2017年01月19日

岩波書房編集部「私の貧乏物語」

昔は「貧乏」だった。今は「貧困」だ。
貧乏と貧困はどう違うかと言われれば説明が難しいが、貧困は相対的な社会現象であるだけに、救いがないように感じられる。
この本は拡大する格差ーと貧困をこのまま見逃しておいてはいけないと、各界の人たちに彼らの経験してきた「貧乏」を書いてもらっているのだが、私にはこれは「昔の貧乏」だと思える。
つまり、誰もが貧乏だった時代の貧乏であって、あの頃にはまだ「頑張ればなんとかなる」という発展途上の希望があった。

蛭子能収「ピザって食べたことある?、安彦良和「私が貧乏だったころ」、武田砂鉄「まぁぼちぼちですね」、佐高信「慶応で格差を実感」、橋本治「伊達や酔狂で貧乏になる」、古賀誠「忘れられない白いご飯と生卵」、亀井静香「生かされて生きて来た」・・
彼らはその時代は貧乏でも、後にナニモノかになった人たちである。
貧乏だったあのころを笑い話にできる。
でも現代の「貧困」はそんなものではないのではないか?

森達也「窮乏のなかで芽生えた憎悪のゆくえ」、フレイディみやこ「貧乏を身にまとい、地べがから突き上げろ」、斎藤貴男「最後に奪われるものは何か」・・などの文章の方に現代の「貧困」の根源が表されていると思う。
日本やイギリスの社会構造のなかで、自分の努力だけではどうしようもない下層の人間は「ルサンチマン」を持つようになる。
そしてそのルサンチマンが過激なテロなどの温床となってゆく。

岩波書店編集部の意図はわかるとして、この本にある「貧乏物語」にはある種のノスタルジーがあり過ぎて、勘違いをしているのではないかと言いたくなる。
学校が休みになると給食がなくなって、家でご飯が食べられなくなる子どもたち・・それが現代の貧困なのです。
そんな子どもの友人たちの家庭では、ありああまる食べものを捨てているというのに。。
みんなが貧乏だったころの貧乏は耐えられても、自分だけが貧乏で食べものもない境遇は切な過ぎる。
悲惨なのはその貧困は連鎖するのである。

ここに並ぶ36人の「貧乏物語」をどう受け止めるか。
それは各人それぞれだろうが、せめてこの本が小さな灯に繋がればいいのだけれど。
posted by 北杜の星 at 08:00| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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