2013年09月07日

平田俊子「スバらしきバス」

とっても素敵なバスにまつわるエッセイ集。
もう一ページ目からうっとりしっぱなしだった。
このユーモア感覚に加えて絶妙な言語感覚は、小説家としての観察眼と詩人としての言葉選びから生まれるのだろうか。

中野区の鍋屋横丁に住む平田俊子はひょいとバスに乗る。
都バス、関東バス、西武バス、小田急バス、京王バス・・
用事のあるときだけではない。目の前に停まったから乗ったり、どこを通るかわからないけれどひとまず乗ってみようとバスに乗る。
はとバスだって乗るし、年末に東京から福岡まで14時間の高速バスにだって乗ろうとする人なのだ。

中野、方南町(鍋屋横丁の前に彼女が住んでいたところ)、新高円寺、鷺宮、吉祥寺などの町名が懐かしい。
最寄り駅が西荻に住んでいた私には彼女がバスで行く場所はテリトリー内だった。
私と違うのは、彼女は電車や地下鉄で行ける所でも、バスに乗ることだ。
バスに乗って風景を見る。乗客を見る。ちょっとしたことが彼女の目に留まり、彼女独自の思いに繋がる。
思わずクスリとした後で、「ホントにそうだわ」と同士を得た心強さをもってしまう。

バスに乗ると人はどこかのんびりした気持ちになるものだ。
電車ほど構えないし、普段着の感じというか気取りがない。
歩くときよりずいぶんと高い位置に目があるので、ふだん見えないものが見えるのもいい。
なによりいいのはその速度だ。ときにはじれったくなるほど渋滞もするが、電車ほどのスピードがないので安心できる。なにかあったらすぐに脱出できそうだし。
この中でバスに乗り込んだ小学生の女の子二人がある停留所で下りて、そこから走ってバスを追い、また同じバスに次の停留所から乗り込んだ光景がでてくるが、電車でそんなことはできないもの。

私は長く杉並区の松庵という町に住んでいたのだが、この本で初めてその名の由来を知った。
江戸時代に松庵先生という医師が住んでいたのにちなんだ町名なのだそうだ。

バスはとても現実的なのだけれど時としてこのままどこか異世界に行ってしまうのではないかと錯覚するほどファンタジックなところがある。
平田俊子のこの文章を読んでいると、そんな気分になってくる。
バスなのに、なんだかふうわりと飛行船にでも乗っているような。。

私は平田俊子の詩を読んだことがないのだが、小説の「私の赤くて柔らかな部分」や「スロープ」は大好きだった。
「スバらしきバス」もそれらに劣らず素晴らしい。
上等なエッセイを読みたいという人には、これ絶対お奨めです。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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