2011年04月20日

森於菟「耄碌寸前」

もう二十数年前になるか、森於菟が書いた父鴎外に関する本を読んだことがある。
可もなく不可もない平坦な文章だなという印象しか持たなかった。
鴎外の子としては森茉莉の方が知名度も高く、彼女独特のエキセントリックな感性に興味を感じていた。
だから今回このみすず書房から発刊されたエッセイを読んで、驚いた。
可もなく不可もないどころではない。
どこにもケレンやハッタリのない抑制の効いた静かな品位ある文章。それでいて書くべきことはちゃんと書きますよというはっきりした姿勢。それは時にユーモアとシニカルさが混じっているものだった。
私、ちっとも読む力がなかったんだなぁ。それともこういう文章の良さはトシをとらなきゃわからないのかもしれない。

「父の名をはずかしめたくないので、己の能力の限界を知った私は文学よりもむしろ基礎医学の研究生活を選ん」で解剖学者となった於菟は、鴎外と最初の妻との間にできた長男である。
その妻とは不仲で一年余りで離婚。於菟は里子に出された。
鴎外が再婚し観潮楼を建て、父と同居するようになった。

文京区千駄木に建てた家からは、品川の海が見えたので「観潮楼」と名付けた。
最初は小さな二階家だった。そこには新しい母がいて、後には茉莉、杏奴、類の妹弟が生まれた。
鴎外亡き後、観潮楼には良い借り手がつかず、結局は焼失してしまった。
そこで於菟は、新しい妻と実母との諍いに苦悩する父鴎外の姿を目のあたりにする。
成功した軍医総官、大作家としての鴎外ではなく、一人の家庭人としての父がそこにはいた。
パッパから愛されて愛されて育ったという思いの強い茉莉とは異なる、父への複雑な気持ちが於菟にはあったのだろう。
鴎外の死因は結核だと言われてきた。
それに関して於菟は継母から「あなたのお母さんの結核が伝ってそれが潜伏していたのだ」と棘のある言われかたをされている。

この本の後ろに池内紀の解説がある。
「家庭人鴎外の遺産というなら、第一に森於菟だと・・少なくとも私は考えている。森茉莉の「フレグランスと音楽」を愛する人は異議を申し立てるだろうが、多少とも匂いづけをされた香水の芳香が鼻につく」。
うーん、言いたいことはわかるなぁ。私はその匂いが嫌いじゃないけど。というか好き嫌いを超えて、面白いと思ている。

表題の「耄碌寸前」は於菟71歳のときに書かれたエッセイ。
飄々というのとも違う感じの、力の抜けさ加減がいい。
だけど、これは於菟ではなくみすず書房に言いたいのだが、この本この薄さで、ちょっと値段が高すぎませんか?
posted by 北杜の星 at 07:56| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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