2013年09月10日

野見山暁治「遠ざかる景色」

野見山暁治は1920年生まれ。日本の最高齢画家である。
私は彼の絵よりは文章のほうが断然好きで、というと彼には失礼になるのだが、実は私の周りで同じことを言う人は結構いる。
まぁエッセイスト・クラブ賞を受賞しているのだから、文章だってプロなのだけど。
彼のひっかくようなタッチの線のデッサンは悪くないのだが、油絵の色が私にはあまり美しく感じられない。
私の友人には彼と親しい人が何人かいてその人たちからいろいろ聞くところによると、ちっとも偉ぶらない楽しい人だそうだ。

野見山が渡仏したのが1952年。
日本の芸術家たちは当時フランスに憧れた。まだまだ古い因習の残る日本から解き放たれ自由に創造の翼を広げるためには、パリは輝くばかりの街だったことだろう。
12年の滞在の間には最初の奥さんを貧しさの中で亡くしている。
最初のフランス滞在が書かれた章にはたくさんの人々との出会いが書かれている。
袖振り合っただけのジャンヌ・もローも出てくる。
ある場所に駐車しようとしていたらその前に一台のロールス・ロイスが停められた。車から家政婦が降りてきた、と思ったらそれがジャンヌ・モローだったという。
地味で目立たない女性で、演技をすることでジャンヌ・もローになる人間だと思ったそうだ。
いっぽうその反対がブリジット・バルドー。バルドーは普段もいつもバルドーだったとか。
(私はずいぶんと前に「ビバ・マリア」というバルドーとモローが共演する映画を見たことがあるが、演技巧者のモローが完全にバルドーに食われていた。そのとき私は、やっぱり天然のほうが勝つのだなと思った記憶がある。)

十数年たって野見山はフランスを再訪した。
しかし彼が見た風景は彼が知っていた昔の風景ではなかった。そこには「フランス人」はいなかったからだ。
マナーの悪い人間を注意する人がいても、周囲は見てみぬふりをするだけ。以前ならみんなが加勢したはずなのに。
フランス人がアメリカ人や日本人のようになってしまったと彼は思う。
まさに「遠ざかる景色」だ。

もう一つの章は、戦没画学生の遺作収拾のための旅について。
長野県上田市にある「無言館」設立に繋がる旅だが、生き残っている自分にどうしようもない疚しさを感じる野見山の姿がある。

野見山の実の妹は田中小実昌の妻だったのだが、その夫婦のケンカがじつにユニークで、小実昌という人をよく表わしている。
私は小実昌の小説が大好きで、あのやさしいようで本当は難解な作品をどこまで理解していたかは覚束ないのだけれど、世間はもっともっと小実昌を評価していいといつも思っている。
毛糸の帽子を被り、ポケットに文庫の哲学本をねじ込み、バスに揺られて映画を見に行く・・そんな彼の風貌が懐かしい。
野見山は小実昌のことが好きでならないという感じで、実の兄弟のようだ。

ある建築家が自邸を設計してくれるエピソードもとっても面白い。
野見山さんは絵より文です。と言うとやっぱり失礼なのかなぁ、
posted by 北杜の星 at 07:46| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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