2016年04月25日

波多野聖「本屋稼業」

本が売れない。
本屋が続々と閉店になる。
本好きにとってはなんとも寂しく悲しい世の中だ。
本屋に足を踏み入れたときの、あのワクワク感をみんな忘れたのだろうか。
東京を離れて田舎暮らしになりなにがつまんないかというと、「ふらっと散歩の途中Bの本屋さん」がないということ。
とくに中央線沿線の荻窪と西荻に住んでいたので、本屋はほんとうにたくさんあったのだ。

この「本屋稼業」の主人公は、戦後世界一となった本屋を創業した紀伊國屋書店の創業者田辺茂一と、彼を経営面で支えた松原治である。
紀伊國屋書店があれほど大きな規模となったのはまず、茂一の本屋に対する「想い」と、戦前の大陸時代から経済に強く人脈を持つ松原の手腕によるものだ。
10歳のときに父親に連れられて日本橋の丸善に行き、そこの崇高なまでの文化の雰囲気に圧倒され、「本屋になる」と決意。
その決意を実現させていく茂一の天性の大らかさ、私利私欲のなさ、公平さ・・彼の人間としての魅力がこの本で余すことなく綴れられているし、茂一の直近として経営を任される松原の苦労と苦労が報われる歓びもじんじんと伝わって来る。

もともと紀州藩の下級武士だった茂一の先祖が江戸に来て材木商を始めた。
茂一の父が薪炭問屋となって大成功。今の紀伊國屋書店新宿本店などたくさんの地所を持つようになった。
茂一はその長男として何不自由なく贅沢に育った。「したいことだけする」という彼の人生スタンスは幼少の頃からのものだったのだ。

本屋になりたい。
しかしその本屋はありきたりの店であってはならない。
一流の建築家の設計に依頼し、本を売るスペースだけでなく、画廊やサロンをつくり、劇場までつくった。
茂一が欲しかったのは、幼い日に見たあの丸善のような、「場」であったのだ。
美しい文化の香りのする「場」。そのためのコストは考えようとしない。
松原はそんな茂一の希望をひとつひとつ叶えていった。
不可能とも思われる交渉に臨み、困難な金策に追われ、円形脱毛症ができたこともある。
その間茂一は銀座のバーでキレイドコロと遊び、作家や文化人たちと豪遊していた。
それでもなぜか。松原は一度も茂一に悪感情をいだいたことがなかった。
田辺茂一と言う人間こそが、紀伊國屋書店のブランドなのだと、松原は知っていたからだ。
どんな無茶な茂一の要望であっても、なんとかしてあげたいと松原は思うのだが、その思いはどこからくるのか。それはおそらく松原自身にも不思議だったのではないか。
まぁ一言で言うならば田辺茂一という人の「人徳」なんでしょうね。
そこには二人のそれぞれの「直感」があり、彼らは直感を信じだのだ。

松原は茂一と初めて会った時「鯨」を思い出したそうだが、田辺茂一って鯨というよりヒキガエルって印象が私にはあるんだけどな。
いつもニコニコ、駄洒落を連発していたおじさんだった。
好きか嫌いかと言われると、あの好色さがどうも苦手だった。
私も若い潔癖な年頃だったから、茂一のような男性はもっとも避けたいタイプだった。

「会うべき人には会うべきときに会う」・・この本はそのことを確認させてくれるものです。
posted by 北杜の星 at 07:04| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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