2009年06月08日

リービ英雄「仮の水」

越境の人・・リービ英雄はこう呼ばれるが、確かに彼は越境の人である。
日本では外人(欧米外人)として初めて日本語で小説を書く。
万葉集の初の全英訳をした日本文学者でもある。
リービ英雄は筆名ではない。
親日派のユダヤ系アメリカ人の父が名付けた本名である。
太平洋戦争終結直後としては、珍しいことかもしれない。
台湾で幼年期を過ごし、アメリカで教育を受け、日本で日本語作家となった。
その彼は最近中国へ頻繁に旅をする。
「我的中国」というすぐれたエッセイを書いている。
この「仮の水」は、「かれ」という主人公が中国を旅する、その間の物語である。

「現代中国の真の姿を描き出した」と帯文にあるが、私にはそのことよりもリービ英雄の文章にひきつけられた。
あるもの、見たもの、起こったことすべてをそのまま、明晰な言葉で表している。
そういう意味では非常に即物的。
感情の吐露が書き連ねてあるわけではない。
それなのに、行間からは「かれ」の戸惑いやいらだち、「かれ」が言うところの「恥のようなもの」が、確かに伝わってくる。

旅をして「見る」立場であるはずが、「老外」(ガイジン)と指差され「見られる」立場となっている。
それは日本で「ガイジン」と囁かれてきたのと同じ立場でもある。
越境者の「かれ」がそこにいる。

私がちょっと感じたのは、定住者として日本はもうすでに彼にとって新鮮な国ではなくなっていて、中国にそれを感じているのだろうなということ。
日本語作家となるくらい日本語に長けている彼は、母語の英語ではなく日本語で思考するほど,日本と日本語がが自分の皮膚のようになっている。
中国に行って、自分の意思をはっきり表せない中国語を使うことを、もどかしさとともにどこか楽しんでいるような気がする。

それにしても中国人の強靭さはすごい。
あのメンタリティにはかなわない。
それと、恐るべき拝金主義。
それをストレートにぶつけてくる。
「我的中国」にもあったが、彼らは初対面の人に対してもごく普通に「収入はいくらあるか?」ときいてくるのだ。
それがその人への評価基準のようだ。
婉曲な言い方など決してしない。
わかりやすいといえばわかりやすいが、あんまりと言えばあんまりな・・

今期の群像新人賞の評論部門の受賞は、永岡杜人氏の「言葉についての小説 リービ英雄論」だった。
群像6月号を旅行のお供に持っていったのだが、ベッドサイドのライトが暗すぎて全然読めずに、結局帰国する時に捨ててきてしまった。
この本のことについても書かれていたのに残念だった。

posted by 北杜の星 at 08:21| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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