2016年12月13日

津村記久子「浮遊霊ブラジル」

驚いた!
津村記久子がこれほど進化していたとは。

働く若い女性の心理を描く津村記久子の小説には定評があった。
それは彼女自身が自分の仕事を通して感じる日常そのものだったのだと思う。
けれど勤めともの書きの両立は難しかったようで、ペン一本の道を選んだ。
以来、おせっかいにも私は心配していたのだ。
「これから彼女は、何を書いていくのだろう?」と。
発表される作品のなかには、「うーん、どうなんだろ、これ」と思わぬでもないものもあった。

でもその心配、まったくの余計なお世話だったみたい。
この短編小説集の7編の完成度の高いこと!
収録されている「給水塔と亀」は川端康成文学賞を受賞したそうだが(私は知らなかったのだけど)、7編はバラエティに富みながら、ちょっとしたユーモアがあって、リアルでない世界を描いても静謐な空気が感じられる。
津村記久子の若さでこれほどのものが書けるのは、実際の体験だけでなく、作家としての資質の高さだろう。

定年退職をして故郷の町に帰って来た男が、引っ越し荷物を受け取り、アパートの管理人の亀を飼おうとする「給水塔と亀」。
うどん屋の主人と客との微妙な距離を描く「うどん屋のジェンダー、またはコネルさん」(これ、好きだった)。
初めての海外旅行前に死んでしまった「私」が、念願の土地に浮遊霊となって。。表題の「浮遊霊ブラジル」。
サッカー関連記事の翻訳をしていて、一人のウルグアイ選手の再婚相手が、元同級生だったと知り。。「アイトール・ベラスコの新しい妻」。
・・など並ぶ。

私がもっとも気にいったのが中編の「運命」。
どこに居ても、旅行に行った先でも、道を尋ねられる人っているけど、この主人公もそう。
肌の色が違う、あきらかに旅行客だと見てとれるのに、道を訊かれる。
でもそんな現実世界から、赤ん坊の頃の記憶などどこかシュールな場所に運ばれる感じがなんとも心地よく面白い。
この「おかしさ」に私は共感できて、ここらあたりが津村記久子を読み続ける理由なんだろう。
それと彼女の作品には変な湿っぽさがないのがいい。
どんな内容であっても適度な乾きがあって、それがクスリとしたユーモアになっているのだおt思う。

私も結構、どこでも道を訊かれる。
イタリアでも訊かれたし、パリでもイタリア人観光客から「サン・ジェルマンへはどう行くのか」と尋ねられた。
もちろん日本でも、歩いていたり信号待ちのときに訊ねられる。
道を訊かれやすい人には共通項があるのだろうか?
あるとしたらまず、「美人でないこと」なんだろうな。
だって美人には声かけにくいものね。、
私は中肉中背の丸顔、最新ファッションに身を包んでいるわけではないけど、それほど生活に疲れた風でない。つまりは「ごく、フツー」。
この「フツー」というのがいいのか、悪いのか、道を尋ねられる最適条件のような気がする。
それともボーっとして急いでないから、声をかけやすいのかな?

ともかく、この津村記久子、短編集を読む充実感が味わえる一冊でした。
posted by 北杜の星 at 07:47| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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