2013年04月21日

リービ英雄「日本語を書く部屋」

「日本語を母国語としない日本語の作家リービ英雄の、体験的日本語・日本文学論と〈越境〉をめぐる鮮烈なエッセイ」。

ときどきリービ英雄を無性に読みたくなる。
私自身は日本語以外のどこの言語もきちんと習得していないので、彼の持つ言葉の体験を持っていない。
それでも小学生の頃から英会話を習わされ(当時そういう子供はほとんどいなかった)、イギリスに住んでいたあいだじゅうずっと英語と格闘せざるをえなかった。
けれどイギリスでは、言葉とは何かということに直面しながら暮らしている人間は私だけではなかった。
さまざまな国からやってきた移民たちは、母国語とこれから母語となるべき言語のあいだで苦しみながらも慣れていっていた。
それは単に英語が話せるようになるということだけではなくて、彼らの中で何かを得、何かを失うことでもあったと思う。

誰かが書いていたが「どの言語も翻訳可能ということは、たぶん言語のルーツは一つなのだ」と。
もともとは一つだった言語が人間の移動によって枝分かれして、その土地の風土や歴史が異なるのに沿って、言葉も異なるようになった。
そしていま、ある言語から別の言語に強い関心を持ちつとき、気持ちのどこかで〈越境〉という意識が生まれるのかもしれない。

リービ英雄はペンネームではない。純粋白人アメリカ人である。
外交官だった父の赴任先の台湾で生まれ、英雄という名をつけれれ、12歳まで台湾や香港で育った。
そして10代の頃日本に滞在して以来、日本とアメリカを往還していたのだが、「ニューヨークからは短篇小説も長篇小説も現代詩も生まれる。俳句も生まれるかもしれない。しかし、短歌だけは生まれない。」と、日本に移り住んだ。「大和ことば」と「日本語文脈」のなかで暮らしたいという想いが強くなったからだ。
これだけなら日本文学者として、よくあることだ。
しかし彼は世界初の万葉集の完全英訳をしただけでは足らなかった。日本語で小説を書いたのだ。
これはまさしく〈越境〉だった。
ある意味で、還る場所のない〈越境〉だった。

この本には〈越境者〉たちのことがたくさん書かれている。
ドイツ在住でドイツ語で小説を書く多和田葉子、アラスカに長く住み「三匹の蟹」を書いた大庭みな子、在日として生まれ韓国人としてのアイデンティティを求めつつ叶わないで早逝した李良枝、日本人として大リーグで活躍した野茂英雄、被差別部落に生まれ「路地」を書き続けた中上健次。
彼らはなにを〈越境〉し、どこへ向かおうとしたのか。

自分が生きるうえで「言語」を選びとる。
それはとりもなおさず、自分の生きる場所を選ぶことでもある。
須賀敦子という人もそうだった。日本語だけで生きるのではなく、自分の「言語」を探して、最初はフランスに、でもフランス語ではないと気付き、イタリアへ。
そこで彼女は彼女の「言語」を見つけ出せた。
私が須賀敦子や多和田葉子やリービ英雄に惹かれるのは、表現者としての「言語」を選ぶことで能動的に生きることを選んだ人たちだからだ。
それは究極の人生の選択ではないだろうか。

現在リービ英雄は年に数回中国を訪れる。
経済発展の中国や歴史に興味があるのではない。
中国で見、聞き、触れたすべてを、「日本語を書く部屋」に戻って、日本語で表現するためである。
彼の「中国もの」もとても興味ふかくて、私は大好きだ。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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