2011年07月22日

ル・クレジオ「飢えのリトルネロ」

1930から1940年代前半のパリで青春期を送ったエテル。
裕福な一家が破産するのと時を同じくして、フランスに戦争の足音が近づいてきた。
ファシズムはやがてフランスの人々を「餓え」に押しやってゆく。

エピローグとプロローグを書いているのは、エテルの息子という設定だが、この「序」と「終」が興味深かった。
この部分だけはル・クレジオの母と彼自身の実際の体験のようで、幼い彼が母から聞いた話や戦後の「餓え」について書かれている。
私は知らなかったが、フランスもずいぶんと餓えていたのだ。
アメリカ軍のジープから投げられるチューインガムやチョコレートを拾う子どもたち、栄養のために摂る肝油、名前こそなにやら優雅だがカーネーション・ミルクと呼ばれたダマだらけの脱脂粉乳を飲んだ話など、まるで敗戦直後の日本のようだった。

パリのたくさんの通りの名前が出てきて、当時のあの街の様子が伝わってくる。
親友にも恵まれ、何不自由なく暮らしていたエテル。
祖父、伯父、父が死に、エテルは何百キロもの逃避行をしなければならなくなる。
そしてそこには「餓え」があった。
戦士だけが戦争をするのではない。市民も戦争が起これば苦渋の暮らしをするしかなくなるのだ。
ましてや自分で人生を選択できない年齢のエテルには、理不尽なことばかりが目の前にある。

リトルネロとはイタリア語の音楽用語で、「反復回帰する主題」のことだそうだ。
反復回帰する音楽、ラヴェルの「ボレロ」と、この作品の家族の悲劇と時代の悲劇が連動し交響する・・というのがル・クレジオの主題だ。
「ボレロ」は予兆だったのだ。あの「ボレロ」の繰り返されるリズムが意味するものは、近づくファシズムの足音だった。

プロローグにル・クレジオはこう書いている。
「ぼくの母は「ボレロ」の初演の話をしてくれたとき、彼女の感動、耳にした叫び、喝采と口笛のやじ、どよめきを語った。同じホールのどこかには、母が一度も会ったことのない青年、クロード・レヴィ・ストロースがいた。」

「餓えのリトルネロ」のラストがエテルにとって幸せなものかどうか、私にはわからないが、エテルの「餓え」の時代が終わるように、ある時代も終わるのだと思った。
posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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