2013年07月25日

領家高子「なつ」

「樋口一葉 奇跡の日々」。
本郷丸山福山町の「水の上の家」に移り住んだ樋口一葉の日記を基に書かれたこの長編小説は、かなり読み応えのある一冊だった。
なつ、夏、夏子、奈津などと呼ばれた一葉が小説家としての「奇跡の日々」を迎える「水の上の家」は、貧困のなか24歳で夭折した彼女の終の棲家でもあった。

長兄が亡くなり父が逝ったのち17歳で戸主となり、母と妹を背負うことになって、その後の人生を貧困と借金のなかで過ごすことを余儀なくされた一葉だが、文学的には若いころより発表の場を持て、藤村、鴎外、露伴たちからもその才能を認められていた。
それだけでなく一葉は女性としてなかなか男運がよかった。
小説の師である緑雨とは結局はお互いの経済事情のため結ばれることはなかったが、たえず心に掛けてもらっていたし(一葉の死後でさえ緑雨は一葉の家族を心配した)、馬場孤蝶とのあいだにはほのかな恋の気配が感じられる。
写真を見てもわかるように一葉は美しい人だ。
(もっとも一葉の写真は修整されていて、半襟などの模様は塗りつぶされていかにも地味な印象になっている。これは一葉の死後、妹の邦子が清貧、勤勉、親孝行という一葉のイメージを守るためだったという。)

緻密な資料と領家高子のフィクションの織り重なりが素晴らしく、明治の時代の空気が濃く漂う文章はうっとりする。
「向島3部作」が好きでその後も領家作品を読んでいたのだが、異端の哲学者九鬼周造を扱った「夏のピューマ」の怪作ぶりに少し彼女から離れていたのだ。
でもこれは読んで本当によかった。
そういえば彼女にはこれまでも「八年後のたけくらべ」「一葉舟」などの作品があり、この「なつ」は一葉ものの集大成と言えるかもしれない。
私はとりたてての一葉ファンではないのだが(明治大正の閨秀作家をほとんど読んでこなかった)、これを読んで俄然興味を覚えた。

この本で領家高子はおもしろくも大胆な仮説を立てている。
「たけくらべ」の信如は島崎藤村がモデルであると。
もちろん美登利は一葉自身。
そのほかの登場人物にもそれぞれのモデルを当てはめている。
私は彼らを知らないのだが、知っている人が読めば「なるほど」と頷いたり、「まさか」と驚いたりするのではなかろうか。

それにしても当時の貧しさに胸塞がれる。
友人同士の金の貸し借りは日常茶飯で、当時の人と人との関係の温かさが覗える。
貧しくても貧しいなりにどうにかなった時代でもあったのだ。
それでもどうにもならなくて一葉は結核で死んでしまったのだけれど。
posted by 北杜の星 at 07:08| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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