。保守反動に顔を御そむける私だが、彼女から教えられたことは多いからだ。
そのほとんどの部分はやはりキリスト者としての彼女の考えからきていると思う。
それに彼女の「有言実行」ぶりにはいつも感心している。
例えば彼女が長年続けている「海外邦人宣教者活動援助後援会」は素晴らしいものだ。(始まったことは銀行振り込みではなくて、彼女の自宅に直接、現金封筒で送ったものだった)。
これは海外に住み、そこの貧しい人たちのために働くキリスト教神父や修道女の医療、教育などへの活動を支援するための寄付を集める目的で設立されたものだが、寄付する人がキリスト教信者とは限らないので、宗教活動には使わない。
ここが彼女のスゴイところなのっだが、宣教師であっても彼女は疑うんですね。
寄付がきちんと正しく使われているかどうかを、自分で調べに南米やアフリカにまで赴くのだ。
その費用はすべて彼女個人の負担。その他、電話や郵便料金などの経費も一切計上しない。経費ゼロなのだ。
なぜなら、寄付してくれた人は、すべてのお金が貧困の人たちのために使われることを望んでいて、スタッフのお茶代などに使われるのに寄付するのではないからだ。
(そのあたりが莫大な経費の赤十字やユニセフとは違うところ)。
もちろんスタッフも全員、無償のボランティア。
こういうことを何十年も続ける人を、私は文句なく尊敬する。そこには保守とか革新とかは問題ではない。

その曽野綾子の夫の三浦朱門がこの2月、91歳で亡くなった。
最期は病院で迎えたが、それまでは彼女が家で看ていた。(彼女は実母、義理の両親も看取っている)。
何も思い残すことのない最期で、ちょうどそのときにボリビアから帰国していた親しい神父が家で小さなミサをしてくれたのだが、それがなんとも素敵だ。
神父は懐からハーモニカを出して「今日は魂の誕生日だから」と「ハッピー・バースデー」を吹いてくれたという。
居合わせた人々もそれに合わせて「Happy birthday to you」と歌ったという。

これまで曽野綾子の書くものを読んで思うのだが、おそらく彼女は朱門に育てられてきたところがあるのだと思う。
典型的な日本の中流家庭に育ち、幼稚園から大学までを聖心女子学院で学んだ彼女と、両親がアナキストの朱門とには、結婚生活においてさまざまな差異があったはずだ。
なにごとも律儀で几帳面に育った彼女。小学生のときに宿題をしていたら親から叱られたという朱門。「したくもないことをするのは奴隷だ」というのがその理由だったとか。
その差異を戸惑ったり嫌がるのではなく、面白がった二人だからこそ、長い間楽しく共に暮らせたのだろう。
この本の副題「夫婦、この不思議な関係」とあるように、不思議なもの、それが夫婦とは、最近私もつくづく思う。それは私自身もだが周りの友人たちの夫婦のあり方をみてもそう思うことが多くなっている。

曽野綾子は若い頃から見合い結婚は「人身売買」のように思えて絶対イヤだったそうだ。
まぁ、見合い結婚というのは最初に「条件」ありき、だからだろう。
私の周囲にもお見合いで結婚した人が何人かいる。長い夫婦の暮らし、お見合いでうまくいくことも、大恋愛の末の結婚が失敗することもある。
それはもう「相性」だ。
じゃぁ、「相性って何だ?」と問われると、とても答えがむつかしい。
私が思うに、相性が良いというのは、お互いの長所を見せあえる関係ではないかだろうか?
夫婦というのは合わせ鏡のようなところがあって、こちらの機嫌がすぐに相手に伝わるもの。夫婦の一方だけが悪いということはないのではないはず。

見合い結婚は「条件」がまず先だから「人身売買」でイヤと言う曽野綾子だが、だからといって恋愛結婚にも条件はあるのではないか?
少なくとも私にはあった。私は2度結婚しているが、そのどちらにも私なりの条件はあったように感じる。
その条件が経済的なもの、学歴、家柄などではなかっただけだ。
私の条件とは、「私が私でいられる」ということだった。例えば、もし私が「勉強のために1年間外国に行く」と言えば、「あぁ、行っておいで」と言ってくれる男を選んだつもりだ。
それほど大袈裟なことではなくても、「今日はご飯、つくるのやーめた」と言えば、「じゃぁ、外に行こう」と快く了解する男性。
したいことにNOと言わず、したくないことを強要しないことを、私は一緒に暮らす男に求めたような気がする。
それが打算と言うなら、私の結婚相手選びはかなり打算的だった。

でも若いころに知り合い、共に暮らす夫婦、その間にはお互いの価値観がぶれることもある。
それでも一緒にいることを選ぶのだから、夫婦っておもしろい。
結婚なんてどうしてもしなくてはいけないものではない。
だけど、これほど長い期間、一人の人間と向き合うのは、結婚をおいてはないと曽野綾子が書くように、そこにこそ夫婦の真髄があるのだと思う。
曽野綾子も「運」は良かったようだけど、私もまぁ、よかったみたい。少なくとも夫は私の大の親友だからだ。
posted by 北杜の星 at 07:40| 山梨 ☁| Comment(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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