2016年10月25日

山下澄人「壁抜けの谷」

「ぼくはその男に話さなかったことがある。事務所も実は見つけられなかったのだ。それも移転や、他の何かに変わっていたというのではなく、たしかそこが事務所だったと記憶していた場所は、山、だった。小さな丘とでもいうような山ではあったけれど、ぞれでも昨日今日できたものとは思えず、ぼくは山の前でしばらくいて、しばらくどころかかなりいたはずだ。」

この小説がどんな小説かは、上に記した本文に集約されていると思う。
まるでラテン・アメリカ文学を読んでいるような気持ちだった。
記憶が薄れているのか、それともその事実が本当にあったことなのか?それともじつはなかったことなのか?
読めば読むほど曖昧さの渦に巻き込まれてしまう。

「ぼく」と「わたし」が交叉しながら、時間と場所を行きつ戻りつ、何度も何度も同じエピソードが繰り返される。
ぼくとわたしの周辺の友人、知人、犬、猫たちが、グルグルグルグル歩きまわる。
明確なものはなにもない。

ぼくの親友の長谷川が突然死んだ。
小学校の帰り路で声を掛けられて以来の親しい友人だったのに、亡くなった後で、彼の職業も妻子の有無も知らないことに気づいた。
いろんなことを一緒にし、話し合ったはずなのに、その記憶が定かではない。
長谷川が死んでからわかること、わからなかったこと。。

わたしの母は誰とでも寝る。わたしは誰の子か?そしてわたしが産むのは誰の子を産んだのか?

からまった糸はほぐれてくれない。むしろますますからまるばかり。
ポキポキ短い文章は情緒を排して書かれているのだが、底に流れるのはどこか優しくて愛おしくて悲しい感情。
山下澄人は目下、私のもっとも気になる作家だ。
これまで2冊くらいしか読んではいないのだけれど、彼の小説を一言で言うならば「手垢のついていない小説」だと思う。
彼が「新しい小説」を目指しているのかどうかは知らない。
けれど何か新しいものを生み出そうとしている作家、という印象を受けるのだ。
難解というのではないけれど、わかりやすいとは言えない小説。
この「壁抜けの谷」もけっしてわかりやすくはないのだが、わりとすんなり頭に入ったのは、複雑なようで案外にシンプルな人と人とのつながりが描かれているからではないだろうか。

会話の「え」「え」「は」「は」というやり取りに奇妙ンはリズムがあって、ちょっとおかしい。

山下澄人、これからも気になる作家のようです。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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