2017年01月26日

新井潤美「パブリック・スクール イギリス的紳士・淑女のつくられかた」

著者は幼いときから外国、とくにイギリスに長く住み、現在は上智大学で英文学・比較文学の教授をしている。

近頃は日本でも裕福層と貧困層の差が顕著になっているが、ヨーロッパ社会はどこもまだ「階級」というものが残っている。
差が激しくなったとはあいえ、私は日本はかなりの「平等社会」ではないかと思っている。
お金があれば若者でも高級なレストランで食事ができ、リッチなホテルに泊まることができる。
誰もそれに対して疑問をもたない。
ヨーロッパではちょっと違う。
上流階級だけが行ける場所があり、そこではどんなに成功したビジネスマンであっても歓迎されない。
そうした上流階級の子女が通う学校があり、そこではイギリス社会の中枢を担う人材の育成をしている。それがパブリック・スクールなのである。
パブリック・スクールといっても、いわゆるパブリック(公立)ではなく私立だ。
この本ではパブリック・スクールの成り立ちから現在までの推移を紹介している。

私が住んでいた1960年代終わりから70年代初めのイギリスは、まだまだ古いイギリスだった。
(なにしろお金の数え方からして20・12・6進法だったし、コインの裏側にはビクトリア女王の肖像があるものもあった!)
現在はパブリック・スクールには外国人の子どもも、ミドルクラスの子どもも入学できるが、当時はアッパー・ミドル・クラスまでの子どもしか入学を許可されていないところが多かった。
そんなパブリック・スクールに一度だけ見学に行ったことがある。
知人の息子があるパブリック・スクールに寄宿していて、「行ってみる?」と言われ、高級車ベントレーに乗せてもらって連れて行ってもらったのだ。
もうあまり覚えていないのだが、一つびっくりしたのは、そこには3ホールだがちゃんとしたゴルフ・コースがあったことだった。
ゴルフの上達が目的ではなく、「いかにフェア」にプレイできるかが目的だと聞いて「うーん、さすがイギリス」と感心してしまった。

しかしパブリック・スクールはそんな「オキレイゴト」だけではなかったようで、サー・ウィンストン・チャーチル氏の例がここに書かれているが、陰湿ないじめはあったし、教師のムチでの罰もあった。
閉鎖的な空間だけにその陰湿さはかなりのものがあったようだ。
ここにも書いてあるが、以前見た「アナザー・カントリー」という映画を思い出す。
男子だけのパブリック・スクールでは同性愛が少なからずあった。
同性愛はあの頃は絶対タブーとされていたので、それを強請りのタネにされることがあった。
そしてその強請りは「スパイ」を生むことにもなった。
「アナザー・カントリー」ではそうしてソ連のスパイになり、ソ連に亡命したイギリス老人の回想シーンから始まるのだが、彼がパブリック・スクールで受けた屈辱が、スパイという復讐となったのだろう。
そうした例はけっこうあって「ケンブリッジ・ファイブ」として5人のスパイが有名だ。

子息だけではない。女子のパブリック・スクールでの教育も特徴的だった。
自然科学や文学などは教えてもらえず、「たしなみ」が重んじられたそうだ。音楽や絵画、フランス語などができればそれでヨシとされたらしい。
しかもそれはつい最近まで続いていたという。
(そういえばあのダイアナ妃って、カレッジは出ていないんですよね。キャサリン妃は出ているけど)。

階級を絶対悪とするつもりはないけれど、旧態然とした教育現場から何が生まれるのかは疑問である。少しずつ改善されているならいいのだが。
せめて彼らが社会に対して「フェア」であってほしいし、「noblesse oblige」を持ってほしいと思う。

posted by 北杜の星 at 08:01| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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