2009年10月23日

日本の名随筆 渡邉文雄編「蕎麦」

そろそろ新蕎麦の季節。
そろそろと書いたが、蕎麦屋によってはすでに「新そば」の貼り紙がある店もある。
山梨のこの近所の蕎麦畑の蕎麦の花は白くなってはいるが、刈り取りはもう少し先か。

蕎麦が好きだ。
おそらく食べ物の中でもっとも好きなんじゃないかというくらい好きだ。
一口食べたときの、あの、清冽さは他に例えようがない。
(それは「酒」だと酒飲みは言うけれど)。
幸いなことにここらあたりにはうまい蕎麦屋が多い。
蕎麦名人として名高い高橋さんの「翁」は歩いても行ける距離だ。
(その高橋さんは今は広島に移り住み蕎麦道場をつくって、そこで指導を受けた人たちが、うどん文化だった広島にうまい蕎麦屋を続々とオープンさせている)。

歩いては行けないが、清里には「草五庵」というお気に入りの蕎麦屋もある。
そこのご主人は以前国立で「大平」を開いていた人。
昼の1500円の蕎麦コースは、旨い上にお得感も大きくファンが多い。
蕎麦味噌団子、蕎麦掻き、うどんや粟などが季節によって、ゴボウとじゃがいものそば粉揚げ、そして蕎麦。
最後の蕎麦はご主人の気分で、ぶっかけになったり、おろしになったり、とろろになったり・・
じつは昨日行ってきたんです。昨日はとろろでした。柚子がちょっと効かせてあってオツでした。

蕎麦は奥が深いと言われるが、作り手でない私にはよくわからない。
ただ蕎麦を食べるためには、山奥や辺鄙さをも厭わずに、というか、そういう場所をことさらにありがたがって行ってしまうようなところがある。
場所がわからず携帯電話をかけようにも圏外だったりするのだ。
あれはどういう心理なのだろうか。カレーライスではそこまでの熱意はもてないような気がするのだが。
でもまぁ最近は、どこで食べてもそこそこの蕎麦が食べられるようになったのはありがたい。
好みの差はあれ、評判の蕎麦屋に行って、食べられないほど不味いということはなくなった。
ちなみに私が一番好きな蕎麦は、駒ヶ根の「丸富」の蕎麦と蕎麦掻き。
蕎麦切りも好きだが、蕎麦掻きもめっぽう好きで、献立表にあると必ず注文する。
「丸富」の蕎麦掻きは絶品だ。
飯田にあったころからの贔屓の店だ。

この随筆集、エッセイではなくやはり随筆と呼びたい。
池波正太郎、戸板康二、丸木俊、開高健、今東光、荒畑寒村、宇野信夫・・
物故した人たちがほとんどどの随筆集だが、蕎麦について書かれてあるのもそそられるが、彼らの文章が素晴らしい。
ほんの短い間に、こんなにも日本語って変わってしまったのかと、憮然暗澹としてしまう。
格があり、品があり、下世話でないユーモアがあり、書いた人がそのまま表れている文章だ。
ただどの人も実際に会うとおっかなそうで、敬して遠ざかりたい人ばかりだが。
こういう文章を読むと、私の世代でギリギリ良かったなと思う。
あと20年歳を取っていたら、町田康や古川日出男は読めなかったかもしれないし、あと20年若かったらこの随筆集の日本語が醸し出す雰囲気を汲みとれなかっただろう。

彼らは文章だけではなく知識量もハンパじゃない人たちが多かった。
開高健などは薀蓄の極みのような人だが、この中でも「初物を食べると75日寿命が延びる」の諺のお由来を書いている。
あれは、蕎麦のことらしい。
昔死罪になった罪人が、最後に腹いっぱいの新そばを食べて死にたいと言ったのを、粋なおはからいで、さっそく蕎麦の種を蒔いた。
そして75日目に実が生り、その間の75日生き延びたところからきているそうだ。

posted by 北杜の星 at 07:24| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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