2012年11月23日

長野まゆみ「あのころのデパート」

タイトルの「あのころ」というのは著者の長野さんの幼い頃、あるいは彼女が大学を卒業して関西系のあるデパートに勤務していたころを指している。
どちらもデパートという存在が輝いていた時代だ。
私の世代というより長野さんとほぼ同世代の私の8歳年下の弟にとっては、デパートというのはいまのディズニーランドのような一大アミューズメントの場だったと思う。
(私の時代にはまだまだ物がそう多くはなかった)。
私は聞き分けの良い子だったが、弟はオモチャ売り場で座り込んで離れなかったなぁ。
一張羅を着込んでデパート(百貨店とも呼んでいたかな)へ行き、白い手袋をはめたきれいなエレベーター・ガールに出迎えられて、ワクワクしながら大食堂へ行ったものだ。
それは晴れやかな一日だった。
あの大食堂の子供用の高い椅子に座れなくなって普通の椅子に座らされたとき、「あぁ私はもう子どもじゃないんだ」と思ったことを覚えている。

三段階のお辞儀の仕方。
雨が降ったときに店内に流れる曲。(中からは外の様子がわからないので、店内放送で知らせる)
雨が止んだときには「Over the rainbow」が流れる。
デパート独特の符丁。

デパートの内部事情がわかる本。
日本のサービス業のきめ細かさって、やはりスゴイんですね。
こんな国は他にそうはないと思う。
私は開店直後のデパートに入るのは絶対イヤ。だって店員さんたちがずらりと居並びお辞儀をする前を、どういう顔をして通ればいいのかわからないし、ものすごく居心地が悪い。
しかもその時間が10分間という長さだとか。
あれって本当に必要なものなのか?
あれが好きなお客さんっているのかしらん?
いつも不思議に思っているのだけれど。
それと昔はもっと自分の言葉でお客さんと対応する店員さんがいたものだけど、今はみんなが同じ顔で同じ言葉で、なんだかマニュアルの金太郎飴みたいになってしまった。

最近のデパートは地下の食品売り場を除いては閑散としている。
お客さんより店員さんのほうが多くて、手持ち無沙汰そうに立っているのは見ていて気の毒。
流れる店内放送は中国語。(尖閣諸島問題以降はその中国人観光客も減少しているし)。
なんとかしようと、伊勢丹と三越、西武とそごうが一緒になったりしているけど、起死回生なるのか。
デパートに行かなくなったのは不況に加えネット・ショッピングが盛んになったからだろうか。
私だって今はほとんどのものをネットで買っている。
大好きなカンペールの靴だって、スペインから直接買う。その方が断然安い。
デパートは正価だもの、同じ品なら安いのを選ぶに決まっているよね。

新聞、テレビ、デパート・・必須アイテムだったこういうものから、人々がどんどん離れていこうとしているこの時代、流れを止めることはできるのでしょうか。

posted by 北杜の星 at 08:03| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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