2017年12月25日

梯久美子「狂うひと」

じつはこの本、かなり前に読んでいたのだが、どう書けばいいのか迷っていて結局書かないできたものなのだが、今月上旬に東京に行った時に、友人とこの本の話しが出た。
彼女は読後感想として「なんと言っていいかわからないし、これはとっても良いからと人にも勧めにくいのよね」と言った。
それには私もまったく同感だった。

もともと私は「死の棘」が出版されたとき、大きなショックを受けた人間だ。
島尾敏雄は私にとっては「純文学の極北」ともいうべき大切な大切な作家だった。
島尾は私小説家ではあるがそれまでの「出発は遂に訪れず」にしても「出孤島記」にしても「夢の中の日常」にしても、小説としての処理がしてあった。
なかでも「夢の中の日常」はシュールですらあった。
それなのに「死の棘」のあの生々しい直接さには胸苦しさだけが残った。
もちろん島尾は「死の棘」でもフィクションとして創作はしているだろうとは思う。
でも彼がどうしてこれほどまでの筆致で描かなければならなかったのかが、私には理解できなかったのだ。
大切に温めていたものを壊された気持ちだった。

島尾は自分の日記をわざと妻、ミホの目に触れるように置いていた。(これを読むと彼はこれまで下宿などでもそのようなことをしていたようだ)
ミホはその中の17文字の文章により狂ってしまった。
それが島尾一家4人の家庭の崩壊の始まりだった・・

私が「死の棘」とこの本の解説をするまでもなく、「死の棘」はそれまで島尾の名を知らなかった多くの人に読まれ、映画化もされ、またこの本はほとんどすべてと言っていいほどのメディアの書評で取り上げられている。
だからこれについて今さら私が書くまでもないのだけれど。。
私小説家というものの「業」のようなものについて、ちょっと書いてみようと思う。

特攻隊長の若い青年(帝大出の特攻隊長といえば当時はすごいエリートだ)が奄美群島加計呂島の祭事を司る島長の娘と知り合い結ばれる。
これだけでとても劇的でロマンティックな出来事だ。
やがて二人には息子と娘が生れ、慎ましく穏やかな暮らしを送るようになる。
しかし、この暮らしでは「書く」材料がない。私小説家にとってあまりにも平和すぎ、過去の体験は戦後時間が経つほどに色褪せてくる。
島尾は風穴をあけたかったのではないか?
共に暮らしてきた島尾に、妻ミホのエキセントリックさがわからなかったはずはない。
戦後作家派と第三の新人との両方に属する彼は、活躍する戦後派の大岡昇平や武田泰淳、第三の新人である吉行淳之介や安岡章太郎や阿川弘之らを横目に、心焦るものがあったと思う。
こうした穿った見方は意地悪かもしれないが、完全否定はできないような気がする。

長男の島尾伸三氏(私は彼の文章が大好き!)はこの本の著者の梯久美子に「きれいごとは書かないでください」と念を押したそうだが、それは伸三氏の書いた「小高へ」という父・島尾敏雄への旅の本の中で、島尾の家族の崩壊に対しての無力ぶりを強く非難していることでも伺える。
しかしもっとも気の毒な犠牲者は妻ミホや伸三氏ではなく、娘のマヤさんだ。
マヤさんはそのような家族のなかで心を病んでいった。

ロシアの映画監督スクーロフに「ドルチェ」という作品がある。
それは島尾ミホを撮ったドキュメンタリー映画なのだが、その中のミホは当時すでに80歳を超えていたはずだ。
けれどたっぷりした真っ黒な髪にこれまたたっぷりとした身体を着物御に包み、「女」そのものだった。
この本の中でも瀬戸内寂聴がそんなミホの様子を見ているが、正直言って、私は腰が引けたなぁ。
薄気味悪くて怖かった。
この映画の中で、マヤさんの手が階段の手すりにかかったワンシーンがあった。顔や姿は写されていない。
その手と手首の細かったことが忘れられない。
その後数年してマヤさんは亡くなった。

「死の棘」の成功(売れたという意味で)が本当に島尾にとって良かったのかどうか、私にはわからない。
以後、彼の小説は「病妻もの」を期待されるようになった。
それ以後はむしろ小説以外の彼の著書のほうが私は好きだ。南の島に関する彼の評論などはかなりすぐれたものだと思う。
島尾敏雄については「思いの丈」は書ききれないほどあるので、この本についても複雑な気持ちである。
最後まで明かされなかった「17文字の日記の文章」も、ノンフィクションとして読む方にとっては不消化気味だ。
それにしても小説家の家族は「書かれる立場」として、ずっと人生を引き摺らなければならない。しんどいことだ。

島尾敏雄は恩人です。
島尾が小川国男の私家版「アポロンの島」を絶賛したから、小川国男は世に出られたのだから。
そして小川国男の「アポロンの島」は私と私の夫にとって、永遠の「一冊」なのです。
posted by 北杜の星 at 08:37| 山梨 | Comment(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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