2012年01月19日

渡辺京二・津田塾大学三砂ちづるゼミ「女子学生、渡辺京二に会いに行く」

私は知らなかったのだが、渡辺京二氏は思想家であり歴史学者でもある人。
三砂ちづるは津田塾大学国際関係学科教授で、国際疫学の専門家。エッセイや小説も書いていて、私は彼女の小説が好きでこのブログでも紹介したことがある。
彼女の小説に流れるものは、社会学的なフェミニストからすると反論があるだろうが、私は勝手に「原始フェミニズム」と名付けていて、本来女性が持っている不思議な力、それは私たちが文明の進化と共に失ったものだが、取り戻そうということだと思う。

自分の体に向き合って、体に耳をすませて、得られること。
それを私たちは忘れている。健康を数値で判断していてばかりでは、わからないことだ。
そういうことを大切にする三砂ちづるのゼミの生徒たちが、なぜ渡辺京二氏に会いに行ったのか?
会って、何を聞きたかったのか?

ゼミの生徒、元ゼミで現在は大学院生たちが、それぞれの卒論を持って渡辺氏と語り合っている。
この生きにくい世のなかをどう生きればいいのかを問うている。
自分が社会とどう繋がればよいのかを真剣に考えている彼女たちに、渡辺氏は「こうしなさい」と言っているわけではない。
話を聞き、自分の体験を話し、優しく彼女たちを受け止めている。
80歳をすぎた彼の体験談のすべてが現在の彼女たちに当てはまる問題ではないものの、彼の語り口にはどこか人を安心させ納得させる懐の深さがある。
彼の力を抜いた姿勢は、決して彼女たちをいなしているのではなくて、見守っていると言う感じ。
それがわかるから女子学生たちもその懐へ飛び込めるのだろう。

なんてこの女子学生たちは真面目なんだろう。
私が彼女の年齢の頃、こんなにも真摯に自分や社会を見ていただろうか。
しかし渡辺氏は社会的なことからスタートするのではなく、あくまでも「個」として自分を見据えようと言っている。
例えば就職できないからと言ってそれを「自分は社会に無用な人間だ」などと考える必要はない。ただ就職口が見つからなかっただけなのだと。
人間なんて「社会」のためになんか生きていない。
家族や好きな人たちのために生きているのだ。
そのために大切なのは、「無名に埋没すること」。

渡辺氏の「無名に埋没せよ」の言葉は、最後にドーンと胸に響いた。
そうすることで初めて自分が見えるし、社会も政治も見えてくる。
この本はこれから社会に出ようとする人たちに、なんらかの道標になってくれるかもしれない。
渡辺氏と三砂ちづるのやりとりにも、考えさせられるところがたくさんあった。

posted by 北杜の星 at 08:27| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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