2011年06月24日

ルース・スウォーツ・コーワン「お母さんは忙しくなるばかり」

著者はペンシルベニア大学教授。科学技術の社会史を専門としている。
この本は、家事労働とテクノロジーの相関について書いてあるもので、事例のほとんどはアメリカだが、日本であってもその他の国であっても充分通じるものである。
「お母さんは忙しくなるばかり」というタイトルから受ける印象よりは、ずっとアカデミックな内容となっている。出版元も法政大学出版だ。

産業革命が起こり、世の中は工業化された。
農業、牧畜、林業などで家にいながら働いていた男性達は、外に出て仕事をするようになった。
家に居るときには、家事のかなりの部分を妻とともに担っていたが、男が家に居なくなると、ほとんどすべての家事が妻だけの役割に移行した。そして主婦という立場の女性が生まれた。
それでは大変だろうと、20世紀になって電化製品が出回るようになった。電気掃除機、洗濯機、冷蔵庫・・
それらの道具は、主婦の仕事を軽減するものだった。
が果たして、実際はどうなのか?主婦は本当にラクになったのか?

確かに手で洗う手間は省かれたし、床に這いつくばり拭くことはなくなったかもしれない。
しかし暮らしが文化的になるに従い、家の仕事は増えているのだ。
食が多様性を持つと、買い物の手間はかかり、料理は複雑になる。
日本の「衣」を考えてみてもそれはわかる。
昔は着物をほどいて洗い、板に張り伸子を掛け、また縫い直した。確かにそれは大変な作業だった。
けれど今ほど豊かではない時代に、人はそれほど多数の着物を持っていたわけではない。またそうした作業は季節ごと、つまり年に何度かですんでいた。
今、私たちが所有する服といったら、膨大な数量である。昔と較べると、清潔度が増しているので、大家族なら一日に何回も洗濯機を回さなくてはならない。
洗って干して、取り入れて畳んでアイロンをかける・・それが毎日毎日続くのである。

それに以前なら家内労働は、ちょっとした家庭ならお手伝いさんが居た。
家電が発達すると、世の中かからお手伝いさんが消えてしまった。
保育園や幼稚園ができると、子守も消えてしまった。
病院が完備したら、家政婦さんなども雇わなくなった。
だけど、すべてのことを機械や施設がしてくれるわけではない。人手でなくてはできないことがたくさん残っている。その残った部分がすべてお母さんの役割になるのである。

しかしそれはお母さんだけではないと思う。お父さんだってますます忙しくなっているのではないだろうか。
20年か30年くらいまでの男性会社員はある意味気楽だった。
会社に着けば、OLがお茶を淹れてくれ、汚い字で企画書や見積書を書いても、ちゃんと清書してもらえた。けれど今ではワードやエクセルを使って自分で作成しなくてはならない。
新幹線ができ飛行機代が安くなれば、泊りがけの出張は早朝深夜発着の日帰り出張となってしまった。

なんなんでしょうね。
文化度が高くなりテクノロジーが発達すればするほど、時間に追い立てられるようになるなんて・・
そして体も心も病んでいくなんて・・

このきめ細かな技術社会史の本を読んでいると、家事労働だけではなく、テクノロジーと社会全体のシステムについて、つくづく考えさせられた。
posted by 北杜の星 at 07:26| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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