2013年05月21日

山田詠美「明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち」

山田詠美の心理描写にはいつもうっとりしてしまう。
なんでこんなにわかるの?どうしてこういう気持ちをこういうふうに言葉で表せるの?
また彼女の比喩の巧いこと。
だから彼女の小説にはアフォリズムがそこかしこに溢れていて、それら全部をノートに書き写したいほど。
いつかこのブログでイトヤマさんと小川洋子には駄作がないと書いたが、山田詠美の小説にも駄作がないんですね。

この本は家族の一人の死を扱っている。
読みながらふと思ったのは、これは山田詠美なりの3・11への作家としての答えなのかもしれないということ。
震災や戦争で亡くなる何千人、何万人という人たち。でもそんな「総数」に意味はない。
たった一人の大切な人の死は、たった一人であっても世界のすべてであって決して何千分の一でも何万分の一でもないのだから。

夫と離婚した母と子ども二人(澄生、真澄)と妻に死なれた父と息子(創太)が一つの家族となった。
やがて家には娘の千絵が生まれた。
「幸せであると同時に、幸せと思われることも重要だと」感じる彼らは、傍目にも絵に描いたような幸せ家族だった。
みんながそれぞれの役割を知っていて、その役を完璧に演じていた。
そしてそういう家族の要、「幸福を留めるためのネジ」となっていたのが、長男の澄生だった。
しかしある日、澄生は雷に打たれて死んでしまう。

ネジを失くした家族の束はバラバラになってゆく。
澄生をどの子どもよりも特別視していた母はアルコール依存症となり、父の事業は思わしくなくなる。
死を乗り越え、穏やかな日常をとりもどせることもあるかもしれない。しかし澄川家にとって「澄生の死は減って行く死ではなく、増えて行く死」だったし、「死に見張られる人生」を送らねばならなくなった。
それに忘れようとしても壊れてしまった母が絶えずそのことを思い出させてくれるのだ。

4章にわかれていて、第一章「私」では長女の真澄、第二章の「おれ」では次男の創太、第三章では「あたし」の千絵が主人公となりそれぞれの視線で家族と澄生の死を描いている。
そして最終章は「皆」。ここで父、母、三人のこどもたち全員が集まる。

澄川家のなかで私が心を寄せたのが、父の連れ子だった創太だ。
彼はごく幼い頃に実母を亡くしているので、新しいママができたのがうれしくてたまらない。
彼は家族の中で「わいわい族」となって、うれしく楽しくはしゃぎまわる役目だった。
けれど彼は知っていた。ママが一番好きなのは、頼りにしているのは澄生だと。もちろん創太は兄も姉も大好きなのだけど。
だから澄生が雷に打たれて突然亡くなったことは寂しくもあるが、次は自分の番だとも思ったのだ。
それなのに、ママは自分を求めずして壊れてしまった。
もし創太がママの実の子ならば、真澄や千絵のように母に対して批判的になるかもしれない。
しかし彼はひたすらママを愛し、愛されることを望んでいるのだ。それがとてもせつなかった。

幸福はこんなにも突然に簡単に失われてしまう。
どんなに月日がたっても、同じ形で戻ってくることは絶対にないのだ。
それならば私たちはどうすればいいのか?どうやって再び幸福を手に入れるのか?
この長編にははっきりとした答えはないけれど、ヒントは見つかるような気がする。

今回の山田詠美も本当に素晴らしかったです。
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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