2016年07月06日

三崎亜記「ニセモノの妻」

三崎亜記の作品はよくSF的と評される。
でも私はそうは思わない。
SFなら「なんでもあり」になってしまって、つまらない。
彼の作品は日常をちょっと上下逆さにしたり裏表にしたりすることで、それまで想像もしなかった世界に読者を運んでくれるから面白いのだと思う。
架空の世界であっても、ベースはあくまで「日常」なのではないだろうか。

この4つの短編集もそう。4組の夫婦を描くもの。
普通に暮らしているはずの夫婦に起こる不思議で怖いこと。ぜったいに起こらないことが起こったとき、彼らがどう考えどう行動するか。
奇想天外が起こると、それはホラーだったりミステリーだったり。
しかもそれが起こるのが夫婦になのだから、せつなくもあるのです。

買ったばかりの新築マンションに引っ越した夫婦。でもマンションにはどの部屋にも灯りがない。誰にも会わない。
ある日突然6年一緒に暮らした妻が「私はニセモノかもしれない」と言い、二人してホンモノの妻を探しに。
「あなたとは傾きが違うのよね」と「坂」主義の妻が言う。世の中は坂主義と階段主義が対立。
どういうわけかできた断層が、家族を分断する。。

・・というお話を詳しく説明するのは野暮というもの。
これを楽しめるかばからしいと思うかは読者次第だ。
ただ、三崎亜記を読んでいつも心配なのが、「いつまでこれが続けられうのだろう」「ネタ切れしないの?」ということ。
奇想天外がalwaysになると、驚きがなくなってカラクリがわかり、飽きられるんじゃないかとヒヤヒヤするのだ。
でも彼の強みがあるとしたら、上に書いたように彼が物語を「日常」から拡げていることだろう。
日常ならいくらでもどこにでも誰にでもある。枯渇することはないはず。
要はマンネリにならないことかな。

今回はこう来たのなら、次回はどう来るか?この楽しみが三崎亜記にはあるんです。


posted by 北杜の星 at 07:20| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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