2016年01月19日

綿矢りさ「ウォーク・イン・クローゼット」

「いなか、の、すとーかー」と「ウォーク・イン・クローゼット」の2中編が収録されている。

えーっとですね、どちらも全然感情移入できないものでした。
「いなか、の、すとーかー」は、東京から地方の郷里の小さな町に戻った新進陶芸家に、年上の女性ストーカーがまつわりつくという話で、幼馴染の男友達と女友達が絡む。
途中の展開にも「?」だし、結末がこんなにベタでいいのかという感じ。
つまんなかなったなぁ。

それに輪をかけてつまんなかったのが表題の「宇オーク・イン・クローゼット」だ。
28歳のOL 早希はガーリーな服を着る。自分のテイストとようりも「対男用」の武装としての服を選んでいるからだ。
彼女には幼稚園の頃からの、今は人気タレントになっている友人のだりあがいる。当然、だりあはたくさんの服を持ち、そのウォーク・イン・クローゼットにはぎっしり服がぶら下がっている。
モノがあふれ、お金を出汁させすればいくらでも服が買える世の中。
早希とだりあの微妙な関係。
・・読んでいてどんどん空虚になってくる。
もちろんその空虚さを描くのがこの作品の目的なのなら、それは成功しているのかもしれないが、私の感じる空虚さはちょっと方向性が違う。

彼女たちのあまりにも社会意識のなさが虚しすぎるのだ。
18歳じゃない。28歳だよ。
バッグパッカーとして世界を旅する早希の男友達のユーヤにしても、世界をどういう目で見てるんだと言いたくなる。

私の若いころもそうだったのかなぁ?
早希やだりあのようなおバカさんだったのかなぁ?
いつだったか池澤夏樹が日本の若い作家の社会意識のなさに言及していたことがあるが、つくづく同感だ。
もちろん文学はなにも社会性が第一義ではない。個人的な問題をえがくものだと思う。
だが個人は社会と繋がっているし、社会なくしては存在できない。
社会に問題がなにもないのならまだしも、こんなにもたくさんの問題を抱えているときにこういう小説を読まされるのは嘆息してしまうよなぁ。
(個人が掘り下げられているわけでもないから、よけいつまんない)。
獄本野ばらの「お洋服」の小説にはまだ世相を切り取るなにかあったし、まったく個人的なことであってもどこかに時代性が感じられたんだけど。

今年初めての「投げ出したくなる本」でした。
これが2年ぶりの作品だなんてあんまりな。。綿矢さん、頑張ってください。
posted by 北杜の星 at 07:26| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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